ダニエル書 第二回(3−5章) 「王の王 主の主」

 

アウトライン

2A 全体の内容

1B 土台 − 神の主権 (終わりの時に知らなければならない、神のご性質) 1

2B 対象 − 異邦人の時 (神が終了させるのは、異邦人の支配) 2−7

   1C 王を立てる神 2−3

      1D 金の頭 2

      2D 全身金の像 3

         E 人間の支配 1−12

            F 権力 1−7

            F ねたみ 8−12

         E 神への献身 13−23

            F 世への抵抗 13−18

            F 世の憎しみ 19−23

         E 神による救い 24−30

   2C 王を廃す神 4−5

      1D 根株 4

         E 神の主権 1−3

         E 神の懲らしめ 4−35

            F 聖なる神の霊 4−18

            F 自分の身 19−27

            F 成就 28−35

         E 神への賛美 36−37

      2D メネ、メネ、テケル、ウ・パルシン 5

         E 恐ろしい神 1−12

            F 冒涜 1−4

            F 神の知恵 5−12

         E かたくなな心 13−29

            F 人の褒美 13−16

            F さばき 14−29

         E 神の力 30−31

 


本文
 

2A 全体の内容

1B 土台 − 神の主権 (終わりの時に知らなければならない、神のご性質) 1

2B 対象 − 異邦人の時 (神が終了させるのは、異邦人の支配) 2−7

1C 王を立てる神 2−3

1D 金の頭 2

 それでは、ダニエル書を続けて読みましょう。3章から5章までを読みたいと思います。ここでのテーマは、「王の王 主の主」です。ここでは、1章と2章に続いて、バビロン帝国の支配を読みます。けれども、神は、この世界の支配者を、ご自分の思うままに支配されていることを見ることができます。

2D 全身金の像 3

E 人間の支配 1−12

F 権力 1−7

 ネブカデネザル王は金の像を造った。その高さは六十キュビト、その幅は六キュビトであった。彼はこれをバビロン州のドラの平野に立てた。

 
ネブカデネザルは、ものすごく巨大な金の像を見ました。高さはだいたい30メートルぐらいで、幅は3メートルぐらいです。彼が、この金の像を、ダニエルが解き明かした夢に影響されて立てたことは確かです。その夢では頭だけが金でしたが、ネブカデネザルは全身金の像を立てています。つまり、ネブカデネザルは、自分が見た夢で有頂天になり、高慢になって、バビロンの国が永遠に堅く立つと考えたのです。自分がいつか滅びる国の王であると信じることができず、永遠に堅く立つ国の王になりたいと願ったのです。何か、日本の国みたいですね。「君が代は、千代に八千代に」と唄っていますが、天皇は永遠に続きません。けれども、国の支配者の多くが、自分たちの国が永遠に続くと願っています。自分が神の御手の中にあることを忘れて、高慢になります。


 そして、ネブカデネザル王は人を遣わして、太守、長官、総督、参議官、財務官、司法官、保安官、および諸州のすべての高官を召集し、ネブカデネザル王が立てた像の奉献式に出席させることにした。

 
バビロンが征服した国々は、バビロンの諸州になりました。そこで務める役人たちを集めて、ネブカデネザルの権力を誇示するのがねらいです。

 そこで太守、長官、総督、参議官、財務官、司法官、保安官、および諸州のすべての高官は、ネブカデネザル王が立てた像の奉献式に集まり、ネブカデネザルが立てた像の前に立った。伝令官は大声で叫んだ。「諸民、諸国、諸国語の者たちよ。あなたがたにこう命じられている。あなたがたが角笛、二管の笛、立琴、三角琴、ハープ、風笛、および、もろもろの楽器の音を聞くときは、ひれ伏して、ネブカデネザル王が立てた金の像を拝め。

 きれいな音楽が鳴り響いた後に、金の像を拝みます。

 「ひれ伏して拝まない者はだれでも、ただちに火の燃える炉の中に投げ込まれる。」それで、民がみな、角笛、二管の笛、立琴、三角琴、ハープ、および、もろもろの楽器の音を聞いたとき、諸民、諸国、諸国語の者たちは、ひれ伏して、ネブカデネザル王が立てた金の像を拝んだ。

 拝まない者を即座に死刑にするという罰則を設けたので、すべての者がひれ伏して拝みました。これは、終わりの時に反キリストが行なうことでもあります。反キリストは世界を自分のものとしたあとに、至聖所の中に入り、自分こそが神であると宣言します(Uテサロニケ2:4)。そして、そこに自分の像を立てて、それを拝むように強要します。拝まない者はみな殺されてしまいます(黙示13:15)。


F ねたみ 8−12

 こういうことがあったその時、あるカルデヤ人たちが進み出て、ユダヤ人たちを訴えた。彼らはネブカデネザル王に告げて言った。「王よ。永遠に生きられますように。王よ。あなたは、『角笛、二管の笛、立琴、三角琴、ハープ、風笛、および、もろもろの楽器の音を聞く者は、すべてひれ伏して金の像を拝め。ひれ伏して拝まない者はだれでも、火の燃える炉の中へ投げ込め。』と命令されました。ここに、あなたが任命してバビロン州の事務をつかさどらせたユダヤ人シャデラク、メシャク、アベデ・ネゴがおります。王よ。この者たちはあなたを無視して、あなたの神々に仕えず、あなたが立てた金の像を拝みもいたしません。」

