1A 住民の征服 9−10
1B 計略 9
1C 目に見えるもの 1−15
2C 主への誓い 16−27
2B 主の戦い 10
1C とどまる太陽 1−15
2C ほら穴の5人 16−27
3C 南部地域の攻略 28−43
2A 土地の占領 11−12
1B 北部地域の攻略 11
1C ハツォルの王 1−15
2C 戦争による占領 16−23
2B 王たち 12
本文
ヨシュア記9章を開いてください。今日は9章から12章までを学びたいと思います。ここでのテーマは、「信仰の戦い」です。ヨシュアが率いるイスラエル軍が、土地を占領していく場面を読んでいきます。
1A 住民の征服 9−10
1B 計略 9
1C 目に見えるもの 1−15
さて、ヨルダン川のこちら側の山地、低地、およびレバノンの前の大海の全沿岸のヘテ人、エモリ人、カナン人、ペリジ人、ヒビ人、エブス人の王たちはみな、これを聞き、相集まり、一つになってヨシュアおよびイスラエルと戦おうとした。
前回私たちは、イスラエルがエリコの町と、アイの町を攻略したところを学びました。エリコの町は非常に強かったのに勝つことができたが、アイの町では一度負けてしまいました。それは、主に拠り頼まず、自分たちで出来ると油断したからです。けれども、罪を犯したアカンをイスラエルの宿営から取り除いてきよめ、再びアイを叩き、倒すことができました。
そして、ヨシュアはモーセが言われたように、エバル山で祭壇をきづき、すべてのイスラエル前で、モーセの律法を読み上げました。そこはサマリヤの地方であり、約束された土地のちょうど中心部分に当たります。その場所で読み上げられた神のみことばは、イスラエルが神のみことばを中心にして生きることを証しするものでした。
そこで9章に入ります。「ヨルダン川のこちら側の山地つまりヨルダン川の西の地域にいる人々、また、北にあるレバノンの沿岸に至るまでの全域において、そこの王たちが相集まって、イスラエルと戦おうとしました。ここに出てくる異邦の民ですが、ちょうどモーセがイスラエルの民に語った、七つの民であります。申命記7章1節に、こう書いてあります。「あなたが、はいって行って、所有しようとしている地に、あなたの神、主が、あなたを導き入れられるとき、主は、多くの異邦の民、すなわちヘテ人、ギルガシ人、エモリ人、カナン人、ペリジ人、ヒビ人、およびエブス人の、これらあなたよりも数多く、また強い七つの異邦の民を、あなたの前から追い払われる。」七つの民があなたがたよりも数多く、また強いが、けれども主なるわたしが、彼らをあなたがたの前から追い払う、と約束されています。その民がいま、イスラエルを攻めようとしています。
さて、彼らが、ヨシュアがエバル山にてモーセの律法を宣言したことを聞いて、これらの民が相集まって戦おうとしたというつながりが興味深いです。もちろんエリコとアイが倒れたことは、彼らによって脅威でしたが、イスラエルが集まって、高いところから主のことばが語られていることが最も脅威であったことになります。イスラエルは、主のことばを自分たちの真ん中に置くときに、敵が攻めてきたのです。私たちにも同じことが言えるのではないでしょうか。私たちが、キリストのみことばを自分のうちにとどまらせるとき、主のことばが自分を支配しはじめるとき、その時に悪魔と悪霊が、何とかして私たちの信仰をだめにしてしまおうと躍起になって攻めてきます。私たちが、今まで御霊にゆだねていなかった肉の領域を、初めて御霊の支配によって征服したとき、必ず霊の攻撃があります。霊的に全身すると、あらゆる方面から反対する力が働きます。
しかし、ギブオンの住民たちは、ヨシュアがエリコとアイに対して行なったことを聞いて、彼らもまた計略をめぐらし、変装を企てた。彼らは古びた袋と古びて破れたのに継ぎを当てたぶどう酒の皮袋とを、ろばに負わせ、繕った古いはきものを足にはき、古びた着物を身に着けた。彼らの食料のパンは、みなかわいて、ぼろぼろになっていた。
ギブオンは、イスラエルが攻め取ったエリコとアイの少し南に位置する町です。そこにいる人々は、武器による戦いではなく、計略によって戦うことにしました。彼らは、自分の身なりをすべて古いものにしました。悪魔も同じようにして、欺きによって私たちに戦いを仕掛けてきます。彼は偽りの父だからです。
