エステル記4−6章 「この時のために」
アウトライン
1A 信仰の挑戦 4
1B 危機の認識 1−9
2B 戦う祈り 10−17
2A 増幅する悪 5
1B 慎重な行動 1−8
2B 不安定な心 9−14
3A 神の時宜(タイミング) 6
1B 義人の昇格 1−9
2B 悪人の降格 10−14
本文
エステル記4章を開いてください、今日は4章から6章までを学びます。ここでのテーマは、「この時のために」です。私たちは前回の学びで、ハマンが、モルデカイが自分にひれ伏さないことに腹を立てて、彼への殺害だけでなくユダヤ人全員の虐殺を企てたところを読みました。ユダヤ人を殺す法令の写しがペルシヤ全域に公布されて、王様のお膝元シュシャンでは混乱状態に陥りました。4章はその続きです。
本文
1A 信仰の挑戦 4
1B 危機の認識 1−9
4:1 モルデカイは、なされたすべてのことを知った。すると、モルデカイは着物を引き裂き、荒布をまとい、灰をかぶり、大声でひどくわめき叫びながら町の真中に出て行き、4:2 王の門の前まで来た。だれも荒布をまとったままでは、王の門にはいることができなかったからである。
モルデカイが取った行動は、ユダヤ人やその当時の人たちが悲しみや嘆きを表現するために、しばしば行なったことです。着物を引き裂くこと、荒布をまとうこと、灰をかぶることは、聖書の他の箇所でも数多く登場します。
そして、荒布をまとうことは自分を卑しめる行為ですから、荒布をまとっている人が王宮に入ることはできません。モルデカイは王宮の門のところで働いている役人ですが、彼は仕事をも放棄して、ユダヤ人絶滅の危機が押し迫っていることを外に向かって表現したのです。
4:3 王の命令とその法令が届いたどの州においても、ユダヤ人のうちに大きな悲しみと、断食と、泣き声と、嘆きとが起こり、多くの者は荒布を着て灰の上にすわった。
大きな悲しみはモルデカイだけが抱いたものではありませんでした。ユダヤ人たちがみな共有した悲しみでした。ここら辺の話の流れから、この出来事は単なる民族的な危機ではなく霊的な危機であることをうかがい知ることができます。
前回も話しましたが、ユダヤ人は神が選ばれた民です。聖書の中に記されている聖書の中で、絶滅してもう存在していない民族はたくさんありますが、ユダヤ人は数々の絶滅の危機を経たのにも関わらず、今も存在しています。そして単に生きているだけでなく、彼らの存在が世界全体に大きな影響を与えています。それは昔、神がアブラハムに対して、「わたしはあなたを大きな国として、あなたによってすべての民族を祝福する。(創世12:1−3参照)」と約束されたからです。
もしキリストが来られる前に、どこかの時点でユダヤ人が滅んでいたのであれば、神が、アブラハムの子孫によって祝福すると言われた約束が無効になってしまいます。このことを悪魔は一番望んでいてイスラエル全滅を計っています。また現在において、キリストの再臨の前にイスラエルがみな救われるという約束があります。悪魔は何とかしてユダヤ人を滅ぼして、再臨についての神の約束をも無効にしようとしているのです。
ですからこれはユダヤ人の問題ではなく、神ご自身の問題なのです。そこで、神はモルデカイ、エステル、ペルシヤの王、またあらゆる状況を用いて、この危機を回避しようとしていかれます。
4:4 そのとき、エステルの侍女たちと、その宦官たちがはいって来て、彼女にこのことを告げたので、王妃はひどく悲しみ、モルデカイに着物を送って、それを着させ、荒布を脱がせようとしたが、彼はそれを受け取らなかった。4:5 そこでエステルは、王の宦官のひとりで、王が彼女に仕えさせるために任命していたハタクを呼び寄せ、モルデカイのところへ行って、これはどういうわけか、また何のためかと聞いて来るように命じた。
ユダヤ人絶滅の危機を知らなかった“潜り”がいました。それはエステルです。一般人の情報が入ってこない王宮の中にエステルはいるので、彼女にはユダヤ人根絶の法令発布の話が伝えられていませんでした。エステルは、モルデカイが自分を卑しめていることを知って、それをどうにか止めさせたいとしたのですが、モルデカイは着替えを受け取りませんでした。そこでエステルは事の深刻さを察知したのでしょう、いったい何のためにそんなことを行なっているのかをモルデカイから聞いてくるように命じたのです。
