列王記第二11−12章 「霊的高慢」


アウトライン

1A 神の主権的守り 11
   1B 抹殺の危機 1−3
   2B 正義の勝利 4−16
   3B 霊的復興 17−21
2A 改革と堕落 12
   1B 神殿修理 1−16
   2B 神殿物盗難 17−21

本文

 列王記第二11章を開いてください、今日は11章と12章を学びます。ここでのテーマは、「霊的高慢」です。南ユダにおける、ヨアシュ王の生涯について見ていきます。

1A 神の主権的守り 11
1B 抹殺の危機 1−3
11:1 アハズヤの母アタルヤは、自分の子が死んだと知ると、ただちに王の一族をことごとく滅ぼした。

 私たちは前回の学びで、北イスラエルのエフーが、神がアハブ家をさばかれるための器として用いられたところを読みました。アハブ家は、アハブの妻イゼベルによってシドンの偶像バアルが持ち込まれ、イスラエルは最も神から離れるようになりました。そこで主はイスラエルの将軍であるエフーに油を注がれ、彼がイスラエルの王とアハブ家の者たち、またバアル信仰者を滅ぼしたのです。

 その時に、南ユダの王アハズヤも殺されました。彼は戦いで傷を負っていたイスラエルの王ヨラムを見舞いに来るためにイズレエルにやって来ていましたが、エフーは彼も殺しました。なぜなら、ユダの王もまたアハブの道に歩み、バアル信仰を自分の国に持ち込んでいたからです。アハズヤがバアル崇拝をした理由は、彼の母アタルヤにあります。アタルヤはアハブとイゼベルの娘です。彼女の影響力がユダの王家に浸透していたのです。

 自分の子アハズヤが死んだ今、彼女は独り、皇太后として残りました。彼女の側につく者たちはいなくなりました。そこで、アハズヤの後を継ぐ候補者であるアハズヤの息子たち、すなわち自分の孫息子らをことごとく滅ぼしていったのです。

 ここに、イゼベルから受け継いだ血があります。イゼベルはかつて、ヤハウェの預言者を次々と殺して、もはや主に忠実な者がほとんど残されていないのではないか、と思われたほど殺しました。そしてアタルヤもその残虐性を受け継いで、目的のためには手段を選ばない女になっていたのです。

 エフーがなぜ、アハブ家の末裔をことごとく打ち倒していったのかが、よく理解できます。少しでも残せば、その悪は伝染病のようにまたたくまに全体に広がり、全体を滅ぼすことになりかねないからです。使徒パウロが、「ほんのわずかのパン種が、粉のかたまり全体をふくまらせる(1コリント5:6」と言いました。

11:2 しかし、ヨラム王の娘で、アハズヤの姉妹のエホシェバが、殺される王の子たちの中から、アハズヤの子ヨアシュを盗み出し、彼とそのうばとを寝具をしまう小部屋に入れて、彼をアタルヤから隠した。それで、彼は殺されなかった。11:3 こうして、彼はうばとともに、主の宮に六年間、身を隠していた。その間、アタルヤがこの国の王であった。

 エホシェバは、おそらくはアタルヤではない異なる母を持っていたのでしょう、王子の独りだけ盗み出すのに成功しました。もし、このことがなければ、ダビデの末裔は完全に途絶えてしまい、つまりメシヤ出現の紐も絶たれることになります。しかし、神はそれをお許しになりませんでした。

 このように神の働きが失敗し、悪魔が勝利しているように見えるときがあります。けれども、決してそんなことはありません。主は必ず、ご自分のみこころを成就するために、独りの赤ん坊を守られたように守ってくださいます。そして、良い土地に蒔かれた種から、何十倍、百倍もの実を結ばせることがおできになるのです。

2B 正義の勝利 4−16
11:4 その第七年目に、エホヤダは使いを遣わして、カリ人、近衛兵の百人隊の長たちを主の宮の自分のもとに連れて来させ、彼らと契約を結び、主の宮で彼らに誓いを立てさせ、彼らに王の子を見せた。

 ヨアシュは主の宮で隠されていました。このことをその時の大祭司でるエホヤダは知っていました。そして時を待っていました。ヨアシュが七歳になってからです。この時に彼は、アタルヤにくみしていない忠実な兵士たちを集めました。

