サムエル記第一18−20章 「神の働きと肉の働き」
アウトライン
1A 恐れ 18
1B 妬み 1−11
1C 愛された者 1−5
2C 疑い 6−11
2B ともにおられる主 12−30
1C 千人隊の長 12−16
2C 花嫁料 17−30
2A 殺意 19
1B 公言 1−7
2B 行動 8−17
3B 神の守り 18−24
3A 友人の契約 20
1B 恵みの約束 1−17
1C ダビデの願い 1−10
2C ヨナタンの願い 11−17
2B 永遠の証人 18−42
1C 子どもによるしるし 18−23
2C 痛む心 24−34
3C 主にある別れ 35−42
本文
サムエル記第一18章を開いてください、今日は20章までを学びます。ここでのテーマは、「神の働きと肉の働き」です。主に、ダビデがサウルから逃げるところを読んでいきます。
1A 恐れ 18
1B 妬み 1−11
1C 愛された者 1−5
ダビデがサウルと語り終えたとき、ヨナタンの心はダビデの心に結びついた。ヨナタンは、自分と同じほどにダビデを愛した。
前回の学びを思い出してください、少年ダビデはペリシテ人ゴリヤテに立ち向かい、剣を使わずに彼を打ち負かしました。私もダビデの姿を見ると、心ひかれるものがありますが、同じ勇士であり、また信仰者でもあるヨナタンにとって、ダビデに引かれる思いは相当なものだったでしょう。それに、ダビデの名前は「愛された者」という意味ですから、その名のとおりに愛された人となりました。
サウルはその日、ダビデを召しかかえ、父の家に帰らせなかった。
ダビデは立琴をひきにサウルのところに来たことはありますが、彼の仕事はあくまでも羊の番でした。けれどもサウルはこのとき彼を召し抱え、自分の下で兵士にさせることを決めました。
ヨナタンは、自分と同じほどにダビデを愛したので、ダビデと契約を結んだ。ヨナタンは、着ていた上着を脱いで、それをダビデに与え、自分のよろいかぶと、さらに剣、弓、帯までも彼に与えた。
この上着を与え、よろいかぶと、剣、弓、帯を与える行為は、ダビデに自分の将来の王位を引き渡すことを意味します。昔、ヤコブが息子ヨセフに、いろいろな色の長服を与えましたが、それと似ています。それはヤコブがヨセフに長子の権利を与えることも意味していましたが、ここではヨナタンが、ダビデに、本来なら父サウルから受け継ぐべき王位を彼に渡したことを意味します。
先ほどから出てくる「愛した」と言うことばは、もちろん恋愛感情のことではありません。「契約を結んだ」とありますが、感情で流されるような関係ではなく、言ったことを必ず成し遂げるところの契約に基づく関係です。友人としての愛、友愛です。けれども単なる人間的な友人以上の、利害関係に基づくものではありません。
ダビデは、どこでもサウルが遣わす所に出て行って、勝利を収めたので、サウルは彼を戦士たちの長とした。このことは、すべての民にも、サウルの家来たちにも喜ばれた。
ダビデは、ヨナタンだけではなく、イスラエルの民にもサウルの家来たちにも皆から好かれました。
2C 疑い 6−11
そこでサウルが、ダビデをねたみ始めます。ダビデがあのペリシテ人を打って帰って来たとき、みなが戻ったが、女たちはイスラエルのすべての町々から出て来て、タンバリン、喜びの歌、三弦の琴をもって、歌い、喜び踊りながら、サウル王を迎えた。女たちは、笑いながら、くり返してこう歌った。「サウルは千を打ち、ダビデは万を打った。」サウルは、このことばを聞いて、非常に怒り、不満に思って言った。「ダビデには万を当て、私には千を当てた。彼にないのは王位だけだ。」その日以来、サウルはダビデを疑いの目で見るようになった。
ペリシテ人との戦いに勝ったので、女たちが集まってきました。以前も、このようなかたちでサウルは、女たちの歌と踊りの声援を受けたことでしょう。そのときサウルは、人の称賛を受け入れ、悦に浸っていたのかもしれません。けれども今ここで、ダビデが万、自分が千と言われました。彼はダビデをねたみはじめました。
信仰の目で見れば、私たちの間には競争はありません。みながキリストのからだであり、互いに補い合い、助け合うけれども、競争することはありません。ヨナタンは、そのように見ました。だからダビデを愛して、彼に自分が将来与えられる王位まで与えたのです。ところが、サウルは自分のことしか考えていません。私たちも、他の人が祝福され、自分よりも祝福されたときに、ねたむのではなく、ともに喜ぶことができるでしょうか?
