アウトライン
1A ゼデキヤ王の最後 1−11
2A エルサレムの最後 12−16
3A 神殿の最後 17−27
4A 捕囚の民の最後 28−34
本文
今日はエレミヤ書52章を学びます。エレミヤ書も残り一章となりました、ここでのメッセージ題は「成就する神の怒り」です。
前回の学びで少し話しましたが、51章の最後のところに「ここまでが、エレミヤのことばである」とありました。つまりエレミヤの預言は51章までで終わりであり、52章は他の人によって書かれました。ここの箇所は、本でいうと「あとがき」に当たります。ゼデキヤ王の治世から始まって、エルサレムの破壊、バビロンへの捕囚の出来事が記されています。内容は、列王記第二の最後25章の記述ととても似ています。
エレミヤ書の中でこの章が果たす役割は、エレミヤが実際の出来事が起こる前に預言したことがこの預言書に記録されていることに対して、この最後の章は実際に起こった後に記録していることです。エレミヤがいなくなってからかなりの年月が経って、すべての出来事が実際に起こってから書き記したのです。バビロン捕囚から帰還した民の一人、祭司であり書記であるエズラが記したのではないかと言われています。
ですから、私たちはこれまで読んだ預言が、実際にその通りになっていることを確認します。歴史的事実の中に、預言の成就を見ることになります。
1A ゼデキヤ王の最後 1−11
52:1 ゼデキヤは二十一歳で王となり、エルサレムで十一年間、王であった。彼の母の名はハムタルといい、リブナの出のエレミヤの娘であった。
ここのエレミヤは預言者エレミヤのことではありません、別人です。
52:2 彼は、すべてエホヤキムがしたように、主の目の前に悪を行なった。
ユダの王、ヨシヤの後に出てきた王を思い出してください。ヨシヤの死後、彼の子エホアハズが王となりましたが、エジプトのパロが気に食わず、同じくヨシヤの子エホヤキムに挿げ替えました。そしてエホヤキムの治世がしばらく続き、その後でエホヤキムの子エホヤキンが王となりましたが、すぐにバビロンに捕らえ移されて、それでバビロンはヨシヤの子ゼデキヤを王としました。
52:3 エルサレムとユダにこのようなことが起こったのは、主の怒りによるもので、ついに主は彼らを御前から投げ捨てられたのである。そののち、ゼデキヤはバビロンの王に反逆した。
これが、エレミヤの預言の主題でありました。「主が語りかけたのに、あなたがたは聞かなかった」ということです。25章3節でエレミヤは、こう言っています。「アモンの子、ユダの王ヨシヤの第十三年から今日まで、この二十三年間、私に主のことばがあり、私はあなたがたに絶えず、しきりに語りかけたのに、あなたがたは聞かなかった。」絶えず、しきりに語りかけたのに、聞かなかったのです。そして、主が行なわれると言われたことが、実際に彼らの身に降りかかりました。
私たちは神の怒りというのは、何らかの形で免れることができると考えてしまいます。すり抜けることができると思うのです。けれどもその考えに対して、使徒パウロは「思い違いをしてはならない」と断った上で、こう答えています。「思い違いをしてはいけません。神は侮られるような方ではありません。人は種を蒔けば、その刈り取りもすることになります。自分の肉のために蒔く者は、肉から滅びを刈り取り、御霊のために蒔く者は、御霊から永遠のいのちを刈り取るのです。(ガラテヤ6:7-8)」
また、神の国に入ることができないことについても、「だまされてはいけません」と断ってこう言っています。「あなたがたは、正しくない者は神の国を相続できないことを、知らないのですか。だまされてはいけません。不品行な者、偶像を礼拝する者、姦淫をする者、男娼となる者、男色をする者、盗む者、貪欲な者、酒に酔う者、そしる者、略奪する者はみな、神の国を相続することができません。(1コリント6:9-10)」
ゼデキヤの場合は、具体的にはバビロンに服しなさいという命令を受けていたにも関わらず、彼は反逆したのです。それで次のことが起こります。
52:4 ゼデキヤの治世の第九年、第十の月の十日に、バビロンの王ネブカデレザルは、その全軍勢を率いてエルサレムを攻めに来て、これに対して陣を敷き、周囲に塁を築いた。
