列王記第二24−25章 「取り上げられた財産」
アウトライン
1A 捕囚の開始 24
1B 略奪隊 1−7
2B 降伏 8−17
3B 最後の反逆 18−20
2A エルサレム破壊 25
1B 悲惨な最期 1−7
2B 主の宮の破壊 8−17
3B 最後までの反逆 18−26
4B あわれみの回復 27−30
本文
列王記第二24章を開いてください。24章と25章を学びますが、今日で列王記が終わりです。ここでのテーマは、「取り上げられる財産」になります。
1A 捕囚の開始 24
1B 略奪隊 1−9
24:1 エホヤキムの時代に、バビロンの王ネブカデネザルが攻め上って来た。エホヤキムは三年間彼のしもべとなったが、その後、再び彼に反逆した。
エホヤキムは、パロ・ネコが弟のエホアハズに代えてユダの王にさせました。エジプトの王が自分の支配圏を確保しておくために行なったことですが、この間にもバビロンの力はますます強くなっていました。バビロンの王権は、ナボポラッサルから紀元前605年にその子ネブカデネザルに移行しました。そしてネブカデネザルは、あの有名なカルケミシュの戦いでエジプトのパロ・ネコを打ち破って、その後ユダに攻め上ってきたのです。そしてここに書いてあるとおり、エホヤキムは三年間はバビロンに服していましたが、その後反逆、そこで第一回目のバビロン捕囚が始まります。
この時に捕え移された人々のことが、ダニエル書1章に書いてあります。「ユダの王エホヤキムの治世の第三年に、バビロンの王ネブカデネザルがエルサレムに来て、これを包囲した。主がユダの王エホヤキムと神の宮の器具の一部とを彼の手に渡されたので、彼はそれをシヌアルの地にある彼の神の宮に持ち帰り、その器具を彼の神の宝物倉に納めた。王は宦官の長アシュペナズに命じて、イスラエル人の中から、王族か貴族を数人選んで連れて来させた。(ダニエル1:1-3)」この中に、ダニエルと三人の友人が含まれていたのです。
24:2 そこで主は、カルデヤ人の略奪隊、アラムの略奪隊、モアブの略奪隊、アモン人の略奪隊を遣わしてエホヤキムを攻められた。ユダを攻めて、これを滅ぼすために彼らを遣わされた。主がそのしもべである預言者たちによって告げられたことばのとおりであった。
バビロンによるエルサレム包囲によって弱められたところで、いろいろな国民の略奪隊がやって来ました。そしてこれが、主が積極的に行なわれていることだと、列王記の著者は強調しています。このことがよく分かるのは、エレミヤ書です。エレミヤはユダの人々に対して、基本的に、「バビロンの服しなさい。そうすれば生き延びることができる。」という言葉を伝えていきました。そして、バビロンを遣わすのは主であることを何度も強調しています。
主はこのように、神の民がご自分に背き続けるときに、民に敵対する者たちを送られて、敵対する者たちを通してご自分のさばきを行なわれます。ここユダのバビロン捕囚だけではなく、士師記では周囲の敵に圧迫されている様子が描かれているし、新約時代にもメシヤを拒んだことによるさばきが、ローマによるエルサレム破壊によって行なわれました。
個人の生活においても、同じことが起こります。パウロは、近親相姦の罪を犯している人について、「私たちの主イエスの県央をもって、このような者をサタンに引き渡したのです。(1コリント5:4−5)」と言いました。こうしたさばきには、自分たちの罪の結果を自分の身に受けることで、主に立ち返ることができる備えを行なう、という意味が含まれます。そして罪によってもたらされる滅びが何であるかを知ることによって、初めてその罪から離れることができるようになります。
24:3 ユダを主の前から除くということは、実に主の命令によることであって、それは、マナセが犯したすべての罪のためであり、24:4 また、マナセが流した罪のない者の血のためであった。マナセはエルサレムを罪のない者の血で満たした。そのため主はその罪を赦そうとはされなかった。
