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ダニエル書2章を開いてください、今日のメッセージ題は「世界帝国の夢」です。ダニエル書は、神が人間の歴史に持っておられるご計画のあらましを知ることのできる貴重な書物です。これまで人間の歴史がどのように発展していったのか、そしてこれからどの道に向かうのか、その終わりまでを夢や幻を通して見ることができます。
私たちキリスト者は、神が立ててくださったご計画のどこにいるかを知っている、幸いな人々です。たとえ世の中が荒れに荒れようとも、既にその行き着くところを知っています。だから慌てることなく、また失望することもなく、キリストにあって変わらずに生きることができます。
聖書によると、神がまずイスラエルを選ばれて、イスラエルを通してご自分の救いの計画を実行しておられました。けれどもイスラエルが神に背き、都エルサレムをバビロンによって滅ぼし、彼らがバビロンに捕らえ移されてからは、ユダヤ人はエルサレムを自分の主権の下に入れることはできませんでした。それをイエス様は「異邦人の時」と呼んでおられます。「人々は、剣の刃に倒れ、捕虜となってあらゆる国に連れて行かれ、異邦人の時の終わるまで、エルサレムは異邦人に踏み荒らされます。(ルカ21:24)」
この「異邦人の時」の始まりがバビロン捕囚です。けれども、異邦人がエルサレムを支配しているからと言って、神がこの世界への支配を止められたのではありません。むしろ異邦人の支配はみな予め神によって知られ、神によって定められていることをダニエル書は教えてくれます。そして今日学ぶネブカデネザルが見た夢は、ダニエル書に出てくる一連の夢や幻の始めです。
1A 天の神からの啓示 1−23
1B 知者たちの限界 1−11
2:1 ネブカデネザルの治世の第二年に、ネブカデネザルは、幾つかの夢を見、そのために心が騒ぎ、眠れなかった。
前回の学びで、ネブカデネザルがユダの王エホヤキムの第三年に、ダニエルや友人三人を含む王族をバビロンに捕らえ移したところを読みました。それが紀元前605年です。その直前に、彼はカルケミシュでエジプトと戦い、メソポタミア、パレスチナ地方、そしてエジプトに至る大きな地域を自分の支配下に入れました。そして父ナボポラッサルが死に、彼が王に即位しました。
ですから治世の第二年は紀元前603年か602年になります。1章では、ダニエルと三人の友人が三年間の養成期間を経て、王の顧問になったことが書かれています。おそらく、その直後の出来事がこの2章です。
彼は「幾つかの夢を見」ました。一つだけではありませんでした。おそらく、同じ内容の夢を何度か見て、ついに非常に生々しいはっきりとしたものを見て、目が覚めたのでしょう。後でダニエルがネブカデネザルに、「あなたは寝床で、この後、何が起こるのかと思い巡らされました(29節)」と言っています。彼は、単に自分のバビロン国を大きくした人物ではありません。諸国民を統治下に入れた、いわば「帝国」です。世界を見据えた帝国、世界帝国と呼ぶべき国の始まりです。その彼がこれからこの国がどうなっていくのかを、思い巡らし、また悩み、寝床に就いていました。それで与えられた夢です。彼はその重要性をすぐに察知しました。
2:2 そこで王は、呪法師、呪文師、呪術者、カルデヤ人を呼び寄せて、王のためにその夢を解き明かすように命じた。彼らが来て王の前に立つと、2:3 王は彼らに言った。「私は夢を見たが、その夢を解きたくて私の心は騒いでいる。」2:4 カルデヤ人たちは王に告げて言った。・・アラム語で。・・「王よ。永遠に生きられますように。どうぞその夢をしもべたちにお話しください。そうすれば、私たちはその解き明かしをいたしましょう。」
1章にも出てきましたが、バビロンには「知者」と呼ばれる学者集団が王を取り巻いていました。実際は、呪法師、呪文師、呪術者など霊媒を行なう人々です。王が彼らに夢の解き明かしを命じました。
ここで大事な挿入句があります。「アラム語で」であります。古代シリヤ語です。日本語の聖書では、1章から12章まで日本語に翻訳されているので区別ができませんが、原本では1章はヘブル語、そして2章のこの部分から7章の終わりまでがアラム語、そして8章から再びヘブル語で書かれています。一つの書物を、ダニエルは二つの言語で書いたのです。
非常に奇妙でありますが、内容を読んでゆけば合点が行きます。ヘブル語はもちろん、イスラエル人が用いている言語です。そしてアラム語は当時、貿易する時に使われていた言葉です。国々の共通言語であり、今で言うならば英語です。
