ダニエル書総論
アウトライン
1A 導入 ― ダニエル書のテーマ
1B キーワード 「終わりの時」
2B アウトライン − イスラエル(へブル語)と異邦人(アラム語)
2A 全体の内容
1B 土台 − 神の主権 (終わりの時に知らなければならない、神のご性質) 1
2B 対象 − 異邦人の時 (神が終了させるのは、異邦人の支配) 2−7
1C 王を立てる神 2−3
1D 金の頭 2
2D 全身金の像 3
2C 王を廃す神 4−5
1D 根株 4
2D メネ、メネ、テケル、ウ・パルシン 5
3C まとめ 6−7
1D 救い出す神 6
2D 4つの大国 7
3B 目的 − イスラエルの回復 (神が完了させるのは、イスラエルへの約束) 8−12
1C イスラエルの帰還 8−9
1D ペルシヤ、ギリシヤ帝国 8
2D 70週 9
2C イスラエルの救出 10−12
1D 神の栄光 10
2D 反キリストの出現 11
3D 苦難、復活、休み 12
3A 結論
1B 教会の位置付け
2B 教会の責任
本文
ダニエル書を開いてください。私たちはこれから、ダニエル書を学びます。最初のセミナーは、ダニエル書の総論です。私は聖書のどの書物も面白いと思いますが、ダニエル書は実にわくわくさせてくれます。
1A 導入 ― ダニエル書のテーマ
1B キーワード 「終わりの時」
ダニエル書のテーマは、一言で言うと、「終わりの時」です。終わりの時に何が起こるかを、神は夢や幻によってお示しになりました。この書物には、多くの箇所で、「終わりの時」とか「終わりの日」という言葉が出てきます。例えば、2章の28節を見ますと、ダニエルがネブカデネザルにこう言っています。「天に秘密をあらわすひとりの神がおられ、この方が終わりの日に起こることをネブカデネザル王に示されたのです。」8章19節では、今度は、御使いガブリエルがダニエルに語っています。「見よ。私は、終わりの憤りの時に起こることを、あなたに知らせる。それは、終わりの定めの時にかかわるからだ。」さらに、主イエス・キリストご自身がダニエルに言われました。12章9節です。「ダニエルよ。行け。このことばは、終わりの時まで、秘められ、封じられているからだ。」ですから、私たちがこれから学ぶのは、終わりの時についてです。したがって、ダニエルは、過去のことだけでなく、現在起こっていること、これから起こる出来事も記しています。
2B アウトライン − イスラエル(へブル語)と異邦人(アラム語)
ところで、この書物はダニエルによって書かれました。不思議なことに、彼は、この書物を書くときに2つの言語を使っています。ヘブル語とアラム語です。1章はヘブル語で書かれています。2章に入ると、アラム語で書き始めています。2章4節には、「カルデヤ人たちは王に告げて言った。− アラム語で。」となっています。ここから、7章の最後までアラム語で記されています。そして8章から、ふたたびダニエルはヘブル語で書き始めているのです。これはどうしてでしょう?ヘブル語は、ご存知のようにヘブル人、イスラエル人が用いていた言語です。旧約聖書は、ヘブル語で書かれています。そして、アラム語は、当時、世界的に用いられていた言語であります。今の英語のような言語です。ですから、ダニエルは、二種類の民族を意識して書いたことが考えられます。イスラエルについてはヘブル語で書き、その他の民族についてはアラム語で書いたという可能性があります。つまり、1章ではイスラエルについて、2章から7章までは異邦人の諸国が描かれ、8章から12章までは再びイスラエルについて書かれたのです。つまり、イスラエル、異邦人、イスラエルという順番で、神はこの世界の歴史を動かされます。この順番で、ダニエルもこの書物を書いているのです。
2A 全体の内容
それでは、1章から12章までの、だいたいのあらましをお話したいと思います。
1B 土台 − 神の主権 (終わりの時に知らなければならない、神のご性質) 1
1章は、ユダヤ人がバビロンに捕らえ移された出来事から始まります。1章1節をご覧ください。「ユダの王エホヤキムの治世の第三年に、バビロンの王ネブカデネザルがエルサレムに来て、これを包囲した。主がユダの王エホヤキムと神の宮の器具の一部とを彼の手に渡されたので、彼はそれをシヌアルの地にある彼の神の宮に持ち帰り、その器具を彼の神の宝物倉に納めた。」とあります。この捕囚は、イスラエルの歴史全体の中でもっとも屈辱に満ちた出来事であり、神が最も起きてはならないと願われていたことでした。というのは、神がこの民をお選びになったのは、彼らを土地と子孫によって祝福されるためだったからです。けれども、今、イスラエルの地はバビロンに奪われ、神殿が破壊されました。ユダヤ人は奴隷として連れ出されました。エジプトの奴隷状態から解放されたのがこの国の始まりだったのに、再び奴隷状態に戻ってしまったのです。
