恵比寿バイブルスタディのお知らせ(10月17日)

みなさんへ

こんにちは。過ごしやすい天気が続いていますね。
今週の恵比寿バイブルスタディのお知らせを致します。

日時:10月17日(水)午後7時から
場所:目黒区立 田道住区センター三田分室 / 2階 第一会議室
聖書箇所:サムエル記第二15章以降
(その後の予定は11月14日です。)

ダビデの息子アブシャロムの反逆を読んでいきます。
では、明日お会いできるのを楽しみにしています。

大淫婦バビロンとキリスト教殉教者

今、黙示録17-19章を学んでいる最中ですが、その中から思わされていることを一言、ここにしたためます。

経済的繁栄と道徳的退廃、そしてキリスト者殉教は密接に結びついています。「ともしびの光は、もうおまえのうちに輝かなくなる。花婿、花嫁の声も、もうおまえのうちに聞かれなくなる。なぜなら、おまえの商人たちは地上の力ある者どもで、すべての国々の民がおまえの魔術にだまされていたからだ。また、預言者や聖徒たちの血、および地上で殺されたすべての人々の血が、この都の中に見いだされたからだ。(黙示18:23-24)」


ローマの古代円形劇場「コロッセウム(コロシアム)」は、残虐な光景をエンターテイメントにしていた所ですが、そこで皇帝を主(神)であると告白することを拒んだキリスト者が、生きたまま火炙りにさせられ、獅子や熊に生きたまま食い殺されました。

これを昔の出来事としてしまいこむならば、歴史から学んでいない無知な者ということになります。世界の宗教迫害の80%はキリスト者に対するものであり、無数の人が現代進行形で殺されています。

その中で、現代社会は物理的な暴力と引き換えに、過激なポルノ、暴力の映像、ホーラー映像などを通して、それらの残虐さを仮想の中で楽しませています。なぜ仮想にしたのか?言うまでもなくそうした行為に対する厳罰という考えが、ユダヤ・キリスト教価値観によって近代社会の中に浸透しているからです(例:子供売春の厳罰化はアジアの発想にはなく欧米から来ている)。しかし、この影響力がいつまで続くか分かりません。

キリスト者は、以下のコロシアムについての説明を読むのは必須だと思います。殉教史を知るのも必須です。キリスト者でない方も、この世界遺産の背後にある歴史と現代とのつながりを知るとよいのではないでしょうか。

グラディエーターの世界
~ローマ帝国の残酷ショーを飾った花形~

「殉教」(ウィキペディア)

IBS聖書の事実を引き出す学び方 セミナーのお知らせ

東京近辺におられる牧師、神学生、その他、教会奉仕者の方々へ!

ロゴス・ミニストリーをご利用されている、教会奉仕者の方々へセミナーのご案内をします。聖書を学ぶだけでなく、聖書を教える働きをされている時に、ロゴス・ミニストリーの聖書の学び等をご利用されている方々がいらっしゃると思いますが、わたくしが学びの準備をする時に基本土台としている、聖書研究の手法が「帰納的聖書研究法(Inductive Bible Study)」というものです。この日本語はかなり堅苦しいものですが、題名のように、「聖書に書かれている事実が何であるのかを引き出すための学び方」と言い換えれば宜しいでしょうか?注釈書などの資料は参考するのは良いことですが、それ以上に大事なのは聖書本文で何と言っているのか?であります。このことによって、聖書から自分が何か説教を作るのではなく、聖書そのものを教え、福音を宣べ伝えることができます。

私と同じカルバリーチャペル・コスタメサからの宣教師で、この聖書の学び方を教えるために世界中を回っているダン・フィンフロック牧師が来日し、教会教職者や奉仕者向けのセミナーを開きます。ぜひ、ご参加ください。一つの聖書セミナーを出る以上の収穫が得られる事は絶対です。なぜなら、聖書セミナーでは自分は情報を得るのみですが、この学びでは自分自身がその情報を生み出す力が与えられるからです!以下がセミナー情報です。チラシがあります。主催はJB2N(Japan Bible Believing Network)です。

