これから、再びブログを開始したいと思います。
まず、お知らせから。
次回の恵比寿バイブル・スタディは、12月22日(火)7時からです。(一時このブログで21日と変更してしまいましたが、22日になったそうです。)箇所は、イザヤ書43章からです。
ご参加希望の方は、ebisu.bs @gmail.comまでご連絡ください。
(・・・bsと@の間の一マスを取ってから送信してください)
これから、再びブログを開始したいと思います。
まず、お知らせから。
次回の恵比寿バイブル・スタディは、12月22日(火)7時からです。(一時このブログで21日と変更してしまいましたが、22日になったそうです。)箇所は、イザヤ書43章からです。
ご参加希望の方は、ebisu.bs @gmail.comまでご連絡ください。
(・・・bsと@の間の一マスを取ってから送信してください)
これからしばらく、諸々の事情で投稿ができなくなります。12月下旬には再開できると思いますので、それまでは過去の投稿をお読みください。紹介の書籍については、読まれることをぜひお勧めします。
あと、恵比寿バイブルスタディは、下の投稿にあるように、9-12月の間も月2回、行っておりますのでぜひいらしてください!
Epicenter: Why the current rumblings in the Middle East will change your future
(震央: なぜ、中東での今のゴタゴタがあなたの将来を変えるのか)
順番が前後しましたが、ジョエル・ローゼンバーグ氏によるノンフィクション第一弾です。
この書の主題は「第三のレンズ」です。世界情勢を読み解く時に、公の機関が出すもの、そしてテレビ、新聞、インターネット等の媒体によるものがありますが、何らかの視点を持って見ています。一つの出来事でも、経済学では、マルクス経済と近代経済が全然違う答えを出すように、どのレンズを使うかによって、見えてくるものも変わります。そして聖書を信じるキリスト者には、聖書預言というレンズがあるのだ、ということを提唱しています。
著者は、選挙キャンペーンに携わる仕事から降りて、文筆活動を始めました。国際政治に関わるフィクション小説です。内容は、「神風特攻隊のごとく、イスラム主義者が旅客機をハイジャック、そのままアメリカの都市を攻撃する」という始まりですが、彼がこれを書き上げ、出版社に送ろうとしていた時、彼の自宅の上空を、ペンタゴンに向かうあのアメリカン・エアー77便が飛んでいたのです。
それから、彼は「ノストラダムス」と呼ばれるようになりました。彼が執筆する小説の出来事が、ことごとくその通りになっていくからです。アラファトの死とその後の中東和平の努力、ロシアとイランの軍事同盟と核開発、これらがことごとくその通りになりました。そしてこのEpicenterでは、イラクは確実に復興すると予告していますが、当時、イラクは戦後の内乱が続いている中で到底信じられるものではありませんでしたが、今は、着実に復興し、情勢も比較的安定しています。
太平洋戦争で負けた日本はその復興のため、特にイスラエル建国に関わる中東情勢の変化に追いついていませんでした。そこで、世界を見つめる物差しとして、一つは、左翼思想に基づく「強者 対 弱者」の二重構造、もう一つはそれと似ていますが、「得体の知れない支配者 対 操作されている人々」の構図で見る陰謀論が、特にインターネットの中ではまかり通っています。イスラエルやパレスチナ、またアメリカの政治を見るとき、この視点でしか見ていない気がします。
けれども、聖書を信じる者には「先を見る」という特権が与えられています。個人的には、永遠の命という幻、そして世界的には、神の国の到来という将来を見ることができるのです。そして、今起こっていることも、確実に、その終末に向かっていることを、聖書を通して見通すことができるのです。
そしてローゼンバーグ氏は、預言をエゼキエル38,39章に絞って論じています。そこには、ロシアとペルシヤ(イラン)が率いるイスラエル攻撃、そして神の介入を預言している個所ですが、ロシアのプーチンの台頭と、マーディ(イスラム版メシヤ)の到来を熱望するアフマディネジャドとの同盟が、その危険性を一段と増し加えていることを指摘しています。
その他、イスラエルに石油採掘が行われること、イラクはこの預言にはイスラエル攻撃の国として列挙されていないので、必ずイラクはイスラエルに比較的友好になること、イスラエルは比較的、安全な土地になることなども予告していますが、これらはすべてその通りになっています。
