歴代誌第一28−29章 「子の即位」


アウトライン

1A つかさたちの支え 28
   1B 神の選び 1−10
   2B 御霊による仕様書 11−21
2A 全イスラエルの財宝 29
   1B 自ら進んでささげる物 1−9
   2B 御手から出たもの 10−19
   3B 王の尊厳 20−30

本文

 歴代誌第一28章を開いてください、今日の学びで歴代誌第一が終わります。歴代誌は神殿建設の準備でクライマックスを迎え、ダビデとソロモンの王位が称えられています。今日はそのクライマックスの部分、ソロモンの即位における、ダビデ王の神殿建設への呼びかけです。

1A つかさたちの支え 28
1B 神の選び 1−10
28:1 さて、ダビデはイスラエルのすべてのつかさ、すなわち、各部族のつかさ、王に仕える各組のつかさ、千人隊の長、百人隊の長、王とその子らが所有している財産、家畜全体の係長たち、宦官たち、勇士たち、つまり、すべての勇士をエルサレムに召集した。

 ダビデ王は、先に神殿におけるレビ人の奉仕を定め、それからイスラエル各地を管理するつかさたちを任命しました。この、イスラエルを管理するつかさたちをすべて召集して、そして自分の生涯の最後の言葉を語りかけます。

28:2 ダビデ王は立ち上がって、こう言った。「私の兄弟たち、私の民よ。私の言うことを聞きなさい。私は主の契約の箱のため、私たちの神の足台のために、安息の家を建てる志を持っていた。私は建築の用意をした。

 ダビデはつかさたちを、「私の兄弟たち、私の民よ。」と呼びかけています。これはダビデが王であっても、彼らと同じように神の民の一員であることを表す言葉です。そして、主の契約の箱のための家、神が立って、働かれるその足台となる家を建てようという志を持ちました。

28:3 しかし、神は私に仰せられた。『あなたはわたしの名のために家を建ててはならない。あなたは戦士であって、血を流してきたからである。』

 神の家は、もはやイスラエルが敵に脅かされることはなく、ようやく平穏に暮らすことができる象徴となる建物です。それをダビデが建ててはならないと主は言われました。ダビデは戦士であり、彼が神の平和を表す宮を建てることは、その象徴にふさわしくないからです。

28:4 けれども、イスラエルの神、主は、私の父の全家から私を選び、とこしえにイスラエルを治める王としてくださった。ユダの中から君たる者を選ばれたからである。私の父の家はユダの家に属している。主は私の父の子どもたちのうちで、私を愛し、全イスラエルを治める王としてくださった。

 ダビデは、すべてのイスラエルの部族の中から、主が自分を選ばれた理由を話しています。それは、自分がユダ族の者であることが一つです。「ユダの中から君たる者を選ばれた」とダビデは言っていますが、これは創世記49章にあるヤコブの最後の言葉であり預言であります。「ユダは獅子の子。わが子よ。あなたは獲物によって成長する。雄獅子のように、また雌獅子のように、彼はうずくまり、身を伏せる。だれがこれを起こすことができようか。王権はユダを離れず、統治者の杖はその足の間を離れることはない。ついにはシロが来て、国々の民は彼に従う。(9-10節)」ユダ族から油注がれたメシヤが来られ、この方がイスラエルの王となり、全世界の王となられるという預言です。

 といっても、ユダ族には数多くの成人男子がいます。そして彼の父エッサイは、八人の息子がいました。それでもダビデが選ばれました。その理由を彼は、「主は、…私を愛し」と言っています。覚えていますか、エサウではなくヤコブが選ばれたその理由は、「わたしはヤコブを愛し、エサウを憎んだ。(ローマ9:13」であります。自分に神から選ばれる理由や原因は何一つなく、神の一方的なあわれみと愛によって、選ばれたことをダビデは知っていたのです。私たちは、そのような自画像を持っているでしょうか?自分がクリスチャンになったのは、「神の一方的なあわれみ」によったのです。自分の努力や行ないや、意思の強さではありません。