紀元前588年1月15日にこれが起こりました。ここに「塁を築いた」とありますが、エルサレムの町は城壁で取り囲まれています。それよりも高い塁を築くわけです。そこから矢を放てば、城内にいる人々を射ることができます。
52:5 こうして町はゼデキヤ王の第十一年まで包囲されていたが、52:6 第四の月の九日、町の中では、ききんがひどくなり、民衆に食物がなくなった。
エレミヤが預言した通りです。彼がゼデキヤに、「どうして、あなたとあなたの民は、バビロンの王に仕えない国について主が語られたように、剣とききんと疫病で死んでよかろうか。(27:13)」と言っていました。次回、哀歌を学びますが、エルサレムの城内の惨状はあまりにもむごいです。母親が子どもを煮て食べる話が出てきます。人々が食べるものを失うと、本当に変わってしまいます。
52:7 そのとき、町が破られ、戦士たちはみな逃げて、夜のうちに、王の園のほとりにある二重の城壁の間の門の道から町を出た。カルデヤ人が町を包囲していたので、彼らはアラバへの道を行った。
紀元前586年7月18日の出来事です。アラバへの道ですから、おそらくアモンへの助けを得るために行ったのもかもしれません。当時、ユダと周辺諸国はバビロンに対抗するために同盟を結んでいました。
52:8 カルデヤの軍勢が王のあとを追い、エリコの草原でゼデキヤに追いついたとき、王の軍隊はみな王から離れて散ってしまった。
自分の命のほうが大事ですから、離れます。
52:9 そこでカルデヤ人は王を捕え、ハマテの地のリブラにいるバビロンの王のところへ彼を連れ上った。バビロンの王は彼に宣告を下した。
ゼデキヤが反逆したことに対する宣告です。
52:10 バビロンの王は、ゼデキヤの子らを彼の目の前で虐殺し、ユダのすべての首長たちをリブラで虐殺した。52:11 またゼデキヤの両眼をえぐり出し、彼を青銅の足かせにつないだ。バビロンの王は、彼をバビロンへ連れて行き、彼を死ぬ日まで獄屋に入れておいた。
自分が目で見ることのできる最後の記憶が、息子が虐殺される場面であるというあまりにも悲惨な人生をゼデキヤは送ることになりました。
同時代に預言を行なっていたエゼキエルは、ゼデキヤについてこう預言していました。「わたしは彼をカルデヤ人の地のバビロンへ連れて行く。しかし、彼はその地を見ないで、そこで死のう。(エゼキエル12:13)」連れて行かれているのに、見ないというのはいったいどういうことか?矛盾している、おかしい話ではないかという反応をゼデキヤがしたと、ヨセフスは記しているそうです。けれども、連れて行かれる前に目をえぐり出されることによってそれが成就したのです。
私たちは将来の事柄についての神の預言を見るときに、「これはおかしい。矛盾している。」と感じるようなものがあります。けれども問題なのは、私たちの知性に限界があり、また理解が狭いので、矛盾しているように見えるのです。預言されたことは、そのとおり起こるのだという信仰が必要です。
2A エルサレムの最後 12−16
これでゼデキヤの最後を見ましたが、次はエルサレムの町の最後です。
52:12 第五の月の十日・・それは、バビロンの王ネブカデレザル王の第十九年であった。・・バビロンの王に仕えていた侍従長ネブザルアダンがエルサレムに来て、52:13 主の宮と王宮とエルサレムのすべての家を焼き、そのおもだった建物をことごとく火で焼いた。
紀元前586年8月17日の出来事です。これが後のユダヤ人にとってとても大事な日になります。ユダヤの暦ではアーブの9日に当たりますが、紀元70年に起きたローマによるエルサレムの神殿破壊もアーブの9日に起こったからです。「ティシュア・ベ・アーブ」と呼ばれます。
このこともエレミヤが前もって預言していました。「あなたがバビロンの王の首長たちに降伏しないなら、この町はカルデヤ人の手に渡され、彼らはこれを火で焼き、あなたも彼らの手からのがれることができない。(38:18)」今、エルサレムの町が存在していた「ダビデの町」のところに行きますと、一つの地層のようになっているところを見ることができるそうです。十数センチの灰ですが、それが紀元前586年のものだそうです。バビロンによって火で打ち焼かれた家々の跡です。