 
おぼえていますか、2章の最後のところで、ダニエルの友人3人は、昇進してバビロン州の事務をつかざどっていました。彼らは、忠実に、勤勉に働いたので、大きな業績を上げていたに違いありません。そのことにねたみを持った者たちが、ユダヤ人であるこの3人を訴えたのです。そして、これから迫害が始まります。ユダヤ人がねたみを買うことは、彼らに始まったことではありません。国の誕生のときから、そうだったのです。神が彼らを祝福し、多くの子どもを生ませ、強い民族になると、エジプトの王パロは恐れ、彼らを苦しめて、奴隷として働かせました。そこから救い出されたのがイスラエルですが、彼らは今日に至るまで、ずっと同じ歴史を歩んでいます。ユダヤ人ほど迫害を受けた民族はいません。それは、世界の諸国が、彼らのことをねたみ、憎しんでいるからです。そして、終わりの時には、反キリストによってユダヤ人が迫害されることが預言されています。


E 神への献身 13−23

F 世への抵抗 13−18

 そこでネブカデネザルは怒りたけり、シャデラク、メシャク、アベデ・ネゴを連れて来いと命じた。それでこの人たちは王の前に連れて来られた。ネブカデネザルは彼らに言った。「シャデラク、メシャク、アベデ・ネゴ。あなたがたは私の神々に仕えず、また私が立てた金の像を拝みもしないというが、ほんとうか。もしあなたがたが、角笛、二管の笛、立琴、三角琴、ハープ、風笛、および、もろもろの楽器の音を聞くときに、ひれ伏して、私が造った像を拝むなら、それでよし。しかし、もし拝まないなら、あなたがたはただちに火の燃える炉の中に投げ込まれる。どの神が、私の手からあなたがたを救い出せよう。」

 ネブカデネザルは、妥協案を出しています。ただこの像を拝みさえすれば良い。宗教心が入っていなくても構わない、ただひれ伏す姿勢を取りなさい、と誘っています。なぜなら、彼が求めているのは、宗教的なものではなく、自分の権力に服従することだったからです。ローマ帝国も同じでした。初代教会のクリスチャンは、「カエザルが主であると、言えさえすれば良いのだ。」とローマ帝国から命令されました。しかし、クリスチャンたちはそれを拒み、ある者は火あぶりにされ、ある者は、競技場で大ぜいの観衆が見ている中で、ライオンに食い殺されました。なぜなら、イエスのみことばがあったからです。「だから、だれでも人々の前で自分をわたしの仲間であると言い表す者は、わたしも天の父の前で、その人をわたしの仲間であると言い表す。しかし、人々の前でわたしを知らないと言う者は、わたしも天の父の前で、その人を知らないと言う。(マタイ10:32)」つまり、心でイエスを信じていれば、口や行ないで異なることをしても構わない、ということは決してありえないのです。私たちの回りにも、世からの圧力がたくさんあります。けれども、それらに屈服してはならないことを聖書は教えています。


 シャデラク、メシャク、アベデ・ネゴはネブカデネザル王に言った。「私たちはこのことについて、あなたにお答えする必要はありません。ネブカデネザルの要求を、公然と拒否しています。もし、そうなれば、私たちの仕える神は、火の燃える炉から私たちを救い出すことができます。王よ。神は私たちをあなたの手から救い出します。しかし、もしそうでなくても、王よ、ご承知ください。私たちはあなたの神々に仕えず、あなたが立てた金の像を拝むこともしません。

 ここに、とても大切な真理が二つ記されています。一つは、神が救い出してくださるということです。救い出す力があります。彼らは、火の燃える炉に入らなくてもすむようにしてくださるとは言っていません。火の燃える炉の中に入るが、その中から救い出されると言っています。困難を免れるわけではないが、困難の中から救い出してくださいます。神は私たちに、試練に会わないように約束されていません。そうではなく、試練の中にあってもそれを耐えることができ、逃れの道を備えてくださると約束してくださっています。そして、二つ目は、主にゆだねることです。自分の身にどのようなことが起ころうとも、私は妥協しない。燃える火の中で丸焦げになったって、構わない。こうした志が、私たちには必要です。ペテロが言いました。「神のみこころに従ってなお苦しみに会っている人々は、善を行なうにあたって、真実であられる創造者に自分のたましいをお任せしなさい。 (ペテロ第一4:19)」主にゆだね、お任せすることが必要です。


F 世の憎しみ 19−23

 すると、ネブカデネザルは怒りに満ち、シャデラク、メシャク、アベデ・ネゴに対する顔つきが変わった。彼は炉を普通より七倍熱くせよと命じた。また彼の軍隊の中の力強い者たちに、シャデラク、メシャク、アベデ・ネゴを縛って、火の燃える炉に投げ込めと命じた。そこで、この人たちは、上着や下着やかぶり物の衣服を着たまま縛られて、火の燃える炉の中に投げ込まれた。王の命令がきびしく、炉がはなはだ熱かったので、シャデラク、メシャク、アベデ・ネゴを連れて来た者たちは、その火炎に焼き殺された。シャデラク、メシャク、アベデ・ネゴの三人は、縛られたままで、火の燃える炉の中に落ち込んだ。