4:6 それで、ハタクは王の門の前の町の広場にいるモルデカイのところに出て行った。4:7 モルデカイは自分の身に起こったことを全部、彼に告げ、ハマンがユダヤ人を滅ぼすために、王の金庫に納めると約束した正確な金額をも告げた。4:8 モルデカイはまた、ユダヤ人を滅ぼすためにシュシャンで発布された法令の文書の写しをハタクに渡し、それをエステルに見せて、事情を知らせてくれと言い、また、彼女が王のところに行って、自分の民族のために王にあわれみを求めるように彼女に言いつけてくれと頼んだ。4:9 ハタクは帰って来て、モルデカイの伝言をエステルに伝えた。
状況を正確に、詳しく説明し、王にあわれみを請うように言いつけました。
2B 戦う祈り 10−16
4:10 するとエステルはハタクに命じて、モルデカイにこう伝えさせた。4:11 「王の家臣も、王の諸州の民族もみな、男でも女でも、だれでも、召されないで内庭にはいり、王のところに行く者は死刑に処せられるという一つの法令があることを知っております。しかし、王がその者に金の笏を差し伸ばせば、その者は生きます。でも、私はこの三十日間、まだ、王のところへ行くようにと召されていません。」
いつの時代の王も同じですが、自分の身辺の安全のために自分に許可なく近づく者を処罰するようにしています。そして昔はどこの王国でも、王妃は、現在の私たちの夫婦関係のような親密なものではなく、大きな距離が保たれていることも多かったです。エステルも例外ではなく、いま出て行ったら、死刑に処せられてもおかしくない状況です。
4:12 彼がエステルのことばをモルデカイに伝えると、4:13 モルデカイはエステルに返事を送って言った。「あなたはすべてのユダヤ人から離れて王宮にいるから助かるだろうと考えてはならない。4:14 もし、あなたがこのような時に沈黙を守るなら、別の所から、助けと救いがユダヤ人のために起ころう。しかしあなたも、あなたの父の家も滅びよう。あなたがこの王国に来たのは、もしかすると、この時のためであるかもしれない。」
モルデカイの信仰の言葉、預言の言葉です。この箇所から多くのことを学ぶことができます。
第一にモルデカイは、エステルが人間的な理由で心配していることを指摘しています。彼女の心配は、自分の命がとられるかもしれないというものでしたが、彼女自身がユダヤ人なのですからその心配は無意味なのです。エステルが、自分が王宮にいて一般のユダヤ人とは違うと考えているのであればこそ、出てくる心配です。そこでモルデカイは、「あなたが王宮にいるからことって、自分だけが救われるとは考えてはならない。」と答えています。あなたも殺されますよ、と厳粛に警告しています。
第二に、モルデカイはエステルに、「あなたがいなくても、ユダヤ人救出の計画は行なわれる。」と確信していることです。これは先に話しましたように、ユダヤ人は神の選びの民であり、神がこの民を守り救い出される約束に基づいています。モルデカイが生きていた時点でさえ、過去にイスラエルは何度も何度も、絶滅の危機から救い出されました。神の真実と約束を信じて、必ず助けと救いは起こると言っています。
第三に、エステルがユダヤ人の救いの計画に参与することがなければ、彼女とその家族が滅ぼされる、とモルデカイが警告していることです。ここは非常に重要な点です。神は、ご自分の計画に基づいてご自分のわざをことごとく行なわれます。私たちの助けは必要ではありません。モルデカイが言ったように、神はどんな人をも用いて、いや、人ではなく石でさえもホサナと叫ぶでしょうとイエスさまがおっしゃったように、どんな物をも用いてご自分のわざを行なわれます。ですから神は私たちを必要とされていないのです。
けれども、神は、ご自分の恵みのわざを、ご自分を愛する者たちに経験してもらいたい、楽しんでもらいたいと願われて、私たちを用いられます。私たちが神のすばらしさ、栄光、偉大さ、力、その他もろもろの神の良き性質を味わうために、何の力もない私たちを通して、ご自分の事を行われようとされます。
もし私たちが、神から言いつけられていること、呼びかけられていることに応答しなかったらどうなるのでしょうか?自分が、神が行なわれようとしていることに参加できないだけでなく、自分が大事に持っているものまで失われてしまいます。