しかし、この絶望の淵に立たせられているとき、神は生きて働いておられました。ダニエル書1章を読みますと、捕らえ移されたダニエルと、3人のヘブル人の少年がネブカデネザル王に仕えるようになったことが書かれています。彼らは、他の少年たちと同じように、王が食べるごちそうの割り当てをもらうことになっていました。けれども、ダニエルは、それらの食べ物が神の律法で汚れたものであることを知ったため、食べることを他の3人とともに拒否したのです。ためしに、ただ野菜と水だけによって、10日間を過ごすことが許されました。10日後、他の少年たちよりも顔色がよく、からだも肥えていました。さらに、王は、ダニエルと3人のヘブル人が、国中のどんな呪法師、呪文師よりも10倍もまさっていることがわかったのです。神は、ダニエルをとおして、このように生きて働かれました。
つまり、どのようなひどい状況の中にいても、神が生きて働いておられるというのが、終わりの時のテーマです。神は、すべてのことを御手をもって動かしておられ、この方の支配からもれるものは何一つありません。ダニエル書2章以降も、このテーマが貫かれています。2章から7章では異邦人の支配について書かれていますが、諸国の王たちが思いのままに、自分の望むところをしているのを読みます。けれども、ダニエルは、2章の21節で、「神は季節と時を変え、王を廃し、王を立てる。」と言っています。つまり、そうした王でさえ、実は神の御手の中で動かされていたのです。そして、8章から12章では、「荒らす忌むべき者」と言う人物が登場します。悪巧みと欺きを重ねて、ユダヤ人を滅ぼそうとします。けれども、「定められた全滅が荒らす者の上にふりかかる。(9:27)」と御使いガブリエルは言いました。この男が破壊活動を行なう前から、神はすでに彼を滅ぼすことを定めておられたのです。したがって、神は生きて働いておられます。どんなに悲惨な状況になってもそうなのです。こうして、ユダヤ人はバビロンに捕らえ移されました。
2B 対象 − 異邦人の時 (神が終了させるのは、異邦人の支配) 2−7
そして、2章以降に入っていきます。ここから、異邦人の支配について語られています。これを言いかえると、人間が世界を支配しているということです。イエスはこの時を、「異邦人の時」と呼ばれました。ルカの福音書21章24節には、「人々は、剣の刃に倒れ、捕虜となってあらゆる国に連れて行かれ、異邦人の時の終わるまで、エルサレムは異邦人に踏み荒らされます。」とあります。イスラエルがバビロンからエルサレムを奪われて以来、イスラエルは、つい最近まで、1度もエルサレムを支配したことがありませんでした。けれども、1967年、イスラエルはエルサレムを自分たちのものとしました。したがって、狭い意味では、異邦人の時は終わったのです。ただ、人間の支配はまだ終わっていないので、私たちはちょうど、移行期にいると言えます。ですから、主が戻って来られるのは、本当に近いのです。このように、異邦人の時は、ダニエルが生きていたときから始まりました。
1C 王を立てる神 2−3
1D 金の頭 2
2章では、バビロンの王ネブカデネザルが夢を見たことが記されています。それは、人の像であり、頭が金、胸と腕が銀、腹とももは青銅、すねは鉄で、足は一部が鉄で一部が粘土でした。そして、人手によらずに切り出された石が、その像の鉄と粘土の足を打ち、そのとき、鉄も粘土も青銅も銀も金もみな、粉々に砕けてしまいました。そして、その像を打った石は、大きな山となって全土に満ちました。ダニエルは、この夢を解き明かしました。金はバビロンです。銀はメディヤ・ペルシヤ帝国であり、青銅はギリシヤです。そして、鉄がローマであり、粘土と鉄の混じったものは、これからの実現を待ちます。
けれども、最後に人手によらずに切り出された石、つまりキリストが来られます。そして、人間の支配する国々をことごとく打ち砕いて、絶滅してしまいます。そして、神が支配される国が始まります。したがって、終わりの時とは、人間の支配が終わるときのことを意味します。あるいは、人間の背後で支配する悪魔の活動が終了する時であります。不正と悪がもはやなくなる時です。戦いがなくなる時です。不品行と偶像崇拝がなくなるときです。だから、天にいる大群衆は、こう叫んでいます。黙示録19章です。「ハレルヤ。救い、栄光、力はわれらの神のもの。神のさばきは真実で、正しいからである。神は不品行によって地を汚した大淫婦をさばき、ご自分のしもべたちの血の報復を彼女にされたからである。(1、2節)」まさに、ハレルヤです。神が、すべての人間の支配を終わらせてくださいます。
