列王記第二13−15章 「崩される領域」


アウトライン

1A 主のあわれみ 13
   1B 悪人の祈り 1−13
   2B 最後の奇蹟 14−25
2A 罪の弄び 14
   1B 滅びに先立つ高ぶり 1−22
      1C 勝利の後の危険 1−7
      2C 悪循環 8−22
   2B 御名による助け 23−29
3A 泥沼化 15
   1B らい病の晩年 1−7
   2B 謀反から謀反 8−31
   3B 新しい敵 32−38

本文

 列王記第二13章を開いてください、今日は13章から15章までを学んでみたいと思います。ここでのテーマは、「崩される領域」です。続けて、主に背きつづけるイスラエルとユダの国が、その領土を削り取られる部分を読んでいきます。

1A 主のあわれみ 13
1B 悪人の祈り 1−13
13:1 ユダの王アハズヤの子ヨアシュの第二十三年に、エフーの子エホアハズがサマリヤでイスラエルの王となり、十七年間、王であった。

 私たちは前回、ユダのヨアシュ王の生涯について学びました。けれども今回は、北のイスラエル王国から話が始まります。北の王はエフーであったことを思い出してください。アハブ家を根絶やしにするために、神に用いられた器です。彼は28年という長い期間、王位に着いていましたが、死んでその子エホアハズが王となりました。

13:2 彼は主の目の前に悪を行ない、イスラエルに罪を犯させたネバテの子ヤロブアムの罪を犯し続けて、それをやめなかった。13:3 それで、主の怒りがイスラエルに向かって燃え上がり、主は彼らをアラムの王ハザエル、および、ハザエルの子ベン・ハダデの手にいつまでも渡しておられた。

 父エフーと同じように、エホアハズもヤロブアムの道を歩みました。それで、アラムすなわちシリヤに攻められ、従属していた、とあります。エフーが生きているときに、すでにハザエルによってヨルダン川東岸の地域がシリヤによって攻められていました。エホアハズの時は、その支配がさらに強固になったものと思われます。


13:4 しかし、エホアハズが主に願ったので、主はこれを聞き入れられた。アラムの王のしいたげによって、イスラエルがしいたげられているのを見られたからである。13:5 主がイスラエル人にひとりの救い手を与えられたとき、イスラエルの人々はアラムの支配を脱し、以前のように、自分たちの天幕に住むようになった。

 これは、ものすごい主のあわれみです。ヤロブアムの道を歩む悪人が、主に願ったことによって、主はそれを聞き入れました。その理由が、イスラエルがしいたげられているのが見るに耐えなかったからです。

 私たちは前回、神の義を求めたユダのヨアシュ王が晩年は高慢になって、自分の信仰の父である祭司エホヤダの子を殺すという罪を犯した話を聞きました。霊的にはすばらしい環境が備わっていたのに、それによって主とともに歩むのではなく、高ぶってしまった話でした。対照的に、どんなに悪人であっても、主は悔い改め、ご自分の名を呼ぶ者に、助けの御手を控えるような方ではないことをここでは観ることができます。詩篇には、「あなたの慈しみは大きく、天に満ち/あなたのまことは大きく、雲を覆います。(57:11新共同訳)」とあります。

13:6 それにもかかわらず、彼らはイスラエルに罪を犯させたヤロブアム家の罪を離れず、なおそれを行ない続け、アシェラ像もサマリヤに立ったままであった。13:7 また、アラムの王が彼らを滅ぼして、打穀のときのちりのようにしたので、エホアハズには騎兵五十、戦車十台、歩兵一万だけの軍隊しか残されていなかった。

 せっかく主がイスラエルに良くしてくださったのにもかかわらず、なおも罪から離れることをしなかったために、本当に弱められてしまいました。私たちは、主のあわれみがあるときに、その中に逃げるようにする必要があります。せっかく自分が罪から離れることができるのに、それを自分でみすみす逃してしまう愚かさです。

13:8 エホアハズのその他の業績、彼の行なったすべての事、およびその功績、それはイスラエルの王たちの年代記の書にしるされているではないか。13:9 エホアハズは彼の先祖たちとともに眠り、人々は彼をサマリヤに葬った。彼の子ヨアシュが代わって王となった。