前回の学びにおいて、ヨシヤがかつてない宗教改革を行なったところを読みました。けれども、その後の王たちの姿を見ると、すべてが主の前で悪を行なった、という言葉が使われています。23章の後半から今日学ぶ25章までの間に合計四人の王が出てきますが、そのうち三人はみなヨシヤの息子です。(一人は息子の息子、つまり孫になります)ヨシヤは、心からへりくだり、心を尽くして主に従ったのですが、すでにマナセが行なったその罪によって人々の心は主に立ち返ることができないほどになっていました。息子たちにも、父ヨシヤの良い影響はなかったのです。
そして主はマナセの罪を赦さない、と言っていますが、その大きな理由の一つが、罪なき者たちの血を流したことが挙げられています。マナセ自身も預言者たちを殺しましたが、ヨシヤの後の王たちも、エレミヤ書を読むと、神の預言者やその預言にしたがう者たちを殺したり、迫害したりする姿が描かれています。神を信じて、神に従うはずの民が、かえって神の人たちを殺すというようなことに対して、神は激しい怒りを発せられます。
主イエスを死に追い込んだユダヤ人指導者に対する報いとして、ローマによるエルサレム陥落があり、また黙示録の最後のところには、大淫婦バビロンの姿が描かれています。そこには、地上の王たちと不品行を犯して、預言者や聖徒たちの血の杯で酔いしれている女の姿が描かれています。つまり、この世の制度の一部になって、本当の信者たちを迫害する教会や宗教組織の姿です。バビロンはその後、跡形もなく滅び去りますが、このような信者らを迫害する宗教に対する罰は非常に厳しいです。
24:5 エホヤキムのその他の業績、彼の行なったすべての事、それはユダの王たちの年代記の書にしるされているではないか。24:6 エホヤキムは彼の先祖たちとともに眠り、その子エホヤキンが代わって王となった。
名前がややこしいですが、「ム」と「ン」の違いです。父がエホヤキムでその子がエホヤキンです。
24:7 エジプトの王は自分の国から再び出て来ることがなかった。バビロンの王が、エジプト川からユーフラテス川に至るまで、エジプトの王に属していた全領土を占領していたからである。
先に話したように、エジプトはカルケミシュの戦いでバビロンに敗れています。ユダに対する制圧権は、今やバビロンに取られています。ですから、エジプトの傀儡であったエホヤキムが死んで他の王になっても、彼らは何の権力も行使できなかったのです。
2B 降伏 8−17
24:8 エホヤキンは十八歳で王となり、エルサレムで三か月間、王であった。彼の母の名はネフシュタといい、エルサレムの出のエルナタンの娘であった。24:9 彼は、すべて先祖たちがしたとおり、主の目の前に悪を行なった。
エホヤキンはたった三ヶ月の王政です。その理由が次に書いてあります。
24:10 そのころ、バビロンの王ネブカデネザルの家来たちがエルサレムに攻め上り、町は包囲された。24:11 バビロンの王ネブカデネザルが町にやって来たときに、家来たちは町を包囲していた。24:12 ユダの王エホヤキンは、その母や、家来たちや、高官たち、宦官たちといっしょにバビロンの王に降伏したので、バビロンの王は彼を捕虜にした。これはネブカデネザルの治世の第八年であった。
第二回目のバビロン捕囚です。エホヤキンはエホヤキムと違って、すぐに降伏しました。そのため、彼は王室の者や高官たちとともにバビロンに捕らえ移されます。けれどもこれが何十年後に、良い方向へと動いていきます。
24:13 彼は主の宮の財宝と王宮の財宝をことごとく運び出し、イスラエルの王ソロモンが造った主の本堂の中のすべての金の用具を断ち切った。主の告げられたとおりであった。
主の宮の中身のものがどんどん取られていきます。イザヤがかつてヒゼキヤに預言したとおりです。あの時は小国にしかすぎなかったバビロンでユダとの同盟国だったのですが、今や自分たちのすべてのものを取り上げる強奪者になっています。
24:14 彼はエルサレムのすべて、つまり、すべての高官、すべての有力者一万人、それに職人や、鍛冶屋もみな、捕囚として捕え移した。貧しい民衆のほかは残されなかった。
反逆しても力のない小作人のような民衆はそのまま残されましたが、その他はみな捕え移されました。
24:15 彼はさらに、エホヤキンをバビロンへ引いて行き、王の母、王の妻たち、その宦官たち、この国のおもだった人々を、捕囚としてエルサレムからバビロンへ連れて行った。24:16 バビロンの王は、すべての兵士七千人、職人と鍛冶屋千人、勇敢な戦士を、すべて、捕囚としてバビロンへ連れて行った。
