創世記34−37章 「ヤコブの子」

アウトライン

1A ディナ陵辱事件 34
   1B カナン人の不道徳 1−12
   2B 息子たちの悪巧み 13−24
   3B 虐殺 25−31
2A ベテル帰郷 35
   1B 偶像との離別 1−8
   2B 約束の確認 9−15
   3B 妻と父の死 16−29
3A エドム人 36
   1B エサウの子 1−19
   2B 先住民とエドム王 20−43
4A ヨセフの苦難 37
   1B 夢見るヨセフ 1−11
   2B 弟を売る兄たち 12−30
   3B 悲しみに沈むヤコブ 31−36

本文

 創世記34章を開いてください。私たちは前回、ヤコブがエサウと会い、その後の話まで読みました。彼はエサウと離れて、ヨルダン川東側のスコテに滞在し、それから川を渡りそのまま西に行ってシェケムに行きました。シェケムは、かつて神がアブラハムに現れて、「あなたの子孫にこの地を与える。」と約束してくださった所です。

 33章の最後の三節の部分を再び読みましょう。「こうしてヤコブは、パダン・アラムからの帰途、カナンの地にあるシェケムの町に無事に着き、その町の手前で宿営した。そして彼が天幕を張った野の一部を、シェケムの父ハモルの子らの手から百ケシタで買い取った。彼はそこに祭壇を築き、それをエル・エロヘ・イスラエルと名づけた。(18-20節)」基本的に、彼はこれで生活を落ち着かせようとしていたのです。土地を購入しました。そして、神から与えられた新しい名イスラエルを含んだ祭壇を築いています。

1A ディナ陵辱事件 34
 ところがとんでもない事件がこれから起きます。

1B カナン人の不道徳 1−12
34:1 レアがヤコブに産んだ娘ディナがその土地の娘たちを尋ねようとして出かけた。34:2 すると、その土地の族長のヒビ人ハモルの子シェケムは彼女を見て、これを捕え、これと寝てはずかしめた。

 息子11人が生まれる中で、一人だけ娘の名が記されていました(30:21)。彼女は今、おおよそ14歳から16歳です。中学生から高校生ぐらいの歳です。自分の家族以外の自分と同年の同性の子を探してもおかしくありません。ところがそこの族長の息子が彼女に陵辱を働いたのです。

 ヒビ人はカナン人の一つです。ノアの時のことを思い出してください、ハムが裸で寝ている父を見て、それによってノアがカナンを呪いました。その子孫として、創世記1017節にヒビ人が出てきます。なぜ呪ったのかと言いますと、その不義のためです。

34:3 彼はヤコブの娘ディナに心をひかれ、この娘を愛し、ねんごろにこの娘に語った。34:4 シェケムは父のハモルに願って言った。「この女の人を私の妻にもらってください。」

 慣わしの中に忌まわしい行為が含まれていました。強姦罪はいつどの時代もありますが、それを結婚するためのお嫁さん捜しで行なっていた日常だったのです。そして家族も強姦してさらって来た女を正式に嫁として認めるようなことまでやっています。

34:5 ヤコブも、彼が自分の娘ディナを汚したことを聞いた。息子たちはそのとき、家畜といっしょに野にいた。ヤコブは彼らが帰って来るまで黙っていた。34:6 シェケムの父ハモルは、ヤコブと話し合うために出て来た。34:7 ヤコブの息子たちが、野から帰って来て、これを聞いた。人々は心を痛め、ひどく怒った。シェケムがヤコブの娘と寝て、イスラエルの中で恥ずべきことを行なったからである。このようなことは許せないことである。

 かつてリベカの家に父ベトエルがいたのに、リベカの兄のラバンが家のことの決定を行なっていたように、ヤコブの家もそうでした。父ヤコブが初めにその話を聞きましたが、息子たちが戻ってくるまでは何も言いませんでした。

 そして息子たちは正しく心を痛め、怒っています。ここに「イスラエルの中で恥ずべきことを行なったからである。許されないことである。」という注釈がありますが、その通りなのです。カナン人の倫理基準とイスラエルのそれとでは歴然とした差があります。「不信者と、つり合わぬくびきをいっしょにつけてはいけません。正義と不法とに、どんなつながりがあるでしょう。光と暗やみとに、どんな交わりがあるでしょう。キリストとベリアルとに、何の調和があるでしょう。信者と不信者とに、何のかかわりがあるでしょう。(2コリント6:14-15

34:8 ハモルは彼らに話して言った。「私の息子シェケムは心からあなたがたの娘を恋い慕っております。どうか彼女を息子の嫁にしてください。34:9 私たちは互いに縁を結びましょう。あなたがたの娘を私たちのところにとつがせ、私たちの娘をあなたがたがめとってください。34:10 そうすれば、あなたがたは私たちとともに住み、この土地はあなたがたの前に解放されているのです。ここに住み、自由に行き来し、ここに土地を得てください。」

 彼らはさらに、すごいことを言っています。ヤコブの家族を自分たちの民と一つにしようとしています。自分たちの娘を娶ることによって、彼らの町の住民になることができると提案しているのです。これは、霊的にはあっては決していけないことであり、イスラエルには神から与えられた、メシヤを生み出す使命がありますから、とんでもないことです。

 ここで、このヒビ人たちはおそらく、ヤコブの家族が祝福されているのを見たのでしょう。このように彼らの市民にしてしまえば、その祝福を自分たちのものにすることができると考えたに違いありません。

