サムエル記第一20章 「友の契約」
アウトライン
1A 互いに知らせる働き 1−23
1B ダビデからヨナタン 1−4
2B 二人の契約 5−17
3B ヨナタンからダビデ 18−23
2A 互いにしか知らない悲しみ 24−42
1B 「エッサイの子」という侮蔑 24−34
2B 御名による誓い 35−42
本文
サムエル記第一20章を読みます。私たちはこれまで、サウルが王として選らばれたけれども、神が彼を退けて、ダビデに油注がれた話を読んできました。ダビデがゴリヤテを打った時に、神の御名があらゆる強力な武器よりも力強いことを表しました。ここから、御霊によってダビデを通して神の支配がイスラエルに及び始めたところを見ました。彼がペリシテ人と戦って、連戦連勝であったとき、「主が彼とともにおられた」という言葉が書いてあります。神の国がこの地上で始まったと言ってもよいでしょう。
けれどもサウルは、人間の国を表していました。彼はダビデの活躍に恐れを抱きました。そして彼を何とかして殺そうと思うようになりました。「神に属する者がこの世にいれば、この世はその選ばれた者を憎む」という原則をここで見ます。キリストがこの地上に来られた時、その誕生の時からヘロデ王に恐れられ、成人されてからはユダヤ人指導者にねたみを買いました。
その中において、ヨナタンはゴリヤテとの戦いを見て、ダビデを愛するようになり、自分の上着と武具を彼に渡しました。こう書いてあります、「ヨナタンは、自分と同じほどにダビデを愛したので、ダビデと契約を結んだ。(18:3)」ヨナタンは、サウルの国にいながらにして、しかもサウルが自分の父であるにも関わらず、ダビデが神に選ばれた王になることをこのようにして示したのです。そして契約を結びました。それは彼がダビデを自分のように愛したからだ、とあります。これを福音書の中に当てはめれば、キリストに従う弟子たちであります。この世にあるものを捨てて、キリストを主として生きる決断をしました。そして、主は新しい契約を結んでくださり、彼らに永遠の位を保証してくださったのです。
今晩学ぶ箇所は、その「友としての契約」を見ていきます。
1A 互いに知らせる働き 1−23
1B ダビデからヨナタン 1−4
1 ダビデはラマのナヨテから逃げて、ヨナタンのもとに来て言った。「私がどんなことをし、私にどんな咎があり、私があなたの父上に対してどんな罪を犯したというので、父上は私のいのちを求めておられるのでしょうか。」2 ヨナタンは彼に言った。「絶対にそんなことはありません。あなたが殺されるはずはありません。そうです。私の父は、事の大小を問わず、私の耳に入れないでするようなことはありません。どうして父が、このことを私に隠さなければならないでしょう。そんなことはありません。」3 ダビデはなおも誓って言った。「あなたの父上は、私があなたのご好意を得ていることを、よくご存じです。それで、ヨナタンが悲しまないように、このことを知らせないでおこう、と思っておられるのです。けれども、主とあなたに誓います。私と死との間には、ただ一歩の隔たりしかありません。」4 するとヨナタンはダビデに言った。「あなたの言われることは、何でもあなたのためにしましょう。」
話は、サウルの中で増幅されるダビデへの殺意があります。彼は初め、ペリシテ人が彼を殺すようにしむけましたが、むしろそれはダビデの名声を広げることを助けるにしか過ぎませんでした。それでサウルは、ヨナタンと家来にダビデを殺すことを公言しました。ヨナタンはダビデに、一時、隠れて逃げているように頼みます。「私の父サウルは、あなたを殺そうとしています。それで、あしたの朝は、注意して、隠れ場にとどまり、身を隠していてください。私はあなたのいる野原に出て行って、父のそばに立ち、あなたのことについて父に話しましょう。何かわかったら、あなたに知らせましょう。(19:2-3)」そしてヨナタンは父を説得します。父は誓って、「あれは殺されることはない。」と言いました。
