1列王記15−17章 「預言者台頭」

1A ユダの改革とイスラエルの堕落 15
   1B ダビデへの恵み 1−8
   2B 貫徹できなかった信仰 9−15
      1C 親をも断ち切る改革 9−15
      2C 異国への依存 16−24
   3B ヤロブアム家への裁き 25−32
   4B 継続するヤロブアムの罪 33−34
2A 急降下するイスラエル 16
   1B 絶滅の王朝 1−14
      1C 宣告 1−7
      2C 実現 8−14
   2B 短命の治世 15−20
   3B 最悪の治世 21−34
      1C すべての罪 21−28
      2C バアルの導入 29−34
3A 立て直す預言者 17
   1B 烏の養い 1−7
   2B シドンの女 8−24
      1C 尽きないパンと油 8−16
      2C 男の子の生き返り 17−24

列王記の年代表(北イスラエル ・ 南ユダ 

本文

 列王記第一15章を開いてください。私たちは前回、北イスラエルのヤロブアムと南ユダのレハブアムの治世までを見ました。これからそれぞれの国の歴代の王たちの記録を読みます。もう一度思い出していただきたいのは、イスラエルは、神の国になるように召しを受けた国です。神を王とすることによって、人間の王は神を自分の主とすることによって、その国が神のものになることを神が願っておられました。

 これから読む王たちの記録は、激しい堕落の歴史でありますが、仮にこの聖書でないところで、同じ歴史が描かれていたとすれば、おそらくなかなか良い統治を行っていて、政治的には有能な王であるとの評価を受ける人たちも多かったでしょう。私たちがイスラエルに行った時に、王国時代の遺跡が残っていると、そこはアハブの時代であったという説明が多く出てきました。アハブ時代のイスラエルはしっかりやっていたのです。けれども、聖書においては、この時こそ最悪の時代で、イスラエルが最低のところにいたことが描かれています。

 神がイスラエル、また私たちに与えておられるチャレンジは、「ただの国」あるいは「ただの人」あるいは教会が「ただの集まり」になってしまうことについて、断固NO!と突きつけ、神こそ王であることを告げる言葉であります。神こそが王、キリストが私たちの頭であることを教えています。

1A ユダの改革とイスラエルの堕落 15
1B ダビデへの恵み 1−8
15:1 ネバテの子ヤロブアム王の第十八年に、アビヤムはユダの王となり、15:2 エルサレムで三年間、王であった。彼の母の名はマアカといい、アブシャロムの娘であった。15:3 彼は父がかつて犯したすべての罪を行ない、彼の心は父ダビデの心のようには、彼の神、主と全く一つにはなっていなかった。15:4 しかし、ダビデに免じて、彼の神、主は、エルサレムにおいて彼に一つのともしびを与え、彼の跡を継ぐ子を起こし、エルサレムを堅く立てられた。15:5 それはダビデが主の目にかなうことを行ない、ヘテ人ウリヤのことのほかは、一生の間、主が命じられたすべてのことにそむかなかったからである。

 南ユダの国の王から始まります。アビヤムというレハブアムの息子です。彼は父レハブアムがかつて行なって犯したすべての罪を行なったとあります。これは、レハブアムが、ソロモンが行なった偶像礼拝をユダの民が行うままにさせていたことを示しています。142324節にこうあります。「彼らもまた、すべての高い丘の上や青木の下に、高き所や、石の柱や、アシェラ像を立てた。この国には神殿男娼もいた。彼らは、主がイスラエル人の前から追い払われた異邦の民の、すべての忌みきらうべきならわしをまねて行なっていた。

 そして、午前礼拝で話しましたが、これが、「ダビデの心のようではなかった」とダビデを基準にして話されています。そして、ダビデは、主と心を全く一つにしていた、とあります。これはどういうことか?詩篇274節を読みます。「私は一つのことを主に願った。私はそれを求めている。私のいのちの日の限り、主の家に住むことを。主の麗しさを仰ぎ見、その宮で、思いにふける、そのために。」ダビデの心とは、ただ一つのことを求めていたことでした。主のすばらしさ、麗しさを思う、その一つに絞られていたということです。ですから、これは完璧を意味するのではなく、ダビデが自分の罪も含めて、主の前に明らかにして、徹底的にそれを悲しみ、悔い改めることも含まれます。主を求めるのです。

 そして、ここで大切なのは、アビヤムが罪を犯していたにも関わらず、ダビデに免じて断ち滅ぼされることがなかった、ということです。神の恵みがダビデにあり、ダビデ王朝を途絶えさせることはしませんでした。ここに希望があります。ダビデはキリストを指し示しています。キリストに免じて、私たちはたとえ失敗しても、その懲らしめは受けるかもしれないけれども、断ち滅ぼされることはないということです。

