アウトライン
1A 四頭の馬 1−8
1B 偽キリスト 1−2
2B 戦争と殺人 3−4
3B インフレ 5−6
4B 死 7−8
2A 小羊の怒り 9−17
1B 殉教者 9−11
2B 天変地異 12−17
1C 大地震 12−14
2C 地上に残された者 15−17
本文
黙示録6章を学びます。ここでのテーマは、「御怒りの大いなる日」です。
私たちはこれまで、天における光景について学びました。ヨハネが、「ここに上ってきなさい」という声を聞いて、天にまで引き上げられました。するとそこに見えるのは、父なる神の御座であり、その周りで神を賛美し、礼拝している生き物と長老でした。それから、父なる神が右手に持っておられた七つの封印がある巻き物を、だれがその封印を解くかという問題になりました。どこにも、それを解くにふさわしい人が見当たらなかったので、ヨハネは激しく泣きました。けれども長老が、「ユダの獅子、ダビデの根が勝利を得ました。彼が封印を解くことがおできになります。」と言いました。小羊なるイエスが、十字架の死と復活によって、悪魔に打ち勝ち、この世界を神のものにすることがおできになったのです。そして、天国において、大歓声と賛美がありました。その中にいたのが、諸国からキリストの血によって贖われた教会です。6章からは、神の怒りの大いなる日が始まります。教会は、その患難を免れて天に引き上げられたのです。
1A 四頭の馬 1−8
それでは6章を読んでいきたいと思います。
1B 偽キリスト 1−2
また、私は見た。小羊が七つの封印の一つを解いたとき、四つの生き物の一つが、雷のような声で「来なさい。」と言うのを私は聞いた。
小羊なるイエスが、今、七つの封印を一つずつ解いていかれます。一つ目の封印を解かれたときに、御座のそばにいた四つの生き物のうちの一つが、雷のような声を出して、「来なさい!」と叫んでいます。天国では、大声を出すことが特徴のようです。
私は見た。見よ。白い馬であった。それに乗っている者は弓を持っていた。彼は冠を与えられ、勝利の上にさらに勝利を得ようとして出て行った。
「白い馬」が出てきました。第二の封印は赤い馬、第三の封印は黒い馬、そして第四は青ざめた馬が出てきます。いろいろな色の毛をした馬がこのように現われるのは、ゼカリヤが見た幻の中で出てきます。ゼカリヤは八つの幻を見ましたが、それはすべてエルサレムに関することでした。エルサレムが諸国の民によって踏み荒らされていたのですが、主はエルサレムを回復するという約束をされました。そこで諸国に対するさばきを主は宣言されますが、第一の幻では、赤い馬に乗った人と、その他赤、栗毛、白い馬がその赤い馬の後ろについています。主はこう言われました。「安逸をむさぼっている諸国の民に対しては大いに怒る。(1:15)」神に怒りの現われとして、さばきを地上に下すのですが、そのさばきをもたらす存在が馬です。敵に対して戦う姿を現わしています。
それでは、ここの「白い馬」はだれを現わしているのでしょうか?一部の人は、白い馬はイエス・キリストの再臨であると言います。それは黙示録19章にて、イエスさまが白い馬に乗られて、地上の諸国の軍隊と戦われる場面が出てくるからです。けれども、ここ6章の白い馬に乗っている者と、白い馬に乗られたイエスさまの姿は似ているようで異なります。第一に、6章の人物は、弓を持っていますが、イエスさまは口から出る鋭い剣を持っておられます。6章の人物は、冠を一つかむっていますが、イエスさまは多くの王冠が与えられています。しかも6章の冠は、オリンピックなどの競争で優勝した時に受け取る意味の冠であり、イエスさまがかぶっていた王冠ではありません。そして、「勝利の上にさらに勝利を得ようとして出て行った」とありますが、小羊イエスは、すでに勝利して神の右の座におられます。そして何よりも、イエスさまが再臨されたら地上に平和が支配しますが、この白い馬がやって来たことによって、4節以降の地上は戦争と死です。