ダニエルが言語を使い分けているのは、この2章から7章までが、イスラエルではなく国々に対しての事柄になるからです。ネブカデネザルが見た夢が、イスラエルではなく、全世界に対する内容だからです。そして8章以降で、その世界の動きの中でエルサレムに帰還するユダヤ人がこれからどうなっていくのかについて、ダニエルは書き記しています。だからユダヤ人が読んで、聞くことができるようにヘブル語に戻したのです。
ヘブル語、アラム語、そしてヘブル語という順番は、神がご自分の救いの計画をどのように進めていくのかを知るための鍵になります。それは、イスラエルへの関わりから始まって、それから一時的に異邦人を中心に働きかけ、そして再びイスラエルへ神の目が向かうという流れです。人間の歴史も、そして神の救いも、この順番で行なわれています。
イエス様が来られた時に、ユダヤ人はこの方をキリストとして受け入れませんでした。そのため、救いが異邦人に及びました。今に至るまで、異邦人への宣教が中心でありました。けれども使徒パウロは、ローマ11章で「その奥義とは、イスラエル人の一部がかたくなになったのは異邦人の完成がなる時までであり、こうしてイスラエルはみな救われる、ということです。(26節)」と教えました。今、ユダヤ人の多くがイエス様に対して心を閉ざしていますが、けれども将来的に彼らの救いへと向かう、ということです。
そしてユダヤ人が、紀元70年にエルサレムにある神殿の破壊によって、世界離散の民となりました。けれども19世紀からシオンの地に帰還する運動が起こり、1948年にはイスラエルが建国、1967年にはエルサレムを自分たちの主権下に入れました。再び、神がイスラエルへの取り扱いを開始される時代に私たちは入っているのです。
2:5 王は答えてカルデヤ人たちに言った。「私の言うことにまちがいはない。もし、あなたがたがその夢とその解き明かしとを私に知らせることができなければ、あなたがたの手足を切り離させ、あなたがたの家を滅ぼしてごみの山とさせる。2:6 しかし、もし夢と説き明かしとを知らせたら、贈り物と報酬と大きな光栄とを私から受けよう。だから、夢と説き明かしとを私に知らせよ。」
王は、夢の解き明かしだけを要求しませんでした。夢も知らせなければいけないと命じました。
そして解き明かせない時は「手足を切り離させ、家を滅ぼしてごみの山とさせる」と言っていますが、これは単なる脅しではなく、実際の刑罰です。
2:7 彼らは再び答えて言った。「王よ。しもべたちにその夢をお話しください。そうすれば、解き明かしてごらんにいれます。」2:8 王は答えて言った。「私には、はっきりわかっている。あなたがたは私の言うことにまちがいはないのを見てとって、時をかせごうとしているのだ。2:9 もしあなたがたがその夢を私に知らせないなら、あなたがたへの判決はただ一つ。あなたがたは時が移り変わるまで、偽りと欺きのことばを私の前に述べようと決めてかかっている。だから、どんな夢かを私に話せ。そうすれば、あなたがたがその解き明かしを私に示せるかどうか、私にわかるだろう。」
王が夢を知らせることも要求したのは、その夢を忘れてしまったからだと言う人々がいます。私はおそらく、彼は少なくともその基本的な部分については、覚えていたと思います。彼が彼らに夢も知らせろと要求したのは、先ほども話したようにこの夢が正夢であり、これからの国の行く末に非常に重要なものになることを分かっていたからではないかと考えます。
占いというのは、人々からある程度の情報を手に入れたら、いろいろな可能性の選択肢の中で言い当てることができるようになっています。つまり、まやかしがある程度、通用するのです。したがって、彼はこの夢を適当にあしらわれて欲しくないと願ったのでしょう。100パーセント、確かにこの意味があると知りたかったのでしょう。それで夢をも知らせろ、と命じたと思われます。
そしてネブカデネザルは、彼らが時間稼ぎをしていると言って怒っています。彼が自分の命令を変える時までいろいろ言葉を述べ立てようとしている、と言っています。
2:10 カルデヤ人たちは王の前に答えて言った。「この地上には、王の言われることを示すことのできる者はひとりもありません。どんな偉大な権力のある王でも、このようなことを呪法師や呪文師、あるいはカルデヤ人に尋ねたことはかつてありません。2:11 王のお尋ねになることは、むずかしいことです。肉なる者とその住まいを共にされない神々以外には、それを王の前に示すことのできる者はいません。」
ついにカルデヤ人の言葉から本音が出ました。「肉なる者とその住まいを共にされない神々以外には、それを王の前に示すことのできる者はいません。」です。この異教徒の言葉から、私たちの信じている神についての大切な真理が表れています。
バビロン宗教の中では、神々はすべて「肉なる者とその住まいを共にしている」者たちです。しばしば汎神論と呼ばれますが、山の神であったり、川の神、月の神であったり、自然また生き物の中に神が住んでいると考えています。しかし、王の要求することは、これら自然界を超えたところに住まわれる神でなければできない、と正直に告白しているのです。
