1A すでに起こった事 1−35
1B ペルシヤからギリシヤ 1−4
2B エジプト・シリヤ戦争 5−20
3B アンティオコス・エピファネス 21−35
2A これから起こる事 36−45
1B 反キリスト 36−39
2B 世界最終戦争 40−45
本文
ダニエル書11章です。ついにダニエル書後半、預言部分のクライマックスの部分に入ります。ダニエルが自分の生涯でおそらく最後に見た幻であり、そしてダニエル書の中にある数々の夢や幻の集成とも言うべき大きな幻です。
私たちは前回から、ダニエルが見た最後の幻を読んでいます。それは「大きないくさ」についてのことであるとダニエルは10章1節で言いました。ダニエルが生きていた、ペルシヤの初代王クロスの治世以後に起こる、ギリシヤのセレウコス朝とプトレマイオス朝の間で繰り広げられる戦争がその主な内容です。けれども、その目に見える戦いの背後には、目に見えない天使たちの熾烈な争いがあったことを10章で学びました。そして今日は、その実際の戦争の預言を読みます。
ここで忘れてはならないのは、ダニエルが紀元前534年頃にこの幻を受けたということです。二世紀後に起こる出来事を、まるで詳細な古代ギリシヤ戦争史を辿るかのように読んでいくことができることです。普段は、ここにあそこに矛盾があると言う聖書批評家は、この箇所に入ると何も言えなくなり結局、「全てのことが起こった後で、これらを書き記したのだ。」という言い逃れをします。
なぜ神がダニエルに、これらのことを示されたのでしょうか?もちろん、これまでの夢や幻ですでに示されたことを、より明らかにお示しになる目的があります。アンティオコス・エピファネスが現われること、そして彼が神の民と神殿を荒らすこと、そして彼を原型とする反キリストが終わりの日に現われること、けれどもキリストご自身が反キリストを滅ぼされること。これらを11章そして12章で詳しく見ることができますが、また同時に、そこに至るまでの国々の戦いを詳細に明らかにしておられます。
その啓示の理由は、神がご自分こそが生ける方であることを証しされるためです。「遠い大昔の事を思い出せ。わたしが神である。ほかにはいない。わたしのような神はいない。わたしは、終わりの事を初めから告げ、まだなされていない事を昔から告げ、『わたしのはかりごとは成就し、わたしの望む事をすべて成し遂げる。』と言う。(イザヤ46:9-10)」終わりに起こることを、初めから告げることによって、この方こそまことの神であることを示されます。
1A すでに起こった事 1−35
1B ペルシヤからギリシヤ 1−4
11:1 ・・私はメディヤ人ダリヨスの元年に、彼を強くし、彼を力づけるために立ち上がった。・・
「私」とは、10章に現われた御使いのことです。ミカエルとともにペルシヤやギリシヤの君どもに立ち向かう御使いです。彼が初めに、「メディヤ人ダリヨス」を強くしました。ダニエル書6章にて、バビロンの崩壊後、王になった人です。彼が、ダニエルが獅子の穴から救われたことによって、世界にこの神が生きておられることを手紙にして証しした人物です。確かに、彼はイスラエルのために強くされ、立ち上がりました。
11:2 今、私は、あなたに真理を示す。見よ。なお三人の王がぺルシヤに起こり、第四の者は、ほかのだれよりも、はるかに富む者となる。この者がその富によって強力になったとき、すべてのものを扇動してギリシヤの国に立ち向かわせる。
ここからは未来の話です。だから「あなたに真理を示す」と強調しています。これから起こる三人の王とは、今はクロスですから彼は含まれていません。その後の三人は、「カンビュセス」「スメルディス」そして「ダリヨス」です。
そして「第四の者」とはダリヨスの息子クセルクセスのことです。エステル記に出てくる「アハシュエロス」のことです。彼の時代がペルシヤの中で最も富み、強力になりました。そこで彼がギリシヤへ遠征に行きました。あの有名なスパルタとの戦いがその一つです。けれども遠征は成功しませんでした。エステル記1章で王妃ワシュティを罷免して、2章で国中の女を捜してついにエステルを王妃にした話がありますが、その1章と2章の間に遠征を行なったものと思われます。ですから、すべてが預言どおりになりました。
11:3 ひとりの勇敢な王が起こり、大きな権力をもって治め、思いのままにふるまう。11:4 しかし、彼が起こったとき、その国は破れ、天の四方に向けて分割される。それは彼の子孫のものにはならず、また、彼が支配したほどの権力もなく、彼の国は根こぎにされて、その子孫以外のものとなる。