11:5 それから、彼は命じて言った。「あなたがたのなすべきことはこうです。あなたがたのうちの三分の一は、安息日に勤務して王宮の護衛の任務につく者となる。11:6 三分の一はスルの門におり、他の三分の一は近衛兵舎の裏の門にいる。あなたがたは交互に王宮の護衛の任務につく。11:7 あなたがたのうち二組は、みな、安息日に勤務しない者であるが、主の宮で王の護衛の任務につかなければならない。11:8 おのおの武器を手にし、王の回りを取り囲みなさい。その列を侵す者は殺されなければならない。あなたがたは、王が出るときにも、はいるときにも、いつも王とともにいなさい。」

 エホヤダは、ヨアシュを護衛の兵士らに見せ、この子が正統な王であるから、この王の護衛するように命じました。

11:9 百人隊の長たちは、すべて祭司エホヤダが命じたとおりに行なった。おのおの自分の部下、すなわち安息日に勤務する者、安息日に勤務しない者を率いて、祭司エホヤダのところに来た。11:10 祭司は百人隊の長たちに、主の宮にあったダビデ王の槍と丸い小盾を与えた。11:11 近衛兵たちは、ひとりひとり武器を手にして、神殿の右側から神殿の左側まで、祭壇と神殿に向かって王の回りに立った。

 ヨアシュが王の即位を受ける時に、護衛は主の宮のところに来て、そこで王を守りました。

11:12 こうしてエホヤダは、王の子を連れ出し、彼に王冠をかぶらせ、さとしの書を渡した。彼らは彼を王と宣言した。そして、彼に油をそそぎ、手をたたいて、「王さま。ばんざい。」と叫んだ。

 エホヤダが主の宮のところで、正式にヨアシュを王とします。王冠をかぶらせ、モーセ五書を手渡しました。

11:13 アタルヤは近衛兵と民の声を聞いて、主の宮の民のところに行った。11:14 見ると、なんと、王が定めのとおりに、柱のそばに立っていた。王のかたわらに、隊長たちやラッパ手たちがいた。一般の人々がみな喜んでラッパを吹き鳴らしていた。アタルヤは自分の衣服を引き裂き、「謀反だ。謀反だ。」と叫んだ。

 謀反はどちらでしょうか?とんでもない、ヨアシュではなくアタルヤ本人です。ヨアシュが正統な世継ぎの子であり、アタルヤは不当に王権を奪ったのです。

11:15 すると、祭司エホヤダは、部隊をゆだねられた百人隊の長たちに命じて言った。「この女を列の間から連れ出せ。この女に従って来る者は剣で殺せ。」祭司が「この女は主の宮で殺されてはならない。」と言ったからである。11:16 彼らは彼女を取り押えた。彼女が馬の出入口を通って、王宮に着くと、彼女はそこで殺された。

 主の宮は礼拝するところですから、ここで人が死んではいません。そこで彼女を外に引きずり出して殺しました。

3B 霊的復興 17−21
 そしてユダ国に霊的復興が起こります。

11:17 エホヤダは、主と王と民との間で、主の民となるという契約を結び、王と民との間でも契約を結んだ。

 すばらしいですね、私たちは主の所有の民である、主のものであるという契約を結びました。ある時には神さまで、またある時には自分ではなく、いつでも、どこでも、すべてが主、という契約です。

11:18 一般の人々はみなバアルの宮に行って、それを取りこわし、その祭壇とその像を徹底的に打ち砕き、バアルの祭司マタンを祭壇の前で殺した。祭司エホヤダは、主の宮の管理を定めた。

 これもすばらしいです、ヨシャパテがアハブと手を組んでしまったばかりに入り込んでしまったバアル信仰が、この時点で一掃されました。

11:19 彼は百人隊の長たち、カリ人、近衛兵たちとすべての一般の人々を率いた。彼らは王を主の宮から連れ下り、近衛兵の門を通って、王宮にはいった。彼は王を王座に着けた。11:20 一般の人々はみな喜び、この町は平穏であった。彼らはアタルヤを王宮で剣にかけて殺したからである。11:21 ヨアシュは七歳で王となった。

 一般の民も、アタルヤの治世には反対だったようです。これでようやく、悪の支配から解放された、まことの主を王とする支配が始まる、と思って喜んだことでしょう。

2A 改革と堕落 12
1B 神殿修理 1−16
12:1 ヨアシュはエフーの第七年に王となり、エルサレムで四十年間、王であった。彼の母の名はツィブヤといい、ベエル・シェバの出であった。12:2 ヨアシュは、祭司エホヤダが彼を教えた間はいつも、主の目にかなうことを行なった。