28:5 主は私に多くの子どもを授けてくださったが、私のすべての子どもの中から、私の子ソロモンを選び、イスラエルを治める主の王座に着けてくださった。

 ダビデが多くの兄弟たちの中から選ばれたのと同じように、ダビデの子ソロモンも、主は、ダビデの数多くの息子の中から王子として選ばれました。

28:6 そして、私にこう仰せられた。『あなたの子ソロモンが、わたしの家とわたしの庭を建てる。わたしが彼をわたしの子として選び、わたしが彼の父となるからだ。

 ダビデは今、死に間際に最後の言葉を述べています。父親として息子に精一杯のことをしてあげたいけれども、死んでしまっては何もできません。けれども神はここで、「わたしが彼をわたしの子として選び、わたしが彼の父となるからだ。」と言われています。ダビデが父でなくても、神ご自身がソロモンを戒め、彼を育ててくださるのです。

 そしてこの預言は、ソロモン個人に対して語られただけではなく、その先にあるメシヤの姿を表しています。詩篇二篇に、次のような預言があります。「わたしは主の定めについて語ろう。主はわたしに言われた。『あなたは、わたしの子。きょう、わたしがあなたを生んだ。わたしに求めよ。わたしは国々をあなたへのゆずりとして与え、地をその果て果てまで、あなたの所有として与える。』(7-8節)」諸国を治める王メシヤは、「あなたは、わたしの子」つまり神の御子であるということです。現代のユダヤ教は、メシヤは人間であり、イエスが主張するような神性を持つ御子ではないと言いますが、いや、そうではないのです。

28:7 もし彼が今日のようにわたしの命令と定めを行なおうと堅く決心しているなら、わたしは彼の王位をとこしえまでも確立しよう。

 ソロモンの王位はとこしえまで確立するという約束ですが、条件があります。「彼が今日のようにわたしの命令と定めを行なおうと堅く決心しているなら」がその条件です。そしてソロモンは後にその条件を満たしませんでした。ユダの王エコヌヤについて、主はエレミヤを通して、「彼の子孫のうちひとりも、ダビデの王座に着いて、栄え、再びユダを治める者はいないからだ。(22:30」と言われました。主イエスは、ヨセフを父をとしていましたが、ヨセフはソロモンとエコヌヤの末裔です(マタイ1:11参照)。したがって、ヨセフからはダビデの王座を受け継ぐ者は出てこないことになりますが、母マリヤは、ダビデの息子の一人ナタンの子孫です(ルカ3:31参照)。ダビデが話した、君たる者についての預言がマリヤの系図を通して成就したのです。

28:8 今、主の集会、全イスラエルの前で、私たちの神が聞いてくださるこの所で、あなたがたは、あなたがたの神、主の命令をことごとく守り、求めなさい。それは、あなたがたがこの良い地を所有し、あなたがたの後、とこしえまでもあなたがたの子たちにゆずりとして与えるためである。

 ダビデは、つかさたちに、主の命令をことごとく守り、求めよとの勧めを行なっています。イエスさまが言われました。「あなたがたがわたしにとどまり、わたしのことばがあなたがたにとどまるなら、何でもあなたがたのほしいものを求めなさい。そうすれば、あなたがたのためにそれがかなえられます。(ヨハネ15:7」私たちも、主のみことばが自分たちのうちにとどまっているならば、主が約束されている多くの実を結ばせることができます。

28:9 わが子ソロモンよ。今あなたはあなたの父の神を知りなさい。全き心と喜ばしい心持ちをもって神に仕えなさい。主はすべての心を探り、すべての思いの向かうところを読み取られるからである。もし、あなたが神を求めるなら、神はあなたにご自分を現わされる。もし、あなたが神を離れるなら、神はあなたをとこしえまでも退けられる。

 ダビデはつかさたちに、ソロモンが選ばれた王であることを宣言してから、今度はソロモン自身を鼓舞しています。「あなたの父の神を知りなさい」という勧めです。あなたの王の働きについて知りなさい、とか、あなたが治める国を知りなさい、と勧めていません。神を知りなさい、という勧めです。私たちは、神についての事柄について熱心に知ろうとする情熱があっても、初めの愛、つまり主イエス・キリストご自身を知ることを忘れてしまいます。