こうして、彼らはギルガルの陣営のヨシュアのところに来て、彼とイスラエルの人々に言った。「私たちは遠い国からまいりました。ですから、今、私たちと盟約を結んでください。」イスラエルの人々は、そのヒビ人たちに言った。「たぶんあなたがたは私たちの中に住んでいるのだろう。どうして私たちがあなたがたと盟約を結ぶことができようか。」
モーセは、前もって、七つの異邦の民とは契約を結んではいけないと戒めていました。先ほど読んだ申命記の箇所には続けて、「あなたの神、主は、彼らをあなたに渡し、あなたがこれを打つとき、あなたは彼らを聖絶しなければならない。彼らと何の契約も結んではならない。容赦してはならない。(7:2)」と書かれています。ですから、盟約を結ぶことができない、と言っています。
すると、彼らはヨシュアに言った。「私たちはあなたのしもべです。」しかしヨシュアは彼らに言った。「あなたがたはだれだ。どこから来たのか。」彼らは言った。「しもべどもは、あなたの神、主の名を聞いて、非常に遠い国からまいりました。私たちは主のうわさ、および主がエジプトで行なわれたすべての事、主がヨルダン川の向こう側のエモリ人のふたりの王、ヘシュボンの王シホン、およびアシュタロテにいたバシャンの王オグになさったすべての事を聞いたからです。」
彼らは非常に遠い国から来たと偽っています。ここで、主がエジプトで行なわれたこと、またヨルダン川の東で行なわれたことについて言及していますが、エリコとアイをイスラエルが攻め取ったことについては言及していません。なぜなら、そのようなことは聞いていない遠い国から来たように見せかけているからです。
それで、私たちの長老たちや、私たちの国の住民はみな、私たちに言いました。「あなたがたは、旅のための食料を手に持って、彼らに会いに出かけよ。そして彼らに、私たちはあなたがたのしもべです。それで、今、私たちと盟約を結んでくださいと言え。」この私たちのパンは、私たちがあなたがたのところに来ようとして出た日に、それぞれの家から、まだあたたかなのを、食料として準備したのですが、今はもう、ご覧のとおり、かわいて、ぼろぼろになってしまいました。また、ぶどう酒を満たしたこれらの皮袋も、新しかったのですが、ご覧のとおり、破れてしまいました。私たちのこの着物も、はきものも、非常に長い旅のために、古びてしまいました。」
彼らは、古くなった着物、古くなったぶどう酒の皮袋、また古くなったパンを見せて、それを遠い国から来た証拠として見せています。
そこで人々は、彼らの食料のいくらかを取ったが、主の指示を仰がなかった。
さあ、ここにヨシュアとイスラエルの族長たちの致命的な間違いが書かれています。「主の指示を仰がなかった」というところです。私たちは前回、アイを攻め取るときにイスラエルが主からの命令を仰がなかったことを見ました。スパイをアイに送って、自分たちで二、三千人の兵で十分だと判断しました。自分が見るところに頼って、主の指示を仰がなかったのです。箴言には、「人の目にはまっすぐに見える道がある。その道の終わりは死の道である。(14:12)」と書かれています。私たちは自分の判断に頼るのではなく、同じく箴言に書かれてあるように、「主を恐れることは知識の初めである。(1:7)」であります。いろいろなことをするときに、判断し、決断しなければいけないときに、まず主を恐れて、主に知恵を与えてくださるようお願いする必要があります。ヤコブも、「知恵に欠けた人がいるなら、・・・神に願いなさい。(ヤコブ1:5)」と言いました。
ヨシュアが彼らと和を講じ、彼らを生かしてやるとの盟約を結んだとき、会衆の上に立つ族長たちは、彼らに誓った。
和を講じる盟約を結び、誓ってしまいました。誓いは変更することができません。この結果、長いことその結果を刈り取ることになります。例えば、クリスチャンではない人と結婚する人がいます。クリスチャンでなければ結婚できないのか、と聞く人がいるでしょうが、「信者と不信者が同じくびきを負うことはできない」とあるとおり、現実的に、配偶者が未信者の夫婦の多くが、同じ価値観が共有できないことで大変悩んでいます。けれども、そのことによって結婚を破棄することはできません。たとえ、自分によって良いと思っても、主に力を尽くしてより頼み、主を恐れ、そして知恵を得るのです。主が良いと思われることを行なうことが大事です。
