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イザヤ書38章を開いてください、今日は38章と39章を学びます。ここでのメッセージ題は、「主の試み」です。
1A 命が絶たれることについて 38
1B 祈りの応え 1−8
38:1 そのころ、ヒゼキヤは病気になって死にかかっていた。そこへ、アモツの子、預言者イザヤが来て、彼に言った。「主はこう仰せられます。『あなたの家を整理せよ。あなたは死ぬ。直らない。』」
ヒゼキヤが病気になっていたこの時期は、「そのころ」とあるようにエルサレムがアッシリヤの包囲を受けていた時であろうと思われます。ヒゼキヤはここで15年間、寿命を延ばされて、そして彼は紀元前686年に死んだことが分かっているので、紀元前701年に起こったことであろうと思われます。つまりアッシリヤがエルサレムを包囲し、神が救ってくださったその時期です。
この背景を考えるだけで、私たちはヒゼキヤの悩みの深刻さを知ることができます。エルサレムがアッシリヤに包囲されて苦しんでいた時、実は病気になって死にかけていたのでした。アッシリヤに取り囲まれるというだけでも大きな試練なのに、それに加えて自分が死ぬという告知を受けたのでした。私たちにもこのようなことが、つまり試練が同時に、二つ、三つ押し寄せるという経験です。
そして自分の身、自分の肉体に試練が降りかかることは、外側から来るものよりも辛いです。エルサレムがアッシリヤに倒されてしまうということは大変辛いことですが、あくまでも王ヒゼキヤにとって王の職務の中でつまり仕事の中で起こっていることです。けれども、自分の体が病気で弱って、それで死ぬと宣告されたらどうでしょうか?受ける衝撃はぜんぜん違います。
38:2 そこでヒゼキヤは顔を壁に向けて、主に祈って、38:3 言った。「ああ、主よ。どうか思い出してください。私が、まことを尽くし、全き心をもって、あなたの御前に歩み、あなたがよいと見られることを行なってきたことを。」こうして、ヒゼキヤは大声で泣いた。
ヒゼキヤは泣いて祈っています。覚えていますか、前回の学びで彼は衣を裂いて、また受け取った手紙を広げて、神の前で叫ぶ祈りをささげました。
そしてここでは、主の宮ではなく「顔を壁に向けて」います。いま病床にいますから、神殿に行くことはできません。けれども、顔を壁に向けるところに、彼の感情のすべてが主に向けられることが良く分かります。私たちも何か悲しい出来事が起こったときに、たった一人で泣きたいときに、顔を壁に向けて泣きますね。今、ヒゼキヤは同じように主に向かって泣いているのです。
そして祈りの内容が、自分が誠実を尽くしてこれまで生きてきた、ということです。この祈りは、決して威張っているのではありません。ヒゼキヤは本当に、主の前に正しく歩んできた人です。パウロも同じような表明をしています。コリントにある教会の人々にこう言いました。「こういうわけで、私たちは、あわれみを受けてこの務めに任じられているのですから、勇気を失うことなく、恥ずべき隠された事を捨て、悪巧みに歩まず、神のことばを曲げず、真理を明らかにし、神の御前で自分自身をすべての人の良心に推薦しています。(2コリント4:1-2)」良心をきよく保っていることが、自分の生涯における、神に対する責任になっているのです。そのほかのことは主が世話してくださいますが、私たちの責任は良心を清く保つことです。
38:4 そのとき、イザヤに次のような主のことばがあった。
「そのとき」というのは、本当にその瞬間であろうと思われます。列王記第二20章には、「イザヤがまだ中庭を出ないうちに(4節)」とあります。すぐに主がイザヤの祈りに応えておられます。
38:5 「行って、ヒゼキヤに告げよ。あなたの父ダビデの神、主は、こう仰せられます。『わたしはあなたの祈りを聞いた。あなたの涙も見た。見よ。わたしはあなたの寿命にもう十五年を加えよう。
