エステル記7−10章 「勝利の日」


アウトライン

1A おのれの罠 7
   1B 王への嘆願 1−6
   2B 王の怒り 7−10
2A くつがえす法令 8
   1B 取り消されない文書 1−8
   2B 命を守る戦い 9−17
3A 喜びと平安 9−10
   1B プリム 9
      1C 完全な勝利 1−16
      2C 記念の日 17−32
   2B 王国の隆盛 10

本文

 エステル記7章を開いてください、今日は7章から最後の10章までを学びます。ここでのテーマは、「勝利の日」です。さっそく本文に入りましょう。

1A おのれの罠 7
1B 王への嘆願 1−6
7:1 王とハマンはやって来て、王妃エステルと酒をくみかわした。7:2 この酒宴の二日目にもまた、王はエステルに尋ねた。「あなたは何を願っているのか。王妃エステル。それを授けてやろう。何を望んでいるのか。王国の半分でも、それをかなえてやろう。」

 これは二回目の酒宴です。私たちは前回の学びで、エステルが王のところに行き、王が「何を願っているのか。それを授けてやろう。」と言ったところを読みました。エステルは、自分が設ける酒宴にハマンといっしょに来てくださいとお願いしました。王はそこでも、「何を願っているのか、王国の半分でもかなえてやろう。」と言いました。けれども、「明日、もう一度、私の設ける宴会にお越しください。そのときに王さまのおっしゃるとおりにします。」と答えました。そして、この酒宴の場面があります。王はもう一度、質問をしました。「何を願っているのか、それを授けてやろう。」と。

7:3 王妃エステルは答えて言った。「もしも王さまのお許しが得られ、王さまがよろしければ、私の願いを聞き入れて、私にいのちを与え、私の望みを聞き入れて、私の民族にもいのちを与えてください。7:4 私も私の民族も、売られて、根絶やしにされ、殺害され、滅ぼされることになっています。私たちが男女の奴隷として売られるだけなら、私は黙っていたでしょうに。事実、その迫害者は王の損失を償うことができないのです。」

 エステルは、恐る恐る、慎重に言葉を選んで答えています。彼女は、今、世界の超大国ペルシヤの絶対権威者の前で申し立てをしています。「もしも王さまのお許しが得られ、王さまがよろしければ、」と前置きを入れています。そして、「ユダヤ人を救ってください」とは直截には言わず、「私の願いを聞き入れて、私にいのちを与え、」と自分のいのちが狙われていることを初めに話しています。それから、「私の望みを聞き入れて、私の民族にもいのちを与えてください」とユダヤ民族の救いを願っています。しかも「ユダヤ」という言葉を使っていません。

7:5 アハシュエロス王は王妃エステルに尋ねて言った。「そんなことをあえてしようとたくらんでいる者は、いったいだれか。どこにいるのか。」

 王は驚き、たちまち怒りが込みあがっています。

7:6 エステルは答えた。「その迫害する者、その敵は、この悪いハマンです。」ハマンは王と王妃の前で震え上がった。

 ついにエステルは、この悪事を暴くことができました。後は王の判断を待つのみです。

2B 王の怒り 7−10
7:7 王は憤って酒宴の席を立って、宮殿の園に出て行った。ハマンは王妃エステルにいのち請いをしようとして、居残った。王が彼にわざわいを下す決心をしたのがわかったからである。

 王はあまりにも憤っているために、酒宴の場から出て外気に触れました。

7:8 王が宮殿の園から酒宴の広間に戻って来ると、エステルのいた長いすの上にハマンがひれ伏していたので、王は言った。「私の前で、この家の中で、王妃に乱暴しようとするのか。」このことばが王の口から出るやいなや、ハマンの顔はおおわれた。

 他の訳では、「エステルのいた長いすの上にハマンが伏していた」となっています。彼は命乞いをするためにエステルの長いすの上にまで乗り上げていたのですが、それを王が見て、エステルに乱暴を働くと見えたのです。

