ヨシュア記13−19章 「占領していない相続地」
アウトライン
1A 主要な部族 13−17
1B 東の二部族半 13
1C 占領前の割り当て 1−7
2C モーセの割り当て 8−33
2B 南のユダ族 14−15
1C ヘブロンを奪取するカレブ 14
2C 境界線と町々 15
3B 北のヨセフ族 16−17
1C エフライム族 16
2C マナセ族 17
2A 残りの七部族 18−19
1B 残りの地の調査 18:1−10
2B 七つのくじ 18:11−19:51
本文
ヨシュア記13章を開いてください。今日は一気に19章まで読んでいけたら、と思っています。前回私たちは、ヨシュアたちがカナンの王たちを征服したところを見ました。そして今から読むのは、十二部族に征服した地を割り当てるところです。
1A 主要な部族 13−17
1B 東の二部族半 13
1C 占領前の割り当て 1−7
13:1 ヨシュアは年を重ねて老人になった。主は彼に仰せられた。「あなたは年を重ね、老人になったが、まだ占領すべき地がたくさん残っている。13:2 その残っている地は次のとおりである。ペリシテ人の全地域、ゲシュル人の全土、13:3 エジプトの東のシホルから、北方のカナン人のものとみなされているエクロンの国境まで、ペリシテ人の五人の領主、ガザ人、アシュドデ人、アシュケロン人、ガテ人、エクロン人の地、それに南のアビム人の地、13:4 カナン人の全土、シドン人のメアラからエモリ人の国境のアフェクまでの地。13:5 また、ヘルモン山のふもとのバアル・ガドから、レボ・ハマテまでのゲバル人の地、およびレバノンの東側全部。13:6 レバノンからミスレフォテ・マイムまでの山地のすべての住民、すなわちシドン人の全部。わたしは彼らをイスラエル人の前から追い払おう。わたしが命じたとおりに、ただあなたはその地をイスラエルに相続地としてくじで分けよ。13:7 今、あなたはこの地を、九つの部族と、マナセの半部族とに、相続地として割り当てよ。」
イスラエル人たちは、カナンの地を征服しました。けれども、征服したというのと占領したこととは全く違います。征服したと言えば、それは相手の力を抑えつけ、もう二度と戦うことのないようにする、ということです。占領するというのは、事実、自分たちの所有地とすることです。
ヨシュアがすでに年を取っています。彼は百十歳まで生きていましたが(24:29)、おそらく今は百歳ぐらいなのでしょうか。彼は主によって、カナンの王たちを征服するだけでなく、「あなたは、この民に継がせなければならないからだ。(1:6)」と命じられていました。ところが、まだ今読んだところには、数多くの先住民がいます。具体的な民としては、地中海沿岸の南部にはペリシテ人がいます。彼らが地中海のクレテ島出身の海洋民族です。これから聖書の歴史で、彼らがいつまでもイスラエルを苦しめていきます。そしてずっと北に、レバノン方面にシドン人などがいました。そして彼らは強い民なので、イスラエルが追い出すことができないでいました。そこで主は、まだ占領していないけれども、約束の地であるからそこも含めて土地の割り当てを行なえ、とヨシュアに命じられたのです。
私たちは、土地の割り当ての記録をこれから読んでいきます。それはまさに、私たちが法務局にいって土地の登記簿を見るような感じです。けれども、これこそが神がアブラハムに約束されていた相続の約束の実現であり、確かに主が彼らにご自分の支配する国を相続させてくださるのです。ですから、正確にその地境を知ることは重要です。
聖書の中で、「相続」というものが神の約束を自分のものにしていく祝福として沢山出て来ます。「主の約束を、私たちは自分のものとしているかどうか。」というときは、それは「神の約束を相続しているのか。」と言い換えることができるでしょう。新約聖書で、「キリストにあって、あなたは神の子どもになった。」とあるときに、それは単に神を自分の父として親しい関係に入ったということを意味するだけでなく、神のものを自分のものとすることができるという相続人の話もしています。ですから、これから読む土地の割り当ての話しは、神の国において神の民が相続をすることを予め表しているものであると考えてください。
ダビデが詩篇の中で、主ご自身が自分を豊かにしてくださることを「測り綱が落ちた」と言い表しています。「主は、私へのゆずりの地所、また私への杯です。あなたは、私の受ける分を、堅く保っていてくださいます。測り綱は、私の好む所に落ちた。まことに、私への、すばらしいゆずりの地だ。(詩篇16:5-6)」土地の計測のための測り綱が落ちたときに、自分に与えられた分け前が明らかにされます。みなさんに与えられた、神によるゆずりの地はどれだけ大きいものでしょうか?
