「ハーザー」2003年3月号 「辛口書評」
(マルコーシュ社より、転載許可を得ました。)

聖書預言の旅
明石清正
リバイバル新聞社
定価(本体1,800円+税)

 「聖書預言の旅」というタイトルはよかった。預言好きで旅好きの書評子は思わず読み始めてしまった。
 旅というのは予定どおりのスケジュールをこなすというだけではなく、思わぬことが起こってスケジュールが変更されたり、思わぬ人物と出会って、新しい世界が開かれたりすることが楽しいのである。
 たとえば、モーニングスター教会へ、リック・ジョイナー牧師を訪ねたら、リック牧師は留守でがっかりしたが、ボブ・ジョーンズという伝説的な預言者がたまたまやってきて、日本人チームに預言をするというようなことが、旅の楽しさである。
 ところが、本書を読み進めていくと、何が旅なのか解らなくて少しフラストレーションである。
 旅というからには、聖書預言の迷路のようなところを、どんどん進んで行って、新しい世界が次々と見えてくるというような構成にしてあれば、少しはタイトル的に納得したのだが、これはあまりに理路整然とした聖書預言解釈で旅という面白さがない。
 だが、聖書預言のおもしろさを失ったわけではなく、途中で興味がそがれてしまったわけではないが、もっと旅的な工夫があればさらによかったのではないかという注文である。
 著者は、先月の本欄でも紹介したチャック・スミス師の教会で二年ほど学んでいたそうで、その影響が感じられる。聞くところによると、チャック・スミス師のメッセージは聖書講解で、それも創世記から黙示録までを一節ずつ講解していくそうだ。しかし、どれくらいのペースで聖書全巻を終えるのだろうか、とても二年では終わりそうにないはずだが、著者にも創世記から黙示録まで全六六巻を一貫して把握する姿勢が貫かれている。(注1
 「聖書は一つの書物として読んでいかなければならない」(15頁)
 「最初から順番に論理を追って読むと、さまざまな発見をすることができます」(16頁)
 という具合なのだが、これがなかなかできないというのが、私たちの実感ではないだろうか。
 書評子の場合もクリスチャンになりたての頃に聖書を読まなければならないと一念発起して、最初から読み始めたのだが、創世記、出エジプトまではよかったが、次のレビ記、民数記、申命記でつまずいてしまった。
 この三書の分量は、創世記と出エジプト記を足したものと同じくらいだ。読解力がないと思われるのも癪なので、なんとか目は活字を追っていくのだが、内容が頭に入ってこなくて非常に苦しい思いをした。
 そんなときに、誰かが新約聖書から、特にヨハネの福音書から読めばいいというアドバイスをしてくれて、それを実行したところ、やっと面白くなって聖書を離さずにすんだ。
 また、本書のように創世記のアブラハムへの約束から、聖書預言を縦軸にして、聖書全巻を鳥瞰図的に見るというのも一つの方法ではないかと思う。
 こうした方法でも聖書の全体像が見えてくるので、これはお薦めしたい。
 ところで、聖書預言は、再臨・世の終わりが最大のテーマだが、本書では艱難前携挙説に立っているのだが、携挙説の関する神学的な問題は避けてしまった。
 その理由として「神学的立場にかかわらず、キリストの再臨の希望を、個人的な生活のレベルで実感できることが急務です。このため本書では、あえて神学議論を避けました」(あとがき)というのだが、艱難前携挙説と艱難後携挙説では、クリスチャンの生活レベルも相当に違いがでるのではないだろうか?(注2
(ヨエル)


きよきよのコメント

 雑誌ハーザーが、この辛口書評の記事欄を持っていることは知っていました。拙書も批評してくれないかな、と密かに期待していましたが、3月号でやって下さっていました。感謝。

 「辛口」というわりには、結構、ほめてくださっているのでうれしい限り。問いかけや疑問が書かれているので、二点のみコメントします。

注1)「著者は、先月の本欄でも紹介したチャック・スミス師の教会で二年ほど学んでいたそうで、その影響が感じられる。聞くところによると、チャック・スミス師のメッセージは聖書講解で、それも創世記から黙示録までを一節ずつ講解していくそうだ。しかし、どれくらいのペースで聖書全巻を終えるのだろうか、とても二年では終わりそうにないはずだが、・・・」

答:確か、創世記から黙示録まで終わらせるのに、チャック・スミス牧師は、7年ぐらい費やすと思います。けれども、教会に通っていた二年半の間に、以前のメッセージテープを、創世記から黙示録まで全て聞きました。

注2)「その理由として『神学的立場にかかわらず、キリストの再臨の希望を、個人的な生活のレベルで実感できることが急務です。このため本書では、あえて神学議論を避けました』(あとがき)というのだが、艱難前携挙説と艱難後携挙説では、クリスチャンの生活レベルも相当に違いがでるのではないだろうか?」

答:その通りです、確かに大きな違いが出てくると思います。“前”では、黙示録6章以降の大患難は免れるものと受け取りますから、神の怒りからの救いとして、まだイエスさまを信じていない人に福音を伝える動機付けとなります。もう一方、“後”では、艱難においても獣の印を受けないなど、最後まで主に忠実であることが強調されるように思われます。

 ただ大事なのは、私たちは神学を信じているのではなく、聖書を信じているという点です。艱難前携挙説を支持していても、今の時代における艱難に耐えることは、他の箇所が強調していますし、また、黙示録の大患難を取り扱っていても、“適用”として艱難に耐えることを教えることはできます。

 したがって、聖書全体をまんべんなく知っていることで、単に神学に拠り頼まない、バランスの取れた生活、言い換えれば、キリストご自身の御霊の実を結ばせることができます。


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