34:11 シェケムも彼女の父や兄弟たちに言った。「私はあなたがたのご好意にあずかりたいのです。あなたがたが私におっしゃる物を何でも差し上げます。34:12 どんなに高い花嫁料と贈り物を私に求められても、あなたがたがおっしゃるとおりに差し上げますから、どうか、あの人を私の妻に下さい。」

 陵辱したものですが、その後も嫌いにならず相当ほれ込んでいたようです。この、彼らの言いたい放題やりたい放題の姿に、ヤコブの息子たちは我慢できなかったようです。

2B 息子たちの悪巧み 13−24
34:13 ヤコブの息子たちは、シェケムとその父ハモルに答えるとき、シェケムが自分たちの妹ディナを汚したので、悪巧みをたくらんで、34:14 彼らに言った。「割礼を受けていない者に、私たちの妹をやるような、そのようなことは、私たちにはできません。それは、私たちにとっては非難の的ですから。34:15 ただ次の条件であなたがたに同意しましょう。それは、あなたがたの男子がみな、割礼を受けて、私たちと同じようになることです。34:16 そうすれば、私たちの娘たちをあなたがたに与え、あなたがたの娘たちを私たちがめとります。そうして私たちはあなたがたとともに住み、私たちは一つの民となりましょう。34:17 もし、私たちの言うことを聞かず、割礼を受けないならば、私たちは娘を連れて、ここを去ります。」

 すでにセム系の人たちが、割礼をする人たちであることはヒビ人たちは分かっていたようです。自分たちの民族性も尊重してほしいという要望を出しているように見せかけました。

34:18 彼らの言ったことは、ハモルとハモルの子シェケムの心にかなった。34:19 この若者は、ためらわずにこのことを実行した。彼はヤコブの娘を愛しており、また父の家のだれよりも彼は敬われていたからである。34:20 ハモルとその子シェケムは、自分たちの町の門に行き、町の人々に告げて言った。34:21 「あの人たちは私たちと友だちである。だから、あの人たちをこの地に住まわせ、この地を自由に行き来させよう。この地は彼らが来ても十分広いから。私たちは彼らの娘たちをめとり、私たちの娘たちを彼らにとつがせよう。34:22 ただ次の条件で、あの人たちは私たちとともに住み、一つの民となることに同意した。それは彼らが割礼を受けているように、私たちのすべての男子が割礼を受けることである。34:23 そうすれば、彼らの群れや財産、それにすべての彼らの家畜も、私たちのものになるではないか。さあ、彼らに同意しよう。そうすれば彼らは私たちとともに住まおう。」

 先ほど話したように、彼らがヤコブの家族を自分たちの民族に吸収させたい気持ちは、ヤコブの財産を見たからです。

34:24 その町の門に出入りする者はみな、ハモルとその子シェケムの言うことを聞き入れ、その町の門に出入りする者のすべての男子は割礼を受けた。

 アブラハム、イサク、ヤコブは、このような町の中に入ることができませんでした。当時は、都市国家を形成しており、城壁に囲まれた町がありました。その支配の間にある中間地域にこれら族長たちは放牧をしていたのです。そこにいる市民の男性がみなシェケムの言うことに同意しました。

3B 虐殺 25−31
34:25 三日目になって、ちょうど彼らの傷が痛んでいるとき、ヤコブのふたりの息子、ディナの兄シメオンとレビとが、それぞれ剣を取って、難なくその町を襲い、すべての男子を殺した。

 なんと虐殺を働きました。割礼は男性の性器の包皮の一部を切ることですから、痛みがかなり残ります。その時に殺したのです。シメオンとレビはレアの息子です。ディナもレアの娘です。それでなおさら彼女の陵辱に対して怒っていたのでしょう。

34:26 こうして彼らは、ハモルとその子シェケムとを剣の刃で殺し、シェケムの家からディナを連れ出して行った。34:27 ヤコブの子らは、刺し殺された者を襲い、その町を略奪した。それは自分たちの妹が汚されたからである。34:28 彼らは、その人たちの羊や、牛や、ろば、それに町にあるもの、野にあるものを奪い、34:29 その人たちの全財産、幼子、妻たち、それに家にあるすべてのものを、とりこにし、略奪した。

 ハモルとシェケムを殺しただけでなく、すべて男性を殺しました。さらに彼らのものをみな略奪しました。陵辱もひどいことですが、これも実に酷いことです。

34:30 それでヤコブはシメオンとレビに言った。「あなたがたは、私に困ったことをしてくれて、私をこの地の住民カナン人とペリジ人の憎まれ者にしてしまった。私には少人数しかいない。彼らがいっしょに集まって私を攻め、私を打つならば、私も私の家の者も根絶やしにされるであろう。」34:31 彼らは言った。「私たちの妹が遊女のように取り扱われてもいいのですか。」

 これにはヤコブは、答えられませんでした。確かにそうだったからです。

 確かにシメオンとレビが行なったことは悪です。ヤコブは晩年、十二の息子にそれぞれ祝福を与える時に、この出来事を思い出してこう言っています。「シメオンとレビとは兄弟、彼らの剣は暴虐の道具。わがたましいよ。彼らの仲間に加わるな。わが心よ。彼らのつどいに連なるな。彼らは怒りにまかせて人を殺し、ほしいままに牛の足の筋を切ったから。のろわれよ。彼らの激しい怒りと、彼らのはなはだしい憤りとは。私は彼らをヤコブの中で分け、イスラエルの中に散らそう。(49:5-7」私たちは怒ってもいいですが、怒りにまかせることはいけません。怒りから良いものは生まれません。

