聖書の中のイラク

目次

聖書に出てこないアメリカ
偶像・悪霊崇拝の発祥地
エルサレム、神の都
大淫婦大バビロン
これからのイラク
獣の国と神のあわれみ
福音宣教へ

その後の所感
慰めの報告
その後のイラク
イスラム国の台頭と、シリア内戦から見えて来るイラク戦争の化学兵器


 米英軍がイラク攻撃を開始してから、何日か発つ。多くの人が、この戦争に反対であると、世界中で、そして日本で騒々しくなっています。多くのアメリカ人は、この戦争の正当性を訴えていますが、私個人は対テロ戦という意味では、アメリカの行動は理解できます。また、北朝鮮からの核脅威にさらされている日本の元首として、小泉首相がアメリカを支持していることにも賛同できます。しかし、今起こっていることは、支持する、反対するという意見を言う以上の、もっと根深い大きな問題を孕んでいると考えています。

 イスラエルを取り囲む中東情勢を見て、また、2001年9月11日の米同時多発テロとその後のアメリカの行動を見て、気づかされたことは、「アメリカが相対的に弱体化して、聖書の中心に出てくるイスラエル周辺アラブ諸国、そして復興ローマの地にてヨーロッパ連合の台頭、それから政治経済、宗教における世界化が急速に進展している。」ということでした。それに気づくきっかけは、アフガン攻撃をするとき、急に、パレスチナ国家案をパウエル国務長官が言い出したことでした。そして今回も、対イラク戦争戦争終結後の、パレスチナ国家設立へのロード・マップを打ち出しています。パレスチナ国家設立は、イスラエルを軍事的、戦略的に非常な苦境の中にいれます。しかもイスラエルが、イラクから弾道ミサイルが飛んでくるかもしれないという時に、またアラブが反イスラエル感情をさらに燃え立たせているときに、アメリカの行動を全面支持するイスラエルは、背中をナイフで刺されるような形になっているようです。終わりの時に、イスラエルがすべての国から攻められるという預言(ゼカリヤ12:3)に、一歩近づいた形ではないでしょうか。


聖書に出てこないアメリカ

 多くの人の間で、アメリカの行動の是非が議論されています。クリスチャンの間でもそうでしょう。けれども大事なのは、アメリカは聖書の中に出てこないことです。聖書の舞台はあくまでも、中東地域とその周辺に広がる世界です。創世記はユーフラテス河畔から始まり、そしてアブハムの移動によって舞台はカナン人の地へと移っています。その周囲にある大国エジプトが最初に登場し、その後は、アッシリヤ、バビロン、ペルシヤ、ギリシヤ、そしてローマが登場します。創世記10章にある民族の地図においても、列挙されている民族は、ハム系のアフリカ人、ヤペテ系のヨーロッパ民族、そしてセム系の中東諸民族です。(アジア民族は、おそらくはハム系であろうという意見があります。)

 アメリカは、文化的、思想的に、長くヨーロッパの歴史を背負っており、ギリシヤ・ローマの延長だとも言えます。たしかにキリスト教の影響は強いですが、キリスト教+ギリシヤ・ローマ思想と呼んだほうが良いでしょう。必ずしも聖書的キリスト教と呼ぶことはできません。したがって、あえて聖書からアメリカを見出すとすれば、復興ローマ帝国の延長として、ヨーロッパ諸国に連なる国として登場するということでしょう。いずれにしても、終わりの時には大きな役割を果たしません。

 したがってこの時期に、アメリカが正しいのか正しくないのかを論じるならば、聖書的にはバランスを崩すではないかと考えています。それよりも日本が60年近く前アメリカに負けたその怨念が、いろいろな形で表現されていることが心配です。相手がいかに悪者であろうと「憎しみ」は罪であり、その憎しみをいかに正当化できようとも、それは神に反抗するではないでしょうか。

 もう一つの懸念は「反戦」の勢いです。世界中でこの風が吹き荒れていますが、日本は、原爆を落とされた唯一の国として、反戦思想、平和主義が戦後根強く残っています。けれども今説明しましたように、心に怒りや憎しみをもって平和運動をしていることほど矛盾なことはありませんし、そして何よりも、終わりの時は、偽りの平和がもたらされるので、多くの惑わしがあります。

人々が「平和だ。安全だ。」と言っているそのようなときに、突如として滅びが彼らに襲いかかります。(1テサロニケ5:3)

 キリストこそが私たちの平和です(エペソ2:14)。それ以外の平和は偽りです。ところが、「平和」が自己目的化してしまっている今、偽りの平和の君である反キリストを自分たちの政治的救世主としてあがめる素地が出来上がってしまっています。

不法の人の到来は、サタンの働きによるのであって、あらゆる偽りの力、しるし、不思議がそれに伴い、また、滅びる人たちに対するあらゆる悪の欺きが行なわれます。なぜなら、彼らは救われるために真理への愛を受け入れなかったからです。(2テサロニケ2:9−10)

 今、「平和」という聞こえのよい言葉を使って、悪魔が惑わしていることを注意しなければいけないと感じています。

 したがって、今回の米国の対イラク戦において、米国を中心にした論議は、聖書的、霊的事柄として見ていくことはできないと思います。けれども、攻撃を受け、また反撃している方のイラクは、聖書に大いに関係します。実は、回数的には、バビロンは、エルサレムの次に最も頻繁に聖書に登場する町なのです。

(参照エッセイ)「アメリカ信仰の終焉
(参照文献)「Israel, the Church and the United States Compared


偶像・悪霊崇拝の発祥地

 聖書には、初めと終わりを示した神のご計画が、一直線に描かれています。初めにことばがあり、ことばが神とともにあり、ことばは神であった(ヨハネ1:1)というところから、創世記の天地創造、人の堕落、ノアの時代の洪水、バベルの塔、そしてアブラハムの召命へと続き、それからイスラエルを通しての神の働きを見ます。そしてキリストが現われてから異邦人にも救いが及び、それからキリストの再臨によるイスラエルの完成へと続き、新天新地、天のエルサレムで終わりを向かえます。主が、「最初であり、最後である方」「アルファであり、オメガである方」(黙示1:8、17)と呼ばれる所以です。

 「バビロン」というのは、その神全体のご計画の中で、神に反抗するもの、神に挑みかかるものの代表的存在として、現われます。

 バビロンが初めに現われるのは、実は、天地創造の前からです。イザヤ書14章に、バビロンの王に対するあざけりの歌として、バビロンの行く末が預言されている。9節から、非常に興味深い記述が出てきます。

下界のよみは、あなたの来るのを迎えようとざわめき、死者の霊たち、地のすべての指導者たちを揺り起こし、国々のすべての王を、その王座から立ち上がらせる。彼らはみな、あなたに告げて言う。「あなたもまた、私たちのように弱くされ、私たちに似た者になってしまった。」あなたの誇り、あなたの琴の音はよみに落とされ、あなたの下には、うじが敷かれ、虫けらが、あなたのおおいとなる。(9−11節)

 地のすべての指導者たちを支配したが、下界に落ちて、あざけりを受けているこの姿は、黙示録で「獣」と呼ばれている反キリストの姿です。「すると、獣は捕えられた。また、獣の前でしるしを行ない、それによって獣の刻印を受けた人々と獣の像を拝む人々とを惑わしたあのにせ預言者も、彼といっしょに捕えられた。そして、このふたりは、硫黄の燃えている火の池に、生きたままで投げ込まれた。(19:20)
 
 けれども反キリストは、黙示録13章2節によると、悪魔によってその力と位と権威が与えられており、サタンがその源でした。そこで、次12節から、悪魔に対する預言が始まります。

暁の子、明けの明星よ。どうしてあなたは天から落ちたのか。国々を打ち破った者よ。どうしてあなたは地に切り倒されたのか。あなたは心の中で言った。「私は天に上ろう。神の星々のはるか上に私の王座を上げ、北の果てにある会合の山にすわろう。密雲の頂に上り、いと高き方のようになろう。」しかし、あなたはよみに落とされ、穴の底に落とされる。(12−15節)

 そして16節から、再び物理的なバビロンに対するあざけりの歌が続きますが、この国の背後には悪魔が働いていて、悪魔がバビロンを通して神に反抗していることが分かります。

 そこで創世記の天地創造の話に行きましょう。神がアダムを置かれたエデンの園は、第四の川「ユーフラテス」(2:14)が流れているところにありました。そこは、まぎれもなくバビロン地域です。すべてが完全であったとき、創世記3章から、人を惑わす蛇が女に近づいて来た。女はだまされ、そしてアダムは罪を犯しました。彼らがエデンの園にいたときに、すでに悪魔がいて、そして神のデザインを破壊することを考えており、その舞台がユーフラテス河畔地域のバビロンでした。

 そしてノアの時代に大洪水があり、ノアの息子セム、ハム、ヤペテから民族が生まれ出ますが、ハムの子孫に「ニムロデ」という男がいます(10:8)。彼は地上で最初の権力者であり、そして、「主のおかげで、力ある猟師になった(9節)」とありますが、これは、「主に反抗するために力ある猟師となった」と訳すことができます。主に反抗する権力者がニムロデであり、彼は王国を初め、「彼の王国の初めは、バベル、エレク、アカデであって、みな、シヌアルの地にあった。(10節)」とあり、シヌアルはバビロンの地です。民族が始まるときに、すでに神に反抗する権力者がバビロンに現われていたのです。

 それもそのはず、ノアに対して神は、「地に満ちよ」と命令されたのに、それに反抗して、一つのところに集まり、町をつくり、自分たちの名をあげるために、天にまで届く塔を建てようとしたのが、「シヌアルの地(11:2)」です。その町の名がバベルになりました。ここがバビロンであり、この塔は天にまで届くものとして、偽の宗教、偶像崇拝、また人間の文明に対する奢りとして始まった、発祥地です。


エルサレム、神の都

 バビロンを通して神の反抗は続きますが、その拮抗作用として登場する町が「エルサレム」です。この意味は、「神の平和」とか「平和の土台」です。つまり、神に対して勃発した戦争に対して、その動きに対抗して、神に対する戦いを止めさせるための都、平和の町として登場します。

 セムから出た子孫にテラがいました。テラの家族は、ウルというユーフラテス河畔にある町、バビロンに住んでいました。考古学ではウルは月を神として拝んでいたところですが、テラもまたその息子アブラムも、偶像礼拝者です。

あなたがたの先祖たち、アブラハムとナホルとの父テラは、昔、ユーフラテス川の向こうに住んでおり、ほかの神々に仕えていた。(ヨシュア24:2)

 しかし、神はアブラハムを呼ばれます。「あなたは、あなたの生まれ故郷、あなたの父の家を出て、わたしが示す地へ行きなさい。(創世12:1)」天地万物を創造された主の呼びかけに応えて、信仰によって、偶像から離れ、主に従ったのがアブラハムであるが、「わたしは、あなたがたの先祖アブラハムを、ユーフラテス川の向こうから連れて来て、カナンの全土を歩かせ、彼の子孫を増し、彼にイサクを与えた。(ヨシュア24:3)」と主は言われました。ユーフラテスの向こうには、偽の宗教があり、悪魔や悪霊が働くところでしたが、その川を越えて、主が示されたカナン人の地まで来ました。アブラハムから出た家族は「ヘブル人」と呼ばれますが、これが「エブル」から来ているとされており、その意味は、「越える」です。偶像礼拝の場から離れて、主なる神に仕えるために越えて来たのです。