13:10 ユダの王ヨアシュの第三十七年に、エホアハズの子ヨアシュがサマリヤでイスラエルの王となり、十六年間、王であった。

 時はまだ、ユダの王ヨアシュがまだ生きている頃です。時系列的には、前回学んだ12章の出来事の間に起こっていた出来事です。北イスラエルのエホアハズが死んだ後に、ユダの王と同名であるヨアシュが、代わって王となりました。

13:11 彼は主の目の前に悪を行ない、イスラエルに罪を犯させたネバテの子ヤロブアムのすべての罪から離れず、なおそれを行ない続けた。13:12 ヨアシュのその他の業績、彼の行なったすべての事、およびユダの王アマツヤと戦ったその功績、それはイスラエルの王たちの年代記の書にしるされているではないか。13:13 ヨアシュは彼の先祖たちとともに眠り、ヤロブアムがその王座に着いた。ヨアシュはイスラエルの王たちとともにサマリヤに葬られた。

 イスラエルの王ヨアシュの短い説明です。けれども、14節以降、また次の14章にも生前のヨアシュの姿が描かれています。

2B 最後の奇蹟 14−25
13:14 エリシャが死の病をわずらっていたときのことである。イスラエルの王ヨアシュは、彼のところに下って行き、彼の上に泣き伏して、「わが父。わが父。イスラエルの戦車と騎兵たち。」と叫んだ。

 エリシャが久しぶりに出てきました。ここで最後の記述になります。エリシャに死期が迫っていました。興味深いことですが、あれだけの奇蹟を行なうことができたエリシャは、自分の病を直すことはできませんでした。キリスト教の世界では、一部の人たちの間で、病気は信じれば必ず直される、直らなかったら祈りや信仰が足りない、というような教えが受け入れられていますが、それは誤りです。エリシャは、第一に、自分の益のために奇蹟の賜物を用いませんでした。他者のために、神の栄光を現わすために用いました。第二に、人がいやされるのは神の主権によるものです。完全に人がいやされるのは、罪が取り除かれるとき、つまり神の国に入るときであり、それまでは病は直るときもあれば、直らないときもあります。

 そしてイスラエルの王ヨアシュですが、彼はヤロブアムの道を歩んだ悪王でありましたが、エリシャが逝去することを悲しんでいます。「わが父、わが父」と言って、神の預言者を慕っています。そして「イスラエルの戦車と騎兵たち」と言って、神からエリシャに与えられた戦いの力を認めています。このヨアシュの信仰に対して、エリシャは応答します。

13:15 エリシャが王に、「弓と矢を取りなさい。」と言ったので、彼は弓と矢をエリシャのところに持って行った。13:16 彼はイスラエルの王に、「弓に手をかけなさい。」と言ったので、彼は手をかけた。すると、エリシャは自分の手を王の手の上にのせて、13:17 「東側の窓をあけなさい。」と言ったので、彼がそれをあけると、エリシャはさらに言った。「矢を射なさい。」彼が矢を射ると、エリシャは言った。「主の勝利の矢。アラムに対する勝利の矢。あなたはアフェクでアラムを打ち、これを絶ち滅ぼす。」

 エリシャは、神がヨルダン川東岸地域に占拠しているシリヤに打ち勝つことができる約束を、主にあって行ないました。

13:18 ついでエリシャは、「矢を取りなさい。」と言った。彼が取ると、エリシャはイスラエルの王に、「それで地面を打ちなさい。」と言った。すると彼は三回打ったが、それでやめた。13:19 神の人は彼に向かい怒って言った。「あなたは、五回、六回、打つべきだった。そうすれば、あなたはアラムを打って、絶ち滅ぼしたことだろう。しかし、今は三度だけアラムを打つことになろう。」

 エリシャが怒った理由は、ヨアシュが不信仰になっていたことです。シリヤに対する徹底的な打撃を加えることができるのに、ヨアシュはそのビジョンに完全に応答しませんでした。矢を三回打ったところで、「もうこれで十分だ」と思ったか「シリヤには勝つことができない」と思ったのか、それ以上打つのを思いとどまってしまいました。その不信仰にエリシャは怒ったのです。

