レビ記25章25節 「神の贖い」
アウトライン
1A 贖い
2A サタンへの売り渡し
1B 被造物の相続者
2B 土地の呪い
3A 買い戻しの権利のある近親者
1B ボアズ
2B 畑の中の宝
3B サタンの誘惑
4A 世界の中のあなた
1B 封印を解くことができる者
2B 神の子の現われ
3B 舟をなくした男の子
本文
レビ記25章25節をご覧ください。私たちは明日の第二礼拝で24-25章を学びますが、今晩はこの節に注目してみたいと思います。
もし、あなたの兄弟が貧しくなり、その所有地を売ったなら、買い戻しの権利のある親類が来て、兄弟の売ったものを買い戻さなければならない。
1A 贖い
私たちは今晩、「贖い」という言葉に注目してみたいと思います。今、読んだ箇所には「贖い」という言葉が出てきませんでしたが、「買い戻す」というのがそのまま「贖い」のことです。日常の日本語では使われていない言葉なので、どういう意味なのか疑問に思っていた方がおられると思います。これは聖書特有の言葉です。ここレビ記25章の場合は、貧しさが理由で主が与えてくださった相続地を手放すことのないように、近親の人がそれを買い戻すことができるようにすることです。ですからこれは商業上の取引の用語であり、経済的な負債を持っている人に対する解放を意味します。ある人は奴隷にならなければいけませんでしたが、その時にも奴隷にしている人に金銭を支払ってその奴隷を買い取って、そして奴隷を解き放つこともしました。
実に聖書では、罪を犯したことを「負い目を持っている」という表現で出てきます。イエス様は、「私たちの負いめをお赦しください。私たちも、私たちに負いめのある人たちを赦しました。(マタイ6:12)」と祈りなさいと命じられました。そして罪を赦すことを、「負債を帳消しにする」例えとしてイエス様は、一万タラントの借りのある僕の話をされました(マタイ18:23-35)。一万タラントとは6000日分の労働に値する金額ですから、20年分の給料に等しいでしょう。
皆さんも借金をしたときの重圧を知っておられると思います。そこには、自分自身が返済しなければいけない重責が伴います。今、日本で自殺が多いのは、たとえ借金をしていなくても、職を失ったとかその他の責任でその重圧に耐え切れなくなって命を断つ場合ということが一つの原因です。実に聖書では罪を犯すということは、借金をするのと同じであり、「水に流す」という軽々しいものではなく、返済しないかぎりいつまでも残るもので、それゆえ牢獄に入れられるということなのだ、と教えています。
2A サタンへの売り渡し
1B 被造物の相続者
けれども、ここで大事なのは、人間は元々そのようには造られていなかった、ということです。私たちは、特に日本の人たちは、「私が背負っていかなければいけない責任がある」という重責感を持って生きていて、それが満たされないと自分を非常に責めるのですが、人間は元々、そのような負い目の中に生きるようには造られていませんでした。
創世記1章26節には、神が六日目に人を造られて、こう宣言されました。「われわれに似るように、われわれのかたちに、人を造ろう。そして彼らに、海の魚、空の鳥、家畜、地のすべてのもの、地をはうすべてのものを支配させよう。」と仰せられた。」そして28節には、「神はまた、彼らを祝福し、このように神は彼らに仰せられた。「生めよ。ふえよ。地を満たせ。地を従えよ。海の魚、空の鳥、地をはうすべての生き物を支配せよ。」神が造られた他のあらゆる万物を支配するように、神は命じられていました。神がすべてのものを支配されていたように、似たものとして人を造られたのですから、彼らにもその被造物を支配するように、従わせるようにお造りになったのです。
私たちは何物にも支配されることなく、唯一、神のみの支配を前面に受けて、この方に委ね、この方に明け渡すことによって、完全に自由に生きることができるように造ってくださったのです。実はキリスト者は、すでにそのような状態に回復させていただいているのですが、パウロは、「私はだれに対しても自由ですが、より多くの人を獲得するために、すべての人の奴隷となりました。(1コリント9:19)」と言いました。誰からも支配されることはない、けれども、その自由を、愛をもって他の人々に仕えるために用いていくという人間本来の自由な姿でいられるのです。
2B 土地の呪い
