黙示録12章 「ヤコブの苦難」


アウトライン

1A 子を産む女 1−6
   1B 天のしるし 1−3
   2B 男の子 4−6
2A 投げ落とされる竜 7−12
   1B 天における戦い 7−9
   2B 兄弟の告発者 10−12
3A ひと時、ふた時、半時 13−18
   1B 逃れの荒野 13−16
   2B 女の子孫 17−18

本文

 黙示録12章を開いてください。ここでのテーマは、「ヤコブの苦難」です。私たちは、イエスさまがヨハネに話した、「この後に起こること」を学んでいます。教会が地上から取り去られた後に、地上に神がご自分の怒りを下されますが、その他に、イスラエルを神が再び取り扱われて、彼らに救いをもたらす時であることを学びました。黙示録7章にて、14万4千人のイスラエル人が神の印を押されたことを読みました。ロマ書11章には、異邦人の完成が行なわれてから、その後にイスラエルが救われるとの預言があります。主は、ご自分がかつて約束されたように、イスラエルを祝福する計画を、再臨直前に当たって実行されるのです。

 前回の11章から、イスラエルに関わる出来事を読んでいます。ダニエルの預言である、荒らす忌むべき者がイスラエルの多くの者と契約を結び、その契約には神殿の再建が含まれていることを学びました。けれども彼は、第七十週目の半ばに、神殿の中に入り、我こそが神であると宣言すると第二テサロニケ2章に書かれています。このダニエルの預言、最後の七年間の半ばに反キリストが正体を現わし、暴れまくることが、黙示録の内容を理解するための鍵です。そして11章には、神殿の前に、ふたりの証人が現われて、第七十週の半ばに反キリストによって殺されることが書かれていました。そして、三日半の後よみがえって天に引き上げられたことにより、エルサレムの住民は神をあがめるようになります。

 そして今日学ぶ12章は、反キリストが患難期の後半部分でイスラエルに対し、最大、最悪のホロコーストを行なうことが預言されています。聖書が確かな神のみことばであると確認できるのは、世界が、イスラエルという国と民族を中心軸にして、その歴史を発展させてきたことです。ユダヤ民族が受けた迫害を見れば、彼らに対する憎しみは尋常ではないことを発見しますが、その中で彼らは滅び去ることなく、むしろ世界全体に影響を与え続けています。これは、出エジプト記にて、イスラエル人の多産によってパロを脅かせたところから始まる、神の歴史だからです。そこで、今日は、なぜイスラエルが迫害を受けるのか、その源になっている天で起こっている事柄を読みます。

1A 子を産む女 1−6
1B 天のしるし 1−3
 また、巨大なしるしが天に現われた。ひとりの女が太陽を着て、月を足の下に踏み、頭には十二の星の冠をかぶっていた。

 ヨハネは、天にある神の神殿とその中の契約の箱を見てから、この巨大なしるしを見ました。それはひとりの女であって、彼女は太陽を身につけ、月を足の下にふみ、頭に12の星の冠をかぶっています。

 この描写が何であるかは、一目瞭然です。創世記37章をお開きください。ヤコブの子ヨセフが夢を見て、それを家族に話している場面です。一つは、畑の束の夢でしたが、二つ目が、この太陽と月と星の夢でした。9節を読みます。「ヨセフはまた、ほかの夢を見て、それを兄たちに話した。彼は、『また、私は夢を見ましたよ。見ると、太陽と月と十一の星が私を伏し拝んでいるのです。』と言った。」この夢の話を聞いて、兄たちだけでなく、父ヤコブも怒りました。なぜなら、太陽は自分のこと、月は母親ラケルのこと、そして11の星は、ヨセフ以外のヤコブの息子たちを表していたからです。ですから、この女がイスラエル民族を表していることは明らかです。

 またイスラエルは、聖書の中で、主の妻として描かれています。例えば、エレミヤ書3章には、イスラエルの神ではない外国の神々を拝むイスラエルのことを、淫行を働いている不貞の女にたとえられています。ちなみに教会は、婚姻を待っている花嫁としてたとえられていますし、また神に反抗する霊が、黙示録17章で、大淫婦としてたとえられ、神と自分との関係が結婚関係にたとえられているのです(エペソ5章参照)。