15:6 レハブアムとヤロブアムとの間には、一生の間、争いがあった。15:7 アビヤムのその他の業績、彼の行なったすべての事、それはユダの王たちの年代記の書にしるされているではないか。アビヤムとヤロブアムとの間には争いがあった。15:8 アビヤムは彼の先祖たちとともに眠り、人々は彼をダビデの町に葬った。彼の子アサが代わって王となった。

 レハブアムとヤロブアム、またアビヤムとヤロブアムの間に争いがあったのは、次の王アサ、そして北のバシャとの間の戦いを見ると、それが分かります。いわゆる「領土紛争」です。北と南の国境線の位置が、北が主張しているのと南が主張しているのでは異なっていました。

2B 貫徹できなかった信仰 9−15
1C 親をも断ち切る改革 9−15
15:9 イスラエルの王ヤロブアムの第二十年に、ユダの王アサが王となった。15:10 彼はエルサレムで四十一年間、王であった。彼の母の名はマアカといい、アブシャロムの娘であった。15:11 アサは父ダビデのように、主の目にかなうことを行なった。15:12 彼は神殿男娼を国から追放し、先祖たちが造った偶像をことごとく取り除いた。15:13 彼はまた、彼の母マアカがアシェラのために憎むべき像を造ったので、彼女を王母の位から退けた。アサはその憎むべき像を切り倒し、これをキデロン川で焼いた。15:14 高き所は取り除かれなかったが、アサの心は一生涯、主と全く一つになっていた。15:15 彼は、彼の父が聖別した物と、彼が聖別した物、すなわち、銀、金、器類を、主の宮に運び入れた。

 ソロモンから始まり、レハブアムによって定着してしまった偶像礼拝を、レハブアムの孫アサがすべて取り除きました。先ほど読んだところに神殿男娼がレハブアムの時代にいたことが書かれていましたが、彼は取り除いています。そして、彼のすぐれた面は母を王母の地位から退けたことです。彼女がアシェラ像を造ったのでそれを行なったのですが、母でさえ神への献身に代わるものではありません。「わたしよりも父や母を愛する者は、わたしにふさわしい者ではありません。また、わたしよりも息子や娘を愛する者は、わたしにふさわしい者ではありません。(マタイ10:37」私たちは、父や母を愛するために、または他の人々を愛するために、その人の言っていることを聞いてあげることで、その人が主を知ることができると思ってしまいます。しかしそれは反対です。その人がどんなに圧力をかけようが、自分がイエスを主と仰いでいる時に、初めてその人も主に導かれうるのです。

 そして、レハブアムの時にエジプトの王シシャクによって奪い取られた財宝を埋めるかのように、聖別して主の宮に奉納しています。

 そして14節の言葉はすばらしいです。「高き所は取り除かれなかったが、アサの心は一生涯、主と全く一つになっていた。」一生涯、主と全く一つになっていた、とあります。この表現は、文字通りに死ぬまで、ということでないことは15節以降を読むと分かります。けれども治世が41年と長く、人生の大半を主に従うことに費やされたということです。歴代誌を見ると35年間そうでした。

 ところで「高き所」とありますが、これはエルサレムにおける神の宮が建てられる前は、イスラエルの民は高き所で主にいけにえを捧げていました。けれども主は、ご自分が選ばれたところが定まったら、それ以外に勝手にいけにえをささげてはいけないと命じられました。それに違反するのですが、ここの高き所は必ずしも偶像に捧げているものではありません。ただ、ここが微妙で、以前、「コンビニ礼拝」でお話したとおり、ヤハウェを礼拝しているつもりで他の神々も共に拝んでいました。自分の方法で神に近づくのではなく、神の方法で神に近づきます。

2C 異国への依存 16−24
15:16 アサとイスラエルの王バシャとの間には、彼らの生きている間、争いがあった。15:17 イスラエルの王バシャはユダに上って来て、ユダの王アサのもとにだれも出入りできないようにするためにラマを築いた。15:18 アサは主の宮の宝物倉と王宮の宝物倉とに残っていた銀と金をことごとく取って、自分の家来たちの手に渡した。アサ王は、彼らをダマスコに住んでいたアラムの王ヘズヨンの子タブリモンの子ベン・ハダデのもとに遣わして言わせた。15:19 「私の父とあなたの父上の間にあったように、私とあなたの間に同盟を結びましょう。ご覧ください。私はあなたに銀と金の贈り物をしました。どうか、イスラエルの王バシャとの同盟を破棄し、彼が私のもとから離れ去るようにしてください。」15:20 ベン・ハダデはアサ王の願いを聞き入れ、自分の配下の将校たちをイスラエルの町々に差し向け、イヨンと、ダンと、アベル・ベテ・マアカ、および、キネレテ全土と、ナフタリの全土とを打った。15:21 バシャはこれを聞くと、ラマを築くのをやめて、ティルツァにとどまった。15:22 アサ王はユダ全土にもれなく布告し、バシャが建築に用いたラマの石材と木材を運び出させた。アサ王は、これを用いてベニヤミンのゲバとミツパとを建てた。