2D 全身金の像 3
そして、3章では、ネブカデネザルが、全身金の巨大な像を立てたことが書かれています。先ほどの夢では、頭が金でした。けれども、ネブカデネザルは、自分の見た夢によって高慢になり、自分の国が永遠に立ち続けると思いました。そして、バビロン全土の役人を集め、これにひれ伏して拝むことを命じました。けれども、それに屈しなかった3人がいました。ハナヌヤとミシャエルとアザルヤです。ネブカデネザルは、拝まないなら、燃える火の炉に投げ入れると脅しました。けれども、彼らは、はっきりと断りました。自分たちの仕える神が、火の燃える炉から自分たちを救い出してくださること、また、たとえ救い出されなくても、決して像を拝むことをしないことを告げました。ネブカデネザルは怒り狂い、炉の火を7倍熱くし、3人を投げ入れましたが、なんと、炉の中で彼らは歩いていました。しかも、もう一人がいます。ネブカデネザルは、「神々の子のようだ。」と言いましたが、そうです、この方は御子なるイエス・キリストです。そして、彼らは火の中から出て来て、ネブカデネザルは、彼らの神をほめたたえました。
ここに現われるネブカデネザルは、自分の分を越えて思い上がる、この世の指導者たちの姿を示しています。また、自分自身を人々に拝ませ、拝まない者を排除します。こうした指導者の多くが、ネブカデネザルがしたように、ユダヤ人を迫害します。ヒトラー(Hitler)はその典型的な人物でした。けれども、聖書には、終わりの日に、ヒトラーを倍にしたような恐ろしい人物が現われることを告げているのです。それが反キリストであり、彼は自分自身を神とし、ユダヤ人を全滅させようとします。けれども、この3人のヘブル人のように、ユダヤ人は大患難の中から救い出されます。こうして、ネブカデネザルは高ぶりました。
2C 王を廃す神 4−5
そして、4章と5章では、バビロン帝国が衰退に向かう話が出てきます。神は、思い上がる指導者を、懲らしめないでおくことは決してありません。また、ある時は、ことごとくさばいてしまいます。ダニエルが言ったように、神は王をお立てになりますが、王を廃することもおできになるのです。
1D 根株 4
4章は、ネブカデネザルの手紙になっていて、世界中に送られました。ネブカデネザルは夢を見ましたが、大きく生長した木が、ひとりの見張りの者によって切り倒されました。ただ、根株だけは残され、それに鎖がかけられて、獣と同じようにしてしまうというものでした。実はこれは、ネブカデネザルを表しており、彼は事実、人間の中から追い出され、野の獣のようになってしまいました。7年がたち、ネブカデネザルは、神こそが人間の国を支配し、神が高ぶるものを低くし、へりくだる者を高くすることを知りました。ネブカデネザルは、これによってへりくだることを学び、再び王の地位に戻されたのです。
2D メネ、メネ、テケル、ウ・パルシン 5
ところが、ネブカデネザルが学んだ教訓を、その後継者であるベルシャツァルは学びませんでした。5章に入ります。彼は、エルサレムの神殿から奪い取った金や銀の器で、淫らなパーティーを開き、金や銀やいろいろな材質でできた偶像を拝みました。そのとき、宮殿の壁に、人間の手が現われ、物を書きました。「メネ、メネ、テケル、ウ・パルシン」です。ベルシャツァルはおびえて、ひざが、がたがたに震えました。そこにダニエルが連れて来られました。彼は、この文字を解き明かし、バビロンが倒れて、メディヤとペルシャに与えられることを告げました。なんと、その夜に、バビロンは倒れて、ベルシャツァルは殺されたのです。ですから、国がどんなに栄えたとしても、どんなに強くなっても、神はそれを一瞬にして倒すことがおできになるのです。
3C まとめ 6−7
そして、6章と7章に入りますが、ここは2章から5章までのまとめのようになっています。
1D 救い出す神 6
6章では、ちょうど、3章で3人のヘブル人が救い出されたことと同じようなことが起こっています。ダニエルが、獅子の穴の中に投げ込まれますが、何の害も受けなかったという話です。バビロンは滅び、メディヤ・ペルシャ帝国が立てられましたが、国が変わっても、神のみわざは変わることはありません。神は続けて、ユダヤ人を救い出されています。