この大勢の捕囚の民の中に、エゼキエルがいました。エゼキエル書1章2−3節に、「それはエホヤキン王が捕囚となって連れて行かれてから五年目であった。その月の五日に、カルデヤ人の地のケバル川のほとりで、ブジの子、祭司エゼキエルにはっきりと主のことばがあり、主の御手が彼の上にあった。」とあります。
24:17 バビロンの王は、エホヤキンのおじマタヌヤをエホヤキンの代わりに王とし、その名をゼデキヤと改めさせた。
エホヤキンのおじは、つまりヨシヤの息子のことです。バビロン王による傀儡政権です。
3B 最後の反逆 18−20
24:18 ゼデキヤは二十一歳で王となり、エルサレムで十一年間、王であった。彼の母の名はハムタルといい、リブナの出のエレミヤの娘であった。24:19 彼は、すべてエホヤキムがしたように、主の目の前に悪を行なった。24:20 エルサレムとユダにこのようなことが起こったのは、主の怒りによるもので、ついに主は彼らを御前から投げ捨てられたのである。その後、ゼデキヤはバビロンの王に反逆した。
ゼデキヤの時代にエルサレムが破壊されます。ここでの主がユダを御前から投げ捨てられる、との理由が繰り返し述べられていますが、その預言の中でゼデキヤはなおもバビロン王に反逆しました。
このときの様子が、エレミヤ書には壮絶な預言の戦いとして描かれています。エレミヤは預言するのですが、民の多くがバビロンに降伏せよという預言に強く反発します。一部の者はエレミヤではないほかの預言を取り出して、エレミヤの言っている通りだと援護しますが、ユダの王はそのような人たちを殺してしまいました。
そして嘘の偽預言もたくさん出てきます。それは、ユダはバビロンから解放される、救い出されるという内容のもので、聞いている人々の耳を和ませました。エレミヤは、これら偽預言者との戦いも余儀なくされて、王や一般の民だけでなく、偽預言者や祭司からの迫害も受けていたのです。
バビロンに服せよ、というメッセージは聞く者にとって過酷です。しかし、そこまで自分たちが堕落してしまったことを認めることができる人は、自分の命を救うことができますが、自分たちの力にまだ望みを起きたい人は悲惨な死を遂げなければいけません。イエスさまが、「いのちを救おうと思う者はそれを失い、わたしと福音のためにいのちを失う者はそれを救うのです。(マルコ8:35)」とあるとおりです。
2A エルサレム破壊 25
1B 悲惨な最期 1−7
25:1 ゼデキヤの治世の第九年、第十の月の十日に、バビロンの王ネブカデネザルは、その全軍勢を率いてエルサレムを攻めに来て、これに対して陣を敷き、周囲に塁を築いた。25:2 こうして町はゼデキヤ王の第十一年まで包囲されていたが、25:3 第四の月の九日、町の中では、ききんがひどくなり、民衆に食物がなくなった。
二年間、エルサレムが包囲されました。この中で何が起こったかが、エレミヤ書の次の書「哀歌」に書かれています。「夜の間、夜の見張りが立つころから、立って大声で叫び、あなたの心を水のように、主の前に注ぎ出せ。主に向かって手を差し上げ、あなたの幼子たちのために祈れ。彼らは、あらゆる街頭で、飢えのために弱り果てている。『主よ。ご覧ください。顧みてください。あなたはだれにこのようなしうちをされたでしょうか。女が、自分の産んだ子、養い育てた幼子を食べてよいでしょうか。主の聖所で、祭司や預言者が虐殺されてよいでしょうか。幼い者も年寄りも道ばたで地に横たわり、私の若い女たちも若い男たちも剣に倒れました。あなたは御怒りの日に虐殺し、彼らを容赦なくほふりました。あなたは、例祭の日のように、私の恐れる者たちを、四方から呼び集めました。主の御怒りの日に、のがれた者も生き残った者もいませんでした。私が養い育てた者を、私の敵は絶ち滅ぼしてしまいました。』(2:19-22)」人々が極度に飢え、赤ん坊までを食べてしまっている悲惨な状況でした。
25:4 そのとき、町が破られ、戦士たちはみな夜のうちに、王の園のほとりにある二重の城壁の間の門の道から町を出た。カルデヤ人が町を包囲していたので、王はアラバへの道を行った。
