2022年イスラエル・トルコ旅行記 11月13-14日 日本からトルコへ

1.はじめに - 波乱万丈の準備
2.日本からトルコへ移動


1.はじめに - 波乱万丈の準備

 ロゴス・ミニストリー企画の聖地旅行として第三回目になります。第一回目は、11日間のイスラエル旅行でした。聖地旅行を調べているうちに、聖書の地は現代のイスラエルを越えていることをだんだん知り始め、第二回目、2016年の旅は、ヨルダンを加えました。モーセの荒野の旅、イスラエル二部族半の相続地、新約時代のペレアがみな、ヨルダンにあります。

 その旅を終えた後、企画ではなく、夫婦の旅をしたいと思い、使徒たちの宣教旅行の足跡をたどる、トルコとギリシアの旅に2018年に参加しました。これに、ものごく魅了されてしまい、トルコには、将来、日本のキリスト者のみなさんをお連れしたいという思いが与えられました。そこで次の年、2019年に研修旅行としてトルコへの旅に加わりました。

コロナ禍が始まった!

 これでトルコの地を案内するのも用意万端だと思い、2020年3月8-21日に準備していました。ところが、20年2月には新型コロナの第一波が中国から東アジアへ、そして世界に瞬く間に拡大していきました。出発の2週間前の2月24日に、イスラエルが、中国だけでなく日本を含む一部の国々に入国禁止を決めたのです。今まで、テロの噂であるとか、そういうことには慣れていましたが、まさか、こんな形で入国禁止になるとは、ショックでなりませんでした。この時、幸いなことにキャンセル料は1万円だけでした。トルコ航空からの請求であり、イスラエルの現地旅行社からは、国が禁止にしているのですから、キャンセル料は当然ありません。問題はまだ旅行者へ門戸を開いていたトルコです。ホテル側と現地旅行社が交渉し、「延長」という条件で請求の権利を放棄してくださったのです。主の憐れみです。

 「ですから、これは人の願いや努力によるものではなく、あわれんでくださる神によるのです。(ロマ9:16)」初めから、聖地旅行を終える最後の最後まで、私にはこの御言葉が真実となりました。自分の力や知恵では全く計画することができないように、主が行われて、それでもって、ご自身の憐れみを示し続けてくださいました。今回の旅行記は、この憐れみの軌跡といってもよいでしょう。

 話を戻しますと、2020年初春から、世界中の都市封鎖や行動制限が始まります。海外旅行なんて、夢のまた夢です。2年が過ぎました。参加希望者もそれぞれの事情が変わり、参加を断念される方々が多く現れました。2022年の5月出発に延長を試みました。しかし、まだまだ流行の波は収まりませんし、日本からの出国や入国時の制限も解かれていません。

 それで、旅行社のホーリーランド・ツーリストの石田さんと話し合って、2022年11月はどうか?と提案しました。なぜ11月か?まず、新型コロナの流行の波は、20年も21年も、夏と冬にやって来ています。だから、秋であれば、ある程度、収まっているだろうと見たのです。これは正解でした、22年の夏に第七波が来ていましたが、9月になってから感染者数は下がっていきます。もう一つは、例年のことですが、イスラエルは雨季が11月から始まり、シーズンオフの期間に入ります。イスラエルは春も秋も、祭りの時季(レビ記23章参照)はごったがえしています。秋の祭りである仮庵の祭りは10月にあり、11月になると航空運賃も下がるのです。雨に降られる可能性はありますが、けれども、旅費が節約できるのと、何よりも旅行中、空いているので快適になるのです。

ウクライナでの戦争と、物価高とインフレ

 ところが、2022年に入り、新型コロナだけを気にしているわけにはいかなくなりました。コロナ禍によって世界が麻痺したのも衝撃でありましたが、まさかロシアがウクライナに侵略するとは、思いも寄りませんでした。西側諸国は次々と経済制裁を課し、ロシア上空を欧州便の飛行機が通過しなくなりました。そして、元々、世界的にインフレが起きたところに、この戦争が拍車をかけ、急激な物価高になりました。燃料も高騰し、旅費も、飛行機の燃油税が一気に上がりました。それに加えて、日本円が急に安くなっています。