 先ほど話したとおり北と南の境界線における、領土主張の戦いです。ベニヤミン領のラマまでイスラエルの王バシャはやってきました。アサは押し返し、北イスラエルは引き返しましたが、そのバシャに使われた石材と木材を、すぐそばのゲバとミツパに用いてそこを要塞化しました。こうして領土の実効支配は確定して、この後はイスラエルとユダの間に大きな戦いがしばらく起こりません。

 そして大事なのは、アサの霊的後退です。主に頼るのではなく、なんと自分が聖別して入れた主の宮から財宝を取って、それをアラムに渡しました。主を覚えないで、自分の世界で動いていったのです。恐ろしいのは、それでうまく機能したということです。私たちの霊的危機は、祈るのが面倒くさくなる、そのままやってみたら、うまくいった。なんだ、神に頼らずともやっていけるじゃん、という開き直りです。信仰によって走ることは簡単ですが、最後まで走ることが最も大きな課題です。

15:23 アサのその他のすべての業績、すべての功績、彼の行なったすべての事、彼が建てた町々、それはユダの王たちの年代記の書にしるされているではないか。ただ、彼は年をとったとき、足の病気にかかった。15:24 アサは彼の先祖たちとともに眠り、先祖たちとともに父ダビデの町に葬られた。彼の子ヨシャパテが代わって王となった。

 歴代誌には、アサは足の病気にかかっても、医者を呼んで主を呼び求めなかったことが書かれています。実に残念です。最後まで走ることのできなかった人です。アサ王については、歴代誌で詳しく学びますが、もっと早く知りたい方は歴代誌第二1516章を後でお読みください。

3B ヤロブアム家への裁き 25−32
15:25 ユダの王アサの第二年に、ヤロブアムの子ナダブがイスラエルの王となり、二年間、イスラエルの王であった。15:26 彼は主の目の前に悪を行ない、彼の父の道に歩み、父がイスラエルに犯させた彼の罪の道に歩んだ。15:27 それでイッサカルの家のアヒヤの子バシャは、彼に謀反を企てた。バシャはペリシテ人のギベトンで彼を打った。ナダブと全イスラエルはギベトンを攻め囲んでいた。15:28 こうしてバシャはユダの王アサの第三年に、彼を殺し、彼に代わって王となった。15:29 彼は、王となったとき、ヤロブアムの全家を打ち、ヤロブアムに属する息のある者をひとりも残さず、根絶やしにした。主がそのしもべ、シロ人アヒヤを通して言われたことばのとおりであった。15:30 これはヤロブアムが犯した罪のため、またイスラエルに犯させた罪のためであり、またイスラエルの神、主の怒りを引き起こしたその怒りによるのであった。15:31 ナダブのその他の業績、彼の行なったすべての事、それはイスラエルの王たちの年代記の書にしるされているではないか。15:32 アサとイスラエルの王バシャとの間には、彼らの生きている間、争いがあった。

 話は、南ユダから北イスラエルに戻ります。ところで列王記は南ユダの王たちの記録もありますが、主に北イスラエルの王たちに焦点を合わせています。堕落のどん底まで陥った北イスラエルに、待った!をかけたのが、エリヤであり、そしてその後に出てくるエリシャです。そして歴代誌は、南ユダの王たちの記録だけになっています。

 私たちは前回の学び14章で、ヤロブアムが自分の子が病気なので、妻を変装させて預言者アヒヤのところに連れて行ったところを読みました。その子が死ぬことと、そしてヤロブアムの家が根絶やしにされることを告げました。それが彼の子ナダブによって実現しました。

 大抵、人間の王国の歴史において、このようなクーデターや暗殺は王朝が変わり目の隙をねらいます。子に引き継がれたその時こそ、反逆するねらい目です。けれども興味深いことに、ナダブは三年目にならないと殺されなかったということです。ある意味でこれは猶予期間だったわけです。26節が大事です。父ヤロブアムの罪によって彼が自動的に殺されたのではなく、ナダブ自身が同じ悪を行なったから滅ぼされました。父の罪が子に帰せられるのではなく、子は自分の罪によって滅びます。