日時:2012年10月29-30日(月・火)
   午前9時30分から午後5時まで(午前9時開場)
場所:国分寺労政会館4階 第五会議室4階
内容:帰納的な聖書の学びの集中講習
講師:ダン・フィンフロック牧師(Intensive Care Ministries)
参加費:牧師4000円 + テキスト代1000円
    神学生3000円 + テキスト代1000円
申込:チラシの中のEメールもしくはファックスにご連絡ください。

チラシのダウンロード(PDF)
1.セミナーの案内
2.JB2N(Japan Bible Believing Network)の案内

以下は主催者からの案内です。
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IBS聖書の事実を引き出す学び方 セミナーのお知らせ
Inductive Bible Study (帰納的聖書の学び)

主イエスの御名をほめたたえます! みなさまにあっては、イエス・キリストにあって、恵みの中を歩まれていることと存じます。

さて、来る10月29―30日(月、火)の両日に午前9時から午後5時まで、東京国分寺市にて上記のIBSセミナーを開催することになりました。(詳しくは、同封のチラシをご参照ください)

講師のダン・フィンロッック牧師は、アメリカにて4つの教会に仕え、そのうち3つの教会を開拓しました。その後6年間、宣教師としてフィリピンで働き、それから25年間以上、東アジア、東南アジア、ロシア、中東、アフリカ、北米、南米、オセアニアなど30カ国で、数え切れないほどの牧師、教師、働き人たちにIBSを教え、現在に至っています。

どのように、聖書を教えたらいいのだろうか? この問いに、ダン牧師は、実践的で、わかりやすく、分かち合ってくれます。

昨年、私たちのグループもこのセミナーにて学び恩恵を受けました。今年は、少しでも多くの方々とこの恵まれた機会を分かち合いたく、このセミナーのお知らせをメールさせていただく次第です。

参加者おひとりお一人の上に、主イエスの恵みが溢れるように、祈っております。
                   
ジーザス・コミュニティ国分寺牧師
JB2N世話人
桜井 知主夫

「神の選び」と「人間の選択」

この頃とても忙しくなりブログへの掲載の頻度が少なくなっています。けれども、自分の趣向以上に教会にとって、クリスチャンにとって大切な事柄は掲載しなくてはと思っております。

その中の大きな一つが、「神の選び」と「人間の選択」です。開拓伝道を始めて、教会の人々から、また他の場所でもいろいろな人から繰り返し問われる内容です。私がこのことをよく考えていた時のことを思い出しますと、次のようになります。

予定論との出会い

信仰をもって間もなくしてから考えました。確かバプテスマを受けた後でしょうか、ある人からローレン・ボエトナーの「カルヴィン主義予定論」という本をいただき、読み始めました(原書で)。彼は宗教改革の歴史を受け継いでいることを誇る「改革派」の代表的神学者です。予定論はカルヴァンの考えた「神の救い」について、それをさらに先鋭化し、系統立てた神学です。

カトリックでは、人が生まれながら罪を持っており、キリストの十字架による贖いを信じていますが、その後犯す罪について聖体拝領や告解等の「秘跡」によって神の前に認められると考え、死後もその営みが足りない者たちが煉獄にいって懲らしめを受けるがその後に天国に入る、という教義を持っています。したがって、「ただ一度の罪のいけにえ」によって「永遠の救い」を成し遂げたという十字架の十全性に欠けており、それが免罪符などの「行ないによる救い」へと走っていかせていました。

そこで、信仰によってのみ神に義と認められるという福音の真理を前面に出したのがルターです。そしてカルビンはこれをさらに体系化し、(もともと、カルビンの前にアウグスチヌスが、ペラギウスとの論争で主張していたものですが)、「人は堕落しているので、全く善を行なうことができないでいる」「もっぱら神の選びがその人を救う」と主張し、「神に選ばれた者のみが救いを得ることができ」「信仰を最後まで堅持できるのも、神の選びによるものだ」と主張しました。

それが、「予め神は、永遠の昔から救われる者と遺棄される者とを選別して創造された。」という予定論へとカルビンの後に出てきた者たちが主張し始めたのです。 続きを読む 「神の選び」と「人間の選択」

恵比寿バイブルスタディのお知らせ(10月3日)