「町が破られ」とありますが、一時的にエジプトとの戦いで、バビロンの包囲がうすくなりました。その隙をねらって、戦士たちは町から出て、王もアラバ、つまりヨルダン川のほうへの道を行きました。紀元前586年のことです。
25:5 カルデヤの軍勢が王のあとを追い、エリコの草原で彼に追いついたとき、王の軍隊はみな王から離れて散ってしまった。25:6 そこでカルデヤ人は王を捕え、リブラにいるバビロンの王のところへ彼を連れ上り、彼に宣告を下した。
リブラは、ダマスコの北にある町です。ネブカデネザルは他の国とも戦っていたので、そこを拠点としていました。
25:7 彼らはゼデキヤの子らを彼の目の前で虐殺した。王はゼデキヤの両目をえぐり出し、彼を青銅の足かせにつないで、バビロンへ連れて行った。
悲惨な終わりを遂げています。けれども何度も何度も、ゼデキヤはエレミヤを通して、このことが起こることを警告されていました。ゼデキヤは自分自身が気になって、獄中のエレミヤにどうなるのかを尋ねに来たぐらいです。ゼデキヤは自分は降伏しても良いかもしれないが、民族主義的なユダヤ人の反発を恐れて、それができないでいたことが描かれています。けれども、みことばに従わなかった結果、自分の子供たちが殺され、その後目をえぐり出されて、捕われの身となる最後を遂げました。
2B 主の宮の破壊 8−17
25:8 第五の月の七日・・それは、バビロンの王ネブカデネザル王の第十九年であった。・・バビロンの王の家来、侍従長ネブザルアダンがエルサレムに来て、25:9 主の宮と王宮とエルサレムのすべての家を焼き、そのおもだった建物をことごとく火で焼いた。
ここからは、捕囚後のエルサレムについて述べられています。初めに、町が焼き払われます。
25:10 侍従長といっしょにいたカルデヤの全軍勢は、エルサレムの回りの城壁を取りこわした。25:11 侍従長ネブザルアダンは、町に残されていた残りの民と、バビロンの王に降伏した者たちと、残りの群衆を捕え移した。25:12 しかし、侍従長は国の貧民の一部を残し、ぶどう作りと農夫とにした。
第二の捕囚のときと同じく、小作人だけは残しています。そしてこの地域が無人の荒地になることがないように、農作業をさせました。
25:13 カルデヤ人は、主の宮の青銅の柱と、主の宮にある青銅の車輪つきの台と、海とを砕いて、その青銅をバビロンへ運んだ。25:14 また、灰つぼ、十能、心切りばさみ、平皿、奉仕に用いるすべての青銅の器具を奪った。
覚えていますか、ソロモンが神殿を建てたときに、青銅の細工師によって、青銅の器具が多く造られました。車輪付きの台は、いけにえの動物を洗うところで、十台ありました。「海」というのは、下部に牛の彫刻がある洗盤のことですが、直径4.5メートルほどある巨大なものです。そのまま持ち運ぶことはできませんから、カルデヤ人は解体しました。
25:15 また、侍従長は火皿、鉢など、純金、純銀のものを奪った。25:16 ソロモンが主の宮のために作った二本の柱、一つの海、車輪つきの台、これらすべての器具の青銅の重さは、量りきれなかった。25:17 一本の柱の高さは十八キュビトで、その上の柱頭も青銅で、その柱頭の高さは三キュビトであり、柱頭の回りに網細工と、ざくろがあって、それもみな青銅で、他の柱も、網細工までも同様であった。
青銅の柱も非常に大きいものです。その上についている、ざくろ状の網細工も精巧に造られていました。これらがみな解体されて、持ち運ばれました。青銅の重さははかりくれなかった、とあります。ソロモンの知性の栄華を思い出させます。
3B 最後までの反逆 18−26
25:18 侍従長はさらに、祭司のかしらセラヤと次席祭司ゼパニヤと三人の入口を守る者を捕え、25:19 戦士の指揮官であったひとりの宦官と、町にいた王の五人の側近と、一般の人々を徴兵する将軍の書記と、町にいた一般の人々六十人を、町から捕え去った。
エズラ記には、エズラがここに出てくるセラヤの子孫であることが分かります。
25:20 侍従長ネブザルアダンは彼らを捕え、リブラにいるバビロンの王のところへ連れて行った。25:21 バビロンの王は彼らを打ち、ハマテの地のリブラで殺した。こうして、ユダはその国から捕え移された。
残っていた、反逆するかもしれない役人や祭司らをみな殺しました。