エステルは、自分の命のことを考えました。けれども自分が神からの召しを拒んで、自分が他のユダヤ人たちと運命を共有しなければ、実際にユダヤ人が救われたときに、彼女の立場はどうなるでしょうか?モルデカイが警告しているように、ユダヤ人に対する敵対行為を働いたという疑義が持たれたら、自分と自分の家族が滅んでしまう危険があります。自分は自分の命を救おうとしたけれども、実はその救おうとした行為が、逆に命を失う結果を招く、という厳粛な原則があるのです。イエスさまは、この霊的原則のことを次のように説明されています。「自分のいのちを救おうと努める者はそれを失い、それを失う者はいのちを保ちます。(ルカ17:33)」また、こうも言われました。「というのは、持っている人は、さらに与えられ、持たない人は、持っていると思っているものまでも取り上げられるからです。(ルカ8:18)」
そして第四に、モルデカイは、「あなたが王妃の位に着いたのは、この時のためかもしれない。」と言っていることです。モルデカイ自身、今になってようやくこのことに気づいたのでしょう。自分がエステルを自分の養女として養い育て、彼女が王妃になったことは、いったいなぜなのか、神さまの意図がわからなかったと思います。けれどもいま、はっきりしました。王に、ユダヤ人をあわれんでほしいと懇願するために王妃になったのだ、ということを。
私たちも、今の時点ではなぜこうなっているのか、なぜこんな出来事が起こるのか、さっぱりわからないことがたくさんあるかと思います。けれども、神はすべての事を用いられて、ご自分の計画を準備しておられます。もう一度、有名な聖句を思い出しましょう。「神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。 (ローマ8:28)」
4:15 エステルはモルデカイに返事を送って言った。4:16 「行って、シュシャンにいるユダヤ人をみな集め、私のために断食をしてください。三日三晩、食べたり飲んだりしないように。私も、私の侍女たちも、同じように断食をしましょう。たとい法令にそむいても私は王のところへまいります。私は、死ななければならないのでしたら、死にます。」
エステルは、モルデカイの信仰に基づく呼びかけに正しく応答しました。彼女は、王の前に出ることは、戦いであることを認識していました。何もしないなら一時的な平穏を保つことができるでしょう。王にユダヤ人の救いを懇願することは、その平穏を打ち破る行為です。だから、彼女は断食することを決め、モルデカイにもそれをしてもらうように要請しています。
私たちは霊的に戦士であることを認識すべきです。パウロは、「真理のことばと神の力とにより、また、左右の手に持っている義の武器により、(神のしもべであることを推薦しています。)(2コリン6:7参照)」と言いましたが、霊の戦いが私たちの周りでは繰り広げられています。だから、目を覚ました祈り、真剣にみことばを聞いて、それをそのまま当てはめていくことなど、あらゆる霊的武装をしなければいけません。
エステルは断食を要請しました。そのとき、自分だけでなく自分の侍女たちにも断食してもらい、またモルデカイにはシュシャンのユダヤ人たちにも断食を要請しています。ともに集まって、思いを一つにして祈ることがいかに大切であるかをここから知ることができます。
そしてエステルは、「死ななければいけないのなら、死にます」と言っています。これも非常に重要な態度です。物理的に死ぬだけでなく、どんなことが起こってもそれがみこころならば、私はその状況に身をゆだねます、という決断が私たちには必要です。主に自分の魂をゆだねた心は、もうすでに勝利している状態にあります。イエスさまがゲッセマネの園で祈られた、血が出てくるような祈りの戦いをされたからこそ、心騒がされることなく父のみこころを全うすることがおできになったのです。こうして霊的武装とゆだねた心をもって、エステルは王の前に向かいます。
2A 増幅する悪 5
1B 慎重な行動 1−8
5:1 さて、三日目にエステルは王妃の衣装を着て、王室の正面にある王宮の内庭に立った。王は王室の入口の正面にある王宮の玉座にすわっていた。5:2 王が、庭に立っている王妃エステルを見たとき、彼女は王の好意を受けたので、王は手に持っていた金の笏をエステルに差し伸ばした。そこで、エステルは近寄って、その笏の先にさわった。5:3 王は彼女に言った。「どうしたのだ。王妃エステル。何がほしいのか。王国の半分でも、あなたにやれるのだが。」