 イスラエルは、コロナ禍の前、2019年は旅行客でごった返していました。ホテル代もそれに合わせてどんどん上がっていました。イスラエルは5月頃から、旅行者の入国にすべての制限を解除し、再び増えていきましたが、コロナ禍の間に多くの人々が、旅行関連の仕事をやめていったのに、旅行客は増えていく一方です。それで、新しく旅行業で働き始めた人々が多く、サービスも必然的に落ちていきます。

 それに加え、日本政府は、帰国時のワクチン接種証明書の提示もしくはPCR検査を要求しています(22年12月現在)。PCR検査をイスラエルで受けなければならない人たちのために、旅行社は苦労しました。なぜなら、他の国々はとっくの昔に、これらの条件はなくしており、PCR検査をする業者がもうその業務自体をやめてしまっていたからです。そして検査自体も非常に値段が高いものです。

それでも、"選ばれて"参加を決めた人々

 こんなに、大きな障害物が立ちはだかっていたのに、それでも旅行参加を決める人々が、どんどん起こされてきました。なかなか、最小人数である15名が集まりませんでしたが、参加希望の人々は、断念することなど、まずもって考えていないような、勇士のような心を持っていました。励まされました。そしてもう申込期限が来ている9月、なんと、ある人は家族で参加を決め、またある人は米国在住なのに、たまたま日本にいて、旅行の話を聞き、急遽参加を決めました。そして最後、申込期限が何日か過ぎていたのに、2013年に参加した方の奥様と息子さんが、参加したいとの連絡がありました。総勢、私を含めて19名の参加となりました。

 14日、トルコに到着して初日に、バスの中で一人ひとりに自己紹介をしていただきましたが、これほど参加決意が固まっていた背景を、知ることとなります。ある方は、たまたま親族から遺産が入って来たとか。大学生は、たまたま旅行期間中、学校休みとほとんど重なっていて、大丈夫だったとか。奇跡から、奇跡の連続の証しでした。これは、主が用意された旅だったのだと、一人ひとりの証をききながら、心の中ではうれし涙で泣いていました。

主の精鋭部隊

 イスタンブール国際空港で乗り換えるロゴス精鋭部隊
 

 それから、今回の旅で感謝なのは、牧師さんが私の他に三人もいらしたことです。聖地旅行は霊的な側面が非常に強いので、霊的に人々に心をかけてもらえる、整えられた方がいると、とても助かります。私は、お三人に朝のデボーションをお願いしました。みことばを読んで、お祈りする程度だろうと思っていたら、お一人お一人が、しっかりと準備されて、ミニ説教のような、心に響くメッセージでした。感謝、感動です。

 そして、羽田空港で会ったお一人お一人は、ほんと、霊的にも、いろいろな意味で優れた方々であることが、だんだん分かってきました。旅の間、いろいろなハプニングがありました。それでも文句何一つ言わず、信仰をフル回転で働かせて、小さな危機を乗り越える姿を目撃しました。また、病気になったり、ご高齢で何かと助けが必要な方々もいましたが、みなが全面的に協力しています。この一致は一体、何なんだ!?と驚いていたのは、団長の私でした。「主の精鋭部隊」にようになっていた、と言っても、過言ではないと思いました。

 もしかしたら、コロナ禍、インフレ、円安など、いろいろな試練があったからこそ、聖地旅行に対する信仰が清められていたのではないか?と言えるのかもしれません。(ヤコブ1:1-4参照)

ロゴス・ミニストリーの聖地旅行の特徴

 ロゴス・ミニストリーでは、旅行案内チラシにも説明しているとおり、綿密な準備を行います。まず、9回に渡る、旅行準備勉強会の動画があります。イスラエルの地理、聖書時代から現代に至るまでの全史(右のパワポはその一例)、新約聖書の時代背景、そして訪問地について聖書的背景を説明します。トルコも同じく、その歴史全般と、訪問地の聖書的背景です。

 そして、これらの準備会で用意しましたパワポの資料のダイジェスト版を作成しました。デジタルで持っていける人はPDFファイルで、そうでない人は印刷してバインダーに収めて、持参です。前日にホテルで、次の日の準備のため、訪問地の背景の聖書箇所を読めるようにしました。それから、現地で歌う賛美集も用意し、何度となく旅行中、賛美できました。

 それから出発二週間前は、オリエンテーションのためズームで集まりました。そこで、旅行準備のための具体的なことを話し合いました。現地通貨についてとか、旅行バックについて、気候や準備する物であるとか。