すばらしい神の憐れみです。まず、「あなたの父ダビデの神」とあります。これには、ダビデに約束してくださった契約が、ヒゼキヤ本人にも有効であることを表すものです。そしてダビデが主の前に正しく歩んだように、ヒゼキヤも正しく歩んだことを認めることでもあります。特に「あなたの父」とおっしゃっていますね。これは、ダビデに倣っているという意味も含まれます。
そして、あなたの祈りを「聞いた」、そして涙も「見た」と、主はヒゼキヤのことを全部、見守っておられました。キリストにあって神の子供にさせていただいた私たちにも、主は同じように私たちの祈りを見て、そして聞いてくださっています。
そして祈りへの応えは、「寿命にもう十五年を加えよう。」と言うものです。ここが非常に考えさせられる祈りの応えなのです、実は。なぜなら、主はどうして「あなたは死ぬ。直らない。」と言われたのか、という疑問が出てくるからです。
もしかして、ヒゼキヤがこれ以上生きないほうが賢明だ、というお考えを主が持っておられたのではないか?という気がします。残りの寿命15年のうちに、ヒゼキヤが何を行なったかを考える必要があります。次の章に出てきますが、彼は高ぶって、バビロンの王に神殿の財宝をすべて見せました。彼は自分がこれまで誠実に歩んできたと祈ったのですが、その伸びた寿命の中で、主の憐れみに応答してますます誠実に生きたかというと、そうではなかったことが分かります。このことを主がすでにご存知で、ヒゼキヤが誠実に歩んでいるその時に、その命を取ろうとお考えになったのかもしれません。
そして最後の15年の間に、マナセが生まれました。ヒゼキヤが死んだときにマナセは12歳でしたから、病が治ってから3年後に生まれたようです。彼は、歴代の王のなかで最も悪いことを行ないました。そのために、後にエルサレムがバビロンによって滅ぼされて、南ユダも捕囚の民となる、その理由が、マナセが行なったことによる、という理由にさえなったほどです。
こう考えると、主の御心には二種類があって、主がもともと良しとお考えになっていることと、私たち人間が要求するので、許容することの二つがあるように思えます。例えば、イスラエルを呪うように雇われたバラムは、初めはモアブの王の願いを聞き入れませんでしたが、金銀を見て、どうしても行きたくなりました。神は、「行け」と言われましたが、彼が実際に行くと主の怒りは燃え上がり、抜き身の剣をもった主の使いが、道に立ちふさがったとあります(民数22:20‐22)。私たちが強く要求すると、主はそれを許されることがあります。けれども、それはもちろん元々の御心ではないのです。
38:6 わたしはアッシリヤの王の手から、あなたとこの町を救い出し、この町を守る。』
先ほど話したように、この出来事はまだアッシリヤから救い出されていないとき、その直前に起こったことではないかと考えられます。
38:7 これがあなたへの主からのしるしです。主は約束されたこのことを成就されます。38:8 見よ。わたしは、アハズの日時計におりた時計の影を、十度あとに戻す。」すると、日時計におりた日が十度戻った。
興味深い記事です。この日時計はヒゼキヤの父アハズが作ったものですが、イザヤは同じようにアハズに「しるしを求めなさい」と言いました。アハズは拒みました。主が彼に関わろうとされるのを、彼自身が拒んだのです。
けれども、ここではヒゼキヤが積極的にしるしを求めています。ここではそれがはっきり書かれていませんが、この章の最後、また列王記第二20章を読むと彼のほうから、自分が確実に癒されて、主の宮に上れるようになるしるしを求めています。
そして日時計の影が十度あとに戻るというのも、ヒゼキヤが積極的に求めたものです。列王記第二20章には、イザヤは十度進むか、十度戻るかという選択を与えましたが、ヒゼキヤは十度戻るほうが難しいから、という理由で戻るほうを求めています。自分の人生に主が関わるのを強く願ったヒゼキヤと、それを拒んだアハズの対比を見ることができます。
ところでこの日時計ですが、新改訳聖書の下の説明に、直訳が「度」または「階段」であるとあります。この日時計は階段になっていたようです。みなさんは、この出来事についてどう思われるでしょうか?かつて、ヨシュアが敵を追跡しているときも日がとどまりましたが、科学的な自然現象の説明をどのようにすればよいでしょうか?