 けれども、神はヤコブにこの事件を通して大切な教訓を与えられました。なぜ、ディナが陵辱されるところから、虐殺にまで発展してしまったのか?元々シェケムにいるべきではなかったからです。表向きアブラハムに神が現れたところとして住んでいましたが、彼に神が現れたのはどこでしょうか?ベテルです。そこで主が語られます。

2A ベテル帰郷 35
1B 偶像との離別 1−8
35:1 神はヤコブに仰せられた。「立ってベテルに上り、そこに住みなさい。そしてそこに、あなたが兄エサウからのがれていたとき、あなたに現われた神のために祭壇を築きなさい。」

 私たちにとって最も大事なのは「主と出会うところ」です。そこに祭壇を築く、つまり主と出会うことを生活の第一にしていくことです。

35:2 それでヤコブは自分の家族と、自分といっしょにいるすべての者とに言った。「あなたがたの中にある異国の神々を取り除き、身をきよめ、着物を着替えなさい。35:3 そうして私たちは立って、ベテルに上って行こう。私はそこで、私の苦難の日に私に答え、私の歩いた道に、いつも私とともにおられた神に祭壇を築こう。」35:4 彼らは手にしていたすべての異国の神々と、耳につけていた耳輪とをヤコブに渡した。それでヤコブはそれらをシェケムの近くにある樫の木の下に隠した。

 ヤコブが故郷に戻る時に、ラケルがラバンの家からティラフィムを盗み出したのを覚えているでしょうか?それは財産権の印だったのですが、ラケルはそのまま保持していたのだろうと思います。そしてカナン人のそばに住んでいてますます偶像に親しんでいったのだと思われます。それから、着ている物も異教の影響を受けているものであったのでしょう。飾り物も同じです。「ただ流行だから」という理由で行なったのです。自分たちは意図的にこれらのことを行なっていなかったのでしょうが、それでも結果的には偶像礼拝に等しくなっていました。

 ローマ122節にこう書いてあります。「この世と調子を合わせてはいけません。いや、むしろ、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に受け入れられ、完全であるのかをわきまえ知るために、心の一新によって自分を変えなさい。(ローマ12:2」調子を合わせるとは、型にはまっていくということです。自分がその型にはまるように、外側を変えていくことです。流行がまさにそれですね。それに対して、キリスト者は「心の一新」であります。内側からの刷新です。

 これがキリスト者とそうでない人たちの違いです。信じていない人たちは、信者が長い時間かけて祈り、聖書に向き合っているのが不思議になります。それは、私たちが内側から変わるためなのです。けれども、信じていない人たちは、自分たちがしていることがなぜやっているのか分からないのです。回りにあるものの型にはまろうとしているからです。それは自分ではないので疲れます。けれども、キリスト者は型にはまるのではなく、内側から変えられるので楽です。

35:5 彼らが旅立つと、神からの恐怖が回りの町々に下ったので、彼らはヤコブの子らのあとを追わなかった。

 二人で町中の人々を殺したのですから、さぞかし恐ろしかったのでしょう。ヤコブの恐れとは裏腹にかえって彼らが恐れたのです。神は、ここにおいてもアブラハムを呪うものを呪う、という約束を実現してくださり、彼らが害を受けないようにしてくださっています。

35:6 ヤコブは、自分とともにいたすべての人々といっしょに、カナンの地にあるルズ、すなわち、ベテルに来た。35:7 ヤコブはそこに祭壇を築き、その場所をエル・ベテルと呼んだ。それはヤコブが兄からのがれていたとき、神がそこで彼に現われたからである。

 ついにヤコブは、ベテルに到着しました。神が命じられたように祭壇を築きました。「エル・ベテル」とは「ベテルの神」という意味です。

35:8 リベカのうばデボラは死に、ベテルの下手にある樫の木の下に葬られた。それでその木の名はアロン・バクテと呼ばれた。

 リベカの乳母がヤコブといっしょにいたということは、リベカ自身が既に死んでいたことが分かります。リベカがイサクに嫁ぐ時に彼女はいっしょに行って、それでリベカが死んだので、自分が以前いたカランに戻ってきたのです。それでヤコブが世話をしていたけれども、再び故郷にいっしょに旅をした、ということになります。

2B 約束の確認 9−15
35:9 こうしてヤコブがパダン・アラムから帰って来たとき、神は再び彼に現われ、彼を祝福された。

 アブラハム、イサク、そしてヤコブはみな、神の呼びかけに応えて動いた後に、神がこのように現れてくださいました。私たちは、神がいま何をお考えになっているか知りたいと願う時に、もうすでに神が考えておられることを、その御心を行なう必要がまずあります。主に従ったときに、次のステップでまた主が現れてくださいます。

35:10 神は彼に仰せられた。「あなたの名はヤコブであるが、あなたの名は、もう、ヤコブと呼んではならない。あなたの名はイスラエルでなければならない。」それで彼は自分の名をイスラエルと呼んだ。