4B 継続するヤロブアムの罪 33−34
15:33 ユダの王アサの第三年に、アヒヤの子バシャがティルツァで全イスラエルの王となった。治世は二十四年。15:34 彼は主の目の前に悪を行ない、ヤロブアムの道に歩み、ヤロブアムがイスラエルに犯させた彼の罪の道に歩んだ。

 午前礼拝で話しましたが、これから「さばく者はさばかれる」という原則を見ていきます。バシャは、ナダブを殺しました。ヤロブアムの悪政を見ていたのでしょう。そして暗殺した。けれども、その悪い種が自分自身のうちにもあることを知らなかった。私たちはいつも、このイエス様の御言葉を思い出さないといけません。「さばいてはいけません。さばかれないためです。あなたがたがさばくとおりに、あなたがたもさばかれ、あなたがたが量るとおりに、あなたがたも量られるからです。(マタイ7:1-2

2A 急降下するイスラエル 16
 そして次の章で、私たちは急降下するイスラエルの姿を見ます。

1B 絶滅の王朝 1−14
1C 宣告 1−7
16:1 そのとき、ハナニの子エフーにバシャに対する次のような主のことばがあった。16:2 「わたしはあなたをちりから引き上げ、わたしの民イスラエルの君主としたが、あなたはヤロブアムの道に歩み、わたしの民イスラエルに罪を犯させ、その罪によってわたしの怒りを引き起こした。16:3 それで今、わたしはバシャとその家族とを除き去り、あなたの家をネバテの子ヤロブアムの家のようにする。16:4 バシャに属する者で、町で死ぬ者は犬がこれを食らい、野で死ぬ者は空の鳥がこれを食らう。」16:5 バシャのその他の業績、彼の行なった事、およびその功績、それはイスラエルの王たちの年代記の書にしるされているではないか。16:6 バシャは彼の先祖たちとともに眠り、ティルツァに葬られた。彼の子エラが代わって王となった。16:7 主のことばはまた、ハナニの子、預言者エフーを通して、バシャとその家とに向けられた。それは、彼が主の目の前にあらゆる悪を行ない、その手のわざによって主の怒りを引き起こし、ヤロブアムの家のようになり、また、彼がヤロブアムを打ち殺したからである。

 バシャ家は、ヤロブアム家とまったく同じ運命を辿ります。ヤロブアムの時はアヒヤという預言者が、そしてバシャに対してはエフーが遣わされます。分かりますか、神がイスラエルをご自分の国、ご自身が王となるべく立てられたのに、正反対の方向に言っています。そこで、その動きに完全にNO!を突きつけるのが預言者なのです。この対決は、私たちの肉と霊の対立と同じです。「なぜなら、肉の願うことは御霊に逆らい、御霊は肉に逆らうからです。この二つは互いに対立していて、そのためあなたがたは、自分のしたいと思うことをすることができないのです。(ガラテヤ5:17」肉は神に敵対します。敵対するものであり、それ以下ではありません。ですから御霊が私たちに働きかけるときに、私たちの肉を切り裂く言葉を与えます。だから傷を受けます。でもそれは、手術の跡の傷と同じであり、私たちに癒しをもたらすものです。

 そして7節に、バシャ家が滅ぼされる理由が、偶像を拝んだということだけでなく、「彼がヤロブアムを打ち殺したからである」とあります。ヤロブアムを打ち殺したことを神は、ヤロブアムを裁くために用いられましたが、それをもってバシャが行なったことを義とすることはできません。バシャはバシャで、その行なったことに対する報いを与えられるのです。ここで、私たちは深い神の奥義である主権を学ぶのです。神は悪をも用いて、ご自分の目的を達成されるという主権です。それはおかしいではないかと思われたら、すぐに十字架を見てください。ユダヤ人指導者が行なったのは、人殺しならず神殺しという大罪です。しかし、神はこれを永遠の救いの計画に用いられました。