2C 主への誓い 16−27
彼らと盟約を結んで後三日たったとき、人々は、彼らが近くの者たちで、自分たちの中に住んでいるということを聞いた。それから、イスラエル人は旅立って、三日目に彼らの町々に着いた。彼らの町々とは、ギブオン、ケフィラ、ベエロテ、およびキルヤテ・エアリムであった。
これらの町々は、ちょうどエルサレムとテルアビブの間にあります。ベングリオン空港とエルサレムの間にある町々です。
会衆の上に立つ族長たちがすでにイスラエルの神、主にかけて彼らに誓っていたので、イスラエル人は彼らを打たなかった。しかし、全会衆は族長たちに向かって不平を鳴らした。そこで族長たちはみな、全会衆に言った。「私たちはイスラエルの神、主にかけて彼らに誓った。だから今、私たちは彼らに触れることはできない。私たちは彼らにこうしよう。彼らを生かしておこう。そうすれば、私たちが彼らに誓った誓いのために、御怒りが私たちの上に下らないだろう。」
たとえ、モーセの律法に違反して、彼らを生かしておくようにしてしまっても、誓いを破ることは、悪に悪を重ねることになります。先ほどの結婚の例のように、私たちが一つ決断したことを、主のみこころにかなわないという言い訳をつくって後で翻すことは、さらに罪を重ねることになります。
族長たちが全会衆に、「彼らを生かしておこう。」と言ったので、彼らは全会衆のために、たきぎを割る者、水を汲む者となった。族長たちが彼らに言ったとおりである。ヨシュアは彼らを呼び寄せて、彼らに次のように言った。「あなたがたは、私たちの中に住んでいながら、なぜ、『私たちはあなたがたから非常に遠い所にいる。』と言って、私たちを欺いたのか。今、あなたがたはのろわれ、あなたがたはいつまでも奴隷となり、私の神の家のために、たきぎを割る者、水を汲む者となる。」
ギブオン人は、イスラエルの奴隷となって働きます。たきぎを割り、水を汲みます。そしてこれは、「神の家のため」すなわち、幕屋、後に神殿のためのたきぎ割りと、水汲みをします。彼らが偶像礼拝をしないように、まことの神の仕事の中で働かせることにしました。これで彼らが勝手なことをせず、イスラエルの民を偶像で誘惑するようなことはなくなります。
すると、彼らはヨシュアに答えて言った。「あなたの神、主がそのしもべモーセに、この全土をあなたがたに与え、その地の住民のすべてをあなたがたの前から滅ぼしてしまうようにと、お命じになったことを、このあなたのしもべどもは、はっきり知らされたのです。ですから、あなたがたの前で私たちのいのちが失われるのを、非常に恐れたので、このようなことをしたのです。ご覧ください。私たちは今、あなたの手の中にあります。あなたのお気に召すように、お目にかなうように私たちをお扱いください。」ヨシュアは彼らにそのようにし、彼らをイスラエル人の手から救って、殺さなかった。こうしてヨシュアは、その日、彼らを会衆のため、また主の祭壇のため、主が選ばれた場所で、たきぎを割る者、水を汲む者とした。今日もそうである。
今日もそうである、というのは、ヨシュアの晩年においても、と言うことです。(ヨシュア記は最後の部分を除き、ヨシュアによって書かれています。)そしてこの後にもギブオンが出てきますが、神殿に関わる場面です。一つは、歴代誌第二1章3節です。「ソロモンおよび彼とともにいた全集団はギブオンにある高き所に行った。そこには、主のしもべモーセが荒野で造った神の会見の天幕があったからである。」ソロモンがギブオンに言っています。なぜならダビデは、契約の箱のみをダビデの町に運んで来ていただけで、その他の幕屋の部分はギブオンにありました。そしてネヘミヤ記3章7節には、こう書いてあります。「彼らの次に、ギブオン人メラテヤと、メロノテ人ヤドン、それに川向こうの総督の管轄に属するギブオンとミツパの人々が修理した。」イスラエルがバビロンに捕らえ移されて、70年後に帰還してから、エルサレムの城壁修理に取りかかりました。その時にギブオン人が関わっています。