25:22 バビロンの王ネブカデネザルは、シャファンの子アヒカムの子ゲダルヤを、ユダの地に残った残りの民の上に総督とした。
ゲダルヤは、ヨシヤが宗教改革をしたときの書記シャファンの孫です。
25:23 将校たちと、その部下たちはみな、バビロンの王がゲダルヤを総督としたことを聞いて、ミツパにいるゲダルヤのもとに来た。すなわち、ネタヌヤの子イシュマエル、カレアハの子ヨハナン、ネトファ人タヌフメテの子セラヤ、マアカ人の子ヤアザヌヤ、これらとその部下たちであった。25:24 そこでゲダルヤは彼らとその部下たちに誓って、彼らに言った。「カルデヤ人の家来たちを恐れてはならない。この国に住んで、バビロンの王に仕えなさい。そうすれば、あなたがたはしあわせになる。」
ゲダルヤは、エレミヤ書によるとエレミヤの友人のようです。彼はエレミヤの言葉をしっかり聞いていました。そこでここに残っている残党を説得して、生きる道を教えたのです。
25:25 ところが第七の月に、王族のひとり、エリシャマの子ネタヌヤの子イシュマエルは、十人の部下を連れてやって来て、ゲダルヤを打ち殺し、ミツパで彼といっしょにいたユダ人たちと、カルデヤ人たちを打ち殺した。25:26 そこで、身分の下の者から上の者まで、民はみな、将校たちとともに、エジプトへ立って行った。カルデヤ人を恐れたからである。
愚かにも残党はゲダルヤを打ち殺しました。そして無理やりエレミヤをいっしょに連れて、エジプトに下ります。このときも主の預言があって、バビロンに服せば生きることはできるが、エジプトへ逃げたら殺される、とのことでしたが彼らは言うことを聞きません。最後の最後まで言うことを聞かないので、滅んでしまいます。
4B あわれみの回復 27−30
しかし、列王記はわずかな希望を最後に残して終わります。25:27 ユダの王エホヤキンが捕え移されて三十七年目の第十二の月の二十七日に、バビロンの王エビル・メロダクは、彼が王となったその年のうちに、ユダの王エホヤキンを牢獄から釈放し、25:28 彼に優しいことばをかけ、彼の位をバビロンで彼とともにいた王たちの位よりも高くした。
25:29 彼は囚人の服を着替え、その一生の間、いつも王の前で食事をした。25:30 彼の生活費は、その一生の間、日々の分をいつも王から支給されていた。
あの第二のバビロン捕囚で、自ら降伏したエホヤキンですが、彼は生き残れたどころか、37年後に名誉回復を得ました。これは、主に背きつづけたエホヤキンですが、バビロンに服するという主の御心の中にいたからです。主のあわれみのわざをここに見ることができます。
これで列王記が終わりますが、初めを思い出してください。ダビデが死にそうになっているとき、王権がソロモンに移譲しました。そしてソロモンに与えられた知恵によって、莫大な力と富がイスラエルに集められました。そしてその中心には、すばらしい神殿があり、民は主を礼拝していたのです。そこからの堕落です。神殿の中のものはみな取られ、神殿の骨格もみな火で焼かれました。
ここで私が思い出すのは、次の主の御言葉です。「隠れているもので、あらわにならぬものはなく、秘密にされているもので、知られず、また現われないものはありません。だから、聞き方に注意しなさい。というのは、持っている人は、さらに与えられ、持たない人は、持っていると思っているものまでも取り上げられるからです。(ルカ8:17-18)」持たない人が、持っていると思っているものまでも取り上げられる、ということです。自分は持っていると思っていても、自分の心の中に主がおられなかったら、その持っているものまでが取られていってしまいます。主を持っていなかったイスラエルとユダの王たちは、自分たちが持っていた神殿の建物の財産までもが奪い取られたのです。
私たちの生活も同じでしょう。自分が主を第一に求めていなければ、今、自分が空気のようにして、当たり前のように持っているものが奪い取られることがあります。すべての良い、完全な賜物は主から来る、とヤコブの手紙にありますが、主が大事なのであって、その他はみな付随して与えられるのです。自分が主を自分の心に持っているかどうか、これを吟味してみましょう。
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