これから見ていくのは、征服した地と占領した地のギャップです。約束は十分に受けているのに、それを事実、自分のものとしていないというギャップであります。なぜそうなっていくのか?そんなことを考えながら読んでいきたいと思います。
2C モーセの割り当て 8−33
13:8 マナセの他の半部族とともにルベン人とガド人とは、ヨルダン川の向こう側、東のほうで、モーセが彼らに与えた相続地を取っていた。主のしもべモーセが彼らに与えたとおりである。13:9 アルノン川の縁にあるアロエルと、その谷の中にある町からディボンまでのメデバの全台地。13:10 ヘシュボンを治めていたエモリ人の王シホンの、アモン人の国境までのすべての町々。13:11 ギルアデと、ゲシュル人、ならびにマアカ人の領土、ヘルモン山の全部、サルカまでのバシャンの全部。13:12 アシュタロテとエデレイを治めていたバシャンのオグの全王国。オグはレファイムの生き残りであった。モーセはこれらを打って、追い払った。13:13 しかし、イスラエル人は、ゲシュル人とマアカ人とを追い払わなかったので、ゲシュルとマアカとは、イスラエルの中に住んだ。今日もそうである。13:14 ただレビの部族だけには、相続地が与えられなかった。主が約束されたとおり、イスラエルの神、主への火によるささげ物、それが彼らの相続地であった。
イスラエル十二部族すべてを網羅するために、ヨシュアが征服した土地のみならず、モーセがすでに征服した土地から記述を始めています。ヨルダン川東岸に持っている相続地です。
13節を見てください、「しかし、イスラエル人は、ゲシュル人とマアカ人とを追い払わなかったので、ゲシュルとマアカとは、イスラエルの中に住んだ。」とあります。ガリラヤ湖の北東部分に住んでいる人々ですが、彼らは追い払わず、そしてイスラエルの中に住んでいる、とあります。この言い回しがこれから何度も出て来ます。そして実に、士師記においてその残された住民が反対にイスラエル人を苦しめることになることが書かれています。主がモーセによって予め警告しておいたこと、つまり聖絶しなければ、彼らがあなたがたにとってつまずきとなる、ということが実現していくのです。私たちは午前中に「最後まで走る」ことについて学びました。けれども私たちは「腹八分目」ならず、「八分目の勝利」で満足してしまいます。霊的に貫徹することを、多くの勝利を得ると怠っていくようになるのです。これが大きな問題です。
そしてレビ人は相続地がなかったことも、これから繰り返されて書かれています。彼らは、主の天幕で奉仕することそのものが相続であり、他の部族による什一の捧げ物によって専属で主に奉仕することができるように支えを受けます。
13:15 モーセはルベン部族の諸氏族に相続地を与えた。
これからは、聖書地図を見てください。それを見ながら、おおざっぱに読んでいきたいと思います。ルベン族は、ヨルダンの死海の半ばを走っているアルノン川から北のところを相続します。22節を見てください。「イスラエル人は、これらを殺したほか、ベオルの子、占い師のバラムをも剣で殺した。」このルベン族の地で、イスラエルによるミデヤン人の大虐殺がありました。イスラエルをそそのかしたバラムもその時に殺しました。民数記31章8節に書いてあります。24節に進みます。
13:24 モーセはまた、ガド部族、ガド族の諸氏族にも相続地を与えた。
ガド族の割り当ては、ルベン族の北にあり、「ギルアデ」と呼ばれる地域にあります。放牧に適した豊かな土地です。29節を見てください。
13:29 モーセはまた、マナセの半部族にも、相続地を与えた。マナセの半部族の諸氏族のものである。
ギルアデの北からゴラン高原のところをマナセ半部族が相続します。これで、モーセが割り当てた分が終わりました。
2B 南のユダ族 14−15
1C ヘブロンを奪取するカレブ 14
14:1 イスラエル人がカナンの地で相続地の割り当てをした地は次のとおりである。その地を祭司エルアザルと、ヌンの子ヨシュアと、イスラエル人の諸部族の一族のかしらたちが、彼らに割り当て、14:2 主がモーセを通して命じたとおりに、九部族と半部族とにくじで相続地を割り当てた。14:3 モーセはすでに二部族と半部族とに、ヨルダン川の向こう側で相続地を与えており、またレビ人には、彼らの中で相続地を与えなかったからであり、14:4 ヨセフの子孫が、マナセとエフライムの二部族になっていたからである。彼らは、レビ族には、その住むための町々と彼らの所有になる家畜のための放牧地を除いては、その地で割り当て地を与えなかった。14:5 イスラエル人は、主がモーセに命じたとおりに行なって、その地を割り当てた。
