2016年イスラエル・ヨルダン旅行記 2月15‐16日
はじめに
ロゴス・ミニストリーとしては第二回目、個人で参加したものを含めると第五回目の聖地旅行となります、2月15⁻25日の旅程でした。今はとてもすがすがしい気持ちでいます。恵みに満ちた旅だったということ、そしてこれから主がなされることへの期待への興奮が入り混じっているからだと思います。今回の旅が旅で終わることなく、日本において、また聖地において、また生かされるものではないかと、何となく感じているからです。
ここからの旅行記は企画者としての旅行です。参加者の方々から聞けば、同じ場所でもいろいろな恵みを受けた非常に多彩な色が見えることでしょう。これから聞くのが楽しみです。ここでは参加者であると同時に団長でもあった者が、どのような恵みを受けたのかを書き連ねていきたいと思います。
今回は「約束の地への旅」がキーワード
準備は、約一年前から本格的に始めました。2013年が前回の旅ですが、開拓教会を牧会しているので、無理をせずに3年を空けました。祈りつつ、旅行を再度企画することについて、どのような方向性で行うかについて、考えておりました。リピーターの人もいるし、しかし多くは初めての方なので、前回と違う新しい旅程は必要だろうと思っていました。
そこで「ヨルダン」を加えました。今でこそ、エジプト、ヨルダン、イスラエル、レバノンなど分かれていますが、聖地は新旧約時代共に、今のイスラエル国を越えてこれらの国々にまたがっています。新約時代はローマ帝国の支配下にあり、例えばヨルダンは、「デカポリス地方」の多くの部分を占め、バプテスマのヨハネやイエス様ご自身もヨルダン川東岸を歩き、それからヘロデ統治下のペレアは今のヨルダン領にあります。そして、ヨルダンはイスラエルとの平和条約を結び、その越境はしやすく、かつ観光業に力を入れた、中東でもまれな安定した国です。そしてヨルダンは、約束の地に入る直前の国です。イスラエル人が荒野の旅をして、新しい世代が歩きだし、エドムとモアブを迂回しながら死海の東側を、モアブ平野に宿営しました。イスラエルでも、パランの荒野、ツィンの荒野は荒野の旅の舞台であり、「約束の地へ向かう」という一つのテーマが浮かびました。
これが主が準備してくださったものであったことは、旅行中に分かってきました。ヨルダンが加えられているから参加したという人が少なくなかったのです。そして、ヨルダンにおけるガイドが聖書をよく知っている優秀な方で、これも神の配剤であったと思います。
「ガリラヤ地方」のプレゼント
もう一つ、付け加えてあった祝福は、「ガリラヤ湖畔とイズレエル平原」をじっくりと見ることができたことです。今回は、エミレーツ航空でドバイ経由、ヨルダン発着の旅になりました。旅を効率的にするには、時計回りか、反時計回りか、周遊するような形で聖地を巡るのが通常です。ヨルダン中部にあるアンマン近郊の空港からペトラに行くと南下するので、そのままイスラエルの南端エイラットへ越境し、それからイスラエル側の死海へ一気に北上、そしてエルサレムに入ります。そしてエルサレムからシャロン平原(カイザリヤとカルメル山)へ行き、そこからメギド、ナザレとイズレエル平原を通ってガリラヤ地方に入ります。そして、ヨルダンに戻らねばならないのですが、ガリラヤ湖畔からですと、そのすぐ南にあるベテ・シャンの国境越えの地点からが無難です。ゆえに、ガリラヤ湖畔をじっくりと見、またハロデの泉などの下ガリラヤ、イズレエル平原の東側もじっくりと見ることができました。
もっと細かく言いますと、エミレーツ航空の東京へ降り立つ便は、ドバイ経由の成田着と羽田着があります。成田着に向けてアンマンから出るためには、お昼ちょっと前にはイスラエルを越境せねばならず、最後の24日はほとんど見られません。羽田行きを目指して乗ると真夜中にアンマンを出発する便に乗ることができ、24日は午後下がりまでイスラエルで時間を過ごすことができます。下の行程の左は、16‐22日までのもの、右が23‐24日のものです。それぞれの地図をクリックすれば、拡大してもっと詳しく行程を見ることができます。