ところが、アダムの妻エバは、サタンの誘惑を受け、禁断の実を食べてしまいました。そしてアダムも食べました。この時にアダムが失ったものは、神に与えられていた被造物の支配権を悪魔に引き渡してしまいました。この世界がもはや、神に支配されている人が神の代理として支配するのではなく、悪魔の支配下に入ったのです。使徒ヨハネは、「全世界は悪い者の支配下にあることを知っています。(1ヨハネ5:19)」と言いました。そしてアダムに対して、「土地は、あなたのゆえにのろわれてしまった。あなたは、一生、苦しんで食を得なければならない。(創世3:17)」と言われて、世界が呪いの下に置かれたことを告げられたのです。
3A 買い戻しの権利のある近親者
したがって今は、人間がこの世界と共に悪魔に売り渡されている状態にいあると言えます。ちょうど、レビ記25章にある、貧しい兄弟が自分の土地を売り渡してしまったのと似ています。この状態から解放するために、近親の人がそれを買い戻すことができるように神は逃れの道を与えられたのですが、その方が私たちの主イエス・キリストであります。
1B ボアズ
聖書の中に、ここの律法を具体的に実行している麗しい話があります。ルツの夫のなるボアズです。ルツは、エリメレクという人の嫁でした。けれども自分の夫がすぐに死んでしまい、姑のナオミといっしょに実家であるベツレヘムに戻りました。姑と嫁だけの二人暮らしを支えたのは、落ち穂拾いです。レビ記で律法の中に、畑の四隅を刈り取ってはならない、やもめや貧しい人に落ち穂を拾わせなさい、という命令がありましたね。
そしてその畑の持ち主が、実はエリメレクの親戚でボアズという人でした。ボアズはルツを心から愛して、彼女をかばいました。ナオミが、ボアズが近親の者であることを知って、彼女がボアズのところに行ってプロポーズをするように言いつけました。ボアズが寝ているところの足のところに、彼女は入り込んだのです。これは不品行な行為ではなく、当時、そのようにして結婚の意思を表しました。
ボアズはそれで、エリメレクの畑を買い戻すことにしたのです。彼は、その畑を買い戻すこと自体に興味があったのではなく、エリメレク家のものになっているルツと結婚したかったから、畑を買い戻しました。
実はこれが、イエス様が私たちの為にしてくださったことなのです。イエス様は、ボアズと同じように近親者になってくださいました。神の身分であったにも関わらず、人の姿を取り、私たちを買い戻すことを意図しておられました。「人の子が来たのも、仕えられるためではなく、かえって仕えるためであり、また、多くの人のための、贖いの代価として、自分のいのちを与えるためなのです。(マルコ10:45)」
2B 畑の中の宝
イエス様は天の御国の例えの中でこう語られています。「天の御国は、畑に隠された宝のようなものです。人はその宝を見つけると、それを隠しておいて、大喜びで帰り、持ち物を全部売り払ってその畑を買います。(マタイ13:44)」宝をある畑の一画で見つけました。その宝が欲しいです。けれども、その畑は他者の所有地です。それでその畑そのものを自分の全財産を払って買い取り、その宝を手にしました。これは、ちょうどボアズが、ルツが欲しいためにエリメレクの畑を買い戻したのと同じであり、そしてイエス様ご自身がご自分の愛を示したいと願われている者たちを、自分のものにするために、この全世界を買い戻してくださったのです。
この世界を神は回復されます。キリストの流された血を代価として、この世界を悪魔から買い取られたのです。イエス様がまだこの地上に戻ってこられて、その所有権を行使していないので、悪魔は依然としてこの世の神として動き回っています。けれども、既にキリストがこの世を神のもとにご自分の血によって買い戻されたのです。したがって、イエス様が再びこの世に来られる時は、悪魔によってめちゃくちゃにされてきたこの地球を、当初のエデンの園のように回復されます。悪魔ではなく、事実、神のものとされた人々によって、キリストと共に統治させることによって、この世界を再びご自分の意図の通りに動かされるのです。