ところが、主からの悪い霊が彼にまた臨んで、琴を弾いているダビデに槍を投げつけました。ダビデは逃げました。そして夜のうちに、サウルは使者たちを遣わし、ダビデの寝室で彼を殺すように命じました。けれども、ダビデの妻ミカルが何とかして彼を逃しました。それから、ダビデはサムエルのいるラマのナヨテに逃げて、隠れました。サウルは人を送るものの、そこで神の霊が臨んで預言をするばかりで、痺れを切らしたサウルは自分自身が行きましたが、彼自身も恍惚状態になって預言するだけでした。このように、ダビデに対するサウルの敵意はますます拡大・増幅していったのです。
それでここでダビデはヨナタンに、サウルが自分に対して殺意を持っていることを知らせました。ヨナタンは驚きました。もし父がダビデにそのような思いを持っているのであれば、自分に知らせないわけがないと思っていたからです。けれどもダビデは、「それは、あなたが私のことを良く思っているのを父上が知っているので、それで悲しませたくないので知らせないでいるのだ。」と答えています。
この章における、繰り返されて使われている言葉がいくつかあります。一つは「知る」とか「知らせる」という言葉です。ダビデとサウルの間には、サウルがダビデに殺意があることが知られています。そしてヨナタンとサウルの間には、何かあれば必ず伝えるはずだ、ということが知られています。けれども、ヨナタンがダビデを愛していることを、サウルが知っているのを知りませんでした。これらの三者にある真意を確かめるために話が展開していきます。
それから、「誓う」ということばです。サウルがヨナタンに自分の殺意を伝えていないだけだ、ということを誓って話し、そして自分が死ぬ危険が非常に近づいていることも誓って話しています。旧約聖書を学んでいる人は、「誓う」という行為が軽々しく行なってはいけないことを知っています。「あなたの神、主に誓願をするとき、それを遅れずに果たさなければならない。あなたの神、主は、必ずあなたにそれを求め、あなたの罪とされるからである。もし誓願をやめるなら、罪にはならない。あなたのくちびるから出たことを守り、あなたの口で約束して、自分から進んであなたの神、主に誓願したとおりに行なわなければならない。(申命記23:21-23)」したがって、ダビデが行なっているのは文字通り「真剣」なのです。日本語で「真剣」は、「本物の剣」という意味ですね。ダビデも、ヨナタンも、もし自分が約束したことを守らなかったら、主が自分を幾重にも罰してくださるように、と言っています。
2B 二人の契約 5−17
5 ダビデはヨナタンに言った。「あすはちょうど新月祭で、私は王といっしょに食事の席に着かなければなりません。私を行かせて、三日目の夕方まで野に隠れさせてください。20:6 もし、父上が私のことをとがめられたら、おっしゃってください。『ダビデは自分の町ベツレヘムへ急いで行きたいと、しきりに頼みました。あそこで彼の氏族全体のために、年ごとのいけにえをささげることになっているからです。』と。20:7 もし、父上が『よし。』とおっしゃれば、このしもべは安全です。もし、激しくお怒りになれば、私に害を加える決心をしておられると思ってください。
今ここでヨナタンがサウルの真意を知るために、ダビデが具体的にサウルを試す機会を考えました。新月祭は、主がイスラエルの民に命じられた、月の初めに行なう祭りです。民数記28章に書かれています。ダビデは、新月祭の時は王の食事に席に招かれています。彼はサウルの家来であるだけでなく、サウルにとって婿です。けれども、そこでダビデがベツレヘムに行ったことにします。サムエル記第一1章にもありましたが、ハンナの家族は年に一度シロに上って、主を礼拝していました。同じように家族ごとに、年に一度の主へのいけにえをささげるようにしてある、とします。つまりサウルの家に仕える者としてよりも、自分の父エッサイの家に仕える行為を少し見せるわけです。それでサウルがどう反応するのかを見るのです。
20:8 どうか、このしもべに真実を尽くしてください。あなたは主に誓って、このしもべと契約を結んでおられるからです。もし、私に咎があれば、あなたが私を殺してください。どうして私を父上のところにまで連れ出す必要がありましょう。」20:9 ヨナタンは言った。「絶対にそんなことはありません。父があなたに害を加える決心をしていることが確かにわかったら、あなたに知らせないでおくはずはありません。」20:10 ダビデはヨナタンに言った。「もし父上が、きびしい返事をなさったら、だれが私に知らせてくれましょう。」