2C 実現 8−14
16:8 ユダの王アサの第二十六年に、バシャの子エラがティルツァで、イスラエルの王となった。治世は二年である。16:9 彼がティルツァにいて、ティルツァの王の家のつかさアルツァの家で酒を飲んで酔っていたとき、彼の家来で、戦車隊の半分の長であるジムリが彼に謀反を企てた。16:10 ユダの王アサの第二十七年に、ジムリははいって来て、彼を打ち殺し、彼に代わって王となった。16:11 彼が王となり、王座に着くとすぐ、彼はバシャの全家を打ち、小わっぱから、親類、友人に至るまで、ひとりも残さなかった。16:12 こうして、ジムリはバシャの全家を根絶やしにした。預言者エフーによってバシャに言われた主のことばのとおりであった。16:13 これは、バシャのすべての罪と、その子エラの罪のためであって、彼らが罪を犯し、また、彼らがイスラエルに罪を犯させ、彼らのむなしい神々によって、イスラエルの神、主の怒りを引き起こしたためである。16:14 エラのその他の業績、彼の行なったすべての事、それはイスラエルの王たちの年代記の書にしるされているではないか。

 全くヤロブアム家と同じ形で滅ぼされています。子が跡継ぎをし、二年経った後に殺されています。そして、預言者の言葉で特徴的なのは、「主のことばのとおりであった」という言い回しです。確かに、預言者が語ったとおりになったという確認と、その真実が強調されています。私たちが御言葉に混ぜ物をしたり、また聞き障りのよいことを話していては、その言葉は決して長続きしません。エペソ4章に、「愛をもって真理を語る」という言葉があります。愛をもって、そして神の言葉を曲げずに伝える、またその証しを立てるのであれば、必ずそれは残ります。

2B 短命の治世 15−20
16:15 ユダの王アサの第二十七年に、ジムリが七日間ティルツァで王となった。そのとき、民はペリシテ人のギベトンに対して陣を敷いていた。16:16 陣を敷いていたこの民は、「ジムリが謀反を起こして王を打ち殺した。」と言うことを聞いた。すると、全イスラエルがその日、その陣営で将軍オムリをイスラエルの王とした。16:17 オムリは全イスラエルとともにギベトンから上って来て、ティルツァを包囲した。16:18 ジムリは町が攻め取られるのを見ると、王宮の高殿にはいり、みずから王宮に火を放って死んだ。16:19 これは、彼が罪を犯して主の目の前に悪を行ない、ヤロブアムの道に歩んだその罪のためであり、イスラエルに罪を犯させた彼の罪のためであった。16:20 ジムリのその他の業績、彼の企てた謀反、それはイスラエルの王たちの年代記の書にしるされているではないか。

 バシャンの子エラを殺したジムリは、なんと七日だけの王でした。織田信長を殺した明智光秀のような末期を辿ります。 ジムリは戦車隊の半分の長でありましたが、将軍オムリがのし上がりました。そしてジムリを攻めます。ジムリは自害しました。ですから歴史小説にしたら、何でもない戦国時代の一場面かもしれませんが、列王記の著者ははっきりと、その理由を「彼が罪を犯して主の目の前に悪を行なった」と言っています。

3B 最悪の治世 21−34
 そしてついに、このオムリ家をもってして、イスラエルは最悪の状態に陥ります。

1C すべての罪 21−28
16:21 当時、イスラエルの民は二派に分裂していた。民の半分はギナテの子ティブニに従って彼を王にしようとし、あとの半分はオムリに従った。16:22 オムリに従った民は、ギナテの子ティブニに従った民より強かったので、ティブニが死ぬとオムリが王となった。16:23 ユダの王アサの第三十一年に、オムリはイスラエルの王となり、十二年間、王であった。六年間はティルツァで王であった。16:24 彼は銀二タラントでシェメルからサマリヤの山を買い、その山に町を建て、彼が建てたこの町の名を、その山の持ち主であったシェメルの名にちなんでサマリヤと名づけた。

 このオムリの時から、首都がティルツァからサマリヤに移しました。六年間でサマリヤの山に建設をして、そしてそこに移り住みました。地図でご覧になると分かりますが、初めの首都シェケム、そしてティルツァ、それからサマリヤは比較的近いところにあります。

16:25 オムリは主の目の前に悪を行ない、彼以前のだれよりも悪いことをした。16:26 彼はネバテの子ヤロブアムのすべての道に歩み、イスラエルに罪を犯させ、彼らのむなしい神々によってイスラエルの神、主の怒りを引き起こした。16:27 オムリの行なったその他の業績、彼の立てた功績、それはイスラエルの王たちの年代記の書にしるされているではないか。16:28 オムリは彼の先祖たちとともに眠り、サマリヤに葬られた。彼の子アハブが代わって王となった。

 オムリは、これまでの王たちよりもさらに悪いことをしました。興味深いことに聖書には書かれていませんが、聖書外の古文書において、オムリの名が多く出てきて、この時のイスラエルが豊かになってきたことを示しています。そして先に話したように、次の子アハブはかなり良い国となっていました。興味深いことに、オムリは先の王たちのように滅ぼされていません。むしろ、そのままにされています。何か、主が滅ぼすことによってもご自分の栄光をイスラエルの王が見ることがないから、その声をさらに大きくされるという感じがします。間もなくエリヤの登場です。

