創世記38−41章 「ヨセフの夢の実現」
アウトライン
1A ユダの子 38
1B カナン人の妻 1−11
2B 嫁タマルとの子 12−30
2A エジプトのヨセフ 39−41
1B ポティファルの奴隷 39
1C 妻の言い寄り 1−18
2C 監獄の管理 19−23
2B 囚人 40
1C 夢の解き明かし 1−19
2C 忘れられたヨセフ 20−23
3B 支配者 41
1C パロの夢 1−13
2C ヨセフの解き明かしと助言 14−36
3C ヨセフの昇格 37−45
4C 七年の豊作と飢饉 46−57
本文
38章を開いてください、私たちは前回、ヨセフの生涯の始まりを見ました。ヨセフを兄たちが貿易商人に売って、貿易商人が彼をエジプトに連れてきました。その奴隷市場で彼を買い取ったのは、エジプトのパロの侍従ポティファルでした。
1A ユダの子 38
そしてそのポティファルでの彼の生活が39章に書いてあります。けれども、著者モーセはここで話さなければいけない人の話を書き記します。それはユダから出てくる子の話です。私たちは、イエス様がユダ族から出てきた方であることを知っています。ダビデの末裔であられますが、ダビデはユダの子孫です。アブラハム、イサク、ヤコブに約束として与えられたメシヤは、ユダから出てきます。
1B カナン人の妻 1−11
38:1 そのころのことであった。ユダは兄弟たちから離れて下って行き、その名をヒラというアドラム人の近くで天幕を張った。
ユダは、ヨセフを奴隷として売ろうと言った張本人です。37章26,27節に、「弟を殺し、その血を隠したとて、何の益になろう。さあ、ヨセフをイシュマエル人に売ろう。」とあります。そしてヨセフのそで付きの長服を彼らは動物の血に満たし、ヤコブに見せました。ヨセフが死んだと思った彼は、息子や娘がどんなに慰めても悲しみの中に沈み、立ち上がることはありませんでした。
このようなことがあったので、兄弟たちの中で不和が起こったのでしょう。家族の中の雰囲気は一気に暗くなり、それでユダは家から離れていってしまったものと思われます。場所は「アドラム」です。ヘブロンから西に向かった所にあります。ヘブロンはユダの山地にありますが、アドラムは地中海沿岸地域に向かう低地にあり、そこを「シェフェラ」と呼びます。
38:2 そこでユダは、あるカナン人で、その名をシュアという人の娘を見そめ、彼女をめとって彼女のところにはいった。
イサク、そしてヤコブが避け、エサウが行なったカナン人との結婚をユダは行なってしまいました。彼は霊的にも自暴自棄になり、不良になったものと思われます。
38:3 彼女はみごもり、男の子を産んだ。彼はその子をエルと名づけた。38:4 彼女はまたみごもって、男の子を産み、その子をオナンと名づけた。38:5 彼女はさらにまた男の子を産み、その子をシェラと名づけた。彼女がシェラを産んだとき、彼はケジブにいた。
ゲジブも、シェフェラ地方にあります。
38:6 ユダは、その長子エルにタマルという妻を迎えた。
タマルもまたカナン人です。
38:7 しかしユダの長子エルは主を怒らせていたので、主は彼を殺した。38:8 それでユダはオナンに言った。「あなたは兄嫁のところにはいり、義弟としての務めを果たしなさい。そしてあなたの兄のために子孫を起こすようにしなさい。」38:9 しかしオナンは、その生まれる子が自分のものとならないのを知っていたので、兄に子孫を与えないために、兄嫁のところにはいると、地に流していた。38:10 彼のしたことは主を怒らせたので、主は彼をも殺した。
長子のエルが、何をもって主を怒らせていたのかは書いていません。けれどもここで、「主」がヤハウェの名前で出てきていることに注目してください。ユダがヘブル人なので、自分から生まれる子もヘブル人として数えられることを拒否したのでしょう。主は、カナン人であってもユダのゆえに契約の子孫の中に入れようとしておられるのに、それをあえて拒んだのだと思われます。具体的には、タマルとの性的な夫婦関係を持つのと拒んだのでしょう。
そして、兄嫁のところに入りなさいという父ユダの言いつけは、当時、「嫂婚」と呼ばれるしきたりがありました。「嫂(そう)」というのは兄嫁のことで、家系の名を次ぐために、兄が死ねば弟が兄嫁の夫にならなければいけない、というものです。後にモーセに神が律法を与えられる時、それがイスラエルにとっての決まりとなりました。ルツ記で、ボアズがルツを娶るのもこの律法に基づくものです。
そしてオナンの「地に流した」という行為は、膣外射精のことです。妻と性交しているのに、オナンは精子を外に出すことを常としていました。これは、この行為自体を神が罰したのではなく、主がユダの子を生み出されようとしているのに、それをあえて拒んだことにオナンの罪があります。神の啓示を受けているのに、それを意図的に、故意に拒むところには神の無慈悲な裁きしか残りません。