 
ネブカデネザルは怒り狂いました。自分の力を思い知れ、と言わんばかりに勢いをもって火の中に投げ込んでいます。

E 神による救い 24−30

 そして次に、すばらしい神の救いを見ることができます。そのとき、ネブカデネザル王は驚き、急いで立ち上がり、その顧問たちに尋ねて言った。「私たちは三人の者を縛って火の中に投げ込んだのではなかったか。」彼らは王に答えて言った。「王さま。そのとおりでございます。」すると王は言った。「だが、私には、火の中をなわを解かれて歩いている四人の者が見える。しかも彼らは何の害も受けていない。第四の者の姿は神々の子のようだ。」

 彼らは、火の中をなわを解かれて歩いていました。そして、3人のほかにもう一人歩いていました。ネブカデネザルは「神々の子」と言っていますが、まさしく神の御子イエス・キリストです。イエスさまが、彼らの真ん中におられ、彼らが火の中にいても守っていてくださったのです。

 それから、ネブカデネザルは火の燃える炉の口に近づいて言った。「シャデラク、メシャク、アベデ・ネゴ。いと高き神のしもべたち。すぐ出て来なさい。」
ネブカデネザルが神を認めています。そこで、シャデラク、メシャク、アベデ・ネゴは火の中から出て来た。太守、長官、総督、王の顧問たちが集まり、この人たちを見たが、火は彼らのからだにはききめがなく、その頭の毛も焦げず、上着も以前と変わらず、火のにおいもしなかった。何一つ害を受けていません。主が守ってくださいました。


 ネブカデネザルは言った。「ほむべきかな、シャデラク、メシャク、アベデ・ネゴの神。神は御使いを送って、王の命令にそむき、自分たちのからだを差し出しても、神に信頼し、自分たちの神のほかはどんな神にも仕えず、また拝まないこのしもべたちを救われた。

 
ネブカデネザルはふたたび神を認め、神を賛美しています。主は、ご自分が生きておられることを証しされました。イスラエルがバビロンに滅ぼされても、神は続けてご自分の証しを立てておられます。

 それゆえ、私は命令する。諸民、諸国、諸国語の者のうち、シャデラク、メシャク、アベデ・ネゴの神を侮る者はだれでも、その手足は切り離され、その家をごみの山とさせる。このように救い出すことのできる神は、ほかにないからだ。

 
ネブカデネザルは極端ですね。矛先を今度は、ヘブル人の神を侮る者に向けています。異教の神々を拝んでいる者は、このようになります。バウロの乗っていた船が奇跡的に遭難から免れ、マルタと呼ばれる島に漂流しました。焚き木をしていると、パウロの手にまむしが取りつきました。そのとき、島の人々は、「この人はきっと人殺しだ。海からはのがれたが、正義の女神はこの人を生かしておかないのだ。」と言いました。けれども、いつまでたってもパウロは死なないので、今度は、「この人は神さまだ。」と言い出しています(使徒8:1−6)。ですから、自分が見ていることによって、神さまがいくらでも変わってしまうのです。私たちが、神を信じて生きるとき、悪いことが起こると「意地悪な神だ」と受けとめ、良いことが起こると、「ああ、なんてすばらしい方なのだろう。」と意見を変えることはないでしょうか。けれども、それは聖書の神ではありません。聖書の神はいつまでも変わらない方です。


 それから王は、シャデラク、メシャク、アベデ・ネゴをバビロン州で栄えさせた。

 こうして、ヘブル人の3人は、迫害と火の中から救い出されました。これは、大患難時代における、忠実なユダヤ人たちの姿を指し示しています。反キリストは自分の像を拝ませますが、ユダヤ人の多くはそれを拒否します。そのため、苦難を通らなければいけませんが、神は彼らを守り、養い、イエス・キリストが天から来られるまで、生き延びることができるのです。


2C 王を廃す神 4−5

 こうして神は、ご自分に忠実な者たちを世の支配者から救い出して下さいました。そして、次からは、この世の支配者たちに対して働きかけます。高慢になっている彼らを懲らしめ、そして時にはことごとくさばいてしまいます。


1D 根株 4

 4章は、神から懲らしめられたことを伝える、ネブカデネザルの手紙です。

E 神の主権 1−3

 ネブカデネザル王が、全土に住むすべての諸民、諸国、諸国語の者たちに書き送る。あなたがたに平安が豊かにあるように。

 彼は、全世界の人々に対して手紙を書き送っています。「平安が豊かにあるように。」と書いていますが、なにか新約聖書にある手紙のあいさつのようですね。

 いと高き神が私に行なわれたしるしと奇蹟とを知らせることは、私の喜びとするところである。そのしるしのなんと偉大なことよ。その奇蹟のなんと力強いことよ。その国は永遠にわたる国、その主権は代々限りなく続く。

 ネブカデネザルが、ふたたび神をほめたたえています。この手紙はおそらく、彼の晩年に書かれたものでしょう。彼の治世の初めのころは2章に記されていました。半ばが今読んだ3章です。そして4章は晩年に書かれており、バビロンが隆盛を極めた時です。そのときに彼は、神の国は永遠に渡り、その主権は限りなく続くと証ししています。ダニエルをとおして、また3人のヘブル人をとおして、ネブカデネザルは、生けるまことの神の証しを見てきました。その結論が、「神の主権は永遠に続く」と言うことだったのです。神が、すべての支配者の王であり主であることを知りました。