 この女は、みごもっていたが、産みの苦しみと痛みのために、叫び声をあげた。

 もう少し先を読むと、彼女がみごもっている子はイエス・キリストであることが分かりますが、イエスを産むに当たって、イスラエルが産みと苦しみと痛みをともなっています。これは、どのような痛みなのでしょうか?ダニエル書を読みますと、ユダヤ人のバビロン捕囚後の、世界史が預言されていますが、バビロンからメディヤ・ペルシヤ、メディヤ・ペルシヤからギリシヤ、そしてローマへと続きます。それぞれの時代にてユダヤ人は苦しみを受けてきましたが、ローマ時代は、鉄の支配であり、反逆者には容赦ない制裁が加えられる時代になりました。当時のことを「パックス・ロマーナ」と呼びますが、戦争がなくなり平和になったということです。それはローマが、ことごとく当時の国々を掌握し、自治を認めながら税金や軍隊によって支配していったからです。ユダヤ人たちが、ローマ時代に出てくるメシヤ、ネブカデネザルが見た人の像の、足と部分をことごとく打ち砕く石、メシヤを待ち望んでいました。圧制からの解放者の約束を待ち望んでいたのです。

 また、別のしるしが天に現われた。見よ。大きな赤い竜である。

 ひとりの女に加えて、別のしるしがまた現われました。赤い竜です。彼の正体は、12章9節を読むと出てきます。「この巨大な竜、すなわち、悪魔とか、サタンとか呼ばれて、全世界を惑わす、あの古い蛇」です。悪魔です。面白いですが、竜というのは架空の動物と言われていますが、聖書には実在の動物のように描かれています。ヨブ記41章に「レビヤタン」という動物が出てきます。その描写を読むと、いわゆる竜のような動物であり、またそれは悪魔の描写だとも言えます。エバを惑わしてから、蛇は地を這うようになりましたが、もしかしたらその前は、竜のようであったのかもしれません。

 七つの頭と十本の角とを持ち、その頭には七つの冠をかぶっていた。

 この描写はダニエル書に出てくる、第四の獣、すなわち復興ローマ帝国に似ていますし、また黙示録13章に海から上ってくる獣の姿であります。次回この獣の姿についてさらに学びますが、この獣は反キリストであり、世界の諸国を獰猛さと横暴を表しています。つまり悪魔は、世界大国の興亡の背後で働いており、特に最後の復興ローマ帝国においては彼が操作していることを表しています。コリント第二4章4節にはサタンは「この世の神」と呼ばれていますが、国々の行なっている横暴なことの背後には、サタンが働いているのです。ダニエル書10章に、いろいろな君が現われます。君とは天使のことですが、ペルシヤの君がダニエルのところに遣わされた君を阻みました。またギリシヤの君がいます。これらは大国の背後で働いている堕落した天使、悪霊のことなのです。

2B 男の子 4−6
 その尾は、天の星の三分の一を引き寄せると、それらを地上に投げた。

 「天の星」ですが、聖書では「星」はしばしば、天使のたとえとして使われています。例えば、この黙示録でも、イエスさまの右の手の中にあった七つの星は、七人の御使いであるとありました(1:20)。今サタンが、天使の三分の一を自分のところに引き寄せ、そしてそれらを地上に投げました。

 サタンは、イザヤ書14章に出てくるルシファー、またエゼキエル書28章に出てくる守護者ケルブであると言われています。彼はもともと大天使でしたが、自分の美しさに高ぶり、高慢になり、神より高くなろうとしました。そこで神は、彼を天から地へと投げ落とした、とあります。悪魔は、自分が投げ落とされるとき、天にいる三分の一の天使を自分の味方につけたと思われます。そして天において戦争が起こって、悪魔の陣営が負け、彼らが天から追い出されることになりました。これら三分の一の天使は、悪霊ではないかと思われます。

 また、竜は子を産もうとしている女の前に立っていた。彼女が子を産んだとき、その子を食い尽くすためであった。

 この子はイエス・キリストですが、竜がこの子を食い尽くそうとしています。この出来事は、マタイ2章16節に出てくる、ヘロデ王の幼児虐殺のことです。こう書かれています。「その後、ヘロデは、博士たちにだまされたことがわかると、非常におこって、人をやって、ベツレヘムとその近辺の二歳以下の男の子をひとり残らず殺させた。その年令は博士たちから突き止めておいた時間から割り出したのである。」イスラエル人マリヤから産まれたイエスは、国の支配者ヘロデの背後で働く悪魔によって、滅ぼされそうになったのです。