38:11 そこでユダは、嫁のタマルに、「わが子シェラが成人するまで、あなたの父の家でやもめのままでいなさい。」と言った。それはシェラもまた、兄たちのように死ぬといけないと思ったからである。タマルは父の家に行き、そこに住むようになった。
シェラはまだ年少であったので、ユダはそのようにしました。かつてヤコブが、シェケムにとどまったために、いろいろな問題が起こりましたが、ユダも同じようにカナン人の中に住み、カナン人の妻をめとったために、このような問題が起こっています。
2B 嫁タマルとの子 12−30
38:12 かなり日がたって、シュアの娘であったユダの妻が死んだ。その喪が明けたとき、ユダは、羊の群れの毛を切るために、その友人でアドラム人のヒラといっしょに、ティムナへ上って行った。
ユダの妻が死にました。彼は妻に対する義務がなくなりました。今、男友達のヒラといっしょに、さらに北西にある町ティムナに行きました。そこもシェフェラの地域です。「羊の群れの毛を切る」とありますが、それは毛を切る行為以外に祭りや祝いの意味合いもあります。
38:13 そのとき、タマルに、「ご覧。あなたのしゅうとが羊の毛を切るためにティムナに上って来ていますよ。」と告げる者があった。38:14 それでタマルは、やもめの服を脱ぎ、ベールをかぶり、着替えをして、ティムナへの道にあるエナイムの入口にすわっていた。それはシェラが成人したのに、自分がその妻にされないのを知っていたからである。
アドラムからティムナに向かう途中にエナイムがあります。タマルはやもめになり、子もいない状態でした。当時はこんなことは、女性として許されないことでした。それで彼女は、直接、ユダの子孫を得ようとしたのです。
彼女のする行為は、もちろん姦淫の罪であり、そして近親相姦であります。けれども、それよりももっと大きな罪はユダが自分の子を残すことを拒んでいたことです。ちょうどイサクがエサウを祝福しようとして妻のリベカとヤコブが偽ったのと同じように、彼女もそのような行為に出たのでした。
38:15 ユダは、彼女を見たとき、彼女が顔をおおっていたので遊女だと思い、38:16 道ばたの彼女のところに行き、「さあ、あなたのところにはいろう。」と言った。彼はその女が自分の嫁だとは知らなかったからである。彼女は、「私のところにおはいりになれば、何を私に下さいますか。」と言った。
顔を覆うのは、ちょうど花嫁が婚姻の時に行なうことです。それで、日常生活の中でそれを行なうのは売春行為だと思われます。そしてユダは、妻が死んだのと、祭りの気分の中でこのようなしてはいけないことを行ないました。
38:17 彼が、「群れの中から子やぎを送ろう。」と言うと、彼女は、「それを送ってくださるまで、何かおしるしを下されば。」と言った。38:18 それで彼が、「しるしとして何をあげようか。」と言うと、「あなたの印形とひもと、あなたが手にしている杖。」と答えた。そこで彼はそれを与えて、彼女のところにはいった。こうしてタマルは彼によってみごもった。38:19 彼女は立ち去って、そのベールをはずし、またやもめの服を着た。
ユダの所有物であるとはっきり分かるものを得ました。
38:20 ユダは、彼女の手からしるしを取り戻そうと、アドラム人の友人に託して、子やぎを送ったが、彼はその女を見つけることができなかった。38:21 その友人は、そこの人々に尋ねて、「エナイムの道ばたにいた遊女はどこにいますか。」と言うと、彼らは、「ここには遊女はいたことがない。」と答えた。38:22 それで彼はユダのところに帰って来て言った。「あの女は見つかりませんでした。あそこの人たちも、ここには遊女はいたことがない、と言いました。」38:23 ユダは言った。「われわれが笑いぐさにならないために、あの女にそのまま取らせておこう。私はこのとおり、この子やぎを送ったのに、あなたがあの女を見つけなかったのだから。」
買春行為がばれたら、恥ずかしいです。だからこのままにしておこうということです。
38:24 約三か月して、ユダに、「あなたの嫁のタマルが売春をし、そのうえ、お聞きください、その売春によってみごもっているのです。」と告げる者があった。そこでユダは言った。「あの女を引き出して、焼き殺せ。」
すごいですね。けれども、これは当時の族長社会の中では行なわれていました。けれども、これはユダの二重基準です。自分が買春行為をしておきながら、嫁に対しては焼き殺せと言っています。「あなたは、他人をさばくことによって、自分自身を罪に定めています。さばくあなたが、それと同じことを行なっているからです。(ローマ2:1)」