みなさんへ

こんにちは。今週の恵比寿バイブルスタディのお知らせを致します。

日時:10月3日(水)午後7時から
場所:目黒区立 田道住区センター三田分室 / 2階 第一会議室
聖書箇所:サムエル記第二13章以降
(その後の予定は10月17日です。)

前回は、ダビデが罪を犯したところを読みましたが、そこでナタンが預言した「剣があなたの家から離れない」という言葉がその通りになっていくところを見ます。また、ダビデが息子たちをしつけることができていなかったところから、家庭における主にある教育についても学びの後に皆さんに分かち合っていただければ嬉しいです。

それでは、明後日お会いできるのを楽しみにしています。

LCFで歌われる礼拝賛美

明後日は主を礼拝する日です。LCFは、毎週、日暮里駅前の場所で午前礼拝と午後礼拝を捧げています。皆さんもぜひいらしてください。

ウェブ上では説教の音声は聞くことができますが、私たちがどのような歌を賛美として歌っているかは紹介していませんでした。礼拝賛美の様子は録音や録画はしていませんが、多くは以下のウェブサイトにあるものを歌っています。

カルバリーチャペル・ワーシップ

代表的なものを挙げますと、例えば・・・

御名は(Your Name)

美しい自然は 主への賛美へと
私を導く 御名をほめよ

Chorus:
御名は 強大な砦 御名は わが避け所
民は 喜び たたえる ほめよ 救いの名と力

イエスの御名で 祈り 安らぎ
主により 力得る 御名をほめよ

ほむべきかな主の御名(Blessed Be Your Name)

主の御名をほ-めたたえます
恵みと まことの 満ちる御名
主の御名をほ-めたたえます
試みのなかを 歩くとも
 
* 憐れみ にふ-れるたび 主に立ちかえり
暗闇 に閉ざされても 私は歌う
主の御名をほめよ 主の御名を
主の御名をほめよ 主イェスの輝く御名

主の御名をほ-めたたえます
変わりのない 日々 過ぎるとも
主の 御名をほ-めたたえます
苦しみのなかにあえぐとも

*繰り返し

主は与え 主は取られる
主の御名はほむべきかな

主の御名をほめよ 主の御名を
主の御名をほめよ 主イェスの輝く御名

下は、カルバリーチャペル所沢と西東京の野外礼拝の様子ですが、二つの歌もよく歌います。

ハレルヤ(詩篇117)

聖なる神全能の神 Holy is the Lord

ぜひ礼拝にいらして、共に主を賛美しましょう!

殉教者の叫び (北朝鮮)

以前「金日成とキリスト教」という題名で、朝鮮半島のキリスト教と北朝鮮が強く結びついていて、北朝鮮には地下教会が今でも存在する話をしました。今、ここで改めて、飛行機で東京から飛んだら二時間で到着する近い隣国、北朝鮮のことをお話したいと思います。

金正恩は政権を掌握してから、対外宣伝政策を取りました。数多くの外国人を平壌に招きました。そのことによって、対外的に北朝鮮が開放政策へと向かっているという印象を与えるのに成功しました。訪問した人々の口から、「北朝鮮は変わった」という声がどんどん聞こえてきました。特に知識人と言われている人々が、ころころ騙されています。

北朝鮮は金日成死後、金正日支配体制の中で1990年代に大規模な飢餓が発生しました(ウィキペディア)。なんと三百万人ぐらいが死んだと言われています。「苦難の行軍」というスローガンを掲げた時期です。その苦難の時期は過ぎ去ったという偽りの印象を、平壌に訪問した人々に植え付けることに成功したのです。

しかし現状は正反対です。まず、中朝国境地域はこれまで以上に統制と管理が厳しくなっています。そして、これまでとは違う地方で、90年代と等しい飢餓が大発生しています。

特集[2012黄海道飢饉]穀倉地帯で発生した大量餓死(1) (2) (3) (4)

そして強制収容所の実態は何ら変わっていません。ぜひウィキペディアの「強制収容所(北朝鮮)」を一読してください。そして「元収容者・元警備兵の著作」を一冊でも読まれるとよいと思います。(私は「収容所に生まれた僕は愛を知らない」申東赫著を読みました。)今は15万人から20万人収容されていると言われています。