神がそのことを行われるのは、この地球の環境が汚染されたのを惜しんでいるからではありません。もちろん、神はご自分が創造された生物や自然を大切に思っておられます。けれども、ただあなたをご自分のものに取り戻したくて、その愛で、全世界を変えることをお決めになったのです。あなたが畑の中の宝であり、その宝を得るために、畑そのものを購入してくださったのです!イザヤはこう預言しました。「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。(43:4)」この全世界を造ってくださった方が、あなたを愛しています。そしてあなたを愛しているので、この全世界をすべて変えることまでして、あなたを取り戻したい、贖いたいと願われたのです。それで、ご自分の御子の血によってこの世界を買い戻されたのです。
3B サタンの誘惑
イエス様が、世界を贖うという目的で来られたという意図をはっきり見ることのできるのは、悪魔の誘惑を受けられたときです。「今度は悪魔は、イエスを非常に高い山に連れて行き、この世のすべての国々とその栄華を見せて、言った。『もしひれ伏して私を拝むなら、これを全部あなたに差し上げましょう。』イエスは言われた。『引き下がれ、サタン。「あなたの神である主を拝み、主にだけ仕えよ。」と書いてある。』(マタイ4:8-10)」
主は、悪魔がこの世のすべての国々とその栄華を見せて、これらがすべて悪魔のものであるとして彼の発言に反論されることはありませんでした。なぜなら、事実そうだったからです。イエス様は、悪魔のことを「この世の君(ヨハネ12:31等)」と呼ばれました。使徒パウロも、「この世の神」と呼んでいます(2コリント4:4)。私たちが、この世界で起こる災害について、この世界で起こる様々な悪い出来事についてそれを神のせいにするのは的外れです。これは神の意図された世界ではなく、悪魔が神の造られた被造物を歪めているから起こっていることです。
そしてイエス様は、悪魔の差し出しを拒まれました。主は、十字架という、対価を支払うことなくして贖いは成し遂げることはできないことを知っておられたからです。イエス様は、ご自分が十字架につけられることを弟子たちに話されたときに、ペテロは、「そんなことはあってはならない」と言っていさめましたが、イエス様は、「下がれ。サタン。あなたはわたしの邪魔をするものだ。あなたは神のことは思わないで、人のことを思っている。(マタイ16:23)」と言われました。十字架を通らずして世界をご自分のものにするというのは、悪魔の考えだったのです。
私たちも、結果を早く得たいと願う時代に生きています。その背後には悪魔が働いています。欲望というものは、充足を十分な訓練と練り清めなしに得ようとする拙速な獲得を求めます。父なる神は、ご自分の全財産、つまり唯一の独り子を罪のいけにえとして支払われたのです。
4A 世界の中のあなた
1B 封印を解くことができる者
イエス・キリストが戻ってこられるというのは、十字架による贖いによって既に神のものとなった世界を、その所有権を行使する出来事であります。実際に自分のものになっても、既に居座っている者が不当に占拠している、ということは世間でもしばしば起こっていますね。行政がある建物に重機を持ってきて、建物を破壊するとき、あるいは警察が中にいる者たちを実力行使で除去することによって、実際の所有者のものとなります。主が戻ってこられるのは、地上で暴れ狂う悪魔を鎖で縛りつけるためであります。
黙示録5章には、天において封印された巻き物が出てきます。一人の強い天使が、「巻き物を開いて、封印を解くのにふさわしい者はだれか。」と叫びますが、天にも、地にも、地の下にも、だれひとり巻き物を開くことのできる者も、見ることのできるものもいませんでした。私たちは、この世界を救ってくれるものを求めて願っています。哲学であったり、科学であったり、社会思想であったり、いろいろです。けれども、結果は問題が初めに起こった時よりもさらに酷くなりました。
それで使徒ヨハネは、むせび泣いています。けれども、天にいる長老の一人がこう言いました。「泣いてはいけない。見なさい。ユダ族から出たしし、ダビデの根が勝利を得たので、その巻き物を開いて、七つの封印を解くことができます。(黙示5:5)」その勝利とは、イエス様がほふられた小羊のようにして死なれて、そしてよみがえられたことを指しています。そして、その後、天においてイエス様に対する賛美が始まります。そしてそれから、小羊なるイエス様が封印を一つ一つ解かれて、地上に災いが降り注いでいくのです。この地上に対して、主イエス・キリストこそが所有権を持つ贖い主であることを、力をもって示しておられるのです。