 そして、カナン人の地で、さらわれた、おいのロトとその家族を奪還するために、アブラハムは敵をダンまで追跡し、無事に彼らとその財産を取り戻したとき、不思議な人物がアブラハムを祝福しました。

また、シャレムの王メルキゼデクはパンとぶどう酒を持って来た。彼はいと高き神の祭司であった。彼はアブラムを祝福して言った。「祝福を受けよ。アブラム。天と地を造られた方、いと高き神より。あなたの手に、あなたの敵を渡されたいと高き神に、誉れあれ。」アブラムはすべての物の十分の一を彼に与えた。(創世14:18−20)

 シェレムというのは「平和」という意味ですが、これが後に「エルサレム」となります。メルキデゼクは「義の王」という意味ですが、王でありかつ祭司である方が今、アブラハムに現われています。律法では、祭司はレビから出てくる者であり、王とは関係がありません。そこでヘブル書には、イエス・キリストがメルキデゼクと同じ位の大祭司であるとあり、メルキデゼクは受肉前のキリストではないかと考えられます(ヘブル7章)。

 したがって、エルサレムは、神とキリストがおられる町として選ばれています。続いて、アブラハムは、モリヤの山でイサクをささげるよう命じられました。これは、神が愛する独り子キリストをこの世に与えることを予め表すことになりますが、このモリヤの山は、今の神殿の丘の敷地であり、エルサレムです。

 エルサレムは、それからずっと、ダビデの時代になるまで他の住民がすんでいる町でしたが、ダビデがエブス人からその町を攻め取り、そこは「ダビデの町」と呼ばれました。幕屋もシロから、エルサレムへと移り、ソロモンによって神殿が建てられました。それからは、ここが神を礼拝する町として位置づけられるようになります。主はダビデに約束されました。

彼はわたしの名のために一つの家を建て、わたしはその王国の王座をとこしえまで堅く立てる。(2サムエル7:13)

 バビロンは神に反抗する町として登場しますが、エルサレムは、神がキリストによって王座を据える町として、永遠にお定めになったのです。

主に信頼する人々はシオンの山(注:エルサレムにある山。エルサレムそのものを指す場合が多い。)のようだ。ゆるぐことなく、とこしえにながらえる。山々がエルサレムを取り囲むように、主は御民を今よりとこしえまでも囲まれる。(詩篇125:1−2)

 この町とイスラエルの民を攻め取るべく、周囲の諸民族や諸国がイスラエルにやって来ました。シリヤが初めに来ましたが、次にアッシリヤがやって来ます。ついに北イスラエル王国は、アッシリヤによって紀元前721年に滅ぼされ、一部が捕え移されました。(現代のイラク北部は、かつてのアッシリヤの領土と重なります。)そして、バビロンがアッシリヤよりも優勢になり、今度はバビロンが南ユダ国を包囲するようになります。

 その時の模様は、集中的に、預言者がイスラエルに神によって遣わされたことによって聖書で描かれている。一度、聖書の年表、特に預言者がいつ活動を開始して、また活動を終えているかを示している年表を見ると、エルサレムがバビロンに攻められる危機的状況の時に一極集中していることが分かる。それだけ、神のご計画の中では非常に重要な出来事であったのだ。ヨエル、イザヤ、ミカ、エレミヤ、ハバクク、ゼパニヤが、エルサレムがバビロンによって滅びるという預言を行なった。

これを聞け。ヤコブの家のかしらたち、イスラエルの家の首領たち。あなたがたは公義を忌みきらい、あらゆる正しいことを曲げている。血を流してシオンを建て、不正を行なってエルサレムを建てている。そのかしらたちはわいろを取ってさばき、その祭司たちは代金を取って教え、その預言者たちは金を取って占いをする。しかもなお、彼らは主に寄りかかって、「主は私たちの中におられるではないか。わざわいは私たちの上にかかって来ない。」と言う。それゆえ、シオンは、あなたがたのために、畑のように耕され、エルサレムは廃虚となり、この宮の山は森の丘となる。(ミカ3:9−12)

 この時から、エルサレムが異邦人に踏みにじられる「異邦人の時」に入ります(ルカ21:24)。この時代は、偶像礼拝、悪霊礼拝、偽の宗教の発祥地であるバビロンが「金の頭」として輝く時代です。それに引き続き、メディヤ・ペルシヤ、ギリシヤ、ローマがエルサレムを支配するが、これら世界を支配する諸国の支配の背後に、バビロンの亡霊は付いてきます。ギリシヤのアンティオコス・エピファネスを予表にして、また復興ローマ帝国から出てくる預言として「荒らす忌むべき者」あるいは反キリストが出てきますが、この政治的指導者は、終わりの時に、バビロンの大淫婦を乗せる獣になっています(黙示録17章)。

 けれども異邦人の時にも、主はご自分の計画を思うままに実行されました。まず、主はバビロンの王ネブカデネザルに、ダニエルを通して働かれました。

王はダニエルに答えて言った。「あなたがこの秘密をあらわすことができたからには、まことにあなたの神は、神々の神、王たちの主、また秘密をあらわす方だ。」(ダニエル2:47)

 また、次の王ベルシャツァルは、「エルサレムの宮(ダニエル5:2)」から取ってきた金や銀で、偶像を拝んだために、バビロンが滅びました。

それどころか、天の主に向かって高ぶり、主の宮の器をあなたの前に持って来させて、あなたも貴人たちもあなたの妻もそばめたちも、それを使ってぶどう酒を飲みました。あなたは、見ることも、聞くことも、知ることもできない銀、金、青銅、鉄、木、石の神々を賛美しましたが、あなたの息と、あなたのすべての道をその手に握っておられる神をほめたたえませんでした。(ダニエル5:23)

 バビロンを倒したペルシヤ人クロスは、主によって奮い立ち、おふれを出しました。

ペルシヤの王クロスの第一年に、エレミヤにより告げられた主のことばを実現するために、主はペルシヤの王クロスの霊を奮い立たせたので、王は王国中におふれを出し、文書にして言った。「ペルシヤの王クロスは言う。『天の神、主は、地のすべての王国を私に賜わった。この方はユダにあるエルサレムに、ご自分のために宮を建てることを私にゆだねられた。あなたがた、すべて主の民に属する者はだれでも、その神がその者とともにおられるように。その者はユダにあるエルサレムに上り、イスラエルの神、主の宮を建てるようにせよ。この方はエルサレムにおられる神である。』」(エズラ1:1−3)

 そして、総督ネヘミヤは、ペルシヤで献酌官であったとき、エルサレムに対する神の約束にしたがって、祈りをささげた後、五十日でエルサレムの再建が成し遂げられました。

あなたがたがわたしに立ち返り、わたしの命令を守り行なうなら、たとい、あなたがたのうちの散らされた者が天の果てにいても、わたしはそこから彼らを集め、わたしの名を住ませるためにわたしが選んだ場所に、彼らを連れて来る。(ネヘミヤ1:9)

 さらにギリシヤ時代に、エルサレムは四分割された帝国のうち二国、シリヤとエジプトによって踏み荒らされました。さらに、シリヤの王アンティオコス・エピファネスによって、エルサレムの神殿に荒らす忌むべきものが据えられました。ところが、マッテヤ家のユダヤ人の勇士たちによって、神殿を奪還し、宮清めを行なうことができました。

私は、ひとりの聖なる者が語っているのを聞いた。すると、もうひとりの聖なる者が、その語っている者に言った。「常供のささげ物や、あの荒らす者のするそむきの罪、および、聖所と軍勢が踏みにじられるという幻は、いつまでのことだろう。」すると彼は答えて言った。「二千三百の夕と朝が過ぎるまで。そのとき聖所はその権利を取り戻す。」(ダニエル8:13−14)

 そしてついに、主はご自分の御子をこの世に送られました。まだローマの鉄の統治が続いている時、ベツレヘムでこの子を生まれさせ、八日目にはこの子に割礼を施すために、両親がエルサレムに連れて行きました。再び、神のいのちの鼓動が始まります。エルサレムにおける神のご計画の実行です。

 私たちの主イエスは、ナザレで育ち、ガリラヤで宣教活動をされましたが、最後はエルサレムに行き、御父から与えられていた使命、すなわち私たちの罪のための贖いとして、ご自分を十字架上でおささげになりました。

その時から、イエス・キリストは、ご自分がエルサレムに行って、長老、祭司長、律法学者たちから多くの苦しみを受け、殺され、そして三日目によみがえらなければならないことを弟子たちに示し始められた。(マタイ16:21)

 けれども、よみがえられました。歴史の大変換的出来事であり、また宇宙の大変換とも言える出来事、キリストの復活はエルサレムで起こりました。

 さらに教会もエルサレムで誕生しました。弟子たちが祈っているとき、聖霊が臨まれたのは、そうエルサレムのシオンの山にある、ダビデの墓の上の部屋でした。

五旬節の日になって、みなが一つ所に集まっていた。すると突然、天から、激しい風が吹いてくるような響きが起こり、彼らのいた家全体に響き渡った。また、炎のような分かれた舌が現われて、ひとりひとりの上にとどまった。すると、みなが聖霊に満たされ、御霊が話させてくださるとおりに、他国のことばで話しだした。(使徒2:1−4)

 したがって、主は弟子たちに、「エルサレム」からご自分の証人となることを教えられました(使徒1:8)。

 そしてエルサレムは、イエスをメシヤとして受け入れなかったことのゆえに、君主の民ローマによって、紀元70年に滅ぼされました。

エルサレムが軍隊に囲まれるのを見たら、そのときには、その滅亡が近づいたことを悟りなさい。そのときユダヤにいる人々は山へ逃げなさい。(ルカ21:20)

 このように、エルサレムは滅び、教会が始まり、キリスト者たちが御霊の内住によって神殿になったわけですが、それによってエルサレムは神にとって無用の町になったのではありません。聖書には、主が戻ってこられるとき、再びエルサレムを軸にして働きをされることが預言されています。

 まず、世界の四方に散らされたイスラエルの民が、エルサレムに戻ってきます。

主はエルサレムを建てイスラエルの追い散らされた者を集める。(詩篇147:2)

主がシオンの捕われ人を帰されたとき、私たちは夢を見ている者のようであった。そのとき、私たちの口は笑いで満たされ、私たちの舌は喜びの叫びで満たされた。そのとき、国々の間で、人々は言った。「主は彼らのために大いなることをなされた。」主は私たちのために大いなることをなされ、私たちは喜んだ。主よ。ネゲブの流れのように、私たちの捕われ人を帰らせてください。涙とともに種を蒔く者は、喜び叫びながら刈り取ろう。種入れをかかえ、泣きながら出て行く者は、束をかかえ、喜び叫びながら帰って来る。(詩篇126:1−6)