 そしてダビデは、「全き心と喜ばしい心持ちをもって神に仕えなさい」と言っています。私たちが神に仕えるとき、二心では祝福されません。またいやいやながら、義務的に仕えているのでも祝福されません。全き心と、喜ばしい心持ちが、神にお仕えするときの第一条件です。

 そして、神を求めるなら神がご自身を現わされるが、神を離れるならとこしえまでも退けられる、とあります。これはそのまま受け入れるに値する言葉です。神を求める者は神を知ることができます。けれども神を捨てるなら、自分も捨てられます。

28:10 今、心に留めなさい。主は聖所となる宮を建てさせるため、あなたを選ばれた。勇気を出して実行しなさい。

 ダビデのソロモンへの激励は、「勇気を出しなさい」でした。彼は若いのに、こんな大役を務めることができないと思っていたでしょうが、行ないなさいと鼓舞しています。

2B 御霊による仕様書 11−21
28:11 ダビデはその子ソロモンに、玄関広間、その神殿、宝物室、屋上の間、内部屋、贖いの間などの仕様書を授けた。28:12 御霊により彼が示されていたすべてのものの仕様書であった。すなわち、主の宮の庭のこと、回りにあるすべての脇部屋のこと、神の宮の宝物倉のこと、聖なるささげ物の宝物倉のこと、28:13 祭司とレビ人の組分けのこと、主の宮の奉仕のすべての仕事のこと、主の宮の奉仕に用いるすべての器具のことである。

 ダビデは建築のための仕様書を自分で描きました。それは、「御霊によって彼に示されていた」ものであるとあります。彼が勝手に自分の願いにしたがって描いたのではなく、主の御霊がダビデに啓示されたのです。ですから、神殿は神ご自身のデザインです。そしてこれは、まことの聖所である天の模型であったのです。

28:14 金については、各種の奉仕に用いるすべての器具に使う金の目方が、すべての銀の器具については、各種の奉仕に用いるすべての器具の目方が示され、28:15 金の燭台とその上にある金のともしび皿の目方は、一つ一つの燭台とその上にあるともしび皿の目方が、銀の燭台については、一つ一つの燭台の用途別に燭台とその上にあるともしび皿の目方が示されていた。28:16 また、並べ供えるパンの机、一つ一つの机に使う金の目方、銀の机に使うその銀、28:17 純金の、肉刺し、鉢、びん、金の杯については、それぞれの杯の目方、銀の杯について、それぞれの杯の目方、28:18 精金の香の壇についてはその目方、主の契約の箱の上で翼を伸べ、防ぎ守っているケルビムの車のひな型の金のことが示されていた。

 金と銀で出来た器具のそれぞれの材料の目方もその仕様書の中にあります。私はここに、ダビデの礼拝に対する熱意を見ます。新約聖書には、私たちが神の御霊が住まわれる宮であることが書かれていますが、それは御霊によって私たち自身がキリストを知っていくことであり、キリストを礼拝することですが、私たちがダビデのように、このような情熱をもって、キリストの栄光を見ようとしているでしょうか?パウロは、「私の主であるキリスト・イエスを知っていることのすばらしさのゆえに、いっさいのことを損と思っています。(ピリピ3:8」と言いましたが、そこまでキリスト・イエスを知っていることが尊いことであると思っているでしょうか?