私にはその説明が要りません。天と地をお造りになられた方ですから、日を十度戻すことも容易におできになるでしょう。神は、時間をも創造された方です。何も、地球の自転を止められるような物理的なことを行なわれなくても、タイムマシーンのように時間そのものを戻すことも容易におできになるでしょう。
2B 応えに対する賛美9−20
1C 命が断ち切られることの痛み 9−13
38:9 ユダの王ヒゼキヤが、病気になって、その病気から回復したときにしるしたもの。
次からヒゼキヤの死に瀕した時の泣き叫びについて読むことができます。
38:10 私は言った。私は生涯の半ばで、よみの門にはいる。私は、私の残りの年を失ってしまった。
このときヒゼキヤはおそらく39歳でした。まさに「生涯の半ば」です。英語ではprime of my lifeつまり「人生一番脂ののった時」となっています。
そして「よみの門にいる」というのは、死者が行くところに近づいているということです。ヘブル語の「シェオル」ですが、新約聖書では「ハデス」に該当します。新改訳のあとがきの説明に、「死者が終末のさばきを待つ間の中間状態で置かれる所」とあります。イエス様が、金持ちとラザロの話をされたときのことを思い出してください。ラザロも金持ちもどちらもハデスにいました。主が十字架につけられ、よみがえられる時まで、死者は信者も不信者も陰府に下ったのです。
38:11 私は言った。私は主を見ない。生ける者の地で主を見ない。死人の国の住人とともに、再び人を見ることがない。
ここに、はっきりと旧約時代における死と、新約時代における死の見方の違いが出ています。覚えていますか、パウロはこのヒゼキヤの言葉と反対のことを言っています。「私の願いは、世を去ってキリストとともにいることです。(ピリピ1:23)」世を去ることが、キリストとともにいることになるとパウロは言っているのにヒゼキヤは主を見ない、と言っているからです。
つまり死後のいのち、復活の命についての信仰が希薄と言うことができましょう。これはヒゼキヤに限らず、旧約時代の聖徒たちに共通に言えることです。復活についての啓示がないことはないのですが、はっきりしていません。ダビデは詩篇の中で、ここのヒゼキヤの言葉と似たように、「死にあっては、あなたを覚えることはありません。よみにあっては、だれが、あなたをほめたたえるでしょう。(6:5)」、という言葉を残しています。ヨブは、この地上での命だけを考えていたから、あれだけ苦悩しました。
けれどもヨブ自身、突然、「私は知っている。私を贖う方は生きておられ、後の日に、ちりの上に立たれることを。私の皮が、このようにはぎとられて後、私は、私の肉から神を見る。(19:25‐26)」と言って、復活の希望を大胆に宣言しました。またダニエルも12章2節で、「地のちりの中に眠っている者のうち、多くの者が目をさます。ある者は永遠のいのちに、ある者はそしりと永遠の忌みに。」と言いました。だから、復活の希望がなかったというわけではありません。でも、ぼんやりとしか見ていません。
新約時代においては、これがあまりにもはっきりしています。幻としては黙示録に、詳細に、明確に死後の世界、天の御国が描かれています。
この違いはなぜでしょうか?それは、贖いの完成を待っているか、もう既に完成したかの違いです。旧約時代においての贖いの定義は「罪を覆う」です。ちょうどアダムとエバが、皮の衣を着ていたように、罪や恥は覆われていますが、内側から取り除かれているわけではありません。「雄牛ややぎの血は、罪を取り除くことができません。」とヘブル10章4節にあるとおりです。
けれどもキリストの血は、この贖いを完成させました。そのため罪が取り除かれ、私たちは完全な者とされたのです。天は主の御座があるところです。そこには完全な者しか入ることができません。イエス様がユダヤ人のニコデモに、「新しく生まれなければ、神の国を見ることができません。(ヨハネ3:3)」と言われたとおりです。