人間や自然、宇宙を超越しておられる神を知ることは、私たち日本人にとっては大きな革命であり、福音です。私自身、これまで山や太陽などに対して語りかけていたのが、これらをお造りになった方に語りかけることができることを知った時は、心に喜びと希望があふれ出ました。異教徒についてパウロは、「その知性において暗くなり(エペソ4:18)」と言いましたが、その反対のこと、思いが明るくされたのです。内村鑑三も、自分の回心に三段階があったとして一つ目に、八百万の神から解放されて、唯一の創造主を信じるに至ったということを言っています。
そしてこれから、ダニエルが証しする「天の神」が、彼らが頼りにする神々と呼ばれているものよりいかに優れておられるかを伝えています。
2B ダニエルらの祈り 12−23
2:12 王は怒り、大いにたけり狂い、バビロンの知者をすべて滅ぼせと命じた。2:13 この命令が発せられたので、知者たちは殺されることになった。また人々はダニエルとその同僚をも捜して殺そうとした。2:14 そのとき、ダニエルは、バビロンの知者たちを殺すために出て来た王の侍従長アルヨクに、知恵と思慮とをもって応待した。
再びダニエルが、知恵と思慮をもって応対しています。覚えていますか、1章で彼は王のごちそうによって自分の身を汚さないと心に定めて、宦官の長にそれをお願いしました。宦官の長は、もし他の少年よりも元気でないのを見たなら、私を罰するであろうとダニエルに言いました。そこでダニエルは、十日の間、野菜だけを私たちに与えて試してください、と願ったのです。
彼には知恵があり、そして思慮があります。単にその場を取り繕うような知恵ではなく、相手を尊重した、真実で、謙遜をともなった思慮です。
このような言葉は、御霊によって与えられる賜物であるとパウロは、コリント第一12章で教えています。「知恵のことば(8節)」と呼んでいます。前もってマニュアル化することができません。その瞬間に与えられる神からの言葉です。だから私たちは特別な時だけでなく、いつも聖霊に満たされている必要があります。
2:15 彼は王の全権を受けたアルヨクにこう言った。「どうしてそんなにきびしい命令が王から出たのでしょうか。」それで、アルヨクは事の次第をダニエルに知らせた。2:16 ダニエルは王のところに行き、王にその解き明かしをするため、しばらくの時を与えてくれるように願った。2:17 それから、ダニエルは自分の家に帰り、彼の同僚のハナヌヤ、ミシャエル、アザルヤにこのことを知らせた。2:18 彼らはこの秘密について、天の神のあわれみを請い、ダニエルとその同僚が他のバビロンの知者たちとともに滅ぼされることのないようにと願った
彼らは時間制限の徹夜祈祷会を始めました。ここに先ほど話した「天の神」が出てきます。「肉なる者とその住まいを共にされない神」です。
そしてその神の「憐れみ」を請いています。私たちは神の憐れみがなければ、たちまち滅んでしまいます。たとえ特定の罪を犯していなかったとしても、自分の存在そのものが全能なる神の前に立つことができません。エレミヤが哀歌でこう言いました。「私たちが滅びうせなかったのは、主の恵みによる。主のあわれみは尽きないからだ。それは朝ごとに新しい。(3:22‐23)」
2:19 そのとき、夜の幻のうちにこの秘密がダニエルに啓示されたので、ダニエルは天の神をほめたたえた。
「幻」が示されました。自分が眠っている時に見るものは夢ですが、起きている時に見るものが幻です。夢や幻で神がご自分のことを啓示するのは、旧約時代から新約時代に至るまで一貫して見ることができます。
ダニエルに似ているのは、あのヨセフです。彼も世界の超大国であった王の見た夢を解き明かしました。自分自身も夢を見ました。そして新約では、使徒ペテロがいます。獣や鳥がいた敷き物が天から吊るされて降りてきました。「これを屠って食べなさい。」という主の命令に、「主よ、それはできません。」と答えたのがペテロです。その汚れたとされる動物は異邦人のことを表していました。異邦人への救いです
ペテロが、五旬節に聖霊が弟子たちに下った時に、彼らが外国の言葉で神を賛美しているのを、預言者ヨエルの語ったことが成就したからだと言いました。「神は言われる。終わりの日に、わたしの霊をすべての人に注ぐ。すると、あなたがたの息子や娘は預言し、青年は幻を見、老人は夢を見る。その日、わたしのしもべにも、はしためにも、わたしの霊を注ぐ。すると、彼らは預言する。(使徒2:17-18)」ですから、今の時代にも神は夢や幻によって私たちに啓示を与えられます。