38:25 彼女が引き出されたとき、彼女はしゅうとのところに使いをやり、「これらの品々の持ち主によって、私はみごもったのです。」と言わせた。そしてまた彼女は言った。「これらの印形とひもと杖とが、だれのものかをお調べください。」38:26 ユダはこれを見定めて言った。「あの女は私よりも正しい。私が彼女を、わが子シェラに与えなかったことによるものだ。」こうして彼は再び彼女を知ろうとはしなかった。
ユダはここでようやく、自分のしていることが何であったかを悟りました。それはやもめタマルに息子シェラを与えなかったという無慈悲だけでなく、それ以上に、自分自身がイスラエルの子として、神から選ばれていることを無視していたということです。
彼は二度とタマルを知ることはなかった、とあります。つまり性的関係は持たなかった、という意味です。ここに悔い改めがあります。自分が神に立ち返らなければいけないという認識、そして罪への悔いと悲しみがあります。自ら罪を悲しみ、憎み、それから離れようとすること、このことができるように神が訓練を私たちに与えてくださいます。
38:27 彼女の出産の時になると、なんと、ふたごがその胎内にいた。38:28 出産のとき、一つの手が出て来たので、助産婦はそれをつかみ、その手に真赤な糸を結びつけて言った。「この子が最初に出て来たのです。」38:29 しかし、その子が手を引っ込めたとき、もうひとりの兄弟のほうが出て来た。それで彼女は、「あなたは何であなたのために割りこむのです。」と言った。それでその名はペレツと呼ばれた。38:30 そのあとで、真赤な糸をつけたもうひとりの兄弟が出て来た。それでその名はゼラフと呼ばれた。
非常に興味深いですね、父ヤコブが生まれてきたのと同じように兄弟の中で争いがあります。こちらの方がもっとすごいです。割り込んで先に生まれました。そして名前が「割り込み」つまりペレツです。
そしてこのペレツが、後にダビデを生み出す先祖となります。ルツ記の最後にペレツの家系がありますが、その最後がダビデです。そしてマタイ1章を開いてください。1節から3節まで読みます、「アブラハムの子孫、ダビデの子孫、イエス・キリストの系図。アブラハムにイサクが生まれ、イサクにヤコブが生まれ、ヤコブにユダとその兄弟たちが生まれ、ユダに、タマルによってパレスとザラが生まれ、パレスにエスロンが生まれ、エスロンにアラムが生まれ、(マタイ1:1-3)」お分かりですか、タマルの名がイエス・キリストの系図の中に出てくるのです。
ここにおいても、イエス・キリストが人の間に入ってきてくださったことを物語っています。きれいな中に来られたのではなく、人間の負の部分、人間の恥部とさえいる部分に入ってきてくださいました。イエス様は純血ではなかったのです。けれども神はあえて、イエス様がお生まれになる時に家畜小屋の中で置かれたのと同じように、タマルがユダと寝るという歴史を持っている系図の中に置かれたのです。
ここに、神の憐れみがあります。私たちがどんなに落ちぶれても、そこにまでイエス様は降りてきてくださいます。
2A エジプトのヨセフ 39−41
そして話はヨセフに戻ります。
1B ポティファルの奴隷 39
1C 妻の言い寄り 1−18
39:1 ヨセフがエジプトへ連れて行かれたとき、パロの廷臣で侍従長のポティファルというひとりのエジプト人が、ヨセフをそこに連れて下って来たイシュマエル人の手からヨセフを買い取った。
これだけを読んだら、ヨセフはなんと言う悲惨な状況の中に陥ったのであろうかと思います。けれども次を読んでください。
39:2 主がヨセフとともにおられたので、彼は幸運な人となり、そのエジプト人の主人の家にいた。39:3 彼の主人は、主が彼とともにおられ、主が彼のすることすべてを成功させてくださるのを見た。
その奴隷という身分にあって、主がヨセフと共にいてくださいました。大事なのは、私たちはどんな境遇の中にいても、そこから主が共におられる生活を歩むことができることです。私たちはしばしば、この世にいてそれが俗的に感じて、その環境から離れたいと願います。けれども、主が共におられる時には、むしろ自分が仕事において他の人々への祝福になっていきます。
39:4 それでヨセフは主人にことのほか愛され、主人は彼を側近の者とし、その家を管理させ、彼の全財産をヨセフの手にゆだねた。39:5 主人が彼に、その家と全財産とを管理させた時から、主はヨセフのゆえに、このエジプト人の家を、祝福された。それで主の祝福が、家や野にある、全財産の上にあった。