その翌日、神からの悪い霊がサウルに激しく下り、彼は家の中で狂いわめいた。ダビデは、いつものように、琴を手にしてひいたが、サウルの手には槍があった。サウルはその槍を投げつけた。ダビデを壁に突き刺してやろう、と思ったからである。しかしダビデは二度も身をかわした。
ダビデは以前のように琴をひいていましたが、サウルがわめき、彼を槍で殺そうとしました。彼が自分の肉の問題、高ぶりやねたみを処理していなかったので、悪い霊の影響をまともに受けてしまっていました。前回も話しましたが、精神病の中には、このように霊的な問題から出ているものもあります。
2B ともにおられる主 12−30
1C 千人隊の長 12−16
サウルはダビデを恐れた。主はダビデとともにおられ、サウルのところから去られたからである。それでサウルはダビデを自分のもとから離し、彼を千人隊の長にした。ダビデは民の先に立って行動していた。ダビデはその行く所、どこででも勝利を収めた。主が彼とともにおられた。ダビデが大勝利を収めるのを見て、サウルは彼を恐れた。
ここで繰り返されているのは、サウルの恐れと、主がダビデとともにいる、とう二つの対比です。ダビデの姿は、ちょうどかつてのヨセフのようなものです。自分が行なうことは何でも主によって栄えました。けれども、主がともにおられることを知らないサウルは、自分が体裁はあっても中身がない張りぼてのほうであることを、ダビデを通して明らかにされました。サウルが初めに取った行動は、ダビデを自分から引き離すことでした。信仰を持っていたヨナタンは、ダビデに引き付けられましたが、外側の形しかない人にとっては脅威になり、距離を取りたいと願うのです。
イスラエルとユダの人々はみな、ダビデを愛した。彼が彼らの先に立って行動していたからである。
サウルは、ヨナタンが道具持ちとともにペリシテ人のところに行ったときは、自分はずっと後方で座っていました。けれどもダビデは違いました。自分を犠牲にすることを結して厭わなかったのです。それで、人々から愛されました。教会の指導者も、人々から尊敬される人は自分から仕え、人のしんがりになる人です。イエスさまは、人々に仕えられるのではなく、仕えなさいと命じられました。
2C 花嫁料 17−30
あるとき、サウルはダビデに言った。「これは、私の上の娘メラブだ。これをあなたの妻として与えよう。ただ、私のために勇敢にふるまい、主の戦いを戦ってくれ。」サウルは、自分の手を下さないで、ペリシテ人の手を彼に下そう、と思ったのである。
恐れによってダビデから距離を取ったサウルは、次は彼を殺したいと願うようになりました。初めにとった手段は、自分の手ではなくペリシテ人の手に落とすことです。それで、自分の娘を妻に与えよう、と言っています。
これまで旧約聖書を学んでいた、何回か出てきましたが、当時、夫になる人は、花嫁の父親に対して花嫁料のようなものを払います。それは当時、夫のみが妻を離婚させる権利を持っており、けれども娘がひとり置き去りにされないように、父親が彼女の生活を支えなければいけません。その保証料とでも言いましょうか、夫が義理の父になる人に、花嫁料を支払います。
けれどもそのとき、現金や財産だけでなく、例えばヤコブのように義理の父の下で働くこともできました。オネニエルはおじのカレブのために、キルヤテ・セフェルという町を攻め取りました。そして今サウルは、ダビデにペリシテ人を自分の代わりに打ってほしいと願っています。それが花嫁料に相当します。
ダビデはサウルに言った。「私は何者なのでしょう。私の家族、私の父の氏族もイスラエルでは何者なのでしょう。私が王の婿になるなどとは。」ところが、サウルの娘メラブをダビデに与える、という時になって、彼女はメホラ人のアデリエルに妻として与えられた。
サウルはダビデにいやがらせをしています。突然与えないことによって、彼を怒らせようとしています。
サウルの娘ミカルはダビデを愛していた。そのことがサウルに知らされたとき、サウルはそれはちょうどよいと思った。サウルは、「ミカルを彼にやろう。ミカルは彼にとって落とし穴となり、ペリシテ人の手が彼に下るだろう。」と思った。
メラブはダビデに恋していたということではありませは、ミカルは違いました。ですからダビデは、ミカルのためにペリシテ人と戦うに違いない、と思いました。