そしてこの世界の震源地で、もっとも霊的な地震である、イスラム教徒の間でのキリストへの回心を報告しています。これが米国同時多発テロを契機に起こり始めていることを論じています。イスラム過激派のすることを見て、多くのムスリムがイスラム教そのものに幻滅したからです。(こちらに日本語訳の記事があります)
このような見方は、いわゆる「国際情勢の読み解き」の類のニュースでは出てこない話しです。私たちはしっかりこの目を持って、この世の光となっていく必要があるでしょう。
ちなみに、今オバマ政権になり、大衆主義がそのまま外交政策になってしまいました。(その証拠に、マスコミはオバマ大統領を批判していません。)これまでのアメリカの政治外交の良き伝統を捨ててしまいました。けれども、政府関係者、ペンタゴンの人など、ジョエル・ローゼンバーグ氏を招いて聖書が語る世界を傾聴しているのは、何よりもの救いです。
Inside the Revolution: How the Followers of Jihad, Jefferson & Jesus Are Battling to Dominate(革命の内幕: ジハード、ジェファーソン、イエスの追従者が、支配権を取るべくいかに戦っているか)
これは、ジョエル・ローゼンバーグ氏による、ノンフィクション第二弾です。第一弾は、”Epicenter”ですが、これは、きよきよの部屋の「聖書の中のイラク」にて少し説明しています。
この二冊は、自分のこれからの生き方に影響を与えたと言っていいぐらいの内容でした。聖書預言が単に興味本位の対象ではなく、宣教への熱い原動力となることを教えてくれました。
「革命の内幕」とは、イスラム圏で起こっていることについての革命です。このブログでも、イスラム主義について言及しましたが、まず「ジハード(聖戦)」による革命を考える人々がいます。ビンラディンからイランのアフマディネジャド大統領までの幅広いイスラム過激派の歴史、意図、そして神学を取り扱っています。
この最後の神学の部分が非常に重要で、イスラムのメシヤであるマーディの到来を早め、それを対イスラエル、対アメリカに対する核攻撃で行なうという信念を今のイラン指導陣は強固に持っています。
ここまでは、他の多くの書籍も扱っているでしょう。日本語なら藤原和彦氏による著作をお勧めします。
けれども、この本で特徴的なのは穏健派イスラム革命をも取り上げていることです。アフガニスタン、イラク、パキスタンのブッド女史、トルコ、ヨルダン、そしてモロッコを挙げています。彼らはトーマス・ジェファーソン主義、つまり人権・民主主義・自由経済を強固に信じています。
そして彼らは過激派と同じように、いや彼らは彼ら以上にコーランを信じ、熱心なイスラム教徒であることは特筆すべきです。彼らはその信仰のゆえ過激派の行っていることを激しく非難し、対抗しています。
このことも、書籍を探そうと思えば見つかるかもしれません。
けれども、第三の革命グループは、この本にしかないでしょう。それは「リバイバリスト(霊的復興派)」の存在です。彼らは、イスラムの過激化が近年進行すると共に、表に出ない形で、かつ、とてつもない勢いで、終末の様相を呈しながら、イエス・キリストを自分の主として従う人々が起こされている、という事実です。
過激派も過激ですが霊的復興派も過激です。宣教師が福音を伝えることもできない地で、夢と幻でイエス・キリストに出会い、完全な回心、徹底的な献身を行います。ヨエル書の終わりの日における、御霊による夢と幻の預言、そして使徒パウロが、復活のイエス・キリストの直接出会って、迫害者から福音宣教者に劇的に変わったのと同じ経験を経ているのです。
特にイランでのリバイバルは驚愕します。復興が始まったのは、何と1979年のイラン革命が始まった後とのこと。イスラム主義国の台頭によって、これまで何となくイスラムを信じていた人が、本当のイスラムの顔が何であるかを知らされ、それでイスラムに対する幻滅、失望が始まったそうです。その後、霊的空洞、霊的飢え渇きが激しくなり、今、どんどんイエス様を信じています。
ある牧師は、「私たちはイエスを伝えに出ていくのではなく、彼らが私たちの所に来ています。」と言います。病気にかかって病院に行きました。看護婦は狂信的ムスリムであり、彼が牧師だということで、待合室で2時間も待たせる嫌がらせをしました。牧師は彼女に「後悔するよ」と警告したそうです。
「牧師さんですね」という他の看護士の声を聞いた、待合室にいた何人かの人々は、「あなたは本当に牧師なのか?イエスについて教えてくれ。」とせがみます。その場で福音を伝え、彼らはイエス様を信じました。そして牧師はその看護婦に、「ほら、後悔したでしょ。」と言いました。それ以来、その看護婦は彼を待たせることはなくなったそうです!