 そしてハマンの顔がおおわれましたが、当時ペルシヤ帝国では、死刑の判決を受けた者がそのようにされました。王が、死刑にされる者の顔を見ないようにするためです。

7:9 そのとき、王の前にいた宦官のひとりハルボナが言った。「ちょうど、王に良い知らせを告げたモルデカイのために、ハマンが用意した高さ五十キュビトの柱がハマンの家に立っています。」すると王は命じた。「彼をそれにかけよ。」7:10 こうしてハマンは、モルデカイのために準備しておいた柱にかけられた。それで王の憤りはおさまった。

 これで憤りは、ようやくおさまりました。箴言には、王に与えられた絶対的権威についてこう表現しています。「思慮深いしもべは王の好意を受け、恥知らずの者は王の激しい怒りに会う。(14:35」「王の激しい怒りは若い獅子がうなるよう。しかし、その恵みは草の上に置く露のよう。(19:12」エステルに対する王の好意と、ハマンに対する王の激しい怒りは、まさに草の上の露と若いライオンの違いであります。

 そして、王の心の変化はまさに、主のみここころによるものでした。王は絶対権威者であり自分の思いのままに力をふるうのですが、その権威と力は主から与えられているものです。箴言に「王の心は主の手の中にあって、水の流れのようだ。みこころのままに向きを変えられる。(21:1」と書いてあります。人間の歴史に出てきたどのような王も支配者も、究極的に自分の思いのままにできた人は一人もいません。自分の思いのままにできたと思っても、実はその権威は自分の思いのままに動かすことはできていないことに気づきます。なぜなら、権威の源泉は主にあり、主が王たちをご自分の手の中で思いのままに操られているからです。主はアハシュエロスの心の向きを水の流れのように変えられました。

 そして、ハマンは、自分が掘った穴の中に落ちています(詩篇7:15参照)。モルデカイのために用意した柱につけられて死にました。ここから、非常に重要な霊的教訓を学ぶことができます。前々回の学びで、ハマンがアマレク人の子孫であることを学びました。アマレクはヤコブの兄エサウの孫であり、その子孫アマレク人は荒野で旅するイスラエル人を襲いました。御霊ではなく肉の働きの典型です。肉は、神によって選ばれた民ユダヤ人を完全に滅ぼそうとしました。

 同じように、私たちの肉はその欲望を決して満たすことはできず、私たち自身を滅ぼしてしまうまで私たちを食い尽くそうとします。肉は私たちに、「これをしたい。」という貪りを起こさせます。その貪りを満たそうとしても再び「もっと欲しい」と訴えます。そして私たちの持っているものを全部使い果させて、最後には死に至らせるのです。

 しかし、ユダヤ人は神の主権によって守られて、かえってハマンが柱につけられて死にました。神の御霊が働かれるところでは、肉は釘付けにされて殺されるのです。「キリスト・イエスにつく者は、自分の肉を、さまざまの情欲や欲望とともに、十字架につけてしまったのです。(ガラテヤ5:24」「もし肉に従って生きるなら、あなたがたは死ぬのです。しかし、もし御霊によって、からだの行ないを殺すなら、あなたがたは生きるのです。(ローマ8:13

2A くつがえす法令 8
 ハマンが死んで、これですべて解決したのではありません。8章にてエステルが王に再び嘆願しに行きます。

1B 取り消されない文書 1−8

8:1 その日、アハシュエロス王は王妃エステルに、ユダヤ人を迫害する者ハマンの家を与えた。モルデカイは王の前に来た。エステルが自分と彼との関係を明かしたからである。

 この時に初めて、エステルは自分がユダヤ人であることを明かしました。モルデカイがユダヤ人であることは、アハシュエロスは知っていましたが、エステルが彼の養女であることは知りませんでした。

8:2 王はハマンから取り返した自分の指輪をはずして、それをモルデカイに与え、エステルはモルデカイにハマンの家の管理を任せた。

 王の指輪がハマンのところにあったのは、かつてハマンがユダヤ人を滅ぼす法令に証印を押すために王が与えていたからです。

 そして、これをモルデカイに渡しました。この時点でアハシュエロスはモルデカイのことをよく知っています。王の命を守るために、暗殺を企んでいた者について通報した家臣がモルデカイです。彼に栄誉と昇進を与えていました。