これから、ヨシュアたちによるヨルダン川の西にある九部族半の割り当てです。ここで大事なのは、1節「祭司エルアザルと」と書いてあり、さらに2節「くじで相続地を割り当てた」とあるところです。土地の割り当ては主の前で行なうものであり、祭司の務めになっていました。さらに、くじによる割り当てにより、ヨシュアやイスラエルのかしらの恣意的な分割ではないことが分かります。箴言16章に「くじは、ひざに投げられるが、そのすべての決定は、主から来る。(33節)」とあります。人間の思惑や恣意はそこにはなく、神が定めておられるのです。
私たちには、自分たちの思惑で分け前を決めてしまいたいという誘惑があります。「私には、これだけのことができるはずなのに、なぜ神様、与えてくださらないのですか?」という思い、また「私にはこんなことはできないのに、どうしてこのような責任を課せられるのですか。」という思いもあります。自分でその境界線を決めようと絶えず努力しているのです。いいえ、主が与えておられなければ絶対に自分では獲得できません。逆に主が与えておられるのであれば、どんなに逆境の中にあっても必ず与えられます。
14:6 ときに、ユダ族がギルガルでヨシュアのところに近づいて来た。そして、ケナズ人エフネの子カレブが、ヨシュアに言った。「主がカデシュ・バルネアで、私とあなたについて、神の人モーセに話されたことを、あなたはご存じのはずです。14:7 主のしもべモーセがこの地を偵察するために、私をカデシュ・バルネアから遣わしたとき、私は四十歳でした。そのとき、私は自分の心の中にあるとおりを彼に報告しました。14:8 私といっしょに上って行った私の身内の者たちは、民の心をくじいたのですが、私は私の神、主に従い通しました。14:9 そこでその日、モーセは誓って、『あなたの足が踏み行く地は、必ず永久に、あなたとあなたの子孫の相続地となる。あなたが、私の神、主に従い通したからである。』と言いました。
ユダ族は、最も大きな割り当てが与えられます。人数が圧倒的に違いますし、何よりもユダは「獅子の子」であると、ヤコブは死に間際にユダのことを預言しました(創世記49:9)。15章から割り当てが始まりますが、初めにユダ族の一人カレブのことを取り上げています。
そして午前中に説教した通り、カレブがヨシュアと共に、古い世代にも関わらず約束の地に入れた人です。主が四十年の荒野の放浪生活を宣言された時に、カレブについてはこう言われました。「ただし、わたしのしもべカレブは、ほかの者と違った心を持っていて、わたしに従い通したので、わたしは彼が行って来た地に彼を導き入れる。彼の子孫はその地を所有するようになる。(民数14:24)」カレブの特徴はその「心」でした。「力の限り、見張って、あなたの心を見守れ。いのちの泉はこれからわく。(箴言4:23)」この心に、主の御霊から来る愛と情熱、また人々への同情が注がれている必要があります。
14:10 今、ご覧のとおり、主がこのことばをモーセに告げられた時からこのかた、イスラエルが荒野を歩いた四十五年間、主は約束されたとおりに、私を生きながらえさせてくださいました。今や私は、きょうでもう八十五歳になります。14:11 しかも、モーセが私を遣わした日のように、今も壮健です。私の今の力は、あの時の力と同様、戦争にも、また日常の出入りにも耐えるのです。14:12 どうか今、主があの日に約束されたこの山地を私に与えてください。あの日、あなたが聞いたように、そこにはアナク人がおり、城壁のある大きな町々があったのです。主が私とともにいてくだされば、主が約束されたように、私は彼らを追い払うことができましょう。」
彼は自慢してこのことを話しているのではありません。神の恵みの証しとして話しています。そして、その神の恵みに応答しています。今、神が自分の体を壮健なままにしておられるのだから、この真実は、アナク人と戦いなさいという命令に従えということなのだ、と解したのです。パウロは、「神の恵みをむだに受けないようにしてください。(2コリント6:1)」と言いました。
そしてもう一つ、カレブの大胆さには条件がありました。「主が私とともにいてくだされば」ということです。もし、この絶対必要な条件を度外視していれば、それは僭越なだけで信仰ではありません。信仰とは無鉄砲になることではありません。主が共におられるのかそうでないのか、このことを主眼として前進する行為であります。
14:13 それでヨシュアは、エフネの子カレブを祝福し、彼にヘブロンを相続地として与えた。14:14 それで、ヘブロンは、ケナズ人エフネの子カレブの相続地となった。今日もそうである。それは、彼がイスラエルの神、主に従い通したからである。14:15 ヘブロンの名は、以前はキルヤテ・アルバであった。アルバというのは、アナク人の中の最も偉大な人物であった。そして、その地に戦争はやんだ。