こうやって、ギブオン人は、イスラエルにとって誘惑にならないように神の家のところで働き、奴隷として生きました。ここから私たちが学ぶことができるのは、肉のからだを従わせるということでしょう。ヨシュアは、彼らが決してイスラエルに影響を与えないように監視させるような場所に彼らを置きましたが、私たちも自分の肉の弱さを、肉が働かないように従わせるなんらかの処置を取る必要があるでしょう。それによって、多少の不自由が出てくるかもしれません。けれども必要なのです。自分の肉の行ないによって自分を滅ぼすよりも、イエスさまが、全身がゲヘナに投げ込まれるぐらいなら、目をえぐり出しなさいと言われたように、そうしたつまずきになるものとの関係を切る必要があるときが出てきます。
2B 主の戦い 10
1C とどまる太陽 1−15
さて、エルサレムの王アドニ・ツェデクは、ヨシュアがアイを攻め取って、それを聖絶し、先にエリコとその王にしたようにアイとその王にもしたこと、またギブオンの住民がイスラエルと和を講じて、彼らの中にいることを聞き、大いに恐れた。
エルサレムは、ギブオンの近くにあります。王の名前「アドニ・ツェデク」ですが、これは「義の主」という意味です。ツェデクが「義」で、「アドニ」が主です。以前、アブラハムに、サレムの王であるメルキゼデクが現われたことを思い出してください。サレムはエルサレムの短縮形ですが、彼の名前の意味は、「義の王」でした。互いに似た名前です。
それは、ギブオンが大きな町であって、王国の都の一つのようであり、またアイよりも大きくて、そこの人々はみな勇士たちであったからである。
ギブオンのような大きな町がイスラエルに屈服したのだから、自分たちも殺されるとアドニ・ツェデクは思いました。
それで、エルサレムの王アドニ・ツェデクは、ヘブロンの王ホハム、ヤルムテの王ピルアム、ラキシュの王ヤフィア、エグロンの王デビルに使いをやって言った。
これら4人の王は、エルサレムより南にある町の王です。
「私のところに上って来て、私を助けてください。私たちはギブオンを打ちましょう。ギブオンがヨシュア、イスラエル人と和を講じたから。」それで、エモリ人の五人の王たち、エルサレムの王、ヘブロンの王、ヤルムテの王、ラキシュの王、エグロンの王とその全陣営は、相集まり、上って行って、ギブオンに向かって陣を敷き、それを攻めて戦った。
イスラエルがエバル山のところに行った後と同じように、彼らは相集まって戦おうとしています。相手はギブオン人です。イスラエルと盟約を結んでいるので、彼らはすでにイスラエルの陣営にいると考えられます。
ギブオンの人々は、ギルガルの陣営のヨシュアのところに使いをやって言った。「あなたのしもべどもからあなたの手を引かないで、早く、私たちのところに上って来て私たちを救い、助けてください。山地に住むエモリ人の王たちがみな集まって、私たちに向かっているからです。」
ギブオン人がイスラエルに助けを呼び求めました。
そこでヨシュアは、すべての戦う民と、すべての勇士たちとを率いて、ギルガルから上って行った。
ギルガルからギブオンは、上り坂になっています。けれども彼らはとにかく行きました。
主はヨシュアに仰せられた。「彼らを恐れてはならない。わたしが彼らをあなたの手に渡したからだ。彼らのうち、ひとりとしてあなたの前に立ち向かうことのできる者はいない。」
主が再び、ヨシュアに語られました。「恐れてはならない」です。そして、「彼らをあなたの手に渡したからだ」と完了形でお語りになっています。すでに約束は与えられています。それを自分のものとするのは、信仰によってです。私たちも、多くの約束が神から与えられています。その中での大きなものは、「御霊によって歩めば、肉の欲望を満足させることはない」という約束です。私たちがもがいている自分の弱さ、まだキリストには似遣わぬ部分。けれども、すべてそこを神の御霊に支配していただくことは可能です。それは信仰によって、もう自分のものではない。関係のないことだとみなすことです。
それで、ヨシュアは夜通しギルガルから上って行って、突然彼らを襲った。
ヨシュアは急襲をしかけるために、夜にギルガルに上って行きました。大変ですが、ヨシュアは時宜を逸したくなかったのです。私たちは待ち過ぎるときがあります。主が、「これを行ないなさい」と言われても、「いや、もうちょっと待っています。」と言って神が与えられたチャンスを逃すこともあります。ヨシュアは夜に出かけて行きました。
主が彼らをイスラエルの前でかき乱したので、イスラエルはギブオンで彼らを激しく打ち殺し、ベテ・ホロンの上り坂を通って彼らを追い、アゼカとマケダまで行って彼らを打った。