ヨセフの特徴は、管理を任されることです。これから見ていきますが、彼はどんな所にいても管理を行なっていました。監獄にいても、そしてエジプトのパロの宮廷にいても、です。第一コリント4章に、「管理者には、忠実であることが要求されます。(2節)」とあります。彼は相手がポティファルであろうと、囚人であろうと、また王の前であろうと、態度を変えませんでした。ただ忠実だったのです。このことが、後になって主から評価を受けることになります。「よくやった。良い忠実なしもべだ。あなたは、わずかな物に忠実だったから、私はあなたにたくさんの物を任せよう。主人の喜びをともに喜んでくれ。』(マタイ25:21)」
39:6 彼はヨセフの手に全財産をゆだね、自分の食べる食物以外には、何も気を使わなかった。しかもヨセフは体格も良く、美男子であった。
「自分の食べる食物」については、安全上、また文化的側面があります。安全上で言えば、高い地位についている人は食べ物に毒を盛られて暗殺される危険性があります。側近中の側近が食事を作る役に就くことができます。そして文化面では、エジプト人はものすごい自民族優位主義でした。決して外国人と食事を共にすることはありませんでした。それで、ヘブル人には自分の食事に触れさせなかったのです。
そして、ここで大きな問題がありました。「体格も良く、美男子であった」というところです。
39:7 これらのことの後、主人の妻はヨセフに目をつけて、「私と寝ておくれ。」と言った。
「これらのことの後」とありますね、誘惑は私たちが成功している時にやってきます。ヨセフが全財産を主人に任されていた時に主人の妻が言い寄ったのです。
39:8 しかし、彼は拒んで主人の妻に言った。「ご覧ください。私の主人は、家の中のことは何でも私に任せ、気を使わず、全財産を私の手にゆだねられました。39:9 ご主人は、この家の中では私より大きな権威をふるおうとはされず、あなた以外には、何も私に差し止めてはおられません。あなたがご主人の奥さまだからです。どうして、そのような大きな悪事をして、私は神に罪を犯すことができましょうか。」
すばらしいですね、神を恐れ、また自分の主人を敬っています。
39:10 それでも彼女は毎日、ヨセフに言い寄ったが、彼は、聞き入れず、彼女のそばに寝ることも、彼女といっしょにいることもしなかった。
しつこいですね。けれども現実は、そう簡単に誘惑は過ぎ去りません。
39:11 ある日のこと、彼が仕事をしようとして家にはいると、家の中には、家の者どもがひとりもそこにいなかった。39:12 それで彼女はヨセフの上着をつかんで、「私と寝ておくれ。」と言った。しかしヨセフはその上着を彼女の手に残し、逃げて外へ出た。
彼は最後まで、誘惑を振り切りました。すばらしいです。私たちは、このように主に対して忠実である時に、妥協しない時に、私たちは何か良いことが起こってくれることを願います。けれども、現実は違います。
39:13 彼が上着を彼女の手に残して外へ逃げたのを見ると、39:14 彼女は、その家の者どもを呼び寄せ、彼らにこう言った。「ご覧。主人は私たちをもてあそぶためにヘブル人を私たちのところに連れ込んだのです。あの男が私と寝ようとしてはいって来たので、私は大声をあげたのです。39:15 私が声をあげて叫んだのを聞いて、あの男は私のそばに自分の上着を残し、逃げて外へ出て行きました。」39:16 彼女は、主人が家に帰って来るまで、その上着を自分のそばに置いていた。39:17 こうして彼女は主人に、このように告げて言った。「あなたが私たちのところに連れて来られたヘブル人の奴隷は、私にいたずらをしようとして私のところにはいって来ました。39:18 私が声をあげて叫んだので、私のそばに上着を残して外へ逃げました。」
逃げた時に残した上着がかえって、彼が主人の妻を襲おうとしたという物的証拠になってしまいました。
2C 監獄の管理 19−23
39:19 主人は妻が、「あなたの奴隷は私にこのようなことをしたのです。」と言って、告げたことばを聞いて、怒りに燃えた。39:20 ヨセフの主人は彼を捕え、王の囚人が監禁されている監獄に彼を入れた。こうして彼は監獄にいた。
いかがですか、これが罪を犯さないために最善の努力をし、妥協をしなかった結果です。このようなことが起こると、「なぜ正しい人がこのような悪い目に遭わなければいけないのだ。」と疑問に思い、神の正義を疑う人もたくさんいます。しかし、そうではないのです。
39:21 しかし、主はヨセフとともにおられ、彼に恵みを施し、監獄の長の心にかなうようにされた。
主の前に忠実な人に、すべての良い環境が与えられるという約束はありません。けれども、どんな悪い状況の中でも主が共におられるという特権にあずかることができます。私たちはどんな大変なところにいても、主がそこまで降りてきてくださるのです。