E 神の懲らしめ 4−35

 あいさつが終わって、次に内容に入ります。

F 聖なる神の霊 4−18

 私、ネブカデネザルが私の家で気楽にしており、私の宮殿で栄えていたとき、私は一つの夢を見たが、それが私を恐れさせた。私の寝床での様々な幻想と頭に浮かんだ幻が、私を脅かした。

 バビロンは、当時知られていた世界のほとんどを征服し、繁栄の極みに達しました。そこでネブカデネザルは宮殿の中で気楽にしており、その栄華を眺めていたのです。そのとき夢を見て、ネブカデネザルを脅かしました。

 それで、私は命令を下し、バビロンの知者をことごとく私の前に連れて来させて、その夢の解き明かしをさせようとした。そこで、呪法師、呪文師、カルデヤ人、星占いたちが来たとき、私は彼らにその夢を告げたが、彼らはその解き明かしを私に知らせることができなかった。
2章のときと同じですね。この世の魔術師たちには、この夢の解き明かしができません。しかし最後に、ダニエルが私の前に来た。・・彼の名は私の神の名にちなんでベルテシャツァルと呼ばれ、彼には聖なる神の霊があった。・・私はその夢を彼に告げた。

 ネブカデネザルは、「私の神」と言っていますが、これはマルドゥクと呼ばれるもので、バビロンで拝まれていた偶像です。彼はこの神から離れることはできませんでしたが、ダニエルには聖なる神の霊があることを認めています。なぜなら、ネブカデネザルにとって、神とは、必ずしも聖いものでないからです。偶像の神々は、ほとんどの場合、性的なものや、権力、お金に結び付けられています。日本は道徳のない国として世界に知られていますが、それは偶像を拝んでいるところから来ていると言うことができます。けれども、聖書は、「聖なる神」を教えています。聖い神、汚れが一切、何一つない神です。


 呪法師の長ベルテシャツァル。私は、聖なる神の霊があなたにあり、どんな秘密もあなたにはむずかしくないことを知っている。私の見た夢の幻はこうだ。その解き明かしをしてもらいたい。

 そうです、聖霊はすべてのことを探り、神の深みにまで及ばれる、とパウロは言っています(Tコリント2:10)。

 私の寝床で頭に浮かんだ幻、私の見た幻はこうだ。見ると、地の中央に木があった。それは非常に高かった。その木は生長して強くなり、その高さは天に届いて、地の果てのどこからもそれが見えた。葉は美しく、実も豊かで、それにはすべてのものの食糧があった。その下では野の獣がいこい、その枝には空の鳥が住み、すべての肉なるものはそれによって養われた。

 
栄華に富んだ木を見ました。

 私が見た幻、寝床で頭に浮かんだ幻の中に、見ると、ひとりの見張りの者、聖なる者が天から降りて来た。彼は大声で叫んで、こう言った。「その木を切り倒し、枝を切り払え。その葉を振り落とし、実を投げ散らせ。獣をその下から、鳥をその枝から追い払え。ただし、その根株を地に残し、これに鉄と青銅の鎖をかけて、野の若草の中に置き、天の露にぬれさせて、地の草を獣と分け合うようにせよ。」


 その偉大な木は、切り倒され、根株だけが残されて、鎖をかけられて獣のように草を食べます。

 その心を、人間の心から変えて、獣の心をそれに与え、七つの時をその上に過ごさせよ。


 7つの時とは、7年間のことです。「一時」は1年間のことです。

 この宣言は見張りの者たちの布告によるもの、この決定は聖なる者たちの命令によるものだ。それは、いと高き方が人間の国を支配し、これをみこころにかなう者に与え、また人間の中の最もへりくだった者をその上に立てることを、生ける者が知るためである。


 この木にこのようなことが起こったのは、神が人間の国を支配していることを知ること、そして人間がへりくだるためでした。

 私、ネブカデネザル王が見た夢とはこれだ。ベルテシャツァルよ。あなたはその解き明かしを述べよ。私の国の知者たちはだれも、その解き明かしを私に知らせることができない。しかし、あなたにはできる。あなたには、聖なる神の霊があるからだ。

 
再び彼は、ダニエルに聖なる神の霊があると告白しています。そしてこれから、聖霊は、ネブカデネザルに罪の自覚を与えようとされています。ダニエルは、聖霊に満たされて、この夢の解き明かしをしました。


F 自分の身 19−27

 そのとき、ベルテシャツァルと呼ばれていたダニエルは、しばらくの間、驚きすくみ、おびえた。王は話しかけて言った。「ベルテシャツァル。あなたはこの夢と解き明かしを恐れることはない。」ベルテシャツァルは答えて言った。「わが主よ。どうか、この夢があなたを憎む者たちに当てはまり、その解き明かしがあなたの敵に当てはまりますように。あなたがご覧になった木、すなわち、生長して強くなり、その高さは天に届いて、地のどこからも見え、その葉は美しく、実も豊かで、それにはすべてのものの食糧があり、その下に野の獣が住み、その枝に空の鳥が宿った木、王さま、その木はあなたです。