主は、「わたしが、彼らをあなたがたの手に渡した」と言われましたが、主が彼らのために戦っておられます。主は彼らをパニック状態に陥れられました。そこでヨシュアたちは彼らを激しく打ち殺すことができ、また西へ西へと彼らを追い詰めることができました。
彼らがイスラエルの前から逃げて、ベテ・ホロンの下り坂にいたとき、主は天から彼らの上に大きな石を降らし、アゼカに至るまでそうしたので、彼らは死んだ。イスラエル人が剣で殺した者よりも、雹の石で死んだ者のほうが多かった。
再び主が戦っておられます。彼らは、ベテ・ホロンを境に下り坂になるので、イスラエルと距離を離すことができます。けれども主が雹を降らせました。自然現象において、雹は大きいと野球ボールぐらいのもありますから、容易に彼らを殺すほどの威力を持っているでしょう。
主がエモリ人をイスラエル人の前に渡したその日、ヨシュアは主に語り、イスラエルの見ている前で言った。「日よ。ギブオンの上で動くな。月よ。アヤロンの谷で。」民がその敵に復讐するまで、日は動かず、月はとどまった。これは、ヤシャルの書にしるされているではないか。こうして、日は天のまなかにとどまって、まる一日ほど出て来ることを急がなかった。主が人の声を聞き入れたこのような日は、先にもあとにもなかった。主がイスラエルのために戦ったからである。
聖書の全歴史においても目立つ、主の不思議なみわざの記録です。太陽がまる一日沈むことなく、天にとどまっていました。
ヨシュアは、日が沈んでしまえば、彼らを追跡できないのですが、そこで日が沈まないようにと主に祈りました。ギブオンの上、南に太陽があり、アヤロンはギブオンの西にありますが月が西にありました。このままでは、5〜6時間後に日が沈んでしまいます。夜の追跡では、もちろん彼らを逃がしてしまいます。そこで日が止まるように、と祈りました。
主がなぜ、このような祈りを聞かれたのでしょうか。それは、主ご自身がエモリ人を滅ぼすことをみこころとされていたからです。アブラハムの時から、主は、エモリ人が自分たちの咎を積み上げているのをご存知でした。モーセを通して、彼らを打ち滅ぼすことを意図していることを知らせました。主は明らかに、これらの民を滅ぼすことを意図していたため、その意向を受け入れて奮闘していたヨシュアの祈りを聞かれたのです。ヨハネは手紙の中で、こう言っています。「何事でも神のみこころにかなう願いをするなら、神はその願いを聞いてくださるということ、これこそ神に対する私たちの確信です。(1ヨハネ5:14)」私たちが初めに、神のみこころを知ることが大事です。自分が何かを行なって、その願いを主に話すのではなく、主が行なわれたいことを自分が聞き、それを行なうときに祈り申上げるのです。その時にいのる祈りは、何でも聞かれます。それが神の約束です。
ヨシュアは、全イスラエルを率いてギルガルの陣営に引き揚げた。
2C ほら穴の5人 16−27
これらの五人の王たちは逃げて、マケダのほら穴に隠れた。
五人の王の軍隊を完全に負かした後にイスラエルはギルガルに戻ったのですが、16節からは、少し前に戻って、イスラエルが追跡している間に、五人の王がマケダのほら穴に隠れた話を記録しています。
その後、マケダのほら穴に隠れている五人の王たちが見つかったという知らせがヨシュアにはいった。そこでヨシュアは言った。「ほら穴の口に大きな石をころがし、そのそばに人を置いて、彼らを見張りなさい。しかしあなたがたはそこにとどまってはならない。敵のあとを追い、彼らのしんがりを攻撃しなさい。彼らの町にはいらせてはならない。あなたがたの神、主が彼らをあなたがたの手に渡されたからだ。」
この戦いは、五人の王を打って終わりではありません。その地域の住民をことごとく打ち滅ぼすがその使命です。ですから五人はほら穴に閉じ込めたままにして、敵のあとを追うように命令します。
ヨシュアとイスラエル人は、非常に激しく打って、彼らを絶ち滅ぼし、ついに全滅させた。彼らのうちの生き残った者たちは、城壁のある町々に逃げ込んだ。
ごく少数の者たちを除いて、全滅させることが出来ました。
そこで民はみな無事にマケダの陣営のヨシュアのもとに引き揚げたが、イスラエル人に向かってののしる者はだれもなかった。
すべての者がイスラエルに屈服しています、ののしる者がいません。