そこでサウルはもう一度ダビデに言った。「きょう、あなたは私の婿になるのだ。」そしてサウルは家来たちに命じた。「ダビデにひそかにこう告げなさい。『聞いてください。王はあなたが気に入り、家来たちもみな、あなたを愛しています。今、王の婿になってください。』」それでサウルの家来たちは、このことばをダビデの耳に入れた。するとダビデは言った。「王の婿になるのがたやすいことだと思っているのか。私は貧しく、身分の低い者だ。」サウルの家来たちは、ダビデがこのように言っています、と言ってサウルに報告した。それでサウルは言った。「ダビデにこう言うがよい。王は花嫁料を望んではいない。ただ王の敵に復讐するため、ペリシテ人の陽の皮百だけを望んでいる、と。」サウルは、ダビデでをペリシテ人の手で倒そうと考えていた。
花嫁料としてペリシテ人の陽の皮百を要求しました。
サウルの家来たちが、このことばをダビデに告げると、ダビデは、王の婿になるために、それはちょうどよいと思った。そこで、期限が過ぎる前に、ダビデは立って、彼と部下とで、出て行き、ペリシテ人二百人を打ち殺し、その陽の皮を持ち帰り、王の婿になるためのことを、王に果たした。そこでサウルは娘ミカルを妻としてダビデに与えた。
百だけでよかったのですが、ダビデは二百人の陽の皮を持っていきました。
こうして、サウルは、主がダビデとともにおられ、サウルの娘ミカルがダビデを愛していることを見、また、知った。
サウルの目論見は敗れました。
それでサウルは、ますますダビデを恐れた。サウルはいつまでもダビデの敵となった。ペリシテ人の首長たちが出て来るときは、そのたびごとに、ダビデはサウルの家来たちのすべてにまさる戦果をあげた。それで彼の名は非常に尊ばれた。
こうして、主がともにおられることによってダビデはますます栄えました。けれどもサウルは敵対しています。これはちょうど、御霊に導かれる私たちと、その働きを阻もうとする私たちのうちにある肉の欲望とに似ています。主がともにおられて、その中で生きているときに、悪魔が私たちの肉を刺激して、何とかして罪を犯させようとします。けれども、私たちのうちにおられる方は、悪い者よりも強い方ですから(1ヨハネ参照)、私たちは勝つことができます。けれども、悪魔はそうするとさらに激しく挑みかかってきます。そこで次の章は、サウルが影でではなく、はっきりとダビデを殺そうとする意図を明らかにしていく箇所です。
2A 殺意 19
1B 公言 1−7
サウルは、ダビデを殺すことを、息子ヨナタンや家来の全部に告げた。しかし、サウルの子ヨナタンはダビデを非常に愛していた。
サウルは、ダビデを殺したいと思っただけでなく、殺すと自分の家の者たちに告げました。おそらくは、我々サウル家にとってダビデは脅威である。王位がダビデに取られてしまうかもしれない、ということを話したのかもしれません。
それでヨナタンはダビデに告げて言った。「私の父サウルは、あなたを殺そうとしています。それで、あしたの朝は、注意して、隠れ場にとどまり、身を隠していてください。私はあなたのいる野原に出て行って、父のそばに立ち、あなたのことについて父に話しましょう。何かわかったら、あなたに知らせましょう。」
ヨナタンはダビデを愛して、ダビデと契約を結んでいました。そこで彼は、その契約にしたがってダビデを助けようとしています。
ヨナタンは父サウルにダビデの良いことを話し、父に言った。「王よ。あなたのしもべダビデについて罪を犯さないでください。彼はあなたに対して罪を犯してはいません。かえって、彼のしたことは、あなたにとっては非常な益となっています。彼が自分のいのちをかけて、ペリシテ人を打ったので、主は大勝利をイスラエル全体にもたらしてくださったのです。あなたはそれを見て、喜ばれました。なぜ何の理由もなくダビデを殺し、罪のない者の血を流して、罪を犯そうとされるのですか。」サウルはヨナタンの言うことを聞き入れた。サウルは誓った。「主は生きておられる。あれは殺されることはない。」
サウルの精神はここでかなりおかしくなっています。ダビデを殺すことを公言していますが、すぐにそれを否定しています。これは、衝動的に殺したくなる瞬間や、条件があるからでしょう。