つまり、この人物は、偽キリストです。キリストに似たような特徴を持っていながら、実は反対のことを行なう人物です。もう誰だか、お分かりになりましたか?そうです、反キリストです。テサロニケ人への手紙第二で学んだことを思い出してください。2章には、不法の人、あるいは罪の人が現われなければ主の日は来ない、と書かれていました。彼は、すべて神と呼ばれるもの、また礼拝されるものに反抗し、その上に自分を高く上げ、神の宮に座をもうけ、自分こそ神であると宣言します(2:4)。不法の人の到来は、サタンの働きによるもので、あらゆる偽りの力、しるし、不思議がそれに伴い、また、滅びる人たちに対するあらゆる悪の欺きが行なわれる、とあります(2:10)。人々は、救われるための真理への愛を受け入れなかったので、神が、彼らが偽りを信じるように、惑わす力を送り込まれる、とあります(2:11)。不法の秘密はすでに働いているのですが、引き止めるものがあり、それによって不法の人は現われない。けれども、引き止める者が取り除かれたら、不法の人が現われるのですが(2:6−8)、今ここで、引き止める教会が地上から取り去られているので、不法の人の到来を持って、主の日が始まったところなのです。
彼は平和を約束しながら、破壊をもたらす人物です(1テサロニケ5:3)。ダニエル書には、終わりの日に現われる10の国々の一つから、「小さな角」として現われることが書かれています(7:8)。ものすごく恐ろしい獣がいて、十本の角を持っているのですがその一本から小さな角が出てきて、それが大きくなり、そのために十本の角のうち三本が引き抜かれて、その角は大言壮語を語る口が与えられます。6章4節に、「勝利の上にさらに勝利」とありますが、彼は、初めは目立たない小さな政治指導者なのですが、次第に勢力を持ち、他の勢力を凌駕して、ついに世界制覇を果たします。彼は弓を持っていて、槍を持っていないようですが、天才的政治手腕によってその支配力を強めていくと思われます。特に、ダニエル書9章27節によりますと、イスラエルの多くの者と契約を結ばせるようですから、中東問題を中心にして彼は世界的な影響力を持つのです。
今日、私たち世界の人々には、イエスさまが来られる直前のように、救世主的存在を待ち望んでいます。対米同時多発テロ以降、人々は動揺し、いま何が起こっているのかを把握できなくなりました。ブッシュの「悪の三枢軸」発言があり、今はイラクへの先制攻撃を考えています。そして私たちの隣国である北朝鮮の存在が非常に不気味です。そのような不安の中で、政治的手腕を発揮して、問題に対処してくれる政治家を人々は求めています。
しかし、平和はイエス・キリストによってのみしかもたらされないものであり、イエスの御名によって、私たちはこの世界から救われることができるのです。それ以外はみな偽物であり、使徒ヨハネは手紙の中で、イエスを告白しない霊は反キリストの霊であると言っています。イエス・キリストは要らないという人々は、代わりの偽物を信じるように、神から惑わしの力が送り込まれるのです。それは福音の真理を受け入れなかったことに対する神のさばきなのです。
2B 戦争と殺人 3−4
小羊が第二の封印を解いたとき、私は、第二の生き物が、「来なさい。」と言うのを聞いた。
第二の封印をイエスさまが解かれました。すると、四つの生き物のうちの二つ目が、「来なさい」と叫んでいます。
すると、別の、火のように赤い馬が出て来た。これに乗っている者は、地上から平和を奪い取ることが許された。人々が、互いに殺し合うようになるためであった。また、彼に大きな剣が与えられた。
「火のように赤い馬」とあります。これは戦争の火なのでしょうか、それとも殺し合いの流血の色なのでしょうか、分かりませんが、戦争と殺し合い、また大きな剣が火のように赤い馬です。同じような火のような赤色が出てくるところがありますが、12章3節に、「大きな赤い竜」がいます。(ここは、英語では、「大きな、火のような赤い竜」となっています。)戦争や殺戮が無造作に行なわれていくその背後には、悪魔が働いています。イエスさまは平和の君であり、国々はもはや戦争をしなくなりますが、患難時代には国々の戦争が激しさの極みに達します。