 主を愛するエホヤダの下の教育によって、ヨアシュも神を愛する子として育ちました。ただ、「祭司エホヤダが彼を教えた間はいつも」となっているところが、実は味噌です。エホヤダの養育から離れてからは、ヨアシュは変わってしまいます。

12:3 ただし、高き所は取り除かなかった。民はなおも、その高き所でいけにえをささげたり、香をたいたりしていた。

 これは、必ずしも偶像礼拝ではなく、ヤハウェなる神に対する礼拝でした。けれども、律法では、主が定められたところ、つまり神殿におけるいけにえのみが命じられていました。けれども、高き所でいけにえをささげることが習慣になっていて、しきたりのようになってしまい、人々はそれを変えられずにいたのです。私たちクリスチャンの間でも、昔からのしきたりを教会の中に取り入れてしまっている場合があります。言い伝えは人々の心深くに入り込んでいるので、それを変えるのは難しいです。けれども、本当に神の方法で礼拝をささげるなら、それを変えなければいけません。

12:4 ヨアシュは祭司たちに言った。「主の宮にささげられる聖別されたすべての金、すなわち、各人に割り当てを課せられた金や、自発的に主の宮にささげられるすべての金は、12:5 祭司たちが、めいめい自分の担当する者から受け取り、宮のどこかが破損していれば、その破損の修理にそれを当てなければならない。」

 ヨアシュは、主を第一にして、その宮を修理しなければいけないと考えました。歴代誌によりますと、彼の祖母アタルヤが神の宮を打ち壊し、バアルのために用いていました(2歴代24:7)。

 宮に納められる金を修理費に充填しなければいけない、と命じています。「各人に割り当てを課せられた金」というのは、イスラエルの人口調査のために各人が持ってこなければいけない贖い金であり、半シェケルであると、出エジプト記30章に書かれています。「自発的にささげられる金」は、誓願を立てたりするときに持ってくるお金でレビ記27章に書かれています。これらは祭司の生活に宛がわれますが、これを修理金にしなさいと命じているのです。

12:6 しかし、ヨアシュ王の第二十三年になっても、祭司たちは宮の破損を修理しなかった。12:7 それでヨアシュ王は、祭司エホヤダと、祭司たちを呼んで彼らに言った。「なぜ、宮の破損を修理しないのか。もう、あなたがたは、自分の担当する者たちから金を受け取ってはならない。宮の破損に、それを当てなければならないから。」12:8 祭司たちは、民から金を受け取らないことと、宮の破損の修理の責任を持たないこととに同意した。

 祭司らは、自分たちの生活から主の宮のためのお金を出したくなかったようです。ヨアシュ王が三十歳になったとき、まだ修理が行なわれていませんでした。

 そして、ヨアシュが祭司エホヤダに命令しているところに注目してください。ヨアシュはすでに、エホヤダの養育から離れ、霊的な事柄においても識別力を働かせているほど成熟していました。霊的な親でもあるエホヤダに命じるほど、彼は王として、また霊の人ととして成長していたのです。

12:9 祭司エホヤダは、一つの箱を取り、そのふたに穴をあけ、それを祭壇のわき、主の宮の入口の右側に置いた。入口を守る祭司たちは、主の宮に収められる金をみな、そこに置いた。12:10 箱の中に金が多くなるのを見て、王の書記と大祭司は、上って来て、それを袋に入れ、主の宮に収められている金を計算した。

 エホヤダは、献金箱を設けることによって宮の修繕のための特別献金枠を設けました。そうしたら、人々からどんどん金のささげものが持ち込まれて、箱がいっぱいになりました。いっぱいになったら、箱から取り出して金を計算し、また箱を空にして金を入れてもらうようにしました。

12:11 こうして、勘定された金は、主の宮で工事をしている監督者たちの手に渡された。彼らはそれを主の宮で働く木工や建築師たち、12:12 石工や石切り工たちに支払い、また、主の宮の破損修理のための木材や切り石を買うために支払った。つまり、宮の修理のための出費全部のために支払った。

 お金は大工や石工に支払われました。

12:13 ただし、主の宮に納められる金で、主の宮のために銀の皿、心切りばさみ、鉢、ラッパなど、すべての金の器、銀の器を作ることはなかった。12:14 ただ、これを工事する者に渡し、これを主の宮の修理に当てた。