そして次からが大切です。こうした悲惨な状況の中で、必ず出てくるのが「キリスト者」の存在です。脱北者を描いた最高傑作の映画「クロッシング」には、キリスト教との関係が撚糸のように折り込まれています。

そしてこのような人々が、連れていかれるのが強制収容所であり、その中でも一度入ったら二度と出ていくことのできない完全統制区域の中に一部が入れられます。その一つ、「耀徳強制収容所」についての説明の中で、罪状の一つにしっかりと「キリスト教信者。その中で他の人にキリスト教を信じるように勧誘した者は銃殺に処せられる。」とあります。そして最近、韓国で出版された、強制収容所から脱出した人々によるスケッチ集が出版されました。そこにある一つが下です。

宗教活動を行ったとして絞首刑となった女性」という説明があります。これはもちろん福音伝道をした人のことです。

そして次の記事をお読みください。

北朝鮮のキリスト教信者たちは今

この中に北朝鮮のキリスト者がどのような日常生活を送っているかの詳細な証言が記されています。その中に、北朝鮮の公認教会への言及もあります。中国の公認教会については多くの方が聞いたことがあると思います。そこにはイエス様を本当に信じる人々もおり、最近の中国は少しずつ変わっており、しっかりとした教会も多くなっています。ですから必ずしも偽物ということではありません。しかし北朝鮮は、まるっきり違います。

思いっきり騙されて、インターネット上で人気のあるジャーナリストの記事「北朝鮮で考えた(3) 田中宇」があります。まるで北朝鮮の宣伝塔のようです、完全に騙されています。(田中宇氏の情勢ニュースについてははじめから陰謀論で結論を決めていて、「それに見合う情報をテキトーにネットサーフィンして見つけだして切り貼りしているだけ」という、評価を受けています。中東情勢は、初めから結論が分かるドラマのように必ず「アメリカ」そして「イスラエル」の陰謀になっています。)

ここが大事なのですが、「当局はキリスト者のふりをすることができるのだ。」ということです。彼らはプロです。信者であっても騙すことのできるほど上手であります。それによって内部にまで浸透して、情報を収集するのです。北朝鮮の場合はもちろん全てがダミーで、目的は外国の教会への浸透であり、日本にある教会にも浸透しています。

決して北朝鮮を特定して叫びたくはありません。日韓関係、日中関係に関してマスコミのニュースが湧き上がり、このように隣国がとんでもない飢餓状態、そしてキリスト者が大迫害を受けているのに無関心を装っている雰囲気、そしてその背後にある悪魔の策略に対して、私は以下の殉教者たちの叫びが聞こえてきます。

小羊が第五の封印を解いたとき、私は、神のことばと、自分たちが立てたあかしとのために殺された人々のたましいが祭壇の下にいるのを見た。彼らは大声で叫んで言った。「聖なる、真実な主よ。いつまでさばきを行なわず、地に住む者に私たちの血の復讐をなさらないのですか。」(黙示録6:9-10)」主は必ず、ご自分の激しい怒りをこの地上に下されます。地上には必ず大患難が来ます。

最後に紹介したい映像が、東京基督教大学での模擬授業です。「北朝鮮のキリスト教」という題名で、西岡力教授が講義されています。

領土問題について考える

近隣諸国との関係が騒がしくなってきました。「政治とクリスチャン」また「クリスチャンの政治家」の記事において、このような時事問題と私たちの信仰の関係をお話しましたが、主に、クリスチャンにとって注目しなければいけない情勢と、注目はするが振り回されたり、惑わされてはいけない情勢の二つがあります。領土問題は、ひとえに「惑わされてはいけない」情勢になります。なぜか、理由をいくつかに分けてお話します。

1)国と民族と地境

神がバベルの塔において、言葉をばらばらにされてから、世界の人々が民族を単位として散らばっていきました。それは神の裁きの現われではありますが、憐れみの中でそれぞれに住むところを与えてくださいました。

神は、ひとりの人からすべての国の人々を造り出して、地の全面に住まわせ、それぞれに決められた時代と、その住まいの境界とをお定めになりました。これは、神を求めさせるためであって、もし探り求めることでもあるなら、神を見いだすこともあるのです。確かに、神は、私たちひとりひとりから遠く離れてはおられません。(使徒17:26-27)