 女は男の子を産んだ。この子は、鉄の杖をもって、すべての国々の民を牧するはずである。

 この鉄の杖による、諸国の統治から、男の子がイエス・キリストであると分かります。黙示録19章に、白い馬に乗って、諸国の軍隊と戦われるイエスさまの姿があります。15節にこう書かれています。「この方の口からは諸国の民を打つために、鋭い剣が出ていた。この方は、鉄の杖をもって彼らを牧される。」イエスさまは地上に戻られてから、正義によって世界を支配されます。この方に反逆する者は鉄の杖でことごとく滅ぼされます。詩篇二篇には次の預言があります。「わたしは主の定めについて語ろう。主はわたしに言われた。『あなたは、わたしの子。きょう、わたしがあなたを生んだ。わたしに求めよ。わたしは国々をあなたへのゆずりとして与え、地をその果て果てまで、あなたの所有として与える。あなたは鉄の杖で彼らを打ち砕き、焼き物の器のように粉々にする。』(詩篇2:7−9)

 その子は神のみもと、その御座に引き上げられた。

 主は十字架につけられ、三日目によみがえられ、そして天に昇られました。神のみもと、その御座に引き上げられました。

 女は荒野に逃げた。そこには、千二百六十日の間彼女を養うために、神によって備えられた場所があった。

 前回の11章の学びから、ある一定の期間が現われましたが、それは「三年半」です。1260日も三年半です。この時期に女が荒野に逃げます。この出来事はいったい何でしょうか?イエスさまのオリーブ山における預言を再び思い出してください。「預言者ダニエルによって語られた『荒らす憎むべき者』が聖なる所に立つのを見たならば、そのときは、ユダヤにいる人々は山へ逃げなさい。(マタイ24:15−16)」と主は言われました。ここの部分です。詳しいことは、13節以降に出てきますので、その時に学びます。

2A 投げ落とされる竜 7−12
1B 天における戦い 7−9
 さて、天に戦いが起こって、ミカエルと彼の使いたちは、竜と戦った。

 ヨハネは、天における巨大なしるしを二つ、女と赤い竜を見たあと、天における戦いの場面を目撃しました。竜すなわち悪魔と戦っているのは、大天使ミカエルとその他の天使たちです。ミカエルは、ダニエル書によると、イスラエルの君です。(ユダ書9節においても、イスラエルの指導者モーセのからだについて、ミカエルが悪魔と論じ合っています。)そしてダニエル書10章には、イスラエル人たちとともに奮い立って、ペルシヤの君やギリシヤの君と戦うのはミカエルしかいない、と書かれています(21節)。そして、ハルマゲドンが起こったその最終場面で、ミカエルがイスラエルを守るために立ち上げることが書かれています。「その時、あなたの国の人々を守る大いなる君、ミカエルが立ち上がる。国が始まって以来、その時まで、かつてなかったほどの苦難の時が来る。しかし、その時、あなたの民で、あの書にしるされている者はすべて救われる。(12:1)」イスラエルは大患難において、これまでにない苦難を味わいますが、ミカエルが立ち上がることによって彼らは救われます。

 それで、竜とその使いたちは応戦したが、勝つことができず、天にはもはや彼らのいる場所がなくなった。

 ユダ書6節に、こう書かれています。「また、主は、自分の領域を守らず、自分のおるべき所を捨てた御使いたちを、大いなる日のさばきのために、永遠の束縛をもって、暗やみの下に閉じ込められました。」天にいる御使いたちの三分の一は、自分たちがおるべき所を捨てて、それで大いなる日にさばかれるように定められました。

 こうして、この巨大な竜、すなわち、悪魔とか、サタンとか呼ばれて、全世界を惑わす、あの古い蛇は投げ落とされた。彼は地上に投げ落とされ、彼の使いどもも彼とともに投げ落とされた。

 ついに悪魔は天から投げ落とされました。ここで、どの時点で彼が投げ落とされたか、考えてみたいと思います。先ほど言及したイザヤ書14章や、エゼキエル書28章に投げ落とされたことが書かれていますが、事実、悪魔はエデンの園で蛇として現われました。けれども、ここでは患難期にて悪魔が地上に投げ落とされることについて書かれています。全体を総合すると、悪魔は次のような経路を辿ったものと思われます。

 初めは、神の御座のところにいました。神のそばにいる御使いとして、その栄光と美しさは際立っていました。それから神に反抗してその場から追い出されました。そこの場所は、「空中」とも呼ばれる、神の御座がある天でもない、また地上でもない中間の空間のようなところです。エペソ書6章12節に、私たちの格闘は血肉に対するものではなく、「主権、力、この暗やみの世界の支配者たち、また、天にいるもろもろの悪霊に対するものです。」とあります。ここですと、悪魔はいまだ、神に近づくことができるようです。ヨブ記1章を読みますと、地を行き巡っていたサタンが主の前に立っていることが書かれています(1:6−7)。