その後、ヨシュアは言った。「ほら穴の口を開いて、ほら穴からあの五人の王たちを私のもとに引き出して来なさい。」彼らはそのとおりにして、ほら穴からあの五人の王たち、エルサレムの王、ヘブロンの王、ヤルムテの王、ラキシュの王、エグロンの王を彼のもとに引き出して来た。彼らがその王たちをヨシュアのもとに引き出して来たとき、ヨシュアはイスラエルのすべての人々を呼び寄せ、自分といっしょに行った戦士たちを率いた人たちに言った。「近寄って、この王たちの首に足をかけなさい。」そこで彼らは近寄り、その王たちの首に足をかけた。
首に足をかけるのは、イスラエルが五人の王を屈服させていることのジェスチャーです。
ヨシュアは彼らに言った。「恐れてはならない。おののいてはならない。強くあれ。雄々しくあれ。あなたがたの戦うすべての敵は、主がこのようにされる。」このようにして後、ヨシュアは彼らを打って死なせ、彼らを五本の木にかけ、夕方まで木にかけておいた。
見せしめのために五人を木にかけました。
日の入るころになって、ヨシュアは彼らを木から降ろすように命じ、彼らが隠れていたほら穴の中に投げ込み、ほら穴の口に大きな石を置かせた。今日もそうである。
イスラエルが五人の王に勝ったことを、この大きな石によって示しています。
3C 南部地域の攻略 28−43
その日、ヨシュアはマケダを攻め取り、剣の刃で、この地とその王とを打った。彼は、この地とその中にいたすべての者を聖絶し、ひとりも生き残る者がないようにした。彼はエリコの王にしたように、マケダの王にもした。
マケダで五人を殺した後、その町全体を滅ぼしました。エリコを滅ぼしたように滅ぼしました。
ヨシュアは全イスラエルを率いて、マケダからリブナに進み、リブナと戦った。
リブナはマケダの町の北東にあります。けれどもマケダもリブナも、エルサレムよりも南にあります。今イスラエルは南部地域にいます。
主が、その地も、その王も、イスラエルの手に渡されたので、彼は、この地とその中のすべての者を、剣の刃で打ち、その中にひとりも生き残る者がないようにした。彼はエリコの王にしたように、その王にもした。ヨシュアはまた、全イスラエルを率いて、リブナからラキシュに進み、それに向かって陣を敷き、それと戦った。
ラキシュの王と軍隊は全滅させたのですが、ラキシュの町自体は存在しているので、そこで戦いました。
主がラキシュをイスラエルの手に渡されたので、彼は二日目にそれを取り、それと、その中のすべての者を、剣の刃で打った。すべてリブナにしたとおりであった。そのとき、ゲゼルの王ホラムが、ラキシュを助けるために上って来たので、ヨシュアは、彼とその民を打ち、ひとりも生き残る者のないまでにした。
ゲゼルはずっと北にある町です。同盟関係にあったのでしょうか、ラキシュを助けにやって来ましたが、ことごとくヨシュアたちの前で倒れました。
ヨシュアはまた、全イスラエルを率いて、ラキシュからエグロンに進み、それに向かって陣を敷き、それと戦った。彼らはその日それを取り、剣の刃でそれを打ち、その日、その中のすべての者を聖絶した。すべてラキシュにしたとおりであった。
ラキシュの次はエグロンでした。エグロンはラキシュの南西にあります。
ヨシュアはまた、全イスラエルを率いて、エグロンからヘブロンに上り、彼らはそれと戦った。彼らは、それを取り、それとその王、およびそのすべての町々とその中のすべての者を、剣の刃で打ち、ひとりも生き残る者がないようにした。すべてエグロンにしたとおりであった。彼は、それとその中のすべての者を聖絶した。
エグロンの次はヘブロンです。ヘブロンは、エグロンの西方にあります。
ヨシュアは全イスラエルを率いて、デビルに引き返し、これと戦った。そして彼は、その地とその王、およびその中のすべての町々を取り、剣の刃でこれらを打ち、その中のすべての者を聖絶し、ひとりも生き残る者がないようにした。彼がデビルとその王にしたことは、ヘブロンにしたとおりであり、またリブナとその王にしたとおりであった。
デビルはヘブロンの南方にあります。これも、他の町々と同じようにことごとく滅ぼしました。
こうして、ヨシュアはその全土、すなわち山地、ネゲブ、低地、傾斜地、そのすべての王たちを打ち、ひとりも生き残る者がないようにし、息のあるものはみな聖絶した。イスラエルの神、主が命じられたとおりであった。