 歴代誌によりますと、金の余剰が出たのでそれを祭具にあてがっていたようです。

12:15 また、工事する者に支払うように金を渡した人々と、残高を勘定することもしなかった。彼らが忠実に働いていたからである。

 すばらしいですね、王だけではなく職人の間に、金銭について潔白を保っていました。

12:16 罪過のためのいけにえの金と、罪のためのいけにえの金とは、主の宮に納められず、祭司たちのものとなった。

 贖い金や誓願のささげものなどはみな、修繕のために使われましたが、祭司の生活費のために、罪過と罪のためのいけにえの金が使われました。

2B 神殿物盗難 17−21
 ここまで読むと、ヨアシュ王は善い王のように見えますが、彼の後世はそうではありませんでした。

12:17 そのとき、アラムの王ハザエルが上って来てガテを攻め、これを取った。それから、ハザエルはエルサレムを目ざして攻め上った。

 前回の学びで、ハザエルが主君ベン・ハダデを殺して王となったところを読みました。彼はエリシャに、自分が残虐な仕打ちをイスラエルに対して行なうことを預言されましたが、今、イスラエルを攻め、さらにユダにまで攻めて来ています。ガテは、イスラエル南部の沿岸地域にある町で、ペリシテ人の町として有名なところであったことを覚えているでしょうか、そこまで攻めてきていました。それから、エルサレムを攻めます。

12:18 それでユダの王ヨアシュは、自分の先祖であるユダの王ヨシャパテ、ヨラム、アハズヤが聖別してささげたすべての物、および自分自身が聖別してささげた物、主の宮と王宮との宝物倉にあるすべての金を取って、アラムの王ハザエルに送ったので、ハザエルはエルサレムから去って行った。

 なんとヨアシュは、自分たちの神であるヤハウェに、敵からの救いを祈り求めるのではなく、主の宮にある金をかすめ奪い、それをハザエルに上呈しました。霊的堕落です。歴代誌には、ヨアシュがどのように堕落したかその経緯が書かれています。エホヤダが死んだ後、ヨアシュのところにユダのかしらたちがやって来て、彼を伏し拝んだ、とあります。彼はその礼拝を受け取りました。さらに、ユダのかしらたちはアシュラ像などの偶像礼拝を行ない始めました。このことを警告した、エホヤダの子ゼカリヤはヨアシュによって殺されました。そして、ハザエルの軍勢がエルサレムに攻めて来たのです。

 ヨアシュがなぜ、このように堕落してしまったのでしょうか?非常に霊的な環境の中に幼いころから入れられて、大人になってからも霊的な改革を行なっていたのに、どうしてでしょうか?一言でいえば、「高ぶり」です。これはヨアシュだけでなく、他のユダの王たちも陥った過ちであることに気づきます。最初のころは、主に対して熱心だったけれども、主が国を繁栄させ力を増し加えてくださるにしたがって、主ではなく自分を信じるようになり、自分の力でこの国が成り立っているのだと考えていくようになります。北イスラエルでは完全に主に離反している問題がありましたが、南ユダでは、その霊的な力が逆に仇となって、主の前におけるへりくだりを忘れてしまう問題があったのです。

 むろん、私たちは、肉においても霊においても汚れから離れるべきです。キリスト者として、聖なる生活を歩むことは、神からの命令です。けれども、信者に模範的な生活をして、健全な教えを持っているようになっている中で、いつの間にか、神さまの恵みに拠り頼み、必死にあわれみを請う謙虚さを失ってしまう危険があります。

 私たちはいつも、自分が主のみを自分の分け前としているのか、それとも、主に関する霊的環境に満足して、それに依存してしまっているかを吟味してみる必要があるでしょう。哀歌3章24節に、「主こそ、私の受ける分です」とあります。主を愛する牧者がいること、互いに愛する兄弟がいること、健全な家族があることなど、霊的な環境ではなく、ただ主のみを自分の分け前とし、日々、その新しいあわれみにすがっているかが問われます。

12:19 ヨアシュのその他の業績、彼の行なったすべての事、それはユダの王たちの年代記の書にしるされているではないか。12:20 ヨアシュの家来たちは立ち上がって謀反を起こし、シラに下って行くヨアシュをミロの家で打ち殺した。12:21 彼の家来シムアテの子ヨザバデとショメルの子エホザバデが彼を打った。それで彼は死んだ。人々は彼をダビデの町に先祖たちといっしょに葬った。彼の子アマツヤが代わって王となった。

 ヨアシュを殺した者どもは、後にヨアシュの子アマツヤによって殺されます。この謀反自体は悪です。しかし、それを招いたのはヨアシュ本人です。正義に支配された王のところに謀反は起こりません。みなが平和に暮らすことができるからです。支配者が指導者が道をそれますと、必ずこのような混乱が生じます。お祈りしましょう。


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