 そしてここに書かれている出来事が起こります。空中にいる悪魔が、患難時代の半ばに、ミカエルとの戦いにまけて天から投げ落とされ、そして地上に行きます。次回、同じ大患難時代の半ばに、死んだのに生き返る反キリストが、竜の権威と位と力をもって現われることが書かれていますが、悪魔が地上で直接的に暴れまくるのです。それから、悪魔は再臨のイエス・キリストによって底知れぬ所に鎖つながれて、千年間つながれます。そして一時的に解き放たれますが、その後、ゲヘナ、火と硫黄の池に投げ込まれます。

2B 兄弟の告発者 10−12
 そのとき私は、天で大きな声が、こう言うのを聞いた。「今や、私たちの神の救いと力と国と、また、神のキリストの権威が現われた。」

 この歓声は、前回の学び11章15節にも出てきました。「第七の御使いがラッパを吹き鳴らした。すると、天に大きな声々が起こって言った。『この世の国は私たちの主およびそのキリストのものとなった。主は永遠に支配される。』」このときの歓声は、この世の国々がキリストのさばきに服することが書かれていますが、ここでは霊的存在である悪魔とその手下がキリストのさばきに服します。この世の国々の背後に悪魔が働いていますから、国々がさばかれると同時に、悪魔がさばかれるのです。

 私たちの兄弟たちの告発者、日夜彼らを私たちの神の御前で訴えている者が投げ落とされたからである。

 今さっき言及したヨブ記1章のことを思い出してください。サタンはヨブのことを神の前で告発しました。ヨブが主を恐れるのは、祝福されているからで、あなたよりも祝福の方が大事なんだよ、と訴えたのです。悪魔は兄弟たちの告発者です。一方、私たちの主、イエス・キリストは弁護者です。ヨハネの手紙第一2章1節にこう書いてあります。「もしだれかが罪を犯したら、私たちには、御父の前で弁護してくださる方があります。それは義なるイエス・キリストです。」私たちは、もっともすぐれた弁護士がいます。イエスさまという弁護士です。

 悪魔は、どのように私たちを告発するのでしょうか?私たちは罪を犯します。つまずきます。その時に神の前に出て、「この罪人を見なさい。あなたが選んだこの男は、罪を犯して、あなたに反抗していますよ。選んだのは間違ったのではないですか?今からでも良いから、選びからはずしてしまいなさい。」と言います。けれども神はこう答えます。「私は、この人が罪人であるようには見えない。すべての罪を負ったキリストしか認めることしかできない。」エペソ書1章4節には、「すなわち、神は私たちを世界の基の置かれる前からキリストのうちに選び、御前で聖く、傷のない者にしようとされました。」とあります。私たちは、キリストのうちにおり、それゆえ、神の前で聖く、傷のない者として立つことができるのです!

 兄弟たちは、小羊の血と、自分たちのあかしのことばのゆえに彼に打ち勝った。彼らは死に至るまでもいのちを惜しまなかった。

 ここの兄弟たちは大患難時代に殉教した人たちですが、今の時代のクリスチャンにも同じことが言えます。私たちが悪魔に打ち勝つには、いやすでに打ち勝つことができているのは、何でしょうか?一つは、「小羊の血」です。小羊の血が、私たちの罪を完全に洗い清め、罪を私たちから拭い去ることができます。悪魔は私たちを告発します。しかし、そのとき、私たちはこう祈りましょう。「私が、こんなにひどい罪人であるのはそのとおりです。だから、主よ、あなたはこの私のために、十字架につけられて、血を流されました。」そのときに、悪魔は逃げ去ります。私たちを罪に定めようとする悪魔は、決して私たちに触れることはできません。

 それから、「自分たちのあかしのことば」です。これは、単に自分の救いのあかしをする、ということではありません。神から与えられた良心にしたがい、脅されても、何をされても、キリストを主として心であがめることです。「彼らの脅かしを恐れたり、それによって心を動揺させたりしてはいけません。むしろ、心の中でキリストを主としてあがめなさい。そして、あなたがたのうちにある希望について説明を求める人には、だれにでもいつでも弁明できる用意をしていなさい。(1ペテロ3:14−15)