そして「大きな剣」とありますが、これは強大な軍事力を指しているのかもしれません。反キリストが強大な軍事力を持ち、まさに「とりでの神」を拝むようになります(ダニエル11:38)。現在アメリカをはじめ、数々の諸国の強大な軍事力は、後に現われる反キリストによって利用され、制せられるでしょう。
3B インフレ 5−6
小羊が第三の封印を解いたとき、私は、第三の生き物が、「来なさい。」と言うのを聞いた。私は見た。見よ。黒い馬であった。これに乗っている者は量りを手に持っていた。すると私は、一つの声のようなものが、四つの生き物の間で、こう言うのを聞いた。「小麦一枡は一デナリ。大麦三枡も一デナリ。オリーブ油とぶどう酒に害を与えてはいけない。」
第三の封印をイエスさまが解くと、「黒い馬」が出てきました。そして、この「小麦一枡は一デナリ」云々というのは、いったい何なのでしょうか?一デナリは、当時のローマの通貨であり、一日分の労賃に値する額です。一枡は約1リットルです。つまり、小麦が一リットル当たり1万円、大麦が三リットル当たり1万円、という値段になっているということです。一言でいえば「インフレ」です。第一の封印が反キリストであり、反キリストが現われたから、第二の封印の戦争が起こりました。そして戦争が起こったから、第三の封印でインフレが起こっているのです。戦争が起これば、もちろん経済が混乱しますから、人々が困窮していきます。「黒い馬」の黒色は、哀歌4章8節と9節によると、食べるものがなく痩せこけて、栄養失調になっている顔であることが分かります。こう書いてあります。「しかし、彼らの顔は、すすよりも黒くなり、道ばたでも見分けがつかない。彼らの皮膚は干からびて骨につき、かわいて枯れ木のようになった。剣で殺される者は、餓え死にする者よりも、しあわせであった。彼らは、畑の実りがないので、やせ衰えて死んで行く。」
けれども、「オリーブ油とぶどう酒」は値上がりしません。これはオリーブ油とぶどう酒は裕福な人々に与えられ、彼らは経済不況の風を受けないということになります。戦争によって、一般人は飢えに苦しみますが、一部の者たちが腹を満たしている姿をここに見るのです。今でもそれを見ますが、患難時代にはいれば、さらにひどい状況が待っているのです。
4B 死 7−8
小羊が第四の封印を解いたとき、私は、第四の生き物の声が、「来なさい。」と言うのを聞いた。私は見た。見よ。青ざめた馬であった。これに乗っている者の名は死といい、そのあとにはハデスがつき従った。
第四の封印は、「青ざめた馬」です。この色はもちろん、死者の死に顔の色です。その乗っている者の名は死であり、そして「ハデス」です。ハデスは、死者が最終的な審判を受けるために待っている場所であり、「監獄」とも言えます。死んでいく人々が、ハデスに送られます。
彼らに地上の四分の一を剣とききんと死病と地上の獣によって殺す権威が与えられた。
なんと、青ざめた馬によって「四分の一」の人が死にます。現在、世界総人口は約60億人ですから、今、主の日が始まれば、約15億人が死ぬことになります。実に恐ろしいことです。
そして死因は、初めに「剣」です。赤い馬の戦争から死ぬ人たちです。そして「ききん」です。インフレなど経済不安に加え、ききんがやって来て、人々がどんどん飢え死にします。さらに「死病」です。今でも、AIDSなど、死に至らせる疫病がありますが、これらが患難時代には蔓延します。そして不思議なのが、「地上の獣」です。私はずっと前に、動物園の象などが異常に獰猛になり、檻から出て、動物園から脱出して、一般市民を殺し、つぶしていく映画を見たことがあります。その原因は、水道の水にそのような獰猛にさせる物質を混入させられたか何かだったと思います。どのような形で人々が野獣によって殺されるのかは分かりませんが、異常事態が発生するようです。