主が十字架の業を成し遂げられ、陰府に下られました。そして陰府にいる旧約の聖徒たちは、キリストとともに引き上げられました。エペソ書4章8,9節に、「『高い所に上られたとき、彼は多くの捕虜を引き連れ、人々に賜物を分け与えられた。』・・この『上られた。』ということばは、彼がまず地の低い所に下られた、ということでなくて何でしょう。」とあるとおりです。この時から、天には開かれた門があるのです。
したがってヒゼキヤのように、死に際して旧約の人たちには限界があったのです。今、私たちがキリストにあって享受しているような永遠のいのちの希望を抱くように、はっきりと、豊かにその希望を抱くことができなかったのです。
38:12 私の住みかは牧者の天幕のように引き抜かれ、私から取り去られた。私は、私のいのちを機織りのように巻いた。主は私を、機から断ち切る。あなたは昼も夜も、私を全く捨てておかれます。
自分の肉体を「住みか」として表現しています。また「天幕」として表現しています。これは正しい見方です。主ご自身も、また使徒パウロも同じように話しました。主は弟子たちに、「わたしの父の家には、住まいがたくさんあります。もしなかったら、あなたがたに言っておいたでしょう。あなたがたのために、わたしは場所を備えに行くのです。(ヨハネ14:2)」と言われました。復活の体を、住まいと形容されているのです。そしてパウロは、「私たちの住まいである地上の幕屋がこわれても、神の下さる建物があることを、私たちは知っています。それは、人の手によらない、天にある永遠の家です。(2コリント5:1)」と言いました。地上の肉体は地上の幕屋、つまりテントとして、そして復活の体を神の建物と表現しています。
私たちが、自分の本質を何であると考えているかが重要です。この体が本質なのでしょうか?いいえ、私たちの本質は霊です。そして霊が住んでいるところが、この肉体であり、肉体は住処でしかありません。この若い(?)私も、小さなとき、また大人になってから受けた傷跡がずっと残っています。手術の跡も残っています。衰えていくことはあっても、新しくなることはありません。
今日、外見を気にする傾向がありますが、何も女性の化粧だけではなく健康ブームにもそれが現れています。健康管理は大事なことですが、アダムが罪を犯した後は、しだいに衰えるように神が初めからそうされているのです。
38:13 私は朝まで叫びました。主は、雄獅子のように私のすべての骨を砕かれます。あなたは昼も夜も、私を全く捨てておかれます。
これは自分の肉体の痛み、また死ぬという宣告を受けたその衝撃を言い表している部分です。ヨブ記でも、詩篇でも、このような表現がたくさん出てきます。主に自分の感情を知っていただくことの必要性を、前回の学びでも話しましたが、主との交わりの中で、自分の心の中のことについて透明にならなければいけません。
2C 命が断ち切られることの覚悟 14−16
38:14 つばめや、つるのように、私は泣き、鳩のように、うめきました。私の目は、上を仰いで衰えました。主よ。私はしいたげられています。私の保証人となってください。
「うめきました」とありますが、新約聖書にも同じ言葉がありますね。肉体の贖いを待って、御霊の初穂である私たちも、被造物とともにうめいているということがロマ8章にあります。またその後に、「御霊も同じようにして、弱い私たちを助けてくださいます。私たちは、どのように祈ったらよいかわからないのですが、御霊ご自身が、言いようもない深いうめきによって、私たちのためにとりなしてくださいます。(26節)」とあります。御霊ご自身も私たちのために、うめいておられます。
そして、「私の保証人となってください」とヒゼキヤは言っています。ヨブも同じようなことを言いました。「私たちふたりの上に手を置く仲裁者が私たちの間にはいない。(9:33)」死に瀕して、自分は天から引き離されているという事実を実感しています。そして、自分が贖われるためには、その天と地の間にいる仲裁者、保証人が必要だ、ということです。もちろん、この方はイエス・キリストです(1テモテ2:5)。