 私たちも同じように、神の約束に対して、自分の思惑や不安などによって、思いとどまるときがあります。主は広く戸を開いておられるのに、その道をどんどん前進するのではなく現状維持を保とうと思ってしまうのです。主が開かれた戸は、徹底的に前進していなかえればいけません。そして、主が用意されたすべてのものを受け取る必要があります。

13:20 こうして、エリシャは死んで葬られた。モアブの略奪隊は、年が改まるたびにこの国に侵入していた。13:21 人々が、ひとりの人を葬ろうとしていたちょうどその時、略奪隊を見たので、その人をエリシャの墓に投げ入れて去って行った。その人がエリシャの骨に触れるや、その人は生き返り、自分の足で立ち上がった。

 最後の最後まで、エリシャは用いられました。死体になっているときでさえ、死人を生き返らせるという奇蹟を行ないました。

13:22 アラムの王ハザエルは、エホアハズの生きている間中、イスラエル人をしいたげたが、13:23 主は、アブラハム、イサク、ヤコブとの契約のために、彼らを恵み、あわれみ、顧みて、彼らを滅ぼし尽くすことは望まず、今日まで彼らから御顔をそむけられなかった。13:24 アラムの王ハザエルは死に、その子ベン・ハダデが代わって王となった。13:25 エホアハズの子ヨアシュは、その父エホアハズの手からハザエルが戦い取った町々を、ハザエルの子ベン・ハダデの手から取り返した。すなわち、ヨアシュは三度彼を打ち破って、イスラエルの町々を取り返した。

 話は、ヨアシュの父エホアハズが完全に滅ぼされなかったこと、またヨアシュが、エリシャが約束したとおり三度打ち破って、イスラエルの町々を取り返したこと、これらは彼らの良い行ないによるものではなく、「アブラハム、イサク、ヤコブとの契約のため」であると書かれています。主が、ご自分や結ばれた契約のゆえに、ご自分の名のゆえに、イスラエルに良くして下さいました。これを聖書では「神のあわれみ」と言い、特には祝福へと変わる「神の恵み」になるのです。

 私たちは、何か良いことが起これば、自分たちの今までのことを正当化する傾向があります。しかし、多くの場合、神がご自分の名のゆえにあわれんでおられることが実に多いのです。例えば、ダビデはバテ・シェバと姦淫の罪を犯して、夫ウリヤを殺す罪を犯しましたが、彼はその後バテ・シェバと離縁することなく、むしろ彼女をいたわり、子ソロモンをもたらしました。このソロモンがダビデの王座を受け継ぎました。神の恵みの現われです。けれどもそこで、ダビデが罪を犯したことを、実は神の導きだったのだ、と正当化することはできないのです。ダビデは一生涯、自分が犯した罪を悔いて、二度と同じ過ちを犯さないような、砕かれた、へりくだった心を持っていました。バテ・シェバを妻とし続けたのも、その悔い改めの実でありました。すべてこれは神のあわれみなのであって、神の導きなどと言って正当化はできません。

 自分が神の恵みによって今の自分がいるのだ、神のあわれみによって滅ぼされずに、生されているのだ、と知ることは非常に重要です。

2A 罪の弄び 14
 そして話は、北イスラエルから南ユダに移ります。

1B 滅びに先立つ高ぶり 1−22
1C 勝利の後の危険 1−7
14:1 イスラエルの王エホアハズの子ヨアシュの第二年に、ユダの王ヨアシュの子アマツヤが王となった。14:2 彼は二十五歳で王となり、エルサレムで二十九年間、王であった。彼の母の名はエホアダンといい、エルサレムの出であった。14:3 彼は主の目にかなうことを行なったが、彼の父祖、ダビデのようではなく、すべて父ヨアシュが行なったとおりを行なった。14:4 ただし、高き所は取り除かなかった。民はなおも、その高き所でいけにえをささげたり、香をたいたりしていた。

 アマツヤは父ヨアシュと同じく、高き所は取り除かなかったけれども、その他のことについては、心を尽くして主を愛し、主に仕えていました。

14:5 王国が彼の手によって強くなると、彼は自分の父、王を打った家来たちを打ち殺した。14:6 しかし、その殺害者の子どもたちは殺さなかった。モーセの律法の書にしるされているところによったのである。主はこう命じておられた。「父親が子どものために殺されてはならない。子どもが父親のために殺されてはならない。人が殺されるのは、ただ、自分の罪のためにでなければならない。」