2D 4つの大国 7
そして、7章では、2章に出てきた人の像に似た幻が書かれています。人の像は、金、銀、青銅、鉄という4つの材質が出てきましたが、ここでは4頭の獣が現われます。この4頭は、2章と同じように4つの大国を表していますが、ものすごく恐ろしい姿です。バビロンは金の頭ではなくて、鷲の翼をつけた獅子でした。メディヤ・ペルシヤは銀の胸ではなくて、熊でした。ギリシヤは青銅ではなく、4つの翼と4つの頭のあるひょうでした。そして、ローマは鉄の足ではなくて、この地上には存在しないような恐ろしい獣でした。大きな鉄のきばを持っており、10本の角を持っていました。同じ国であるのに、ずいぶん違った夢と幻であります。なぜなら、これは人間が見方と神の見方が、大きく異なっているからです。人間が、世界を支配する国々を見るとき、それは人の像のように栄光に満ちています。けれども、神が人間の国々を見るとき、それは恐ろしく、おぞましく、野獣のようなのです。暗やみの世界です。
そして、この幻では、第4の恐ろしい獣に焦点が当てられています。10本の角があるところに、新たに1本の角が生えて、他の3本が引き抜かれました。これは、大きなことを語る口が与えられ、全世界を食い尽くし、ユダヤ人たちに戦いを挑みます。けれども、最後にこの獣は滅ぼされ、燃える火に投げ込まれます。これは、3章でお話しした反キリストの姿です。反キリストは、復興するローマ帝国から出現します。けれども、バビロンが一夜にして滅んだように、この男も、再臨のキリストによって、瞬く間に滅んでしまいます。
3B 目的 − イスラエルの回復 (神が完了させるのは、イスラエルへの約束) 8−12
こうして、異邦人の時について学びました。ここまではアラム語で書かれています。次からヘブル語です。ダニエルは、再び、世界を支配する国々についての出来事を幻で見ますが、今度はイスラエルの視点から見ることになります。
1C イスラエルの帰還 8−9
1D ペルシヤ、ギリシヤ帝国 8
8章において、ダニエルは、一頭の雄羊と一頭の雄やぎの幻を見ました。7章の獣と同じように、獰猛(どうもう)であります。そして、これはメディヤ・ペルシヤ帝国とギリシヤ帝国です。なぜ、バビロンが登場しないかというと、もう衰退の道をたどっていたからです。あるいは、イスラエルが捕囚から帰還する歴史を、この幻が現わしているからです。ユダヤ人はエルサレムに帰ることを、バビロンを倒したペルシヤ国のクロス王によって許されます。私たちが、エルサレムに戻ってからいったいどうなるのか、というのはダニエルの関心事になるし、他のユダヤ人の関心事になるはずです。そこで、神は、ダニエルに幻をお与えになりました。
幻の中の、2頭の家畜のうち、雄やぎのほうが注目されています。大きな角が一つありましたが、それが折れて4つの角が生え出ました。そして、そのうちの一つの角から一本の角が芽を出して、南と東と、麗しい国イスラエルに向かって非常に大きくなっていきました。そして、この角はユダヤ人の神殿を汚し、常供のささげものの代わりに、ぶたのような汚れた動物がささげるようにさせました。そして、ある御使いが、「これはいつまでのことだろう。」と聞いたら、他の御使いが、「2300日までのことである。」と答えました。つまり、ユダヤ人たちは、エルサレムに戻って神殿を再建することができるのだが、それを荒らす人物が現われる、というのです。事実、アンティオコス・エピファネスという人物が登場しました。彼は、ものすごく横柄で狡猾な人物であり、大勢のユダヤ人を殺し、ギリシヤ文化を無理やり押し付けました。ですから、ユダヤ人がエルサレム帰還後に待ち構えていたのは、大きな試練だったのです。けれども、2300日後、紀元前165年12月25日に、ユダヤ人は神殿を取り戻すことができました。だから希望があります。
けれども、この箇所を読むと不思議なのは、この人物の表現が、7章に出てくる反キリストと非常に似ていることです。大きなことを言い、ユダヤ人たちを迫害し、神を冒涜します。けれども、その最後は滅びです。7章の角は、4番目の獣、つまりローマ帝国から出現しますが、8章の角は、ギリシヤ帝国から出現します。つまり、このアンティオコス・エピファネスという人物は、後に来る反キリストの型(type)になっているのです。彼が行なうことは、キリストが再び来られる前に出現する、偽キリストが行なうことを指し示しています。
2D 70週 9
