歴代誌第一21−22章 「神殿の基」


アウトライン

1A 贖いの場所 21
   1B ダビデの罪 1−17
      1C 肉の誇り 1−6
      2C 主からの疫病 7−17
   2B 犠牲による買取 18−30
2A 子に代わる準備 22
   1B 量り切れない材料 1−5
   2B 建設への励まし 6−19

本文

 歴代誌第一21章を開いてください。21章と22章を学んでみたいと思います。ここでのテーマは、「神殿の基」です。

1A 贖いの場所 21
1B ダビデの罪 1−17
1C 肉の誇り 1−6
21:1 ここに、サタンがイスラエルに逆らって立ち、ダビデを誘い込んで、イスラエルの人口を数えさせた。21:2 ダビデはヨアブと民のつかさたちに言った。「さあ、ベエル・シェバからダンに至るまでのイスラエルを数えなさい。そして、その人数を私に報告して、知らせてほしい。」21:3 すると、ヨアブは言った。「主が、御民を今より百倍も増してくださいますように。王さま。彼らはみな、わが君のもの、そのしもべではないのでしょうか。なぜ、わが君はこんなことを要求なさるのですか。なぜ、イスラエルに対し罪過ある者となられるのですか。」21:4 王はヨアブを説き伏せた。そこでヨアブは出て行って、イスラエルをあまねく行き巡り、エルサレムに帰って来た。

 ここからダビデが罪を犯して、神からの懲らしめを受ける箇所を読むことになります。前回の学びで、ダビデがバテ・シェバと犯した姦淫、また夫ウリヤを殺した罪について歴代誌では言及されていないことを話しました。それは、主がダビデを見るときに、すでに悔い改めて罪赦された彼を見ているのであり、すでに彼を義とみなしておられるから、と説明しました。けれども、イスラエルの人口を数えたという罪は、特別に記されています。しかも、人口を数えることをそそのかしたのはサタンであることが、はっきり書かれています。

 その理由は、やはり歴代誌のテーマに関わる問題だからです。つまり、ダビデの王座による神殿礼拝、そしてその神殿礼拝を中心にした国の建設を、バビロン帰還後のユダヤ人たちがイスラエルの歴史から、また神のみことばによる約束から知ることが、歴代誌が書かれた目的でした。ダビデに与えられた約束は、アブラハムからの継承でした。「あなたの子孫は、空の星のように、海の砂のようになる。」と言われた主は、ご自分が選ばれたダビデをも祝福し、その国を強くすることを約束されていたのです。主が行なわれたこの働きを、あたかも自分の業績であるかのように、あるいは、無尽蔵に注がれる神の祝福を人口調査によって限定させようとしたのが、ダビデの罪でした。ヨアブがこのことに気づき、「主が、御民を今より百倍も増してくださいますように。」と王に対して語っているのです。

 私たちもこのような過ちを犯すことがあるでしょう。主がなされたわざを、自分でも推し量ることができない神の恵みを、あたかも自分が成し遂げ、あるいは自分の所有物とするために支配しようとすることがあります。しかし、私たちは状況を把握する必要のない、ただ主の大いなるみわざが行なわれる器にしか過ぎないことを弁えるべきです。

21:5 そして、ヨアブは民の登録人数をダビデに報告した。全イスラエルには剣を使う者が百十万人、ユダには剣を使う者が四十七万人であった。21:6 彼はレビとベニヤミンとを、その中に登録しなかった。ヨアブは王の命令を忌みきらったからである。

 ヨアブは忌み嫌っていたので、大雑把な人数しか報告しませんでした。

2C 主からの疫病 7−17
21:7 この命令で、王は神のみこころをそこなった。神はイスラエルを打たれた。21:8 そこで、ダビデは神に言った。「私は、このようなことをして、大きな罪を犯しました。今、あなたのしもべの咎を見のがしてください。私はほんとうに愚かなことをしました。」

 ダビデは、良心に語りかける御霊の声にようやく応じました。すぐに罪の赦しを請っています。そして、「ほんとうに愚かなことをしました」と悔いています。これは罪を犯した者の、素直な感情でしょう。

21:9 そこで、主はダビデの先見者ガドに告げて仰せられた。21:10 「行って、ダビデに告げて言え。『主はこう仰せられる。わたしがあなたに出す三つのことがある。そのうち一つを選べ。わたしはあなたのためにそれをしよう。』」21:11 ガドはダビデのもとに行き、彼に言った。「主はこう仰せられる。『受け入れよ。21:12 三年間のききんか。三か月間、あなたが仇の前で取り去られ、あなたに敵の剣が負い迫ることか。あるいは三日間、主の剣、疫病がこの地に及び、主の使いがイスラエルの国中を荒らすことか。』今、私を遣わされた方に何と答えたらよいかを決めてください。」21:13 ダビデはガドに言った。「それは私には非常につらいことです。私を主の手に陥らせてください。主のあわれみは深いからです。人の手には陥りたくありません。」