エステルは王の好意を得ました。「王国の半分でも、あなたにやれるのだが」という言葉は、何でも願いをかなえてあげることを意味する言い回しですが、新約聖書でもヘロデが踊りを踊ったヘロデヤの娘に対して、「おまえの望む物なら、私の国の半分でも、与えよう。(マルコ6:22)」と言っています。
このペルシヤ王の背後に主が働かれているのは明らかです。
5:4 エステルは答えた。「もしも、王さまがよろしければ、きょう、私が王さまのために設ける宴会にハマンとごいっしょにお越しください。」5:5 すると、王は、「ハマンをせきたてて、エステルの言ったようにしよう。」と言った。王とハマンはエステルが設けた宴会に出た。5:6 その酒宴の席上、王はエステルに尋ねた。「あなたは何を願っているのか。それを授けてやろう。何を望んでいるのか。王国の半分でも、それをかなえてやろう。」5:7 エステルは答えて言った。「私が願い、望んでいることは、5:8 もしも王さまのお許しが得られ、王さまがよろしくて、私の願いをゆるし、私の望みをかなえていただけますなら、私が設ける宴会に、ハマンとごいっしょに、もう一度お越しください。そうすれば、あす、私は王さまのおっしゃったとおりにいたします。」
エステルは、二度も本当の願いをいうことを留保しています。金の笏が差し伸ばされた時に言うこともできたし、王とハマンの宴会の場で話すこともできました。けれども彼女は留保しました。
考えられる理由としては、王が願いをかねえてあげると言っている言葉が、本当にユダヤ人根絶の発布をくつがえすことをしてくれるほどのものなのかどうか、それを確かめるためであったことが考えられます。また、ハマンを目の前にしてその悪事を暴くつもりでいるのですが、そのような大胆なことをできる状況であるのか、確認したかったのでしょう。ちょうどヨセフが自分の兄たちに対して行なった時のように、です。兄たちがエジプトに下ったとき、すぐに自分のことを明かずに、時を待っていました。兄たちが弟ベニヤミンに対してどういう対応をするのか確かめていました。エステルも、王とハマンの反応を確かめたかったために、留保したのかもしれません。
そして神はこの留保をも用いて、大きなことを行なわれます。
2B 不安定な心 9−14
5:9 ハマンはその日、喜び、上きげんで出て行った。ところが、ハマンは、王の門のところにいるモルデカイが立ち上がろうともせず、自分を少しも恐れていないのを見て、モルデカイに対する憤りに満たされた。5:10 しかし、ハマンはがまんして家に帰り、人をやって、友人たちと妻ゼレシュを連れて来させた。
再びハマンは、モルデカイに会います。モルデカイは、自分のハマンに対する態度のせいでユダヤ人絶滅の危機が迫っていることをわかっているのにも関わらず、ハマンにこびへつらうことをしませんでした。ハマンを「少しも恐れていない」とあります。
これは、私たちが悪に直面するとき、また迫害を受けているときに取るべき態度です。自分が正しいことを行なったことで、自分が不利な立場に置かれたりする圧力がかかっても、人を恐れずに、神のみを恐れて毅然としていることです。イエス様はこう言われました。「そこで、わたしの友であるあなたがたに言います。からだを殺しても、あとはそれ以上何もできない人間たちを恐れてはいけません。恐れなければならない方を、あなたがたに教えてあげましょう。殺したあとで、ゲヘナに投げ込む権威を持っておられる方を恐れなさい。そうです。あなたがたに言います。この方を恐れなさい。(ルカ12:4-5)」
5:11 ハマンは自分の輝かしい富について、また、子どもが大ぜいいることや、王が自分を重んじ、王の首長や家臣たちの上に自分を昇進させてくれたことなどを全部彼らに話した。5:12 そして、ハマンは言った。「しかも、王妃エステルは、王妃が設けた宴会に、私のほかはだれも王といっしょに来させなかった。あすもまた、私は王といっしょに王妃に招かれている。5:13 しかし、私が、王の門のところにすわっているあのユダヤ人モルデカイを見なければならない間は、これらのことはいっさい私のためにならない。」