2月16‐22日の行程 | 2月23‐24日の行程 |
現地集合も可
以上の考えに基づき旅程を立てました。(実は去年の春までは大韓航空によるテルアビブ発着の旅程だったのですが、韓国の旧正月の時期に重なると言われて座席の確保が難しく、かつ確保できても料金が高くなるということで、ヨルダン発着に変わりました。)ちなみに、旅行では現地集合も可能です。日本からは3名の人が事前に現地入りし、その後もイスラエルに数日残られました。そして今回の恵みは、アメリカから6名の参加があったことです。現地集合をしなければいけませんでしたが、15日夜に空港のホテルに前泊していただき、最後の出発する時は私たちの便と一時間ぐらいの差で出発する便を使ってくださったので、とてもスムーズな旅程となりました。
実際にこなした旅程
15日 22:00 EK319便 成田発
16日 ドバイ経由 EK901便 09:40 アンマン着
マデバ、ベタニヤ、ネボ山、死海遊泳
17日 マケラス、王の道、アルノン川、カラク、ゼレデ川、ダーナ自然保護区
18日 ペトラ観光、イスラエルへ越境
19日 エイラット、荒野の幕屋、マサダ、エン・ゲディ、死海文書発見洞窟、エリコ(外側から)、エルサレムにてシャバット・ディナー
20日 エルサレム旧市街キリスト教関連(オリーブ山、涙を流された教会、ゲッセマネ、ベテスダの池、ヴィア・ドロローサ、聖墳墓教会、クライスト・チャーチ、屋上の間、鶏鳴教会、そのの墓)
21日 日曜礼拝、エルサレム旧市街ユダヤ関連(神殿の丘、嘆きの壁、西壁トンネル、南壁考古学公園、広い壁、ダビデの町、シロアムの道、神殿再建財団)、BFPの方との出会い
22日 カイザリヤ、カルメル山、メギド、ナザレ(ナザレ村、突き落としの崖)
23日 アルベル山、ヒッティン、タブカ、ミグダル、湖上遊覧、コラジン、山上垂訓の教会、カペナウム、ガリラヤ湖一周
24日 ベツサイダ、テル・ハダル、クルシ、ギルボア山、イズレエル遺丘、ハロデの泉、ベテ・シャン、ヨルダンへ越境、アンマンで夕食
25日 02:05 EK906便 アンマン発 ドバイ経由 22:25 EK312便 羽田着
「十分な人数が・・」が心の中の課題
ところで、クリスチャンに聖地旅行の話をしますと、ほぼ全ての人が「行きたい」と言います。多くが心を躍らせます。けれども、実際に行動に移す人はとても少なくなります。いくつかの理由が挙げられますが、一番大きいのは「時間がない」です。お仕事の都合をなかなか付けられないというのは大きいです。そのため日本発の聖地旅行は、最長でも9日間、多くが7日間です。しかしアメリカでは多くが14日間です。事実、それだけの日数がないと、見られるはずの、すぐそばにある多くの遺跡を素通りしているのが現実です。一回目も今回も、期間は11日間です。それで、日本のグループとしてはほとんど訪ねることのない所(けれども、聖書的にはとても重要な所)も、訪問できています。
もう一つの理由は「金額」です。これは仕方がない面があります。一回目の旅行記にも書きましたが、ホテルは高級なものでなければ、設備やサービスが一気に劣る所に泊まることになります。中間はなかなか見つかりません。そして質の良いガイドやバス運転手を雇うとするには、それに見合う対価があります。今回の旅では、航空券と燃油税、食事一日三食を含めて、全て合わせて38万円程度でした。そこで重要な要素は、旅行者の人数です。人数が多ければそれだけ、一人当たりの旅費が安くなります。20名が目標でしたが、最初はなかなか集まりませんでした。けれども、主は備えたもう!であります。私を除いて計21名が与えられました!
