1A とこしえの王朝 7
1B 神の約束 1−17
1C 神のためにすること 1−7
2C ダビデのためにされること 8−17
2B ダビデの反応 18−29
1C 取るに足りない者 18−24
2C 約束に基づく願い 25−29
2A 支配の拡大 8
1B 周囲の国々 1−14
2B 正しいさばき 15−18
本文
サムエル記第二7章を開いてください。今日は7章と8章を学びます。ここでのテーマは、「ダビデの王座」です。さっそく本分に入りましょう。
1A とこしえの王朝 7
1B 神の約束 1−17
1C 神のためにすること 1−7
7:1 王が自分の家に住み、主が周囲の敵から守って、彼に安息を与えられたとき、7:2 王は預言者ナタンに言った。「ご覧ください。この私が杉材の家に住んでいるのに、神の箱は天幕の中にとどまっています。」
前回の話を思い出してください。ダビデは、主が彼をイスラエルの王として堅く立て、ご自分の民イスラエルのために、その王国を盛んにされたのを知った、とありました(5:12)。ツロの王ヒラムが、レバノンの杉材をイスラエルに送り、また大工や石工を送って彼のために王宮を建ててくれました。さらに、ダビデはアビナダブの家に長いこと置かれていた神の箱をエルサレムに運んできて、それを天幕の中に置きました。
今、これまでイスラエルを圧制の中に置いていたペリシテ人などの脅威が少なくなり、ダビデは一息つくことができました。「主が敵から自分を守って、安息を与えてくださった」とあります。そして自分の王宮は杉材で立派に造られているのに、神の箱が天幕の中にとどまっているのは、どうも気が引けます、主のために家を建てたいのです、とダビデは預言者ナタンに話しました。
7:3 すると、ナタンは王に言った。「さあ、あなたの心にあることをみな行ないなさい。主があなたとともにおられるのですから。」7:4 その夜のことである。次のような主のことばがナタンにあった。
ナタンは自分の判断で、これは良い考えだと思いましたが、主は違うことをお考えになっていました。それで夜にナタンに主のみことばが与えられます。
7:5 行って、わたしのしもべダビデに言え。主はこう仰せられる。あなたはわたしのために、わたしの住む家を建てようとしているのか。
神殿建設の話は、ダビデは主を愛していて、主のために何かしたいと思って申し出たことでした。主は、そのダビデの心を喜ばれましたが、けれども主はこれまでダビデに良くしてきてくださったのは、彼が何かすぐれたことを行なったその見返りとして行なわれたのではなく、ただダビデを祝福したいから祝福されたに過ぎませんでした。これが主のご性質であり、ただあわれみ、恵みを施し、祝福したいと願っておられる方です。見返りで良くしてくださっているのではありません。だから、「あなたは、わたしのために、家を建てようとしているのか」と聞いておられるのです。
7:6 わたしは、エジプトからイスラエル人を導き上った日以来、今日まで、家に住んだことはなく、天幕、すなわち幕屋にいて、歩んできた。
主はご自分が住まわれるところとして、幕で出来た幕屋を択ばれていました。もちろん主は天も地もこの方を取り込むことはできず、無限大の方ですが、幕屋の中でご自分と人との交わりを行なわれました。幕屋の中でご自分のことを明かし、みことばを語られました。そして、幕屋であった理由は、荒野の旅をイスラエルの民がしていたからです。移動可能の住まいでなければいけなかったからでした。
7:7 わたしがイスラエル人のすべてと歩んできたどんな所ででも、わたしが、民イスラエルを牧せよと命じたイスラエル部族の一つにでも、『なぜ、あなたがたはわたしのために杉材の家を建てなかったのか。』と、一度でも、言ったことがあろうか。
主は、杉材の家を建ててほしいとは命じたことはありませんでした。だからダビデが勝手に申し出たことなのです。
2C ダビデのためにされること 8−17
7:8 今、わたしのしもべダビデにこう言え。万軍の主はこう仰せられる。わたしはあなたを、羊の群れを追う牧場からとり、わたしの民イスラエルの君主とした。