ヨシュアはカレブを祝福しました。そして相続地を自分のものとしました。「戦争はやんだ」とあります。彼は戦ったので、戦争がやんだのです。私たちの多くは、肉との戦い、世との戦いにおいて、戦わなければ余計なことが起こらないと思って、戦いを避けます。けれども、それはいつまでも戦いが続くことを意味します。戦ってこそ初めて得ることのできる安息があります。もし、イスラエル人全員がカレブのようであれば、すべての約束の地を占領することができたでしょう。
2C 境界線と町々 15
15:1 ユダ族の諸氏族が、くじで割り当てられた地は、エドムの国境に至り、その南端は、南のほうのツィンの荒野であった。
1節から12節までに、ユダ族の境界線が書かれています。聖書地図で確認してください。かなり大きな範囲です。エルサレム以南のすべての地域を網羅しています。13節に飛びます。
15:13 ヨシュアは、主の命令で、エフネの子カレブに、ユダ族の中で、キルヤテ・アルバ、すなわちヘブロンを割り当て地として与えた。アルバはアナクの父であった。15:14 カレブは、その所からアナクの三人の息子、シェシャイ、アヒマン、タルマイを追い払った。これらはアナクの子どもである。
再びカレブによる占領の記録ですが、このアナク人の子ども、シェシャイ、アヒマン、タルマイはなんと四十五年前にも生きていた者たちです。民数記13章22節に、イスラエルの偵察がヘブロンに行った時に、彼らがいたことを記しています。カレブは、個人的執念があったのでしょう。「せっかく見ていたのに、主が共におられるのに、なぜやっつけることができないのだ。」というくやしさがあったかもしれません。けれども彼は、その情熱を消し去ることはしませんでした。今、倒すことができたのです。
私たちはいかがでしょうか?主に示されていたのに、自分が原因で、いやカレブのように他の人や周囲の状況が原因で、それをやり遂げることができなかったことがあるかもしれません。けれどもあきらめてはいけません。主が与えられる時には与えてくださるのです。
15:15 その後、その所から彼は、デビルの住民のところに攻め上った。デビルの名は、以前はキルヤテ・セフェルであった。15:16 そのとき、カレブは言った。「キルヤテ・セフェルを打って、これを取る者には、私の娘アクサを妻として与えよう。」15:17 ケナズの子で、カレブの兄弟オテニエルがそれを取ったので、カレブは娘アクサを、彼に妻として与えた。15:18 彼女がとつぐとき、オテニエルは彼女をそそのかして、畑を父に求めることにした。彼女がろばから降りたので、カレブは彼女に、「何がほしいのか。」と尋ねた。15:19 彼女は言った。「私に祝いの品を下さい。あなたはネゲブの地に私を送るのですから、水の泉を私に下さい。」そこで彼は、上の泉と下の泉とを彼女に与えた。
オテニエルはカレブの弟でした。彼は初めの士師になります。士師記3章に登場します。そして18節に、オテニエルがアクサをそそのかした、と書いてありますが、他の翻訳では、例えば新共同訳では、「彼女は来て、父から畑をもらうようにオトニエルに勧めた。」となっています。ネゲブの地になるので、水が極めて重要になります。そこで泉あるいは貯水槽があるところが必要でした。それで祝いの品で受け取ったのです。
15:20 ユダ部族の諸氏族の相続地は次のとおり。
ここから相続地にある町々の名が列挙されています。最南端にある町々が21節から32節まで、そして33節には「低地では」となっています。これは、前回説明しましたように、シェフェラと呼ばれている所です。山地と地中海沿岸の間にある低地です。そして45節以降には、ペリシテ人の町々があります。これらも戦ってペリシテ人から奪取しなければいけませんでした。制圧するのは、ダビデ時代以降になります。そして48節には「山地」とあります。ユダの山地のことです。ヘブロンのその中にあります。61節には「荒野」、すなわち死海周辺になります。そして63節を見てください。
15:63 ユダ族は、エルサレムの住民エブス人を追い払うことができなかった。それで、エブス人はユダ族とともにエルサレムに住んでいた。今日もそうである。
出てきましたね、「エブス人を追い払うことができなかった」とあります。エルサレムは、ユダ族とベニヤミン族の境にありますが、ベニヤミンも追い出せなかったことが士師記に書いてあります。ここですね、カレブのように新しい心、神から与えられた情熱、信仰に豊かな心を持っていれば倒すことができたのですが、そこまで踏み込むことができませんでした。ダビデがここをついに手に入れて、それでそこをダビデの町とします。