旅行をお考えになっている方に個人的にお勧めすることは、「現実的」になることです。多くの人が、例えば「夫婦で行きたい」と言われます。けれども旅費を考えると、むしろ「交替で行く」ぐらいに考えるのが無難です。そうすると、自分の不在の時に日本でしなければいけないことを相手にしてもらうことができるし、旅行のための貯金も長期的にできます。そして、旅行から帰ってそれぞれの旅を分かち合うことができます。
そして、教会の方や牧師さんに対しては、「一教会だけで行こうと考えない方が良い」であります。牧会的配慮から教会のイベントとして、一教会での旅行は理想であります。しかし、大きな教会なら可能だと思いますが、日本に住む人は忙しいですから人数が揃わずに断念する場合が多く、現実的には難しいです。それよりも、例えば仲良くしている他の教会の人たちと共同で企画をするとか、一教会以上の企画を立てると、もっと多くの人が集まります。私個人としても、旅行参加者の人々を霊的に世話することのできる奉仕者が、私以外におられるということは心強いですし、そして教会間の交わり、一個教会を超えての交わりが深まります。
中東に行くということで、渡航を控える人もいます。けれどもクリスチャンの場合は、「死んだら天国だから」という、最も確かな旅行保険(笑)に入っていますのであまりご本人は気にしていませんが、周囲の人たちの強い反対があります。その部分を説得するには、主のご介入が必要です。
これら全ての要素を考えますと、やはり「聖地」に行くのだ、つまり巡礼するのだという気概が必要です。「信仰」が必要です。ちょうど礼拝生活の確保には、「どんなことがあっても日曜日は教会」と決めた人が、最終的に教会に通えているのと同じように、「今回は旅行に行くのだ。もし御心でなければ、主が後で示してくださるはずだ。」というぐらい、決めてしまうことが必要です。単に海外旅行に行くのとは異なる、霊的原則が働いていると言えます。たくさんの祈りと心備えがあってこそ、主がそこに臨在され、今後の信仰生活にかけがえのない糧となります。
地形と歴史の旅
旅をするにあたって気をつけていたのは、「関連性」です。この旅は、地形と歴史を通して主が語られることを期待していました。特に初めて旅行される方は、目に入ってくる情景に圧倒されて、それだけで心が一杯になります。そこで、その一つ一つの情景、訪問の各地に、一つの流れやつながりがあることを、なるべく示したいと願っていました。決してばらばらの情景ではなく、ちょうど各写真をつなげて一枚のパノラマ写真にするように、聖書の話をそれぞれつなげるようにしていこうと思いました。
現地で陥りがちなのは、そこにある遺跡や地形よりも、教会堂や彫刻など目に付くものに引き寄せられてしまうことです。けれども、それは後世の人々の作品であって、神さまのストーリーと異なります。それで言葉による説明が必要です。ガイドの方の手腕が試されるところであり、そして私も、聖書からの話しを多くすることに努めました。
そして遺跡では、復元されたものがあると当時の様子が分かって便利です。前回と同じく、今回も小冊子を用意しました。準備会でプレゼンテーションで見せたものを掲載して、さらに挿絵として復元図や絵、略図などを加えて説明しました。
旅行会社と優れたガイド
今回の旅も、「ホーリーランド・ツーリスト」にお願しました。社長の石田典久さんはクリスチャンで、働いておられる方々もそうで、クリスチャンの聖地旅行に特化しています。石田さんには、数多くの質問をし、連絡をさせていただきました。ご本人、必ず年に一回はイスラエルの地に赴き、イスラエルをなるべく多くのクリスチャンに知っていただきたいという情熱に動かされている方です。