それで、ヨナタンはダビデを呼んで、このことのすべてを告げた。ヨナタンがダビデをサウルのところに連れて行ったので、ダビデは以前のようにサウルに仕えることになった。
これで一件落着であれば良いのですが、再びまたサウルの気が狂います。
2B 行動 8−17
それからまた、戦いが起こったが、ダビデは出て行って、ペリシテ人と戦い、彼らを打って大損害を与えた。それで、彼らはダビデの前から逃げた。ときに主からの悪い霊がサウルに臨んだ。サウルは自分の家にすわっており、その手には槍を持っていた。ダビデは琴を手にしてひいていた。サウルが槍でダビデを壁に突き刺そうとしたとき、ダビデはサウルから身を避けたので、サウルは槍を壁に打ちつけた。ダビデは逃げ、その夜は難をのがれた。
再びサウルはダビデに槍を投げました。もうダビデは、サウルが自分を本気で殺そうとしていることを確認しました。
サウルはダビデの家に使者たちを遣わし、彼を見張らせ、朝になって彼を殺そうとした。ダビデの妻ミカルはダビデに告げて言った。「今夜、あなたのいのちを救わなければ、あすは、あなたは殺されてしまいます。」こうしてミカルはダビデを窓から降ろしたので、彼は逃げて行き、難をのがれた。
父親の行動がなにかおかしいと気づいたミカルが、ダビデを逃げさせています。ここでの様子をダビデは詩篇59篇にてうたっていますが、「わが神。私を敵から救い出してください。私に立ち向かう者が届かぬほど、私を高く上げてください。・・・(1節)」と言っています。
ミカルはテラフィムを取って、それを寝床の上に置き、やぎの毛で編んだものを枕のところに置き、それを着物でおおった。
テラフィムは、主なる神を表していた像でした。ラケルも父ラバンの家からそれを持ち出していました。けれどももちろん、それは偶像にしかすぎません。
サウルがダビデを捕えようと使者たちを遣わしたとき、ミカルは、「あの人は病気です。」と言った。サウルはダビデを見ようとして、「あれを寝床のまま、私のところに連れて来い。あれを殺すのだ。」と言って使者たちを遣わした。使者たちがはいって見ると、なんと、テラフィムが寝床にあり、やぎの毛で編んだものが枕のところにあった。サウルはミカルに言った。「なぜ、このようにして私を欺き、私の敵を逃がし、のがれさせたのか。」ミカルはサウルに言った。「あの人は、『私を逃がしてくれ。私がどうしておまえを殺せよう。』と私に言ったのです。」
ミカルはダビデのことを愛していましたから、父の言うことにそむいて、ダビデを逃がしました。けれどもサウルを少し恐れました。そこで自分で逃したのではなく、ダビデが私を脅した、と偽ったのです。テラフィムにしても、この偽りにしても、ミカルは妥協してしまっている女性です。後にダビデが主の前で踊るのを、彼女は見下します。
3B 神の守り 18−24
ダビデは逃げ、のがれて、ラマのサムエルのところに行き、サウルが自分にしたこといっさいをサムエルに話した。そしてサムエルと、ナヨテに行って住んだ。
ダビデはサムエルのところに身をかくしました。
ところが、「ダビデは、なんと、ラマのナヨテにいます。」とサウルに告げる者がいた。そこでサウルはダビデを捕えようと使者たちを遣わした。彼らは、預言者の一団が預言しており、サムエルがその監督をする者として立っているのを見た。そのとき、神の霊がサウルの使者たちに臨み、彼らもまた、預言した。
預言者学校のようなものをサムエルが持っていました。後にエリシャがそのような学校をもっている姿を列王記第二で見ることができます。
サウルにこのことが知らされたとき、彼はほかの使者たちを遣わしたが、彼らもまた、預言した。サウルはさらに三度目の使者たちを送ったが、彼らもまた、預言した。そこでサウル自身もまたラマへ行った。彼はセクにある大きな井戸まで来たとき、「サムエルとダビデはどこにいるか。」と尋ねた。すると、「今、ラマのナヨテにいます。」と言われた。サウルはそこからラマのナヨテへ出て行ったが、彼にも神の霊が臨み、彼は預言しながら歩いて、ラマのナヨテに着いた。彼もまた着物を脱いで、サムエルの前で預言し、一昼夜の間、裸のまま倒れていた。このために、「サウルもまた、預言者のひとりなのか。」と言われるようになった。
サウルがダビデを殺そうとする目論見は、再び失敗してしまいました。今度は主の霊ご自身が、ダビデを守られました。預言をさせることによって、です。