 この木はネブカデネザル本人に当てはまるものでした。そのことを言うのを恐れて、ダニエルは、「あなたが憎むものに当てはまり、敵に当てはまりますように。」と言っています。おそらくダニエルとネブカデネザルの間には、信頼の絆が結ばれていたのでしょう。ダニエルは、王の下で忠実に、勤勉に働いていたのではないかと思われます。それで、ネブカデネザルも彼を信頼し、その忠告や勧告を聞き入れる耳を持っていたのです。

 あなたは大きくなって強くなり、あなたの偉大さは増し加わって天に達し、あなたの主権は地の果てにまで及んでいます。しかし王は、ひとりの見張りの者、聖なる者が天から降りて来てこう言うのをご覧になりました。

 これは御使いのことです。神から遣わされて、神のみことばを宣言します。

 「この木を切り倒して滅ぼせ。ただし、その根株を地に残し、これに鉄と青銅の鎖をかけて、野の若草の中に置き、天の露にぬれさせて、七つの時がその上を過ぎるまで野の獣と草を分け合うようにせよ。」王さま。その解き明かしは次のとおりです。これは、いと高き方の宣言であって、わが主、王さまに起こることです。

 ふたたび、王本人に起こることを繰り返しています。

 あなたは人間の中から追い出され、野の獣とともに住み、牛のように草を食べ、天の露にぬれます。こうして、七つの時が過ぎ、あなたは、いと高き方が人間の国を支配し、その国をみこころにかなう者にお与えになることを知るようになります。

 
精神病にかかってしまうのでしょうか、ネブカデネザルは獣のように狂ってしまい、7年間を過ごすとになります。けれども、その間に、神が人間の国を支配されていることを知るようになります。


 ただし、木の根株は残しておけと命じられていますから、天が支配するということをあなたが知るようになれば、あなたの国はあなたのために堅く立ちましょう。

 根株が残っていたということは、ネブカデネザルが完全に滅ぼされることはないことを示しています。懲らしめを受けますが、滅ぼされることはありません。

 それゆえ、王さま、私の勧告を快く受け入れて、正しい行ないによってあなたの罪を除き、貧しい者をあわれんであなたの咎を除いてください。そうすれば、あなたの繁栄は長く続くでしょう。

 ネブカデネザルが犯していた罪は、貧しい人をあわれんでいないことでした。バビロンに捕え移されたユダヤ人は、奴隷として過酷な労働を強いられていました。イザヤ書45章によりますと、バビロンが滅んだのは、ユダヤ人を奴隷として取り扱ったことによることが分かります(5−7節)。ですから、貧しい人をあわれんで、咎を取り除いてください、と諭しています。


F 成就 28−35

 このことがみな、ネブカデネザル王の身に起こった。ネブカデネザルは、ダニエルの忠告を聞かなかったようです。十二か月の後、彼がバビロンの王の宮殿の屋上を歩いていたとき、王はこう言っていた。

 おそらく、彼が忠告を聞かなかったのは、時間が経って、その忠告を忘れていたからでしょう。12ヶ月、つまり1年経っています。ダニエルから聞いたときには、恐れおののいて、貧しい人をあわれまなければならないと強く感じたでしょうが、時間が経つうちに、いつの間にか、この夢が自分の身に起こることを忘れてしまったのではないかと思われます。聖書には、さまざまな警告が記されています。私たちは、その警告が自分の身にも起こるかもしれないと思いながら、恐れおののきつつ日々を過ごさなければいけません。びくびくする必要はありませんが、目をさまして、自分を見張るのです。けれども、「自分は大丈夫だ。そんなことは起こらない。」と思うとき、その時が一番危険です。パウロは、「ですから、立っていると思う者は、倒れないように気をつけなさい。(コリント第一10:12)」と言いました。


 この大バビロンは、私の権力によって、王の家とするために、また、私の威光を輝かすために、私が建てたものではないか。

 「私が」という言葉が繰り返されていますね。これがプライド、あるいは高慢と呼ばれるものであり、神がもっとも忌み嫌われる罪であります。箴言には、主が憎むもの、忌みきらうものが7つあると書いてあり、その一つ目が「高ぶる目(6:17)」となっています。高ぶるとは、神を認めないこと、すべてのことに神を認めないことです。

 このことばがまだ王の口にあるうちに、天から声があった。「ネブカデネザル王。あなたに告げる。国はあなたから取り去られた。

 
すごいですね、まだことばが口にあったときに、声がありました。

 「あなたは人間の中から追い出され、野の獣とともに住み、牛のように草を食べ、こうして七つの時があなたの上を過ぎ、ついに、あなたは、いと高き方が人間の国を支配し、その国をみこころにかなう者にお与えになることを知るようになる。」このことばは、ただちにネブカデネザルの上に成就した。彼は人間の中から追い出され、牛のように草を食べ、そのからだは天の露にぬれて、ついに、彼の髪の毛は鷲の羽のようになり、爪は鳥の爪のようになった。その期間が終わったとき、私、ネブカデネザルは目を上げて天を見た。すると私に理性が戻って来た。それで、私はいと高き方をほめたたえ、永遠に生きる方を賛美し、ほめたたえた。