 バビロンにいたときの詩篇ですが、シオン(エルサレム)へ帰るときは、喜び叫ぶことが預言されています。19世紀後半から始まったアリヤー(ユダヤ人によるパレスチナへの大量帰還)は、この預言が一部成就した形です。

 けれども聖書には、ハルマゲドンという最後の世界大戦が描かれています。それは、シオンへ集められたユダヤ人に対し、またエルサレムに対して、世界中のすべての国々が敵対し、これを攻めるという出来事です。

見よ。わたしはエルサレムを、その回りのすべての国々の民をよろめかす杯とする。ユダについてもそうなる。エルサレムの包囲されるときに。その日、わたしはエルサレムを、すべての国々の民にとって重い石とする。すべてそれをかつぐ者は、ひどく傷を受ける。地のすべての国々は、それに向かって集まって来よう。(ゼカリヤ12:2−3)

 この世界の軍隊の多くは、枯れたユーフラテス川からの王たちであることが黙示録16章に書かれています。

第六の御使いが鉢を大ユーフラテス川にぶちまけた。すると、水は、日の出るほうから来る王たちに道を備えるために、かれてしまった。また、私は竜の口と、獣の口と、にせ預言者の口とから、かえるのような汚れた霊どもが三つ出て来るのを見た。彼らはしるしを行なう悪霊どもの霊である。彼らは全世界の王たちのところに出て行く。万物の支配者である神の大いなる日の戦いに備えて、彼らを集めるためである。・・・こうして彼らは、ヘブル語でハルマゲドンと呼ばれる所に王たちを集めた。(12−16節)

 バビロンにいる汚れた霊どもが、エルサレムを攻めさせるように仕向けます。

 しかし主は再び戻ってこられて、エルサレムの住民を助け、彼らの中に霊的覚醒が起き、悔い改めときよめの泉が開かれます。

その日、主は、エルサレムの住民をかばわれる。その日、彼らのうちのよろめき倒れた者もダビデのようになり、ダビデの家は神のようになり、彼らの先頭に立つ主の使いのようになる。その日、わたしは、エルサレムに攻めて来るすべての国々を捜して滅ぼそう。わたしは、ダビデの家とエルサレムの住民の上に、恵みと哀願の霊を注ぐ。彼らは、自分たちが突き刺した者、わたしを仰ぎ見、ひとり子を失って嘆くように、その者のために嘆き、初子を失って激しく泣くように、その者のために激しく泣く。

・・・その日、ダビデの家とエルサレムの住民のために、罪と汚れをきよめる一つの泉が開かれる。
その日、・・万軍の主の御告げ。・・わたしは、偶像の名をこの国から断ち滅ぼす。その名はもう覚えられない。わたしはまた、その預言者たちと汚れの霊をこの国から除く。(ゼカリヤ12:8−10;13:1−2)

 バビロンからの偶像と汚れの霊は、主が地上に再臨されたときにエルサレムから取り除かれます。この時点で、悪魔のバビロンをとおしての仕業は終結します。

 そして主は、エルサレムから統治されます。神が、バビロンにて悪魔によってご自分の計画に挑みかけられたが、今、エルサレムにて都を立てられ、ご自分のデザインを完成されます。

終わりの日に、主の家の山は、山々の頂に堅く立ち、丘々よりもそびえ立ち、すべての国々がそこに流れて来る。多くの民が来て言う。「さあ、主の山、ヤコブの神の家に上ろう。主はご自分の道を、私たちに教えてくださる。私たちはその小道を歩もう。」それは、シオンからみおしえが出、エルサレムから主のことばが出るからだ。(イザヤ2:2−3)

 将来、クリスチャンだけでなく、すべての民がエルサレムに来て、主を礼拝し、主のみことばを聞きます。

 エルサレムは、今の天と地が過ぎ去り、新しい天と地が造られた後で、天から下ってくる、神の都として地に降りて来ます。

私はまた、聖なる都、新しいエルサレムが、夫のために飾られた花嫁のように整えられて、神のみもとを出て、天から下って来るのを見た。そのとき私は、御座から出る大きな声がこう言うのを聞いた。「見よ。神の幕屋が人とともにある。神は彼らとともに住み、彼らはその民となる。また、神ご自身が彼らとともにおられて、彼らの目の涙をすっかりぬぐい取ってくださる。もはや死もなく、悲しみ、叫び、苦しみもない。なぜなら、以前のものが、もはや過ぎ去ったからである。(黙示21:2−4)

 このようにエルサレムは、バビロンによって始まった神への戦争を終結させ、とこしえの平和をもたらすところの都なのです。

主は聖なる山に基を置かれる。主は、ヤコブのすべての住まいにまさって、シオンのもろもろの門を愛される。神の都よ。あなたについては、すばらしいことが語られている。(詩篇87:1−3)



大淫婦大バビロン

 さらに、バビロンが滅びる預言を詳しくみたいと思います。エルサレムを倒してからバビロンはネブカデネザル王によって隆盛を極めましたが、ダニエル書5章が記しているように、ベルシャツァル王のとき一夜にしてメディヤ・ペルシヤによって倒されてしまいました。王はエルサレムの神の宮からの金や銀の器を用いて大宴会を催し、そして偶像を拝み、賛美しました。この栄華は一瞬のうちに過ぎ去ってしまいました。

 この出来事は、終わりの時にバビロンが滅びるときの原型となっています。イザヤ13−14章とエレミヤ50−51章には、バビロンへの神のさばきが詳細に預言されていますが、そのほとんどはメディヤとペルシヤによって滅ぼされる直接的出来事だけではなく、終わりの時の崩壊が描かれています。それでは、この二つの預言書の箇所を、要点を列挙しながら順を追って眺めたいと思います。

1.諸国の軍隊が攻めてくる

アモツの子イザヤの見たバビロンに対する宣告。 はげ山の上に旗を掲げ、彼らに向かって声をあげ、手を振って、彼らを貴族の門に、はいらせよ。 わたしは怒りを晴らすために、わたしに聖別された者たちに命じ、またわたしの勇士、わたしの勝利を誇る者たちを呼び集めた。 聞け。おびただしい民にも似た山々のとどろきを。聞け。寄り合った王国、国々のどよめきを。万軍の主が、軍隊を召集しておられるのだ。 彼らは遠い国、天の果てからやって来る。彼らは全世界を滅ぼすための、主とその憤りの器だ。 泣きわめけ。主の日は近い。全能者から破壊が来る。 それゆえ、すべての者は気力を失い、すべての者の心がしなえる。 彼らはおじ惑い、子を産む女が身もだえするように、苦しみと、ひどい痛みが彼らを襲う。彼らは驚き、燃える顔で互いを見る。 (イザヤ書13:1-8

 イザヤ書13章は、主が、数多い国々の軍隊をバビロンに攻めて来させるようにされることが預言されています。これは「主の日」に起こることと書かれており、バビロンがメディヤ・ペルシヤによって倒されたことについてではなく、主が戻って来られる直前の出来事、大患難に起こることが書かれています。

2.主の日における悲惨

見よ。主の日が来る。残酷な日だ。憤りと燃える怒りをもって、地を荒れすたらせ、罪人たちをそこから根絶やしにする。天の星、天のオリオン座は光を放たず、太陽は日の出から暗く、月も光を放たない。わたしは、その悪のために世を罰し、その罪のために悪者を罰する。不遜な者の誇りをやめさせ、横暴な者の高ぶりを低くする。わたしは、人間を純金よりもまれにし、人をオフィルの金よりも少なくする。それゆえ、わたしは天を震わせる。万軍の主の憤りによって、その燃える怒りの日に、大地はその基から揺れ動く。追い立てられたかもしかのように、集める者のいない羊の群れのようになって、彼らはおのおの自分の民に向かい、おのおの自分の国に逃げ去る。見つけられた者はみな、刺され、連れて行かれた者はみな、剣に倒れる。彼らの幼子たちは目の前で八裂にされ、彼らの家は略奪され、彼らの妻は犯される。(イザヤ13:9-16)

 主の日における、天変地異の出来事です。それからバビロンの住民が自分の国に逃げ帰ろうとしますが、殺されていくことが預言されています。

3.メディヤ人

見よ。わたしは彼らに対して、メディヤ人を奮い立たせる。彼らは銀をものともせず、金をも喜ばず、その弓は若者たちをなぎ倒す。彼らは胎児もあわれまず、子どもたちを見ても惜しまない。こうして、王国の誉れ、カルデヤ人の誇らかな栄えであるバビロンは、神がソドム、ゴモラを滅ぼした時のようになる。(イザヤ書13:17-19)

 メディヤ人についての直接の言及です。しかし、この預言でさえ、ソドム、ゴモラのようになる、すなわち火と硫黄が降って来るようなさばきは、メディヤ人がバビロンを攻めたときに起こりませんでした。したがってここは、過去のバビロンが滅んだ預言であるだけでなく、終わりの時に起こることも示唆しています。

4.永遠の廃墟

そこには永久に住む者もなく、代々にわたり、住みつく者もなく、アラビヤ人も、そこには天幕を張らず、牧者たちも、そこには群れを伏させない。そこには荒野の獣が伏し、そこの家々にはみみずくが満ち、そこにはだちょうが住み、野やぎがそこにとびはねる。山犬は、そこのとりでで、ジャッカルは、豪華な宮殿で、ほえかわす。その時の来るのは近く、その日はもう延ばされない。(イザヤ書13:20-22)

 バビロンが倒された後、永遠の廃墟となる預言です。

5.イスラエルの回復

まことに、主はヤコブをあわれみ、再びイスラエルを選び、彼らを自分たちの土地にいこわせる。在留異国人も彼らに連なり、ヤコブの家に加わる。国々の民は彼らを迎え、彼らの所に導き入れる。イスラエルの家は主の土地でこの異国人を奴隷、女奴隷として所有し、自分たちをとりこにした者をとりこにし、自分たちをしいたげた者を支配するようになる。(イザヤ書14:1-2)

 主が再臨される直前にバビロンが倒壊しますが、その後、イスラエルがこのように回復します。バビロンの倒壊とイスラエルの回復が連動した形になっています。

6.バビロン後の世界

主が、あなたの痛み、あなたへの激しい怒りを除き、あなたに負わせた過酷な労役を解いてあなたをいこわせる日に、あなたは、バビロンの王について、このようなあざけりの歌を歌って言う。「しいたげる者はどのようにして果てたのか。横暴はどのようにして終わったのか。主が悪者の杖と、支配者の笏とを折られたのだ。彼は憤って、国々の民を打ち、絶え間なく打ち、怒って、国々を容赦なくしいたげて支配したのだが。全地は安らかにいこい、喜びの歌声をあげている。もみの木も、レバノンの杉も、あなたのことを喜んで、言う。『あなたが倒れ伏したので、もう、私たちを切る者は上って来ない。』」(イザヤ書14:1-8)