ですから、国境線を含めて神は与えておられます。しかし、これをパウロは、自然啓示の中で語っています。自然啓示とは、聖書でなくとも、神とキリストを信じていない人でも、自然に神に与えられた啓示であり、神が全ての人に与えておられる恵みです。

キリスト者は、天に国籍を持っていると同時に、この地上にいる間は、その地の住民として生きています。したがって、その中に国境線の問題もあるでしょう。したがって、ロシアとの北方領土問題、韓国との竹島問題、中国との尖閣諸島問題は、この国に生きる者として一定の関心を示す必要があるし、必要ならば国土を守るために行動に移さなければいけない時もあります。

しかしキリスト者は、特別啓示を受けています。特別啓示とは、神が聖書によって与えておられる神の知識です。初めは、神は人にこの地を支配するようにされましたが、人が罪を犯したので、それを失ってしまいました。しかしキリストが、この世界を贖うために地上に来られました。ご自身の血によって贖い、そして天に登られたのです。かの日には、そこから戻ってきてくださり、その所有権を行使して、全世界を神に引き渡し、ご自身がエルサレムから王の王、主の主として統べ治められるのです。

その時にキリスト者は、この方との共同相続が任されます。「もし子どもであるなら、相続人でもあります。私たちがキリストと、栄光をともに受けるために苦難をともにしているなら、私たちは神の相続人であり、キリストとの共同相続人であります。(ローマ8:17)」北方領土、竹島、尖閣諸島を含めてすべての地は、キリストが地上に再臨されたとき、その主権と領有はキリストのものとなり、行政と管理はキリスト者各人に与えられるのです!

これによって、今の領土問題は関係があると言えばあるのですが、その見方は神の国の者にされていない人とは、根本的に違います。将来、これらの地は神の子どもたちに任されるのですが、それはこの世が展開している主張、デモ、武力によってではなく、「柔和な者は幸いです。その人は地を相続するからです。(マタイ5:5)」とあるように、もっぱら神の前でへりくだりの生活を送っている人、悪いことをされても仕返ししない人、与えられている主からの仕事をしっかりとこなす人に与えられます。また、先のローマ8章17節によれば、キリストと共に苦難を受けている人が共同相続人になります。この約束は、黙示録2-3章の七つの教会への約束にも銘記されており、信仰をしっかりと保っている人々に与えられます(例:2:26‐27)。

続きを読む 領土問題について考える

恵比寿バイブル・スタディのお知らせ(9月19日)

みなさんへ

こんばんは、今日の礼拝を主に感謝します。
今週の恵比寿バイブルスタディのお知らせを致します。

日時:9月19日(水)午後7時から
場所:目黒区立 田道住区センター三田分室 / 2階 第一会議室
聖書箇所:サムエル記第二11章以降
(その後の予定は10月3日です。)

前回は11章まで入ることができませんでした。今週11-12章に入ります。ここはダビデの生涯において、頂点から下降していく分岐点になります。ぜひご参加ください。

お会いできるのを楽しみにしています。

政治とクリスチャン

アメリカの政治について数回に渡りこのブログで取り上げましたが、日本のクリスチャンの中にもこういう疑問を持っている人が多いと思います。

クリスチャンが政治にどのように関われば良いのか、また良くないのか?

いつものジョエル・ローゼンバーグ氏が言っている要点を書き記したいと思います。彼はユダヤ系米国人で、それから新生体験をして福音的クリスチャンになりました。面白い経歴を持っており、初めは大統領選では民主党候補に投票していました。そして次に、共和党候補の選挙のために働いていました。興味深いことに、投票した民主党候補も、また働いていた共和党候補もみな落選しています!それだからというのではないですが、主が「御言葉を宣べ伝えるのに専念しなさい。」という語りかけを受けて、それで政治の世界から足を洗った、そうです。政治にかなり関わっていたので「解毒」が必要だったと言っています(笑)。

彼が、まとめたクリスチャンの政治への関わり方ですが、5つの要点です。

1)国の指導者のために祈る。その指導者が自分の投票しなかった政党であっても祈る。
2)自由民主主義の中に生かされているキリスト者として、選挙は責任であり、選挙に行くことは奨励する。
3)クリスチャンの中には、公的機関で働くのに召されている人もいる。政治家もいる。(聖書では「ダニエル」)
4)牧師は党派的意見を説教壇で言わない。それは市民の権利を放棄することではなく、御言葉を伝える召しのゆえに捨てる。
5)政治の話題にはまっているクリスチャンは、その党派的な世界からの解毒が必要である!