8:3 エステルが再び王に告げて、その足もとにひれ伏し、アガグ人ハマンがユダヤ人に対してたくらんだわざわいとそのたくらみを取り除いてくれるように、泣きながら嘆願したので、8:4 王はエステルに金の笏を差し伸ばした。

 エステルは、再び王に召されないままで王のところに行きました。それで王は金の笏を再び差し伸ばしています。

8:4bそこで、エステルは身を起こして、王の前に立って、8:5 言った。「もしも王さま、よろしくて、お許しが得られ、このことを王さまがもっともとおぼしめされ、私をおいれくださるなら、アガグ人ハメダタの子ハマンが、王のすべての州にいるユダヤ人を滅ぼしてしまえと書いたあのたくらみの書簡を取り消すように、詔書を出してください。8:6 どうして私は、私の民族に降りかかるわざわいを見てがまんしておられましょう。また、私の同族の滅びるのを見てがまんしておられましょうか。」

 ハマンは殺されたけれども、ユダヤ人を滅ぼすという法令は今でも有効なのです。ここで、ペルシヤ・メディヤの国が法令によって動いていた国であることをもう一度思い起こす必要があります。ハマンが死んでも、その家を自分の思いのままにしても、法令が生きているかぎりペルシヤ全国でユダヤ人虐殺が行なわれるのです。

8:7 アハシュエロス王は、王妃エステルとユダヤ人モルデカイに言った。「ハマンがユダヤ人を殺そうとしたので、今、私はハマンの家をエステルに与え、彼は柱にかけられたではないか。8:8 あなたがたはユダヤ人についてあなたがたのよいと思うように、王の名で書き、王の指輪でそれに印を押しなさい。王の名で書かれ、王の指輪で印が押された文書は、だれも取り消すことができないのだ。」

 王がここで言っていることは次のとおりです。すでに王の証印を押された文書は取り消すことはできません。ユダヤ人を滅ぼすと書いた文書も取り消すことはできません。けれども、ユダヤ人を滅ぼす仕業を阻んで、止めさせるための法令を新たに作ることはできます。前の法令をくつがえす新たな法令を作成すればよいのです。「あなたがたがよいと思うように、文書を作成し、それに王の証印を押しなさい。」と命じているのです。

2B 命を守る戦い 9−17
 そこでモルデカイは、前の法令をくつがえすことができる法令の作成に取りかかります。

8:9 そのとき、王の書記官が召集された。それは第三の月、すなわちシワンの月の二十三日であった。そしてすべてモルデカイが命じたとおりに、ユダヤ人と、太守や、総督たち、およびホドからクシュまで百二十七州の首長たちとに詔書が書き送られた。各州にはその文字で、各民族にはそのことばで、ユダヤ人にはその文字とことばで書き送られた。8:10 モルデカイはアハシュエロス王の名で書き、王の指輪でそれに印を押し、その手紙を、速く走る御用馬の早馬に乗る急使に託して送った。

 詔書を書き送ったのは第三の月とあります。ハマンがユダヤ人を滅ぼす詔書を書き送ったのは第一の月だったので、約二ヵ月後のことです。

8:11 その中で王は、どこの町にいるユダヤ人にも、自分たちのいのちを守るために集まって、彼らを襲う民や州の軍隊を、子どもも女たちも含めて残らず根絶やしにし、殺害し、滅ぼすことを許し、また、彼らの家財をかすめ奪うことも許した。8:12 このことは、アハシュエロス王のすべての州において、第十二の月、すなわちアダルの月の十三日の一日のうちに行なうようになっていた。

 これが詔書の内容です。第十二の月の十三日は、ちょうどユダヤ人を滅ぼして、その家財を奪い取ることが許されるハマンの文書と同じ日です。この日にユダヤ人に敵対する者、ユダヤ人を憎む者、ユダヤ人の家財を強奪したい者がユダヤ人を襲うわけですが、そうした迫害者から自分たちを守るために戦うことができる法令を新たに作ったのです。