それにしても、悪い霊が送られているはずのサウルが、主の霊によって預言をするのですから、イエスさまの言葉を思い出します。「その日には、大ぜいの者がわたしに言うでしょう。『主よ、主よ。私たちはあなたの名によって預言をし、あなたの名によって悪霊を追い出し、あなたの名によって奇蹟をたくさん行なったではありませんか。』しかし、その時、わたしは彼らにこう宣告します。『わたしはあなたがたを全然知らない。不法をなす者ども。わたしから離れて行け。』(マタイ7:22−23)」御霊の賜物の現われがあるからと言って、主との関係が正しいとは限りません。
3A 友人の契約 20
こうしてダビデの身は守られましたが、ダビデはもう我慢できなくなってヨナタンに願い出ます。
1B 恵みの約束 1−17
1C ダビデの願い 1−10
ダビデはラマのナヨテから逃げて、ヨナタンのもとに来て言った。「私がどんなことをし、私にどんな咎があり、私があなたの父上に対してどんな罪を犯したというので、父上は私のいのちを求めておられるのでしょうか。」ヨナタンは彼に言った。「絶対にそんなことはありません。あなたが殺されるはずはありません。そうです。私の父は、事の大小を問わず、私の耳に入れないでするようなことはありません。どうして父が、このことを私に隠さなければならないでしょう。そんなことはありません。」
ダビデは、サウルの使者や、またサウル自身がナヨテに来たことを聞きつけたのでしょう。そこでそこにいるのは危ないと思って、ナヨテを出てきました。ヨナタンにこのことを話しましたが、ヨナタンは父からそのような話は聞いていない、父があなたを殺すようなことは私に話さないで行なわれるはずがない、と言っています。
ダビデはなおも誓って言った。「あなたの父上は、私があなたのご好意を得ていることを、よくご存じです。それで、ヨナタンが悲しまないように、このことを知らせないでおこう、と思っておられるのです。けれども、主とあなたに誓います。私と死との間には、ただ一歩の隔たりしかありません。」
ダビデは、サウルのことをよく言っています。ヨナタンを悲しませないために、言っておられないだけだ、とサウルをよく言っています。
するとヨナタンはダビデに言った。「あなたの言われることは、何でもあなたのためにしましょう。」ダビデはヨナタンに言った。「あすはちょうど新月祭で、私は王といっしょに食事の席に着かなければなりません。私を行かせて、三日目の夕方まで野に隠れさせてください。もし、父上が私のことをとがめられたら、おっしゃってください。『ダビデは自分の町ベツレヘムへ急いで行きたいと、しきりに頼みました。あそこで彼の氏族全体のために、年ごとのいけにえをささげることになっているからです。』と。もし、父上が『よし。』とおっしゃれば、このしもべは安全です。もし、激しくお怒りになれば、私に害を加える決心をしておられると思ってください。」
ダビデは本当にサウルに自分を殺す意思があるかどうか、新月祭の食事によって確かめようとしています。新月祭は、律法で月の第一に行なうものとして定められていました(民数28:11−15)。ダビデが席をはずしていて、それで彼が自分の町ベツレヘムに戻っていることにして、それでサウルがどう出るか見てみましょう、ということです。
どうか、このしもべに真実を尽くしてください。あなたは主に誓って、このしもべと契約を結んでおられるからです。もし、私に咎があれば、あなたが私を殺してください。どうして私を父上のところにまで連れ出す必要がありましょう。」ヨナタンは言った。「絶対にそんなことはありません。父があなたに害を加える決心をしていることが確かにわかったら、あなたに知らせないでおくはずはありません。」
ヨナタンは、私は絶対にあなたとの契約を忘れない、必ず伝えに行きます、と言っています。
ダビデはヨナタンに言った。「もし父上が、きびしい返事をなさったら、だれが私に知らせてくれましょう。」
ダビデは伝達方法を聞いています。伝えると言っても、どうやって伝えるのか、ということです。
2C ヨナタンの願い 11−17