 ここにアマツヤが、主の前に正しく生きようとしている姿が描かれています。父ヨアシュは、家来による謀反によって殺されました。それでアマルヤは王になりましたが、まだその時は王の周囲の中で力を持つには若すぎたのでしょう、彼は時を待っていて、支配力を強めたときに、その悪を行なった者どもを殺しました。けれども、子どもたちは殺さなかったのです、それはモーセの律法に書かれているからです。当時存在していた連座制に反して、彼は主の道を選びとったのでした。

14:7 アマツヤは塩の谷で一万人のエドム人を打ち殺し、セラを取り、その所をヨクテエルと呼んだ。今日もそうである。

 塩の谷というのは、死海の南東のところです。そして、セラ − これは「岩」という意味ですが −を取ったとありますが、これがヨクテエルと名づけられ、後にペトラと名づけられて、今日に至っています。今では、ヨルダン国の中にある観光地です。

2C 悪循環 8−22
 ところが父ヨアシュがそうであったように、アマツヤは高ぶりました。

14:8 そのとき、アマツヤは、エフーの子エホアハズの子、イスラエルの王ヨアシュに、使者を送って言った。「さあ、勝敗を決めようではないか。」

 こともあろうに、アマツヤは同胞の北イスラエルに戦いを挑みました。ところで、先ほど説明しましたが、その時のイスラエルの王はヨアシュです。13章で死んだことが書かれましたが、生前の時に起こった出来事が書かれています。

14:9 すると、イスラエルの王ヨアシュは、ユダの王アマツヤに使者を送って言った。「レバノンのあざみが、レバノンの杉に使者を送って、『あなたの娘を私の息子の嫁にくれないか。』と言ったが、レバノンの野の獣が通り過ぎて、そのあざみを踏みにじった。

 あざみはアマツヤのことです。そして杉は自分、ヨアシュのことです。そしてあざみが野獣によって踏みにじられるとは、いとも簡単に負かされるよ、という警告です。

14:10 あなたは、エドムを打ちに打って、それであなたの心は高ぶっている。誇ってもよいが、自分の家にとどまっていなさい。なぜ、争いをしかけてわざわいを求め、あなたもユダも共に倒れようとするのか。

 悪王であったヨアシュですが、ここで大事な真理を語っています。まず、「誇ってもよいが、自分の家にとどまっていよ」ということです。口語訳や新共同訳には、「その栄誉に満足して」と訳されています。エドムに勝ったことを十分に喜んで、それで満足すれば良いではないか?と、問いかけているのです。ガラテヤ書に、パウロはこのことについて話しています。「だれでも、りっぱでもない自分を何かりっぱでもあるかのように思うなら、自分を欺いているのです。おのおの自分の行ないをよく調べてみなさい。そうすれば、誇れると思ったことも、ただ自分だけの誇りで、ほかの人に対して誇れることではないでしょう。(ガラテヤ6:3-4

 そして、「なぜ、争いをしかけてわざわいを求め」ているのか?と問いかけています。ここを英訳では、「わざわいを弄んでいる(meddle with trouble)」となっています。私たちは、罪やわざわいを、これくらいは良いだろうと弄ぶと、深刻な結末を刈り取らなければいけないことを知るべきです。ヨアシュは、「あなたもユダも共に倒れる」と言っていますが、自分も倒れ、また周囲の人たちも傷つき倒れてしまうような結果を招きます。

14:11 しかし、アマツヤが聞き入れなかったので、イスラエルの王ヨアシュは攻め上った。それで彼とユダの王アマツヤは、ユダのベテ・シェメシュで対戦したが、(ベテ・シェメシュは、かつてペリシテ人が返してきた、牛の車にのった契約の箱が戻ってきた、あの町です)14:12 ユダはイスラエルに打ち負かされ、おのおの自分の天幕に逃げ帰った。14:13 イスラエルの王ヨアシュは、アハズヤの子ヨアシュの子、ユダの王アマツヤを、ベテ・シェメシュで捕え、エルサレムに来て、エルサレムの城壁をエフライムの門から隅の門まで、四百キュビトにわたって打ちこわした。