8:13 各州に法令として発布される文書の写しが、すべての民族に公示された。それはユダヤ人が、自分たちの敵に復讐するこの日の準備をするためであった。8:14 御用馬の早馬に乗った急使は、王の命令によってせきたてられ、急いで出て行った。この法令はシュシャンの城でも発布された。

 文書が王からの伝令であることを知らせるために、御用馬が使われました。

8:15 モルデカイは、青色と白色の王服を着、大きな金の冠をかぶり、白亜麻布と紫色のマントをまとって、王の前から出て来た。するとシュシャンの町は喜びの声にあふれた。8:16 ユダヤ人にとって、それは光と、喜びと、楽しみと、栄誉であった。

 以前ハマンが、この位に着いていました。王の次の位にいました。けれども今はモルデカイがその地位に着いています。青色と白色は、ペルシヤの王宮の特徴的な色です。そして金の冠をかぶり、紫のマントをまとっていますが、これも王権を表しています。

 覚えていますが、このようにモルデカイが引き上げられるきっかけを作ったのは、あのハマンです。王が「王が栄誉を与えたいと思う者には、どうしたらよかろう。」とハマンに聞いたとき、ハマンは、「王が着ておられた王服を持って来させ、また、王の乗られた馬を、その頭に王冠をつけて引いて来させてください。(6:8」と言いました。彼は自分のことを思ってそう言ったのですが、王はモルデカイのことを思ってハマンに聞いたのです。主は、不思議な方法でモルデカイを高く引き上げられました。

8:17 王の命令とその法令が届いたどの州、どの町でも、ユダヤ人は喜び、楽しみ、祝宴を張って、祝日とした。この国の民のうちで、自分がユダヤ人であることを宣言する者が大ぜいいた。それは彼らがユダヤ人を恐れるようになったからである。

 ここの「ユダヤ人であることを宣言する」というのは、原語では「ユダヤ化した」というふうに書いています。つまり異邦人がユダヤ教の改宗者になったか、ユダヤ人になりすましたか、どちらかになりました。第十二の月の十三日の戦いの勝算は、圧倒的にユダヤ人が勝つと考えられていたからです。ユダヤ人のモルデカイは圧倒的な権力を持ち、彼の背後には王がいます。ユダヤ人たちには、戦いに勝つためのあらゆる物資や人材が用意されていたからです。

 このように今、ユダヤ人を滅ぼそうとする力が働いていると同時に、その力に抵抗し、圧倒的に凌駕する力が働いています。ユダヤ人を滅ぼすという力は消えていないのです。法令は有効なのです。けれども、それに反発する法令があるので勝利する道が確証されています。

 先ほど、ハマンの企みは肉の働きであることを話しましたが、御霊の働きはここでの話しと同じように肉の働きを粉砕します。肉の働きを引き止めるだけでなく、圧倒的な勝利を与えます。ローマ書8章2節にある有名な聖句を思い出せるでしょうか?「なぜなら、キリスト・イエスにある、いのちの御霊の原理が、罪と死の原理から、あなたを解放したからです。(ローマ8:2

 罪と死の原理はまだ働いているのです。なくなったのではありません。私たち人間は、この原理をなんとかして否定しようとします。自分には何かいいところがある、自分の努力によって生きることができると考えます。そして、肉に導かれ、罪の中に生きても自分は大丈夫だ、神は愛だから自分を罰するわけはない、と考えます。いいえ、「罪から来る報酬は死です。(ローマ6:23」という法則はまだ存在するのです。

 しかし、この法則が存在するからこそ、「しかし、神の下さる賜物は、私たちの主イエス・キリストにある永遠のいのちです。(ローマ6:23」と続くのです。私たちが、自分の罪のためにキリストが十字架につけられたことを信じている、その信仰があるからこそ御霊の中に生きていくことができるのです。