8節の「真実」は、「ヘセド」と呼ばれるヘブル語です。「恵み」「愛」「憐れみ」とも訳されている言葉です。英語では”kindness”つまり「親切」です。これは「真実の愛」「契約に基づく愛」と言っても良いでしょう。ですから、ダビデは次に「あなたは主に誓って、このしもべと契約を結んでおられる」と言っています。
「契約」という言葉は元々、「絶つ」という意味があります。アブラハムに主が、彼の子孫を夜空の星のようにすると約束し、それからカナン人の地を彼の所有とすると約束されたときに、アブラハムは「どのようにして、それを知ることができるでしょう。」と尋ねました。神は、牛と羊と鳩を用意するように命じられました。そして、鳥は切り裂きませんでしたが、羊と牛は真っ二つに切り裂き、その半分を互いに向かい合わせにしました。主は夜に、たいまつの火によってその間を通り過ぎて、確かにエジプトの川からユーフラテス川までをあなたの子孫に与える、と約束されました。この「切り裂く」行為が契約の元々の意味です。切り裂かれた間を通るのは、契約を破ればこのようにされることを表すものでした。神は一方的にアブラハムと契約を結ばれ、土地への約束を実現することへの確証を与えられました。
ここで考えなければいけないのが、私たちに対するキリストの契約です。キリストが示された愛がどのようなものであったかを考えます。この方は私たちに、ご自分の血を流すことによって、それを新しい契約の印とされました。私たちが自分で行うところに従えば契約など決して守れないのですが、この方は私たちを愛して、私たちが守ることのできるような契約にしてくださったのです。アブラハムにかつて与えてくださったような契約、一方的な契約です。そして、私たちはその愛の契約に結ばれています。私たちのしなければいけないことは、この方を信じることです。流された血の印を生涯見つめ続けることです。
ヨナタンは、ダビデの申し出に答えています。契約を結んでいるのだから、サウルに殺意のあることが分かったら、必ず知らせると告げました。けれどもダビデは、監視のある中でどのようにヨナタンがダビデにそのことを知らせればよいのかと尋ねています。それで今度はヨナタンのほうから案を出します。
20:11 ヨナタンはダビデに言った。「さあ、野原に出ましょう。」こうしてふたりは野原に出た。20:12 ヨナタンはイスラエルの神、主に誓ってダビデに言った。「あすかあさってかの今ごろ、私は父の気持ちを探ってみます。ダビデに対して寛大であれば、必ず人をやって、あなたの耳に入れましょう。20:13 もし父が、あなたに害を加えようと思っているのに、それをあなたの耳に入れず、あなたを無事に逃がしてあげなかったなら、主がこのヨナタンを幾重にも罰せられるように。主が私の父とともにおられたように、あなたとともにおられますように。
この野原は、二人が会うところとして以前使ったところです。ヨナタンがダビデに、しばらく隠れていなさいと言った所でしょう。二人だけしか、二人がそこで会うことを知っていません。昔、カインがアベルに対して、「野に行こうではないか。」と言ってアベルを連れ出し、そしてアベルを殺しました。これは、兄弟だけの時間を持つという親愛の意味合いがあったものと思われます。つまり、カインは兄弟愛を使って、裏切り行為を行ったのです。けれども、そのような二人だけが知るところにヨナタンは連れて行きました。
二人だけが知るもの、これが、友であることの証拠です。先ほど取り上げたアブラハムについて、神はご自分の友と呼ばれました(イザヤ41:8)。神がご自分の約束をアブラハムにお見せになることを憚りませんでした。主がアブラハムにソドムとゴモラを破滅させることを話される前に、「わたしがしようとしていることを、アブラハムに隠しておくべきだろうか。(創世18:17)」と言われました。友であるから、知らせないでいることはできなかったのです。