 ユダは負けました。負けただけではなく、エルサレムの城壁を破壊されました。わざわいを弄んだ結果が、自分の要塞が打ち壊されることとして現われたのです。霊的にも同じことが言えるでしょう。私たちが一つの罪を弄べば、私たちの心の中の守りの壁が壊されてしまいます。次に誘惑を受けたときに、それを拒むのがさらに難しくなり、再び罪を犯すのがさらに容易くなります。守りの壁が壊されたからです。

14:14 彼は、主の宮と王宮の宝物倉にあったすべての金と銀、およびすべての器具、それに人質を取って、サマリヤに帰った。

 城壁が壊されただけでなく、財宝も取られました。これも霊的に当てはめることができます。私たちに与えられた財産、つまり幸せな家庭だとか、これまで築かれた信頼関係であるとか、仕事であるとか、主の恵みによって与えられた霊的財産を奪い取られることになります。

14:15 ヨアシュの行なったその他の業績、その功績、およびユダの王アマツヤと戦った戦績、それはイスラエルの王たちの年代記の書にしるされているではないか。14:16 ヨアシュは彼の先祖たちとともに眠り、イスラエルの王たちとともにサマリヤに葬られた。彼の子ヤロブアムが代わって王となった。

 ヨアシュは13章で、その死と埋葬の記録が書かれていましたが、ここでも記録されています。二度、死の記録が書かれた珍しい王です。

14:17 ユダの王ヨアシュの子アマツヤは、イスラエルの王エホアハズの子ヨアシュが死んで後、なお十五年生きながらえた。14:18 アマツヤのその他の業績、それはユダの王たちの年代記の書にしるされているではないか。14:19 エルサレムで人々が彼に対して謀反を企てたとき、彼はラキシュに逃げた。しかし、彼らはラキシュまで追いかけて、そこで彼を殺した。

 アマツヤは、エルサレムの城壁が壊されて、財宝が取られたあと、国民の信頼を失ってしまったのでしょう、父と同じように謀反によって殺されてしまいました。

14:20 彼らは彼を馬にのせて行った。彼はエルサレムで先祖たちとともにダビデの町に、葬られた。14:21 ユダの民はみな、当時十六歳であったアザルヤを立てて、その父アマツヤの代わりに王とした。14:22 彼は、アマツヤが先祖たちとともに眠って後、エラテを再建し、それをユダに復帰させた。

 アマルヤの子はアザルヤです。別名はウジヤです。有名なユダの王です。彼はエラテを再建したとありますが、現在のイスラエルの南端の町、エイラトのことです。紅海に接している町で、ソロモンの時に貿易港として用いられていましたが、ウジヤによってユダに復帰させることができました。

2B 御名による助け 23−29
14:23 ユダの王ヨアシュの子アマツヤの第十五年に、イスラエルの王ヨアシュの子ヤロブアムが王となり、サマリヤで四十一年間、王であった。

 北イスラエルの初代の王ヤロブアムと同名ですが、もちろん彼とは何の関係もありません。しばしばヤロブアム二世と呼ばれます。

14:24 彼は主の目の前に悪を行ない、イスラエルに罪を犯させたネバテの子ヤロブアムのすべての罪をやめなかった。14:25 彼は、レボ・ハマテからアラバの海までイスラエルの領土を回復した。それは、イスラエルの神、主が、そのしもべ、ガテ・ヘフェルの出の預言者アミタイの子ヨナを通して仰せられたことばのとおりであった。

 レボ・ハマテと言いますと、イスラエルのはるか北にある町で、むしろシリヤのアンテオケに近いところ、ユーフラテス川上流のそばにある町です。アラバの海というのは、死海という意見もありますが、私はそのまま紅海を意味していると思います。つまり、ヤロブアムは、かつてソロモンが隆盛を極めた、その黄金時代にかなり近い領土を有するようになった、ということです。

 そして、このことは、アミタイの子ヨナによって預言されたことでした。ヨナといえば、そう、海に投げ込まれて、三日三晩、魚の中にいたあの預言者ヨナです。彼は、ヤロブアムの治世のときに活動していた預言者でした。次の章に、ヨナ書の舞台となるアッシリヤが出てきますが、ヨナがなぜアッシリヤの首都ニネベに行くのを拒んだかが、よく理解できます。