3B 北のヨセフ族 16−17
1C エフライム族 16
16:1 ヨセフ族が、くじで割り当てられた地の境界線は、東、エリコのあたりのヨルダン川、すなわちエリコの水から荒野に出、エリコから山地を上ってベテルに至り、16:2 ベテルからルズに出て、アルキ人の領土アタロテに進み、16:3 西のほう、ヤフレテ人の領土に下り、下ベテ・ホロンの地境、さらにゲゼルに至り、その終わりは海であった。16:4 こうして、ヨセフ族、マナセとエフライムは、彼らの相続地を受けた。
南には大きな部族ユダがいますが、北の主要な部族はヨセフ族です。覚えていますか、ヤコブが十二人の息子を祝福した時に、ヤコブの家族をエジプトに連れてくるのに一躍買ったユダに対して、王権がユダから出てくる、そしてメシヤも出てくると言う大きな預言が与えられました。そしてヨセフに対しては豊かな祝福が与えられると言う預言がありました。ヨセフには二倍の分け前があります。それはマナセとエフライムの二人の息子が、直接、ヤコブの子として数えられたからです。聖書地図をご覧になれば、全イスラエルの中央に当たる部分がエフライムで、その北にマナセがあります。
そして5節以降に「エフライム族」の境界線が書かれています。9節を見てください。「このほかに、マナセ族の相続地の中に、エフライム族のために取り分けられた町々、そのすべての町々と、それに属する村々とがあった。」マナセ族の相続地の中にあえてエフライム族の町々を置いたのは、おそらくはマナセとエフライムの連帯を示していたものと思われます。元々はヨセフ族ですから。
16:10 彼らはゲゼルに住むカナン人を追い払わなかったので、カナン人はエフライムの中に住んでいた。今日もそうである。カナン人は苦役に服する奴隷となった。
再び、「追い払わなかった」の記録です。そしてカナン人が彼らの中に住んでいました。「奴隷」としていますが、それで十分だと思っていました。けれどもモーセによる神の命令は聖絶です。私たちは自分たちの肉の問題を、自分は今、それを十分に支配できているから、それがなくならなくても良いのだ、殺さなくても良いのだ、と思いたいです。けれどもそれは、奴隷にしているだけで聖絶していないイスラエル人と同じです。
2C マナセ族 17
17:1 マナセ部族が、くじで割り当てられた地は次のとおりである。マナセはヨセフの長子であった。マナセの長子で、ギルアデの父であるマキルは戦士であったので、ギルアデとバシャンが彼のものとなった。17:2 さらにそれはマナセ族のほかの諸氏族、アビエゼル族、ヘレク族、アスリエル族、シェケム族、ヘフェル族、シェミダ族のものになった。これらは、ヨセフの子マナセの男子の子孫の諸氏族である。17:3 ところが、マナセの子マキルの子ギルアデの子ヘフェルの子ツェロフハデには、娘だけで息子がなかった。その娘たちの名は、マフラ、ノア、ホグラ、ミルカ、ティルツァであった。17:4 彼女たちは、祭司エルアザルと、ヌンの子ヨシュアと、族長たちとの前に進み出て、「私たちの親類の間で、私たちにも相続地を与えるように、主はモーセに命じられました。」と言ったので、ヨシュアは主の命令で、彼女たちの父の兄弟たちの間で、彼女たちに相続地を与えた。17:5 こうして、マナセはヨルダン川の向こう側のギルアデとバシャンの地のほかに、なお十の割り当て地があてがわれた。17:6 マナセの娘たちが、彼の息子たちの間に、相続地を受けたからである。ギルアデの地は、マナセのほかの子孫のものとなった。
マナセ族は、ヨルダン川の東にも相続地を割り当てられましたが、こちらの西にも与えられています。そしてその中で大きな役割を果たしたのが、「ツェロフハデ」の娘たちです。彼女たちに対する相続が与えられたので、それが西側の割り当て地の中に組み込まれました。
そして7節から「マナセの境界線」が始まります。そして、エフライムの町々がマナセのところにあったようにイッサカルとアシェルにもマナセの村落がありました。「17:11 またマナセには、イッサカルとアシェルの中に、ベテ・シェアンとそれに属する村落、イブレアムとそれに属する村落、ドルの住民とそれに属する村落、エン・ドルの住民とそれに属する村落、タナクの住民とそれに属する村落、メギドの住民とそれに属する村落があった。この第三番目は高地であった。」けれども、再び問題がありました。
17:12 しかしマナセ族は、これらの町々を占領することができなかった。カナン人はこの土地に住みとおした。17:13 イスラエル人は、強くなってから、カナン人に苦役を課したが、彼らを追い払ってしまうことはなかった。