 バビロンが激しくイスラエルや他の国々をしいたげたことが語られています。けれどもバビロンが滅びた今、全地が安心して暮らすことができているという預言です。

7.バビロンと提携していた反キリストと悪魔

下界のよみは、あなたの来るのを迎えようとざわめき、死者の霊たち、地のすべての指導者たちを揺り起こし、国々のすべての王を、その王座から立ち上がらせる。彼らはみな、あなたに告げて言う。『あなたもまた、私たちのように弱くされ、私たちに似た者になってしまった。』あなたの誇り、あなたの琴の音はよみに落とされ、あなたの下には、うじが敷かれ、虫けらが、あなたのおおいとなる。

暁の子、明けの明星よ。どうしてあなたは天から落ちたのか。国々を打ち破った者よ。どうしてあなたは地に切り倒されたのか。あなたは心の中で言った。『私は天に上ろう。神の星々のはるか上に私の王座を上げ、北の果てにある会合の山にすわろう。密雲の頂に上り、いと高き方のようになろう。』しかし、あなたはよみに落とされ、穴の底に落とされる。(イザヤ書14:9-15)

 前述しましたように、バビロンが滅んだ後にバビロンと屈託していた反キリスト(9−11節)と、反キリストに権威を与えた悪魔へのさばき(12−15節)です。

8.暴虐に対するさばき

あなたを見る者は、あなたを見つめ、あなたを見きわめる。『この者が、地を震わせ、王国を震え上がらせ、世界を荒野のようにし、町々を絶滅し、捕虜たちを家に帰さなかった者なのか。』すべての国の王たちはみな、おのおの自分の墓で、尊ばれて眠っている。しかし、あなたは、忌みきらわれる若枝のように墓の外に投げ出された。剣で刺し殺されて墓穴に下る者でおおわれ、踏みつけられるしかばねのようだ。あなたは墓の中で彼らとともになることはない。あなたは自分の国を滅ぼし、自分の民を虐殺したからだ。悪を行なう者どもの子孫については永久に語られない。先祖の咎のゆえに、彼の子らのために、ほふり場を備えよ。彼らが立って地を占領し、世界の面を彼らの町々で満たさないためだ。」「わたしは彼らに向かって立ち上がる。・・万軍の主の御告げ。・・わたしはバビロンからその名と残りの者、および、後に生まれる子孫とを断ち滅ぼす。・・主の御告げ。・・わたしはこれを針ねずみの領地、水のある沢とし、滅びのほうきで一掃する。・・万軍の主の御告げ。・・」(イザヤ書14:16-23)

 バビロンは最後に、自分が行なったことへの報いを受けるようになります。


 そして、エレミヤ書50−51章も見ていくが、同じようなテーマが繰り返されていると同時に、さらに多くの要点を見出せます。

9.北の国からの侵略

主が預言者エレミヤを通して、バビロンについて、すなわちカルデヤ人の国について語られたみことば。 「諸国の民の間に告げ、旗を掲げて知らせよ。隠さずに言え。『バビロンは捕えられた。ベルははずかしめられ、メロダクは砕かれた。その像ははずかしめられ、その偶像は砕かれた。』 なぜなら、北から一つの国がここに攻め上り、この地を荒れ果てさせたからだ。ここには住む者もない。人間から家畜に至るまで逃げ去った。」エレミヤ書50:1-3)

 「1.諸国の軍隊から攻められる」と同じことが書かれていますが、この箇所では「北から一つの国がここに攻め上り」とあり、一つの国に注目しています。ダニエル11:44に「東と北からの知らせが彼(反キリスト)を脅かす」とあり、またエゼキエル39:2には「メシェクとトバルの大首長であるマゴグの地ゴグ」とあり、北からの攻撃が預言されています。

(5.イスラエルの回復)

その日、その時、・・主の御告げ。・・イスラエルの民もユダの民も共に来て、泣きながら歩み、その神、主を、尋ね求める。彼らはシオンを求め、その道に顔を向けて、『来たれ。忘れられることのないとこしえの契約によって、主に連なろう。』と言う。わたしの民は、迷った羊の群れであった。その牧者が彼らを迷わせ、山々へ連れ去った。彼らは山から丘へと行き巡って、休み場も忘れてしまった。彼らを見つける者はみな彼らを食らい、敵は『私たちには罪がない。彼らが、正しい牧場である主、彼らの先祖の望みであった主に、罪を犯したためだ。』と言った。(エレミヤ書50:4-7)

 イザヤ14章初めと同じく、イスラエルが回復し、慰めを受けることが預言されています。ここで興味深いのは、バビロンが、「私たちには罪がない、彼らが主に罪を犯したためだ。」と言っている点です。イスラエルが罪を犯したのは、その通りです。バビロンが言っていることは正しいですが、彼らがイスラエルに対して行なったことに対する神のさばきは、滞りなく行なわれます。歴史を通して行なわれているユダヤ人への迫害や、現在のイスラエルへのテロなどを、ユダヤ人が罪を犯しているからという理由で正当化するならば、このバビロンの見解と同じことを言っていることになります。

10.バビロンから逃げる民

バビロンの中から逃げ、カルデヤ人の国から出よ。群れの先頭に立つやぎのようになれ。(エレミヤ書50:8)

 バビロンに住んでいるユダヤ人がすぐに逃げるようにとの呼びかけです。

(9.北からの侵略)

見よ。わたしが、大国の集団を奮い立たせて、北の地からバビロンに攻め上らせる。彼らはこれに向かって陣ぞなえをし、これを攻め取る。彼らの矢は、練達の勇士の矢のようで、むなしくは帰らない。カルデヤは略奪され、これを略奪する者はみな満ち足りる。・・主の御告げ。・・エレミヤ書50:9-10

(4.永遠の廃墟)

わたしの相続地を略奪する者たち。あなたがたは楽しみ、こおどりして喜び、穀物を打つ雌の子牛のようにはしゃぎ、荒馬のようにいなないても、 あなたがたの母はいたく恥を見、あなたがたを産んだ者ははずかしめを受けた。見よ。彼女は国々のうちの最後の者、荒野となり、砂漠と荒れた地となる。 主の怒りによって、そこに住む者はなく、ことごとく廃墟と化する。バビロンのあたりを通り過ぎる者はみな、色を失い、そのすべての打ち傷を見てあざける。 すべて弓を張る者よ。バビロンの回りに陣ぞなえをし、これを射よ。矢を惜しむな。彼女は主に罪を犯したのだから。 その回りに、ときの声をあげよ。彼女は降伏した。その柱は倒れ、その城壁はこわれた。これこそ主の復讐だ。彼女に復讐せよ。彼女がしたとおりに、これにせよ。 種を蒔く者や、刈り入れの時にかまを取る者を、バビロンから切り取れ。しいたげる者の剣を避けて、人はおのおの自分の民に帰り、自分の国へ逃げて行く。」 (エレミヤ書50:11-16)


 北からの略奪者によって、バビロンが荒野、廃墟となる預言です。

11.イスラエルにしたことへの報い

イスラエルは雄獅子に散らされた羊。先にはアッシリヤの王がこれを食らったが、今度はついに、バビロンの王ネブカデレザルがその骨まで食らった。それゆえ、イスラエルの神、万軍の主は、こう仰せられる。「見よ。わたしはアッシリヤの王を罰したように、バビロンの王とその国を罰する。(エレミヤ書50:17-18

 先に言及した通り、イスラエルに対して行なったことに対する報いとして、バビロンは滅ぼされます。

(5.イスラエルの回復)

わたしはイスラエルをその牧場に帰らせる。彼はカルメルとバシャンで草を食べ、エフライムの山とギルアデで、その願いは満たされる。 その日、その時、・・主の御告げ。・・イスラエルの咎は見つけようとしても、それはなく、ユダの罪も見つけることはできない。わたしが残す者の罪を、わたしが赦すからだ。」(エレミヤ書50:19-20)

 イスラエルは約束の地に帰還できるだけでなく、罪の赦しを受け、永遠に救われます。

(1.諸国の軍隊が攻めてくる)

「メラタイムの地、ペコデの住民のところに攻め上れ。彼らを追って、殺し、彼らを聖絶せよ。・・主の御告げ。・・すべて、わたしがあなたに命じたとおりに、行なえ。」「国中には戦いの声、大いなる破滅。万国を打った鉄槌は、どうして折られ、砕かれたのか。バビロンよ。どうして国々の恐怖となったのか。バビロンよ。わたしがおまえにわなをかけ、おまえは捕えられた。おまえはそれを知らなかった。おまえは見つけられてつかまえられた。おまえが主に争いをしかけたからだ。主はその倉を開いて、その憤りの武器を持ち出された。それは、カルデヤ人の国で、万軍の神、主の、される仕事があるからだ。四方からそこに攻め入れ。その穀物倉を開け。これを麦束のように積み上げ、これを聖絶して、何一つ残すな。その雄牛をみな滅ぼせ。ほふり場に下らせよ。ああ。哀れな彼ら。彼らの日、その刑罰の時が来たからだ。」(エレミヤ書50:21-27)

(11.イスラエルにしたことへの報い)

聞け。バビロンの国からのがれて来た者が、シオンで、私たちの神、主の、復讐のこと、その宮の復讐のことを告げ知らせている。射手を呼び集めてバビロンを攻め、弓を張る者はみな、これを囲んで陣を敷き、ひとりものがすな。そのしわざに応じてこれに報い、これがしたとおりに、これにせよ。主に向かい、イスラエルの聖なる方に向かって高ぶったからだ。「それゆえ、その日、その若い男たちは町の広場に倒れ、その戦士もみな、断ち滅ぼされる。・・主の御告げ。・・高ぶる者よ。見よ。わたしはあなたを攻める。・・万軍の神、主の御告げ。・・あなたの日、わたしがあなたを罰する時が来たからだ。そこで、高ぶる者はつまずき倒れ、これを起こす者もいない。わたしは、その町に火をつける。火はそのまわりのものをすべて焼き尽くす。」(エレミヤ書50:28-32)

 バビロンは、イスラエルを攻めていることによって、イスラエルの神に対して高ぶり、逆らっていました。次の33節から37節も、同じくイスラエルにしたことへの報いです。

万軍の主はこう仰せられる。「イスラエルの民とユダの民は、共にしいたげられている。彼らをとりこにした者はみな、彼らを捕えて解放しようとはしない。」彼らを贖う方は強く、その名は万軍の主。主は、確かに彼らの訴えを支持し、この国をいこわせるが、バビロンの住民を震え上がらせる。・・・(以下省略)

12.偶像礼拝に対するさばき
 その水の上には、ひでりが下り、それはかれる。ここは刻んだ像の国で、彼らは偶像の神に狂っているからだ。(エレミヤ書50:38

 バビロンでは刻んだ像があり、偶像の神があります。その悪に対する鉄槌として、バビロンが攻められます。

(4.永遠の廃墟)

それゆえ、そこには荒野の獣が山犬とともに住み、だちょうがそこに住む。もう、いつまでも人は住まず、代々にわたって、住む人はない。神がソドムと、ゴモラと、その近隣を滅ぼされたように、・・主の御告げ。・・そこには人が住まず、そこには人の子が宿らない。(エレミヤ書50:39-40)

