主は近いのです 2001/09/10
「あなたがたの寛容な心を、すべての人に知らせなさい。主は近いのです。(ピリピ4:5)」
ピリピにある教会では、女執事ユウオデヤとスントケの間に、不一致があったようです。パウロは、「主にあって一致してください。」とお願いして、それから「寛容な心を知らせなさい」という勧めをしています。細かな違いに固執しないでいなさい、とも言い換えることができますが、その根拠は、「主は近いのです」ということでした。
初代教会は、主イエスが今すぐにでも戻って来られることを信じ、期待していました。使徒行伝を読んでも、また使徒たちの書簡を読んでも、至るところに、その信仰を読むことができます。そこから、聖書を信じる教会は、どのような時代にあっても、主がすぐに来られる、自分が生きているときに来られるという信仰と望みが必要であるということです。
主が来られるのが近いのを知ると、私たちはどのように変えられるでしょうか。
第一に、福音を宣べ伝えることへの危急性を抱きます。家族や友人の、救いのために祈り、主イエスを信じるように勧めます。
第二に、生活に優先順位が与えられます。「世の有様は過ぎ去るからです。(Tコリント8:31)」私たちは、この世に生きているのですから、この世に属する事柄にも携わらなければならないのですが、これらは過ぎ去るものとみなし、御霊に属する事柄を見失わないようになります。
第三に、清めが与えられます。「キリストに対するこの望み(キリストの現われ)をいだく者はみな、キリストが清くあられるように、自分を清くします。(Tヨハネ3:3)」肉に属する事柄に関わっていたら、主が現われたときに、恥じ入ることになるでしょう。そこで、聖潔への動機付けとなります。
主イエスよ、来てください!
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