それだけはなく、その灰の中から、アシュタロテなど数多くの偶像が発見されたそうです。エレミヤがこれらの愛と性の偶像のゆえに怒りが下ることも預言していました(「天の女王」エレミヤ7:17,20参照)。ですから、ここ52章の記録だけでなく、現代でもその預言の成就を確認することができるのです。
私たちはこのことに恐れをなす必要があります。神の怒りを甘く見てはいけない、ということです。必ず起こる、ということです。
52:14 侍従長といっしょにいたカルデヤの全軍勢は、エルサレムの回りの城壁を全部取りこわした。
この遺跡も見つかっています。今私たちが見るエルサレム旧市街の城壁はオスマントルコが建てたものですが、その下にヘロデが建てた第二神殿と、さらにその下にソロモンが建てた第一神殿の城壁が残っています。
52:15 侍従長ネブザルアダンは、民の貧民の一部と、町に残されていた残りの民と、バビロンの王に降伏した者たちと、残りの群衆を捕え移した。
反抗した者たちは殺されましたが、エレミヤの預言どおり、投降した者たち、特に反抗しなかった者たちはバビロンへ捕え移されました。
52:16 しかし、侍従長ネブザルアダンは、国の貧民の一部を残し、ぶどう作りと農夫とにした。
破壊したエルサレムの町を処理するカルデヤ人への食料のための農夫であったと言えるでしょう。
3A 神殿の最後 17−27
52:17 カルデヤ人は、主の宮の青銅の柱と、主の宮にある青銅の車輪つきの台と、海とを砕いて、その青銅をみなバビロンへ運んだ。
ゼデキヤの最後、エルサレムの町の最後を見ましたが、今度は神殿の最後です。これまで貢物として神殿の中にある金の宝物を、例えばアッシリヤに贈ったりしました。また、バビロンはすでに二回の捕囚を行なっているので、その時も取っていきました。それで金のものはほとんどなくなってしまいましたが、神殿の構造物である青銅のものや、重量が極めて重い青銅の祭具はそのままでした。
これらさえ取られることになると、エレミヤが預言したことを思い出してください。27章19節からです。「まことに万軍の主は、宮の柱や、海や、車輪つきの台や、そのほかのこの町に残されている器について、こう仰せられる。・・これらの物は、バビロンの王ネブカデネザルがエホヤキムの子、ユダの王エコヌヤ、およびユダとエルサレムのすべてのおもだった人々をエルサレムからバビロンへ引いて行ったときに、携えて行かなかったものである。・・まことに、イスラエルの神、万軍の主は、主の宮とユダの王の家とエルサレムとに残された器について、こう仰せられる。『それらはバビロンに運ばれて、わたしがそれを顧みる日まで、そこにある。・・主の御告げ。・・そうして、わたしは、それらを携え上り、この所に帰らせる。』」(19-22節)」
それで覚えていますか、このエレミヤの言葉を打ち消すために、このことは起こらないと預言したハナヌヤという人が言いました。「イスラエルの神、万軍の主は、こう仰せられる。わたしは、バビロンの王のくびきを打ち砕く。二年のうちに、わたしは、バビロンの王ネブカデネザルがこの所から取って、バビロンに運んだ主の宮のすべての器をこの所に帰らせる。(28:2-3)」どうでしょうか?二年後に、器はバビロンから戻ってきませんでした。これは偽預言であり、さらにハナヌヤはこれを預言した同じ年に死んでいます。
まさか、これらの大きな構造物まで持っていくなんて信じられない、と誰もが思ったでしょう。けれども起こったのです。歴史がそれを証明しています。それで、大ぜいの人が「そんなことは起こらない」と否定したのです。その中で「起こる」と預言するのは、相当の勇気が要ります。
私たちも同じ勇気が必要です。御言葉を伝えるということは、一見、そうなっていないような時にも伝えるのです。何か世界で大きな事件が起こると、「もしかして世の終わりかもしれない」と思って、それ関係の本が売れるのですが、そのように見えない時にもなお、主の御言葉を語り続けるのは難しいことです。けれども、御言葉はむなしく帰ってくることは決してありません。パウロがテモテに言いました。「みことばを宣べ伝えなさい。時が良くても悪くてもしっかりやりなさい。(2テモテ4:2)」