驚くことは、イエスが弟子たちに対して、同じことをしておられることです。「人がその友のためにいのちを捨てるという、これよりも大きな愛はだれも持っていません。わたしがあなたがたに命じることをあなたがたが行なうなら、あなたがたはわたしの友です。わたしはもはや、あなたがたをしもべとは呼びません。しもべは主人のすることを知らないからです。わたしはあなたがたを友と呼びました。なぜなら父から聞いたことをみな、あなたがたに知らせたからです。(ヨハネ15:13-15)」私たちがこれほどまでに愛され、これほどまでに主から慕われているのであれあば、私たちはこの方の言われることを行なっていきたいと願います。
ヨナタンは、この野原でサウルが取った反応を知らせることを約束しました。そしてお願いをします。
20:14 もし、私が生きながらえておれば、主の恵みを私に施してください。たとい、私が死ぬようなことがあっても、20:15 あなたの恵みをとこしえに私の家から断たないでください。主がダビデの敵を地の面からひとり残らず断ち滅ぼすときも。」20:16 こうしてヨナタンはダビデの家と契約を結んだ。「主がダビデの敵に血の責めを問われるように。」
ヨナタンは知っていました。ダビデがイスラエルの王であることを知っていました。したがって、普通であるならば先の王家は滅ぼされます。けれども、そうせずに私たちに「恵み」を施してくださいとお願いしています。これが先ほどと同じ「ヘセド」という言葉です。これは、後にサウルとヨナタンが死んでから、ヨナタンの子メフィボシェテによって実現します(2サムエル9章)。
似たように恵みを施すよう願った人が昔にもいました。エリコに住む遊女ラハブです。彼女は偵察に来たイスラエル人をかくまいました。彼女はこう言いました。「どうか、私があなたがたに真実を尽くしたように、あなたがたもまた私の父の家に真実を尽くすと、今、主にかけて私に誓ってください。そして、私に確かな証拠を下さい。私の父、母、兄弟、姉妹、また、すべて彼らに属する者を生かし、私たちのいのちを死から救い出してください。(ヨシュア2:12-13)」主がエリコの町を滅ぼされることは知っています。けれども真実を尽くしてください、私たちをその滅びから救い出してくださいという願いです。
ヨナタンのダビデに対する思いもこれと同じで、自分たちは滅ぼされて当然なのだが、どうか恵みを施してください、その中に入れてくださいという強い願いなのです。これがまさに、この世に生きる私たちが、主イエス・キリストに対してかける思いと同じです。この世は神が裁き、滅ぼされます。けれども、私はあなたとの契約の中に入ります。ゆえに、私をこの滅びから免れさせてくださいという願いです。そしてその願いに基づいて契約が結ばれているのです。ヨナタンには、ダビデの恵みによってその相続が守られたように、私たちも、主イエス・キリストの恵みによって、自分の相続が神の国で守られているのです。
3B ヨナタンからダビデ 18−23
18 ヨナタンはダビデに言った。「あすは新月祭です。あなたの席があくので、あなたのいないのが気づかれるでしょう。20:19 あさってになれば、きびしく問いただすでしょうから、あなたは、あの事件の日に隠れたあの場所に行って、エゼルの石のそばにいてください。20:20 私は的を射るように、三本の矢をそのあたりに放ちます。20:21 いいですか。私が子どもをやって、『行って矢を見つけて来い。』と言い、もし私がその子どもに、『それ、矢はおまえのこちら側にある。それを取って来い。』と言ったら、そのとき、あなたは出て来てください。主は生きておられます。あなたは安全で、何事もありませんから。20:22 しかし、私が少年に、『それ、矢はおまえの向こう側だ。』と言ったら、あなたは行きなさい。主があなたを去らせるのです。20:23 私とあなたが交わしたことばについては、主が私とあなたとの間の永遠の証人です。」
ヨナタンとダビデが、実際の会話を交わせば非常に危険です。そこでヨナタンは、ダビデとの間でしか分からない合図を作りました。子供に矢を取りに行かせて、大丈夫であれば、子供の手前で矢が落ちたことを告げ、サウルが殺すことを意図しているのであれば、子供の向こう側に矢を放ちます。