 ヨナは、イスラエルに対する神の取り扱いを良く知っていました。主がいかに、怒るにおそく、あわれみに富んでおられ、悔い改めるものをすぐに赦される方であることを、よく知っていました。けれども、アッシリヤは非常に残忍な民であることがよく知られていました。生きたまま、捕虜の皮をはぎ、手足、鼻、耳をそぎ、目玉をえぐり出し、舌を引き抜き、骸骨の山を積み上げるようなことをしていたことが知られていました。そして北イスラエルも、間もなくアッシリヤに攻め取られていくようにあります。イスラエルのことを愛していたヨナは、こんな酷いことをするアッシリヤが滅んでしまってほしいと願っていたのです。

 そこでニネベに行きなさい、と命じられたとき、ニネベの者たちが悔い改めでもしようものなら、主はそのさばきを控えてしまうだろう、ということはよく知っていたのです。それで御顔を避けて、タルシシュ行きの船に乗ったのです。ヨナが神の召しに従わなかったことは間違っていましたが、ヨナのように、神のあわれみを知っているでしょうか?神が悔い改める者にはすぐに罪の赦しを与えられることを知っているでしょうか?このあわれみの福音をたずさえて、人間的には問題がたくさんある人々のところにまで届くのです。

14:26 主がイスラエルの悩みが非常に激しいのを見られたからである。そこには、奴隷も自由の者もいなくなり、イスラエルを助ける者もいなかった。14:27 主はイスラエルの名を天の下から消し去ろうとは言っておられなかった。それで、ヨアシュの子ヤロブアムによって彼らを救われたのである。

 イスラエルがいかに悪でも、これを消し去ることを主が望まれていませんでした。ロマ書11章にて、イスラエルに対する神の賜物と召命は変わることがない、と書かれてあるとおりです。

14:28 ヤロブアムのその他の業績、彼の行なったすべての事、および彼が戦いにあげた功績、すなわち、かつてユダのものであったダマスコとハマテをイスラエルに取り戻したこと、それはイスラエルの王たちの年代記の書にしるされているではないか。14:29 ヤロブアムは、彼の先祖たち、イスラエルの王たちとともに眠り、その子ゼカリヤが代わって王となった。

 ダマスコはシリヤの首都、またハマテもシリヤのところにありますが、かつてそれぞれダビデとソロモンが敵を打ち倒して、勝ち取った町でした。

 ところで、このヤロブアムの治世のときに預言をしたとして紹介されている預言者が二人います。北イスラエルではホセア、南ユダからはアモスです。預言者はエリヤ、エリシャが代表格でしたが、イスラエルとユダがさらに下降線を辿っているときに、彼らが立ち上がるために、神が数々の預言者を遣わされたことが良く分かります。次の出てくるアザルヤ、あるいはウジヤ王のときに、あの預言者イザヤが登場します。ですから、列王記第二の出来事と、それに相応する預言書をいっしょに読んでいくと、立体的にこの時の状況を知ることができます。

3A 泥沼化 15
 話は再び、南ユダになります。

1B らい病の晩年 1−7
15:1 イスラエルの王ヤロブアムの第二十七年に、ユダの王アマツヤの子アザルヤが王となった。15:2 彼は十六歳で王となり、エルサレムで五十二年間、王であった。彼の母の名はエコルヤといい、エルサレムの出であった。15:3 彼はすべて父アマツヤが行なったとおりに、主の目にかなうことを行なった。15:4 ただし、高き所は取り除かなかった。民はなおも、その高き所でいけにえをささげたり、香をたいたりしていた。

 ヨアシュ、アマツヤ、そしてアザルヤと続いて、同じような特徴がありました。主の目にかなうことを行なったけれども、高き所は取り除かなかったことです。

15:5 主が王を打たれたので、彼は死ぬ日までらい病に冒され、隔離された家に住んだ。王の子ヨタムが宮殿を管理し、この国の人々をさばいていた。

 アザルヤがらい病に打たれた出来事は、歴代誌にて詳しく描かれています。彼は王の身分であるのにも関わらず、香をたく儀式を行なうなど、祭司にしかできない領域に入り込んできました。そのため、神に打たれて、らい病になったのです。これもまた、祖父、父が犯した罪と同じでした。