 クリスチャン生活はバラ色ではありません。自分の肉に働く罪の法則があって、自分がしたい善をすることができず、自分が憎む悪を行なっている自分に気づきます。肉と霊の間に戦いが生じるのです。しかし、ユダヤ人たちが王の次にモルデカイに地位と権力が与えられ、圧倒的な勝利を得ることができると確信して戦いの前から喜び祝っていたように、私たちにも神の右の座に着いておられるキリストがいてくださいます。この方にあるあらゆる霊的祝福、力、特権は私たちのものであり、その罪と死の法則からの解放が約束されています。

 大事なのは、私たちがどちらに注目するかです。罪と死の法則ばかりを見て、ローマ7章のパウロのように、「自分が頑張って良い行ないをしようと思っているのにできない」と嘆くか、それともローマ8章のパウロのように、肉の弱さという現実に直面しつつも、キリストの十字架にある解放を見続けて御霊に導かれることに集中していれば、圧倒的な勝利を経験できるのです。

 こうしてユダヤ人は、ユダヤ人虐殺の日であると同時に、ユダヤ人解放の日でもある第十二月の十三日(現在の暦の三月上旬ごろ)を楽しみに待っていました。

3A 喜びと平安 9−10
1B プリム 9
1C 完全な勝利 1−16
9:1 第十二の月、すなわちアダルの月の十三日、この日に王の命令とその法令が実施された。この日に、ユダヤ人の敵がユダヤ人を征服しようと望んでいたのに、それが一変して、ユダヤ人が自分たちを憎む者たちを征服することとなった。

 今、実際の第十二の月十三日の話になっています。

9:2 その日、ユダヤ人が自分たちに害を加えようとする者たちを殺そうと、アハシュエロス王のすべての州にある自分たちの町々で集まったが、だれもユダヤ人に抵抗する者はいなかった。民はみなユダヤ人を恐れていたからである。9:3 諸州の首長、大守、総督、王の役人もみな、ユダヤ人を助けた。彼らはモルデカイを恐れたからである。9:4 というのは、モルデカイは王宮で勢力があり、その名声はすべての州に広がっており、モルデカイはますます勢力を伸ばす人物だったからである。

 ユダヤ人が喜び祝ったように、確かにこの日は圧倒的な勝利の日でした。彼らは戦いの準備をしましたが、だれも抵抗する者がいませんでした。そしてモルデカイが大きな勢力と名声を持っていたので、各地の支配者たちもユダヤ人の側に付きました。

9:5 ユダヤ人は彼らの敵をみな剣で打ち殺し、虐殺して滅ぼし、自分たちを憎む者を思いのままに処分した。9:6 ユダヤ人はシュシャンの城でも五百人を殺して滅ぼし、9:7 また、パルシャヌダタ、ダルフォン、アスパタ、9:8 ポラタ、アダルヤ、アリダタ、9:9 パルマシュタ、アリサイ、アリダイ、ワイザタ、9:10 すなわち、ハメダタの子で、ユダヤ人を迫害する者ハマンの子十人を虐殺した。しかし、彼らは獲物には手をかけなかった。

 まだ自分たちを襲おうと考えていた勢力をことごとく滅ぼしました。王のお膝元シュシャンでは500人を殺し、さらにハマンの息子十人も殺しています。けれども、「獲物には手をかけなかった」とあります。先ほど、モルデカイが指揮して王の書記官に作成させた文書では、ユダヤ人の敵の家財をかすめ奪ってもよいと書かれていましたが、ユダヤ人はそれをしませんでした。なぜなら、彼らが殺していった目的は純粋に防衛のためだったからです。相手のものを欲しがる貪欲によって戦っているわけではないからです。

9:11 その日、シュシャンの城で殺された者の数が王に報告されると、9:12 王は王妃エステルに尋ねた。「ユダヤ人はシュシャンの城で、五百人とハマンの子十人を殺して滅ぼした。王のほかの諸州では、彼らはどうしたであろう。あなたは何を願っているのか。それを授けてやろう。あなたはなおも何を望んでいるのか。それをかなえてやろう。」9:13 エステルは答えた。「もしも王さま、よろしければ、あすも、シュシャンにいるユダヤ人に、きょうの法令どおりにすることを許してください。また、ハマンの十人の子を柱にかけてください。」9:14 そこで王が、そのようにせよ、と命令したので、法令がシュシャンで布告され、ハマンの十人の子は柱にかけられた。

