エジプト・イスラエル旅行記 − はじめに


 みなさん、はじめまして。以前の1999年の旅行記は私きよきよが書きましたが、今回は妻との二人の旅行です。

 まず、99年のイスラエル旅行記を読まれていない方は、まずそちらからお読みください。今回は続編となります。

 きよきよのイスラエル旅行記(1999年)

 1999年と言えば、私たちが日本で伝道活動を始めてまだ三年目でした。その後、国内外いろいろなところに行ってきました。御言葉を知りたい熱き思いから、これを人々に伝えたいという思いに変わったからでした。その間、「聖書→預言→そしてイスラエル」という“鎖”は解けたようにさえ思えました。いや、解こうとしていました。イスラエルの旅行の後、私の聖書的親イスラエルの立場の故、一部の人々から言論攻撃を受けました。それ以来、ことさら言葉で表明しなくても良いだろうと正直気落ちしていていました。

 ところが、宣教の働きでいろいろなところに行っても、どうしてもイスラエルは私の頭から離れません。むしろその想いはますます強くなるばかりでした。毎朝、妻と共に聖書を開いて祈りの時を持つと、そこにはイスラエルのことが、しかも主ご自身のイスラエルに対する熱いお心が書いてあります。例えば・・・
その日、主は再び御手を伸ばし、ご自分の民の残りを買い取られる。残っている者をアッシリヤ、エジプト、パテロス、クシュ、エラム、シヌアル、ハマテ、海の島々から買い取られる。主は、国々のために旗を揚げ、イスラエルの散らされた者を取り集め、ユダの追い散らされた者を地の四隅から集められる。(イザヤ書11:11-12)
 こんな御言葉を朝6時ごろ自分の寝室で読んで、どうしてイスラエルのことを思わないでいられるのでしょうか?たとえ「地の果て」まで行っても、イエス・キリストの証しは「エルサレム」から始まっているのですから(使徒1:8参照)、実は直結してることを否応なしに認めざるを得ないのです。

 そして聖書を開くたびに、そこに出てくる舞台が頭の中に浮かんできます。少年ダビデがゴリアテに対峙した「エラの谷(1サムエル17:2)」が目に入れば、「あそこで石ころを拾って、デービッドも投げる格好をしていたよなあ」と、そこの情景が浮かんでくるのです。もはや地名は私にとって文字ではなく実際の場所であり、生きた舞台なのです。

 まるで自分が、主の御顔を避けてヨッパから船出した預言者ヨナのように感じました。

 そして今年の初め、私がデービッド・ホーキングのミニストリーHope For Todayのニュースレターを読んでいるとき、「イスラエル建国60周年を記念する旅行」ということで今年は8月に行なわれる宣伝が目に入りました。これを見た妻が突然「行こう!」と言い出したのです。8月なら私たちのスケジュールに合っています。私は妻に何度もこの国の話をしてきましたが、以前は「いつか絶対に行けるんだから・・・(つまりイエス様再臨後)」という返答であったので、最初はびっくりしました。後から聞けば、聖書の学びに奉仕する私がさらに育ってほしいという、彼女の暖かい支援から出た言葉であることが分かりました。

 それに費用も当然かかります。8月なら日本は旅行シーズンですから飛行機代も高いです。日本からイスラエルへは大抵ヨーロッパ経由で行きます。ヨーロッパへは避暑もかねて日本人は夏に行きたいですから、一人(燃油税を除いて)20万円前後かかります。どうしようかと悩んでいるとき、再び妻が私を驚かせました。「カイロへはどう?」イスラエルなら私の陣地です。彼女を案内できます。けれどもエジプトは初めてだし、別に興味ないし、それにシナイ半島を夏にバスで横断なんて・・・などと考えていたら、いかに自分が愚かであったかをすぐに気づきました。そうです、それはまさに「出エジプト」の経路なのです!イスラエルの民が辿った道を私たちも後追いできるわけです。

 そこでカイロ行きを調べたら、大韓航空のがお手ごろな値段で10万4千円でした。しかも韓国の仁川国際空港では乗り継ぎ時間が1時間とのことで得した気分になりました。

 ということで、私たちの当初の「イスラエル旅行」の計画は「エジプト・イスラエル旅行」に変わりました。これが追々いかに貴重な旅程であったか気づくことになります。

 8月8日朝に日本を出発、韓国経由で同日の夜11時頃カイロ到着です。それから次の日にギザのピラミッド見学とカイロ市内観光をし、10日にカイロからエルサレムまでターバ/エイラットの国境経由のバスに乗ります。これが最低12時間かかるとのことです。しかも、真夏のシナイ砂漠を横断ですから・・・私は考えるのを止めることにしました。(ちなみにシナイ山は時間がなく今回は見ることができませんでした。でも、いつか行ってみたいです。)

 次が、先に渡されていたHope For Todayの旅程です。次のような旅程で行きます。

8月11日 夕方に、アメリカからのHope For Todayのグループが到着。これからエルサレムで6泊。
8月12日 テルアビブ方面(ヨッパ、ディアスポラ(離散)博物館など)
8月13日 エルサレムの旧市街とその周辺(オリーブ山、棕櫚の聖日の道、ダビデの町、ヒゼキヤのトンネル、シロアムの池、ユダヤ人地区、神殿協会、嘆きの西壁など)
8月14日 エルサレム新市街(クネセット(イスラエルの国会議事堂)、ホロコースト博物館、イスラエル博物館)
8月15日 死海方面(マサダ、エン・ゲディ、クムラン)
8月16日 エルサレム、主の受難が中心(ベテスダの池、ピラト総督の要塞、主が十字架を担がれた道、聖墳墓教会、園の墓)
8月17日 ガリラヤ地方へ移動(カイザリヤ、カルメル山、メギド、ナザレとカナ経由でティベリヤへ)
8月18日 ガリラヤ湖とその周辺(ガリラヤ湖遊覧、カペナウム、山上の垂訓の丘)
8月19日 イスラエルの最北端(テル・ダン、ピリポ・カイザリヤ、ゴラン高原)
8月20日 ガリラヤ湖南部地方(ベイト・シェアン、ギデオンの泉など)
8月21日 イスラエル南端へ移動(ヨルダン川沿い走行、エリコ、ティムナ自然保護区、実物大の幕屋模型)
8月22日 エイラット観光
 (ここで私たちはHope For Todayの旅行から離れ、国境を渡りターバへ向かいます。それからハイヤー車でカイロ国際空港へ直行します。)
8月23日 01:10発の便、韓国経由で夜9時頃に成田到着。