2C バアルの導入 29−34
16:29 オムリの子アハブは、ユダの王アサの第三十八年に、イスラエルの王となった。オムリの子アハブはサマリヤで二十二年間、イスラエルの王であった。16:30 オムリの子アハブは、彼以前のだれよりも主の目の前に悪を行なった。16:31 彼にとっては、ネバテの子ヤロブアムの罪のうちを歩むことは軽いことであった。それどころか彼は、シドン人の王エテバアルの娘イゼベルを妻にめとり、行ってバアルに仕え、それを拝んだ。16:32 さらに彼は、サマリヤに建てたバアルの宮に、バアルのために祭壇を築いた。16:33 アハブはアシェラ像も造った。こうしてアハブは、彼以前のイスラエルのすべての王たちにまして、ますますイスラエルの神、主の怒りを引き起こすようなことを行なった。

 ついに出ました、歴代イスラエルの中で極悪王アハブです。彼が行なったことは、午前礼拝にお話しましたが、ヤロブアムによる金の子牛礼拝に加えて、外国の神バアルを導入したことです。それはシドン人の王の娘イゼベルによって来ました。

 なぜこれが深刻だったのか?以前お話しましたが、ヤロブアムの罪は、「これが私たちの神である」と言って、金の子牛を使ってヤハウェをあがめようというものでした。もちろん、これは言い訳であり、実際は偶像礼拝であったことを「コンビニ礼拝」という説教題で語りました。こうした、いいかげんな礼拝、自分方式の礼拝が問題だったのですが、バアル信仰は、完全に外国の神であり、「私はヤハウェではなく、バアル神を拝む。」という、完全な棄教を意味していたのです。これを国の方針として、拝ませていたのですから、とんでもない罪を犯していました。

 そしてここで大事な人物が、イゼベルです。この女は、黙示録3章にも、テアテラにある教会に不品行と偶像礼拝をもたらした女預言者の名にもなっています。聖書に出てくる女性は、ある意味で極端です。主に用いられる器としての女性は、ある意味、男以上に信仰を持ち、神に用いられます。士師のデボラ、サムエルの母ハンナ、イエス様の母マリヤ、マグダラのマリヤも復活のイエス様に初めに会った人です。エステルもそうでしょう。そこにある霊は、従順と、気丈さであります。けれども、その反対も極端です。女が悪くなると、とてつもなく堕落します。テアテラの教会のイゼベルのように、従順ではなくその反対の、すべてを支配する力を持ちます。

16:34 彼の時代に、ベテル人ヒエルがエリコを再建した。彼は、その礎を据えるとき、長子アビラムを失い、門を建てるとき、末の子セグブを失った。ヌンの子ヨシュアを通して語られた主のことばのとおりであった。

 興味深い、挿入的出来事です。列王記の王たちの記録とは関係のない話ですが、けれども共通したテーマがあります。主のことばはその通りになる、ということです。ヨシュアが言ったことですから、540年ぐらい前のことです、こう預言しました。「この町エリコの再建を企てる者は、主の前にのろわれよ。その礎を据える者は長子を失い、その門を建てる者は末の子を失う。(ヨシュア6:26」この言葉があるにも関わらず、ヒエルがエリコを再建しようとしました。神の語られたことに反逆しようとも、決してくつがえすことはできません。

3A 立て直す預言者 17
1B 烏の養い 1−7
17:1 ギルアデのティシュベの出のティシュベ人エリヤはアハブに言った。「私の仕えているイスラエルの神、主は生きておられる。私のことばによらなければ、ここ二、三年の間は露も雨も降らないであろう。」

 ついに現れました、エリヤです。これまでの預言者もNO!を突き付けたけですが、エリヤは預言者の代表的人物となります。実に旧約聖書の終わりに、メシヤ到来の前にエリヤが現れるという預言があります。ですから、そして、イエス様が高い山に上られた時には、モーセとエリヤがいました。そして、エリヤは火の戦車に乗って天に上るということで姿を消します。イスラエルが最も堕落していたときに、最も対決型の預言者を起こされます。

 エリヤの名の意味は、「主こそ神」であります。バアルこそ神であるとしていたイスラエルに対して、はっきりと猛烈に、「ヤハウェこそ神」であるという言葉を告げたのでした。