「ひとりの勇敢な王」とはアレキサンダー大王です。彼が起こしたペルシヤに対する戦争は、クセルクセスに対する復讐と言われていますが、ともかく彼は3節にあるとおり、「大きな権力をもって治め、思いのままにふる」まいました。これからさらに勢力を増し加えてもおかしくありませんでしたが、彼は若くして夭折し、それで四人の総督に国が分割されました。
「彼の子孫のものにはならず」とありますが、アレキサンダー大王には幼少の息子たちがいましたが殺されています。総督同士の戦争が始まりましたが、そこで「彼の国は根こそぎにされた」とあります。
2B エジプト・シリヤ戦争 5−20
そして5節から20節までは、アンティオコス・エピファネスに至るまでのプトレマイオス朝とセレウコス朝の戦いが描かれています。ギリシヤは四つに分割されましたが、主な国はシリヤのセレウコス朝とエジプトのプトレマイオス朝です。
11:5 南の王が強くなる。しかし、その将軍のひとりが彼よりも強くなり、彼の権力よりも大きな権力をもって治める。
「南の王」はプトレマイオス一世(ソーテール)です。そして「その将軍のひとり」とは、セレウコス一世(ニカトール)です。セレウコス一世は、バビロンにいるもう一人の総督アンティノゴスに攻められます。それでセレウコスは、プトレマイオスに助けを求めました。そして共同でアンティノゴスと戦い、アンティノゴスに打ち勝ち、バビロンに戻りました。その後、セレウコス一世は勢力を増し、プトレマイオス一世よりも大きい領土を支配し、強くなりました。ここに書いてある通りです。
そしてこの南の王と北の王の競り合いが、後にその中間にあるイスラエルの地が踏み荒らされる原因となり、そしてアンティオコス・エピファネスが神殿を荒らす機会を与えます。
11:6 何年かの後、彼らは同盟を結び、和睦をするために南の王の娘が北の王にとつぐが、彼女は勢力をとどめておくことができず、彼の力もとどまらない。この女と、彼女を連れて来た者、彼女を生んだ者、そのころ彼女を力づけた者は、死に渡される。
「何年かの後」とありますが、5節から時間が経っています。プトレマイオス一世は死に、息子プトレマイオス二世(ピラデルポス)が治めました。一方セレウコス一世は殺されて、息子アンティオコス一世(ソーテール)が王となりました。その後、セレウコスの息子アンティオコス二世(セオス)が王となり、このアンティオコス二世とプトレマイオス二世の仲が悪かったのです。
その打開策として、政略結婚によって同盟を結びました。プトレマイオス二世の娘ベルニケを、アンティオコス二世に与えたのです。
ところがここに書いてあるとおり、ベルニケもアンティオコス二世も勢力をとどめておくことはできませんでした。なぜなら、アンティオコス二世の元妻、ラオディケのせいです。プトレマイオス二世がベルニケをアンティオコス二世に与える時、アンティオコスの妻と離縁するように命じました。そしてアンティオコスはベルニケと結婚したのです。
プトレマイオス二世が二・三年に死にました。そこでアンティオコス二世はラオディケとよりを戻しました。ところがラオディケは自分が離縁されたことに対して復讐して、ベルニケとアンティオコス二世、そしてベルニケとアンティオコスの間に生まれた赤ちゃんを殺したのです。だからここに、「この女と、彼女を連れて来た者」そして「彼女を力づけた者」が死に渡されるとあります。彼女を連れて来た者はもちろんアンティオコス二世で、力づけた者はその赤ちゃんです。
そして「彼女を生んだ者」とは父プトレマイオス二世です。彼の死によって、他の三人の死を招きました。
11:7 しかし、この女の根から一つの芽が起こって、彼に代わり、軍隊を率いて北の王のとりでに攻め入ろうとし、これと戦って勝つ。11:8 なお、彼は彼らの神々や彼らの鋳た像、および金銀の尊い器を分捕り品としてエジプトに運び去る。彼は何年かの間、北の王から遠ざかっている。11:9 しかし、北の王は南の王の国に侵入し、また、自分の地に帰る。
6節からまた世代が変わります。「この女の根」とはプトレマイオス二世ですが、「芽」はベルニケの兄弟プトレマイオス三世(エウエルゲテス)です。彼が、ラオディケの息子、セレウコス二世(カリノコス)に対して戦争をします。大勝利に終わりました。セレウコス二世の母ラオディケを殺すことができました。
そして彼はエジプトにはぜひ必要な神々を、シリヤの地から分捕り品として運び去りました。2500ほどあったそうです。かつてペルシヤのカンビュセス王がエジプトを攻めた時に持っていった偶像もその中に含まれていました。四万タラントの金を運び去ったそうです。
それから、セレウコス二世(カリノコス)はエジプトに戦いに行きます。9節に「南の王の国に侵入した」とあるとおりです。けれども大きく負けてしまい、撤退しています。