(9.北からの侵略)

見よ。一つの民が北から来る。大きな国と多くの王が地の果て果てから奮い立つ。彼らは弓と投げ槍を堅く握り、残忍で、あわれみがない。その声は海のようにとどろく。バビロンの娘よ。彼らは馬に乗り、ひとりのように陣ぞなえをして、あなたを攻める。・・(中略)・・バビロンの捕えられる音で地は震え、その叫びが国々の間でも聞こえた。(エレミヤ書50:41-46)

(1.諸国の軍隊が攻めてくる)

主はこう仰せられる。「見よ。わたしはバビロンとその住民に対し、破壊する者の霊を奮い立たせ、他国人たちをバビロンに送る。彼らはこれを吹き散らし、その国を滅ぼす。彼らは、わざわいの日に、四方からこれを攻める。」射手には弓を張らせ、よろいを着けてこれを襲わせよ。そこの若い男を惜しむことなく、その全軍を聖絶せよ。刺し殺された者たちが、カルデヤ人の国に倒れ、突き刺された者たちが、そのちまたに倒れる。(エレミヤ書51:1-4)

(10.バビロンから逃げる民)

しかし、イスラエルもユダも、その神、万軍の主から、決して見捨てられない。彼らの国は、イスラエルの聖なる方にそむいた罪に満ちていたが、バビロンの中から逃げ、それぞれ自分のいのちを救え。バビロンの咎のために絶ち滅ぼされるな。これこそ、主の復讐の時、報いを主が返される。(エレミヤ書51:5-6)

 イスラエルは罪を犯したけれども、あわれみを受けます。それゆえバビロンから逃げなさいとの呼びかけられます。

13.バビロン崩壊によって損をする国々

バビロンは主の御手にある金の杯。すべての国々はこれに酔い、国々はそのぶどう酒を飲んで、酔いしれた。たちまち、バビロンは倒れて砕かれた。このために泣きわめけ。その痛みのために乳香を取れ。あるいはいやされるかもしれない。(エレミヤ書51:7-8)

 バビロンによって富を得ていた国々は、その倒壊によって損をします。

(10.バビロンから逃げる民)

私たちは、バビロンをいやそうとしたのに、それはいやされなかった。私たちはこれを見捨てて、おのおの自分の国へ帰ろう。バビロンへの罰は、天に達し、大空まで上ったからだ。主は、私たちの正義の主張を明らかにされた。来たれ。私たちはシオンで、私たちの神、主のみわざを語ろう。(エレミヤ書51:9-10)

(3.メディヤ人)

矢をとぎ、丸い小盾を取れ。主はメディヤ人の王たちの霊を奮い立たせられた。主の御思いは、バビロンを滅ぼすこと。それは主の復讐、その宮のための復讐である。バビロンの城壁に向かって旗を揚げよ。見張りを強くし、番兵を立てよ。伏兵を備えよ。主ははかりごとを立て、バビロンの住民について語られたことを実行されたからだ。大水のほとりに住む財宝豊かな者よ。あなたの最期、あなたの断ち滅ぼされる時が来た。万軍の主はご自分をさして誓って言われた。「必ず、わたしはばったのような大群の人をあなたに満たす。彼らはあなたに向かって叫び声をあげる。」(エレミヤ書51:11-14)

 イザヤ書と同じく、これはメディヤによるバビロンの没落を描いているだけでなく、終わりの時にバビロンが攻められることを示唆しています。バビロンが「財宝豊か」であると描写されていますが、これは黙示録18章に通じます。

(12.偶像礼拝に対するさばき)

主は、御力をもって地を造り、知恵をもって世界を堅く建て、英知をもって天を張られた。主が声を出すと、水のざわめきが天に起こる。主は地の果てから雲を上らせ、雨のためにいなずまを造り、その倉から風を出される。すべての人間は愚かで無知だ。すべての金細工人は、偶像のために恥を見る。その鋳た像は偽りで、その中に息がないからだ。それは、むなしいもの、物笑いの種だ。刑罰の時に、それらは滅びる。(エレミヤ書51:15-18)

 ベルシャツァルが金や銀、木や石で造ったものを拝んだのでバビロンが滅ぼされましたが、同じように偶像礼拝のゆえにバビロンは終わりの時に滅ぼされます。

(5.イスラエルの回復)

ヤコブの分け前はこんなものではない。主は万物を造る方。イスラエルは主ご自身の部族。その御名は万軍の主である。 (エレミヤ書51:19)

14.諸国へのさばきに用いられたバビロン

あなたはわたしの鉄槌、戦いの道具だ。わたしはあなたを使って国々を砕き、あなたを使って諸王国を滅ぼす。あなたを使って馬も騎手も砕き、あなたを使って戦車も御者も砕き、あなたを使って男も女も砕き、あなたを使って年寄りも幼い者も砕き、あなたを使って若い男も若い女も砕き、あなたを使って牧者も群れも砕き、あなたを使って農夫もくびきを負う牛も砕き、あなたを使って総督や長官たちも砕く。(エレミヤ書51:20-23)

 バビロンが、イスラエルを含める国々へのさばきの器として用いられたことが書かれています。ここで非常に大切な点は、このバビロンは、その国々に働いた暴虐によって、永遠のさばきを受けることです。神は悪を、いや悪魔でさえもご自分の器としてお用いになることができます。これは世界の歴史や世界情勢を見るときの大切な視点となります。

(11.イスラエルへしたことへの報い)

わたしはバビロンとカルデヤの全住民に、彼らがシオンで行なったすべての悪のために、あなたがたの目の前で報復する。・・主の御告げ。・・ (エレミヤ書51:24)

(4.永遠の廃墟)

全地を破壊する、破壊の山よ。見よ。わたしはおまえを攻める。・・主の御告げ。・・わたしはおまえに手を伸べ、おまえを岩から突き落とし、おまえを焼け山とする。だれもおまえから石を取って、隅の石とする者はなく、礎の石とする者もない。おまえは永遠に荒れ果てる。・・主の御告げ。・・(エレミヤ書51:25-26)


(9.北の国からの侵略)

この地に旗を掲げ、国々の中に角笛を鳴らせ。国々を整えてこれを攻めよ。アララテ、ミニ、アシュケナズの王国を召集してこれを攻めよ。ひとりの長を立ててこれを攻めよ。群がるばったのように、馬を上らせよ。 (エレミヤ書51:27

 アシュケナズは、北のヨーロッパ地域です。エゼキエル38−39章のゴグ、マゴグと合致します。

(3.メディヤ人)

国々を整えてこれを攻めよ。メディヤ人の王たち、その総督やすべての長官たち、その支配する全土の民を整えて、これを攻めよ。地は震え、もだえる。主はご計画をバビロンに成し遂げ、バビロンの国を住む者もない荒れ果てた地とされる。バビロンの勇士たちは戦いをやめて、とりでの中にすわり込み、彼らの力も干からびて、女のようになる。その住まいは焼かれ、かんぬきは砕かれる。飛脚はほかの飛脚に走り次ぎ、使者もほかの使者に取り次いで、バビロンの王に告げて言う。「都はくまなく取られ、渡し場も取られ、葦の舟も火で焼かれ、戦士たちはおじ惑っている。」(エレミヤ書51:28-32)

 ここに記述されていることは、バビロンの王ベルシャツァルの状況に合致します。

(11.イスラエルへしたことへの報い)

イスラエルの神、万軍の主が、こう仰せられたからだ。「バビロンの娘は、踏まれるときの打ち場のようだ。もうしばらくで、刈り入れの時が来る。『バビロンの王ネブカデレザルは、私を食い尽くし、私をかき乱して、からの器にした。竜のように私をのみこみ、私のおいしい物で腹を満たし、私を洗い流した。』シオンに住む者は、『私と私の肉親になされた暴虐は、バビロンにふりかかれ。』と言え。エルサレムは、『私の血はカルデヤの住民に注がれよ。』と言え。」(エレミヤ書51:33-35)

 この箇所もまた、過去のバビロン国についての言及でしょう。ネブカデネザルが登場しているからです。

(4.永遠の廃墟)

それゆえ、主はこう仰せられる。「見よ。わたしはあなたの訴えを取り上げ、あなたのために報復する。わたしはその海を干上がらせ、その泉をからす。バビロンは石くれの山となり、ジャッカルの住みかとなり、恐怖、あざけりとなる。・・・(中略)・・その町々は荒れ果て、地は砂漠と荒れた地となり、だれも住まず、人の子が通りもしない地となる。わたしはバビロンでベルを罰し、のみこんだ物を吐き出させる。国々はもう、そこに流れ込むことはない。ああ、バビロンの城壁は倒れてしまった。(エレミヤ書51:36-44)

(10.バビロンから逃げる民)

わたしの民よ。その中から出よ。主の燃える怒りを免れて、おのおの自分のいのちを救え。そうでないと、あなたがたの心は弱まり、この国に聞こえるうわさを恐れよう。うわさは今年も来、その後の年にも、うわさは来る。この国には暴虐があり、支配者はほかの支配者を攻める。(エレミヤ書51:45-46)

 神が、バビロンから早く逃れないと、うわさによって弱まってしまうと警告されています。

(9.北の国からの侵略)

それゆえ、見よ、その日が来る。その日、わたしは、バビロンの刻んだ像を罰する。この国全土は恥を見、その刺し殺された者はみな、そこに倒れる。天と地とその中のすべてのものは、バビロンのことで喜び歌う。北からこれに向かって、荒らす者たちが来るからだ。・・主の御告げ。・・エレミヤ書51:47-48

 偶像礼拝をさばくために、北からの荒らす者たちが攻めて来ます。

(11.イスラエルへしたことへの報い)

バビロンは、イスラエルの刺し殺された者たちのために、倒れなければならない。バビロンによって、全地の刺し殺された者たちが倒れたように。剣からのがれた者よ。行け。立ち止まるな。遠くから主を思い出せ。エルサレムを心に思い浮かべよ。『私たちは、そしりを聞いて、はずかしめを受けた。他国人が主の宮の聖所にはいったので、侮辱が私たちの顔をおおった。』」(エレミヤ書51:49-51

(12.偶像礼拝に対するさばき)

「それゆえ、見よ、その日が来る。・・主の御告げ。・・その日、わたしは、その刻んだ像を罰する。刺された者がその全土でうめく。たといバビロンが天に上っても、たとい、そのとりでを高くして近寄りがたくしても、わたしのもとから荒らす者たちが、ここに来る。・・主の御告げ。・・」聞け。バビロンからの叫び、カルデヤ人の地からの大いなる破滅の響きを。主がバビロンを荒らして、そこから大いなる声を絶やされるからだ。その波は大水のように鳴りとどろき、その声は鳴りどよめく。荒らす者がバビロンを攻めに来て、その勇士たちは捕えられ、その弓も折られる。主は報復の神で、必ず報復されるからだ。(エレミヤ書51:52-56

(4.永遠の廃墟)