 主からの懲らしめは、すべて「三」に関わるものでした。三年間のききん、三ヶ月間の敵の攻撃、あるいは三日間の疫病です。この中で、直接的な懲らしめである疫病をダビデは選びとりました。ここに、ダビデの心が再び示されています。神の主権とそのあわれみを良く知っていたダビデは、主の御手の中に陥るのが最もよいことだと知っていたのです。

 私たちは、なるべき主の御手から逃れようとします。主からの懲らしめも含めて、それを甘んじて受けますという態度を取るのではなく、正当化したり、あるいは自分を責めるだけで主に向かわなかったり、主ではなく自分に目が向きます。サウルがそのような人でした。彼は「愚かなことをした」という後悔はしましたが、決して主のさばきの中に自分を服することはせず、最後は魔女のところへ、そして自害したのです。けれどもダビデは、すべてのことを主にお任せしました。

21:14 すると、主はイスラエルに疫病を下されたので、イスラエルのうち七万の人が倒れた。

 バテ・シェバとの罪を隠すためにダビデが殺したのは一人でしたが、ここでは何と七万人のイスラエル人を間接的に殺しています。影響を受けるのは自分だけだ、と罪を犯すときに私たちは思ってしまいます。けれども、ここにあるように必ず周りの人たちを傷つけてしまうのです。

21:15 神はエルサレムに御使いを遣わして、これを滅ぼそうとされた。主は御使いが滅ぼしているのをご覧になって、わざわいを下すことを思い直し、滅ぼしている御使いに仰せられた。「もう十分だ。あなたの手を引け。」主の使いは、エブス人オルナンの打ち場のかたわらに立っていた。

 ダビデが神について認識していたとおりです。主はあわれみを示すのに早いお方なので、ここで剣を持つ御使いに対して、「あなたの手を引け」とお命じになっています。

21:16 ダビデは、目を上げたとき、主の使いが、抜き身の剣を手に持ち、それをエルサレムの上に差し伸べて、地と天の間に立っているのを見た。ダビデと長老たちは、荒布で身をおおい、ひれ伏した。21:17 ダビデは神に言った。「民を数えよと命じたのは私ではありませんか。罪を犯したのは、はなはだしい悪を行なったのは、この私です。この羊の群れがいったい何をしたというのでしょう。わが神、主よ。どうか、あなたの御手を、私と私の一家に下してください。あなたの民は、疫病に渡さないでください。」

 ダビデは、自分自身が神のさばきを受けるよりも、ある意味、もっと辛いことだったでしょう。自分が悪いことをしたら、自分が酷い状況に陥ることは辛いことですが、それでも甘んじて受けることができます。けれども周りの人たちが、特に近くにいて自分が愛してやまない人たちが苦しむのを見たら、本当にダビデのように、「やめてください!」と叫ばざるを得なくなると思います。

2B 犠牲による買取 18−30
21:18 すると、主の使いはガドに、ダビデに言うようにと言った。「ダビデは上って行って、エブス人オルナンの打ち場に、主のために祭壇を築かなければならない。」

 イスラエルの人口を数えたダビデの罪が歴代誌にことさらに記録されている理由のもう一つは、ここにあります。主の神殿が建てられる敷地が、このダビデの罪の償いのための場所だったからです。

 場所は今日、イスラム教徒の岩のドームが建てられている、神殿の丘の敷地です。エブス人オルナンが所有していた、とありますが、かつてエルサレムはエブス人が住んでいました。ヨアブがエブス人と戦って、そこをイスラエルのものとしたのですが、おそらくオルナンは個人的にイスラエルに降伏する姿勢を見せていたのでしょう、滅ぼされることはありませんでした。そこでその敷地は続けてオルナンの所有のままでした。

21:19 そこでダビデは、ガドが主の御名によって語ったことばに従って上って行った。21:20 オルナンが振り返ると御使いが見えた。彼とともにいた彼の四人の子は身を隠し、オルナンは小麦の打穀をしていた。21:21 ダビデがオルナンのもとに行くと、オルナンは目を留めてダビデを見、打ち場から出て来て、地にひれ伏して、ダビデに礼をした。

 ダビデが来る前に、オルナンは御使いを見ていました。そこでダビデの来訪はただごとではない、非常に重要なことであると分かっていました。

21:22 そこで、ダビデはオルナンに言った。「私に打ち場の地所を下さい。そこに主のために祭壇を建てたいのです。十分な金額で、それを私に下さい。神罰が民に及ばないようになるためです。」21:23 オルナンはダビデに言った。「王さま。どうぞ、お取りになってお気に召すようになさってください。ご覧ください。私は、全焼のいけにえのための牛、たきぎにできる打穀機、穀物のささげ物のための小麦を差し上げます。すべてを差し上げます。」21:24 しかし、ダビデ王はオルナンに言った。「いいえ、私はどうしても、十分な金額を払って買いたいのです。あなたのものを主にささげるわけにはいきません。費用もかけずに全焼のいけにえをささげたくないのです。」21:25 そしてダビデは、その地所代として、金のシェケルで重さ六百シェケルに当たるものを、オルナンに与えた。

