終わりの時に生きるキリスト者 − ダニエル書の学び
最終回 開かれた書物 (12章)



以下の文は、リバイバル新聞の連載「終わりの時に生きるキリスト者」の原稿です。


 ダニエルが11章から受けた幻はハルマゲドンについてのものでしたが、最後の部分にて、イスラエルがその中から救われることが書かれています。


イスラエルの救い

 10章の終わりで、イスラエルの君ミカエルが立ち上げることが書かれていましたが、12章の初めにも、ミカエルが、大患難の中で滅ぼそうになっているイスラエルのために戦うことが書かれています。黙示録12章に、ミカエルとその使いが、悪魔とその手下と戦いを交えることが描かれています。

 そして、「しかし、その時、あなたの民で、あの書にしるされている者はすべて救われる。」(1節)とありますが。ハルマゲドンの戦いの中で諸国の軍隊によって全滅の危機に立たされるイスラエル人たちは、この時に悔い改めをします。これまで自分自身の力に頼ってきたそのかたくなさが砕かれて、先祖伝来のメシヤと、その救いを求めます。そして祈りが聞かれて、救い主がやってきますが、なんと、この方は彼らの先祖が十字架につけた、ナザレ人イエスです。「彼らは、自分たちが突き刺した者、わたしを仰ぎ見、ひとり子を失って激しく泣くように、その者のために激しく泣く。」(ゼカリヤ12:10)こうして、イスラエルは物理的にも、また霊的にも救われます。

 そして、その後に死者の復活があります。「地のちりの中に眠っている者のうち、多くの者が目をさます。ある者は永遠のいのちに、ある者はそしりと永遠の忌みに。」(2、3節)死んでいた人々は、大患難の間に死んだ聖徒たちと、これまで死んでいった不信者たちです。黙示録20章には、不信者たちの復活は千年王国の後に起こることが記されているので、信者たちと不信者たちの復活には、千年期の時間差があります。復活した信者は栄化されて、大空の輝きのように輝き、永遠に星のようになると約束されています。


封じられた書

 こうして長い幻を語りおえた御使い(あるいは、主ご自身)は、不思議なことをお語りになります。「ダニエルよ。あなたは終わりの時まで、このことばを秘めておき、この書を封じておけ。多くの者は知識を増そうと探り回ろう。」(4節)ダニエルが生きていた時はまだ終わりの時ではないから、その時まで封じておく。その間に、終わりについての知識が増し加わり、多くの人が、ダニエル書が開かれるのを待ち焦がれる、ということです。

 ダニエルは、ティグリス川の水の上におられた亜麻布を着た方に、ハルマゲドンの戦いが終結するまでの、また、イスラエルの救いが完成するまでの期間を尋ねました。するとこの方は、両手を天に向けて、誓ってこう言われました。「それは、ひと時とふた時と半時である。」(7節)これを足すと三時半、すなわち3.5年間です。そして、「聖なる民の勢力を打ち砕くことが終わったとき、これらすべてのことが成就する。」と言われましたが、大患難は、イスラエルの民のかたくなさが打ち砕かれるためにあります。彼らは、イエスを贖い主として受け入れるために、大きな試練を通して練り清められます。

 ダニエルはそれでも理解することができず、その意味を尋ねましたが、再び「このことばは、終わりの時まで、秘められ、封じられているからだ。」(9節)と言われて、断られてしまいました。そしてこの方は、その期間についてもう一度触れ、「常供のささげものが取り除かれ、荒らす忌むべきものが据えられる時から1290日がある。幸いなことよ、忍んで待ち、1335日に達する者は。」(11−12節)と言われました。1290日は三年半より30日多い期間で、1335日はそれよりさらに45日多い期間です。おそらく、この75日間に、再臨の主による神殿の再建や、諸国の民へのさばきがあるのでしょう(エゼキエル40−48章、マタイ25:31−46)。

 そして最後に、約束の地に戻れずバビロンにおり、また90歳以上の高齢のダニエルに、「あなたは終わりまで歩み、休みに入れ。あなたは時の終わりに、あなたの割り当ての地(ユダ族の地のこと)に立つ。」(13節)という慰めの約束を与えられました。


時は近い

 新約聖書の中で、数多く使徒たちが感動をもって伝えたのは、「預言者たちが理解したいと思っていたものが、使徒たちに聖霊によって知らされて、今、それをあなたがたに伝えられているのです。」ということです(マタイ13:16−17;エペソ3:5;1ペテロ1:10−12など)。ダニエルが悟りたいと思っても悟ることができなかった幻は、今、新約聖書の啓示によって、明らかにされています。

 聖書の最後の書物は、「イエス・キリストの啓示」という言葉で書き始められています。「黙示」という日本語の意味合いとは正反対に、ここのギリシヤ語の言葉は、「隠されていたものが、明らかにする」「覆いを取る」などの意味です。ダニエルの時に封じられて、閉じられていた書物が、今や黙示録によって開かれて、明らかにされたのです!小羊イエスが、七つの封印を解かれたのを思い出してください(黙示録5章)。ヨハネは、「時が近づいているからである。」(黙示1:3)と言い、御使いは、「この書の預言のことばを封じてはいけない。時が近づいているからである。」(同22:10)と言いました。ですから、ダニエル書や旧約の他の預言書は、黙示録によって理解でき、また黙示録は、その背景にある旧約預言に戻ることによって明らかにされます。

 「ダニエル書や黙示録は比喩に満ちており、難解である。」「終末について入れ込みすぎると、熱狂的になって、この世の人々とかけ離れてしまう。」などとう声を、クリスチャンの間からさえも聞きます。ああ、なんと、イエスさまが、「あなたがたの目は見ているから幸いです。」(マタイ13:16)と言われたことに違反するのでしょうか!私たちは、何千年も聖徒たちや預言者たちが見たいと思っていたことを知り、キリストご自身を得ているという、とてつもない恵みにあずかっている時代に生きているのです。どうか、このことで心が燃やされ、キリストとその現われを熱く愛し、聖霊が私たちの上にとどまり、教会がリバイバルされますようお祈りします。

主を愛さない者はだれでも、のろわれよ。マラナ・タ(主よ、来てください)。」(1コリント16:22)

 近日中に、聖書預言全体を概観する拙書がリバイバル新聞社から出版されますので、さらに学びを続けたい方は、どうぞご購入ください。(終)


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