そして、それら災いが地上に降り注がれる前に、主はご自分の教会を天に召しておられます。「あなたは、巻き物を受け取って、その封印を解くのにふさわしい方です。あなたは、ほふられて、その血により、あらゆる部族、国語、民族、国民の中から、神のために(私たち)を贖い、私たちの神のために、(私たち)を王国とし、祭司とされました。彼らは地上を治めるのです。(5:9-10 欽定訳にしたがって一部変更)」教会は天においてこのようにすでにキリストのものとされ、そして主が地上に戻られるときに、共に地上にやってくるのです(黙示19:14)。
2B 神の子の現われ
今の地球は、この時を待ち望んでいます。今の天地は、確かに神の造られた偉大なものですが、それでも理想からは程遠いです。天災があり、事故があり、住むには過酷なところとなりつつあります。そこで被造物は、神の子の現れを待ち望んでいる、と書かれている箇所があります。ローマ人への手紙8章19節から23節までをお読みします。
被造物も、切実な思いで神の子どもたちの現われを待ち望んでいるのです。それは、被造物が虚無に服したのが自分の意志ではなく、服従させた方によるのであって、望みがあるからです。被造物自体も、滅びの束縛から解放され、神の子どもたちの栄光の自由の中に入れられます。私たちは、被造物全体が今に至るまで、ともにうめきともに産みの苦しみをしていることを知っています。そればかりでなく、御霊の初穂をいただいている私たち自身も、心の中でうめきながら、子にしていただくこと、すなわち、私たちのからだの贖われることを待ち望んでいます。
神の子供たちとは、イエス・キリストを信じて心に受け入れている人々のことです。その現れというのは、栄光の姿に変えられた信者たちがキリストと共にこの世に戻ってくることを意味しています。この世界は、私たち自身が復活して、あるいは携挙によって体が変えられて、私たち自身の体が贖われるのを待っているのです。かつてアダムが全世界を神に委ねられて支配したように、私たち自身が神の形に回復して、そしてこの世界を支配するときこそが、自分たちの解放もあることを知っているのです。この世界はキリストのものであり、そして私たちはキリストにあってこの世界の中心なのです。
3B 舟をなくした男の子
最後に、自分の作った舟をなくした男の子の話をしたいと思います。トムという男の子でしたが、自分の作成したボートを、川岸まで持っていき、紐につけて、少しずつ川に浮かべていきました。ちゃんと浮かんでいます!彼は暖かい日差しに当たりながら、自分の作った舟を楽しんでいました。ところが、川の流れが急に強くなりました。舟を岸辺に引っ張ろうとしたところ、なんと紐が切れてしまいました。その小さな舟は、下流に流れされるままになりました。
トム君は、砂の岸辺に沿って、全速力で走りましたが、とうとう視界から遠く離れてしまいました。午後の間ずっと探していましたが、ついに暗くなったので、悲しみながら帰宅しました。
数日後、学校から帰る途中、自分の舟にそっくりな舟がお店の窓際に陳列されていました。近づいてみると、まさしく彼が作ったものでした!お店の主人に、「すみません、あの窓際にある舟ですが、僕が作ったんです。」と言いました。けれどもお店の人は、「ごめんね、坊や。でも誰か他の人が今朝、ここに持ってきたんだよ。もし欲しかったら、一ドルで買わなければいけないんだ。」
トム君は家に走って帰って、自分の所持しているお金を数えました。ちょうど一ドルでした!そしてお店に急いで戻って、お会計台に一ドルを出して、「これで、僕の舟を買います。」と言いました。お店を出てから、彼は舟を抱きしめ、こう言いました。「これで君は、二度、僕のものになったね。一度目は、僕が作ったから僕のものだった。二度目の今は、僕が買ったから僕のものになった。」
分かりますか、これが神がキリストにあって私たちに行ってくださったことです。神は、「わたしはあなたのものだ。」と仰っています。「わたしが初めに造ったのだ。」そして「わたしは、二度目にあなたを買い戻したのだ。」と言われています。
神はあなたを愛しています。それは神があなたを造られたからです。けれども、あなたはそれに気づかず、神から遠くはなれて生きていました。この世に中で悪魔に売られていた状態だったのです。それで、神はなんとご自分の御子の命という財産を支払い、そしてあなたを捜しておられるのです。そしてあなたがキリストを信じているのであれば、あなたは神の二重の愛を受けています。「あなたはもう、わたしのものだ。わたしは決してあなたを見捨てない。」