主はダビデに、ご自分がダビデに行なわれたことを思い出させておられます。ダビデは主のために何か行いたいと願ったのですが、それ以上に主がダビデのために、偉大なことを行なわれていたのです。前者は自分の行ないですが、後者は神の行ない、つまり恵みです。ダビデに主はご自分の恵みを思い起こさせておられます。
初めは、羊飼いであったあなたを、イスラエルの君主とした、ということです。取るに足りない者を主は選ばれて、ご自分の栄光のために用いられます。
先日、ビデオレンタルショップで「ロード・オブ・ザ・リング」を借りて見ました。今第三弾が映画館で上映中ですが、私たちは第一弾をDVDで見ました。この原作「指輪物語」の作家はクリスチャンだそうです。そこにフロード(Frodo)と呼ばれる少年が指輪を携える主人公として登場します。以前、マトリックスという映画も見ましたが、そこに出てくる主人公ネオは自分に与えられている力を発見していき、しだいに超人的になっていきます。けれどもフロードは違います。彼はいつまでも、少年のままです。けれども、彼に託された使命は、世界全体を変えるほどの大きなものです。私たちは、このフロードに似ています。神は、取るに足りない者を選んで、ご自分の働きを成し遂げられます。パウロがこう言いました。「しかし神は、知恵ある者をはずかしめるために、この世の愚かな者を選び、強い者をはずかしめるために、この世の弱い者を選ばれたのです。また、この世の取るに足りない者や見下されている者を、神は選ばれました。(1コリント1:27-28)」
7:9 そして、あなたがどこに行っても、あなたとともにおり、あなたの前であなたのすべての敵を断ち滅ぼした。わたしは地上の大いなる者の名に等しい大いなる名をあなたに与える。
主がしてくださったことの二つ目は、ともにいてくださったことです。主がともにおられるか、そうでないかで、全てが決まります。自分で行なっても何一つ成し遂げることはできませんが、主がともにおられれば、何でもすることができます。イエスさまは弟子たちにこう言われました。「見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。(マタイ28:20)」そして弟子たちを通して、主は力強い働きを行なわれました。
それから主は大きな約束を与えられています。「わたしは地上の大いなる者の名に等しい大いなる名をあなたに与える」です。以前、大いなる名を与えると約束された人がいました。おぼえていますか?アブラハムですね。創世記12章2節に、「あなたの名を大いなるものとしよう」とあります。ダビデは、主がこれから与えられる約束がアブラハムへの約束の延長である、つまりアブラハムの子孫、メシヤ、キリストについての約束であることを悟ったことでしょう。アブラハムの子孫の一人であるダビデは、自分の子孫からメシヤが出ることを知ったのでしょう。
7:10 わたしが、わたしの民イスラエルのために一つの場所を定め、民を住みつかせ、民がその所に住むなら、もはや民は恐れおののくことはない。不正な者たちも、初めのころのように重ねて民を苦しめることはない。
ダビデがエルサレムを定住の町と定め、イスラエルもエルサレムの町を中心に住むようになりました。主はこのように定住したイスラエルを敵から守り、安心して暮らすことができるようにされる、と約束されています。士師の時代のように、周囲の敵に圧迫されて暮らすことがないようにしてくださいます。
7:11 それは、わたしが、わたしの民イスラエルの上にさばきつかさを任命したころのことである。わたしはあなたをすべての敵から守って、安息を与える。さらに主はあなたに告げる。「主はあなたのために一つの家を造る。」
先ほど主は、「あなたは、わたしのために、家を建てようと言うのか。」と言われました。今、主はここで、「わたしがあなたのために家を造る」と言われています。主はご自分の恵みをダビデに注がれます。私たちキリストのうちにある者もダビデと同じです。キリストにあって、神は私たちにどれほどのことをしてくださったことでしょう。私たちが、神のために何かをしようと思っても、主が成し遂げてくださったことに比べれば、ちりあくたにすぎません。私たちが主のために何かをするよりも、主が私たちのためにしてくださったことのほうが、はるかに大きいのです。