夢や幻、またその他の奇蹟は聖書の正典が完成された今は廃れたと考える人たちがいます。もちろん、私たちにとっての究極の権威は聖書そのものであり、キリストの福音や聖書から逸脱した幻や夢は神からのものではありません。吟味する必要があります。けれども「今は無い」と言ったら、それは間違いです。ペテロは、「なぜなら、この約束は、あなたがたと、その子どもたち、ならびにすべての遠くにいる人々、すなわち、私たちの神である主がお召しになる人々に与えられているからです。(使徒2:39)」と言いました。その時代の人たちだけでなく、主がお召しになるすべての人々に与えられる、とはっきりと言っています。
私自身は神から与えられたと考えられる夢や幻は見たことがありません。けれども、すべて主が与えると言われるものには、心を開きたいと思います。
2:20 ダニエルはこう言った。「神の御名はとこしえからとこしえまでほむべきかな。知恵と力は神のもの。2:21 神は季節と時を変え、王を廃し、王を立て、知者には知恵を、理性のある者には知識を授けられる。2:22 神は、深くて測り知れないことも、隠されていることもあらわし、暗黒にあるものを知り、ご自身に光を宿す。
この少年ダニエルは、神の言葉を十分に知っていた人です。この賛美の中には、先代の預言者や義人が語った聖書の言葉が盛り込まれているからです。例えば、ダビデが神殿建設の準備をすべて終え、息子ソロモンにその事業を託す時にこう祈り始めています。「私たちの父イスラエルの神、主よ。あなたはとこしえからとこしえまでほむべきかな。(2歴代29:10)」
そしてヨブが発した言葉に、とても似ています。「知恵と力は神とともにあり、思慮と英知も神のものだ。(12:13)」「(神は)君主たちをさげすみ、力ある者たちの腰帯を解き、やみの中から秘密をあらわし、暗黒を光に引き出す。神は国々を富ませ、また、これを滅ぼし、国々を広げ、また、これを連れ去り、この国の民のかしらたちの悟りを取り除き、彼らを道のない荒地にさまよわせる。(12:21-24)」
ダニエル書には続けて、彼の御言葉の知識を見ることができます。例えば5章、エルサレムに向かって祈っているのは、ソロモンが神殿を奉献した時、いのった祈りが背景にあります。9章で彼が悔い改めの祈りを捧げたとき、エレミヤの預言を読んで、捕囚の期間が七十年だと知ったからです。
私たちはもっともっと聖書に親しむ必要があります。ダニエルの姿は、パウロが牧者テモテに勧めた言葉の通りです。「聖書はすべて、神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練とのために有益です。それは、神の人が、すべての良い働きのためにふさわしい十分に整えられた者となるためです。(2テモテ3:16-17 下線筆者)」
そして賛美の中身ですが、バビロンでは知者が全てであり、それ以上の存在はいなかったのですが、知恵や理性を与えるのは神です。王が絶対権威者であり、自分の思うままに事を行なっていましたが、それを倒すのも立てるのも神です。神こそが主権者であられ、支配者であられます
そして、神が「季節と時を変え」られるという言葉があります。ダニエル書に、「時」また「季節」という言葉が多く出てきます。バビロンの知者にとっては、これが自分たちの運命を決める神々です。「星占い(27節)」も後に出てきますが、太陽や星の運行によって自分たちは宿命を背負っており、それから逃れられないと信じていました。けれども、その時と季節の上に神がおられます。神は時、季節を変えることのできる方です。どうか星占いなどで自分の運命を定めないでください。神は、将来と希望を与える平和の計画を、ご自分を捜し求める人々に与えておられます。
2:23 私の先祖の神。私はあなたに感謝し、あなたを賛美します。あなたは私に知恵と力とを賜い、今、私たちがあなたにこいねがったことを私に知らせ、王のことを私たちに知らせてくださいました。」
「先祖の神」とは、アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神です。そしてモーセに現われた、ヤハウェなるお方です。ダニエルは決して、この方がイスラエルの神であることを忘れませんでした。
2A 夢とその解き明かし 24−49
1B 天の神の栄光 24−30
2:24 それからダニエルは、王がバビロンの知者たちを滅ぼすように命じておいたアルヨクのもとに行き、彼にこう言った。「バビロンの知者たちを滅ぼしてはなりません。私を王の前に連れて行ってください。私が王に解き明かしを示します。」2:25 そこで、アルヨクは急いでダニエルを王の前に連れて行き、王にこう言った。「ユダからの捕虜の中に、王に解き明かしのできるひとりの男を見つけました。」