エフライムのカナン人よりも、マナセのカナン人がさらに定住の力を持っていました。「この地に住みとおした」とあります。マナセは、征服はしているのです、「苦役を課したが」とあります。けれども追い出すことをしませんでした。私たちは長いこと、自分の肉の力をそのままにしていると、この思いは当たり前なのだ、と悪い意味で慣れてしまいます。そのような定着した悪い思いに対して、表面的には覆い隠しているのですが、根本的に対処していないのです。なぜ彼らがそうなってしまったのでしょうか?次をご覧ください。
17:14 ヨセフ族はヨシュアに告げて言った。「主が今まで私を祝福されたので、私は数の多い民になりました。あなたはなぜ、私にただ一つのくじによる相続地、ただ一つの割り当て地しか分けてくださらなかったのですか。」17:15 ヨシュアは彼らに言った。「もしもあなたが数の多い民であるなら、ペリジ人やレファイム人の地の森に上って行って、そこを自分で切り開くがよい。エフライムの山地は、あなたには狭すぎるのだから。」17:16 ヨセフ族は答えた。「山地は私どもには十分ではありません。それに、谷間の地に住んでいるカナン人も、ベテ・シェアンとそれに属する村落にいる者も、イズレエルの谷にいる者もみな、鉄の戦車を持っています。」17:17 するとヨシュアは、ヨセフ家の者、エフライムとマナセにこう言った。「あなたは数の多い民で、大きな力を持っている。あなたは、ただ一つのくじによる割り当て地だけを持っていてはならない。17:18 山地もあなたのものとしなければならない。それが森であっても、切り開いて、その終わる所まで、あなたのものとしなければならない。カナン人は鉄の戦車を持っていて、強いのだから、あなたは彼らを追い払わなければならないのだ。」
マナセ族はエフライム族と共に、大きな問題を抱えていました。彼らは、自分に与えられた土地では、この多くの人数が住むのには足りないと思っていました。けれども実は土地が狭いのではありません。定住しているカナン人を追い払っていないから狭くなっていったのです。その原因の一つは、エフライムの山地以外の森があり、それを切り開くことが億劫になっていた、怠惰になっていたこと。もう一つの原因は、カナン人には戦車があったことです。覚えていますね、カナン人の戦車を神はイスラエルに対して打ち砕く力を与えてくださっていました。ハツォルの王の率いる北方の軍隊に対して、主がイスラエルに「あなたは、彼らの馬の足の筋を切り、彼らの戦車を火で焼かなければならない。(11:6)」と言われました。その通りに行なえば、倒すことができたのです。
私たちは祝福されているのに、その祝福に対して応答しないことがしばしばあります。私はしばしば、「積読」をしてしまいます。自分の関心のあることのために知識を得たいと思うのですが、たくさんの本を借りたり、購入したりするのに、肝心の知らなければいけない中身に入る前に本を閉じてしまいます。しばらくして、再びその関心がよみがえります。それで既に買った本を読めばよいのに、他の資料から得ようとしてインターネットで捜したり、さらに本を購入してしまうのです。
私たちは霊的にも同じようなことをしてしまいます。もう既に主が霊的な力と知識を与えてくださっています。今あるもので十分に自分の敵、心の中にある敵、生活の中にある敵に戦うことができます。けれども肝心な部分にまで到達する前に、あきらめてしまうのです。そして他のことをやり出します。例えば、ある牧師さんがこんなことを言っていましたが、教会員の人が自分の教会に不満でした。他の教会で開かれていた集会にその人は出かけました。戻ってきて、いかにそれがすばらしかったかを話します。あたかも、新しい知識が与えられたかのように話します。けれども、実はそのことを長いこと、その牧師さんはその人に話していた同じことだったのです。パウロはテモテに、「いつも学んではいるが、いつになっても真理を知ることのできない者たちです。(2テモテ3:7)」と言いました。
なぜそのようになってしまうのでしょうか?ヨセフ族の例で見ますと、具体的に二つの問題が上げられます。一つは「怠慢」です。山地を切り開くことが億劫なのです。勤勉になれません。私たちには御言葉を十分に咀嚼して、思い巡らし、そして静かになって主を求め、それを具体的な実際の生活の場面に当てはめていくという、落ち着いた生活が必要です。使徒の手紙の中には「しっかりと」という言葉が数多く出てきます。例えば、「ただし、あなたがたは、しっかりとした土台の上に堅く立って、すでに聞いた福音の望みからはずれることなく、信仰に踏みとどまらなければなりません。(コロサイ1:23)」とあります。霊的成長には、じっくり取り組むという勤勉さが必要です。