詩篇105篇18節で、「彼らは足かせで、ヨセフの足を悩まし、ヨセフは鉄のかせの中にはいった。」とあります。ですから、ヨセフは初め他の囚人と同じように鎖につながれていたと思われます。けれども主が、監獄の長の心にヨセフがかなうようにしてくださったのです。
39:22 それで監獄の長は、その監獄にいるすべての囚人をヨセフの手にゆだねた。ヨセフはそこでなされるすべてのことを管理するようになった。39:23 監獄の長は、ヨセフの手に任せたことについては何も干渉しなかった。それは主が彼とともにおられ、彼が何をしても、主がそれを成功させてくださったからである。
いかがですか、ポティファルの時とまったく同じですね。主が召してくださっていること、またその賜物は変わりません。私たちは、何か自分ができることを考えて、いろいろなことをしてみますが、主が自分に与えておられる賜物は変わらないので、どこに行っても同じ事をしているのです。
私たちは時々、「どこで、何をもって神に仕えればよいのか」という悩みを持ちます。けれども、主は基本的にこう言われています。「どこでもいいんだよ。けれども、私があなたに命じたことを行ないなさい。」ということです。
2B 囚人 40
そして次は、監獄で起こった出来事です。
1C 夢の解き明かし 1−19
40:1 これらのことの後、エジプト王の献酌官と調理官とが、その主君、エジプト王に罪を犯した。40:2 それでパロは、この献酌官長と調理官長のふたりの廷臣を怒り、40:3 彼らを侍従長の家に拘留した。すなわちヨセフが監禁されている同じ監獄に入れた。40:4 侍従長はヨセフを彼らの付き人にしたので、彼はその世話をした。こうして彼らは、しばらく拘留されていた。
神の導きと、信仰によって歩むことは、綱渡りのようなものです。監獄に入れられていなければ、この献酌官に会っていませんでした。また監獄で管理を任されることなしには、この献酌官に会うことはありませんでした。そして彼が、後のヨセフの人生、いやヤコブの家全体を決める大きな分岐点になるような働きをします。一つでも、足を踏み外したら落ちてしまいそうな状況です。
献酌官とは、ぶどう酒を王に出す役目を担った人です。王の側近であります。そして同じく調理官が王の近くにいます。おそらく毒見した人が倒れてしまったのか何かしたのでしょう、二人に嫌疑がかけられて牢屋に入っていました。
40:5 さて、監獄に監禁されているエジプト王の献酌官と調理官とは、ふたりとも同じ夜にそれぞれ夢を見た。その夢にはおのおの意味があった。40:6 朝、ヨセフが彼らのところに行って、よく見ると、彼らはいらいらしていた。40:7 それで彼は、自分の主人の家にいっしょに拘留されているこのパロの廷臣たちに尋ねて、「なぜ、きょうはあなたがたの顔色が悪いのですか。」と言った。40:8 ふたりは彼に答えた。「私たちは夢を見たが、それを解き明かす人がいない。」ヨセフは彼らに言った。「それを解き明かすことは、神のなさることではありませんか。さあ、それを私に話してください。」
ヨセフは少し嬉しかったかもしれません。神のことで、人の役に立つことができるという喜びがあったかもしれません。彼はことさらに自分を謙遜にしようとして、「神のなさること」と言ったのではなく、本当に神からの能力であることを本人も知っていました。
40:9 それで献酌官長はヨセフに自分の夢を話して言った。「夢の中で、見ると、私の前に一本のぶどうの木があった。40:10 そのぶどうの木には三本のつるがあった。それが芽を出すと、すぐ花が咲き、ぶどうのふさが熟して、ぶどうになった。40:11 私の手にはパロの杯があったから、私はそのぶどうを摘んで、それをパロの杯の中にしぼって入れ、その杯をパロの手にささげた。」40:12 ヨセフは彼に言った。「その解き明かしはこうです。三本のつるは三日のことです。40:13 三日のうちに、パロはあなたを呼び出し、あなたをもとの地位に戻すでしょう。あなたは、パロの献酌官であったときの以前の規定に従って、パロの杯をその手にささげましょう。
嫌疑が晴れることになります。
40:14 あなたがしあわせになったときには、きっと私を思い出してください。私に恵みを施してください。私のことをパロに話してください。この家から私が出られるようにしてください。40:15 実は私は、ヘブル人の国から、さらわれて来たのです。ここでも私は投獄されるようなことは何もしていないのです。」
ここですかさず、ヨセフは機会を逃すまいと自分の窮状を彼に訴えました。ところが、話を続ける前に調理官長が話に割り込んできました。