11:10 しかし、その息子たちは、戦いをしかけて、強力なおびただしい大軍を集め、進みに進んで押し流して越えて行き、そうしてまた敵のとりでに戦いをしかける。
ここからまた新しい世代の戦いが始まります。「その息子たち」とありますが、カリノコスの息子がセレウコス三世(ソーテール)とアンティオコス三世(大王)です。セレウコス三世はすぐに戦死してしまいましたが、そのアンティオコス大王が当時の王プトレマイオス四世(フィロパトル)に戦争をしかけました。フィロパトルはかなり怠惰な人間だったそうで、国内に混乱がありその機会を狙いました。そしてイスラエル地方のガザまでシリヤの領域に入れました。
11:11 それで、南の王は大いに怒り、出て来て、彼、すなわち北の王と戦う。北の王はおびただしい大軍を起こすが、その大軍は敵の手に渡される。11:12 その大軍を連れ去ると、南の王の心は高ぶり、数万人を倒す。しかし、勝利を得ない。
フィロパトルはアンティオコス大王と、エジプトとイスラエルの国境の町ラフィアで戦いを行ないました。それぞれ七万人の兵がいました。結果はエジプト側の勝利です。「数万人を倒す」とあるとおりです。けれども彼はアンティオコス大王を追い続けませんでした。「勝利を得ない」とある通りです。
11:13 北の王がまた、初めより大きなおびただしい大軍を起こし、何年かの後、大軍勢と多くの武器をもって必ず攻めて来るからである。
アンティオコス大王はしばらくエジプトから手を引き、東方に領域を広げていました。その間、武力と財力を蓄えました。フィロパトルが死に、その息子プトレマイオス五世(エピファネス)がたった五歳で即位しました。それでアンティオコス大王は大規模な軍をエジプトに送りました
11:14 そのころ、多くの者が南の王に反抗して立ち上がり、あなたの民の暴徒たちもまた、高ぶってその幻を実現させようとするが、失敗する。
エジプトに敵対するのはシリヤだけではなく、ギリシヤにもいました。そしてユダヤ人たちもアンティオコス大王に協力してエジプトに反抗しました。
「幻を実現させようとする」とありますが、セレウコス朝からもプトレマイオス朝からも自由になり、独立できるという幻であると考えられます。極めて短絡的であり、働いた暴力について、またアンティオコス大王にくみことが「高ぶり」であると責めています。後に、アンティオコス・エピファネスにくみする者たちが出てくるので、その予兆でしょう
11:15 しかし、北の王が来て塁を築き、城壁のある町を攻め取ると、南の軍勢は立ち向かうことができず、精兵たちも対抗する力がない。
アンティオコス大王は、エジプトの将軍スコパスをシドンにて降伏させました。この「城壁のある町」とはシドンのことです。そして「精鋭たち」とありますが、スコパスを救出しようとした人たちがいましたが、その作戦は失敗しました。
11:16 そのようにして、これを攻めて来る者は、思うままにふるまう。彼に立ち向かう者はいない。彼は麗しい国にとどまり、彼の手で絶滅しようとする。
この最後の部分は新共同訳ですと、「彼は支配を確立し、一切をその手に収める。」とあります。アンティオコス大王がエルサレムに来て、ユダヤ人に優遇処置を行なったそうです。自分の戦いに加わって、共に戦ってくれたからです。
けれどもこの時点で、イスラエルの地がシリヤの影響下に置かれます。そして後に、アンティオコス・エピファネスがこの地を踏みにじります。
11:17 彼は自分の国の総力をあげて攻め入ろうと決意し、まず相手と和睦をし、娘のひとりを与えて、その国を滅ぼそうとする。しかし、そのことは成功せず、彼のためにもならない。
アンティオコス大王は、当時、まだ七歳だったプトレマイオス五世エピファネスに、自分の小娘クレオパトラを与えました。それによってエジプトにシリヤの影響力を広げようとしたのです。「その国を滅ぼそうとする」とあるとおりです。
ところが、クレオパトラはなんと自分の夫プトレマイオス・エピファネスについてしまいました。それで成功しませんでした。
11:18 それで、彼は島々に顔を向けて、その多くを攻め取る。しかし、ひとりの首領が、彼にそしりをやめさせるばかりか、かえってそのそしりを彼の上に返す。
彼は地中海の島々に目を向けました。そしてローマの将軍ルキウス・スキピオが彼の所に来た時に、「あなたがたローマには、アジヤのことは分からない。」とあしらったそうです。けれども、後にギリシヤにおける戦いで同じローマの将軍スキピオに敗れてしまいました。そこで「かえってそのそしりを彼の上に返す」とあるとおりです。
この時期から、世界全体の力がギリシヤからローマに移っています。私たちがネブカデネザルの夢で、腹とももの青銅から鉄に変わったのを読みましたが、その兆しを見ます。
11:19 それで、彼は自分の国のとりでに引き返して行くが、つまずき、倒れ、いなくなる。