南部の全域にある町々の王たちを倒すことができました。「主が命じられたとおりであった」というのが大事な言葉です。
ヨシュアは、また、カデシュ・バルネアからガザまで、およびゴシェンの全土をギブオンに至るまで打った。
カデシュ・バルネアは、覚えていますね、イスラエルが荒野にいたとき、そこから入ろうとしたところです。
ヨシュアはこれらすべての王たちとその地とをいちどきに攻め取った。イスラエルの神、主が、イスラエルのために戦われたからである。
10章を読むと、イスラエルの民のところに、いろいろな王たちがやって来て、連鎖的に戦いを交えました。そして連戦連破であったのは、主がイスラエルのために戦われたから、とあります。霊の戦いにおいても、私たちは主が戦ってくださることを忘れてはいけません。私たちがヨシュアのように、優柔不断になることなく、ただ一途に主が言われたことをことごとく行なっていくのであれば、必ず主が戦ってくださいます。私たちのうちにおられる方は、悪い者よりも力があり、偉大なのです。
それで、ヨシュアは全イスラエルを率いて、ギルガルの陣営に引き揚げた。
2A 土地の占領 11−12
1B 北部地域の攻略 11
1C ハツォルの王 1−15
ハツォルの王ヤビンは、このことを聞いて、マドンの王ヨバブ、シムロンの王、アクシャフの王、また北方の山地、キネレテの南のアラバ、低地、西方のドルの高地にいる王たち、すなわち、東西のカナン人、エモリ人、ヘテ人、ペリジ人、山地のエブス人、ミツパの地にあるヘルモンのふもとのヒビ人に使いをやった。
これまでの王たちは、南部地域にいましたが、ここは北にいる王たちです。ハツォルは、ガリラヤ湖の北にあります。ガリラヤの地域です。
それで彼らは、その全陣営を率いて出て来た。その人数は海辺の砂のように多く、馬や戦車も非常に多かった。
とてつもない大人数による集結です。しかも、馬と戦車があります。
これらの王たちはみな、相集まり、進んで来て、イスラエルと戦うために、メロムの水のあたりに一つになって陣を敷いた。
南の五人の王たちと同じく、彼らも相一つになって集まりました。メロムの水は、ハツォルの西にあります。終わりの時も同じですね、全世界の軍隊がハルマゲドンに集結して、それからイスラエルを攻めます。
主はヨシュアに仰せられた。「彼らを恐れてはならない。あすの今ごろ、わたしは彼らをことごとくイスラエルの前で、刺し殺された者とするからだ。あなたは、彼らの馬の足の筋を切り、彼らの戦車を火で焼かなければならない。」
今までよりもはるかに多い人数と強さですが、主は勝利を約束されました。しかも、馬の足の筋を切り、戦車は火で焼きます。
そこで、ヨシュアは戦う民をみな率いて、メロムの水のあたりで、彼らを急襲し、彼らに襲いかかった。
彼らが襲い掛かるのを待つのではなく、自分たちから襲いかかりました。
主が彼らをイスラエルの手に渡されたので、イスラエルは、彼らを打ち、大シドン、およびミスレフォテ・マイムまで追い、さらに東のほうでは、ミツパの谷まで彼らを追い、ひとりも生き残る者がないまでに彼らを打った。
ミツパにいる敵は、北西と北東に二股に分かれて逃げたようです。
ヨシュアは、主が命じたとおりに彼らにして、彼らの馬の足の筋を切り、彼らの戦車を火で焼いた。
馬の足を切り、戦車を火で焼くことは、主の軍が、これら人間の軍隊よりも強いことを示しています。詩篇20篇7節には、「ある者はいくさ車を誇り、ある者は馬を誇る。しかし、私たちは私たちの神、主の御名を誇ろう。」とあります。能力によらず、権勢によらず、わたしの霊によって、とも主は仰せになりました。
そのとき、ヨシュアは引き返して、ハツォルを攻め取り、その王を剣で打ち殺した。ハツォルは以前、これらすべての王国の首都だったからである。彼らは、その中のすべての者を剣の刃で打ち、彼らを聖絶した。息のあるものは、何も残さなかった。彼はハツォルを火で焼いた。
カナン人などの住民は、中央主権ではなく、各町を治めていた王たちがいただけだったようです。ハツォルは、けれどもいろいろな王国の首都であったようです。