 神の使いがヤコブに与えた新しい名前を再び確認しておられます。

35:11 神はまた彼に仰せられた。「わたしは全能の神である。生めよ。ふえよ。一つの国民、諸国の民のつどいが、あなたから出て、王たちがあなたの腰から出る。35:12 わたしはアブラハムとイサクに与えた地を、あなたに与え、あなたの後の子孫にもその地を与えよう。」35:13 神は彼に語られたその所で、彼を離れて上られた。

 「離れて上られた」とあります。以前と同じように、神の使いのかたちで神が現れたのでしょう。イエス様だったのでしょう。

 これでついに神は、アブラハム、イサク、そしてヤコブの神となられました。旧約、そして新約時代にも神は、ご自分を「アブラハム、イサク、ヤコブの神」と呼ばれました。いかがでしょうか?すべての人たちが、とても完全とは言えない人生を歩みました。けれども神は誇りをもって、自慢らしげに「アブラハム、イサク、ヤコブの神」と呼ばれたのです。それは、彼らが受けた神の恵みこそが神のご性質を表していたからです。

 そして、天の故郷にあこがれていました。神が与えられる地は、単にそこのカナン人の地だけでんはなく、後に来る神の国を待ち望んでいたのです。「しかし、事実、彼らは、さらにすぐれた故郷、すなわち天の故郷にあこがれていたのです。それゆえ、神は彼らの神と呼ばれることを恥となさいませんでした。事実、神は彼らのために都を用意しておられました。(ヘブル11:16

35:14 ヤコブは、神が彼に語られたその場所に柱、すなわち、石の柱を立て、その上に注ぎのぶどう酒を注ぎ、またその上に油をそそいだ。35:15 ヤコブは、神が自分と語られたその所をベテルと名づけた。

 以前、初めてここに来た時も油を石に注ぎました。それは神がここをご自分の場所としてお定めになったことを示すものです。油は神の御霊の働きを表しています。そして注ぎのぶどう酒も注いでいます。それは、自分の命を神に注ぎだす意味を表しています。

3B 妻と父の死 16−29
35:16 彼らがベテルを旅立って、エフラテまで行くにはまだかなりの道のりがあるとき、ラケルは産気づいて、ひどい陣痛で苦しんだ。35:17 彼女がひどい陣痛で苦しんでいるとき、助産婦は彼女に、「心配なさるな。今度も男のお子さんです。」と告げた。35:18 彼女が死に臨み、そのたましいが離れ去ろうとするとき、彼女はその子の名をベン・オニと呼んだ。しかし、その子の父はベニヤミンと名づけた。35:19 こうしてラケルは死んだ。彼女はエフラテ、今日のベツレヘムへの道に葬られた。35:20 ヤコブは彼女の墓の上に石の柱を立てた。それはラケルの墓の石の柱として今日に至っている。

 リベカの乳母に続いて、何とラケルが死んでしまいました。彼女はかつて自分から出てきた子に「ヨセフ」と名づけましたが、それは「加える」という意味合いを持っていました。そして加えられた時に残念なことに自分の命を失ってしまったのです。「ベン・オニ」というのは「私の苦しみの子」という意味なので、ヤコブは「右手の子」と改名しました。「ベニヤミン」です。

 ところで、彼女の墓として正統派ユダヤ教徒の人たちは、ベツレヘム近辺にある所をラケルの墓として祈りに行きます。けれども、注意して読むとベツレヘムではなく、ベツレヘムへの道で葬られたのです。サムエル記第一102節を見ると、ベツレヘムよりもずっと北にある、エルサレムよりも北にあるラマの近くにラケルの墓があります。そこから南北に道が走っていて、確かにベツレヘムにつながっていました。

 そして後に、ユダヤ人がバビロンに捕え移されていく時に、母親たちの泣き叫びをエレミヤは次のように表現しています。「聞け。ラマで聞こえる。苦しみの嘆きと泣き声が。ラケルがその子らのために泣いている。慰められることを拒んで。子らがいなくなったので、その子らのために泣いている。(エレミヤ31:15」ラケルの場合は母親が死にましたが、ここでは子らが死んでいます。

 そしてこのエレミヤの預言が、イエス様を殺すべくヘロデ王がベツレヘムの二歳以下の男の子をすべて殺す出来事として引用しています(マタイ2:18)。ですからラケルの死が、今後の母親の悲しみのモチーフになっているのです。

35:21 イスラエルは旅を続け、ミグダル・エデルのかなたに天幕を張った。35:22 イスラエルがその地に住んでいたころ、ルベンは父のそばめビルハのところに行って、これと寝た。イスラエルはこのことを聞いた。さて、ヤコブの子は十二人であった。

 なんと長男ルベンが、ヤコブのそばめと寝ました。これは単なる不品行ではなく、父の権威を自分のものとする振る舞いでした。ずっと後に王ダビデの息子アブシャロムが、ダビデのそばめと白昼堂々寝ましたが、それはダビデの王権を彼が奪ったということを表すものでした。

 このためにルベンは長子の権利を失います。ヤコブが晩年の時、息子十二人に祝福する時にこのことを話しました(49:5)。

35:23 レアの子はヤコブの長子ルベン、シメオン、レビ、ユダ、イッサカル、ゼブルン。35:24 ラケルの子はヨセフとベニヤミン。35:25 ラケルの女奴隷ビルハの子はダンとナフタリ。35:26 レアの女奴隷ジルパの子はガドとアシェル。これらはパダン・アラムでヤコブに生まれた彼の子たちである。