アルヨクの口を通して、神はご自分がユダヤ人の神であることを明確にしておられます。ユダから来たこの捕虜が、これから語る夢とその解き明かしを行ないます。カルデヤ人ではなく、ユダヤ人です。
2:26 それで王は、ベルテシャツァルという名のダニエルに言った。「あなたは私が見た夢と、その解き明かしを私に示すことができるのか。」
「あなたは」解き明かすことができるのかという王の質問に対して、ダニエルは明確に答えます。
2:27 ダニエルは王に答えて言った。「王が求められる秘密は、知者、呪文師、呪法師、星占いも王に示すことはできません。2:28 しかし、天に秘密をあらわすひとりの神がおられ、この方が終わりの日に起こることをネブカデネザル王に示されたのです。あなたの夢と、寝床であなたの頭に浮かんだ幻はこれです。2:29 王さま。あなたは寝床で、この後、何が起こるのかと思い巡らされましたが、秘密をあらわされる方が、後に起こることをあなたにお示しになったのです。2:30 この秘密が私にあらわされたのは、ほかのどの人よりも私に知恵があるからではなく、その解き明かしが王に知らされることによって、あなたの心の思いをあなたがお知りになるためです。
ダニエルは「天の神」が秘密を現わしておられるとはっきりと証言しました。そして、「私」に知恵があるのではないと明確にしています。
私たちは、主に用いられる証人として立つためには、この二つの特徴がなければいけません。一つは、はっきりと確信を持って語ることです。ダニエルは異教徒であるネブカデネザルの前で天の神について証言することは、勇気が要ったことでしょう。ついさっき、知者たちをみな殺すと決定した王の前にいるのです。けれども彼は包み隠すことはしませんでした。
ペテロが迫害下にいるキリスト者に対して、こう勧めました。「彼らの脅かしを恐れたり、それによって心を動揺させたりしてはいけません。むしろ、心の中でキリストを主としてあがめなさい。そして、あなたがたのうちにある希望について説明を求める人には、だれにでもいつでも弁明できる用意をしていなさい。(1ペテロ3:14-15)」
もう一つは、自分の手柄にしないことです。ダニエルはこの機会を使って、自分と友人三人を売り込むことができました。自分たちがいかに有能な側近になることができるかを、神の名を使って語ることができました。けれども、「私には知恵がない」とダニエルははっきりと言いました。
主が私たちを用いると必ず人々は喜びます。自分の働きによって恩恵を受けている人は、自分を高く評価します。そこで自分が何様であるかのように考え始めます。牧者であれば、羊はキリストのものではなく、自分の所有物であるかのように錯覚します。
その時に必要なのは、「これは、主から受けた賜物である。」という自覚です。「あなたには、何か、もらったものでないものがあるのですか。もしもらったのなら、なぜ、もらっていないかのように誇るのですか。(1コリント4:7)」すべて神の御霊から授かった賜物なのですから、周囲の人々が霊的に祝福されるのは当然です。でも、自分ではなく主が行なわれていることなのです。主から来て、主によって為り、主に至るのです(ローマ11:36参照)
そしてダニエルの説明の中に、この夢が「終わりの日に起こること」「後に起こること」を天の神が示されたものだと言っています。つまり、バビロンの王から始まって終わりの日に至るまでの夢であったのです。そしてダニエル書を読み進めると、この内容がさらに発展し、詳細に啓示されています。
だから今の私たちにとって、とても大切な啓示です。バビロンという昔のことの話ではなく、現代に至り、そして主が再臨される将来にまでつながる、大観的、鳥瞰的な幻です。そして後で説明しますが、現代にいる私たちが確かに終わりの日に生きていることを教えてくれます。
2B 人の像 31−45
2:31 王さま。あなたは一つの大きな像をご覧になりました。見よ。その像は巨大で、その輝きは常ならず、それがあなたの前に立っていました。その姿は恐ろしいものでした。2:32 その像は、頭は純金、胸と両腕とは銀、腹とももとは青銅、2:33 すねは鉄、足は一部が鉄、一部が粘土でした。2:34 あなたが見ておられるうちに、一つの石が人手によらずに切り出され、その像の鉄と粘土の足を打ち、これを打ち砕きました。2:35 そのとき、鉄も粘土も青銅も銀も金もみな共に砕けて、夏の麦打ち場のもみがらのようになり、風がそれを吹き払って、あとかたもなくなりました。そして、その像を打った石は大きな山となって全土に満ちました。
これが夢の内容です(別紙参照)。初めに大きな、燦爛と輝く人の像が出てきました。けれども不思議なことに、その金属は金、銀、青銅、鉄、そして鉄と粘土と頭から足に下がるにつれて、劣化しています。