「わたしは、その首長たちや、知恵ある者、総督や長官、勇士たちを酔わせる。彼らは永遠の眠りについて、目ざめることはない。・・その名を万軍の主という王の御告げ。・・」万軍の主はこう仰せられる。「バビロンの広い城壁は、全くくつがえされ、その高い門も火で焼かれる。国々の民はむなしく労し、諸国の民は、ただ火に焼かれるために疲れ果てる。」(エレミヤ書51:57-58)

 バビロンの者たちが永遠に目覚めることはない、つまり二度と再建されることはない、という預言です。そしてこの町が火で焼かれることを預言しています。同じく、最後のエレミヤのジェスチャーは、バビロン再建が決してないことを示しています。

マフセヤの子ネリヤの子セラヤが、ユダの王ゼデキヤとともに、その治世の第四年に、バビロンへ行くとき、預言者エレミヤがセラヤに命じたことば。そのとき、セラヤは宿営の長であった。エレミヤはバビロンに下るわざわいのすべてを一つの巻き物にしるした。すなわち、バビロンについてこのすべてのことばが書いてあった。エレミヤはセラヤに言った。「あなたがバビロンにはいったときに、これらすべてのことばをよく注意して読み、『主よ。あなたはこの所について、これを滅ぼし、人間から獣に至るまで住むものがないようにし、永遠に荒れ果てさせる、と語られました。』と言い、この書物を読み終わったなら、それに石を結びつけて、ユーフラテス川の中に投げ入れ、『このように、バビロンは沈み、浮かび上がれない。わたしがもたらすわざわいのためだ。彼らは疲れ果てる。』と言いなさい。」ここまでが、エレミヤのことばである。(エレミヤ書51:59-64


 こうしてバビロンへの神のさばきの預言を眺めると、繰り返し、繰り返し同じ点を強調しているのが分かります。そして、前述のようにゼカリヤ書5章は、エパ枡の中にいる女の幻があります。

私と話していた御使いが出て来て、私に言った。「目を上げて、この出て行く物が何かを見よ。」私が、「それは何ですか。」と尋ねると、彼は言った。「これは、出て行くエパ枡だ。」そして言った。「これは、全地にある彼らの罪だ。」見よ。鉛のふたが持ち上げられ、エパ枡の中にひとりの女がすわっていた。彼は、「これは罪悪だ。」と言って、その女をエパ枡の中に閉じ込め、その口の上に鉛の重しをかぶせた。

それから、私が目を上げて見ると、なんと、ふたりの女が出て来た。その翼は風をはらんでいた。彼女たちには、こうのとりの翼のような翼があり、彼女たちは、あのエパ枡を地と天との間に持ち上げた。そこで私は、私と話していた御使いに尋ねた。「あの者たちは、エパ枡をどこへ持って行くのですか。」彼は私に言った。「シヌアルの地で、あの女のために神殿を建てる。それが整うと、そこの台の上に安置するためだ。」(5-11節)

 これはバビロンがすでに倒れた後の預言であるから、終わりの時のバビロン、つまりいま見てきた終末バビロンの直接的預言です。エパ枡は計量に関わることだから、経済や商業に関わることです。そして罪悪と呼ばれた女は売春婦、淫婦であることも分かります。そこで黙示録17章と18章に、ゼカリヤ書の預言が、先のイザヤ書とエレミヤ書の預言と重なって現われる形となっています。(一節ずつの解説は、「聖書の学び」の黙示録17章18章をご参照されたい。)これまで見てきた旧約の預言がどのように黙示録の記述と関連し合っているのかを調べてみたいと思います。

 最初に、諸国の民によって攻められるという預言についてですが、黙示録17章16節にその姿を見ます。

あなたが見た十本の角と、あの獣とは、その淫婦を憎み、彼女を荒廃させ、裸にし、その肉を食い、彼女を火で焼き尽くすようになります。

 大バビロンは、世界の十の支配者たち、あるいは支配圏と、反キリストによって滅ぼされ、火で焼き尽くされます。これは反キリストと諸国の軍隊がハルマゲドンの戦いを繰り広げ始めているときに起こっている事であることが、その前の14節を読むとわかります。諸国の軍隊は、戦うキリストによって打ち倒されますが、神はこれら反抗者を用いて、バビロンを倒すようにされます。

それは、神が、みことばの成就するときまで、神のみこころを行なう思いを彼らの心に起こさせ、彼らが心を一つにして、その支配権を獣に与えるようにされたからです。(17:17)

 我々は、ある一定の国に注目してどのような悪いことをしているかについて目を留めがちだが、聖書は、神が悪者をも用いてご自分の目的を果たされることを、何度も何度も描いています。もしある人が言うように米国が神の前で悪を行なっているのであれば、神は必ずこれをさばかれます。けれどもイラクに対するメッセージは、米国を通して下している神のさばき、であるかもしれないのです。一つの出来事をとおして、神はそれぞれの国や民にメッセージを送っておられます。

 そして主の日における天変地異などの悲惨さは、すでに黙示録16章後半にて、これまでにない大地震が起こることが預言されています。永遠の廃墟についてはどうでしょうか?18章が二度と再建されることがないことを強調しています。

また、ひとりの強い御使いが、大きい、ひき臼のような石を取り上げ、海に投げ入れて言った。「大きな都バビロンは、このように激しく打ち倒されて、もはやなくなって消えうせてしまう。(21節)

 エレミヤがユーフラテス川に預言の書を石をくくりつけて投げ込ませたように、ひき臼が投げ込まれています。同じく廃墟の様子を18章2節は次のように描いています。

倒れた。大バビロンが倒れた。そして、悪霊の住まい、あらゆる汚れた霊どもの巣くつ、あらゆる汚れた、憎むべき鳥どもの巣くつとなった。

 バビロンが滅んだ後、イスラエルが回復することについては、イスラエルという言葉は出てこないが黙示録20章に、千年王国が預言されているところで実現します。黙示録が再臨の直前にバビロンを描いているのは、これら旧約預言の順序があるからです。

 バビロンと提携していた反キリストと悪魔については、黙示録17章の最初に描かれています。

それから、御使いは、御霊に感じた私を荒野に連れて行った。すると私は、ひとりの女が緋色の獣に乗っているのを見た。その獣は神をけがす名で満ちており、七つの頭と十本の角を持っていた。(3節)

 七つの頭とと十本の角を持っている獣が13章に登場する反キリストで、その反キリストは12章に登場する赤い竜の権威と力と位が与えられています。

 そしてバビロンの滅びが、あらゆる暴虐に対する神のさばきであることは、黙示録18章の最後に書かれています。

また、預言者や聖徒たちの血、および地上で殺されたすべての人々の血が、この都の中に見いだされたからだ。

 イスラエルがバビロンから逃げることも、黙示録18章4節に書かれています。

それから、私は、天からのもう一つの声がこう言うのを聞いた。「わが民よ。この女から離れなさい。その罪にあずからないため、また、その災害を受けないためです。

 そしてバビロンの倒壊によって損をする人々がいることについては、黙示録18章に繰り返し書かれています。

また、地上の商人たちは彼女のことで泣き悲しみます。もはや彼らの商品を買う者がだれもいないからです。(11節)


 このように、過去のバビロンの崩壊についての預言が、その出来事を原型とした終わりの時の預言についてであることが分かりました。そこで次は、では現在のイラクに対して、これらのバビロンについての預言がどのように関わってくるのかを検討できたら、と思っています。


これからのイラク

 しばらく、このエッセイの続きを書くのが滞っていました(現在、2003年11月14日です)。というのは、アメリカがイラク復興活動を行なっている中で、どのような動向になるのかがなかなか見えてこなかったからです。聖書の中にあるイラクは、上記の数多くの聖句にあるように非常に鮮明に描かれていますが、アメリカがその地上に雲のように覆っているため、見えなくさせられているという感じです。

 そこでアメリカの動向をどう見るか、なのですが、繰り返しますが聖書預言の中心にアメリカが出てこないので、やはりアメリカが影響力を持っていくことはできなくなって、より大きな力の中で存在感をなくすであろうと思われます。アメリカが目指す世界の民主化は、終わりの時に登場する、人の像の足と足の指の状態(ダニエル2章)に似てくるのですが、それはアメリカではなくヨーロッパのほうで中心に行なわれるのが終わりの時のシナリオです。

 この事情を、エルサレム在住のアメリカ人ジャーナリスト、デービッド・ドラン氏がアメリカやヨーロッパが目指すイラクの民主化について、詳しく論じています。私自身が文章を書く時間がないので、参考となるコラムとしてリンクします。

AMERICAN FALL
http://www.ddolan.com/new/docs/current/updNov1403.shtml

 時間ができたら、自分でも文章を書いてみたいと思います。


獣の国と神のあわれみ
福音宣教へ


 本日(2003年12月12日)、リバイバル新聞の第一面の記事を読みましたが、私がエッセイを書いているなかで新たに示されたことが書かれていました。それは、終わりの時にはあらゆる国民、民族、国語に福音が宣べ伝えられるという真理です。「日本緊急援助隊」の代表であるケン・ジョセフ氏へのインタビューが載っていました。彼自身がアッシリア人クリスチャンを祖父母に持っているようで、米国のイラク攻撃反対とイラクへの支援を目的に、バグダッド入りしたそうです。

 けれども、彼が見たのは、アメリカの空爆を歓迎するイラク国民の姿でした。彼は、米軍の空爆よりもフセイン政権の圧制から解放されることを願っていたのを見ました。(まったく同じことを、「クリスチャンと政治思想」のエッセイで引用した、イラク入りした聖職者が言っていました。)

 その他、彼が指摘する点は次のとおりです。

・警察を国連と国際社会、米国をヤクザに例えています。これまで警察に頼んでも、だれも来てくれなかったが、ヤクザが来て、その問題となっているものを排除してくれた、とのことです。

 アメリカが今回の件で、国連の法規や国際協力ではなく単独的に動いたという人たちがいますが、彼は、法規の中で動く国連を「警察」になぞらえ、そしてそれを無視する米国を「ヤクザ」と呼んでいます。けれども犯人を取り締まることができない無能な警察のごとく、国連はフセインに対して無能でした。けれども、単独行動であったとしてもフセイン圧政をアメリカが排除しました。

・そして、ジョセフ氏はイラク統治評議会との関わりを持ち、新しいイラクの憲法を日本の平和憲法をモデルにするべきだ、と発言しているそうです。

・そして、日本の自衛隊派遣は、米国の圧力ではなく、憲法改正のためにしていることだ、という指摘があります。

・日本が貢献できるのは、法律、医療、警察、マスコミなどの整備である、という点。

 日本は得意な分野があります。インフラ面の復興支援であれば、日本はパレスチナへの最大の経済貢献国でもあり、アラブ人からも信頼を勝ち得ています。もともと対決的なものを避けるのが得意な日本は、どんどん今までの実績を生かして、インフラに対する働きかけをすればいい、ということです。

そして、米国や韓国の宣教師が派遣されて、積極的な伝道を行なっている、という点。

 この最後の点が、今までの点以上に一番大切なことです。これまで人間の盾や写真家などの話題は聞いていましたが、福音宣教をしている日本人の紹介が見当たりませんでした。でも、クリスチャンならば、これが一番しなければいけないことでしょう。

 聖書の中に預言されている、さまざまな国の興亡。第四の獣は鉄のきばをもったローマです。けれどもその中でパウロが力強い福音宣教を展開させました。政治的意見については、主は「カエザルのものはカエザルに」と言われたように、ローマの悪についてその多くを語られませんでした。もっと大事な使命が父なる神から託されていたからです。そしてパウロは、ローマ市民であることを全面活用して、世界をまたぐ宣教活動を行ないました。ローマが、福音宣教の妨げになったのではなく、むしろ神の栄光のために神によって利用されたのです。

 もしある人が言うようにアメリカが獣の国と言いたいなら、むしろアメリカを通して神の栄光が現われている、と結論に達することもできるのではないでしょうか?