そして現地のガイドは前回に引き続き、アミエル社の恭仁子(くにこ)さんです。何十年もイスラエルに住み、イスラエル国籍をお持ちの方で、日本語のガイドの中では知識に富んだ非常に優れたガイドです。とても日本語がきれいで丁寧で、それでいながらユダヤ的な(?)機知に富んだユーモアが絶えることがありません。二回目の旅行を共にさせていただき、親交を深めさせていただいて、私はとても主に感謝しています。
そしてさらに、今回はヨルダンの旅のガイドにも恵まれました。タニア・ツアーズのラエド・サリム(Raed Salim)さんです。私は石田さんに、「日本語を話すガイドが欲しい」とずっとお願いしていましたが、直前に、「現地旅行社から、『優秀がガイドがいる』とことです。英語ですが、通訳者も付けてきます。」との連絡を受けました。事実、本当にすばらしいガイドでした!聖書を知る旅であることを初めに告げると、彼はどんどん、ヨルダンを聖書から語り始めました。また英語も通訳を介していることを気にして、分かり易く端的に語ってくださり、非常に聞き取り易かったです。25年ガイドをしているということで、その他の面においての熟練さも見えました。
そして通訳者にも恵まれました。マヘルさんという方ですが、日本語が上手!というか、日本で育った日本人なので当たり前です。お父さんがパレスチナ人、お母さんが日本人というユニークな方で、とても気さくで、私たちがクリスチャンであることを知ると、ご自身ムスリムでありながら、積極的にキリスト教について質問してくれました。
生きた証人も
それから今回の旅では、前回以上に「生きた証人」に触れてほしいと願っていました。生きていない石だけでなく、生ける石、つまり聖地に今、生活している、神の証しを聞いてほしいと願いました。そこで、ヨルダン側では、クリスチャンの働きを行なっているご家族に声をかけましたが、あいにく直前に来ることができなくなったとの連絡がありました。
それからイスラエルでは、荒野の幕屋でのガイド(ユダヤ人と結婚しているクリスチャン)、シャバット・ディナー(イエメン系ユダヤ人のお宅)、BFPのスタッフ(中華系アメリカ人のクリスチャンと、帰還したばかりの正統派ユダヤ人)、そしてガリラヤ湖の遊覧船の主(ユダヤ人信者)に出会うことができました。当初、ベツレヘム聖書学校も訪問し、パレスチナ人クリスチャンとの出会いも考えてみましたが、時間的に難しく断念しました。
夕方の勉強会は無し
前回の反省は、一日の旅程を終えてホテルで夕食後、さらに復習会や予習の時間を持ったことです。これは疲れさせてしまいました。今回はそれはやめました。次の日の準備はできているかな?と少し心配していましたが、メンバーからは、用意した冊子をきちんと前もって読んでいることが分かり、嬉しかったです。2010年のアーノルド・フルクテンバウムによる聖地旅行では、毎晩、勉強会がありましたが、「それはそれ、これはこれ」です!ゆっくり休むことが大事ですね。
けれども、朝のデボーションはやりました。参加自由にし、日曜の礼拝のみ全員参加をお願しました。やはり霊的に一つになる、安息の時は貴重でした。
合計七回の準備会
2013年の旅行後、14年夏に復習会をし、16年の旅行の抱負を語らせていただきました。15年冬にも撮った写真を見みる復習会を開きました。そして2016年に入ってから準備会を始めました。前回と同じように、イスラエルの地形、歴史、新約聖書の背景、そして訪問地の聖書背景の順で教えましたが、最後の訪問地の説明が長引いてしまい、四回の予定がさらに三回付け足すことになりました!