 オルナンはただでダビデに差し上げようとしましたが、ダビデは断わりました。その理由は、自分が犠牲を払わずして、なぜそれがささげものになることができるのか、という考えです。これは非常に重要ですね。私たちが神とキリストを一番にしないで神を信じていると言っても、その信仰は本物ではないからです。すべてのものが主のものであり、私はその恵みに応答するというのが正しい礼拝であり、そこには必ず犠牲が伴うからです。

21:26 こうしてダビデは、そこに主のために祭壇を築き、全焼のいけにえと和解のいけにえとをささげて、主に呼ばわった。すると、主は全焼のいけにえの祭壇の上に天から火を下して、彼に答えられた。

 全焼のいけにえは、自分をすべて主におささげするいけにえです。和解のいけにえは、主との交わりを回復するためのいけにえです。そしてこれらを主は火をもって、受け入れられたことを示されました。

21:27 主が御使いに命じられたので、御使いは剣をさやに納めた。21:28 そのとき、ダビデは主がエブス人オルナンの打ち場で彼に答えられたのを見て、そこでいけにえをささげた。21:29 モーセが荒野で造った主の幕屋と全焼のいけにえの祭壇は、その時、ギブオンの高き所にあった。21:30 ダビデは神を求めて、その前に出て行くことができなかった。主の使いの剣を恐れたからである。

 ここから大きな転換が起こります。これまでは主の幕屋がいろいろなところに転々と動いていました。この時はギブオンにありました。けれどもダビデは、主が自分がささげた場所で、自分の罪を赦してくださった、この場所しかとどまることができないと思いました。ここで主のあわれみがある、と考えたのです。そこから、とこしえまで残る神の神殿の位置が定められたのです。

 そしてダビデが意図していたのかいなかったのか分かりませんが、ここがまさにかつてアブラハムがイサクをささげようとした、モリヤ山なのです。そこでアブラハムが、自分の愛する独り子イサクを、全焼のいけにえとしてささげるように神に命じられたところなのです。それはまさに、父なる神が御子イエス・キリストを罪の供え物としておささげになる姿を表していました。そして実際、この敷地の近くで、主が十字架につけられて贖罪を成し遂げられたのです。

 私たちもダビデのようでなければならないでしょう。使徒パウロは、私たちの誇りは、十字架につけられたキリストであると言いましたが、他のところには決して行くことはできない、ただ十字架のキリストのみを見つける、その自分の立場を保持しなければいけません。その中で、神の憐れみの中で、私たちは生き、神に仕え、神に従うのです。ここから離れては、どんな奉仕もすることはできません。

2A 子に代わる準備 22
 そこでダビデは、ここを神殿の敷地を定めます。

1B 量り切れない材料 1−5
22:1 そこで、ダビデは言った。「これこそ、神である主の宮だ。これこそ、イスラエルの全焼のいけにえの祭壇だ。」22:2 そして、ダビデは命じて、イスラエルの地にいる在留異国人を召集し、神の宮を建てるため石材を切り出す石切り工を任命した。

 当時、フェニキヤ人が建築業にすぐれていたので、巧みな職人を雇ったのでしょう。

22:3 ダビデは、門のとびらの釘および留め金用の鉄をたくさん用意し、青銅も、量りきれないほどおびただしく用意した。22:4 また、杉の木も数えきれないほど用意した。シドン人とツロ人がダビデのもとに杉の木をおびただしく運んで来たからである。22:5 ダビデは言った。「わが子ソロモンは、まだ若く力もない。主のために建てる宮は、全地の名となり栄えとなるように大いなるものとしなければならない。それで私は、そのために用意をしておく。」こうして、ダビデは彼が死ぬ前に多くの用意をしておいた。

 ダビデは、主から神殿を建ててはならない、と命じられましたが、その材料を集めてはならないとは命じられませんでした。そこで自分が子のためにできる最大限のことを行ないました。自分の子ソロモンを見ていると、本当にこの子で大丈夫だろうか?と心配になったのかもしれません。父親がなるべく用意して、この子が父が主にあって願っているとおりに、世界にその栄光が響き渡る神殿を建ててほしいと願いました。