 十二人の名が列挙されています。イスラエル十二部族の基となります。

35:27 ヤコブはキルヤテ・アルバ、今日のヘブロンのマムレにいた父イサクのところに行った。そこはアブラハムとイサクが一時、滞在した所である。35:28 イサクの一生は百八十年であった。35:29 イサクは息が絶えて死んだ。彼は年老いて長寿を全うして自分の民に加えられた。彼の子エサウとヤコブが彼を葬った。

 なんとイサクは、ヤコブが二十数年後に戻ってきた時にまだ生きていたのです。目が見えなかったので自分はもう死ぬと思って、それでエサウを祝福しようとしたのですが、そうではありませんでした。彼はアブラハム、イサク、ヤコブの中で最も長生きしました。

 そして彼は父母、また妻と同じヘブロンの墓に葬られます。かつて自分が兄イシュマエルと父アブラハムを葬ったように、今は、ヤコブも兄エサウもいっしょにイサクを葬っています。

3A エドム人 36
 そして、ヤコブが死ぬ時までの話が37章以降にあります。その中で十一番目の子ヨセフが神に多いに用いられて、ヤコブは十二人を祝福して死ぬことができるのですが、その話が始まる前に、エサウの歴史が36章に記されています。

1B エサウの子 1−19
36:1 これはエサウ、すなわちエドムの歴史である。36:2 エサウはカナンの女の中から妻をめとった。すなわちヘテ人エロンの娘アダと、ヒビ人ツィブオンの子アナの娘オホリバマ。36:3 それにイシュマエルの娘でネバヨテの妹バセマテである。36:4 アダがエサウにエリファズを産み、バセマテはレウエルを産み、36:5 オホリバマはエウシュ、ヤラム、コラを産んだ。これらはカナンの地で生まれたエサウの子である。

 エサウはカナン人の中から妻を選んで、それでイサクの家に悩みが増えました。それから彼はイシュマエルの子孫から妻をめとりました。

36:6 エサウは、その妻たち、息子、娘たち、その家のすべての者、その群れとすべての家畜、カナンの地で得た全財産を携え、弟ヤコブから離れてほかの地へ行った。36:7 それは、ふたりが共に住むには彼らの持ち物が多すぎて、彼らが滞在していた地は、彼らの群れのために、彼らをささえることができなかったからである。36:8 それでエサウはセイルの山地に住みついたのである。エサウとはすなわちエドムである。

 以前、アブラハムからロトが離れた時と同じように、エサウも約束の地から離れて別のところで放牧しました。それでセイルと呼ばれるところで、死海の南に当たります。岩がごつごつした山地です。

36:9 これがセイルの山地にいたエドム人の先祖エサウの系図である。36:10 エサウの子の名は次のとおり。エサウの妻アダの子エリファズ、エサウの妻バセマテの子レウエル。36:11 エリファズの子はテマン、オマル、ツェフォ、ガタム、ケナズである。36:12 ティムナはエサウの子エリファズのそばめで、エリファズにアマレクを産んだ。これらはエサウの妻アダの子である。36:13 レウエルの子は次のとおり。ナハテ、ゼラフ、シャマ、ミザ。これらはエサウの妻バセマテの子であった。36:14 ツィブオンの子アナの娘でエサウの妻オホリバマの子は次のとおり。彼女はエサウにエウシュとヤラムとコラを産んだ。

 ここでは単に、エサウがカナン人の地ではなく、セイルの山地にいた時にどうなったかを示しているものです。

36:15 エサウの子で首長は次のとおり。エサウの長子エリファズの子では、首長テマン、首長オマル、首長ツェフォ、首長ケナズ、36:16 首長コラ、首長ガタム、首長アマレクである。これらはエドムの地にいるエリファズから出た首長で、アダの子である。36:17 エサウの子レウエルの子では、次のとおり。首長ナハテ、首長ゼラフ、首長シャマ、首長ミザ。これらはエドムの地でレウエルから出た首長で、エサウの妻バセマテの子である。36:18 エサウの妻オホリバマの子では、次のとおり。首長エウシュ、首長ヤラム、首長コラである。これらはエサウの妻で、アナの娘であるオホリバマから出た首長である。36:19 これらはエサウ、すなわちエドムの子で、彼らの首長である。

 これは、エサウの子らが首長の地位にいたことを示すものです。

2B 先住民とエドム王 20−43
36:20 この地の住民ホリ人セイルの子は次のとおり。ロタン、ショバル、ツィブオン、アナ、36:21 ディション、エツェル、ディシャンで、これらはエドムの地にいるセイルの子ホリ人の首長である。36:22 ロタンの子はホリ、ヘマム。ロタンの妹はティムナであった。36:23 ショバルの子は次のとおり。アルワン、マナハテ、エバル、シェフォ、オナム。36:24 ツィブオンの子は次のとおり。アヤ、アナ。このアナは父ツィブオンのろばを飼っていたとき荒野で温泉を発見したアナである。36:25 アナの子は次のとおり。ディションと、アナの娘オホリバマ。36:26 ディションの子は次のとおり。ヘムダン、エシュバン、イテラン、ケラン。36:27 エツェルの子は次のとおり。ビルハン、ザアワン、アカン。36:28 ディシャンの子は次のとおり。ウツ、アラン。36:29 ホリ人の首長は次のとおり。首長ロタン、首長ショバル、首長ツィブオン、首長アナ、36:30 首長ディション、首長エツェル、首長ディシャン。これらはホリ人の首長で、セイルの地の首長である。