(以上、PODCAST: CHURCH NEEDS TO GET BACK TO MAKING DISCIPLES, FULFILLING GREAT COMMISSIONから。PODCASTの音声も聞きました。)

アメリカと日本の今の政治状況は少し違います。イラク戦争以後、以前にあった一致団結がアメリカになくなり、両極化が生まれて、党派的になっていきました。それは政治や経済についてのイデオロギーや思想に関わることであり、日本の党利党略の問題とは違います。ですから、党派心を持つことに対して警戒が必要であることをジョエルは述べています。日本の場合の政党の見方としては、混迷を増していくばかりなので、次の基本知識が役に立つと思います。「政治をゼロから考える(5) 自民党と民主党はどこが違うのか」(国際情報サイト「フォーサイト」からの記事)

私は二つの点に注目しました。一つは、1)の国の指導者のために祈ることです。「そこで、まず初めに、このことを勧めます。すべての人のために、また王とすべての高い地位にある人たちのために願い、祈り、とりなし、感謝がささげられるようにしなさい。(テモテへの手紙第一2:1)」大事なのは、願って祈って、とりなして、最後に感謝が捧げられるようにすることです。「感謝」がその人のために祈った結実です。

政治の話題になる時に、どうしても「批判」が先立ちます。民主主義と、当時の帝国主義(今でなら専制国家)では違うでしょうが、ユダヤ人がローマからの独立をするという熱狂が根底にはあったので、私たちの指導者に対する不満と共通面があるでしょう。けれども、キリスト者は全く一般民と異なる召しを受けています。一般民は批判するのが自分の仕事だと思っていると思います。けれどもキリスト者は彼らのために「祈る」のです。そして「感謝」になるまで祈るのです。教会の中で、思いっきり忘れられている神の命令だと私は思いました。

311の大惨事の後からは、私はもっと祈ったと思います。菅首相のために祈りました。そして今は野田総理のために祈っています。すると面白いことが起こりました。批判をしている時には見えてこなかった、指導者としての苦悩を感じ取れるようになってきたのです。確実に、神の御心の中に、その個人がクリスチャンであろうとなかろうと、その人がその立場に置かれているということです。「王の心は主の手の中にあって、水の流れのようだ。みこころのままに向きを変えられる。(箴言21:1)」彼らは公僕です。私たちのために仕えているのです。「いや、何が国民にためか!自分のこと、自分の党のことしか考えていない!」というのであれば、それは不信者でもいえることで、主の手の中、その水の流れに彼らがいることを感じ取れれば分かることです。

もう一つは、4)です。アメリカほどではないですが、日本では真っ二つに分かれる課題があります。「原発」がその先端にあるでしょう。ある教団では、原発は聖書に反するなどという声明文まで出しています。私は自分の強い意見がありますが、なるべく出さないようにしてきました。(漏らしてしまうことは、時々ありますが。(汗))とくに教会の説教では、出したとしても容認なのか反対なのか明確にする形ではなく、中庸な形で例として出しました。なぜなら、キリスト者としての霊的成長に役に立つ事はなく、むしろ「党派心」という肉の働きによって妨げになる可能性が大きいからです。

しかし聖書の命令に直接、抵触する主題については語ります。以前「クリスチャンの政治家」という記事でそれを取り上げました。ですから、何が聖書で明白になっているのか、そうでないのかを知る必要があります。今、「キリスト者の倫理」という文章を書いている最中です。そこで取り上げていきたいと思います。

【後記】
同じ課題を取り上げている、非常に同感、納得のいくブログ記事を読みました。教会に政治を持ち込むとどういうことになっているのか、よく考えておられます。

政治と教会の距離感について―同盟基督:「原発は聖書に反する」--理事会 見解を公表を受けて―