そしてヨナタンは、「主が私とあなたとの間の永遠の証人です。」と言いました。ヨナタンは、これをロマンチックに話しているのではありません。これはダビデが王座に着き、そしてその王座が永遠に続くという神のご計画を前もって預言しているのです。ダビデの子キリストに対して、私たちは永遠の契約を結びました。決して変更されることのない、とこしえまで続く契約を神はキリストにあって私たちと結んでくださいました。
2A 互いにしか知らない悲しみ 24−42
次から、二人は計画を実行に移します。
1B 「エッサイの子」という侮蔑 24−34
24 こうしてダビデは野に隠れた。新月祭になって、王は食事の席に着いた。20:25 王は、いつものように壁寄りの席の自分の席に着いた。ヨナタンはその向かい側、アブネルはサウルの横の席に着いたが、ダビデの場所はあいていた。
四人の食事の席でした。サウルは比較的、敵から襲われる可能性の低い壁寄りの席についています。そしてアブネルはサウルの将校です。
20:26 その日、サウルは何も言わなかった。「あれに思わぬことが起こって身を汚したのだろう。きっと汚れているためだろう。」と思ったからである。
儀式的に汚れることがあります。レビ記には、例えば死体に触れてしまったら、水洗いをし、その日の夕方になるまでは汚れていると宣言されています。おそらく、何らかの事情で汚れたのだろうとサウルは思っていました。
20:27 しかし、その翌日、新月祭の第二日にも、ダビデの席があいていたので、サウルは息子のヨナタンに尋ねた。「どうしてエッサイの子は、きのうも、きょうも食事に来ないのか。」20:28 ヨナタンはサウルに答えた。「ベツレヘムへ行かせてくれと、ダビデが私にしきりに頼みました。20:29 『どうか、私を行かせてください。私たちの氏族はあの町で、いけにえをささげるのですが、私の兄弟が私に来るように命じています。今、お願いします。どうか私を行かせて、兄弟たちに会わせてください。』と言ったのです。それでダビデは王の食卓に連ならないのです。」20:30 サウルはヨナタンに怒りを燃やして言った。「このばいたの息子め。おまえがエッサイの子にえこひいきをして、自分をはずかしめ、自分の母親の恥をさらしているのを、この私が知らないとでも思っているのか。
自分の息子に対するものすごい侮辱です。サウルが初めに「エッサイの子は」と尋ねています。ダビデとは言っていません、ここからダビデの血筋が貧しく、卑しいものであることをほのめかしているのです。そしてヨナタンが、ベツレヘムにダビデが行ったというものですから、サウルは爆発して、なんとヨナタンの母を「ばいた」と呼んでいるのです。ヨナタンがダビデに良くしていることは、ダビデが言ったとおりにサウルの耳に入っていました。それでサウルはますます怒っているのです。
20:31 エッサイの子がこの地上に生きているかぎり、おまえも、おまえの王位も危うくなるのだ。今、人をやって、あれを私のところに連れて来い。あれは殺さなければならない。」
ここにサウルの本音が出ています。サウルはダビデが王になることをもう知っていました。自分が退かれて、けれどもダビデを代わりにイスラエルの王としたことを知っていました。それで、神からの悪い霊によって触発されて、ダビデを殺さなければいけないことを思っているのです。
これは恐ろしいことですが、実はキリストを殺そうと考えていたユダヤ人指導者の思いにも働いていました。イエス様に対して彼らが、「私たちはアブラハムの子孫です」と言いました。イエス様の素性にも彼らは触れていたことがあります。サウルと同じように。けれどもイエス様は、「アブラハムの子であるならば、アブラハムの行ないをしなさい。なぜわたしを殺そうとするのか?」と言われ、さらに、「あなたがたは、あなたがたの父である悪魔から出た者であって、あなたがたの父の欲望を成し遂げたいと願っているのです。悪魔は初めから人殺しであり、真理に立ってはいません。(ヨハネ8:44)」彼らの高慢の背後に、そしてねたみと殺意には悪魔が働いていました。