52:18 また、灰つぼ、十能、心切りばさみ、鉢、平皿、奉仕に用いるすべての青銅の器具を奪った。52:19 また、侍従長は小鉢、火皿、鉢、灰つぼ、燭台、平皿、水差しなど、純金、純銀のものを奪った。52:20 ソロモン王が主の宮のために作った二本の柱、一つの海、車輪つきの台の下にある十二の青銅の牛、これらすべての器具の青銅の重さは、量りきれなかった。
覚えていますか、これは列王記第一の6章に書かれています。ソロモンが建てた神殿です。モーセに主が命じられた幕屋よりも寸法は二倍であり、ここに記されているように他にさまざまな装飾がありました。
52:21 その柱は、一本の柱の高さが十八キュビトで、その回りを測るには十二キュビトのひもがいり、その厚さは指四本分で、中は空洞になっていた。52:22 その上に青銅の柱頭があり、一つの柱頭の高さは五キュビトであり、柱頭の回りに、網細工とざくろがあって、それもみな青銅で、他の柱もざくろもこれと同様であった。52:23 回りには九十六のざくろがあり、回りの網細工の上には全部で百のざくろがあった。
本当にすばらしい装飾建築でした。これがまさか取られていくなどと、当時の人たちは考えられなかったのです。エレミヤはこの神殿の建造物そのものに対する信仰の誤りを正しました。7章に書いていますが、「あなたがたは、『これは主の宮、主の宮、主の宮だ。』と言っている偽りのことばを信頼してはならない。(7:4)」そしてこう預言しています。「今、あなたがたは、これらの事をみな行なっている。・・主の御告げ。・・わたしがあなたがたに絶えず、しきりに語りかけたのに、あなたがたは聞こうともせず、わたしが呼んだのに、答えもしなかった。それで、あなたがたの頼みとするこの家、わたしの名がつけられているこの家、また、わたしが、あなたがたと、あなたがたの先祖に与えたこの場所に、わたしはシロにしたのと同様なことを行なおう。(13-14節)」
同じことが、イエス様が地上におられた時にも起こりましたね。オリーブ山に主がおられた時に、弟子たちがヘロデの建てた神殿を見て、「これはまあ、何とみごとな石でしょう。何とすばらしい建物でしょう。」と言ったら、主は、「石がくずされずに、積まれたまま残ることは決してありません。(マルコ13:1,2)」と言われました。
52:24 侍従長はさらに、祭司のかしらセラヤと次席祭司ゼパニヤと三人の入口を守る者を捕え、52:25 戦士の指揮官であったひとりの宦官と、町にいた王の七人の側近と、一般の人々を徴兵する将軍の書記と、町の中にいた一般の人々六十人を、町から捕え去った。52:26 侍従長ネブザルアダンは彼らを捕え、リブラにいるバビロンの王のもとへ連れて行った。52:27 バビロンの王は彼らを打ち、ハマテの地のリブラで殺した。こうして、ユダはその国から捕え移された。
ゼデキヤだけではなく、祭司たちも殺されました。彼らが自分勝手に治め、偽りを行なっているため、滅ぼされることをエレミヤは預言していました(13:13‐14等)。祭司だからといって、いや祭司だからこそ、神の怒りを免れることはできなかったのです。ヤコブがこう言いました。「私の兄弟たち。多くの者が教師になってはいけません。ご承知のように、私たち教師は、格別きびしいさばきを受けるのです。(3:1)」
4A 捕囚の民の最後 28−34
ここまでが神殿の最後です。これまで王の最後、エルサレムの町の最後、神殿の最後を見ましたが、次は捕囚の民の最後です。
52:28 ネブカデレザルが捕え移した民の数は次のとおり。第七年には、三千二十三人のユダヤ人。52:29 ネブカデレザルの第十八年には、エルサレムから八百三十二人。52:30 ネブカデレザルの第二十三年には、侍従長ネブザルアダンが、七百四十五人のユダヤ人を捕え移し、その合計は四千六百人であった。
バビロン捕囚は主に三つあります。第一回は紀元前605年です。ダニエル書1章の始めに記されています。この時に王族などが捕え移され、ダニエルと三人の友人がいました。次に597年です。この時は、エホヤキンが捕え移された時です。そして586年です。