そしてもう一つは「恐れ」です。歩兵によって戦車に立ち向かえないという恐れを彼らは持っていました。自分のうちに敵がいるということ、自分に対決することに恐れを抱きます。ですから、他の活動によってむしろその問題を避けようとしてしまいます。例え私たちは自分が砕かれても、その下には神の全き愛があることを知らなければいけません。「愛には恐れがありません。全き愛は恐れを締め出します。(1ヨハネ4:18)」「わたしは、愛する者をしかったり、懲らしめたりする。だから、熱心になって、悔い改めなさい。(黙示3:19)」
2A 残りの七部族 18−19
1B 残りの地の調査 18:1−10
18:1 さて、イスラエル人の全会衆はシロに集まり、そこに会見の天幕を建てた。この地は彼らによって征服されていた。
場所と時が移っています。13章以降、ヨシュアがユダ族とヨセフ族に割り当ての地を与えていたのは、ギルガルにおいてでした。彼らの本陣です。けれども今はシロに移っています。エフライムの地にあり、ベテルとシェケムの間にあります。私は1997年のイスラエル旅行で見てきましたが、確かに神の天幕が張られていた所が残っています。これから、サムエル記第一でペリシテ人が神の箱を奪い取るまで、そこに契約の箱が安置され、また人々もここまで上って来て主を礼拝しました。
18:2 イスラエル人の中で、まだ自分たちの相続地が割り当てられていない七つの部族が残っていた。18:3 そこで、ヨシュアはイスラエル人に言った。「あなたがたの父祖の神、主が、あなたがたに与えられた地を占領しに行くのを、あなたがたはいつまで延ばしているのか。18:4 部族ごとに三人の者を選び出しなさい。彼らが立ってその地を行き巡るように、私は彼らを送り出そう。彼らはその地についてその相続地のことを書きしるし、私のところに来なければならない。18:5 彼らは、それを七つの割り当て地に分割しなさい。ユダは南側の彼の地域にとどまり、ヨセフ家は北側の彼らの地域にとどまらなければならない。18:6 あなたがたは、その地の七つの割り当て地を書きしるし、それをここの私のところに持って来なければならない。私はここで、私たちの神、主の前に、あなたがたのために、くじを引こう。18:7 しかしレビ人には、あなたがたの中で割り当て地がない。主の祭司として仕えることが、その相続地だからである。また、ガドと、ルベンと、マナセの半部族とは、ヨルダン川の向こう側、東のほうで、すでに彼らの相続地を受けている。それは、主のしもべモーセが、彼らに与えたものである。」
既にギルガルから引き払っているのですから、彼らはもう戦時体制ではありません。戦いはそれぞれの部族が行なうべきです。ところが、しばらくしても残りの七部族が動こうとしないのです。それでヨシュアは、「あなたがたはいつまで延しているのか。」と叱責しました。
ヨシュアは年老いています。そして、ヨシュアは次の世代に戦うことを学んでもらわなければいけません。使徒パウロもテモテに、こう命じました。「多くの証人の前で私から聞いたことを、他の人にも教える力のある忠実な人たちにゆだねなさい。(2テモテ2:2)」自分自身が教えるだけでなく、教える能力のある人、忠実な人々にゆだねていきなさいと教えました。ヨシュアの指揮で戦うことは彼らは知っていたかもしれませんが、自分自身が指揮を取って戦うことを知りませんでした。ヨシュアに従うことは知っていましたが、ヨシュアが人々を率いている模範を見て、自分もその働きをすることを念頭に入れて学ぶことをしませんでした。教会には、すべての国民を弟子としなさい、というイエス様の命令があります。それをそれぞれの信者に課せられています。自分がキリストの弟子となるだけでなく、他の人を弟子にしていくことが必要です。
そして私たちは、問題を先延ばしにするという問題があります。今いるところが心地よくなるのです。それで本来しなければいけない神の使命を全うするのは、「また時が来たら」と言い訳をいって行なわないのです。その間に、神の国とその義を求めず自分の生活を求めるようになります。ハガイ書で、主がユダの民を叱責されました。「「この宮が廃墟となっているのに、あなたがただけが板張りの家に住むべき時であろうか。・・・山に登り、木を運んで来て、宮を建てよ。そうすれば、わたしはそれを喜び、わたしの栄光を現わそう。主は仰せられる。(1:4,8)」宮の再建の反対にあって中断していたのですが、それを良いことに自分の家を建てて快適に暮らそうとしていました。
18:8 そこで、その者たちは行く準備をした。ヨシュアは、その地の調査に出て行く者たちに命じて言った。「あなたがたは行って、その地を行き巡り、その地について書きしるし、私のところに帰って来なさい。私はシロで、主の前に、あなたがたのため、ここでくじを引こう。」18:9 その者たちは行って、その地を巡り、それを町ごとに七つの割り当て地ごとに書き物にしるし、シロの宿営にいるヨシュアのもとに来た。