28:19 「これらすべては、私に与えられた主の手による書き物にある。彼は、この仕様書のすべての仕事を賢く行なう。」28:20 それから、ダビデはその子ソロモンに言った。「強く、雄々しく、事を成し遂げなさい。恐れてはならない。おののいてはならない。神である主、私の神が、あなたとともにおられるのだから・・。主は、あなたを見放さず、あなたを見捨てず、主の宮の奉仕のすべての仕事を完成させてくださる。

 主に召されたことを行なうときに、必ずある約束は、主がともにおられることであります。十二弟子たちは、「すべての国民をわたしの弟子としなさい。見よ、世の終わりまで、わたしはあなたがたとともにいる。」と約束されました。単に物理的にいっしょにいる、ということではなく、自分では決してできない主から任されたことを行なうとき、主がそこにおられる、という意味です。

28:21 見なさい。神の宮のあらゆる奉仕のために祭司とレビ人の各組がいる。あらゆる奉仕のために知恵のある、進んで事に当たるすべての人が、どんな仕事にも、あなたとともにいる。つかさたちとすべての民は、あなたのすべての命令に従う。」

 もうすでに、あなたを支えてくれるこれらの奉仕者がいるのだよ、と励ましています。こうしてダビデは、ソロモンを指導者としてイスラエルのつかさたちが神殿事業に関わっていくための激励を与えました。

2A 全イスラエルの財宝 29
1B 自ら進んでささげる物 1−9
29:1 次に、ダビデ王は全集団に言った。「わが子ソロモンは、神が選ばれたただひとりの者であるが、まだ若く、力もなく、この仕事は大きい。この城は、人のためでなく、神である主のためだからである。

 ダビデは、イスラエルのつかさたちを召集した後に、このように全イスラエルを呼び集め、最後の言葉をかけました。彼らにも神殿建設事業に関わってもらいます。

29:2 私は全力を尽くして、私の神の宮のために用意をした。すなわち、金製品のための金、銀製品のための銀、青銅製品のための青銅、鉄製品のための鉄、木製品のための木、しまめのう、色とりどりのモルタルの石の象眼細工、あらゆる宝石、大理石をおびただしく用意した。29:3 そのうえ、私は、私の神の宮を喜ぶあまり、聖なる宮のために私が用意したすべてのものに加えて、私の宝としていた金銀を、私の神の宮のためにささげた。29:4 家々の壁に着せるため、オフィルの金の中から金三千タラントと、精銀七千タラントを、29:5 金は金製品のため、銀は銀製品のために、またすべて職人の手による仕事のために、ささげた。そこで、きょう、だれか、みずから進んでその手にあふれるほど、主にささげる者はないだろうか。」

 ダビデは、イスラエルの民に、神殿の材料となる金、銀、青銅、鉄、木の類をささげてほしいと勧めています。彼はそのように言う前に、もうすでに自分自身が集めた材料について話しています。自分のポケットマネーからもささげたことを話しています。金は102トン、銀は238トンです。これが、良きリーダーの姿です。自分が先頭に立って、倣うべき模範を残すのです。

 そしてここでの特徴は、「喜んで」「自ら進んで」「その手にあふれるほど」です。神の宮のことで本当にわくわくしている人が、だれに言われるまでもなくささげたいと思っている人はいないか、とダビデは呼びかけています。いやいやながらささげるのであれば、それは天に宝を積み上げることはありません。喜んでささげるそのいけにえを、神は愛されます。

29:6 すると、一族の長たち、イスラエル各部族の長たち、千人隊、百人隊の長たち、王の仕事の係長たちは、みずから進んで、29:7 神の宮の奉仕のために、金五千タラント一万ダリク、銀一万タラント、青銅一万八千タラント、鉄十万タラントをささげた。29:8 宝石を持っている者は、これを主の宮の宝物倉にささげ、ゲルション人エヒエルの手に託した。

 彼らもダビデと同じく、ささげることにエキサイトしていました。私たちが、主がなされることに、これだけわくわくしているでしょうか?

29:9 こうして、民は自分たちのみずから進んでささげた物について喜んだ。彼らは全き心を持ち、みずから進んで主にささげたからである。ダビデ王もまた、大いに喜んだ。

 「全き心」そして「みずから進んで」、どちらも主への奉仕に大切な要素です。

2B 御手から出たもの 10−19
29:10 ダビデは全集団の目の前で主をほめたたえた。ダビデは言った。「私たちの父イスラエルの神、主よ。あなたはとこしえからとこしえまでほむべきかな。29:11 主よ。偉大さと力と栄えと栄光と尊厳とはあなたのものです。天にあるもの地にあるものはみなそうです。主よ。王国もあなたのものです。あなたはすべてのものの上に、かしらとしてあがむべき方です。