40:16 調理官長は、解き明かしが良かったのを見て、ヨセフに言った。「私も夢の中で、見ると、私の頭の上に枝編みのかごが三つあった。40:17 一番上のかごには、パロのために調理官が作ったあらゆる食べ物がはいっていたが、鳥が私の頭の上のかごの中から、それを食べてしまった。」40:18 ヨセフは答えて言った。「その解き明かしはこうです。三つのかごは三日のことです。40:19 三日のうちに、パロはあなたを呼び出し、あなたを木につるし、鳥があなたの肉をむしり取って食うでしょう。」
毒を盛った張本人が調理官長だということです。
2C 忘れられたヨセフ 20−23
40:20 三日目はパロの誕生日であった。それで彼は、自分のすべての家臣たちのために祝宴を張り、献酌官長と調理官長とをその家臣たちの中に呼び出した。40:21 そうして、献酌官長をその献酌の役に戻したので、彼はその杯をパロの手にささげた。40:22 しかしパロは、ヨセフが解き明かしたように、調理官長を木につるした。
夢がその通りになりました。
40:23 ところが献酌官長はヨセフのことを思い出さず、彼のことを忘れてしまった。
「なんと運が付いていないことか!」と私たちは思いませんか?私たちの生活の中でも、このことはよく起こりますね。すっかりパロに伝えるのを忘れてしまったのです。そしてパロが夢見るまで二年あります。その間、ヨセフはさらに二年間、監獄にいなければならなかったのです。
ここまでくれば、いくら主がヨセフと共におられると言ったって、悪いことから悪いことが連続して起こっている姿を見ると、「すべては自分に反対して働いている」と思ってしまいます。けれども、それは明らかに間違いなのです。
悪く見えるこれらのことが、実はすべて漏らさぬことなく、神が益に変えてくださるのです。「神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。(ローマ8:28)」主は、この忘れてしまったことをも用いて、とてつもなく大きな事を行なってくださいます。
3B 支配者 41
1C パロの夢 1−13
41:1 それから二年の後、パロは夢を見た。見ると、彼はナイルのほとりに立っていた。41:2 ナイルから、つやつやした、肉づきの良い七頭の雌牛が上がって来て、葦の中で草をはんでいた。41:3 するとまた、そのあとを追ってほかの醜いやせ細った七頭の雌牛がナイルから上がって来て、その川岸にいる雌牛のそばに立った。41:4 そして醜いやせ細った雌牛が、つやつやした、よく肥えた七頭の雌牛を食い尽くした。そのとき、パロは目がさめた。
当時、エジプトは世界の超大国です。ちょうど今のアメリカのような存在です。その文明を支えていたのはナイル川です。そのナイル川で起こった夢です。
41:5 それから、彼はまた眠って、再び夢を見た。見ると、肥えた良い七つの穂が、一本の茎に出て来た。41:6 すると、すぐそのあとから、東風に焼けた、しなびた七つの穂が出て来た。41:7 そして、しなびた穂が、あの肥えて豊かな七つの穂をのみこんでしまった。そのとき、パロは目がさめた。それは夢だった。
しばしば、聖書では東風が乾燥した熱風として、作物を枯らすものとして登場します。
41:8 朝になって、パロは心が騒ぐので、人をやってエジプトのすべての呪法師とすべての知恵のある者たちを呼び寄せた。パロは彼らに夢のことを話したが、それをパロに解き明かすことのできる者はいなかった。
当時、政治を司る人々はこうした呪法を用います。そして彼らには解き明かすことはできませんでした。けれども、神の賜物は世が与える能力よりも優れています。
41:9 そのとき、献酌官長がパロに告げて言った。「私はきょう、私のあやまちを申し上げなければなりません。41:10 かつて、パロがしもべらを怒って、私と調理官長とを侍従長の家に拘留なさいました。41:11 そのとき、私と彼は同じ夜に夢を見ましたが、その夢はおのおの意味のある夢でした。41:12 そこには、私たちといっしょに、侍従長のしもべでヘブル人の若者がいました。それで彼に話しましたところ、彼は私たちの夢を解き明かし、それぞれの夢にしたがって、解き明かしてくれました。41:13 そして、彼が私たちに解き明かしたとおりになり、パロは私をもとの地位に戻され、彼を木につるされました。」
この時点でようやく思い出すことができました。けれども、この時に思い出さなかったら、もし彼が二年前にパロに進言していたら、ヨセフはパロの夢を解き明かすことはできなかったのです。
2C ヨセフの解き明かしと助言 14−36