そしてこの巨大な、輝く像は砕かれます。たった一つの石が砕きます。足の部分を石が打ちます。そしてこの夢のクライマックスは、この石が大きな山となることです。全土に満ちる山です。
2:36 これがその夢でした。私たちはその解き明かしを王さまの前に申し上げましょう。2:37 王の王である王さま。天の神はあなたに国と権威と力と光栄とを賜い、2:38 また人の子ら、野の獣、空の鳥がどこに住んでいても、これをことごとく治めるようにあなたの手に与えられました。あなたはあの金の頭です。
この人の像は人による統治を表していました。金、銀、胴、鉄は、その権力と力、また光栄を表していました。
そして金の頭は、エジプトに打ち勝ち、その中東全域を制覇したバビロンでした。ダニエルが「王の王である王さま」とネブカデネザルを呼んでいますが、確かに彼は国を大きくしたのではなく、国々を自分の配下にいれて帝国を建てたのです。
けれどもそれは、「天の神」が彼に与えたものだとダニエルは説明しています。先ほどダニエルの賛美の中で、神が「王を廃し、王を立て」る(21節)とありました。そしてエレミヤ書において、ネブカデネザルを神は「わたしのしもべ」と呼んでおられます。「今、わたしは、これらすべての国をわたしのしもべ、バビロンの王ネブカデネザルの手に与え、野の獣も彼に与えて仕えさせる。 (27:6)」そしてダニエル書を読むと、徐々にネブカデネザル自身が、自分が神の僕にしか過ぎないことを悟っていきます。
そして人の子らだけでなく、野の獣、空の鳥までをことごとく治めるというのですから凄いです。バビロンによって動物までがその恩恵に与ります。バビロンの町は世界の七不思議に入っており、その中にあった空中庭園は有名です。
2:39a あなたの後に、あなたより劣るもう一つの国が起こります。
普通、国というものはその栄光がとこしえに続くと考えます。日本の国歌も「千代に、八千代に」と歌いますが、実際はこの夢にあるように移り変わるのです。
バビロンの終焉はダニエル書5章で確認することができます。紀元前538年のことです。ネブカデネザルの子、実際には孫ですが、ベルシャツァルが宴会を開いて、エルサレムの神殿から持ってきた器を使ってぶどう酒を飲み、偶像の神々を賛美していたところに、壁に人の手の指が現われました。何か文字を書きましたが、それをダニエルが解き明かしました。「あなたの治世は終わり、メディヤとペルシヤに分割される」という内容でした。その夜にベルシャツァルは殺され、メディヤ人のダリヨスが王になりました。
バビロンの次にメディヤ・ペルシヤ国が立ちます。ペルシヤの初代王であるクロスが、イザヤ書にも予告された、バビロン捕囚のユダヤ人を解放し、エルサレムに帰還させた王です。彼の政策は非常に寛大であることで有名で、それぞれの民族の自治と言語、宗教の自由を許しました。
ここに「あなたより劣る一つの国」とありますね。領土としてはメディヤ・ペルシヤのほうが大きくなりました。劣っているのは、その権力集中においてです。ネブカデネザルは絶対君主でした。彼自身が決定したものが、そのまま法になりました。先ほどの、夢を知らせることができなければ手足を切り離させ、家をごみの山とさせると言った言葉も、その通り執行されました。
けれどもペルシヤでは、法令があります。王が法令に押印し、取り消したり、変更することのできないものにします。王自身も、その法令に定められたことを翻すことはできません。ですから権力においてその栄光を失いました。
2:39b次に青銅の第三の国が起こって、全土を治めるようになります。
ペルシヤの王を破って台頭したのがギリシヤです。あのアレキサンダー大王が、当時知られていた世界を制覇しました。だから、ここでダニエルが「全土」と解き明かしています。具体的にはヨーロッパ、そして南下してパレスチナ、エジプトまで征服し、そしてペルシヤを破り、遥かインドまで東方遠征を行ないました。紀元前330年からギリシヤが始まりました。
2:40 第四の国は鉄のように強い国です。鉄はすべてのものを打ち砕いて粉々にするからです。その国は鉄が打ち砕くように、先の国々を粉々に打ち砕いてしまいます。
紀元前63年に、ギリシヤに代わってローマが世界を制覇しました。
ダニエルが解き明かしたように、ローマはその反逆者に対する鉄のような破壊で有名です。ヨセフスも「ユダヤ戦記」の中でローマ軍がいかにその組織、訓練、指揮において優れていたかを述べています。
そして興味深いことに鉄はすねの部分だけであり、その後、足と足の指は鉄と粘土が混じりあった状態になっています。これで人の像は終わりです。そして歴史上、ローマ後に世界を支配する帝国は現われていません。むしろ、ローマの影響が残った西洋そして東洋がその後の歴史を作ったと言えます。