ヨナタンはダビデに言った。「さあ、野原に出ましょう。」こうしてふたりは野原に出た。ヨナタンはイスラエルの神、主に誓ってダビデに言った。「あすかあさってかの今ごろ、私は父の気持ちを探ってみます。ダビデに対して寛大であれば、必ず人をやって、あなたの耳に入れましょう。もし父が、あなたに害を加えようと思っているのに、それをあなたの耳に入れず、あなたを無事に逃がしてあげなかったなら、主がこのヨナタンを幾重にも罰せられるように。主が私の父とともにおられたように、あなたとともにおられますように。」
決して契約を破ることはない、必ず伝えるとまた確認しています。
もし、私が生きながらえておれば、主の恵みを私に施してください。たとい、私が死ぬようなことがあっても、あなたの恵みをとこしえに私の家から断たないでください。主がダビデの敵を地の面からひとり残らず断ち滅ぼすときも。」こうしてヨナタンはダビデの家と契約を結んだ。「主がダビデの敵に血の責めを問われるように。」ヨナタンは、もう一度ダビデに誓った。ヨナタンは自分を愛するほどに、ダビデを愛していたからである。
ここでヨナタンもダビデも、もしかしたらこれ以上会えなくなるのかもしれないと思ったのかもしれません。そして今、ヨナタンはずっと後の話をしていて、自分の息子、孫、子孫の話をしています。普通、王位がある人から他の人に移ると、新しく王になった者は、残された王の家族をみな殺します。王位を取り戻そうとして、自分に反逆する可能性が高いからです。けれどもヨナタンは、「あなたの恵みをとこしえに私の家から断たないでください」とお願いしています。殺さないでほしい、恵みをとどめていてほしい、とお願いしているのです。これは、後にサウルとヨナタンが死んでから、ヨナタンの子メフィボシェテによって実現します(2サムエル9章)。
ヨナタンとダビデには、このような堅い結束がありました。友としての愛がありました。サウルとの敵対関係によって、その子ヨナタンとダビデとの関係が反故にされることはありませんでした。これはちょうど、主イエス・キリストとその弟子との関係のようであります。イエスさまは言われました。「人がその友のためにいのちを捨てるという、これよりも大きな愛はだれも持っていません。わたしがあなたがたに命じることをあなたがたが行なうなら、あなたがたはわたしの友です。(ヨハネ15:13-14)」私たちがいかに大きな失敗をしようとも、失敗して罪を犯してしまっても、主の愛にとどまるなら、主の愛に立ち戻るならば、イエスさまは決して私たちを見放すことはなく、むしろ愛する友となってくださいます。愛する者のためにイエスさまは、ご自分のいのちを捨てられました。ここに友としての愛があり、ヨナタンもそのような愛をもってダビデを愛していました。
2B 永遠の証人 18−42
1C 子どもによるしるし 18−23
ヨナタンはダビデに言った。「あすは新月祭です。あなたの席があくので、あなたのいないのが気づかれるでしょう。あさってになれば、きびしく問いただすでしょうから、あなたは、あの事件の日に隠れたあの場所に行って、エゼルの石のそばにいてください。私は的を射るように、三本の矢をそのあたりに放ちます。いいですか。私が子どもをやって、『行って矢を見つけて来い。』と言い、もし私がその子どもに、『それ、矢はおまえのこちら側にある。それを取って来い。』と言ったら、そのとき、あなたは出て来てください。主は生きておられます。あなたは安全で、何事もありませんから。しかし、私が少年に、『それ、矢はおまえの向こう側だ。』と言ったら、あなたは行きなさい。主があなたを去らせるのです。私とあなたが交わしたことばについては、主が私とあなたとの間の永遠の証人です。」
サウルがどう反応するかそれを知らせるのに、子供を使います。矢がこっち側にあるとヨナタンが言えば、出てきてもよい、あなたは安全だというしるしであり、向こう側だったら、それは主があなたを去らせるしるしである、ということにしました。
2C 痛む心 24−34
こうしてダビデは野に隠れた。新月祭になって、王は食事の席に着いた。王は、いつものように壁寄りの席の自分の席に着いた。ヨナタンはその向かい側、アブネルはサウルの横の席に着いたが、ダビデの場所はあいていた。
新月祭のときは、このように言わば、高官たちの間での食事会になっていました。将軍アブネルも同席していました。
その日、サウルは何も言わなかった。「あれに思わぬことが起こって身を汚したのだろう。きっと汚れているためだろう。」と思ったからである。