41:14 そこで、パロは使いをやってヨセフを呼び寄せたので、人々は急いで彼を地下牢から連れ出した。彼はひげをそり、着物を着替えてから、パロの前に出た。41:15 パロはヨセフに言った。「私は夢を見たが、それを解き明かす者がいない。あなたについて言われていることを聞いた。あなたは夢を聞いて、それを解き明かすということだが。」41:16 ヨセフはパロに答えて言った。「私ではありません。神がパロの繁栄を知らせてくださるのです。」
すばらしいです、ヨセフは囚人に対して言ったのと同じように、これは自分ではなく、神が伝えることなのだ、と証ししています。誰に対しても変わらないのがすばらしいです。なぜなら彼は、神に対して仕えているからです。
41:17 それでパロはヨセフに話した。「夢の中で、私はナイルの岸に立っていた。41:18 見ると、ナイルから、肉づきが良くて、つやつやした七頭の雌牛が上がって来て、葦の中で草をはんでいた。41:19 すると、そのあとから、弱々しい、非常に醜い、やせ細ったほかの七頭の雌牛が上がって来た。私はこのように醜いのをエジプト全土でまだ見たことがない。41:20 そして、このやせた醜い雌牛が、先の肥えた七頭の雌牛を食い尽くした。41:21 ところが、彼らを腹に入れても、腹にはいったのがわからないほどその姿は初めと同じように醜かった。そのとき、私は目がさめた。
先ほど見た夢を、感情をこめて話しています。それは、やせこけた姿です。肥えた牛を食べた後も、なぜかまだ痩せこけています。
41:22 ついで、夢の中で私は見た。見ると、一本の茎によく実った七つの穂が出て来た。41:23 すると、そのあとから東風に焼けた、しなびた貧弱な七つの穂が出て来た。41:24 そのしなびた穂が、あの七つの良い穂をのみこんでしまった。そこで私は呪法師に話したが、だれも私に説明できる者はいなかった。」
ここでも、「しなびた貧弱な」と強調しています。これがパロにとって懸念材料だったのだと思われます。
41:25 ヨセフはパロに言った。「パロの夢は一つです。神がなさろうとすることをパロに示されたのです。41:26 七頭のりっぱな雌牛は七年のことで、七つのりっぱな穂も七年のことです。それは一つの夢なのです。41:27 そのあとから上がって来た七頭のやせた醜い雌牛は七年のことで、東風に焼けたしなびた七つの穂もそうです。それはききんの七年です。41:28 これは、私がパロに申し上げたとおり、神がなさろうとすることをパロに示されたのです。
二つの夢は一つの出来事を指していました。
41:29 今すぐ、エジプト全土に七年間の大豊作が訪れます。41:30 それから、そのあと、七年間のききんが起こり、エジプトの地の豊作はみな忘れられます。ききんが地を荒れ果てさせ、41:31 この地の豊作は後に来るききんのため、跡もわからなくなります。そのききんは、非常にきびしいからです。
先ほどの痩せこけた姿は、凶作の酷さを表していたのです。
41:32 夢が二度パロにくり返されたのは、このことが神によって定められ、神がすみやかにこれをなさるからです。
王の立場につく者に対して、主が二度の夢をもって示してくださいました。
41:33 それゆえ、今、パロは、さとくて知恵のある人を見つけ、その者をエジプトの国の上に置かれますように。41:34 パロは、国中に監督官を任命するよう行動を起こされ、豊作の七年間に、エジプトの地に、備えをなさいますように。41:35 彼らにこれからの豊作の年のすべての食糧を集めさせ、パロの権威のもとに、町々に穀物をたくわえ、保管させるためです。41:36 その食糧は、エジプトの国に起こる七年のききんのための、国のたくわえとなさいますように。この地がききんで滅びないためです。」
夢の解き明かしだけでなく、その対策まで教えてあげています。
3C ヨセフの昇格 37−45
41:37 このことは、パロとすべての家臣たちの心にかなった。41:38 そこでパロは家臣たちに言った。「神の霊の宿っているこのような人を、ほかに見つけることができようか。」
ここです、ヨセフには神の御霊が宿っていました。もちろんパロはここで正確には、「神々の霊」と言っています。異教徒であり多神教を信じていましたからそう言ったのでしょうが、それでも別格の能力を持っているのを見て、「神々の霊が宿っている」と言ったのです。
これが、御霊の働きの一つです。周りの人が、「これは神でなければやることができない。」という認識です。
41:39 パロはヨセフに言った。「神がこれらすべてのことをあなたに知らされたのであれば、あなたのように、さとくて知恵のある者はほかにいない。41:40 あなたは私の家を治めてくれ。私の民はみな、あなたの命令に従おう。私があなたにまさっているのは王位だけだ。」
なんと、彼はこの超大国エジプトの支配者に任じられました!