 エサウが入ってくる前はこのようにホリ人が住んでいました。彼らを追い出してエドムは住みついたのです。

36:31 イスラエル人の王が治める以前、エドムの地で治めた王たちは次のとおり。36:32 ベオルの子ベラがエドムで治め、その町の名はディヌハバであった。36:33 ベラが死ぬと、代わりにボツラから出たゼラフの子ヨバブが王となった。36:34 ヨバブが死ぬと、代わりにテマン人の地から出たフシャムが王となった。36:35 フシャムが死ぬと、代わりに、モアブの野でミデヤン人を打ち破ったベダデの子ハダデが王となった。その町の名はアビテであった。36:36 ハダデが死ぬと、代わりにマスレカから出たサムラが王となった。36:37 サムラが死ぬと、代わりにレホボテ・ハナハルから出たサウルが王となった。36:38 サウルが死ぬと、代わりにアクボルの子バアル・ハナンが王となった。36:39 アクボルの子バアル・ハナンが死ぬと、代わりにハダルが王となった。その町の名はパウであった。彼の妻の名はメヘタブエルで、メ・ザハブの娘マテレデの娘であった。

 これは後になって、エドム人たちが王を立てていたことを示すものです。興味深いことに、「イスラエル人の王が治める以前」という前書きがあります。イスラエルが王を持つ前に私たちが持っていたのだ、という誇示も感じることができます。

 ところで「テマン人」が34節に書いてあります。テマンはエサウのエリファズの子です。興味深いことに、ヨブ記211節に、ヨブを慰めるために来た友人の一人が、「テマン人エリファズ」がいます。同じテマン人であることは確かです。

36:40 エサウから出た首長の名は、その氏族とその場所によって、その名をあげると次のとおり。首長ティムナ、首長アルワ、首長エテテ、36:41 首長オホリバマ、首長エラ、首長ピノン、36:42 首長ケナズ、首長テマン、首長ミブツァル、36:43 首長マグディエル、首長イラム。これらはエドムの首長で、彼らの所有地における彼らの部落別にあげたものである。エドム人の先祖はエサウである。

 このように長い歴史がエサウについて書かれていました。こう見てみると、ある意味、エサウの方が、勢力が強く栄えていたように見えます。確かに彼は栄えました。けれども、歴史を見ると神が、「兄が弟に仕える」と言われたように、小さい国にとどまり、イスラエルに王国が出てきてからは従属していたのです。そして新約時代にいたヘロデ大王はイドマヤ人と言って、エドム人の末裔でした。そして彼らは姿を消したのです。

 それに対して、ヤコブの家族は祝福されたものの小さい人数でした。けれども、次第に増えていき、何百年単位で非常に強くなりました。そしてついに、神の約束のとおりダビデの時には強力な国となりました。

 これが霊的な原則と肉の原則の違いです。肉の原則は綿飴みたいなものです。膨れているのですが、すぐにしぼみます。御霊の原則は良質な土に植えられた種です。初めは非常に小さいのですが、確実に何十倍の実を結びます。これが世の栄えとキリスト者の栄えの違いです。

4A ヨセフの苦難 37
1B 夢見るヨセフ 1−11
37:1 ヤコブは、父が一時滞在していた地、カナンの地に住んでいた。37:2 これはヤコブの歴史である。ヨセフは十七歳のとき、彼の兄たちと羊の群れを飼っていた。彼はまだ手伝いで、父の妻ビルハの子らやジルパの子らといっしょにいた。ヨセフは彼らの悪いうわさを父に告げた。

 ついに創世記の中心人物の最後の人となりました。アブラハム、イサク、ヤコブが神に選ばれた族長なのですが、そのヤコブの家族が後にこのヨセフを自分の支配者としてひれ伏すようになります。そしてヨセフが、彼らを飢饉から救い出すようになります。ヨセフはあらゆる面において、イスラエルのメシヤ、キリストを指し示しています。ヨセフによってイスラエルが救われるのと同じように、キリストによってユダヤ人が救われます。

 彼の生涯は、まさに苦しみとその後の栄光に特徴づけられています。そして、神が与えておられる計画が、いかに優れているかを示しています。その途中ではまったく正反対のようなことが起こります。けれども、むしろそれが起こったからこそ神のすぐれた目的が達成されました。

 このヨセフですが、あまりにも素直な性格だったようです。悪い噂をすぐに父に伝えていました。もちろん兄たちはいい気持ちがしません。

37:3 イスラエルは、彼の息子たちのだれよりもヨセフを愛していた。それはヨセフが彼の年寄り子であったからである。それで彼はヨセフに、そでつきの長服を作ってやっていた。37:4 彼の兄たちは、父が兄弟たちのだれよりも彼を愛しているのを見て、彼を憎み、彼と穏やかに話すことができなかった。

 ヨセフをヤコブが偏愛していました。そして長服を与えたとありますが、これは長子の権利を表すものです。ヤコブの跡継ぎはヨセフになることを表していました。このために兄たちが妬みます。そしてその妬みはだんだん憎しみになっていきます。そしてついに、それを決定的にさせる出来事が起こります。