7:12 あなたの日数が満ち、あなたがあなたの先祖たちとともに眠るとき、わたしは、あなたの身から出る世継ぎの子を、あなたのあとに起こし、彼の王国を確立させる。
主が約束してくださったことは、家と言っても、単に建物だけではなく、その家系です。ダビデ家が王位に着き、その国を確立させるとい約束です。そして「あなたの身から出る世継ぎの子」とありますが、これはダビデの直接の息子であるソロモンにおいて実現するだけでなく、その後の子孫にも引き継がれていく約束です。
7:13 彼はわたしの名のために一つの家を建て、わたしはその王国の王座をとこしえまでも堅く立てる。
ソロモンが神殿を建てます。けれどもその王国の王座はとこしえまで、つまりソロモンの時代を超えて堅く立てられます。つまり、ここはソロモンについての預言だけではなく、メシヤがダビデの子としてお生まれになり、その子が永遠の神の御国を立てられる、ということです。
7:14 わたしは彼にとって父となり、彼はわたしにとって子となる。もし彼が罪を犯すときは、わたしは人の杖、人の子のむちをもって彼を懲らしめる。
神とそのひとり子との関係です。もちろん王が個人的な関係を持つとき、神を自分の父としてあがめることができますが、メシヤが神の独り子であることを預言しているところでもあります。
そして「
彼が罪を犯すときは」のところは、正確に訳すと「彼が罪を負うときは」となります。つまり、イザヤ書53書にある、「彼は罪を負った」というメシヤの受難の預言と合致します。そして父なる神は、それゆえに彼がむちを受けることをよしとされました。イエスさまが、この預言を成就しました。
7:15 しかし、わたしは、あなたの前からサウルを取り除いて、わたしの恵みをサウルから取り去ったが、わたしの恵みをそのように、彼から取り去ることはない。
すばらしい約束ですね。サウルからは恵みが取り去られました、けれどもダビデからは取り去られません。イエスさまも、ご自分の名を信じる者について、「だれもわたしの父の御手から彼らを奪い去ることはできません。(ヨハネ10:29)」と言われました。
7:16 あなたの家とあなたの王国とは、わたしの前にとこしえまでも続き、あなたの王座はとこしえまでも堅く立つ。
二度も、「とこしえに」という言葉が使われています。この約束はダビデの息子ソロモンを超えて、預言者たちによって預言されていきました。エレミヤ23章にはこう書いてあります。「見よ。その日が来る。・・主の御告げ。・・その日、わたしは、ダビデに一つの正しい若枝を起こす。彼は王となって治め、栄えて、この国に公義と正義を行なう。その日、ユダは救われ、イスラエルは安らかに住む。その王の名は、『主は私たちの正義。』と呼ばれよう。(エレミヤ23:5-6)」そして、イザヤ9章です。「ひとりのみどりごが、私たちのために生まれる。ひとりの男の子が、私たちに与えられる。主権はその肩にあり、その名は『不思議な助言者、力ある神、永遠の父、平和の君』と呼ばれる。その主権は増し加わり、その平和は限りなく、ダビデの王座に着いて、その王国を治め、さばきと正義によってこれを堅く立て、これをささえる。今より、とこしえまで。万軍の主の熱心がこれを成し遂げる。(9:6-7)」そしてイエスさまの母マリヤに御使いがこう語りました。「ご覧なさい。あなたはみごもって、男の子を産みます。名をイエスとつけなさい。その子はすぐれた者となり、いと高き方の子と呼ばれます。また、神である主は彼にその父ダビデの王位をお与えになります。彼はとこしえにヤコブの家を治め、その国は終わることがありません。(ルカ1:31-33)」イエスにあって、ダビデの世継ぎの子についての預言が成就しました。
今は、主は神の右に着座しておられます。そして神の家である教会のかしらとなっておられます。けれども主が再び地上に戻ってきてくださるとき、今の約束はすべて実現します。この方はダビデの座に着いて、神の御国を治めてくださいます。
7:17 ナタンはこれらすべてのことばと、これらすべての幻とを、そのままダビデに告げた。
2B ダビデの反応 18−29
次にダビデの反応です。
1C 取るに足りない者 18−24