これで10節から始まるアンティオコス大王の生涯は終わります。彼はエラム州にある宮を略奪しようとした時に殺されました。もし彼がローマの影響下にある地中海の島々やギリシヤの方面に遠征にいかなければ、名前のごとく「大王」でいることができたでしょう。
11:20 彼に代わって、ひとりの人が起こる。彼は輝かしい国に、税を取り立てる者を行き巡らすが、数日のうちに、怒りにもよらず、戦いにもよらないで、破られる。
アンティオコス大王の息子セレウコス四世(フィロパトル)が王となりました。ローマが勢力を持ち、シリヤに対して年に一千タラントの貢物をしなければいけませんでした。そこでイスラエルに対して重税を課しました。
そのためにヘリオドルスを取り立て人として遣わし、神殿から財宝を奪い取ることになっていました。けれども、その間にセレウコス・フィロパトルが死にます。ヘリオドルス本人に毒殺されたのです。ですから、「怒りにもよらず、戦いにもよらないで、破られる」とあるとおりです。
3B アンティオコス・エピファネス 21−35
さてセレウコス朝に次の後継者が現われないといけません。そこで出てきたのはアンティオコス四世(エピファネス)です。彼の話が21節から35節まで続きます。実はこれまでの話は、彼が出てくるまで、国々がどのようにこのイスラエルの地に、またユダヤ人に関わるのかを描いていました。今から本番と言って良いでしょう。
11:21 彼に代わって、ひとりの卑劣な者が起こる。彼には国の尊厳は与えられないが、彼は不意にやって来て、巧言を使って国を堅く握る。
アンティオコス・エピファネスの特徴を一言でいうならば「卑劣」です。彼には狡猾と打算と裏切り、そして権力への飽くなき欲求がありました。そして彼が権力を握る大きな特徴は「巧言」です。口がうまかったのです。人を自分にひきつけながら、自分に権力を集める方法を取りました。さらに、彼は「不意」にやって来たとあります。新共同訳では「平穏」と訳されています。軍事的衝突によって権力を握るのではなく、平和を装ってすばやく握ります。
この人物を見ると、後に来る反キリストがどのような人物なのかを見据えることができます。彼は、初めは何でもない人物です。けれどもすばやく権力を握ります。本来、その権力の座に着く資格がないのに、なぜか誰も彼をそこから引きずり降ろすことはできません。催眠術をかけるように演説によって人々を魅了します。けれども一度、権力を握ればすべて自分の支配の中で人々をまとめます。「自由」を約束しながら、これまでなく束縛します。平和を約束しながら、戦争がこれまでになく起こります。そのような卑劣な人物です。
そしてアンティオコス・エピファネスがギリシヤの王の中で最も注目されているのは、彼がユダヤ人とその神に対して尋常ではない憎しみを抱くことです。究極の反ユダヤ主義者です。同じように、反キリストはユダヤ人だけにではなく、キリストを信じる異邦人に対しても激しい憎しみを露にします。そして権威と呼ばれるすべてのものに対して、特に神に対してそしるのです。
このようにして見ると、使徒ヨハネが「多くの反キリストが現われている(1ヨハネ2:18)」と言った訳がよく分かります。何か身に覚えのある人物、歴史において、また今の政治において「この人では?」と思わせたかもしれません。なぜなら、反キリスト本人ではないにしても、反キリストの霊はすでに働いているからです。
では具体的に21節がどのように成就したかを説明します。アンティオコス・エピファネスは、死んだセレウコス・フィロパトルの弟です。フィロパトルが死んだ時、その正統な後継者はフィロパトルの息子デメトリオスでした。デメトリオスは、ローマに人質として拘束されていました。そしてまだ赤ん坊だったもう一人の息子がおり、彼もアンティオコスという名前ですが、シリヤにいました。
エピファネスは、この小さなアンティオコスの保護者を装いながらアンティオケに来て、巧みな策謀によってそのままセレウコス朝の王座を獲得しました。そして赤ん坊のアンティオコス自身はアンドロニコスに殺されて、その後エピファネスがアンドロニコスを死刑にしました。けれども、エピファネス自身がこの陰謀を行なったと思われます。
11:22 洪水のような軍勢も、彼によって一掃され、打ち砕かれ、契約の君主もまた、打ち砕かれる。
エジプトからの数々の軍勢に対して、エピファネスはどんどん勝利していきました。そして「契約の君主」とありますが、8章で説明したとおり、これは大祭司オニアス三世のことです。彼が殺されてから、イスラエルの地のヘレニズム化が一気に進みます。
11:23 彼は、同盟しては、これを欺き、ますます小国の間で勢力を得る。