38:15 何を私は語れましょう。主が私に語り、主みずから行なわれたのに。私は私のすべての年月、私のたましいの苦しみのために、静かに歩みます。38:16 主よ。これらによって、人は生きるのです。私の息のいのちも、すべてこれらに従っています。どうか、私を健やかにし、私を生かしてください。
祈りのすばらしいところは、主の御心に近づいていくということです。主が語られたことなのだから、私は何もいうことができない。主が語られれば、私はもっと生きることができる・・・このように、主に自分の身をゆだねています。
そして主が命を延ばしてくださったら、その残された日々を静かに歩みます、落ち着いた生活をします、と表明しています。
3C 命が延ばされたことへの感謝 17−20
そして実際に延ばされた後、賛美をしています。
38:17 ああ、私の苦しんだ苦しみは平安のためでした。あなたは、滅びの穴から、私のたましいを引き戻されました。あなたは私のすべての罪を、あなたのうしろに投げやられました。
「苦しみが平安のためだった」というのは、詩篇119篇にも、「苦しみに会ったことは、私にとってしあわせでした。私はそれであなたのおきてを学びました。(71節)」とあるのと似ています。苦しみを経たからこそ、真の平安を楽しむことができます。
そして「死」が「滅びの穴」そして「罪」と関連して話していますね。これはもちろん、ヒゼキヤが「罪からくる報酬は死」という、死の現実を知っていたからです。死ぬということは、自分の罪のゆえに体験するものであることを、彼は知っていたからです。
38:18 よみはあなたをほめたたえず、死はあなたを賛美せず、穴に下る者たちは、あなたのまことを待ち望みません。38:19 生きている者、ただ生きている者だけが今日の私のように、あなたをほめたたえるのです。父は子らにあなたのまことについて知らせます。
先ほど話したように、死後、天において主をほめたたえるという啓示を受けていないので、このように話しています。
そして興味深いのは、「父は子らにあなたのまことについて知らせます」とありますが、その子とはマナセになります。果たしてマナセに、主を賛美することを教えていたのかどうか?わかりませんが、マナセはそのことを学び取ることはありませんでした。
38:20 主は、私を救ってくださる。私たちの生きている日々の間、主の宮で琴をかなでよう。
ヒゼキヤの、主の宮に対する思い入れはとても強いです。彼は王位に就いて初めに行なったのは、宮の修繕でした(2歴代29:3)。ダビデと同じように、主の宮に行くことが彼の思いの中心だったのです。
3B 癒しの方法 21−22
38:21 イザヤは言った。「ひとかたまりの干しいちじくを持って来させ、腫物の上に塗りつけなさい。そうすれば直ります。」
主がお直しになるなら、何もしなくても直ります。けれども、聖書の中には、「何々をしなさい、そうすれば直ります。」という指示があります。例えば、マラの水が苦かったとき、木を入れなさいと主はモーセに命じられました(出エジプト15:25)。また主は、ご自分のつばきで泥を作って、それを盲目の人の目に塗ったりされました。
癒しには、このような具体的な行為をともなって、人々の信仰を引き出すことによって癒しの業を神が行なわれる、という形式を見つけることができます。それがどのような方法なのかは実に多様なのですが、何らかの行為をとおして行なわれます。これは、病を患っている人に、信仰を引き出すためのものであることは確かです。長血を患う女が、「着物のふさに触れることさえできれば、直る。」と信じ、主が「あなたの信仰があなたを救った」と言われたようにです。