この準備会、一見、退屈に感じてしまうような情報かもしれません。けれども、ガイドの恭仁子さんが私に話してくださった言葉で、このありがたさが身に沁みました。「このグループの方々は非常に敏捷です。普通、早く動くと何も残らないようになってしまうけれども、このグループにはそれが起こっていません。」それは、前もって自分たちがどこに行くのか、聖書の箇所を読んでいたからに他なりません。それが、早く内容を咀嚼できる大きな助けになったのではないかと思います。
第一回:イスラエルの地形
第二回:イスラエル全史
第三回:新約時代のイスラエル
第四回:訪問地の聖書背景(ヨルダン)
第五回:訪問地の聖書背景(ネゲブと死海、エルサレム旧市街キリスト教関連)
第六回:訪問地の聖書背景(エルサレム旧市街ユダヤ関連)
第七回:訪問地の聖書背景(シャロン平原、イズレエル平原、ガリラヤ)
※それぞれの映像は一部です。全体をご覧になりたい方はメールでご連絡ください。
15‐16日、エミレーツでの渡航
二・三日前から、現地集合予定の兄弟から少しずつ現地に向かう連絡が入りました。そして15日、私たち明石も成田空港に到着して、たぶん私たちが最後の到着したのではないでしょうか、全員が無事いました。石田さんから、現地で使う無線機(ガイド用の発信機と参加者が聞く受信機)を受け取り、早速出発です。
エミレーツ航空は、非常にサービスが良いことでランキングが上位だったと思いますが、確かにその通りでした。食事もしっかりしたものが出ます。私は、各地での聖書メッセージの準備を全て終えておらず、飛行機の中でも作業していましたが、パソコンのための電源は助かります。さらにWIFIも使えるではないですか。さらに、最近のテロに絡む情勢のためでしょうか、空席が目立ちました。おかげで二席以上使って休むこともできましたし、快適でした。
そして12時間以上の渡航で、アラブ首長国のドバイ空港に到着です。ドバイ空港は、エミレーツ専用のターミナルがありますが、タラップを降りて、バスに乗ること15分はかかったと思います、かなり大きなターミナルなのでしょうか。そして乗り換えでは、シャトルの列車に乗らなければいけなかったのですが、初めに表示されていた搭乗ゲートが突然変更したらしく、危うく別の列車に乗りそうになりました。
そして目的の搭乗ゲートに着いてから、改めて仲間の中で互いに自己紹介しました。それから搭乗しますが再び、バスに乗って飛行機のある場所まで移動します。そのため、普通30分前の搭乗開始ではなく、1時間ぐらい前から始まります。それからドバイを早朝に出発です。世界一高い超高層ビルを眺め、それから下に見えるアラビア半島を満喫できました。初めはペルシヤ湾沿いを飛んでおり、「ちょっと東にはイランがあるのだな」と思いながら、聖書の舞台にいるのだという思いが深まりました。そして砂漠が続きます。私は、イスラエル、ヨルダン、エジプトのしか見たことがありませんでしたが、サウジアラビアのそれは、もっと凄そうでした。円形の貯水池のようなものが沢山でてきましたが、今調べると、なんと小麦栽培の灌漑施設のようです。
そしてイラク領のちょっと下の部分を航行し、ヨルダン領に入ります。アンマン近郊に来るまでずっと沙漠でしたが、ついに緑が少し見えました。そして無事に、「クィーンアリア国際空港」到着です。
空港到着
ヨルダンは、エジプトと同じく、旅行関係者は入国審査の前まで入ってくることができます。ビザ取得が必要ですが、日本国籍の人は無料です。一列に並び、彼に旅券を渡し、そしてそのまま審査官の前を通過、そのまま目の前にある荷物の回転台に行けました。
そして私の妻が、空港内の銀行に走っていきました。ヨルダンのディナールに換えるためです。非常にレートが悪いのを知っていましたが、やはり現地の通貨を誰か持っていないといけないと感じていました。他の旅行者には結局、「米ドルだけで大丈夫」ということにしていただきました。確かに、ヨルダンでも観光地は大丈夫です。けれどもやはり、ディナールに比べると割高になります。
その時は午前10時を過ぎていましたが、これから一日、旅をします。出てきたかばんから、一日のために必要なもの(ビデオカメラ、ICレコーダーなど)を取り出し、バスに向かいます。そして、そこにラエルさんと、通訳者のマヘルさんがいました。それから5分もしないところで停車、アンマン空港のホテルに前泊していた仲間、合計9名と合流です。皆さんの顔を見た時には、本当に嬉しかったです。