なぜでしょうか?イエスが事実、イスラエルの王キリストになることを阻もうとしたからです。残念なことに、この世には明らかに神が生きておられることを知っているのに、それに対抗して、いつまでもイエスに従わない人々がたくさんいます。その反抗と反発によって、ますます敵の仕業に利用されています。
20:32 ヨナタンは父サウルに答えて言った。「なぜ、あの人は殺されなければならないのですか。あの人が何をしたというのですか。」20:33 すると、サウルは槍をヨナタンに投げつけて打ち殺そうとした。それでヨナタンは、父がダビデを殺そうと決心しているのを知った。20:34 ヨナタンは怒りに燃えて食卓から立ち上がり、新月祭の二日目には食事をとらなかった。父がダビデを侮辱したので、ダビデのために心を痛めたからである。
ここにサウルが、ヨナタンを自分の息子とする愛以上に、ダビデを殺す意志が勝っていることをヨナタンは見ました。
2B 御名による誓い 35−42
35 朝になると、ヨナタンは小さい子どもを連れて、ダビデと打ち合わせた時刻に野原に出て行った。20:36 そして子どもに言った。「私が射る矢を見つけておいで。」子どもが走って行くと、ヨナタンは、その子の向こうに矢を放った。20:37 子どもがヨナタンの放った矢の所まで行くと、ヨナタンは子どものうしろから叫んで言った。「矢は、おまえより、もっと向こうではないのか。」20:38 ヨナタンは子どものうしろから、また叫んだ。「早く。急げ。止まってはいけない。」その子どもは矢を拾って、主人ヨナタンのところに来た。
ヨナタンの声がかなり強くなっています。彼の心の悲しみがよく表れています。
20:39 子どもは何も知らず、ヨナタンとダビデだけに、その意味がわかっていた。20:40 ヨナタンは自分の弓矢を子どもに渡し、「さあ、これを町に持って行っておくれ。」と言った。20:41 子どもが行ってしまうと、ダビデは南側のほうから出て来て、地にひれ伏し、三度礼をした。ふたりは口づけして、抱き合って泣き、ダビデはいっそう激しく泣いた。20:42 ヨナタンはダビデに言った。「では、安心して行きなさい。私たちふたりは、『主が、私とあなた、また、私の子孫とあなたの子孫との間の永遠の証人です。』と言って、主の御名によって誓ったのです。」こうしてダビデは立ち去った。ヨナタンは町へ帰って行った。
ダビデは、ヨナタンに自分の父との関係にひびが入るようなことをしてもらったことを感じ取っていました。そこで、彼は三度も彼にひれ伏しています。ヨナタンに対する強い敬意です。そして、友として抱き合って、激しく泣いています。そして最後にすばらしい、友としての言葉を残しています。「私たちふたりは、『主が、私とあなた、また、私の子孫とあなたの子孫との間の永遠の証人です。』と言って、主の御名によって誓ったのです。」
この後、ダビデは逃亡中に一度だけヨナタンと会います。そして、ついにヨナタンはペリシテ人との戦いでサウルと共に戦死しました。けれどもダビデは、サウル家に真実を尽くしました。サウルの死とヨナタンの死を悲しみ、将校アブネルとも、サウルの子とも平和を結ぼうとしました。サウルを殺したといったアマレク人を死刑にし、サウルの子を殺した者も死刑にしました。アブネルを殺したのは自分の将校ヨアブですが、彼はダビデの子ソロモンが死刑に処しています。そして、もちろんヨナタンの子メフィボシェテには、王と同じ食事を与え、彼の財産をそのままにしておいたのです。
ここに真実の愛、契約の愛があります。敵が来ようとも、それは私たちが何か良いことをしたからではなく、ただ私たちが新しい契約の中に入っているというだけで、私たちの敵を処罰してくださいます。私たちをキリスト・イエスが来られる日まで守ってくださいます。私たちの約束は、ペテロと同じように、命を捨てると言いながら、女中に言われた言葉でイエスを否定するような、肉の弱さをともなったものです。けれども、キリストの真実な愛、そして友と呼んでくださる愛によって生きるならば、私たちのうちにキリストが生き、働いてくださいます。