7:18 ダビデ王は行って主の前に座し、そして言った。ダビデは、今、幕屋の中に神の箱の前に来ています。「神、主よ。私がいったい何者であり、私の家が何であるからというので、あなたはここまで私を導いてくださったのですか。
先ほど話しましたように、ダビデは取るに足りない者を選んで、こんなにも良くしてくださったことにただ驚いています。
7:19 神、主よ。この私はあなたの御目には取るに足りない者でしたのに、あなたは、このしもべの家にも、はるか先のことまで告げてくださいました。神、主よ。これが人の定めでしょうか。
これも今はなしたように、とこしえまでの約束、メシヤの約束、神の国の約束まで告げられた事に対しても驚きです。
7:20 神、主よ。このダビデは、このうえ、あなたに何をつけ加えて申し上げることができましょう。あなたはこのしもべをよくご存じです。
人はあまりにもすばらしいことが行なわれたときに、言葉を失います。ダビデは、非常に言葉が巧みな人でした。詩篇を読めばわかります。自分たちにはなかなか言い表わすことができない感情や、主への思いなど、彼はそれらを言葉にすることができる能力に恵まれていました。けれども、そのダビデさえが、今、言葉を失っているのです。私たちがキリストにあって、ダビデと同じであることに気づいていますか?ペテロはこう言っています。「あなたがたはイエス・キリストを見たことはないけれども愛しており、いま見てはいないけれども信じており、ことばに尽くすことのできない、栄えに満ちた喜びにおどっています。(1ペテロ1:8)」
7:21 あなたは、ご自分の約束のために、あなたのみこころのままに、この大いなることのすべてを行ない、このしもべにそれを知らせてくださいました。
ここには人間の行為が入り込みません。主がご自分のことばにしたがって、ご自分のみこころのままに、ダビデにそれを行なってくださいました。そして、ダビデはそこのこと知りました。彼は自分が王座に着いているときも、主がご自分の民を治めるために、主がこの王国を堅く立てられていることを知りました。私たちも神は祝福を与えたいと願われています。そして、その祝福が注がれ、あふれるとき、私たちも同じように、主がこのことをしてくださっているのだと知ることになります。
7:22 それゆえ、神、主よ。あなたは大いなる方です。私たちの耳にはいるすべてについて、あなたのような方はほかになく、あなたのほかに神はありません。
今、ダビデは感謝の表れから神への賛美へと移っています。「あなたのような方はほかにはいません、あなたのほかに神はありません」という賛美です。このように賛美は、主が自分に良くしてくださったことに基づきます。自分たちが精一杯賛美したから、主が応答して私たちを祝福してくださるのではありません。主がまず私たちを祝福し、その祝福に気づいた私たちが、自然の応答として神を賛美します。
7:23 また、地上のどの国民があなたの民のよう、イスラエルのようでしょう。神ご自身が来られて、この民を贖い、これをご自身の民とし、これにご自身の名を置かれました。あなたは、ご自身の国のために、あなたの民の前で、大いなる恐るべきことを行ない、この民をあなたのためにエジプトから、そして国々とその神々から贖ってくださいました。7:24 こうして、あなたの民イスラエルをとこしえまでもあなたの民として立てられました。主よ。あなたは彼らの神となられました。
ダビデは、自分だけでなくイスラエルの民全体に対しても、主が良くしてくださったことを思い出しています。そして、イスラエルの民に対しても、とこしえまで彼らが神の民になることをダビデは認めています。
今日、イスラエルのことを聖書信仰の中に入れることを、嫌う人々がいます。キリストの教会が本質的なのだから、イスラエルという要素をつけ加えてはいけないと言います。もちろん、神はキリストのからだによって、霊の救いと建て上げを行なっておられます。しかし、イスラエルがいることによって、神の約束が今でもそのまま続いていることが証しされているのです。神の約束がこれだけ確かだからこそ、私たちはキリストへの信仰と希望も確かであると言うことができるのです。
2C 約束に基づく願い 25−29