15:6 アザルヤのその他の業績、彼の行なったすべての事、それはユダの王たちの年代記の書にしるされているではないか。15:7 アザルヤが彼の先祖たちとともに眠ったとき、人々は彼をダビデの町に先祖たちといっしょに葬った。彼の子ヨタムが代わって王となった。

 アザルヤは途中でらい病になって隔離されたので、アザルヤが生きている時からその子ヨタムは統治を始めました。共同統治でした。

2B 謀反から謀反 8−31
15:8 ユダの王アザルヤの第三十八年に、ヤロブアムの子ゼカリヤがサマリヤでイスラエルの王となり、六か月間、王であった。15:9 彼は先祖たちがしたように、主の目の前に悪を行ない、イスラエルに罪を犯させたネバテの子ヤロブアムの罪を離れなかった。15:10 ヤベシュの子シャルムは、彼に対して謀反を企て、民の前で彼を打ち、彼を殺して、彼に代わって王となった。15:11 ゼカリヤのその他の業績は、イスラエルの王たちの年代記の書にまさしくしるされている。

 ここから、アザルヤすなわちウジヤがユダで王であったときの、イスラエルの王について書かれています。謀反から謀反へ、短い期間しか王たちは統治しませんでした。ザカリヤはシャルムによって殺されました。

15:12 主がかつてエフーに告げて仰せられたことばは、「あなたの子孫は四代までイスラエルの王座に着く。」ということであったが、はたして、そのとおりになった。

 覚えていますか、エフーに対して主は、四代まであなたの子孫が王座に着く、と約束されました。なぜなら、エフーは、アハブ家の者たちとバアル信者たちを殺すという功績を残しましたが、その後、ヤロブアムの道を歩んだことによって、神の祝福がとどめられてしまったのです。そして約束の通りに、四代目で謀反により、その家系が途絶えてしまったのです。

15:13 ユダの王ウジヤの第三十九年に、ヤベシュの子シャルムが王となり、サマリヤで一か月間、王であった。15:14 ガディの子メナヘムは、ティルツァから上ってサマリヤに至り、ヤベシュの子シャルムをサマリヤで打ち、彼を殺して、彼に代わって王となった。15:15 シャルムのその他の業績、彼の企てた謀反は、イスラエルの王たちの年代記の書にまさしくしるされている。

 ザカリヤを殺したシャルムは、一ヵ月後、メナヘムによって殺されました。

15:16 そのとき、メナヘムはティルツァから出て行って、ティフサフ、その住民、その地境を打ち破った。彼らが城門を開かなかったのでこれを打ち、その中のすべての妊婦たちを切り裂いた。

 メナヘムは自国民の妊婦たちを切り裂くという、残忍なことをした男です。

15:17 ユダの王アザルヤの第三十九年に、ガディの子メナヘムがイスラエルの王となり、サマリヤで十年間、王であった。15:18 彼は主の目の前に悪を行ない、一生、イスラエルに罪を犯させたネバテの子ヤロブアムの罪から離れなかった。15:19 アッシリヤの王プルがこの国に来たとき、メナヘムは銀一千タラントをプルに与えた。それは、プルの援助によって、王国を強くするためであった。15:20 メナヘムは、イスラエルのすべての有力な資産家にそれぞれ銀五十シェケルを供出させ、これをアッシリヤの王に与えたので、アッシリヤの王は引き返して行き、この国にとどまらなかった。

 ここに列王記にて初めてアッシリヤが出てくる箇所です。これまでイスラエルは、アラムあるいはシリヤからの脅威と攻撃にさらされていました。けれども、現在のイラク北部に位置する国ですが、エジプトに次いで、世界帝国になっていく強大な国となります。そして今、アッシリヤをなだめるために、メナヘムが貢物を集めた様子が描かれています。

15:21 メナヘムのその他の業績、彼の行なったすべての事、それはイスラエルの王たちの年代記の書にしるされているではないか。15:22 メナヘムは彼の先祖たちとともに眠り、その子ペカフヤが代わって王となった。