「小国の間で」とありますが、訳によってかなり違います。口語訳は「わずかな民をもって強くなり」とあります。自分についている者が少ししかいないのに、同盟によって勢力を得るということです。彼は巧妙に国々に対して、特にエジプトに対してこれを行ないました。
時のエジプトの王は、プトレマイオス6世(フィロメトル)でした。彼はアンティオコス・エピファネスの甥です。アンティオコス大王の娘クレオパトラが生んだ息子です。まだ幼少であったので保護者らがいたのですが、エピファネスは、今度は自分がフィロメトルの保護者を装って、結局、彼を傀儡の王にして、アレキサンドリア以外の地域を掌握します。
11:24 彼は不意に州の肥沃な地域に侵入し、彼の父たちも、父の父たちもしなかったことを行なう。彼は、そのかすめ奪った物、分捕り物、財宝を、彼らの間で分け合う。彼はたくらみを設けて、要塞を攻めるが、それは、時が来るまでのことである。
「州の肥沃な地域」とはエジプトのことです。今説明したとおり、フィロメトルを梃子にしてエジプトを攻めます。そして彼には一つの癖があって、自分に追従する者たちに略奪した物を分け与えていました。それによってさらに彼を支持する者たちが増えていきました。
こうして「要塞を攻める」、つまりエジプトにある重要な地点を押さえますが、「時が来るまで」神の時が来たら止められる、ということです。
11:25 彼は勢力と勇気を駆り立て、大軍勢を率いて南の王に立ち向かう。南の王もまた、非常に強い大軍勢を率い、奮い立ってこれと戦う。しかし、彼は抵抗することができなくなる。彼に対してたくらみを設ける者たちがあるからである。11:26 彼のごちそうを食べる者たちが彼を滅ぼし、彼の軍勢は押し流され、多くの者が刺し殺されて倒れる。
エジプト人たちはエピファネスのもう一人の甥である、プトレマイオス8世(フィスコン)を王に立てました。フィロメトルがエピファネスの影響下にあるからです。それでエピファネスは、以前のように攻略や少ない者たちではなく、大規模な遠征を繰り広げました。ペルシウム(Pelsium)という所での戦いです。
結果はエピファネスが勝ちました。エジプト王の側近らや軍の失態のせいです。エピファネスはフィロメトルをメンフィスに置きエジプトでの権力を再び掌握します。けれども表向きは、エジプトとの友好関係を演じます。そこで次の御言葉があります。
11:27 このふたりの王は、心では悪事を計りながら、一つ食卓につき、まやかしを言うが、成功しない。その終わりは、まだ定めの時にかかっているからだ。
勝利者と敗北者が共に一つの食卓について友好関係を装っていますが、腹心は全く違っていました。
けれども、「その終わりは、まだ定めの時にかかっているからだ」と御使いは付け加えています。神の時間制限内でのアンティオコス・エピファネスの行動なのだ、ということを強調しています。終わりが来たら彼は立てなくなる、ということです。
11:28 彼は多くの財宝を携えて自分の国に帰るが、彼の心は聖なる契約を敵視して、ほしいままにふるまい、自分の国に帰る。
アンティオコス・エピファネスのユダヤ人迫害、神殿荒らしが始まりました。この遠征の帰りに、エルサレムを攻め、八千人を殺し、四万人の捕虜を連れ、四万人を奴隷として売りました。さらに、聖所の中に入って聖なる器具を持ち去りました。
11:29 定めの時になって、彼は再び南へ攻めて行くが、この二度目は、初めのときのようではない。11:30 キティムの船が彼に立ち向かって来るので、彼は落胆して引き返し、聖なる契約にいきりたち、ほしいままにふるまう。彼は帰って行って、その聖なる契約を捨てた者たちを重く取り立てるようになる。
大規模な遠征としては第二回目になります。アンティオコス・エピファネスの傀儡であったフィロメトルとフィスコンが和解します。それで自分の梃子を失ったエピファネスが怒ってこのように遠征に来ました。
けれども、エジプトはローマに助けを求めます。エピファネスが、まだ自分の手中に入っていないアレキサンドリアに向かう途中で、ローマ海軍のポピリウス・ラエナスが彼に対峙し、彼の周りに縁を描きました。(「キティム」とはローマのことを指しています。)「この円から出る前に決断せよ。」と迫りました。それでエピファネスは引き下がるを得なかったのですが、その腹いせに行なったのがこの大規模なユダヤ人迫害です。
彼だけがユダヤ人を強制的にギリシヤ化したのではありません。そこに「聖なる契約を捨てた者たち」がいたので、彼らを重く取り立てることによって徹底的に行なうことができました。先に、エピファネスが殺した大祭司オニアス三世の話をしましたが、彼は代わりに既に律法を捨てているヤソンを大祭司にしていました。そして、一回目の遠征の時に聖なる器具を奪った時は、大祭司メネラオス(Menelaus)が案内しています。このようにユダヤ人の間でも、神に従う忠実な者と反逆者に分かれるようになります。