9章では、ダニエルの悔い改めの祈りから始まります。エルサレムへの帰還が近づいたことを、エレミヤの預言によって知って、イスラエルが神に対して犯した罪を告白しました。そのときに、御使いガブリエルが彼に現われたのです。ダニエルがイスラエルのために祈っているので、イスラエルがこれからどうなるかを知らせました。彼は、「あなたの民とあなたの聖なる都については、70週が定められている。(24節)」と言いました。70週が終わったら、神の国が訪れます。そのとき、「そむきをやめさせ、罪を終わらせ、咎を贖い、永遠の義をもたらし、幻と預言とを確証し、至聖所に油を注がせる。」と言いました。つまり、イスラエルが、神が意図されていたように、祝福される状態に回復されるというのです。終わりの時、神はイスラエルに与えられた祝福の約束を、すべて実現させてくださいます。
けれども、そのまえに、2つの出来事が起こります。一つは、69週後に、メシヤが来られるが絶たれる、というものです。イエスが十字架につけられて死なれました。ユダヤ人は、イエスをメシヤと認めることができず、この方を十字架につけてしまいました。でも、次に来る偽メシヤを信じてしまいます。実はこれが、7章に出現した角であり、ユダヤ人に大迫害を行ないます。けれども、9章は、「定められた全滅が、荒らす者の上にふりかかる。」という言葉で締めくくられています。
2C イスラエルの救出 10−12
このように、8章と9章は、イスラエルがエルサレムに帰還した後の世界とイスラエルのことについて記されていました。そして、次に、一つの幻がダニエルに与えられます。10章から最後の12章まで、この一つの幻について語られています。ここでは、8章と9章で語られていたことがさらに詳しく示されています。また、イスラエルがひどい苦難に遭いながらも、最後には救い出されることが記されています。
1D 神の栄光 10
10章は、その幻を知らせる御使いたちについて書かれています。いろいろな御使いが現われますが、一人はものすごい姿をしていました。真っ白な衣を着て、金の帯を締め、顔はいなずまのようであり、目は燃えるたいまつのようでした。腕と足はみがかれた青銅のようで、声を出すと大群衆の声のようでした。ダニエルはこれを見て、気絶してしまいました。私たちは、黙示録1章からこの方がイエス・キリストであることを知っています。ですから、御使いと言っても一人は神の御子でした。こうして、イエスが、栄光の御姿でダニエルに現われてくださったのです。
2D 反キリストの出現 11
そして、11章で、幻が示されます。読めばわかるのですが、ものすごく細かく、著しく正確な預言です。ペルシヤ帝国からすぐにギリシヤ帝国についての預言に移りますが、例えば、あの有名なクレオパトラも出現します。そして、21節からアンティオコス・エピファネスが登場し、彼についての記述がずっと続きます。さらに、36節から、アンティオコス・エピファネスを型としている反キリスト自身が現われます。そして、11章は、「ついに、彼の終わりが来て、彼を助ける者はひとりもいない。」という励ましの言葉で締めくくられます。
3D 苦難、復活、休み 12
12章からは、イスラエルの救いです。彼らのうち思慮深い者たちは復活し、神から報いを受けます。大空の輝きのように輝きます。そして、また、思慮深い者たちは、終わりの時に、これらの預言を理解することができると、主はおっしゃられました。そして、聖徒たちが受ける苦難は、ひと時とふた時と半時、つまり3年半であると告げられています。これが大患難時代と呼ばれるもので、70週の預言の、第70週目の後半部分に当たります。12章の最後は、ダニエル自身が復活して、約束の地に立つことができると告げられています。バビロンに捕らえ移されて、その一生をほとんどバビロンとペルシヤで過ごしたダニエルにとって、この言葉はなんと慰めに満ちたものでしょうか。これは、主に忠実なしもべに対する、神からの報酬です。
3A 結論
1B 教会の位置付け
こうして、ダニエル書全体を見ましたが、これはダニエルが生きていた時からの世界の歴史と、イスラエルの行く末が記されていました。それでは、教会はどうなるのか、という疑問を持たれた方が多くいらっしゃったと思われます。そうです、教会の姿がこの預言の中に記されていません。他の旧約聖書の中にも、特に啓示されていません。なぜなら、教会は神の奥義だからです。パウロは言いました。エペソ人への手紙3章をお開きください。3章の5節と6節です。「この奥義は、今は御霊によって、キリストの聖なる使徒たちと預言者たちに啓示されていますが、前の時代には、今と同じように人々に知らされていませんでした。その奥義とは、福音により、キリスト・イエスにあって、異邦人もまた共同の相続者となり、ともにひとつのからだに連なり、ともに約束にあずかる者となるということです。」つまり、旧約の時代には教会の姿は知らされていませんでした。教会とは、ユダヤ人だけでなく異邦人が神の祝福にあずかる、ユダヤ人と異邦人を一つにした共同体です。今まで、異邦人、イスラエルというように分けられていましたが、今や、神はどちらにも救いの御手を差し伸ばしてくださっているのです。