 そして、彼は主からの言葉を告げます。雨が降らないと告げました。これは、豊かな国となっていたイスラエルには大打撃です。そしてこの預言は、主への熱心な祈りがあったようです。「エリヤは、私たちと同じような人でしたが、雨が降らないように祈ると、三年六か月の間、地に雨が降りませんでした。そして、再び祈ると、天は雨を降らせ、地はその実を実らせました。(ヤコブ5:17-18」祈りの大切さを思います。

17:2 それから、彼に次のような主のことばがあった。17:3 「ここを去って東へ向かい、ヨルダン川の東にあるケリテ川のほとりに身を隠せ。

 エリヤは、二つのことを言い続けました。「主のことば」そして「主は生きておられる」であります。主のことばを告げることは、他の預言者も行なっていました。そして、主が生きておられるというのは、バアルという生きていない神に対して、主こそ生きておられるという証しであります。したがって、エリヤがこの二つの発言が有効であるためには、彼自身が体験しなければいけないことだったのです。その一つが、烏が食べ物を運んでくることと、やもめに対する働きかけの二つです。

 エリヤはもともとギルアデ出身なので、ケレテ川は近いところにあったことでしょう。そしてヨルダン川から主の働きを始めることも象徴的です。ヨシュアたちがヨルダン川から約束の地に入りました。主こそ神であるという証しを携えてカナンの地に入りましたが、エリヤもヨルダンのほうから同じように入ります。そしてもちろん、エリヤの霊と力によって来たバプテスマのヨハネも、ヨルダン川沿いの荒野で預言を始めました。

17:4 そして、その川の水を飲まなければならない。わたしは烏に、そこであなたを養うように命じた。」17:5 それで、彼は行って、主のことばのとおりにした。すなわち、彼はヨルダン川の東にあるケリテ川のほとりに行って住んだ。17:6 幾羽かの烏が、朝になると彼のところにパンと肉とを運んで来、また、夕方になるとパンと肉とを運んで来た。彼はその川から水を飲んだ。17:7 しかし、しばらくすると、その川がかれた。その地方に雨が降らなかったからである。

 主が語られたとおり、ケレテ川に来たら、パンと肉を烏が運んできました。烏について、二つの異質性があります。一つは、烏はえさを与えるような動物ではありません。「烏の子が神に向かって鳴き叫び、食物がなくてさまようとき、烏にえさを備えるのはだれか。(ヨブ38:41」したがって、烏がパンと肉を運ぶのは、まずもって異様です。けれども、主が行なわれているのだということを強調しています。もう一つは、烏は猛禽類に属し、汚れた動物の類に入ることです。したがって、エリヤは汚れたものとされなければいけませんが、神がこのようなことを行なわれたのは、これから彼を異邦人のところ、しかもイゼベルの出身地のシドンに遣わされることをかもし出しています。汚れた動物のふろしきの夢を見たペテロに、神はそれが異邦人であることを示されました。

 聖なる民であるはずのイスラエルが、バアル神をあがめたことによって、主がイスラエルの外で働かれるという例です。イエス様が同じようにされました。ユダヤ人の多くに拒まれましたが、異邦人ですぐれた信仰をもった人が少なからず現れました。まさにツロとシドンのところで、カナン人の女が出てきて、彼女の悪霊につかれた娘をイエスは癒されました。そしてナザレの会堂でイエス様はご自身が受け入れられないことを、これから読むシドンの女の例を引き合いに出されます。「わたしが言うのは真実のことです。エリヤの時代に、三年六か月の間天が閉じて、全国に大ききんが起こったとき、イスラエルにもやもめは多くいたが、エリヤはだれのところにも遣わされず、シドンのサレプタにいたやもめ女にだけ遣わされたのです。(ルカ4:25-26

 主の恵みがあるのに、自分たちの拒絶によって、救いと祝福がなくなってしまうのではなく、その他のところに行くという原則を見ることができます。

2B シドンの女 8−24
 それではそのシドンの女のところを見ましょう。

1C 尽きないパンと油 8−16
17:8 すると、彼に次のような主のことばがあった。17:9 「さあ、シドンのツァレファテに行き、そこに住め。見よ。わたしは、そこのひとりのやもめに命じて、あなたを養うようにしている。」

 これの異様さは、もう分かると思います。「やもめ」と「養い」はほとんど反対語です。やもめは、これから死んでもおかしくないような困窮の人です。その人から養われるのです。そして、大きな神のパラドックスを見ることができます。肝心の神の民であるはずのイスラエルが、シドン発のバアル信仰を持ち、そしてバアル信仰を持っているはずのシドンの女が、イスラエルの神ヤハウェを知るようになります。先のものが後になり、後のものが先になる、という法則です。