 神のご性質について、賛美しています。

29:12 富と誉れは御前から出ます。あなたはすべてのものの支配者であられ、御手には勢いと力があり、あなたの御手によって、すべてが偉大にされ、力づけられるのです。29:13 今、私たちの神、私たちはあなたに感謝し、あなたの栄えに満ちた御名をほめたたえます。

 力と栄えと栄光と尊厳はすべて主のものであるから、この世界にある富や誉れはすべて主から出ています。力あるもの、偉大なものはすべて主から出ています。そしてダビデは、主から自身自身へと目を移しています。

29:14 まことに、私は何者なのでしょう。私の民は何者なのでしょう。このようにみずから進んでささげる力を保っていたとしても。すべてはあなたから出たのであり、私たちは、御手から出たものをあなたにささげたにすぎません。

 ダビデは神の偉大さを見るとき、そしてすべての偉大なものは神から来ていることを知るとき、自分たちがいかに矮小であるかを認めています。自分たちがささげたものでさえ、神からのものであることを悟っています。私たちは、ここまで神の大きさと豊かさを知っているでしょうか?自分のものは自分のものと思っていないでしょうか?そして神を小さな箱の中に入れていないでしょうか?私たちの正しい神概念が、私たちの持ち物に対する正しい見方をもたらします。

29:15 私たちは、すべての父祖たちのように、あなたの前では異国人であり、居留している者です。地上での私たちの日々は影のようなもので、望みもありません。

 彼らはイスラエル人であり、神から選ばれた民であり、所有の土地も与えられています。しかしダビデは知っていました。これは一方的に主から与えられているにしか過ぎない。自分自身のものんか何一つ存在しない。だから異国人のようであり、寄留者のようであり、そして自分の命は影のようなものである、と気づいているのです。ああ、私たちがいつも、神の永遠から見た自分たちの姿をわきまえ知っていることができますように!

29:16 私たちの神、主よ。あなたの聖なる御名のために家をお建てしようと私たちが用意をしたこれらすべてのおびただしいものは、あなたの御手から出たものであり、すべてはあなたのものです。

 おびただしいささげものを見て、ダビデは高慢にならず、すべては神のものであることを告白しています。私たちは祝福されたとき危険なところにいますが、それは祝福が何か自分のものであると思ってしまうからです。私たちが徹底的に、自分を無として、それゆえ御霊が自由に働かれる器となりますように。

29:17 私の神。あなたは心をためされる方で、直ぐなことを愛されるのを私は知っています。私は直ぐな心で、これらすべてをみずから進んでささげました。今、ここにいるあなたの民が、みずから進んであなたにささげるのを、私は喜びのうちに見ました。

 直な心です、大事です。私たちが気をつけていなければならないのは、心の状態です。箴言に、「力の限り、見張って、あなたの心を見守れ。いのちの泉はこれからわく。(4:23」とあります。

29:18 私たちの父祖アブラハム、イサク、イスラエルの神、主よ。御民のその心に計る思いをとこしえにお守りください。彼らの心をしっかりとあなたに向けさせてください。

 ダビデは、父祖であるアブラハム・イサク・ヤコブの名を挙げています。この三人に、主はおびただしい祝福の約束を与えられました。主がアブラハムに言われた、「あなたがたは強い国民になる」という約束が、今、ダビデによって実現しつつあったのです。

 そしてダビデは、この場合「心」が大事であることを知っていました。この心がしっかりと主に向けられているなら、他のすべてのことは安泰です。私たちは、周囲の状況以上にずっとずっと、自分の心の状態に気を配るべきです。

29:19 わが子ソロモンに、全き心を与えて、あなたの命令とさとしと定めを守らせ、すべてを行なわせて、私が用意した城を建てさせてください。」

 ダビデが何度も、「全き心」を繰り返しています。すべてを、いや自分自身を主におささげする、全き心です。

3B 王の尊厳 20−30
29:20 そして、ダビデは全集団に向かって、「あなたがたの神、主をほめたたえなさい。」と言った。すると全集団は、父祖の神、主をほめたたえ、ひざまずいて、主と王とを礼拝した。