 
そして彼らは、「死に至るまでもいのちを惜しまなかった」とありますが、サルデスの教会に対してイエスさまが、「死に至るまで忠実でありなさい」と命じられました。私たちは、日々、自分のいのちを捨てる生活を歩んでいます。

 それゆえ、天とその中に住む者たち。喜びなさい。しかし、地と海とには、わざわいが来る。悪魔が自分の時の短いことを知り、激しく怒って、そこに下ったからである。」

 天に住む人々と、地と海に生きるものとの対比です。天では歓声が湧き起こっていますが、地では災いが極みに達します。

 そして、悪魔が激しく怒っているのは、自分の時が短いことを知っているからだ、とあります。「最後のあがき」です。彼はキリストが来られて、自分が底知れぬ所で鎖につながれる時が近づいていることを知っているのです。私たちは、悪魔のしわざを至るところに見ます。悪魔が私たちを滅ぼうと、ライオンのように徘徊しています。けれども、それは、悪魔のあがきであることに気づいてください。例えば、北朝鮮の外交は、しばしば「恫喝外交」と呼ばれますが、こちらが強硬な姿勢を見せると、それをさらに上回る超強硬な態度を示します。これは、自分たちが滅びることを何とかして防ごうとする防御姿勢なのです。悪魔も同じです。私たちが霊的に前進すれば、必ず攻撃してきます。自分の領域が神の御霊によって脅かされているからです。けれども、私たちは彼の恫喝に対して、おびえるのではなく、むしろ「攻撃は最大の防御」と言われるように、さらに攻めていけば良いのです。

3A ひと時、ふた時、半時 13−18
1B 逃れの荒野 13−16
 自分が地上に投げ落とされたのを知った竜は、男の子を産んだ女を追いかけた。

 ここに、人類の歴史の中で起こっているある謎について、その回答を見ることができます。なぜユダヤ人がこんなにも迫害されてきたのか、ということについての回答です。それは、「悪魔」です。悪魔は、神のご計画を台無しにするために、神が選ばれた民イスラエルを滅ぼそうとしているからです。

 なぜあのような恐ろしいホロコーストが起こったのか。だれも止めることができなかったのか?など、質問されたことことがあります。その時私は、「ユダヤ人は、ホロコーストだけでなく、これまで数々の迫害や虐殺を受けてきている。実はイスラエルは、迫害から生まれた民族だ。」と説明します。イスラエルがエジプトから脱出したとき、その時に民族として誕生したのですが、そのきっかけは、パロがエジプトに住むイスラエル人が多産であり、強くなっていったのを恐れたからです。そこで彼らに苦役を課しましたが、なんと、苦しめれば苦しめるほど、彼らはさらに多くの子を産んでいきました。そこで幼子をナイル川に投げ込むという虐殺命令を出しました。

 それ以来イスラエルは、アマレク人など、常に外敵に襲われる危険の中にありましたから、敵から救われることが、すなわち自分たちの救いであると考えるようになりました。けれども、イスラエルが神に反抗し偶像を拝むようになってから、神はイスラエルをさばかれ、アッシリヤ、バビロンなどによって捕え移されるようにされたのです。これらイスラエルに敵対した国々は、イスラエルへの神のさばきの器として用いられたのですが、けれども預言者たちは、これらの国々はイスラエルに悪を行なったから、そのことによって滅ぼされると宣言されました。エレミヤ書50−51章にそのことが詳しく書かれています。

 反ユダヤ主義を私たちはどのようにしても、正当化することはできません。それは、ユダヤ人が神に聞き従わなかったことへの神からのさばきでありますが、しかし、それはあくまでも彼らに対する神のメッセージです。私たちユダヤ人でない者たちに対するメッセージは、「イスラエルは神のひとみであり、これに触れる者は神の怒りを買う。」ということです。立っていると思う者は倒れないように気をつけなさい、とパウロは言いました(1コリント10:12)。

 イスラエルを滅ぼそうとする力は悪魔から来ています。今、世界的に、国際世論という形で悪魔はイスラエルを滅ぼそうとしています。竜は、世界の諸国である、七つの頭と十本の角を持っています。