2A 小羊の怒り 9−17
1B 殉教者 9−11
こうして四つの馬が出てきましたが、第五の封印は、こうした混乱の中で殉教する聖徒たちの姿が描かれています。小羊が第五の封印を解いたとき、私は、神のことばと、自分たちが立てたあかしとのために殺された人々のたましいが祭壇の下にいるのを見た。
教会が天に引き上げられ、それから大患難が地上に襲うのですが、その患難時代の時にイエスを主として受け入れる人々が現われ出ます。詳しくは7章に書かれていますが、ユダヤ人の中でイエスを信じる者たちが現われ、また世界中で異邦人もイエスを信じていきます。しかし、この時代における信仰は、即、死を意味します。
そこで彼らが死ぬのですが、その彼は「祭壇」の下にいます。この祭壇は、幕屋にある青銅の祭壇のことです。そこで動物のいけにえがバーベキューのように火で焼かれるのですが、「青銅」は神のさばきを表しています。今、彼らが祭壇の下にいるのは、神のさばきを地上に下すよう求めているからです。
彼らは大声で叫んで言った。「聖なる、真実な主よ。いつまでさばきを行なわず、地に住む者に私たちの血の復讐をなさらないのですか。」
覚えていますか、テサロニケ人への手紙第二1章において、クリスチャンに苦しみを与える者たちに、神の報復があることを学びました。今、信仰のゆえに苦境にあっても、主が戻ってこられる時、福音の真理に従わない者たちは、彼らが与えた苦しみによって苦しみを受けることが約束されています。今、祭壇の下にいる聖徒たちは、主の日における、そのような神の報復を待ち望んでいるのです。公正なさばきを行なってください。このまま、悪がはびこらないようにしてください、と頼み、願っています。
すると、彼らのひとりひとりに白い衣が与えられた。
「白い衣」は、救いを表しています。彼らは殺されたのですが、救いにあずかって天の中に入ります。
そして彼らは、「あなたがたと同じしもべ、また兄弟たちで、あなたがたと同じように殺されるはずの人々の数が満ちるまで、もうしばらくの間、休んでいなさい。」と言い渡された。
彼らは殉教の初穂的な存在です。これからまだ多くの信者が殉教します。彼らが死んでから、わたしは必ずさばきを下す。だから、もう少し待っていなさい、と主は言われています。私たちは、とかく、今の世で、不正がさばかれていないことでがっかりして、落ち込んでしまうことがあります。詩篇73篇には、自分が神を信じて、誠実に生きているのに、何か報われていない。むしろ神を無視して、悪事を働いている者たちが繁栄しているように見える、と思って落ち込んでいる人の話が出てきます。けれども、最後のこう言いました。「私は、神の聖所にはいり、ついに、彼らの最後を悟った。まことに、あなたは彼らをすべりやすい所に置き、彼らを滅びに突き落とされます。(18節)」正しいことをしている者たちが報われず、悪いことをしている者たちが繁栄しているように見えても、神は必ず悪者をさばく時を定めておられます。その視点を忘れてはいけません。神は必ずさばかれます。
そして、「もうしばらくの間、休んでいなさい」と主は言われます。これまで苦しみ、痛んできましたが、天国においてゆっくり休んでいなさい、と命じておられます。神の国が立てられるとき、教会も、また患難時代にイエスを信じた聖徒たちも、キリストとともに統治をします。ぼっとしているわけではないのです。けれどもそれまでの間、天において彼らは休みを得ることができます。これまで信仰によって戦ってきたのですが、休息場所は天国にあるのです。このことは、もちろん教会であるクリスチャンたちも同じです。「この安息にはいるよう力を尽くして努め」なさい、とヘブル書には書いてあります(4:10)。
2B 天変地異 12−17
1C 大地震 12−14