ところで、使徒行伝において初代教会が、食事の配給においてなおざりにされていると感じた人たちが苦情を申し立てましたね。6章に書かれていますが、「ギリシヤ語を使うユダヤ人たちが、ヘブル語を使うユダヤ人たちに対して苦情を申し立てた。(1節)」とあります。これはヘレニズム化したユダヤ人たちのことであり、このギリシヤ時代に起こった事に起因しています。同じユダヤ人でも、ギリシヤ文化の中にいた人と、ヘブル文化に居残った人々で分かれたのです。今のイスラエルと似ていますが、同じユダヤ人であっても、まったく異なる文化と社会を背負うようになりました。
11:31 彼の軍隊は立ち上がり、聖所ととりでを汚し、常供のささげ物を取り除き、荒らす忌むべきものを据える。
ついに出ました「荒らす忌むべきもの」です。ここではアンティオコス・エピファネスが行なったことを指していますが、ダニエル書9章27節では終わりの日の反キリストが行なうことになっています。反キリストは聖所の中に入り、我こそが神であると宣言し、そして偽預言者が彼の像を造り、その像が物を言うようにさせます。エピファネスはその型になることを行ないました。
彼の軍隊は礼拝者をことごとく刺し殺しました。そして祭壇の上で豚をささげ、その肉汁をそこらにばら撒きました。そして祭壇の上にゼウスの像を置きました。これが荒らす忌むべきものです。
ユダヤ人は徹底的にギリシヤ化されました。毎月25日、アンティオコス・エピファネスの誕生日を祝うとして、このゼウス神を拝まなければいけませんでした。豚を強制的に食べさせられ、割礼を赤ん坊に授けた母親は、さらし者にされ高所から赤ん坊とともに突き落とされました。これらの詳しいことは、マカバイ記に記されています。
11:32 彼は契約を犯す者たちを巧言をもって堕落させるが、自分の神を知る人たちは、堅く立って事を行なう。11:33 民の中の思慮深い人たちは、多くの人を悟らせる。彼らは、長い間、剣にかかり、火に焼かれ、とりことなり、かすめ奪われて倒れる。11:34 彼らが倒れるとき、彼らへの助けは少ないが、多くの人は、巧言を使って思慮深い人につく。
ユダヤ人は真っ二つに分かれました。エピファネスの方針に積極的に従う者もいたし、また迫害を恐れて従う者もいました。その中で堅く立って事を行なう人々もいたのです。その英雄はマカバイ家の人たちです。
マカバイ家の祭司マタティアスがこの偽りの宗教を拒みました。その息子たちはエルサレムから離れて、そこからマカバイ家の反乱を起こしました。これに啓発されて多くのユダヤ人が神に立ち返り、抵抗を始めました。ダニエル書8章の学びにあったように、息子の一人ユダがオニアスが殺されてから2300日後に、神殿を清め、神に奉献したハヌカーを導きました。
そこでここには一部のユダヤ人が神に従い、そして多くの人々が悟り、それで彼らの多くが殺されます。彼らが倒れる時「助けは少ない」とありますが、隠れ信者が多いからです。表向きは上手なことを言って、密かに神の律法に従う人々が多くいました。イエス様の時代では、ちょうどニコデモやアリマタヤのヨセフのような人です。
これは、後の残されたイスラエルの民の型になっています。反キリストと契約を結ぶ者が多くいる中で(ダニエル9:27)、それでも神とメシヤを求める残された民がおり、再臨の主を見て、悔い改め、御霊の新生を経験します。反逆者らはこの救いにあずかることなく、殺されます。
11:35 思慮深い人のうちのある者は、終わりの時までに彼らを練り、清め、白くするために倒れるが、それは、定めの時がまだ来ないからである。
ここから一気に、「終わりの時」という視点で物事が語られます。当時、この激しい迫害によって、練られ、清められ、白くされたのは確かですが、「終わりの時にまで」とあるとおり、このギリシヤ時代の出来事が、エレミヤ書では「ヤコブにとっての苦難」で完成する出来事へとつながります。イエス様が、「世の初めから、今に至るまで、いまだかつてなかったような、またこれからもないような、ひどい苦難があるからです。(マタイ24:21)」と言われた大患難です。
2A これから起こる事 36−45
1B 反キリスト 36−39
11:36 この王は、思いのままにふるまい、すべての神よりも自分を高め、大いなるものとし、神の神に向かってあきれ果てるようなことを語り、憤りが終わるまで栄える。定められていることが、なされるからである。