さらにご指摘したい重要な点は、このローマ時代に私たちの主イエス・キリストが来られた、ということです。人間の歴史において、イエス・キリストが来られ教会が誕生したという事実によって、人間の世界支配が瓦解し始めた、と言うことができるのです。ダニエル書は、実に旧約から新約への橋渡しをする預言の幻です。そしてキリストが来られたことによって、ある意味で人間の支配の終わりが始まったと言えるのです
ですからイエス・キリストの教会は、神の国を霊的にこの地上に介入せしめる「世の光」であり「地の塩」であります。キリストの教会は、この世においてはちっぽけで、力がなく、卑しくさえ見えます。けれどもイザヤなどが語ったように、その貧しい者、弱い者が、そびえ立つ都を引き倒し、踏みつけるのです(イザヤ26:5‐6参照)。
2:41 あなたがご覧になった足と足の指は、その一部が陶器師の粘土、一部が鉄でしたが、それは分裂した国のことです。その国には鉄の強さがあるでしょうが、あなたがご覧になったように、その鉄はどろどろの粘土と混じり合っているのです。
先ほど説明しましたように、これはローマ後の世界です。ローマは滅びましたが、その影響を持っているのを「粘土と鉄が混じり合った」状態として形容しています。ダニエルは「分裂した」と言っていますが、紀元364年、西ローマと東ローマに分裂しました。西ローマは476年まで続きましたが、その後、西ヨーロッパの国々においてその影響は続いています。フランスでは紀元800年に、自らの支配権を「フランス・聖ローマ帝国」と呼びました。同じようにドイツは、指導者らが自分への称号を「カエザル」と付けました。
東ローマは1453年まで続きましたが、その影響はロシアに移っています。そこでも国王は自らを「ツァー」つまり「カエザル」と名づけ、ローマ帝国主義の伝統を受け継ぎました。それがソ連になり、共産主義を通して勢力を拡大し、ソ連崩壊後もロシアはかつての強国の地位を得るべく動き始めています。
2:42 その足の指が一部は鉄、一部は粘土であったように、その国は一部は強く、一部はもろいでしょう。2:43 鉄とどろどろの粘土が混じり合っているのをあなたがご覧になったように、それらは人間の種によって、互いに混じり合うでしょう。しかし鉄が粘土と混じり合わないように、それらが互いに団結することはありません。
ダニエルは単に足だけでなく、足の指に注目しています。足の指はもちろん十本です。そして、ダニエル書7章には第四の獣が十本の角を持っています。それが「十人の王(24節)」であるという解き明かしです。
けれども、鉄と粘土が混じり合わないように、互いに団結することはないとダニエルは言っています。「人間の種」つまり人間が作為的に世界を一つになるのですが、十人の王、あるいは支配の中で置かれ、それぞれは互いに団結することができない、という状態です。
いかがでしょうか?これが、私たちがいま自分たちの時代に見ている世界です。グローバル化、あるいは世界均一化と呼んでもよろしいでしょうか、これが近代から始まりました。欧米列強によってその波が極東にまで押し寄せ、例えば日本はアメリカからの黒船によって開国を迫られました。そして間もなくして世界大戦です。もう一度世界大戦が起き、世界の国々は世界全体で何が起こっているかをよく見ていなければ、孤立してしまう時代に入りました
日本が連合軍に敗戦して、国際連盟が国際連合になりました。それぞれの国が互いに条約を結んだりして団結しようとしますが、完全にはできません。それで初めに、ヨーロッパが、かつてローマの中心であった所から連合体が起こりました。初めはECそれからEUです。通貨がユーロに統合されました。そして彼らは政治統合を今度は目指しています。連邦制を取っているアメリカ合衆国のように、ヨーロッパ合衆国を目指しています。
同じように、他の国々も地域統合を目論んでいます。日本では東アジア共同体なるものを、今日の首相は唱えています。アメリカはアメリカでカナダとメキシコと共に北米経済ブロックを作ろうとしていますし、確実に世界は均一化、そして地域区分化へと動いています。これが十に区分されるであろうというのが、ダニエルの預言から推測できることです。
私たちが便利な生活ができているのは、石油、技術開発、航空機、テレビ、インターネット等、すべて世界化という現象によってもたらされていることは、誰もが知っています。その最後の姿を、ネブカデネザルが神のご介入によって夢で見たことになります。
そして思い出してください、この時代に、あの人手によらず切り出された石がこの像を打ち砕くのです。
2:44 この王たちの時代に、天の神は一つの国を起こされます。その国は永遠に滅ぼされることがなく、その国は他の民に渡されず、かえってこれらの国々をことごとく打ち砕いて、絶滅してしまいます。しかし、この国は永遠に立ち続けます。2:45 あなたがご覧になったとおり、一つの石が人手によらずに山から切り出され、その石が鉄と青銅と粘土と銀と金を打ち砕いたのは、大いなる神が、これから後に起こることを王に知らされたのです。その夢は正夢で、その解き明かしも確かです。」