41:41 パロはなおヨセフに言った。「さあ、私はあなたにエジプト全土を支配させよう。」41:42 そこで、パロは自分の指輪を手からはずして、それをヨセフの手にはめ、亜麻布の衣服を着せ、その首に金の首飾りを掛けた。41:43 そして、自分の第二の車に彼を乗せた。そこで人々は彼の前で「ひざまずけ。」と叫んだ。こうして彼にエジプト全土を支配させた。
指輪も、亜麻布の衣服も、首の金飾りもみな、王権を表します。
41:44 パロはヨセフに言った。「私はパロだ。しかし、あなたの許しなくしては、エジプト中で、だれも手足を上げることもできない。」
ポティファルのとき、監獄にいるときと同じ事をパロは言っています。
41:45 パロはヨセフにツァフェナテ・パネアハという名を与え、オンの祭司ポティ・フェラの娘アセナテを彼の妻にした。こうしてヨセフはエジプトの地に知れ渡った。
異教の祭司の娘でありますが、ヨセフは結婚しました。その子がマナセとエフライムです。次をご覧ください。
4C 七年の豊作と飢饉 46−57
41:46 ・・ヨセフがエジプトの王パロに仕えるようになったときは三十歳であった。・・ヨセフはパロの前を去ってエジプト全土を巡り歩いた。
ヨセフが兄によって売られてから13年後のことです。そして、ヨセフの支配者としての生涯は三十歳で始まりましたが、イエス様も約30歳の時に公生涯を始められました。
41:47 さて、豊作の七年間に地は豊かに生産した。41:48 そこで、ヨセフはエジプトの地に産した七年間の食糧をことごとく集め、その食糧を町々にたくわえた。すなわち、町の周囲にある畑の食糧をおのおのその町の中にたくわえた。41:49 ヨセフは穀物を海の砂のように非常に多くたくわえ、量りきれなくなったので、ついに量ることをやめた。
農作の時に次の凶作に備えての準備を始めました。
41:50 ききんの年の来る前に、ヨセフにふたりの子どもが生まれた。これらはオンの祭司ポティ・フェラの娘アセナテが産んだのである。41:51 ヨセフは長子をマナセと名づけた。「神が私のすべての労苦と私の父の全家とを忘れさせた。」からである。41:52 また、二番目の子をエフライムと名づけた。「神が私の苦しみの地で私を実り多い者とされた。」からである。
イスラエル十二部族の二部族になります。マナセ族とエフライム族です。
そして、それぞれの意味はマナセが、「労苦と父の全家を忘れさせた」というものです。自分が今受けている報いによって、これまでの苦しみが過ぎ去ったということです。主は究極的に、終わりの日、新天新地において、このことを行なってくださいます。
そしてエフライムは、その苦しみの地で実りが多くなったということですが、苦しみがなくなったのではなく、その苦しみの中で実が結ばれたということです。私たちも境遇は良くならないかもしれませんが、そこで聖霊の実を豊かに結ばせることができるのです。
けれども、ヨセフの生涯はここで終わりではありません。むしろ、これからが本番です。私たちは、一定のことが達成されると、「これが神の与えられた目的だったのだ」と安心してしまいます。違います、主はもっと多くのことを考えておられます。
41:53 エジプトの地にあった豊作の七年が終わると、41:54 ヨセフの言ったとおり、七年のききんが来始めた。そのききんはすべての国に臨んだが、エジプト全土には食物があった。41:55 やがて、エジプト全土が飢えると、その民はパロに食物を求めて叫んだ。そこでパロは全エジプトに言った。「ヨセフのもとに行き、彼の言うとおりにせよ。」41:56 ききんが全世界に及んだ。ききんがエジプトの国でひどくなったとき、ヨセフはすべての穀物倉をあけて、エジプトに売った。41:57 また、ききんが全世界にひどくなったので、世界中が穀物を買うために、エジプトのヨセフのところに来た。
分かりますか、この飢饉は世界規模のものだったのです。すべての国々が関わるものであり、そこに神の御心がありました。話は42章に続くのです。主は、ヤコブの家族を動かすために、このような世界的飢饉が起こるように許されました。
私たちの神はこれだけ偉大です。すべてのパズルの破片が一片でも欠けたら、すべてが終わりです。けれどもすべてを集めて、ご自分の一つの目的のために動かしておられたのです。私たちはその神のドラマの中で一つの役目を担っているにしか過ぎません。だれも自分がやったと誇ることがないようにしてくださいます。