ある女性の伝道者は、一日に15人の人をキリストに導いているとのこと。
私は、これらの話を聞いて、黙示録を思い出しました。地上には艱難があるけれども、同時に、救いの完成へ至るべく、主が福音をこれまでにないとてつもない速さで伝えられます。14章には、天使が永遠の福音を伝えている姿も出てきます。
そして福音宣教の見方も変わりました。社会的に不安が多くなればなるほど、世が暗くなればなるほど、同時に福音の光も広がっているのです。そして、マスコミにも人々の注目にも触れない形で、静かに進んでいきます。
日本のキリスト教の宣教は主にアメリカから、そして近年は韓国からのものが多いです。その方法は、集会など人々の目に触れるような形で、数が多ければそれだけ良いという形で、伝道プログラム、弟子訓練プログラムなど、プログラムを通して推進させていきます。そしてなかなか成果が上がらず、「やはり日本は駄目だ。ここは宣教の墓場だ。」となるのです。
私は日本はこれから、社会も、いわゆるキリスト教界さえも何も変わっていないと思われる状況の中で、実は確実に人々が救われ、はっきりとした回心を経験し、キリストを主とし献身する人が起こされていく時代になっていくと思います。中国で文革の後、牧師や伝道師が投獄されていた中で信者がかえって増えていたこと、また日本で長い鎖国の時代の後キリシタンの末裔が出てきたことなどを見ても分かるとおり、この世の暗さは神の光が輝く時なのです。
必要なのは信仰です。神が上から力の御霊を注いでくださることを信じる信仰です。
恵比寿バイブル・スタディの秋の予定は次の通りになります。
9月9日、30日
10月14日、28日
11月11日、25日
12月9日、22日
(12月22日を除き、すべて水曜日)
時間は午後7時以降です。
持参の食事は、メッセージ前もしくは分かち合いのときにお摂り頂けます。
場所は、「田道住区センター 三田分室」です。詳しくは恵比寿バイブル・スタディのページをご参照ください。
ご参加される方は前もって連絡していただけると幸いです。
ebisu.bs @gmail.com
(@の前の空欄一マスを取って、送信してください)
ぜひ、お気軽にお越しください!
みなさん、お元気ですか?
前回イザヤ32,33章から、神の国の支配・・・イエスさまの支配について学びました。
盛り沢山な内容で、多くのことを学びました。
ひときわ心に染み込んだのは、目の前に越えられそうにない大きな壁が立ちはだかっていたとしても、
神さまは「いと高きところ」・・・どんな障害よりもずっとずっと高いところにおられるということ・・・その神さまが私たちの祈りに応えてくださると思ったら、とってもとっても励まされました。
さて、早いもので、気付けばもう8月もあと僅か、この夏のきよきよさんの生のメッセージは、今回が最後となります。
イザヤ書前半部分のクライマックスを学びます。主にいっぱい期待してお集いください!
9月からは、またアイ・ポッドを利用しての学びとなります。
では、今週の学びのお知らせです。
〇8月26日(水)午後7時 ~
〇住区センター三田分室 第1会議室〇聖書箇所 イザヤ書34章~
※学びの後、8時15分より食事会を予定しています。食事会からのご参加も、大歓迎です!