 しかし、女は大わしの翼を二つ与えられた。自分の場所である荒野に飛んで行って、そこで一時と二時と半時の間、蛇の前をのがれて養われるためであった。

 女すなわちイスラエルは、「大きな翼」が与えられました。これは、出エジプト記19章4節などで出てくる言葉ですが、イスラエルが外敵から守られることを表しています。ユダヤに住む人々は、自分の正体を表した反キリストから逃げるために、山々に逃げます。そして荒野に逃げます。この場所は、聖書で預言されています。一つはイザヤ書16章1節です。「子羊を、この国の支配者に送れ。セラから荒野を経てシオンの娘の山に。」ここのセラとは、ボツラのことです。現在のヨルダン国のペテラという町であります。さらに、ミカ書2章12節にはこう書いてあります。「ヤコブよ。わたしはあなたをことごとく必ず集める。わたしはイスラエルの残りの者を必ず集める。わたしは彼らを、ボツラの羊のように、牧場の中の群れのように一つに集める。こうして人々のざわめきが起ころう。」イスラエル人たちの多くは、ボツラと呼ばれる地域に逃げて行き、そこで神によって、「ひと時、ふた時、半時」すなわち三年間半守られます。

 ところが、蛇はその口から水を川のように女のうしろへ吐き出し、彼女を大水で押し流そうとした。しかし、地は女を助け、その口を開いて、竜が口から吐き出した川を飲み干した。

 この「水」は軍隊のことを表しています。ダニエル書9章26節に、ローマ軍がエルサレムを滅ぼしてから洪水が起こると書かれていますが、それは諸国の軍隊がエルサレムを荒らすことを意味しています。

 ハルマゲドンの戦いのことが書かれているダニエル書12章には、反キリストの手から、エドムとモアブ、またアモン人が逃げるとあります(43節)。反キリストが率いる戦いにおいて、この地域だけは免れるようで、イスラエル人も助かるようです。しかし、最後はここにいる人々も攻められます。「わたしは自分にかけて誓ったからだ。・・主の御告げ。・・必ずボツラは恐怖、そしりとなり、廃墟、ののしりとなる。そのすべての町々は、永遠の廃墟となる。私は主から知らせを聞いた。「使者が国々の間に送られた。『集まって、エドムに攻め入れ。戦いに立ち上がれ。』」(エレミヤ49:13−14)」そこでイスラエルは悔い改め、メシヤを求めます。するとイエスが天から、教会とともに戻ってこられます。そして、主は、ボツラにて諸国の軍隊と戦われます(イザヤ34:6)。そしてユダヤ人を救われます。(詳しいことは、19章に入ってから学びます。)

 エレミヤ書30章には、このことが「ヤコブの苦難」と呼ばれています。「ああ。その日は大いなる日、比べるものもない日だ。それはヤコブにも苦難の時だ。しかし彼はそれから救われる。(7節)」イスラエルは苦難に遭い、ゼカリヤ書によりますと、三分の二のユダヤ人が死にますが、けれども、生き残った者たちは大勢主を信じ、物理的だけではなく、霊的にも救われるのです。

2B 女の子孫 17−18
 すると、竜は女に対して激しく怒り、女の子孫の残りの者、すなわち、神の戒めを守り、イエスのあかしを保っている者たちと戦おうとして出て行った。

 悪魔は、ユダヤ人でイエスを信じている人たち、また異邦人の信者たちも含まれるでしょう、イスラエルのことで彼らを滅ぼそうとします。マタイ26章には、イエスさまはユダヤ人のことを「わたしの兄弟」と呼ばれていますが、信者たちはユダヤ人に食べ物を与え、着物を与え、彼らが困っていたり、飢えているのを助けることが預言されています。それゆえ、悪魔はイスラエルだけでなく、イエスのあかしを保っている者たちにも攻撃をしかけてくるのです。

 そして、彼は海ベの砂の上に立った。

 これは、次の13章に出てくる話です。海とは世界の諸国のことで、そこから反キリストが登場しますが、彼は竜の権威を位と力を身にまといます。そして、一人一人の刻印を押し、それがない者には、売ることも買うこともできないようにします。イエスさまを信じる人たちは刻印を押されるのを拒否するでしょうから、経済活動ができないようにさせて悪魔はイエスのあかしを保つ者たちを苦しめ、殺すのです。

 こうして、イスラエルに対する悪魔の仕業を学びましたが、彼らが攻撃されるのは、神に選ばれた民だからです。私たちクリスチャンも、キリストにあって神に選ばれた存在です。ただ違うのは、イスラエルは自分が意図していなくても攻撃されるのですが、私たちは主体的な信仰とあかしによって、それで攻撃されます。私たちにはキリストにある希望があります。「迫害を受けるものは幸いです。天に報いがあるからです。」というイエス様のことばがあります。


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