 エステルは、ユダヤ人を滅ぼそうとする根を完全に掘り起こして、抜き取ることを考えました。首都シュシャンにおいて、だれ一人としてユダヤ人の敵対分子を残してはいけないと考え、その見せしめに、すでに死んでいるハマンの子十人をさらしてほしいと頼みました。

 このエステルの行動は、行き過ぎなのではないか?と思う人もいることでしょう。しかし、本当にそうでしょうか?自分たちを完全に滅ぼそうとする分子を過去に完全に滅ぼさなかったからこそ、自分たち全員が滅ぼされる危機に瀕したのです。私は今、アマレク人アガグ王を完全に立ち滅ぼさなかったサウル王のことを思っています。悪に対して、罪に対して妥協することなく、完全で決定的な勝利を得まで戦わなければいけないという原則があるのです。

9:15 シュシャンにいるユダヤ人は、アダルの月の十四日にも集まって、シュシャンで三百人を殺したが、獲物には手をかけなかった。

 ユダヤ人の敵を殺すことは、首都シュシャン以外は十三日だけでしたが、シュシャンだけは十四日にも行なわれました。

9:16 王の諸州にいるほかのユダヤ人も団結して、自分たちのいのちを守り、彼らの敵を除いて休みを得た。すなわち、自分たちを憎む者七万五千人を殺したが、獲物には手をかけなかった。

 ペルシヤ帝国全体では七万五千人を殺しました。「彼らの敵を除いて休みを得た」とあります。私たちの休息も、罪との戦い、肉との戦い、そしてこの世との戦いに完全に勝利したときに与えられます。すなわち神の御国が与えられた時です。

2C 記念の日 17−32
9:17 これは、アダルの月の十三日のことであって、その十四日には彼らは休んで、その日を祝宴と喜びの日とした。9:18 しかし、シュシャンにいるユダヤ人は、その十三日にも十四日にも集まり、その十五日に休んで、その日を祝宴と喜びの日とした。9:19 それゆえ、城壁のない町々に住むいなかのユダヤ人は、アダルの月の十四日を喜びと祝宴の日、つまり祝日とし、互いにごちそうを贈りかわす日とした。

 勝利した次の日、ユダヤ人たちはパーティーを催して喜び祝いました。シュシャンの町だけは十四日も戦ったので、一日遅れの十五日に祝いを設けました。他の地域は十四日に祝いました。

9:20 モルデカイは、これらのことを書いて、アハシュエロス王のすべての州の、近い所や、遠い所にいるユダヤ人全部に手紙を送った。9:21 それは、ユダヤ人が毎年アダルの月の十四日と十五日を、9:22 自分たちの敵を除いて休みを得た日、悲しみが喜びに、喪の日が祝日に変わった月として、祝宴と喜びの日、互いにごちそうを贈り、貧しい者に贈り物をする日と定めるためであった。

 モルデカイはユダヤ人向けに書簡を送りました。この十四日と十五日をお祝いの日にするようにという命令です。

9:23 ユダヤ人は、すでに守り始めていたことを、モルデカイが彼らに書き送ったとおりに実行した。9:24 なぜなら、アガグ人ハメダタの子で、全ユダヤ人を迫害する者ハマンが、ユダヤ人を滅ぼそうとたくらんで、プル、すなわちくじを投げ、彼らをかき乱し、滅ぼそうとしたが、9:25 そのことが、王の耳にはいると、王は書簡で命じ、ハマンがユダヤ人に対してたくらんだ悪い計略をハマンの頭上に返し、彼とその子らを柱にかけたからである。

 「プル」はくじのことです。ハマンがユダヤ人を殺す日を定めるとき、くじを投げました。

9:26 こういうわけで、ユダヤ人はプルの名を取って、これらの日をプリムと呼んだ。こうして、この書簡のすべてのことばにより、また、このことについて彼らが見たこと、また彼らに起こったことにより、9:27 ユダヤ人は、彼らと、その子孫、および彼らにつく者たちがその文書のとおり、毎年定まった時期に、この両日を守って、これを廃止してはならないと定め、これを実行することにした。

