神とは何でしょうか。日本人にとって、神と言うと八百万の神を連想してしまいます。自然や、動物や、人の手で作られた仏像や偶像を神だと拝む人がいます。そのような人の中でも、自然や動物や仏像や偶像を本当の神だと真剣に信じている人が何人いるでしょうか。しかし、多くの人は本物の神を知らないので、とりあえずこのような言い伝えの神を受け入れるか、そうでなければ神はいないと考えています。真実は、多くの人が本物の神にお会いしていない、本物の神をまだ知らないだけなのです。聖書はこのような状態を次のように説明しています。
「偶像を造る者はみな、むなしい。彼らの慕うものは何の役にも立たない。彼らの仕えるものは、見ることもできず、知ることもできない。彼らはただ恥を見るだけだ。・・・それを細工した者が人間にすぎないからだ。・・・彼は杉の木を切り、あるいはうばめがしや樫の木を選んで、林の木の中で自分のために育てる。・・・それは人間のたきぎになり、人はそのいくらかを取って暖まり、また、これを燃やしてパンを焼く。またこれで神を造って拝み、それを偶像に仕立てて、これにひれ伏す。その半分は火に燃やし、その半分で肉を食べ、あぶり肉をあぶって満腹する。また、暖まって、『ああ、暖まった。熱くなった。』と言う。その残りで神を造り、自分の偶像とし、それにひれ伏して拝み、それに祈って『私を救ってください。あなたは私の神だから。』と言う。彼らは知りもせず、悟りもしない。彼らの目は固くふさがって見ることもできず、彼らの心もふさがって悟ることもできない。」(イザヤ書44章)
聖書は、神は、唯一でこの天と地とその中にあるすべてのものを造られた創造主だと教えています。そして、私たち一人一人を造って下さったのもこの方あると教えています。この聖書の神は、私たちを愛し、私たちのために、すばらしい平安と将来と希望を与える計画を立ててくださっています。その計画とは、こうです。
「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」(ヨハネの福音書3章16節)
御子とは、イエス・キリストのことです。私たちはみな罪人であり、神にさばかれて罰を受けなければならない存在ですが、イエスは、私たちの罪のために十字架にかかり、私たちの罪の代価をすべて支払って下さいました。それは、イエスを信じる者が救われて、豊かないのちのある生活をおくることができるようになるためです。
聖書は、神のことばです。聖書には、唯一の創造主である神について、すべてのことが書かれています。聖書を読んで、聖書を正しく教えている教会に行ってください。みなさんが、本物の神に出会うことができ、豊かないのちのある生活をおくることができますようお祈りしています。