土地測量に長けている者たちに行き巡らせました。それから割り当て地をくじで決めます。
2B 七つのくじ 18:11−19:51
18:11 ベニヤミン部族の諸氏族がくじを引いた。彼らのくじに当たった地域は、ユダ族とヨセフ族の間にあった。
聖書地図をご覧ください。彼らは主要な二つの部族の間にサンドウィッチのようにして割り当てられています。そしてエルサレムも一部が彼らの土地の中にあります。モーセがベニヤミンのことを祝福して、こう言いました。「主に愛されている者。彼は安らかに、主のそばに住まい、主はいつまでも彼をかばう。彼が主の肩の間に住むかのように。(申命33:12)」ベニヤミンの土地は小さいけれども、聖書の歴史の中で重要な役割を果たしたところが多いです。エリコ、ベテル、ギブオン、ミツパなどです。次に19章に入りましょう。
19:1 第二番目のくじは、シメオン、すなわちシメオン部族の諸氏族に当たった。彼らの相続地は、ユダ族の相続地の中にあった。
シメオン族はユダ族の中に土地があてがわれました。9節に、「それは、ユダ族の割り当て地が彼らには広すぎたので、シメオン族は彼らの相続地の中に割り当て地を持ったのである。」とあります。ヤコブのシメオンについての預言に、「私は彼らをヤコブの中で分け、イスラエルの中に散らそう。(49:7)」とありましたが、その通りになりました。10節に行きます。
19:10 第三番目のくじは、ゼブルン族の諸氏族のために引かれた。
ゼブルンは下ガリラヤと呼ばれるところにあります。地図でご確認ください。そして対になっているようにイッサカル族の割り当てがあります。17節です。
19:17 第四番目のくじは、イッサカル、すなわちイッサカル族の諸氏族に当たった。
イズレエル平原のところにあります。豊かな穀倉地であり、同時に数多くの戦いの戦場となったところです。士師記のデボラとカナン人との戦いはタボル山から行なわれますが、ここが舞台です。次に24節に飛んでください。
19:24 第五番目のくじは、アシェル部族の諸氏族に当たった。
沿岸地域の北部に位置します。ここから海洋の敵が入ってくるのを彼らは守っていく役割を果たしていました。32節に行ってください。
19:32 第六番目のくじは、ナフタリ人、すなわちナフタリ族の諸氏族に当たった。
ガリラヤ湖を覆うようにして西の部分にあります。上ガリラヤと呼ばれているところです。ナフタリはゼブルンと並んで、イザヤ書でメシヤ出現の預言の地とされました。「しかし、苦しみのあった所に、やみがなくなる。先にはゼブルンの地とナフタリの地は、はずかしめを受けたが、後には海沿いの道、ヨルダン川のかなた、異邦人のガリラヤは光栄を受けた。(9:1)」40節に行ってください。
19:40 第七番目のくじは、ダン部族の諸氏族に当たった。
ダン族は、エフライムの地とユダの地の間に与えられました。ところがそこにはペリシテ人がいます。彼らは他の地を探しました。47節を読みます。
19:47 ダン族の地域は、さらに広げられた。ダン族は上って行き、レシェムと戦って、これを取り、剣の刃で打ち、これを占領して、そこに住み、彼らの先祖ダンの名にちなんで、レシェムをダンと呼んだ。
士師記の後半部分で彼らがどのように北上して、ここを占領したかの話があります。ゴラン高原の北にあり、後にイスラエル全土は、「ダンからベエル・シェバ」と呼ばれるようになりました。そして最後は、ヨシュア自身の相続地です。49節から読みましょう。
19:49 この地について地域ごとに、相続地の割り当てを終えたとき、イスラエル人は、彼らの間に一つの相続地をヌンの子ヨシュアに与えた。19:50 彼らは主の命令により、ヨシュアが求めた町、すなわちエフライムの山地にあるティムナテ・セラフを彼に与えた。彼はその町を建てて、そこに住んだ。19:51 これらは、祭司エルアザル、ヌンの子ヨシュア、およびイスラエル人の部族の一族のかしらたちが、シロにおいて会見の天幕の入口、主の前で、くじによって割り当てた相続地であった。こうして彼らは、この地の割り当てを終わった。
すべての相続地の割り当てにおいて、それを行なったのはヨシュアでありました。けれどもヨシュアが最後に自分の相続を決めました。しかも、大きな土地ではなく町一つだけです。ここにヨシュアの霊性があります。彼は真のリーダーでした。自分を求めるのではなく、神を求め、そして神が望まれていることを行なうのに集中していました。自分を後に持ってきたのです。「あなたがたの間で人の先に立ちたいと思う者は、あなたがたのしもべになりなさい。(マタイ20:27)」