捕え移されることはもちろん屈辱的な出来事ですが、神は、その懲らしめの中にあっても幸いを約束されたことを思い出してください。「イスラエルの神、万軍の主は、こう仰せられる。『エルサレムからバビロンへわたしが引いて行かせたすべての捕囚の民に。家を建てて住みつき、畑を作って、その実を食べよ。妻をめとって、息子、娘を生み、あなたがたの息子には妻をめとり、娘には夫を与えて、息子、娘を産ませ、そこでふえよ。減ってはならない。わたしがあなたがたを引いて行ったその町の繁栄を求め、そのために主に祈れ。そこの繁栄は、あなたがたの繁栄になるのだから。』(29:4-7)」そして七十年後に帰還することができるという約束を下さいました。
今、この52章を書いている人は事実、帰還した民です。エズラであれば、彼はエルサレムに戻ったことがエズラ記に書いてあります。だから、自分たちが今生きているということが、エレミヤの預言は確かに正しかったと確認することができるのです。
先のことを語るのも勇気の要ることですが、実はすでに成就した預言を語ることも勇気の要ることです。イスラエルの死海のほとりに「マサダ」という要塞の台地があります。ユダヤ人がローマに反抗して立て籠もっていた跡です。そこのシナゴーグに、エゼキエル書の後半部分の写本の断片が残っていました。37章には、涸れた谷の骨が組み合わされて、肉を持つ幻があります。それは、イスラエルとユダの国であると主は言われました。
これをイスラエルが建国してから10年後、1963年から65年に考古学のチームが本格的な発掘をしました。そしてこの巻き物を発見しました。分かりますか、紀元73年に死んでいった先祖たちが信じていた預言の言葉が、自分たちの時代に成就したのを知ったからです。発見した彼らは震えが止まらなかったと言われます。
そして最後に興味深い、一人の王の最後の記録があります。
52:31 ユダの王エホヤキンが捕え移されて三十七年目の第十二の月の二十五日に、バビロンの王エビル・メロダクは、彼が即位した年のうちに、ユダの王エホヤキンを釈放し、獄屋から出し、52:32 彼に優しいことばをかけ、彼の位をバビロンで彼とともにいた王たちの位よりも高くした。52:33 彼は囚人の服を着替え、その一生の間、いつも王の前で食事をした。52:34 彼の生活費は、死ぬ日までその一生の間、日々の分をいつもバビロンの王から支給されていた。
第二次バビロン捕囚時に捕え移されたエホヤキンは、ネブカデネザルの息子エビル・メロダクが王位に着いた時に、彼に良くしてくれています。父ネブカデネザルが七年間、理性を失って獣のようになったことがダニエル書4章に書かれていますが、その時にエビル・メロダクは喜んで、自分こそが王であると高ぶった。けれども父が七年後に回復し、罰として牢屋に入れられた。同じ監獄に、エホヤキンがいて、友になった、という話があります。それで実際に父ネブカデネザルが死んで自分が王になったときに、彼の地位を回復させてあげた、というものです。
これが本当かどうか、エホヤキンが確認はできませんでしたが、神側の理由ははっきりしています。エホヤキンは、バビロンの王に降伏しているのです。列王記第二24章12節に、「ユダの王エホヤキンは、その母や、家来たちや、高官たち、宦官たちといっしょにバビロンの王に降伏したので、バビロンの王は彼を捕虜にした。」とあります。彼は悪い王でしたが、バビロンの王に服せという神の御心に沿ったことを行なったので、このように地位の回復がありました。
私たちが今、目で見ていることに従って判断するよりも、主の御心を行なうことがはるかに良い、いや最善であることを私たちは知ります。エホヤキンは降伏して、捕虜になったとき、そこに神の良い計画を見つけることはできなかったでしょう。けれども、37年経ってようやく分かったのです。同じように私たちも、今この時には分からないことがあります。いや、神の御心だと思ってやったことによって、かえって不利な状況に陥ることもあるでしょう。でも、御心を行なう者を、神は必ず救ってくださるのです。
このように、神の怒りの中にも憐れみを私たちは見ることができました。怒りも憐れみも、現実の歴史的事実の中で確認することができました。私たちが今、目にしていなくても、必ず主の言葉はその通りになることを信じて、またキリストとの歩みを始めていきましょう。