ハマンの貧しい、不安定な心が露呈しています。自分の富、名声、特権、人からよく思われることが彼の心理的な支えとなっています。けれども、このような人間の心の弱さに対する治癒が、聖書には明確に書かれています。イエスの御名を信じる者には、神の子供となる特権が与えられていることです。神の子供(ヨハネ1:12参照)。神の子とは、神の相続人となる身分を持つことであり、世界のあらゆるものをご自分のものとされている神の相続者となる、ということです。主によって、自分がこのような高い身分を与えられていることを知れば、自分がこの世の富や名声や、人から認められることなどを、心のよりどころにする必要がなくなります。
5:14 すると、彼の妻ゼレシュとすべての友人たちは、彼に言った。「高さ五十キュビトの柱を立てさせ、あしたの朝、王に話して、モルデカイをそれにかけ、それから、王といっしょに喜んでその宴会においでなさい。」この進言はハマンの気に入ったので、彼はその柱を立てさせた。
この柱はだいたい20メートルぐらいです。おそらく人を串刺しにするような柱でした。このような恐ろしいことをハマンは行なおうとするまで、彼の憎悪は心の中で増え広がりました。エステルが与えた猶予は、ハマンにとってはかえって悪を増幅させる機会となってしまったのです。
これは神さまが、人類に対して持っておられる態度でもあります。今は恵みの時であり、地上における神のさばきはまだ下っていません。私たち人間は、自分が悪いことをしても何も悪いことが自分に降りかからないと、これからも何も起こらないと思い違いをします。さらに、神が、自分が行なっていることを是認されているのだとまで思います。けれども、神が与えておられる恵みは責任のともなう恵みであって、私たちの行ないがさらに明らかにされる、試験の時でもあるのです。
主は、天の御国の奥義のたとえの中で、毒麦と良い麦についてお話になったとき、毒麦の種が蒔かれても途中で摘み取ることをせずに、収穫のときまでそのままにしていなさいと言われました。摘まれていないから大丈夫ではなく、それを自分がさばいて摘み取ってしなわなければいけません。またパウロは、「しかし、もし私たちが自分をさばくなら、さばかれることはありません。(1コリント11:31)」と言いました。そして、今は先走ったさばきをしてはいけない、主が来られるときに、この方が「やみの中に隠れた事も明るみに出し、心の中のはかりごとも明らかにされます。(1コリント4:5)」と言いました。
3A 神の時宜(タイミング) 6
そして次の章から、ハマンのこの悪事を阻止するだけでなく、完全に打ちのめす神の働きを読みます。
1B 義人の昇格 1−9
6:1 その夜、王は眠れなかったので、記録の書、年代記を持って来るように命じ、王の前でそれを読ませた。
私たちが眠れないとき、同じことをしませんか?本を読む、特に退屈そうな内容のものを読めば眠れるかもしれません。王は、王宮の事柄が記されている宮廷日誌を読ませました。
6:2 その中に、入口を守っていた王のふたりの宦官ビグタナとテレシュが、アハシュエロス王を殺そうとしていることをモルデカイが報告した、と書かれてあるのが見つかった。6:3 そこで王は尋ねた。「このために、栄誉とか昇進とか、何かモルデカイにしたか。」王に仕える若い者たちは答えた。「彼には何もしていません。」
この話は実はすでにエステル記の中に出ています。二章の終わりのところで書かれていますが、二章を読んでいるときには、どうしてこの出来事が書かれているのだろうかと思われたかもしれません。理由は、このモルデカイの誠実な勤務が、神の主権の中で高く評価されるからです。
6:4 王は言った。「庭にいるのはだれか。」ちょうど、ハマンが、モルデカイのために準備した柱に彼をかけることを王に上奏しようと、王宮の外庭にはいって来たところであった。
この「ところであった」がとても重要です。神がこのような一瞬、一瞬を非常に大切にしておられます。