そう考えると、私たちが医学についての考えも変えなければいけません。医学が人々を癒すのではありません。私たちはお医者さんのところに行きますが、ここの干しいちじくのように、そこの処方箋そのものではなく、処方箋を通して主が癒しを行われる。あくまでも癒すのは主ご自身なのだ、ということを知る必要があります。
38:22 ヒゼキヤは言った。「私が主の宮に上れるそのしるしは何ですか。」
これが先ほど呼んだ、日時計の影が十度戻る、というものです。彼が主の宮に戻れるようになることを切に願っていることがよく分かります。
2A 自分の蓄えについて 39
このように彼に試練が与えられましたが、彼にとってのもっと大きな試練は、実は苦しみではなく、苦しみから解放された後でした。
1B 暮らし向きの自慢 1−2
39:1 そのころ、バルアダンの子、バビロンの王メロダク・バルアダンは、使者を遣わし、手紙と贈り者をヒゼキヤに届けた。彼が病気だったが、元気になった、ということを聞いたからである。
当時のバビロンの王は、メロダク・バルアダンでした。あの有名なネブカデネザルが出てくる、100年近く前のことです。当時のバビロンは、超大国とは言えませんが、力をつけている国でした。アッシリヤに反逆して、何度か戦争しています。ですから、今ここでメドダク・バルアダンが手紙と贈り物を届けているのは、単に友好関係を築くためだけではなく、依然として脅威であったアッシリヤに対抗するために、同盟関係を築く一環でもありました。
39:2 ヒゼキヤはそれらを喜び、宝庫、銀、金、香料、高価な油、いっさいの武器庫、彼の宝物倉にあるすべての物を彼らに見せた。ヒゼキヤがその家の中、および国中で、彼らに見せなかった物は一つもなかった。
これは何の言い訳もできません。ヒゼキヤの単なる「暮らし向きの自慢」です。ヨハネ第一の手紙2章16節、「すべての世にあるもの、すなわち、肉の欲、目の欲、暮らし向きの自慢などは、御父から出たものではなく、この世から出たものだからです。」とありますが、自分がいかにすぐれているか、力ある存在かを見せびらかしたに過ぎません。
2B 自己中心 3−8
39:3 そこで預言者イザヤが、ヒゼキヤ王のところに来て、彼に尋ねた。「あの人々は何を言いましたか。どこから来たのですか。」ヒゼキヤは答えた。「遠い国、バビロンから、私のところに来たのです。」39:4 イザヤはまた言った。「彼らは、あなたの家で何を見たのですか。」ヒゼキヤは答えた。「私の家の中のすべての物を見ました。私の宝物倉の中で彼らに見せなかった物は一つもありません。」39:5 すると、イザヤはヒゼキヤに言った。「万軍の主のことばを聞きなさい。39:6 見よ。あなたの家にある物、あなたの先祖たちが今日まで、たくわえてきた物がすべて、バビロンへ運び去られる日が来ている。何一つ残されまい、と主は仰せられます。
これはもちろん、紀元前586年、ネブカデネザルがエルサレムを陥落させ、捕囚の民を連れて行った時の預言です。
39:7 また、あなたの生む、あなた自身の息子たちのうち、捕えられてバビロンの王の宮殿で宦官となる者があろう。」
バビロンの捕囚は何段階かに分けて行なわれましたが、第一回目の捕囚、紀元前605年に行なわれたものの中に、あの有名なダニエルがいました。彼は王族の一人です。
39:8 ヒゼキヤはイザヤに言った。「あなたが告げてくれた主のことばはありがたい。」彼は、自分が生きている間は、平和で安全だろう、と思ったからである。
「主のことばはありがたい」と言っていますが、その理由がとんでもないものです。「自分が生きている間は、平和で安全だろう」というものです。これは、本当にがっくりさせられる言葉です。自分のことしか考えていません。ユダの国の、自分の子孫たちが悲惨な目に遭うことが分かったとき、自分はそんな目に遭わずに済むと思って安心しているのです。
なぜヒゼキヤがこんな風に変わってしまったのでしょうか?彼は死ぬとの宣告を受けたときに、これから主を賛美して、主にささげて仕えていきます、といった彼の姿はどうなったのでしょうか?