 メナヘムは謀反で殺されなかったようです、子に王位を継承しています。

15:23 ユダの王アザルヤの第五十年に、メナヘムの子ペカフヤがサマリヤでイスラエルの王となり、二年間、王であった。15:24 彼は主の目の前に悪を行ない、イスラエルに罪を犯させたネバテの子ヤロブアムの罪を離れなかった。15:25 彼の侍従、レマルヤの子ペカは、彼に対して謀反を企て、サマリヤの王宮の高殿で、ペカフヤとアルゴブとアルエとを打ち殺した。ペカには五十人のギルアデ人が加わっていた。ペカは彼を殺し、彼に代わって王となった。15:26 ペカフヤのその他の業績、彼の行なったすべての事は、イスラエルの王たちの年代記の書にまさしくしるされている。

 ペカはメナヘムとペカフヤの時の武官であると考えられますが、メナヘムがいなくなってから謀反を企てていたと考えられます。自分が力を持っていたギルアデの地域から五十人を引き連れて、ペカプヤの殺害を実行しました。

15:27 ユダの王アザルヤの第五十二年に、レマルヤの子ペカがサマリヤでイスラエルの王となり、二十年間、王であった。15:28 彼は主の目の前に悪を行ない、イスラエルに罪を犯させたネバテの子ヤロブアムの罪を離れなかった。15:29 イスラエルの王ペカの時代に、アッシリヤの王ティグラテ・ピレセルが来て、イヨン、アベル・ベテ・マアカ、ヤノアハ、ケデシュ、ハツォル、ギルアデ、ガリラヤ、ナフタリの全土を占領し、その住民をアッシリヤへ捕え移した。

 とうとう、アッシリヤが北イスラエルを侵略しました。第一次アッシリヤ捕囚です。紀元前734年のことです。サマリヤの町は残っていましたが、次の王ホセアの時にサマリヤも陥落し、北イスラエルは完全になくなります。ここまで、イスラエルが悪を繰り返し、謀反に謀反を重ね、神に立ち返ることがなかったからです。

15:30 そのとき、エラの子ホセアは、レマルヤの子ペカに対して謀反を企て、彼を打って、彼を殺し、ウジヤの子ヨタムの第二十年に、彼に代わって王となった。15:31 ペカのその他の業績、彼の行なったすべての事は、イスラエルの王たちの年代記の書にまさしくしるされている。

 次の学び17章のところでホセアがアッシリヤの捕らえられ、北イスラエルが終わるところが描かれています。

3B 新しい敵 32−38
15:32 イスラエルの王レマルヤの子ペカの第二年に、ユダの王ウジヤの子ヨタムが王となった。15:33 彼は二十五歳で王となり、エルサレムで十六年間、王であった。彼の母の名はエルシャといい、ツァドクの娘であった。

 52年間という長いウジヤの治世の後に続いて、ヨタムが王となりました。ウジヤが死んだときに、イザヤが公に預言活動を行なっていくことになります。

15:34 彼は、すべて父ウジヤが行なったとおり、主の目にかなうことを行なった。15:35 ただし、高き所は取り除かなかった。民はなおも高き所でいけにえをささげたり、香をたいたりしていた。彼は主の宮の上の門を建てた。15:36 ヨタムの行なったその他の業績、それはユダの王たちの年代記の書にしるされているではないか。15:37 そのころ、主はアラムの王レツィンとレマルヤの子ペカをユダに送って、これを攻め始めておられた。

 ユダに対する主のさばきも、徐々に行なわれています。主がシリヤの王と同盟を組んだイスラエルの王ペカを攻めさせた、とあります。実は、この時点でヨタムは、アッシリヤに援軍を頼んでいます。そのためアッシリヤが北イスラエルを攻めて、それで第一次捕囚が開始されたのです。泥沼化ですね、自分たちを滅びから滅びへと招いています。

15:38 ヨタムは彼の先祖たちとともに眠り、先祖たちとともにその父ダビデの町に葬られた。彼の子アハズが代わって王となった。

 アハズは悪王です。次回16章で学びます。それから宗教改革者ヒゼキヤが現われます。

 こうしてイスラエルの領土が徐々に徐々に削り取られるところを読みましたが、次回、その理由が17章にて長々と書かれていますので、それを読んでみたいと思います。理由は度重なる背信です。私たちは、神の警告を聞けるときに聞く必要があります。へりくだり、主を求めるなら、主はそのとき必ず助けてくださいます。心をかたくなにするか、それとも思いの一心によって自分を変えていただくかは、私たちの選択にかかっています。


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