 日本の自衛隊派遣は、昔のシベリア出兵を思い出させます。昔、出兵の行動についての目的と使命を明確に持っていなかったために、激流のように荒れ狂う国際情勢の渦中で舵を失い、そのため軍隊を制御できなくなり、敗戦への道を進みました。そして自衛隊は、ハルマゲドンへの道となるユーフラテス川を有するイラクへと派遣されることになります。終わりの時の姿にさらに一歩近づきました。アメリカが、自分たちも知らないうちに、終わりの時の反キリスト体制の下地を作ってしまっています。ブッシュ大統領がイスラムの力に押されて、自分のキリスト信仰の妥協も行ない、結果的に世界宗教を支持するかのような発言をするに至っています。アメリカの霊的底力がなくなってきているのを見て私はちょっと悲しいですが、それでも終わりの時にはアメリカは登場しないので、預言のとおりになっているのでしょう。

 しかし、繰り返しますが、このような悲観的、危急的状況の中で、主のみわざは確実に前進しているし、また私たちも主の働きに参画することができる、ということです。


その後の所感
(2004年4月21日著。その後修正。)

「高みの見物」という誤謬

 イラク戦、また復興支援活動において、日本のマスコミやインターネットを通じて流布される情報や意見・主張には、正直、腹立たしくなることがある。そして筆者がこのホームページやキリスト系の媒体で書いていることに対して、預言解釈によって現実に起こっている出来事を非人間化しているという批判を受けている。しかしその批判を聞いていると、その根拠はそのまま言っている本人に当てはまることに気づく。。

 今、読んでいる本がある。池内恵氏による「アラブ政治の今を読む」(中央公論社)である。著者は、以前「本・映画の紹介」で紹介させていただいた、「現代アラブの社会思想―終末論とイスラーム主義」と同じ人である(著者による詳しい説明はこちらをクリック)。この本がアラブ人たちが生(なま)で考えていることを概観しているなら、今よんでいる本は応用編とも言えるだろう。もっと具体的に、例えばアルジャジーラの実際やイラク復興支援策など、時節に合った話題も取り入れている。そして、日本における情報にメスを入れている(注:本書にはありませんでしたが、インターネット上に興味深い記事がありました。ここをクリック。)。いわゆる、名の知れたアラブ・イスラム研究者らの発言にも疑義を差し挟んでいる。

 日本にある論調で、テロリズムについて、テロリストの思想、行動に焦点が当てられるのではなく、その周辺的な要因である、アメリカやイスラエルの対外政策のみに焦点が当てられるのか?という点は私にとっても大きな疑問であった。がある。ちょうどオウム真理教による地下鉄サリン事件が発生してから、学校教育がいけないからこうなった、とか、十把一絡げに宗教は危険であるという議論が熱く語られたが、肝心の、オウム真理教の教義や実践については大して語られなかった。池内恵氏の言葉を借りると、こうなる。

「テロ事件直後から、ずいぶん多くのアラブや中東・イスラーム世界に関連する書物が出版された。十年前の湾岸戦争の時も同じような出版状況だったと記憶している・・・。けれどもそれらを読んでみても、ビン・ラーディンやザワーヒリーといったアラブ人がなぜわざわざアフガニスタンに行って銃を持って駆け回ったり、何やら指令を出して若者を自爆しに行かせたりしたのかが、よく分からないのだ。彼等の置かれた環境や歴史的経緯、特にアメリカとイスラエルの政策を中心とした国際政治上の背景というのがよく解説されるのだけれど、肝心の彼等の内面を突き動かす原動力には触れられていない。「アメリカが悪いからこうなった」、と言いたげな議論も多い。主観による善悪の判定よりも、「なぜ・どのように」こんな事件が起きたかという疑問に答えて欲しいものである。」
「他者」の高みに立つことなく 「九・一一」の内的要因を探る――から引用)

 私も、小さい、鈍い頭を振り絞って、イスラムの教えを自分なりに調べて、「イスラムに働く霊」というエッセイを書いた。特に、元イスラム教徒で今はクリスチャンになった人々のウェブサイトには、ムスリムへの福音伝道の観点を含めて、聖書的な検証がなされているので役にたった。それぞれがこうした営みを経て、そのテロ事件の実際、つまり、池内氏がいう「内的要因」を調べた。

 「アラブ政治の今を読む」の本には、中東イスラム諸国の実際について書かれている。一般にテロの温床は貧困にあるとされるが、実際、テロの指揮者や実行者は富裕層が多くそれは当てはまらない、としている。またその諸国の多くは、発展途上国ではなく中進国であることを、学術的に、統計に基づいて論じている。むしろ、中進国であれば存在するはずの社会的進歩がまったく見られないことで、閉塞的状況が起こり、欧米に留学するなどの頭脳流出が起こっているのが現状だそうだ。

 イスラム過激派がなぜアフガニスタンにたむろしたのか、その内容も詳しく説明されている。一般に、米国はその諜報機関を通して、国家戦略の中で、対アフガン戦を引き起こしたとする論調が日本や他の国ではけっこう流布していたが、本著では、サウジアラビアなどの諸国の国家的思惑によって、過激派らにそこに集まってもらうようにした操作があったことも指摘されている。

 そしてイラクにおいては、一般的には、米国の国連無視、また、イラク国民に対する人権蹂躙のみを指摘する論調が主だ。けれども、湾岸戦争以来のフセインの戦略、つまり、(これは他のイスラム諸国にも当てはまるそうだが)独裁者が自分に対する不満を押さえつけるために、国内で起こっているもろもろの問題を、アメリカやイスラエルのせいにする操作を行なっていたことも指摘している。

 そしてフセイン政権が生き延びた要因を次のように述べている。

「湾岸戦争後イラク戦争に至る12年間をフセイン政権が生き延びた根本的な要因は、フセイン政権に次の二点を実行する意思と能力があったところに認められよう。第一は、政権を維持するためには国民の犠牲を厭わない、つまり「国民を盾にする」意思と能力である。経済制裁で国民生活に多大な犠牲が加えられたところで、国民から責任を問われるような体制をフセイン政権下イラクは持っていなかった。むしろ国民への悪影響を宣伝して、国際社会に制裁の非道を訴えるという手段を採用し得た。第二は、自国の豊富な石油資源を外交資源に転嫁する意志と能力である。周辺諸国も、フランス・ロシア・中国の安保理常任理事国を含む諸大国も、石油貿易や利権獲得のためにフセイン政権との接触を持ち、制裁は骨抜きになった。」(273頁)

 この箇所の脚注にて、日本での論調に対する批判を施している。

「このようなイラク政治の内在的な論理が、日本の論壇やマスメディアの議論で留意されることは意外に少ない。まったくイラク内政を考慮せず、もっぱらアメリカの意図によって事態が進展していると論じる陰謀論的説明の方があたかもまともな議論であるかのように受け止められてしまうことは危機的である。代表的なのは田中宇『イラクとパレスチナ アメリカの戦略』(光文社新書、2003年)で、アメリカが湾岸戦争でフセイン政権を打倒せず、戦後もフセイン政権の温存を許したのは、もし政権を打倒し親米政権を樹立して支援を行なえば、日本のような発展を遂げてかえってアメリカにとって脅威となると考えたがゆえである、という議論を行なっている。このような議論は、イラクの反体制派や、体制内にとどまっていても現状に不満を抱き、米軍による介入に期待を抱く(それゆえにアメリカの場当たり的介入に不満を抱く)立場のイラク人の間に、また同種の感慨を抱くアラブ諸国の知識人の間に、ある種の「慰め」をもたらす「おとぎ話」として流通していたものである。この著者による、インターネットなどで流通する噂話を精査することなく論述に組み込んだ一連の中東情勢分析には、荒唐無稽な点が多いにもかかわらず、かなり広く受容されている。・・・」(282頁)

 対イラク政策について米国を批判するのはむろん構わない。特にアメリカ市民や在住者なら、兵士も現地に派遣され、自分たちの税金が使われているのだから、それはある意味、責務であるとも言えるだろう。またイラク人が、自分の身近な人が被害を受けたことについて、悲しみを持つのは当たり前だ。しかし、これらの現状を使って、われわれ日本人がアメリカ批判の材料に使うのは、卑怯だ。聖書預言の解釈をするのが非人間化しているというが、むしろアメリカ叩きのためにそのような状況を自分の主張のために利用することのほうが、もっと非人間的だ。池内氏が言う「高みの見物」である。

 私がここで行なっているのは、一般のクリスチャンへのメッセージである。ここの読者の多くが、日々の生活を工面している主婦とか、日常生活を一生懸命営んでいる方々が多いであろう。そのような人たちが今、自分の持ち場でやらなければいけないことは何なのか、そしていろいろな情報がテレビなどから入ってくるが、クリスチャンとしてどのように整理しなければいけないのか、など、このエッセイを読む読者を眼中に入れて書いている。「預言をパズルのようにしている。現地では肉片が飛んでいる。」云々という批判を読んだが、その本人がどこまで、イラクの人たちのために祈っているのか?どれだけイラクへの宣教のことを考えているのか。

 「一芸に秀でる者は多芸に通ず」ではないが、中東を中心にする聖書預言を丹念に、真摯に受け止めるなら、自ずとそこにいる現地の人たちの霊的必要にも目が行くのだ。そしてそれが、神の意図なのだ!実際に私が見てきた尊敬する聖書教師、預言に通じている聖書教師は、伝道熱心で海外宣教にも力を入れている人が多い。「イスラエル・フリーク」と批判者が揶揄する人たちが、実は異邦人への宣教、パレスチナ人への伝道にも力を入れていたりする。

 ためのための議論はしたくない。クリスチャンの徳が高められるように、ここでエッセイを書かせていただいた。(結)


(無断転記や抜粋を禁止します)


慰めの報告 2007/2/16記

 ここのエッセイを書き終えて、かなりの期間が経った。当時、私はいろいろな非難や批判の嵐の中にいた。それは主に、私が聖書の言葉に固執するあまり、世の中のことが見えなくなっている、また周りが見えなくなっているということであった。

 しかしその年月の間、私はそのような閉鎖的な言論空間から抜け出していた。実際の伝道の現場にいた。そこには、私が信じている神の御言葉の原則がある。人々が罪に死んでいる。それを救えるのはただ福音でしかない。神の恵みも体験した。いっぱい体験した。自分に頼れない分、そこには神の御業があった。