確かに、ダニエル書には教会の姿は記されていませんが、ヒントとなるものはあります。3章で、3人のヘブル人が燃える火の炉から救い出された話を読みましたが、それは大患難を通って救い出されるユダヤ人の姿を現わしていました。では、ダニエル自身はそのとき何をしていたのでしょうか。彼はおそらく、王宮の事務を取り扱っていたのでしょうが、彼はその場にいないことによって救い出されたのです。燃える火の炉に入らずして救われました。これが教会を指し示しています。教会は、大患難を通りません。大患難が起こる前に、地上から取り除かれているのです。パウロは、テサロニケにいる信者たちに、イエスが、やがて来る御怒りから私たちを救い出すために、イエスが天から来られることを話しています(1テサロニケ1:10参照)。4章に入るとダニエルが再び登場します。同じように、私たち教会も、キリストが地上に再び来られるときに、天から引き連れられて来ます(ユダ14参照)。
そして、もう一つのヒントがあります。9章には70週がイスラエルのために定められているとありました。69週後にイエスが来られて十字架につけられましたが、それでは、70週目はどうなったのでしょう?70週目に該当するような出来事を、私たちはいくら歴史をほじくっても出てきません。だからまだ将来の出来事なのです。では、なぜこんな時間の隔たりがあるのでしょうか。教会があるからです。イスラエルに対する神のご計画は、教会が誕生したことによって、一時的に停止しているのです。パウロは、この時代を、恵みの時、救いの日(2コリント6:2)と呼びました。神から遠く離れていた異邦人でも、キリストによって神に近づくことができるようになったのです。したがって、この教会の時代が終わるとき、神は最後の70週目の計画を実行されます。教会がこの地上から取り除かれ、空中に引き上げられた後に、反キリストが活動を開始するのです。
2B 教会の責任
それでは、私たちは何をしなければならないのでしょうか。イエスは、終わりの日について、さまざまな勧めを与えておられます。まず、「目をさまして、用意していなさい。(マタイ24:42,13)」です。イエスが、今にでも来られることをいつも意識していなければなりません。さもないと、私たちはこの世の中に引き込まれて、肉の行ないをしてしまいます。終わりになるにつれて、ますます不法と罪がはびこります。これに対抗できるのは、ただ、キリストが戻って来られるのを見つめ続けることによってのみです。そして、イエスは、「油断せずに祈っていなさい。」と言われました。目をさまして、用意するためには、絶えず祈っている必要があります。ルカの福音書には、「しかし、あなたがたは、やがて起ころうとしているこれらすべてのことからのがれ、人の子の前に立つことができるように、いつも油断せずに祈っていなさい。(21:36)」と書かれています。つまり、これから起ころうとしている大患難をのがれ、主とお会いできるように祈りなさいと言うことです。そして、イエスは、「神の国は近いと知りなさい。(ルカ21:31)」と言われました。いちじくの木から芽が出ると、夏の近いことがわかります。同じように、イエスが話された世の終わりの前兆を見るのであれば、神の国が近づいていると知らなければいけません。今、私たちは、この世界で起こっていることを見て、ダニエル書のことがことごとく成就しているのを見ます。主はダニエルに、「これは、終わりの時まで、このことばを秘めておき、この書を封じておけ。多くのものは探し回り、知識を増そう。(12:4)」と言われましたが、知識が増した今、この書は開かれています。ダニエルが分からなかったことは今、私たちに知られています。だから、目をさまし、油断せずに祈り、これからも続けて、この世で起こっていることを見つづける必要があります。初代教会のクリスチャンたちは、お互いにこうあいさつしました。「マラナタ。」つまり、主よ、来てください(1コリント16:22)です。お祈りしましょう。