37:5 あるとき、ヨセフは夢を見て、それを兄たちに告げた。すると彼らは、ますます彼を憎むようになった。37:6 ヨセフは彼らに言った。「どうか私の見たこの夢を聞いてください。37:7 見ると、私たちは畑で束をたばねていました。すると突然、私の束が立ち上がり、しかもまっすぐに立っているのです。見ると、あなたがたの束が回りに来て、私の束におじぎをしました。」37:8 兄たちは彼に言った。「おまえは私たちを治める王になろうとするのか。私たちを支配しようとでも言うのか。」こうして彼らは、夢のことや、ことばのことで、彼をますます憎むようになった。

 ヨセフは無邪気に夢の中身を伝えました。それは自分が王となり、兄弟たちは触れ伏すというものです。

37:9 ヨセフはまた、ほかの夢を見て、それを兄たちに話した。彼は、「また、私は夢を見ましたよ。見ると、太陽と月と十一の星が私を伏し拝んでいるのです。」と言った。37:10 ヨセフが父や兄たちに話したとき、父は彼をしかって言った。「おまえの見た夢は、いったい何なのだ。私や、おまえの母上、兄さんたちが、おまえのところに進み出て、地に伏しておまえを拝むとでも言うのか。」37:11 兄たちは彼をねたんだが、父はこのことを心に留めていた。

 太陽は父を表し、月は母を表していました。父も母も含めて、家族がみなヨセフに触れ伏すというのです。これはさすがにヤコブお父さんも怒りました。けれども、何か意味があるのかもしれないと思って心に留めていたのです。

 かつてイエス様が似たようなことを行なわれました。まだ十二歳だったのにエルサレムで学者と議論をされていました。そして捜しに戻ってきた両親に対して、「どうしてわたしをお捜しになったのですか。わたしが必ず自分の父の家にいることを、ご存じなかったのですか。(ルカ2:49」ずいぶん生意気なことを言うもんですが、もちろんそれは神の御子キリストであるからもっともなことです。そして「母はこれらのことをみな、心に留めておいた。(51節)」とあります。今は理解できないかもしれない。じれったい。けれども心には留める、ということです。

 私たちも、将来のことが分からない時、今、悶々とするような出来事が起こる時、同じように神の言われたことに心を留めることが必要です。いつかその御言葉の通りになるからです。

 そしてこの夢についてですが、黙示録12章に一人の女が出てきます。「また、巨大なしるしが天に現われた。ひとりの女が太陽を着て、月を足の下に踏み、頭には十二の星の冠をかぶっていた。 1節)」この女はもちろん、イスラエルを表しています。いま見た夢の通りです。

2B 弟を売る兄たち 12−30
37:12 その後、兄たちはシェケムで父の羊の群れを飼うために出かけて行った。37:13 それで、イスラエルはヨセフに言った。「お前の兄さんたちはシェケムで群れを飼っている。さあ、あの人たちのところに使いに行ってもらいたい。」すると答えた。「はい。まいります。」37:14 また言った。「さあ、行って兄さんたちや、羊の群れが無事であるかを見て、そのことを私に知らせに帰って来ておくれ。」こうして彼をヘブロンの谷から使いにやった。それで彼はシェケムに行った。

 先ほどカナン人たちを虐殺した町のシェケムです。すでにそこはヤコブの家のものになっていました。それでそこまで行って、羊飼いをしていました。ヘブロンの谷からですと北に車で三時間はかかる道のりです。

37:15 彼が野をさまよっていると、ひとりの人が彼に出会った。その人は尋ねて言った。「何を捜しているのですか。」37:16 ヨセフは言った。「私は兄たちを捜しているところです。どこで群れを飼っているか教えてください。」37:17 するとその人は言った。「ここから、もう立って行ったはずです。あの人たちが、『ドタンのほうに行こうではないか。』と言っているのを私が聞いたからです。」そこでヨセフは兄たちのあとを追って行き、ドタンで彼らを見つけた。

 さらに北に向かいます。ちょうど、ヨルダンの方を南北に走っている「王の道」と、「海沿いの道」と呼ばれる二本の国際幹線の間に、東西にいくつもの連結線が走っているのですが、そこにドタンがありました。

37:18 彼らは、ヨセフが彼らの近くに来ないうちに、はるかかなたに、彼を見て、彼を殺そうとたくらんだ。37:19 彼らは互いに言った。「見ろ。あの夢見る者がやって来る。37:20 さあ、今こそ彼を殺し、どこかの穴に投げ込んで、悪い獣が食い殺したと言おう。そして、あれの夢がどうなるかを見ようではないか。」

 恐ろしいですね。彼らはねたみ、そして憎しみ、ついに殺意まで抱いています。「欲がはらむと罪を生み、罪が熟すると死を生みます。(ヤコブ1:15

 そして「あれの夢がどうなるかを見ようではないか。」と言っていますが、自分たちでその夢をかなえさせないようにしてみようではないか、ということです。けれども、後に結局かなえられます。「ああ。陶器が陶器を作る者に抗議するように自分を造った者に抗議する者。(イザヤ45:9」結局彼らは神のご計画に抗議しているのです。

37:21 しかし、ルベンはこれを聞き、彼らの手から彼を救い出そうとして、「あの子のいのちを打ってはならない。」と言った。37:22 ルベンはさらに言った。「血を流してはならない。彼を荒野のこの穴に投げ込みなさい。彼に手を下してはならない。」ヨセフを彼らの手から救い出し、父のところに返すためであった。

