ヨハネによる福音書15章9−17節 「友の愛」
前回は、「イエスのうちにとどまること」について学んだ。イエスがぶどうの木であり、私たちがその枝である。そしてイエスは、そのような関係にいる私たちを「友」と呼んでくださる。
私たちは「友」をどう考えているだろうか?(例:私のアメリカ人の友人。酒飲みの仲間が、自分が怪我をしたとき、誰も病院に訪問してくれなかった。)箴言17章17節
9−11節: キリストの内にある愛
@ 「わたしの愛のうちにとどまりなさい(9節)」
イエスが私たちを愛してくださったこと、これを思い続けることである。
A 「わたしの戒めを守る(10節)」
イエスが定義しておられる愛は「従順」である。今日の「愛」は感情のことを話している。感情はあるが、それ以上に従順によって示される愛を話しておられる。(例:ハリウッドの映画は感情の愛、真実な愛はルツ記にあるような姑に対する愛、あるいは、ダビデのために命をかけて水を取ってきた家来たちの愛(2サムエル23:13‐17))
B 「あなたがたの喜びが満たされるためです(11節)」
イエスの戒めを守るのは負担にならない。むしろ大きな喜びが心から湧き出てくる。キリスト者は喜びがその特徴の一つだ。
12−17節: 互いにある愛
C 「あなたがたも互いに愛し合うこと(12節)」
13章34節にも出てきた。キリストの愛を知っている者たちこそが、互いに示すことのできる愛がある。なぜなら、一つになっているからだ。
D 「友のために命を捨てる(13節)」
これほど明らかな愛はない。イエスがこのことを示された。
E 「あなたがたはわたしの友です。(14節)」
私たちが「主」と呼んでいるイエスは、なんと私たちを「友」とまで呼んでくださっている。
そして、「友」であるがゆえにご自分のことを明かしてくださる。(例:アブラハム 創世記18:17)
F 「わたしがあなたを選び(16節)」
信じることは、選択することである。けれども、実は主が私たちは初めに選んでくださったから、信じることができるようになった。
G 「あなたがたの実が残るため(16節)」
神から来るものは、必ず残る。人間的に行なったことは、すぐに化けの皮が剥がれる。