 ヘブル語は、複数形の名詞には「イム」を使います。例えば、御使いケルブが二人いるとき「ケルビム」となります。プルはプリムとなります

9:28 また、この両日は、代々にわたり、すべての家族、諸州、町々においても記念され、祝われなければならないとし、これらのプリムの日が、ユダヤ人の間で廃止されることがなく、この記念が彼らの子孫の中でとだえてしまわないようにした。

 そしてプリムの祭りは現在に至るまで、例年ユダヤ人の間で、イスラエルで守り行なわれています。この日はお祭り騒ぎの日です。三月に行なわれます。ユダヤ暦の第十二月の十三の日にあたる日、イスラエルの人たちは断食をします。そして十四日はエルサレム以外のイスラエルの地でプリムが祝われます。そして十五日はエルサレム市内で祝われます。なぜなら、ペルシヤ帝国のとき、首都シュシャンでは十五日に祝われ、その他の地域は十四日に祝われたからです。

 十五日にはエルサレムで、子供たちがエステル記の劇をするのを見ることができます。男の子、女の子たちがモルデカイ、エステル、アハシュエロス、ハマンなどの役を演じるのです。周りで大人たちが見て、いっしょに喜びます。劇の後お菓子が配られますが、なんと「ハマンの耳」という大きなクッキーも配られるそうです。

9:29 アビハイルの娘である王妃エステルと、ユダヤ人モルデカイは、プリムについてのこの第二の書簡を確かなものとするために、いっさいの権威をもって書いた。9:30 この手紙は、平和と誠実のことばをもって、アハシュエロスの王国の百二十七州にいるすべてのユダヤ人に送られ、9:31 ユダヤ人モルデカイと王妃エステルがユダヤ人に命じたとおり、また、ユダヤ人が自分たちとその子孫のために断食と哀悼に関して定めたとおり、このプリムの両日を定まった時期に守るようにした。9:32 エステルの命令は、このプリムのことを規定し、それは書物にしるされた。

 第二の書簡とありますが、第一の書簡は戦うために準備をさせる書簡でした。第二の書簡は、戦いが終わって休みを得ることができたことを伝える書簡です。「平安と誠実のことばをもって」と書いてあります。すばらしいですね、私たちにも同じように神の手紙が用意されています。平和と誠実あるいは真実の言葉、平和の福音の言葉が与えられています。

2B 王国の隆盛 10
10:1 後に、アハシュエロス王は、本土と海の島々に苦役を課した。

 アハシュエロス王はその後、隆盛を極めました。あらゆるところに王の権力が及びました。

10:2 彼の権威と勇気によるすべての功績と、王に重んじられたモルデカイの偉大さについての詳細とは、メディヤとペルシヤの王の年代記の書にしるされているではないか。10:3 それはユダヤ人モルデカイが、アハシュエロス王の次に位し、ユダヤ人の中でも大いなる者であり、彼の多くの同胞たちに敬愛され、自分の民の幸福を求め、自分の全民族に平和を語ったからである。

 メディヤ・ペルシヤの文献の中に、アハシュエロス王だけでなくユダヤ人モルデカイのことも書き記されました。彼が愛国主義者であること、そして平和を語ったことが書き記されています。

 このようにしてエステル記は、ユダヤ人絶滅の危機からユダヤ人を第二の統治者とする平和の支配にて終わっています。これは神の救いの奇跡です。ユダヤ人だけでなく異邦人も、絶滅の危機にあります。ユダヤ人も異邦人も、すべてが罪の下にあり、神のさばきに服さなければいけないという危機です。けれども、キリスト・イエスにある贖いによって、信仰によって義と認められるという福音が用意されています。キリストにつく者にされた人たちは、義によって、いのちああって、平和によって支配します(ローマ5:17参照)。主イエスさまが戻ってこられた後、あるいは現在、私たちの生活の中で、御霊に導かれる中で平和の実を結ばせることができます。



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