2B 建設への励まし 6−19
22:6 彼はその子ソロモンを呼び、イスラエルの神、主のために宮を建てるように彼に命じた。22:7 ダビデはソロモンに言った。「わが子よ。私は、わが神、主の御名のために宮を建てようとする志を持ち続けてきた。22:8 ある時、私に次のような主のことばがあった。『あなたは多くの血を流し、大きな戦いをしてきた。あなたはわたしの名のために家を建ててはならない。あなたは、わたしの前に多くの血を地に流してきたからである。

 前の17章には、この理由は書かれていませんでしたが、彼が神殿を建てられない理由の一つが、彼は戦いの血を流したことがありました。神殿は、主の正義に基づく平和を意味するのであり、戦いではない、ということなのでしょう。

22:9 見よ。あなたにひとりの子が生まれる。彼は穏やかな人になり、わたしは、彼に安息を与えて、回りのすべての敵に煩わされないようにする。彼の名がソロモンと呼ばれるのはそのためである。彼の世に、わたしはイスラエルに平和と平穏を与えよう。22:10 彼がわたしの名のために家を建てる。彼はわたしにとって子となり、わたしは彼にとって父となる。わたしはイスラエルの上に彼の王座をとこしえまでも堅く立てる。』

 ソロモンの名が平和を意味しており、そしてダビデに与えられたとこしえの君の約束は、ソロモンにも期待が寄せられます。つまりダビデの子は平和の君であり、神を自分の父として永遠の統治する、という期待です。これがまさに、本当の御子であられるイエス・キリストの原型となっているのです。キリストは父なる神のすべてのものを受け渡されて、平和の君として君臨されるということです。つまりダビデのソロモンへの期待は、まさに父なる神が子なるキリストに対して与えられた使命と同じであります。

22:11 そこで今、わが子よ、主があなたとともにおられ、主があなたについて語られたとおり、あなたが、あなたの神、主の宮をりっぱに建て上げることができるように。22:12 ただ、主があなたに思慮と分別を与えて、あなたをイスラエルの上に任命し、あなたの神、主の律法を守らせてくださるように。22:13 主がイスラエルについてモーセに命じられたおきてと定めをあなたが守り行なうなら、あなたは栄える。強くあれ。雄々しくあれ。恐れてはならない。おののいてはならない。

 ソロモンには、神殿の建設に期待を寄せましたが、父ダビデはそれ以上に、モーセの律法を守ることを勧めました。これが初めであり、終わりです。モーセがヨシュアに命じたように、モーセの律法によって強められ、雄々しくあるように命じられています。

22:14 見なさい。私は困難な中にも主の家のために、金十万タラント、銀百万タラントを用意した。また、青銅と鉄はあまりに多くて量りきれない。それに、木材と石材も用意した。あなたが、これらにもっと加えてほしい。

 十万タラントは、3750トンです。百万タラントは37500トンです。ものすごい量ですね。これらはダビデが周囲の敵に打ち勝って奪い取ってきたものをかき集めたものです。

22:15 あなたのもとには、石を切り出す者、石や木に細工する者、各種の仕事に熟練した者など、多くの仕事をする者がいて、22:16 金、銀、青銅、鉄を扱うが、その人数は数えきれない。立ち上がって、行ないなさい。主があなたとともにおられるように。」

 行いなさい、と勧めています。実行する中に、主がともにおられるのですが、私たちは行動している中に、主の導きがあることを知る必要があるでしょう。主の導きは何だろうと思って、指をくわえて待っているように、何の行動も取っていないということではないのです。

22:17 そして、ダビデはイスラエルのすべてのつかさたちに、その子ソロモンを助けるよう命じた。22:18 「あなたがたの神、主は、あなたがたとともにおられ、周囲の者から守ってあなたがたに安息を与えられたではありませんか。主はこの地の住民を私の手に渡され、この地は主の前とその民の前に服したからです。22:19 そこで今、あなたがたは心を尽くし、精神を尽くして、あなたがたの神、主に求めなさい。立ち上がって、神である主の聖所を建て上げ、主の御名のために建てられた宮に、主の契約の箱と神の聖なる器具を運び入れなさい。」

 ダビデの町にあった契約の箱と、またギブオンにあった祭具は、新しい敷地に建てらる神殿に運び入れられます。もちろん、新しく造られる聖なる器具もあります。

 こうしてダビデは神殿建設の準備を整えてあげますが、次回は、神殿礼拝における組織も整えていく箇所を読んでいきます。このダビデの姿と、また悔い改めるダビデの姿に、見事にキリストの十字架の贖いと、再臨されるキリストの平和の統治を見ます。私たちはむろん、独り子キリストとは別格の、単なる人間に過ぎない存在ですが、それでも神の家族に養子縁組された、神の息子たちであります。ソロモンのように、キリストにあるすべての神の財産を受け継ぐことが許されています。そして、これらのことを行いなさいとダビデがソロモンに命じたように、その霊的財産をもって、霊的な家を建てなさいと命じられているのです。


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