レビ記22章3節から7節に、儀式的な理由による汚れについて書いてあります。例えば死体に触れたら、汚れます。けれども次の日になればきよくなります。
しかし、その翌日、新月祭の第二日にも、ダビデの席があいていたので、サウルは息子のヨナタンに尋ねた。「どうしてエッサイの子は、きのうも、きょうも食事に来ないのか。」ヨナタンはサウルに答えた。「ベツレヘムへ行かせてくれと、ダビデが私にしきりに頼みました。『どうか、私を行かせてください。私たちの氏族はあの町で、いけにえをささげるのですが、私の兄弟が私に来るように命じています。今、お願いします。どうか私を行かせて、兄弟たちに会わせてください。』と言ったのです。それでダビデは王の食卓に連ならないのです。」サウルはヨナタンに怒りを燃やして言った。「このばいたの息子め。おまえがエッサイの子にえこひいきをして、自分をはずかしめ、自分の母親の恥をさらしているのを、この私が知らないとでも思っているのか。エッサイの子がこの地上に生きているかぎり、おまえも、おまえの王位も危うくなるのだ。今、人をやって、あれを私のところに連れて来い。あれは殺さなければならない。」
ダビデがベツレヘムに戻っていることを知ったとたん、サウルがまた気違いになりました。自分の家から王位が離れて、ダビデの家に行くではないか!と叫んでいます。このようなちょっとしたことで、彼はダビデを殺す衝動にかられました。
ヨナタンは父サウルに答えて言った。「なぜ、あの人は殺されなければならないのですか。あの人が何をしたというのですか。」すると、サウルは槍をヨナタンに投げつけて打ち殺そうとした。それでヨナタンは、父がダビデを殺そうと決心しているのを知った。ヨナタンは怒りに燃えて食卓から立ち上がり、新月祭の二日目には食事をとらなかった。父がダビデを侮辱したので、ダビデのために心を痛めたからである。
たとえ自分の父親であっても、自分の友をあのように言うとは・・・と心を痛め、怒りに燃えたのでしょう。
3C 主にある別れ 35−42
朝になると、ヨナタンは小さい子どもを連れて、ダビデと打ち合わせた時刻に野原に出て行った。そして子どもに言った。「私が射る矢を見つけておいで。」子どもが走って行くと、ヨナタンは、その子の向こうに矢を放った。子どもがヨナタンの放った矢の所まで行くと、ヨナタンは子どものうしろから叫んで言った。「矢は、おまえより、もっと向こうではないのか。」ヨナタンは子どものうしろから、また叫んだ。「早く。急げ。止まってはいけない。」その子どもは矢を拾って、主人ヨナタンのところに来た。子どもは何も知らず、ヨナタンとダビデだけに、その意味がわかっていた。ヨナタンは自分の弓矢を子どもに渡し、「さあ、これを町に持って行っておくれ。」と言った。
約束どおり、子供をつかって合図しました。
子どもが行ってしまうと、ダビデは南側のほうから出て来て、地にひれ伏し、三度礼をした。ふたりは口づけして、抱き合って泣き、ダビデはいっそう激しく泣いた。ヨナタンはダビデに言った。「では、安心して行きなさい。私たちふたりは、『主が、私とあなた、また、私の子孫とあなたの子孫との間の永遠の証人です。』と言って、主の御名によって誓ったのです。」こうしてダビデは立ち去った。ヨナタンは町へ帰って行った。
ここでヨナタンとダビデは別れます。二人はもう一度、ダビデが逃亡中にヨナタンがやってきてくれることによって、会うことができます(1サムエル23:16−18)。その後はもう会うことはありません。そしてヨナタンは、ペリシテ人との戦いで死にました(1サムエル31:2)。けれども、二人の契約はそれで破棄されることはありません。愛によってしっかりと結び付けられているからです。
これが神が私たちにキリストにあって持っておられる愛です。私たちが何か間違ったことをしたからといって、怒って去っていってしまうような愛ではありません。無条件の愛です。私たちが知らなければいけないことは、御霊に導かれていくとサウルのように、悪魔が挑みかかってくる、そして自分が試みにあう、ということです。その戦いの中に永遠の契約、変わらぬ愛があるのです。
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