17:10 彼はツァレファテへ出て行った。その町の門に着くと、ちょうどそこに、たきぎを拾い集めているひとりのやもめがいた。そこで、彼は彼女に声をかけて言った。「水差しにほんの少しの水を持って来て、私に飲ませてください。」17:11 彼女が取りに行こうとすると、彼は彼女を呼んで言った。「一口のパンも持って来てください。」

 エリヤは主のことばを告げただけでなく、主の言葉に従順でなければいけませんでした。理屈で考えると、到底おかしな話です。主の言葉に従っていくというのは、こういうことです。従順、そして服従です。主からのしるしを求めていても、主が自分に何かしてくださることを願っても、この従順と服従がなければ、何も起こりません。

17:12 彼女は答えた。「あなたの神、主は生きておられます。私は焼いたパンを持っておりません。ただ、かめの中に一握りの粉と、つぼにほんの少しの油があるだけです。ご覧のとおり、二、三本のたきぎを集め、帰って行って、私と私の息子のためにそれを調理し、それを食べて、死のうとしているのです。」17:13 エリヤは彼女に言った。「恐れてはいけません。行って、あなたが言ったようにしなさい。しかし、まず、私のためにそれで小さなパン菓子を作り、私のところに持って来なさい。それから後に、あなたとあなたの子どものために作りなさい。17:14 イスラエルの神、主が、こう仰せられるからです。『主が地の上に雨を降らせる日までは、そのかめの粉は尽きず、そのつぼの油はなくならない。』」17:15 彼女は行って、エリヤのことばのとおりにした。彼女と彼、および彼女の家族も、長い間それを食べた。17:16 エリヤを通して言われた主のことばのとおり、かめの粉は尽きず、つぼの油はなくならなかった。

 すごいことが起こりました。主のことばに対する信仰が必要です。自分の生命に対する心配よりも、主のことばがあることを信じました。ゆえに、かめの粉と、つぼの油はつきませんでした。

2C 男の子の生き返り 17−24
 しかし、さらなる大きなしるしを主は彼女に示されます。けれども、これは試練でした。男の子が死んでしまうのです。

17:17 これらのことがあって後、この家の主婦の息子が病気になった。その子の病気は非常に重くなり、ついに息を引き取った。17:18 彼女はエリヤに言った。「神の人よ。あなたはいったい私にどうしようとなさるのですか。あなたは私の罪を思い知らせ、私の息子を死なせるために来られたのですか。」

 この気持ち、よく分かりますね。主が働いてくださったと思ったのに、その後にそれを打ちのめすような出来事が起こることがあります。そして次に、彼女の発言も共感できます。「私の罪を思い知らせ」とあります。彼女が実際に、何らかの罪を犯していたのでしょうか?このような不幸に遭うと、自分の罪かもしれないと思うのです。

17:19 彼は彼女に、「あなたの息子を私によこしなさい。」と言って、その子を彼女のふところから受け取り、彼が泊まっていた屋上の部屋にかかえて上がり、その子を自分の寝台の上に横たえた。17:20 彼は主に祈って言った。「私の神、主よ。私を世話してくれたこのやもめにさえもわざわいを下して、彼女の息子を死なせるのですか。」17:21 そして、彼は三度、その子の上に身を伏せて、主に祈って言った。「私の神、主よ。どうか、この子のいのちをこの子のうちに返してください。」17:22 主はエリヤの願いを聞かれたので、子どものいのちはその子のうちに返り、その子は生き返った。

 エリヤもこれは焦りました。まさか!と思いました。先ほど引用したヤコブの手紙にある、エリヤの祈りについて、「エリヤは、私たちと同じような人でした」とあります。彼は必死に祈りました。

17:23 そこで、エリヤはその子を抱いて、屋上の部屋から家の中に降りて来て、その子の母親に渡した。そして、エリヤは言った。「ご覧、あなたの息子は生きている。」17:24 その女はエリヤに言った。「今、私はあなたが神の人であり、あなたの口にある主のことばが真実であることを知りました。」

 エリヤの部屋は、このやもめの家の屋上にあったようです。そこから降りていって、男の子を渡しました。そして、エリヤを通して彼女が主のことばの真実と確かさを知るに至りました。

 この二つの経験を通して、エリヤは次回の学びでアハブに対決します。エリヤが主のことばを語るにあたって、自分自身がその言葉の真実を体験しました。神に用いられたいと皆さんは願われるでしょうか?神に用いられている人は、必ず自分自身をへりくだらせる、主への従順と服従を試される経験を持っています。自分が低くなることを遠ざける人は、いつまでも用いられません。けれども、自分が低くなることを甘んじて受ける人は、必ず大きく用いられます。

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