 ルベンは長子として、これだけはしてはいけないと思いました。

37:23 ヨセフが兄たちのところに来たとき、彼らはヨセフの長服、彼が着ていたそでつきの長服をはぎ取り、37:24 彼を捕えて、穴の中に投げ込んだ。その穴はからで、その中には水がなかった。

 これは、乾いている貯水槽であります。ここで実はヨセフは「助けて」と叫んでいますが、兄たちは無視していました(42:21)。そして長服を脱がせていますが、それはそれが憎かったからです。

37:25 それから彼らはすわって食事をした。彼らが目を上げて見ると、そこに、イシュマエル人の隊商がギルアデから来ていた。らくだには樹膠と乳香と没薬を背負わせ、彼らはエジプトへ下って行くところであった。

 今話しましたように、ギルアデはヨルダンの北部でそこから東西に横切って、海沿いの道を歩きエジプトに行こうとしているところに、ここドタンがあります。そこに貿易隊商にめぐり合いました。

37:26 すると、ユダが兄弟たちに言った。「弟を殺し、その血を隠したとて、何の益になろう。37:27 さあ、ヨセフをイシュマエル人に売ろう。われわれが彼に手をかけてはならない。彼はわれわれの肉親の弟だから。」兄弟たちは彼の言うことを聞き入れた。37:28 そのとき、ミデヤン人の商人が通りかかった。それで彼らはヨセフを穴から引き上げ、ヨセフを銀二十枚でイシュマエル人に売った。イシュマエル人はヨセフをエジプトへ連れて行った。

 ユダが他の兄弟たちを率いています。彼が後に責任者となっていきます。彼の部族からダビデ、そしてキリストが出てきます。彼がお金で売ったら良いと提案します。

 イシュマエル人であったり、ミデヤン人であったりしますが、ミデヤン人はアブラハムがケトラとの間に生んだ子の子孫です(25:2)。ミデヤン人とイシュマエル人はどんどん一緒になってきたと言われています。

37:29 さて、ルベンが穴のところに帰って来ると、なんと、ヨセフは穴の中にいなかった。彼は自分の着物を引き裂き、37:30 兄弟たちのところに戻って、言った。「あの子がいない。ああ、私はどこへ行ったらよいのか。」

 ヨセフを売っていた場には彼はいなかったようです。

3B 悲しみに沈むヤコブ 31−36
37:31 彼らはヨセフの長服を取り、雄やぎをほふって、その血に、その長服を浸した。37:32 そして、そのそでつきの長服を父のところに持って行き、彼らは、「これを私たちが見つけました。どうか、あなたの子の長服であるかどうか、お調べになってください。」と言った。37:33 父は、それを調べて、言った。「これはわが子の長服だ。悪い獣にやられたのだ。ヨセフはかみ裂かれたのだ。」

 以前、ヤコブはイサクをエサウの服を着ることによってだましましたが、今は息子たちから同じ欺きを受けています。

37:34 ヤコブは自分の着物を引き裂き、荒布を腰にまとい、幾日もの間、その子のために泣き悲しんだ。37:35 彼の息子、娘たちがみな、来て、父を慰めたが、彼は慰められることを拒み、「私は、泣き悲しみながら、よみにいるわが子のところに下って行きたい。」と言った。こうして父は、その子のために泣いた。

 自分の唯一のラケルの子ですから、その悲しみは実に深いものでした。けれども拍子抜けは次の節です。

37:36 あのミデヤン人はエジプトで、パロの廷臣、その侍従長ポティファルにヨセフを売った。

 ヤコブは勝手に死んでしまったと思っていましたが、実際はこのように奴隷として売られたのです。そして単なる奴隷ではなく、パロの廷臣に買い取られたのです。

 私たちがいかに近視眼になってしまうか、これでよくお分かりになるのではないでしょうか?神はすでにヨセフのために事を行なわれています。兄が彼をねたんで行なったことですが、それによって彼はエジプトに来たわけです。これほどつらい体験、苦しみはありません。十七歳の子が外国の奴隷として、しかも兄たちによって売られているのです。けれども、神にはご計画があります。

 このヨセフの生涯から学び取ることの出来る主題はもちろん、ローマ828節です。「神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。」全てのことを働かせてくださいます。

 そしてヨセフの生涯は、苦難の後の栄光を教えています。先ほど話しましたように、ヨセフの生涯は実にイエス・キリストの生涯に似ています。彼が父の寵愛を受けて、その長子として扱われていたことは、イエス様がご自分が父なる神の親しい子であると主張したために、ユダヤ人からねたみと殺意を抱かれました。

 そしてヨセフが王となることも、イエス様はユダヤ人の王として来られたことで類似しています。初めは拒まれました。けれども二回目来られる時には、ユダヤ人は全体としてこの方をメシヤとして受け入れます。ヨセフも初めは拒まれましたが、次には受け入れられます。

 そしてイエス様は売られました。イスカリオテのユダが祭司長たちから金を受け取って裏切りましたが、同じようにヨセフを奴隷に売っています。このように非常に似ているのです。

 どうか続きの話なので、よかったら前もってすべてを読んでみてください。私が説明しなくても、その驚くべき展開に驚くことでしょう。全て一つ一つが無駄な出来事ではなく、折り重ねられ、最後は収束して一つの神の目的が浮かび上がってくるのです。

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