そして次にダビデは、これらの神の約束にしたがって、神に願いを申し上げます。7:25 どうか、神、主よ。あなたが、このしもべとその家について約束されたことを、とこしえまでも守り、あなたの約束どおりに行なってください。7:26 あなたの御名がとこしえまでもあがめられ、『万軍の主はイスラエルの神。』と言われますように。あなたのしもべダビデの家が御前に堅く立つことができますように。
この方がイスラエルの神と呼ばれるように、また自分の家が堅く御前に立ちますように、と神の約束どおりに祈っています。
7:27 イスラエルの神、万軍の主よ。あなたは、このしもべの耳にはっきり、『わたしが、あなたのために家を建てる。』と言われました。それゆえ、このしもべは、この祈りをあなたに祈る勇気を得たのです。
勇気を得たのは、神が約束されたからです。みこころにそった祈りは、力強いです。使徒ヨハネは、「何事でも神のみこころにかなう願いをするなら、神はその願いを聞いてくださるということ、これこそ神に対する私たちの確信です。私たちの願う事を神が聞いてくださると知れば、神に願ったその事は、すでにかなえられたと知るのです。(1ヨハネ5:14-15)」と言いました。今年の初め、アメリカ、カリフォルニアで宣教会議に出席したとき、一人のスピーカーがこう言いました。「神は、ひとりも滅びることを望まない、と言われています。そして、みこころにかなう願いは神は聞いてくださる、という約束もあります。さあ、今、自分に重荷が与えられている家族や友人の救いのために祈ってください。そして、その祈りは聞かれた、と信じてください。」と励ましました。神の約束にそった祈りは力があります。
7:28 今、神、主よ。あなたこそ神であられます。あなたのおことばはまことです。あなたは、このしもべに、この良いことを約束してくださいました。
神のことばはまこと、つまり、約束したことを反故にされることはない、ということです。
7:29 今、どうぞあなたのしもべの家を祝福して、とこしえに御前に続くようにしてください。神、主よ。あなたが、約束されました。あなたの祝福によって、あなたのしもべの家はとこしえに祝福されるのです。
ダビデは信仰をもって祈っています。とこしえに祝福されるのです、と断定して祈っています。それは、真理のみことばがあるからです。
こうして、ダビデは自分で神のために家を建てようと思い立ちましたが、その神の答えは、ダビデの言葉を失わせる、神の約束でした。そしてダビデの神へのお返しは、ただ感謝することであり、また神のみことばがそのとおりになりますように、という祈りでした。人間の行為が入っていない、神の麗しい御霊の働きです。私たちの生活が、神の約束が具現されている場であります。自分が何を行なったかではなく、神の恵みと真実がたしかにある、と認めることができるようなものです。
2A 支配の拡大 8
1B 周囲の国々 1−14
8:1 その後、ダビデはペリシテ人を打って、これを屈服させた。ダビデはメテグ・ハアマをペリシテ人の手から奪った。
8章は、ダビデの王国が周辺地域に広がっていく様子が書かれています。初めにペリシテ人です。士師の時代から強力な敵として、イスラエルを圧迫していましたが、今ダビデが屈服させました。「メテグ・ハアマ」とは、ガテとその村落という意味であり、ガテはペリシテ人の五大都市の一つでした。ガテを倒したということは、ペリシテ人全体をかなり服従させているということになります。
8:2 彼はモアブを打ったとき、彼らを地面に伏させて、なわで彼らを測った。なわ二本を伸ばして測った者を殺し、なわ一本を伸ばして測った者を生かしておいた。こうしてモアブはダビデのしもべとなり、みつぎものを納める者となった。
大きな図体のものは殺し、そうでないものを生かした、ということです。ダビデがここまでモアブに対して厳しい処置を取ったのか、人の言い伝えですが、ユダヤ教の古代注釈書のミドラシュには、モアブの王が、ダビデの父母を殺したから、と載っているそうです。
そして3節から8節までは、イスラエル北部シリヤにおける連合軍との戦いです。8:3 ダビデは、ツォバの王レホブの子ハダデエゼルが、ユーフラテス川流域にその勢力を回復しようと出て来たとき、彼を打った。
なんとダビデは、はるか北にあるユーフラテス地域にまで攻め上っています。かつて主はアブラハムに、所有する土地がエジプトの川からユーフラテス川までとおっしゃられていましたが、事実、ユーフラテス地域までやって来ました。