お店の予約の都合で、ご予定をお知らせくださいますよう宜しくお願い致しますm(__)m。
☆9月の学び
9月9日・30日
全て水曜日です。
みなさん守られますように。
みなさん、お元気ですか?
前回も本当に素晴らしいメッセージでした。
集われていた方おひとりおひとりの魂を、豊かに更に豊かにと育んでくださる神様の力強い御手がありました。
前回の30,31章から、肉に従った結果もたらされる四つのものについて学びましたが、ほんとにそうだ、聖霊に満たされて歩みたいと心の底から思わされました。
自分の力ではできないことですが、目に見えるものに頼っていきそうになる度ごとに、主に叫び、闘いを放棄して主の助けを待つ者へと変えられたいと願います。
では、今週の学びのお知らせです。
〇8月19日(水)午後7時 ~
〇住区センター三田分室 第1会議室〇聖書箇所 イザヤ書32章~
※ご持参の食事は、メッセージ前もしくは分かち合いのときにお摂り頂けます。
☆8月の学び
8月19日・26日
全て水曜日です。
※26日は学びの後8時15分より食事会を予定しています。
お店の予約の都合で、ご予定をお知らせくださいますようよろしくお願い致します。
みなさん守られますように。
南カリフォルニアで行なわれる伝道集会「ハーベスト・クルセード」の紹介です。ネット生中継で見ることができるし、その後も保存された動画を見ることができます。日本時間に直すと、次の通りです。
8月15日(土)午前11時から
8月16日(日)午前11時から
8月17日(月)午前10時から
socal.harvest.orgから入ってください。
<きよきよ雑感>
上のサイトでプロモーションビデオを見ることができますが、私がカルバリーチャペルの教会に通っていた時、こんな人ばかりでした。麻薬中毒者、家庭内暴力を受けていた人、暴力沙汰を起こして監獄にいた人など。「アメリカって、イメージとは違って、住むのに本当に大変なところだ。その中でイエス様を信じる希望が、なおのこと光っている。」と思っていました。
けれども、今、同じことが日本でどんどん起こっています、麻薬中毒も含めて。また昨日は、企業研修を仕事にしているクリスチャンの方と交わりを持ちましたが、日本の会社は、大企業は特に、鬱病、自殺願望者があまりにも多いことを聞きました。
でも、希望があります。キリストの十字架の言葉です。福音は人を変える力を持っています。
「十字架のことばは、滅びに至る人々には愚かであっても、救いを受ける私たちには、神の力です。」(1コリント1:19)
次に紹介したい本は、今日ようやく読み終えたこれです。(区外図書館から取り寄せたものなので、延長も無理、2週間で何とか読み終えました。)
「ヨムキプール戦争全史」(アブラハム・ラビノビッチ著 並木書房)
(原書はこちら)
本当に感動しました。「現実は小説より奇なり」と言いますが、登場する人物を第一資料・インタビューなどから構成し、この戦争の記録を生々しくよみがえらせています。
イスラエル・アラブ紛争は、第一次(独立戦争)、第二次(シナイ作戦)、第三次(六日戦争)とあり、この「ヨムキプール戦争」は第四次中東戦争に当たります。六日戦争からのつながりでヨムキプール戦争を見ると、多くの教訓を学べます。
六日戦争において、イスラエルは、シナイ半島はもちろんのこと、ヨルダン川西岸地区、ゴラン高原もなく、ちょうどバナナの真ん中を右側からかじられたような形の領土しか持っていませんでした。そこからエジプト、ヨルダン、シリアの三正面から攻撃を受けるのです。アメリカからの支援も取り付けられず、イスラエルは絶対絶命の危機にさらされていました。けれどもイスラエル空軍のエジプトへの先制攻撃が、本人たちも驚愕する打撃をエジプトに与え、以後、圧勝から圧勝へ至りました。絶体絶命どころかイスラエルは、領土拡大にともなう圧倒的安全保障を確保しました。
この戦争に伴い、これまでシオニズム(=ユダヤ人の地にイスラエル国家を建てる考え)に正統派ユダヤ教徒は往々にして懐疑的だったのが、ここに神の御手を感じ、彼らの間に宗教的シオニズムが始まります。そして聖書を信じているクリスチャンの間でも、ますます預言がその通りになっていることを知り、神への信仰を強めることになります。