 面白いですね、理性が戻って来たときに神を賛美しています。私たちの神に対する礼拝は、理性的です。もちろん感情をともない、大いに喜び、大いに叫ぶときもありますが、そこには秩序があります。神と自分との関係をイメージや感覚で捉える人々がいますが、神は、ご自分のことばを持って、私たちの理性に働きかけます。


 その主権は永遠の主権。その国は代々限りなく続く。

 
ネブカデネザルは、人間の支配は一時的であり、神の支配が永遠に続くことを認めました。

 地に住むものはみな、無きものとみなされる。


 偉大な神にとって、どんなに偉大なものでも無に等しいです。「見よ。国々は、手おけの一しずく、はかりの上のごみのようにみなされる。見よ。主は島々を細かいちりのように取り上げる。(イザヤ40:15)」とイザヤは言いました。

 彼は、天の軍勢も、地に住むものも、みこころのままにあしらう。御手を差し押えて、「あなたは何をされるのか。」と言う者もいない。

 
この4章の中で、この表現が何回も登場しました。いと高き方が支配し、その国をみこころのままにされる、という言い回しです。主はどんなときでも生きて、働いておられます。どんな悪い世になっても、神は、ご自分の願われているままに世界を動かしておられるのです。


E 神への賛美 36−37

 そしてネブカデネザルは、手紙のしめくくりを書きます。私が理性を取り戻したとき、私の王国の光栄のために、私の威光も輝きも私に戻って来た。私の顧問も貴人たちも私を迎えたので、私は王位を確立し、以前にもまして大いなる者となった。今、私、ネブカデネザルは、天の王を賛美し、あがめ、ほめたたえる。そのみわざはことごとく真実であり、その道は正義である。また、高ぶって歩む者をへりくだった者とされる。

 彼は、教訓を学びました。高ぶるものは低くされ、へりくだる者が高く上げられるということです。この真理は、聖書の至るところで述べられています。「主の御前でへりくだりなさい。そうすれば、主があなたがたを高くしてくださいます。(ヤコブ4:10) 」とヤコブは言いました。イエスご自身が、「だれでも自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされるからです。(ルカ14:11等)」と教えておられます。ネブカデネザルは辛い方法で、この教訓を学びましたが、辛いところを通らなくても学ぶことはできます。私たちが、日々、生きる神に出会いつづけ、主と交わりを持っているなら、私たちの心はへりくだり、賛美に満たされます。


2D メネ、メネ、テケル、ウ・パルシン 5

 そして、5章からはバビロン終焉の話が載っています。金の頭から銀の胸に変わるように、バビロン帝国はメディヤ・ペルシヤ帝国の前に倒れました。

E 恐ろしい神 1−12

F 冒涜 1−4

 ベルシャツァル王は、千人の貴人たちのために大宴会を催し、その千人の前でぶどう酒を飲んでいた。

 
ベルシャツァルは、ネブカデネザル王の孫であります。ネブカデネザルの息子にナボニドスという王がいましたが、彼はアラビア地方に隠退していました。彼は政治よりも宗教に興味があって、アラビヤ地方にいたのです。そして、その息子のベルシャツァルに政治的実権を握らせていました。時は、紀元前538年のことです。ダニエルがバビロンに来てからすでに70年経っています。バビロンの多くの領土はすでに、メディヤ・ペルシヤ帝国に取られていましたが、バビロンの町は、とてつもなく丈夫な壁で囲まれていました。そこには20年近くも食べることのできる備蓄があり、ユーフラテス川も流れていたので、水の心配もありませんでした。そこで、ベルテシャツァルは、この丈夫な町の中にいて安心していたのです。人々を集めて、大宴会を催しました。しかし、主の前にあっては砂上の城です。この大国が、またたくまに滅んでいく姿を、私たちはこれから読みます。

 ベルシャツァルは、ぶどう酒を飲みながら、父ネブカデネザルがエルサレムの宮から取って来た金、銀の器を持って来るように命じた。王とその貴人たち、および王の妻とそばめたちがその器で飲むためであった。そこで、エルサレムの神の宮の本堂から取って来た金の器が運ばれて来たので、王とその貴人たち、および王の妻とそばめたちはその器で飲んだ。彼らはぶどう酒を飲み、金、銀、青銅、鉄、木、石の神々を賛美した。


 ベルシャツァル王は、淫らなパーティーを開いていました。偶像を拝んでいます。ぶどう酒で酔いしれて、どんちゃん騒ぎをしていました。そして、神の宮の器で酒を飲んでいます。神の栄光のみにしか用いられない聖別された器を、自分たちの欲望を満たすために用いました。ベルシャツァルはおそらく、ネブカデネザルと同じように、自分の国は永遠に続くと思いたかったに違いありません。ユダヤ人たちの神よりも、バビロンの神のほうが偉大であると言い張るために、今、神の器でぶどう酒を飲んでいます。


F 神の知恵 5−12

 すると突然、人間の手の指が現われ、王の宮殿の塗り壁の、燭台の向こう側の所に物を書いた。王が物を書くその手の先を見たとき、王の顔色は変わり、それにおびえて、腰の関節がゆるみ、ひざはがたがた震えた。

 人間の手が突然、宮殿の壁に現れました。王は恐怖に満たされました。ひざはがたがたに震えて、腰の関節がゆるむほどでした。べろんべろんに酔っ払っていましたが、一気にしらふになったことでしょう。