ここ36節から話ががらっと変わります。これまではギリシヤ史の中にその預言の確認をすることができました。覚えているでしょうか、ダニエル書8章の時もアンティオコス・エピファネスについての記述が、最後の方になると少しおおげさに聞こえる表現が出てきました。それは、彼の背後には反キリストの霊が働いており、その反キリスト自身の正体が表れているからだ、とお話しました。ここも同じです。ここからは反キリスト本人の預言になります。
アンティオコス・エピファネスがひどくユダヤ人の神を嫌ったのは、自分自身が神になりたかったからです。反キリストの特徴は、あらゆる神と呼ばれるものよりも自分を高くしたいということです。偶像の神々であればすぐに自分をそれらよりも引き上げることはできるものの、生けるまことの神に対してはできません。それで、冒涜や罵りという形で現れます。7章で反キリストは、大きなことを語る口でありましたが、黙示録では獣がけがしごとを言っている姿を何度も見かけます。
11:37 彼は、先祖の神々を心にかけず、女たちの慕うものも、どんな神々も心にかけない。すべてにまさって自分を大きいものとするからだ。
彼は、既存の宗教を否定します。「先祖の神々」はさることながら、「女たちの慕うもの」も心にかけません。今、御使いはユダヤ人ダニエルに話しています。つまり、これはメシヤのことを表しています。ユダヤ人の女たちは、自分の胎がメシヤを宿す器になってほしいと期待しました。つまり、反キリストは、神々もキリストも心に留めないということです。
偶像礼拝よりも悪い罪があります。それは偶像を含めて、どんな神をも認めないことです。なぜか?それは、自分自身を神にするからです。「無神論者」というのは嘘です。人は必ず何かを神にしており、神は一切認めないと言っている人は自分を神にしています。
偶像礼拝においても、少なくとも自分以外に何か拝むべき対象があると信じています。だからある種の畏敬があります。日本人ならば、やたらに自然を破壊しません。なぜなら、木や自然に生命が宿っていると信じているからです。このような畏敬が自分を神にすることによって一切なくなります。これを究極までに追求するのが、この反キリストです。
11:38 その代わりに、彼はとりでの神をあがめ、金、銀、宝石、宝物で、彼の先祖たちの知らなかった神をあがめる。
「とりでの神」つまり軍事とその物質的な力を崇拝します。
以前、豊臣秀吉のドラマを見たときに、織田信長が鏡を見て、その写っている姿を拝んでいる場面が出てきました。既存の仏教をひどく嫌い、仏像を破壊した彼ですが、自分自身が神であると思い上がったということです。同じように、反キリストは自分の力を信じ、新しい神までを造ってしまうほど高慢になります。
11:39 彼は外国の神の助けによって、城壁のあるとりでを取り、彼が認める者には、栄誉を増し加え、多くのものを治めさせ、代価として国土を分け与える。
「外国の神」とありますが、既存の宗教を自分の権力拡大のために利用します。それが具体的に黙示録17章に出てきます。獣、つまり反キリストの上に乗っている大淫婦バビロンです。終わりの日に世界統一宗教が形成されますが、それを利用する反キリストがいるということです。
そして「国土」を自分の所有地であるかのように切り分けします。自分に従う者たちに褒美として分け与えます。私がイスラエル・パレスチナの問題において非常に不快になるのは、あまりにも簡単に切り分けをして領土を決めていることです。そこに神に対する畏れがありません。自分たちの思うままに分ければよいという考えが、現在のアメリカの指導層の中にあります。
2B 世界最終戦争 40−45
こうして反キリストの国、獣の国が確立しますが、それを揺るがす出来事が起こります。そしてそれが世界最終戦争へと発達します。
11:40 終わりの時に、南の王が彼と戦いを交える。北の王は戦車、騎兵、および大船団を率いて、彼を襲撃し、国々に侵入し、押し流して越えて行く。
「南の王」と言っても、もはやギリシヤ時代のプトレマイオス朝ではありません。「終わりの日」の出来事だからです。エジプトとその周囲のアフリカ諸国が、反キリストの国に反旗を翻します。
反キリストは基本的に、元ローマを機軸とする国です。西洋の人です。彼は復興ローマから出てくる人物であることをダニエル書7章で学びました。だからこの「北の王」はギリシヤ時代のセレウコス朝ではなく、イスラエルの北側にある国々全般であると考えられます。
11:41 彼は麗しい国に攻め入り、多くの国々が倒れる。しかし、エドムとモアブ、またアモン人のおもだった人々は、彼の手から逃げる。
反キリストが南に進出する時にイスラエルを攻めます。そして他の国々も倒れます。けれども興味深いことに、「エドムとモアブ、またアモン人のおもだった人々は、彼の手から逃げる。」とあります。これらはすべて今のヨルダンの地域です。なぜでしょうか?