ネブカデネザルの見た夢は、これがクライマックスです。これまでの人の像の輝きを、一つの石がことごとく打ち砕いて、全滅してしまいます。そしてこの石は全土を覆う大きな山となるのでしたね。この石による国が、人間の国に代わって世界を支配するのです。そしてこれは「永遠」です。そうです、これこそが神が支配される国、神の国です。
この石は紛れもない「イエス・キリスト」です。主が十字架に付けられる直前、エルサレムの神殿の境内におられた時、ユダヤ人宗教指導者と議論をされました。その中で主は、「家を建てた者たちの見捨てた石、それが礎の石となった。(ルカ20:17)」と、詩篇188篇のメシヤ預言を引用されました。神の宮を建てるべき宗教指導者らが、かえってメシヤを見捨てることになるが、その十字架の仕打ちこそが全世界を救う礎となる、ということです。
そしてイエス様は、続けて「この石の上に落ちれば、だれでも粉々に砕け、またこの石が人の上に落ちれば、その人を粉みじんに飛び散らしてしまうのです。(ルカ20:18)」と言われました。そうです、これは今私たちが読んだダニエル書2章の石です。主が戻ってこられます。主は再び戻られるとき、世界の王ども、その軍隊と戦われます。彼らを粉みじんにされます。そしてご自分の力と権威を父なる神に明け渡します。世界はもはや人間によらず、神ご自身が統治されるようになるのです。
この夢では注意深く、石が「人手によらずに切り出され」た(34節)と教えています。キリストが神から来られた方であり、人の手によるのではないということです。この方が生まれたのは、聖霊によってみごもった処女マリヤによってです。この方は人間の手によらない神の御子なのです。
これだけはっきりとした神の啓示を、私たちはないがしろにして良いのでしょうか?イエス様は弟子たちにこう祈りなさいと言って、命じられました。「御国が来ますように。みこころが天で行なわれるように地でも行なわれますように。(マタイ6:10)」そして使徒パウロは言いました。「主を愛さない者はだれでも、のろわれよ。主よ、来てください。(1コリント16:21)」そして聖書の最後に、主イエスご自身がこう言われています。「しかり。わたしはすぐに来る。(黙示22:20)」そして聖霊と花嫁(教会)が、「アーメン。主イエスよ、来てください。」と言っています
3B 王の賛美 46−49
2:46 それで、ネブカデネザル王はひれ伏してダニエルに礼をし、彼に、穀物のささげ物となだめのかおりとをささげるように命じた。
ネブカデネザルは異教徒ですから、このように畏敬と感謝の念をなんとダニエルに捧げようとしています。けれども、これはダニエルを神としているのではありません。
2:47 王はダニエルに答えて言った。「あなたがこの秘密をあらわすことができたからには、まことにあなたの神は、神々の神、王たちの主、また秘密をあらわす方だ。」
もうネブカデネザルの目には明らかです。彼は自分の神々によってはこのような秘密を現わすことはできないことを十分に悟りました。だからダニエルの神を、「神々の神、王たちの主」と告白しているのです。
2:48 そこで王は、ダニエルを高い位につけ、彼に多くのすばらしい贈り物を与えて、彼にバビロン全州を治めさせ、また、バビロンのすべての知者たちをつかさどる長官とした。2:49 王は、ダニエルの願いによって、シャデラク、メシャク、アベデ・ネゴに、バビロン州の事務をつかさどらせた。しかしダニエルは王の宮廷にとどまった。
今、ダニエルは18歳当たりですが、なんと世界帝国バビロンの全州を治めることになりました。そしてこれまでは知者の一人でありましたが、その知者たちの長となりました。
そしてダニエルは友人たちを忘れませんでした。彼らをバビロン州の事務をつかさどらせるよう王に願いました。そして彼は王本人の側近になったものと思われます、王の宮廷に留まりました。
そして次回3章を読みます。金の像をネブカデネザルが造ります。そして友人三人がそれを拝むのを拒みます。ダニエルはそこにはいません。おそらく王の宮廷にいたからだと考えられますが、いずれにしろ、王がまだ真理には到達していないことを知ります。
彼は「神々の神だ、王たちの王だ」とダニエルの神を賞賛しましたが、彼自身の神にはなっていないのです。その悟りに至るにはまだ時間が要ります。けれども、ダニエルは世界帝国の王に、実質的な証しを立てることができました。彼は続けて証しを立てます。彼は本当に、「世の光、地の塩」です!
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