6:5 王に仕える若い者たちは彼に言った。「今、庭に立っているのはハマンです。」王は言った。「ここに通せ。」6:6 ハマンがはいって来たので、王は彼に言った。「王が栄誉を与えたいと思う者には、どうしたらよかろう。」そのとき、ハマンは心のうちで思った。「王が栄誉を与えたいと思われる者は、私以外にだれがあろう。」6:7 そこでハマンは王に言った。「王が栄誉を与えたいと思われる人のためには、6:8 王が着ておられた王服を持って来させ、また、王の乗られた馬を、その頭に王冠をつけて引いて来させてください。6:9 その王服と馬を、貴族である王の首長のひとりの手に渡し、王が栄誉を与えたいと思われる人に王服を着させ、その人を馬に乗せて、町の広場に導かせ、その前で『王が栄誉を与えたいと思われる人はこのとおりである。』と、ふれさせてください。」
なんといううぬぼれでしょうか。自分のことを思って、こんな栄誉を与えてくださいと言っているのです!けれども神は、自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高められます。イエスさまが次のたとえをお話になられましたが、ぴったりハマンに当てはまるでしょう。「婚礼の披露宴に招かれたときには、上座にすわってはいけません。あなたより身分の高い人が、招かれているかもしれないし、あなたやその人を招いた人が来て、『この人に席を譲ってください。』とあなたに言うなら、そのときあなたは恥をかいて、末席に着かなければならないでしょう。(ルカ14:8-9)」次をご覧ください。
2B 悪人の降格 10−14
6:10 すると、王はハマンに言った。「あなたが言ったとおりに、すぐ王服と馬を取って来て、王の門のところにすわっているユダヤ人モルデカイにそうしなさい。あなたの言ったことを一つもたがえてはならない。」
王は、明確にモルデカイのことを「ユダヤ人」と言っています。彼がユダヤ人であることを知りつつ、彼に褒美を与えようとしているということは、すでに神のユダヤ人救済の働きが始まっていることを示しています。
6:11 それで、ハマンは王服と馬を取って来て、モルデカイに着せ、彼を馬に乗せて町の広場に導き、その前で「王が栄誉を与えたいと思われる人はこのとおりである。」と叫んだ。6:12 それからモルデカイは王の門に戻ったが、ハマンは嘆いて、頭をおおい、急いで家に帰った。
さぞかし惨めだったことでしょう。串刺しにしたいモルデカイが王の次に偉い者であるような栄誉が与えられ、その栄誉を自分自身が叫ばなければいけなかったのですから。
6:13 そして、ハマンは自分の身に起こった一部始終を妻ゼレシュとすべての友人たちに話した。すると、彼の知恵のある者たちと、妻ゼレシュは彼に言った。「あなたはモルデカイに負けかけておいでですが、このモルデカイが、ユダヤ民族のひとりであるなら、あなたはもう彼に勝つことはできません。きっと、あなたは彼に負けるでしょう。」
知恵ある者たちと妻がハマンに言った言葉は、「ユダヤ民族であるならば、勝てませんよ。」でした。ここに異邦人でさえ、よく勉強している人はユダヤ人に手をかけてはいけないことを知っていました。創世記12章2節に、主がアブラハムに「あなたをのろう者をわたしはのろう。」と言われました。イスラエルを滅ぼそうとした者たちがその後どのようになったか、その噂はペルシヤの彼らにも伝わっていたのです。
6:14 彼らがまだハマンと話しているうちに、王の宦官たちがやって来て、ハマンを急がせ、エステルの設けた宴会に連れて行った。
不吉な予感をただよわせながら6章は終わります。
エステルが初めと二回目に王に会ったときに留保したことが、ハマンの降格だけでなく、モルデカイの昇格ももたらしたことがわかります。もちろんエステルがそのようになることを計画できるわけもないし、考えつきもしなかったでしょう。けれども、神はあらゆる人や事物を用いられて、ご自分のみこころのままに事を行われる方であることがよく分かります。
私たちが知らなければならないのは、主はいつも御座に着いておられる、ということです。新約聖書の最後はもちろん黙示録ですが、そこにはものすごい災いがこの地上にふりかかるのを読みます。けれども、その大患難が起こる前に著者ヨハネは、父なる神が御座におられる幻を書き記しています(4章参照)。どんなことが起こっていても、主は御座におられます。だから安心です。すべてのことを益とし働かせてくださいます。
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