答えのヒントは、イザヤ書16章にあります。モアブに対する預言ですが、その地域全体に対するものと考えていいです。そこに、「散らされた者をかくまい、のがれて来る者を渡すな。(3節)」とあります。モアブの地形そのものが、「しいたげる者(4節)」反キリストの攻撃から免れるようにさせてくれるのです。
黙示録12章には、イスラエルの残りの者が荒野に逃げて、悪魔である竜が洪水を起こして、流されてきた彼らを押し流そうとするが、地がその水を飲み干した、とあります。イエス様は、「山に逃げなさい。(マタイ24:16)」と命じられました。そこユダヤ地方にいる彼らにとって、山と言ったらヨルダン方面にしかありません。そこは荒野であり、また高地です。そこに逃げれば、地形が守ってくれるということです。
11:42 彼は国々に手を伸ばし、エジプトの国ものがれることはない。11:43 彼は金銀の秘蔵物と、エジプトのすべての宝物を手に入れ、ルブ人とクシュ人が彼につき従う。
反キリストは、アフリカからの反乱をしずめることができました。ルブが今のリビア、クシュがスーダンとエチオピヤです。そこにまで影響力を確保します。そしてこの遠征のついでにエジプトから宝物を持ってきます。古代のパロの遺跡にあるものでしょう。
11:44 しかし、東と北からの知らせが彼を脅かす。彼は、多くの者を絶滅しようとして、激しく怒って出て行く。
ここから世界最終戦争の始まりです。反キリストの支配が、東からと北からの知らせで揺らぎます。東からはユーフラテス川が涸れて、王たちがやってくることが黙示録16章に書かれています。北からはロシア方面からでしょう。
11:45 彼は、海と聖なる麗しい山との間に、本営の天幕を張る。しかし、ついに彼の終わりが来て、彼を助ける者はひとりもない。
世界の軍隊が集まります。反キリストに反旗を翻していましたが、黙示録16章を見ますと、メギドの丘、ハルマゲドンに集まることが書かれています。それがここ「海と聖なる麗しい山との間」です。反キリストが、これら対立する世界の勢力を、一つの目的のためにまとめ上げます。それは、「神とキリストに反抗する」ことです。
なぜ国々は騒ぎ立ち、国民はむなしくつぶやくのか。地の王たちは立ち構え、治める者たちは相ともに集まり、主と、主に油をそそがれた者とに逆らう。「さあ、彼らのかせを打ち砕き、彼らの綱を、解き捨てよう。」(詩篇2:1-3)
イエス様を十字架につけることについて、ルカの福音書には「この日、ヘロデとピラトは仲よくなった。それまでは互いに敵対していたのである。(23:12)」とあります。同じように終わりの日は、互いに敵であっても、主とメシヤに逆らうことについては一致するのです。それで彼らが再臨のキリストに対して戦い挑むのですが、もちろん「天の御座に着いておられる方は笑う。主はその者どもをあざけられる。(詩篇2:4)」とあります。
再臨のキリストの口からは鋭い剣が出ています。つまり、ことば一つによってこれら世界の軍隊をことごとく打ち滅ぼすことができるのです。黙示録19章を読んでください。そして反キリストと偽預言者は、キリストによって生きたまま地獄に投げ込まれます。これがここに書いてある「彼の終わりが来て、彼を助ける者はひとりもない。」ということです。
アンティオコス・エピファネスも、荒らす忌むべきものを据えた後、間もなくして戦いの中で突然、病死しました。彼は国々と聖所を荒らしまくった人間ですが、神に定められた時がありました。同じように反キリストがいかにとんでもないことを行なっても、ここに書いてあるように滅ぼされる時を神が定めておられます。
私たちは「悪には終わりがあるのだ」ということを、しっかりと心に留めなければいけません。最後に詩篇73篇18,19節を読みます。「まことに、あなたは彼らをすべりやすい所に置き、彼らを滅びに突き落とされます。まことに、彼らは、またたくまに滅ぼされ、突然の恐怖で滅ぼし尽くされましょう。」
次回は、この大患難からユダヤ人たちが救われる場面から始まる12章を読みます。
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