 王は、大声で叫び、呪文師、カルデヤ人、星占いたちを連れて来させた。王はバビロンの知者たちに言った。「この文字を読み、その解き明かしを示す者にはだれでも、紫の衣を着せ、首に金の鎖をかけ、この国の第三の権力を持たせよう。」


 第三の権力とありますが、それは父のナボニドスが第一の権力者で、自分は第二の権力を持っています。そして次に偉い第三の権力を与えようとしています。紫の衣を着せよう、と言っています。これは権力と王位を意味していました。イエスが十字架につけられる前に、紫の衣を着せられたのは、そのためです。

 その時、王の知者たちがみなはいって来たが、彼らは、その文字を読むことも、王にその解き明かしを告げることもできなかった。それで、ベルシャツァル王はひどくおびえて、顔色が変わり、貴人たちも途方にくれた。

 だれも、この文字を解き明かすことはできませんでした。ネブカデネザルが夢を見たときと同じですね。この世の知恵では、神のことを解き明かすことはできません。


 王母は、王とその貴人たちのことを聞いて、宴会の広間にはいって来た。王母は言った。「王よ。永遠に生きられますように。おびえてはいけません。顔色を変えてはなりません。あなたの王国には、聖なる神の霊の宿るひとりの人がいます。あなたの父上の時代、彼のうちに、光と理解力と神々の知恵のような知恵のあることがわかりました。ネブカデネザル王、あなたの父上、王は、彼を呪法師、呪文師、カルデヤ人、星占いたちの長とされました。王がベルテシャツァルと名づけたダニエルのうちに、すぐれた霊と、知識と、夢を解き明かし、なぞを解き、難問を解く理解力のあることがわかりましたから、今、ダニエルを召してください。そうすれば、彼がその解き明かしをいたしましょう。」

 王母が入ってきました。宮廷の中が大混乱に陥ったので、駆けつけました。そして、ダニエルのことを紹介しています。ダニエルはベルシャツァルには知られていなかったようです。7章には、ダニエルがベルシャツァルの治世のときにエラム州にいたとありますから、ダニエルとベルシャツァルは遠くにいて、顔を合わせていなかったのだろうと思われます。けれども、王母はダニエルのことを知っていました。彼女は、ネブカデネザルのことを「あなたの父上」と呼んでいますが、王国の一番初めの人を父と呼ぶことは、よくあることです。王母は、ダニエルなら解き明かすことができると伝えました。


E かたくなな心 13−29

F 人の褒美 13−16

 そこで、ダニエルは王の前に連れて来られた。王はダニエルに話しかけて言った。「あなたは、私の父である王がユダから連れて来たユダからの捕虜のひとり、あのダニエルか。あなたのうちには神の霊が宿り、また、あなたのうちに、光と理解力と、すぐれた知恵のあることがわかった、と聞いている。先に、知者、呪文師たちを私の前に召して、この文字を読ませ、その解き明かしを私に教えさせようとしたが、彼らはそのことばの解き明かしを示すことができなかった。しかし、あなたは解き明かしができ、難問を解くことができると聞いた。今、もしあなたが、その文字を読み、その解き明かしを私に知らせることができたなら、あなたに紫の衣を着せ、首に金の鎖をかけさせ、国の第三の権力を持たせよう。」

 解き明かすことができたら、褒美をあげようと言っています。

F さばき 17−29

 そのとき、ダニエルは王の前に答えて言った。「あなたの贈り物はあなた自身で取っておき、あなたの報酬は他の人にお与えください。しかし、私はその文字を王のために読み、その解き明かしをお知らせしましょう。

 
ダニエルは、贈り物をきっぱりと断っています。彼は、ベルシャツァルの態度を知っていました。ベルシャツァルが、神をあがめるきよい心から贈り物をしようとしているのではなく、単に夢の解き明かしをお金で買いたいと思っているにすぎないことを彼は知っていました。私たちは霊的祝福をお金で買うことはできません。日本人は、お賽銭をしたり、またお坊さんに多額の謝礼を払うことによって、厄を取り払い、福を招こうとしますが間違っています。私たちに与えられる祝福は、ただ神の恵みによって、信仰によって与えられるものです。


 ダニエルは、文字の解き明かしをするまえに、ベルシャツァルに説教をします。その文字はバビロンが滅びることを伝えるものですが、なぜ滅びることになるのか、その説明をします。

 王さま。いと高き神は、あなたの父上ネブカデネザルに、国と偉大さと光栄と権威とをお与えになりました。


 ダニエルは、これからネブカデネザルの話を始めます。

 神が彼に賜わった偉大さによって、諸民、諸国、諸国語の者たちはことごとく、彼の前に震え、おののきました。彼は思いのままに人を殺し、思いのままに人を生かし、思いのままに人を高め、思いのままに人を低くしました。こうして、彼の心が高ぶり、彼の霊が強くなり、高慢にふるまったので、彼はその王座から退けられ、栄光を奪われました。そして、人の中から追い出され、心は獣と等しくなり、野ろばとともに住み、牛のように草を食べ、からだは天の露にぬれて、ついに、いと高き神が人間の国を支配し、みこころにかなう者をその上にお立てになることを知るようになりました。


 ネブカデネザルは高ぶったため、卑しめられました。けれども、獣のようになっている時に彼はへりくだり、後に引き上げられました。けれども、ベルシャツァルに対する神の取り扱いは異なります。懲らしめではなく、容赦ないさばきです。その理由が次に書かれています。