 そして今年に入り、神の慰めはさらに降り注がれた。在米の日系のクリスチャンと、聖書の学びをしたことがその初めだ。その方々は、神の御言葉をそのまま受け入れていかれていた。主にあって喜んでおられた。御言葉は頭の中で考えるものではない、内からの魂の喜びだ。

 そしてさらなる喜びが訪れた。日本において、ロゴス・ミニストリーを使って、無牧の教会を営んでいる方々に出会ったことだ。本当に神の恵みを体験しておられた。ものすごい、尋常ではない神の御言葉への飢え渇きを持っておられた。私がアメリカで勉強していたときに叩き込まれた「教会のあるべき姿」が、日本という精神土壌の中で目の当たりにした驚きは大きかった。

 そして私に、良き知らせが訪れた。ここのエッセイで書いていた神の預言の事柄が、実際にそのようになりつつある、という報告だ。

1.アフガニスタンで、タリバンに拘束されていた8人のうちの一人、ヘザー・マーサー(Heather Mercer)さんによる報告だ。
 プロフィール
 著書:"Prisoners of Hope"
 講演のビデオ:at Baylor's University, AmbassadorAgency Demo

 アフガニスタンにて彼女が福音を伝えて、信仰を人々が持っていった喜びと、牢屋の中におけるキリストの苦しみの交わりの証しを聞いた。

 そして彼女は、今、イラク北部クルド人地区にいる。そこで起こっていることは、信じがたい、いや神の御言葉通りのことであった。イスラム教徒であるクルド人の中には、ものすごく大きく開かれた心がある。信じがたいことが次々に起こっている。マスコミに流されているイスラム教の戦いはどこにいったのか?と疑いたくなるような情報だ。彼女は今、黙示録3章のフィラデルフィアの教会に主が約束された「戸を開いておいた」状態であると言っておられた。そしてこの世の国と、神の国との衝突が起こっているとも力説しておられた。

2.もう一人は、ジョエル・ローゼンバーグ(Joel C. Rosenberg)氏によるスピーチである。

Joel C. Rosenberg's Web
Joel's Blog
Maranatha Prophecy Conference
Calvary Chapel Albuquerqe

 カルバリーチャペルの聖書預言セミナーで語っているビデオを何気なく見ていたら、一気に引き込まれてしまった。彼は自分が書いたノンフィクションの一連の小説の内容が、ことごとく世界情勢の中でその通りになっていったため、ベストセラーになった。

 私は興奮しながら、翌朝、先に行くと告げていた牧師宅へ向かった。私はその前の夜、ジョエルのスピーチを聞いたことは何も話していなかった。けれども牧師が「良い本がある」と言って見せたのは、彼の最新の本"Epicenter"(直訳は「震央」)であった!

 「イスラムテロリストが飛行機をハイジャックしてワシントンを攻撃する」「イラク戦争開始」「イラク解放」「アラファトが死ぬ」「イランにとんでもない指導者が現れる」「ロシアが独裁制になる」「ロシアがイランをはじめ、周辺イスラム教国と結託する」などなど、あらゆる出来事が出版直後、あるいは原稿を書き上げた直後に起こったそうだ。

 彼は主にエゼキエル書38、39章の、ゴグ・マゴグが率いるイスラム教諸国連合によるイスラエル攻撃の預言を中心にして、現在のことがどのように動いているかを説明された。彼はイラクがこの箇所にないことに注目し、小説を書くときには、あのフセインがいたのにも関わらず、イラクがイスラエルを攻撃するシナリオはいれなかったそうだ。

 そしてものすごく驚くべきことは、2001年の911を前後にして、イスラエルの周辺イスラム諸国において、イスラム教徒がイエス様を信じている数が急増しているという事実である。アフガニスタンは公式に知られたクリスチャンは16人しかいなかったが、現在は二万人にもなるという。スーダンでもエジプトにも急増している。イランもそうだ。

 そしてイラクの話には驚く。フセインの元側近、ジョージズ・サダ空軍大将は新生したクリスチャンだ。現在はタバラニ大統領の上級顧問を務めている。彼は今、イラクは確かに多くの困難に直面しているが、人々は自由になり、クリスチャンの数も増え、経済が好調であることを話されていた。

 さらに「神の密輸商人(God's Smuggler)」で有名なブラザー・アンドリュー氏はなんと、ハマスの指導者4百人にイエス・キリストの福音を伝えたそうだ。彼の著書にも書かれてあるらしい。

 これらのことは、マスコミには出てこない。マスコミはあいからわずブッシュ反対であり、そのアンチの姿勢のせいで実際に何が起こっているかの全体像が見えなくなっている。(私も、違った理由でブッシュ大統領の発言がおかしいと感じるときがあるが)それを差し引いても、あのバッシングは異常だ。

 しかし、聖書の言葉は真実なのだ。マスコミには出てこなくても、神が言われたことは実際に着実に、そして静かに起こっているのだ。

 そしてジョエルのすばらしいところは、彼は預言解釈と小説の執筆で終わっていないことだ。Joshua Fundという援助組織を作っている。イスラエルを初め、エゼキエルの預言に出てくる国々で実際に生きている、戦争や貧困などれ苦しんでいる人々へ援助の手を差し伸べていることだ。彼は自分のブログには、フセインの死刑の直前、「クリスチャンは彼の(救い)のために祈るべきである。」と書いている。敵をも愛す、その過激とも言える主の愛が、彼の言動から伝わってくる。

3.ジョージズ・サダ空軍大将の証しは、すばらしい。

 プロフィール
 ジョエルのブログでの紹介
 CBNのインタビュー記事
 著書:Sadam's Secrets
 インタビュー:Fox News

 彼はまさに現代版ダニエルだ。彼はクリスチャンとしての良心からバース党に入らなかったのも関わらず、なぜか昇進していった。

 そしてある時、サダムがイスラエルを化学兵器で集中攻撃する計画を立て、側近の意見を聞いていった。彼はイエス様に祈ったそうだ。まず軍の専門家として、その計画は成功しないことを知っていた。そしてクリスチャンとして、イスラエルを呪うような行為は避けなければいけないこと、そしてイスラエルは必ず反撃するだろうから、爆弾は中間地帯のヨルダンなどに落ちてそこの人々が被害にあう。それもクリスチャンとして許せないことだった。

 彼は結局、一時間半にも渡る自分の意見を述べた。周りの人は、その場で彼の首が文字通り吹っ飛ぶと思っていた。けれども不思議にフセインは裁かなかった。

 そして今、首が吹っ飛んだのはサダ氏ではなくフセインのほうだった。そして今、フセインが使っていた宮殿の王室は福音的教会になっているのことだ!なんとすばらしい神の御業であろうか!

 そして彼は新書を出している。Saddam's Secrets(サダムの秘密)という題名だが、主に、大量破壊兵器はイラクにあったがそれをシリアに移送させた、という内容である。結局、諜報当局によってシリア側からの情報がまだ確認されていないそうだが、彼のよく知っている当事者からのかなり正確な情報に基づいているそうだ。その他、彼の信仰に基づく話でいっぱいだそうである。

 やっぱり神の言葉をそのまま素直に信じていて良かった・・・と思うこのごろである。

  世の終わりは近い!
  主が来られる!
  聖徒たちよ、福音の布告に邁進せよ!


(無断転載・抜粋禁止)


その後のイラク − 見る方法を変えなければいけない 2007年7月18日記

 今もイラク情勢は混沌としている。このコラムでは、イラク戦争の是非ではなく、イラク宣教の是非を問うべきだという内容を提示した。

 イラク戦争は、アメリカ合衆国が他の国の内政に干渉してよいのかどうか、というその国の中東政策の是非を問う類のものであり、この是非をもって霊的に私たちがアメリカを裁断することはできない。ある人は、「ブッシュは、神の主権を侵したから裁かれる」などと発言していたが、そういう類のものではないし、それこそイスラム原理主義者のアッラーの名を使った、攻撃的な発言と同じである。

 私は個人的にはネオコン的な発想に同調するものだ。アメリカは政治的、経済的、軍事的に世界に影響力を持っている国なのだから、世界の人権侵害などにもっと積極的に介入する責任を持っていると考えるからだ。小国なら何もできないが、今のアメリカには力がある。独裁制や全体主義がどれだけ酷いものなのか、どれだけ人間の尊厳を奪い、人の人格を破壊するものなのかを知らない人が、反戦という言葉を容易く言うことができると考える。

 しかしながら、私はキリスト者として、このような思いを退け、なお主の御心に従わせなければいけないと思わされる時がある。それは、世界を変えるのは、世の政治家や権力者ではない、ということだ。アメリカのイラク政策に反対するにしても、また同調的であるにしても、その前提には、「国の指導者が世界の行く末を決める」という考えがある。しかし、これは根本的に聖書に相容れないものだ。

 何が世界を変えるのか?「わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てます。ハデスの門もそれには打ち勝てません。(マタイ16:18)」教会が建てられていくこと、このことが混沌として今の世界に対して、アメリカの軍事力や核兵器以上に強力なものであることが聖書には書かれている。

 ロゴス・ミニストリーのリンク先に、「迫害下のクリスチャン」という欄がある。そこにウェブサイトに行けば、地下教会の兄弟姉妹についての報告がある。ぜひご参照いただきたい。彼らは、物理的支援についても、霊的支援についても、表に出て行くことはできない。だから、私たちのほうから寄り添って、彼らの声に一心に耳を傾け、祈り、支援する必要がある。

 イラクがあれだけ混沌としているのに関わらず、その地に教会が建てられている。イランにも地下教会が広がっている(YouTubeのビデオ・リンク)。北朝鮮もしかりだ。彼らの存在が、世界を取り巻くあらゆる国際情勢よりも、もっともっと大事な存在であり、力を持っている存在だ。私たちが受動的にテレビやインターネットの情報だけ集めるのではなく、彼らと一体になって祈ることが世界を変えるのだ。

 ジョエル・ローゼンバーグ氏の話によると、今、アメリカは気落ちしているという。イラク政策がうまく行っていないということよりも、この政策を支持する、反対する人々があまりにも意見が二分されて、分極化してしまったことを悲しがっているからだ。しかし彼は、今は政治ではない、教会だということを強く訴えている。


イスラム国の台頭と、シリア内戦から見えて来るイラク戦争の化学兵器 2017年4月13日記

最後にイラク戦争について書いたのは、もう10年前にもなります。イラク戦争は、大量破壊兵器が見つからないということで、戦争を始めたブッシュ政権が激しい非難を受け、幕切れになりました。ところが、あまり報道されていませんが、以下の記事のように、イラクにいるISISが、そしてシリアにおいてはアサド政権が化学兵器を使用しており、はやり存在していたという可能性があることが指摘されています。

イラク戦争の是非 (2) 「大量破壊兵器はあったか」

大量破壊兵器については、ブッシュ政権時の巨大な陰謀論のせいで、このことを議論することさえ強い圧力を未だ感じます。

(無断転載・抜粋禁止)


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