 主と王とを礼拝した、とありますが、これはもちろん王を神として拝んだということではありません。王権が与えられているダビデにひれ伏し、そしてそのダビデを支配し、ダビデの王となっておられる神ご自身を礼拝しているのです。

29:21 その日の翌日、彼らは主にいけにえをささげ、全焼のいけにえをささげた。雄牛千頭、雄羊千頭、子羊千頭、これらに添える注ぎのぶどう酒、それに全イスラエルのためのおびただしいいけにえをささげた。29:22 彼らはその日、大いに喜んで、主の前に食べたり飲んだりし、あらためてダビデの子ソロモンを王とし、油をそそいで、主のために、君主とし、ツァドクを祭司とした。

 神を賛美したあと、彼らは大いなる祝会をもうけました。主の前で食べたり、飲んだりした、とあります。私たちが教会での礼拝の後に、食事による交わりを持つことは、この意味があります。主を喜び、そしてその後で主の前で食事をして喜ぶのです。

 そして、すでにソロモンが王としてみなの前で認められていましたが、今、あらためて即位式を行ないました。そして、祭司はツァドクになりました。エブヤタルはすでにソロモンに背いていたので、退けられています(1列王記2:26参照)。

29:23 こうしてソロモンは、主の設けられた王座に着き、父ダビデに代わり、王となって、栄えた。全イスラエルは彼に聞き従った。29:24 すべてのつかさたち、勇士たち、および、ダビデ王のすべての子たちまでも、ソロモン王に服した。29:25 主はソロモンを全イスラエルの目の前に非常に大いなる者とし、彼より先にイスラエルを治めたどの王にも見られなかった王の尊厳を、彼に与えられた。

 ダビデが正しく王位をソロモンに引き継がせたので、人々はソロモンを王として認めました。それはまず、ダビデがソロモンを神が選ばれていたことを知っていて、その選びを確かなものとさせたからです。私たちは、神によって選ばれたその選びを確かなものにする必要があります。「どうせ、何をしたって神によって選ばれているのだから、大丈夫さ。」ではないのです。ペテロはこう言いました。「ですから、兄弟たちよ。ますます熱心に、あなたがたの召されたことと選ばれたこととを確かなものとしなさい。これらのことを行なっていれば、つまずくことなど決してありません。(2ペテロ1:10」選ばれたその目的が本当にかなうための努力が必要です。

 そして次はダビデの生涯のしめくくりです。

29:26 このようにして、エッサイの子ダビデは全イスラエルを治めた。29:27 彼がイスラエルの王であった期間は四十年であった。ヘブロンで七年治め、エルサレムで三十三年治めた。29:28 彼は長寿に恵まれ、齢も富も誉れも満ち満ちて死んだ。彼の子ソロモンが代わって王となった。

 上から受ける賞を得るために最後まで走った人の姿はすばらしいです。富も誉れも満ち満ちています。

29:29 ダビデ王の業績は、最初から最後まで、予見者サムエルの言行録、預言者ナタンの言行録、先見者ガドの言行録にまさしくしるされている。29:30 それには、彼のすべての統治、彼の力、また、彼およびイスラエル、それに各地の諸王国が過ごした時代についてしるされている。

 歴代誌は、その著者自身が、過去の言行録に基づいて編纂していることを認めています。予見者サムエルの言行録とはもちろん、サムエル記第一前半部分のことです。第一の後半と第二サムエルについては、サムエルはすでに生きていませんから、一部の注解書には、ナタンの言行録と先見者ガドの言行録だと言います。

 こうして歴代誌第一を読み終えましたが、ダビデからソロモンへと王位が継承されました。その時に大事だったのは神殿建設事業でした。これは、キリストのからだである教会にもつながる考えです。彼らが御霊に導かれて神殿を建て上げたように、聖霊の働きによって神の建物である教会も建て上げられます。ダビデのような志を持ちたいです。


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