 その子であるベルシャツァル。あなたはこれらの事をすべて知っていながら、心を低くしませんでした。

 
知っていながら高ぶったのです。故意に、ことさらに罪を犯し続けたのです。聖書では、人は知っていることに責任を問われることが教えられています。知らないことで行なったことについて、責任を負うことはありませんが、知っていることについては、神に申し開きをしなければなりません。イエスは言われました。「知らずにいたために、むち打たれるようなことをしたしもべは、打たれても、少しで済みます。すべて、多く与えられた者は多く求められ、多く任された者は多く要求されます。(ルカ12:48)」ベルシャツァルは、故意に高ぶっていました。


 それどころか、天の主に向かって高ぶり、主の宮の器をあなたの前に持って来させて、あなたも貴人たちもあなたの妻もそばめたちも、それを使ってぶどう酒を飲みました。あなたは、見ることも、聞くことも、知ることもできない銀、金、青銅、鉄、木、石の神々を賛美しましたが、あなたの息と、あなたのすべての道をその手に握っておられる神をほめたたえませんでした。

 
ダニエルは、偶像崇拝の愚かさを、的確に指摘しています。偶像は、見ることも、聞くことも、知ることもできません。目はあるのですが、見えません。耳があるのですが、私たちの話していることを聞くことはできません。そして、頭はありますが私たちについて無知なのです。では、私たちの神はどうでしょうか。目に見えませんが、私たちのすべてを見ておられます。すべてのことを知っておられます。また、みことばをもって私たちに語ることがおできになります。そして、私たちの言うこと、つまり祈りを聞くことができます。そして、ダニエルは、あなたの息も神がその手で握っておられると言われています。みこころなら、今すぐ、息の根が止められて、窒息死させることもおできになるのです。ですから、神のことをののしることは実に愚かです。「神なんかいやしない。」と言っているその口と息が、神の御手に握られているのです。


 それで、神の前から手の先が送られて、この文字が書かれたのです。その書かれた文字はこうです。「メネ、メネ、テケル、ウ・パルシン。」そのことばの解き明かしはこうです。「メネ」とは、神があなたの治世を数えて終わらせられたということです。

 
バビロンの国は終わります。ベルシャツァルは、バビロンを誇り、いつまでも大丈夫と思っていましたが、神は今すぐこの国を終わらせます。イエスがたとえの中で語られた金持ちのことを思い出しますね。金持ちは、「自分のたましいにこう言おう。『たましいよ。これから先何年分もいっぱい物がためられた。さあ、安心して、食べて、飲んで、楽しめ。』」と言いましたが、神は彼に言われました。「愚か者。おまえのたましいは、今夜おまえから取り去られる。そうしたら、おまえが用意した物は、いったいだれのものになるのか。」ずっと先まで続くと思っているものは、一夜にしてなくなってしまうのです。

 「テケル」とは、あなたがはかりで量られて、目方の足りないことがわかったということです。これは、善と悪の量りであります。ベルシャツァルは、悪のほうが重かったのです。けれども私たちは、すべての人が悪のほうが重いことを知っていますね。パウロは、「すべての人は、罪を犯したので、神からの栄誉を受けることができ(ローマ3:23)」ないと言いました。目方が足りるようにする方法はただ一つ、イエス・キリストを信じ、この方が私たちの罪のために死んでくださったことを信じることです。

 「パルシン」とは、あなたの国が分割され、メディヤとペルシヤとに与えられるということです。」

 バビロンはメディヤとペルシヤの連合国によって倒されます。


 そこでベルシャツァルは命じて、ダニエルに紫の衣を着せ、金の鎖を彼の首にかけさせ、彼はこの国の第三の権力者であると布告した。

 
しかし、この権力は一日も持ちません。


E 神の力 30−31

 次をご覧ください。その夜、カルデヤ人の王ベルシャツァルは殺され、メディヤ人ダリヨスが、およそ六十二歳でその国を受け継いだ。

 なんとその夜に、超大国バビロンは滅んだのです。歴史を紐解きますと、クロスの率いるメディヤ・ペルシヤ連合国が、ユーフラテス川に支流を作り、バビロンの町を流れる川を干上がらせてしまったとあります。そして、川床をとおってバビロンの中に入りましたが、城は青銅の門があり、中に入ることができません。しかし、門番はその夜、ベルテシャツァルの催した宴会によって、べろんべろんに酔っ払って、鍵をかけていなかったのです。そこで、一戦も交えることなく、ペルシヤ軍はバビロンを乗っ取り、ベルシャツァルを殺すことができました。神には何でもおできになります。私たちの思いをはるかに超えて、どのような堅固な城も、一夜のうちに滅ぼすことがおできになるのです。ですから、同じようにして、神は人間の支配をことごとく終わらせることがおできになるのです。反キリストは、全世界の軍隊をもってしても決して滅びることのない強靭な人物ですが、イエスの一言によってもろくも死んでしまうことが預言されています。私たちの周りで起こっている悪に対しても、神は容赦ないさばきを行なわれます。だから、終わりの時は私たちにとって大いなる慰めであり、大いなる希望です。この時が来るのを、熱心に待ち望みましょう。


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