歴代誌第二32章に、この出来事の注解が記録されています。20節から読んでみましょう。
そこで、ヒゼキヤ王とアモツの子預言者イザヤは、このことのゆえに、祈りをささげ、天に叫び求めた。
アッシリヤに包囲されたときの話です。
すると、主はひとりの御使いを遣わし、アッシリヤの王の陣営にいたすべての勇士、隊長、首長を全滅させた。そこで、彼は恥じて国へ帰り、彼の神の宮にはいったが、自分の身から出た子どもたちが、その所で、彼を剣にかけて倒した。
こうして、主は、アッシリヤの王セナケリブの手、および、すべての者の手から、ヒゼキヤとエルサレムの住民とを救い、四方から彼らを守り導かれた。多くの人々が主への贈り物を携え、ユダの王ヒゼキヤに贈るえりすぐりの品々を持って、エルサレムに来るようになり、この時以来、彼はすべての国々から尊敬の目で見られるようになった。
アッシリヤからの救いがあった後のユダを書き記しています。多くの贈り物を受け取り、また尊敬の目で見られるようになりました。イザヤ書にあるエチオピヤに対する宣告にも、彼らが贈り物を贈ることが預言されていました。
そのころ、ヒゼキヤは病気になって死にかかったが、彼が主に祈ったとき、主は彼に答え、しるしを与えられた。ところが、ヒゼキヤは、自分に与えられた恵みにしたがって報いようとせず、かえってその心を高ぶらせた。そこで、彼の上に、また、ユダとエルサレムの上に御怒りが下った。
ここです、彼は病から回復した後で、高慢になってしまいました。多くの国々から贈り物を受け取って、尊敬の目で見られるようになって、それで自分の体も回復したのですから、本当にすべてが良かったですね。このことで主にかえって恐れおののいて、へりくだって主に仕えればよかったのですが、自分はこれだけのことができるのだ、と高慢になったのです。
しかしヒゼキヤが、その心の高ぶりを捨ててへりくだり、彼およびエルサレムの住民もそうしたので、主の怒りは、ヒゼキヤの時代には彼らの上に臨まなかった。
これが先ほど読んだ、バビロンの捕囚のことです。ヒゼキヤの時代には臨みませんでした。
さて、ヒゼキヤは、富と誉れに非常に恵まれた。彼は銀、金、宝石、バルサム油、盾、すべての尊い器を納める宝物倉、穀物、新しいぶどう酒、油の収穫のための倉庫、および、すべての家畜のそれぞれの小屋、群れの小屋を造った。彼は町々を建て、羊や牛の家畜もおびただしいものであった。神が、非常に多くの財産を彼に与えられたからである。このヒゼキヤこそ、ギホンの上流の水の源をふさいで、これをダビデの町の西側に向けて、まっすぐに流した人である。こうして、ヒゼキヤはそのすべての仕事をみごとに成し遂げた。
このようなすばらしい業績をヒゼキヤは残しました。けれども・・・
バビロンのつかさたちが彼のもとに代言者を遣わし、この地に示されたしるしについて説明を求めたとき、神は彼を試みて、その心にあることをことごとく知るために彼を捨て置かれた。(32:20-31)
神が彼を試みられた、とあります。ヒゼキヤは、自分の寿命を延ばしてくださいとお願いしました。そして、私はまったき心で、誠実に歩んできました、と訴えました。主は、「そうかい、だったら同じ態度で残された日々も歩む、ということだね。」という憐れみの思いで、彼にもう15年を与えてくださいました。はたしてそのように歩むのか、それを試すための期間だったのです。けれども、ヒゼキヤはその試験に不合格だったのです。
ある韓国の牧師さんから、興味深いことわざを聞きました。男の人が受ける誘惑ということで、こんなことを話しておられました。「20,30代には、情欲で失敗する。40,50代は経済的な不安があるので、その不安によって間違ったことをする。その後は、名誉が問題だ。」ということで、年を取った人がさまよう過ちは、自分の名誉にすがるという問題だということです。