ヨシュアは、それらの王たちのすべての町々、および、そのすべての王たちを捕え、彼らを剣の刃で打ち殺し、聖絶した。主のしもべモーセが命じたとおりであった。ただしイスラエルは、丘の上に立っている町々は焼かなかった。ヨシュアが焼いたハツォルだけは例外である。これらの町々のすべての分捕り物と家畜とは、イスラエル人の戦利品として自分たちのものとした。ただし人間はみな、剣の刃で打ち殺し、彼らを一掃して、息のあるものはひとりも残さなかった。主がそのしもべモーセに命じられたとおりに、モーセはヨシュアに命じたが、ヨシュアはそのとおりに行ない、主がモーセに命じたすべてのことばを、一言も取り除かなかった。
「一言も取り除かなかった」というのが大事なことばです。一部だけを守って、他は無視するのでは、すべてを守っていないのと同じです。サウルが、アマレク人を完全に滅ぼせと命じられたのに、上等な家畜を残していたのを覚えているでしょうか?その罪のために、彼は王位を剥奪されました。私たちは、聖書のどこ言葉を真剣に受け止め、他は軽く受け止めるということがあってはならないわけです。
2C 戦争による占領 16−23
こうして、ヨシュアはこの地のすべて、すなわち山地、ネゲブの全地域、ゴシェンの全土、低地、アラバ、およびイスラエルの山地と低地を取り、セイルへ上って行くハラク山から、ヘルモン山のふもとのレバノンの谷にあるバアル・ガドまでを取った。また、それらの王をことごとく捕えて、彼らを打って、殺した。
今、ヨシュアが制覇した町々をもう一度、振り返っています。
ヨシュアは、これらすべての王たちと長い間戦った。
今学んだ2章では短いように感じますが、数年の月日が経ったと考えられます。
ギブオンの住民ヒビ人を除いては、イスラエル人と和を講じた町は一つもなかった。彼らは戦って、すべてのものを取った。彼らの心をかたくなにし、イスラエルを迎えて戦わせたのは、主から出たことであり、それは主が彼らを容赦なく聖絶するためであった。まさに、主がモーセに命じたとおりに彼らを一掃するためであった。
「彼らの心をかたくなにし」という言葉は、モーセがエジプトのパロと対峙したときにも出てきた言葉です。主は彼らの心に悔い改めの余地がないことを知った上で、彼らがあえてヨシュアに戦いを仕掛けるようにさせました。そのことによって、ヨシュアが徹底的に彼らを聖絶することができ、彼らを一掃することができました。
そのとき、ヨシュアは行って、アナク人を、山地、ヘブロン、デビル、アナブ、ユダのすべての山地、イスラエルのすべての山地から断ち、彼らをその町々とともに聖絶した。
覚えていますか、ガデシュ・バルネアにおいて、イスラエルが恐れたのは、アナク人でした。けれども今アナク人を倒すことができました。
それでイスラエル人の地には、アナク人がいなくなった。ただガザ、ガテ、アシュドデにわずかの者が残っていた。
このわずかに残っていた者から、後にダビデが戦うことになるゴリアテが出てきます。
こうしてヨシュアは、その地をことごとく取った。すべて主がモーセに告げたとおりであった。ヨシュアはこの地を、イスラエルの部族の割り当てにしたがって、相続地としてイスラエルに分け与えた。その地に戦争はやんだ。
これで戦争は終わりです。次から相続地の割り当てに入ります。
2B 王たち 12
その前に12章にて、これまで征服した王たちが列挙されています。まとめになっているので読みませんが、1節から6節までは、モーセが戦った王たちが載っています。エモリ人の王シホン、バシャンあるいはゴラン高原の王オグをモーセが率いるイスラエルが倒しました。そして、7節から16節までは、南にいる王たちが列挙されています。17節から最後までは、北部地域の王たちです。「合計31人の王たち」であったと、最後に書かれています。
ヨシュアがエバル山という霊的ポイントを押さえたら、王たちが攻撃をしかけてきました。イスラエルは、ギブオン人の計略で失敗しましたが、それでもギブオン人を奴隷にすることによって制圧しました。敵が攻めてくることによって、イスラエルは一気に勝利することができ、土地の占領を終えました。ヨシュアが、モーセの言葉を一言残らずに行なったためです。私たちはどれだけ、主のことばを忠実に果たしているでしょうか。主がやりなさいと言われたものを、中途半端ではなく、ことごtく行なっているでしょうか。みこころを行なえば、必ず反対があります。しかし、主が言われたことのみを行なえば、主が戦ってくださいます。
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