8:4 ダビデは、彼から騎兵千七百、歩兵二万を取った。ダビデは、その戦車全部の馬の足の筋を切った。ただし、戦車の馬百頭を残した。
多くの馬を持ってはならないと、神はモーセを通して、イスラエルから出る王に戒めを与えておられましたが、ダビデはそのように行なっています。馬の足の筋を切って、百頭しか残しませんでした。戦車や馬に拠り頼むのではなく、主の御名に拠り頼むのです。
8:5 ダマスコのアラムがツォバの王ハダデエゼルを助けに来たが、ダビデはアラムの二万二千人を打った。アラムとはシリヤのことです。8:6 ダビデはダマスコのアラムに守備隊を置いた。アラムはダビデのしもべとなり、みつぎものを納める者となった。こうして主は、ダビデの行く先々で、彼に勝利を与えられた。8:7 ダビデはハダデエゼルの家来たちの持っていた金の丸い小盾を奪い取り、エルサレムに持ち帰った。8:8 ダビデ王は、ハダデエゼルの町ベタフとベロタイから、非常に多くの青銅を奪い取った。
多くの金銀の略奪品を持って帰りました。これは、神殿を造るための材料とするためです。
8:9 ハマテの王トイは、ダビデがハダデエゼルの全軍勢を打ち破ったことを聞いた。8:10 そこでトイは、その子ヨラムをダビデ王のもとにやって、安否を尋ねさせ、ダビデがハダデエゼルと戦ってこれを打ち破ったことについて、祝福のことばを述べさせた。ハダデエゼルがトイに戦いをいどんでいたからである。ヨラムは銀の器、金の器、青銅の器を手にして来た。8:11 ダビデ王は、それをもまた、彼の征服したすべての国々から取って聖別する銀や金とともに主に聖別してささげた。8:12 それらは、アラム、モアブ、アモン人、ペリシテ人、アマレクから取った物、およびツォバの王レホブの子ハダデエゼルからの分捕り物であった。
戦いで勝ち取った分捕り物も、また寄贈されたものもみな神殿のための材料とします。この世のものが主の為に用いられます、これはすばらしいことです。前回行なわれたカルバリーチャペルのリーダーズ・コンファレンスは、東京のあるセミナーハウスを宿泊施設、兼、会場として用いました。牧師の一人が、「ここが聖書学校になるかも。」と半分冗談、半分本気で話していました。私たちが普段使っているものが、主のものになる、という信仰です。
8:13 ダビデが塩の谷でエドム人一万八千を打ち殺して帰って来たとき、彼は名をあげた。8:14 彼はエドムに守備隊を、すなわち、エドム全土に守備隊を置いた。こうして、エドムの全部がダビデのしもべとなった。このように主は、ダビデの行く先々で、彼に勝利を与えられた。
死海の南にいるエドム人とも戦いました。そして征服しました。ダビデは初め、南西にいたペリシテ人と戦い、それから東方のモアブと戦い、一気に北上してシリヤ連合軍と戦い、そして南下してエドム人と戦いました。
2B 正しいさばき 15−18
8:15 ダビデはイスラエルの全部を治め、その民のすべての者に正しいさばきを行なった。
ダビデがすぐれた王であった理由は、彼が正しいさばきを行なっていたことにあります。国にとってもっとも大切なこと、それは正義です。経済力でも軍事力でもありません。「正義は国を高め、罪は国民をはずかしめる。(箴言14:34)」と箴言に書かれています。そして、ダビデの子キリストが神の国を治められるとき、先に引用したイザヤ書の預言にあったように、正義によって治めます。
8:16 ツェルヤの子ヨアブは軍団長、アヒルデの子ヨシャパテは参議、8:17 アヒトブの子ツァドクとエブヤタルの子アヒメレクは祭司、セラヤは書記、8:18 エホヤダの子ベナヤはケレテ人とペレテ人の上に立つ者、ダビデの子らは祭司であった。
ダビデの王朝の組織図です。
これでダビデの王国が確立し、さらに拡大してきたところを見ました。神の約束が、彼をとおして実現しました。同じように私たちにも実現します。私たちがただ、神の恵みに心を開き、この方にゆだねる生活を送り、みこころにそった祈りをささげるとき、私たちは、神のご計画が実現していく器となります。そしてその器はいつまでも、神の栄光をたずさえた土の器です。神は取るに足りないものを用いられるのです。