これは聖書的にも実にそのとおりで、歴代の王、また聖書に出てくる人物の中で、最後まで主の前にへりくだり、従い続けることができなかった人が多く出てきます。例えばソロモン、あれだけすばらしい知恵を神から与えられていたのに、あれだけ主を愛していたのに、多くの妻やそばめを得て、彼女たちの神々をイスラエルの地に許し、自分自身までが偶像礼拝を行なうようになりました。自分にはむかう部下を殺そうとしたり、また重税も課していました。
ウジヤ王もそうですね、主の前に正しく歩むすばらしい、有能な王でしたが、祭司しかやってはいけない神殿の奉仕を自分も行なおうとして、祭司がそのことを注意したとき、非常に怒りました。けれどもその後、らい病を患ってしまいました。
アサ王もそうでした。主に信頼したすばらしい王であったのに、最後は悲惨です。軍事的支援をシリヤに求め、そのことを指摘した預言者を怒りました。病気にかかっても、主を求めず、逆に医者を求めた、とあります。
イスラエル民族の父祖の一人であるイサクも、最後、自分の死期が近づいたことを知ったとき、エサウが狩をして取ってきて、こしらえた肉料理が好きで、神の祝福の約束をヤコブではなくてエサウに与えようとしました。
これらの王や父祖の姿を私たち、いやこの私は責めることができません。自分もその立場にいたら、すぐに高慢になるのではないかと思ったからです。ちょっとでも祝福されると、あたかも自分が成し遂げたかのように錯覚する誘惑はいつでも受けます。初めは良かったけれども、最後まで走ることは難しいです。さまざまな試みに遭います。それに耐えることが必要です。
そしてここの箇所でもう一つ気づくことは、40歳になるかならないかの男が急に死の宣告を受けたら確かに衝撃は大きいですが、やはり死の準備というか、復活の希望がなかったのは、彼のその後の生活に大きな影響を与えたのではないかと思います。私たちは幸せです、死後の命についての啓示を、はっきりと受けているからです。だから、自分のこの命が失われても、永遠の命があるという希望を持ちやすいからです。
この希望がないと、この地上の命に固執してしまうことになります。そして、この地上にある数々の誘惑にさらされることになります。復活の希望があってからこそ、永遠に価値あるものに目を留めて、永遠の報いがあるものに投資しようという気持ちになるのです。
さらにヒゼキヤは、自分のこれまでの生き様を、主に訴えていました。これも、贖いが完成していなかった時代に生きていた人たちが抱えていた課題だと思いますが、主が生かしてくださるのも、命を取られるのも、一方的な主の憐れみによるものであり、主の契約によるものです。自分がこれまでやってきたことを土台にすれば、試みが来たときに、倒れてしまいます。
私たちは、本当に恵まれた時代にいます。先人たちに示されていなかった復活の希望、また恵みの御霊を受けているのですから、これらの試みにも耐えることができる力が与えられています。
次回からイザヤ書の後半部分に入ります。興味深いのは、40章以降の時代背景がバビロン捕囚に変わることです。これまでの預言は、エルサレムがアッシリヤに包囲される出来事が背景にありましたが、これからはバビロン捕囚の出来事が念頭に置かれた預言が続きます。ですから、今学んだところは後半部分も前置きと言ってもよいでしょう。
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