そしてヨムキプール戦争は、この奇跡的な勝利を、イスラエル人たち本人がどう解釈したのかを見ることができます。これを神によるものではなく、自分たちの戦力や戦略のおかげ、またアラブ軍の腰抜けであると解釈するのです。それで彼らは慢心し、迫り来る戦争の情報は数多く得ていたのに、それを読み取ることができなかった、という大きな教訓を見ることができます。
といっても、上層部の情報分析遅れによって、最初大きな打撃をイスラエルは受けますが、それで前線の兵士たちはものすごい士気を持ち、奮闘しています。そしてなぜ、シリア軍の戦車ががら空きのゴラン南部をさらに侵攻しなかったなど、謎の部分があり、やはり神の御手を感じざるを得ない奇跡もあります。
もしナルニア国物語に例えるなら、独立戦争・六日戦争が第一話なら、ヨムキプール戦争は第二話になるでしょう。
そして私は、エジプト大統領サダトの政治家としての凄さに感動しました。
結果的に、軍事上はイスラエルがシリアをゴラン高原から追い出し、さらに首都ダマスカスまで近づき、エジプトでもスエズ運河を渡河、カイロまでかなり近づきますが、心理上・政治上はサダトの勝利です。
サダトは、六日戦争で受けたアラブの屈辱を回復するという目的で、軍事的な勝利を初めから期待せず、戦争を始めているのです。アラブの民族主義をどう克服すればよいのか、彼はよく分かっていたのです。そして、前任のナセル大統領と違い、「ユダヤ人を地中海に沈める」というような威勢の良い好戦的態度ではなく、実際に用意周到な準備を数年に渡り行ないました。
そして、彼はソ連からアメリカに軸を移し、それによってイスラエルをアメリカを調停にさせることによって自分に引き寄せ、数年後、シナイ半島を戦争ではなく、外交的平和関係によって獲得したのです。
この戦争によって、アラブ諸国はもはやイスラエルに戦争をすることはなくなりました。国の首脳部は政治現実主義を採用するようになるのです。
聖書でも、エジプトについて、イザヤ、エレミヤ、エゼキエルが預言しましたが、いずれも弱体化していくことを描き、特にイザヤ書19章では、エジプトでイスラエルの神の名がたたえられることが書かれています。
けれどもこのサダトは、イスラム主義者によって暗殺されました。国としてはアラブはイスラエルへの歩み寄りを始めたのですが、民衆としては依然として許されないことなのです。
ですから、今度イスラエルは国との戦争ではなく、パレスチナ・ゲリラやその他のテロリスト組織との戦いに突入します。
この前説明しましたように、テロ組織はPLOなど社会革命主義的なものもありますが、イスラム主義によるものが今は大半です。これを国として興したのが1979年のイラン革命です。レバノンのヒズボラはイラン支援組織であり、ハマスに対しても支援しています。そしてイランそのものは、イスラエルへの核攻撃の準備を進めています。(ここにエゼキエル38章の「ペルシヤ」を見るのです。)
私たちは、このような歴史的見地から、今のイスラエルを取り囲む情勢を見なければならず、次に起こりうることを覚悟しなければなりません。
次の予告書評は、ジョエル・ローゼンバーグ氏の著作二冊です。
Epicenter 2.0: Why the Current Rumblings in the Middle East Will Change Your Future
Inside the Revolution: How the Followers of Jihad, Jefferson & Jesus Are Battling to Dominate
ナルニア王国物語の第二弾、「カスピアン王子の角笛」についての感想を述べます。
私は第二弾を、いかに神の壮大な預言、そのご計画を次に描いてくれるのかと期待していましたが、それは見事に裏切られました。この物語は、何百年後の廃墟となってしまったナルニア、絶滅したといわれるナルニアに四人の子供が入っていくところから始まります。詳しい解説はぜひ、富山鹿島教会のサイトをご覧ください。