私は見た。小羊が第六の封印を解いたとき、大きな地震が起こった。そして、太陽は毛の荒布のように黒くなり、月の全面が血のようになった。
第六の封印は、大地震と、それにともなう天変地異です。天変地異については、旧約聖書の中に数多く預言されています。例えば、イザヤ13章10−12節にこう書いてあります。「天の星、天のオリオン座は光を放たず、太陽は日の出から暗く、月も光を放たない。わたしは、その悪のために世を罰し、その罪のために悪者を罰する。不遜な者の誇りをやめさせ、横暴な者の高ぶりを低くする。わたしは、人間を純金よりもまれにし、人をオフィルの金よりも少なくする。」そして、ペテロがペンテコステの時に引用したヨエルの預言にはこう書いてあります。「わたしは天と地に、不思議なしるしを現わす。血と火と煙の柱である。主の大いなる恐るべき日が来る前に、太陽はやみとなり、月は血に変わる。(2:30−31)」このように、太陽が暗くなり、月が真っ赤になることが主の日に起こることとして預言されていました。
大地震によって、地上に激しい隆起が起こり、おそらく土地のちりが空に舞い上がるのでしょう。そのため、太陽が真っ黒に見えるのでしょう。月も同じように、夜に輝くその光は、黄色ではなく赤色になっています。
そして天の星が地上に落ちた。それは、いちじくが、大風に揺られて、青い実を振り落とすようであった。
隕石が落ちてきます。いちじくの実が強風でふりおとされるように落ちてきます。イザヤは、「その(天の)万象は、枯れ落ちる。ぶどうの木から葉が枯れ落ちるように。いちじくの木から葉が枯れ落ちるように。(34:4)」と言いました。
天は、巻き物が巻かれるように消えてなくなり、すべての山や島がその場所から移された。
ものすごいです、大地震による隆起によって、まるで海や島がその場所から移されるように揺れ動きます。
2C 地上に残された者 15−17
地上の王、高官、千人隊長、金持ち、勇者、あらゆる奴隷と自由人が、ほら穴と山の岩間に隠れ、山や岩に向かってこう言った。
ここで、「地上の王」と「奴隷」がともに天変地異の被害を受けていることに注目してください。この大きな災いに対して、地位の高い人、低い人の差別はないのです。どのような人も、神の怒りから免れることはできません。自分に財産があるから大丈夫だ、自分は権力があるから大丈夫だと思っている者たちも、主の前ではみな裸なのです。自分を守るものはないのです。
私たちの上に倒れかかって、御座にある方の御顔と小羊の怒りとから、私たちをかくまってくれ。御怒りの大いなる日が来たのだ。だれがそれに耐えられよう。
彼らは気づいています。この災いが、父なる神と小羊イエスからのものであることを知っています。これが聖書に数多く預言されていた、「御怒りの大いなる日」であることを知っていました。神が、人間の不正と悪をさばかれるために、定められた日です。
「小羊の怒り」ともあります。イエスさまは、小羊のように、犠牲のいけにえとして、十字架上で死なれました。主を信じる者は、罪が赦され、イエスさまが流された血によって、罪がきよめられます。けれどもこの福音を拒み、主が流された血をないがしろにする者に対しては、容赦ないさばきが待っているのです。
しかし、「イエスを信じなさい。そうすれば、あなたも、あなたの家族も救われます。」という聖書の言葉があります。私たちは学びました、「神は、私たちが御怒りに会うようにお定めになったのではなく、主イエス・キリストにあって救いを得るようにお定めになったからです。(1テサロニケ5:9)」そしてローマ5章9節には、「ですから、今すでにキリストの血によって義と認められた私たちが、彼によって神の怒りから救われるのは、なおさらのことです。」とあります。救われる道は備えられています。御名を信じ、キリストのうちにいるなら、すでに救いが約束されているのです。
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