実は、この期待の裏切りがこの第二話の中心主題なのです。つまり、すべて神が約束してくださったことが、あたかも過ぎ去ってしまい、その時代はもう終わってしまったかのような過酷な現実の中で、なおも信じ続けることができるか、という戦いを描いています。解説サイトの中には、こうあります。
ここに、「カスピアン王子のつのぶえ」の大切な主題が語られています。それは「信じ続ける心」です。アスランによる白い魔女の支配からの救い、ピーターたち四人の王による黄金時代は、もう何百年も昔のことであり、今はそれとは全く違う時代になっているのです。そもそもそんなことが本当にあったのかどうかさえも、疑わしく思えるのです。またたとえ昔はそうだったとしても、そのアスランが今もおられ、救い、恵みを与えてくれるとは思えない厳しい現実が目の前にあるのです。そのような目に見える現実の中で、伝えられてきたアスランの存在、その救いを固く信じて生きる、心変わりしない信仰、それがこの第二巻のテーマなのです。
いかがでしょうか、イエス様が復活され昇天されました。そして聖霊が臨まれ、教会は力強く前進しました。そして今すぐにでも主が戻ってこられるという期待を抱いていました。その時代から私たちはもう二千年近く経っています。いかがでしょうか?「キリストの復活の現実、聖霊の力、そして再臨の切迫性は新約聖書時代のものであり、私たちは次の時代に入ったのだ。」という考えは、世の中だけでなく、キリスト教の世界の中にもそれを見るのです。
いや、違う時代に入ったのではなく、問題は私たちが信仰を失ったことにあるのです。まだ新約聖書の時代、神の時代にいるのだという信仰を、私たちは吹き返す必要があり、戦いは、信じきることができるか、また信じ続けることができるか、にあるのです。
そして私が初めてこの映画を観たとき、ちょうどイザヤ書を学び、教えていました。そこには、圧倒的な超大国アッシリヤの脅威を目の前にし、エジプトに助けを呼ぶヒゼキヤ王の姿が描かれています。しかしそれがかえって足かせとなり、アッシリヤはついにエルサレムを包囲します。絶体絶命の時に、彼は主の前で衣を裂いて祈ります。主はその時に始めて、ユダを救われます。18万5千人のアッシリヤ軍は一夜にして滅びました。
これと同じように、ピーター、スーザン、そしてカスピアン王子らが、かつて氷の女王に勝てたのはアスランによるものであることを忘れ、そしてアスランに期待するのではなく、自分たちだけしかいないと考えます。自分たちの判断力、自分たちの戦略、自分たちの努力しかないと考えるのです。その中でルーシーだけが、ひたすらに、純粋にアスランを慕い求めるのです。
(いや、厳密に言うと、ルーシーさえもが信仰の不足を感じています。後でアスランに、「私を見たとき、なぜ独りでも来なかったのか。」と尋ねられるところがあります。一番下の妹ですから、自分には行動できないという諦めを作ってしまっていたようです。これも、私たちには大きな教訓、課題となる点です。)
ピーターとカスピアン王子は、相手のミラースの軍勢に勝てないと見ているときに、氷のあの魔女が現れました。そしてカスピアン王子のみならず、ピーターまでもがその誘惑に引き込まれそうになります。エドマンド(第二話の彼は、完全に悔い改めた、勇敢な戦士となっています)が背後からその氷壁を壊しましたが、その背後に見えたのは、アスランの壁画でした。ピーターは自分の判断で突き進んだ結果、魔女の声さえ聞き入ったしまった恥ずかしさと愚かさを痛感したことでしょう。
そして最後の最後になって、アスランが戦いに向かいます。これが、絶体絶命のヒゼキヤのために救いを差し伸べる主と折り重なりました。
日本の宣教を考える時、また日本での信仰生活、教会生活を考える時、誰もが厳しい現実と、聖書の約束との隔たりに気づいていると思います。これを克服するのは、ルーシーのような、一途になって信じる信仰です。まさしく幼い子供のようにキリストを純粋に慕い、聖書の約束はその通りになるのだと夢想のように信じきることです。