2.日本からトルコへ移動

 飛行機の移動で利用するのは、すべてトルコ航空です。国内での移動も、イスラエルへの移動もみなトルコ航空です。(現地集合のご家族もいましたが、トルコ→イスラエルの時だけ便を同じにしていただきました。)2020年3月の予定の時は、成田空港とイスタンブール空港を結ぶ便は、羽田空港との間に変わりました。

 11月13日は日曜日です。出発時間は午後10時50分(TK199便)です。私たちの教会、カルバリーチャペル・ロゴス東京では、午前礼拝と午後礼拝のどちらも献げ、それから、参加者の何人かは直接、羽田空港に移動しました。3時間前の7時50分に集合にして、そこで、参加者はEチケットとガイドシステムを受け取ります。ガイドシステムは、ガイドさんの声を無線の受信.機で聞くためのものです。集合しましたら、改めて、羽田空港にいる間に、日本円から米ドルへの換金をお願いしました。(イスラエルと最終日のイスタンブール市内観光で必要になります。)トルコリラは、トルコに行ってから換金してくださいとお願いしました。そしてイスラエルの新シェケルも、イスラエルに到着してからにしてくださいとお願いしました。

 ここで換金のコツを読者のみなさんにお伝えしますと、①「より世界に流通している通貨ではない国で換算する」という原則があります。つまり、日本円より米ドルのほうが、世界で流通しています。なので、アメリカに旅行に行く時は、日本で円をドルに換金したほうがアメリカでするより得します。では、トルコリラはどうか?日本円のほうが世界では流通しています。ですからトルコで換金したほうがレートはずっと良いのです。

 それからもう一つの原則は、②「現地の通貨ではない通貨の換金は基本出来ない。出来ても手数料が倍かかる」ということです。例えば、トルコやイスラエルで、「日本円⇔米ドル」は、基本出来ません。現地の通貨に変えるか、日本円に戻すかはできますが、第三国ではできないのです。いや、できることはできるのですが(今回もイスラエルのベングリオン空港でできることが分かりました)、手数料が倍かかるのです。

羽田国際空港からアタトュルク国際空港へ

 そして、トルコ航空のカウンターに移動しました。かなりの人々がいて、長い列になっていました。欧州への便がウクライナでの戦争で避けられて、トルコ航空を利用する人々が急増しているためです。そしてチェックインを済ませたら、セキュリティーを通って、出国手続きですが、すべてが顔認証の自動化になっていました。もう旅券にスタンプを押される時代は過ぎ去ったようです。(参照記事

 そして飛行機に乗ります。私は、通路側の席だったので比較的、心地よく座れましたが、窓側で、しかも体格のよいトルコ人の隣に座っている仲間もいて、ちょっと大変そうでした。それから、この便のサービスが、今まで利用したトルコ航空の便の中で、あまり、よくなかったです。食事のメニューの選択がなくなっていたり、朝食の洋食のおかず一品が勝手に和食のおかずに変えられていたりしていました。けれども、この便だけで、残りの他の便はすべて、期待していたサービスでした。トルコ航空の良いところは、アメニティーセットがしっかりしていることですね。おしゃれなパウチをくれます。

 日本では真夜中なのですが、夕食はしっかりとるように参加者の方々にはアドバイスしていました。12時間半の旅ですから、次の朝食が出るまで8-9時間ぐらい後になるからです。そして、興味深いことに気づきました。客室乗務員の方々が、夕食はマスク着用で出していましたが、イスタンブールに近づいた朝食では、多くがマスクを外していたことです!同じ機内なのに、と思いましたが、まあ、郷に入りては郷に従え、ですね。トルコでは、マスク着用も9月頃には一切しなくなったと聞きました。

 私は、これまでの旅と同じように、最後の最後まで準備に追われていました。旅行出発前に、旅の中で話す聖書メッセージは用意していたかったのですが、今回の旅は、私の妻が同行せず、ツアコンのような補佐的なことをしてくれる人が、かたわらにいませんでした。(例えば、ガイドとバス運転手のための現金や、その他の現金も運ばねばならず、肌身離さず持ち歩いていました。)そのため、旅行直前には、いろいろな雑用が急増し、メッセージのためのまとまった準備の時間は、ついに飛行機内になったのです。ホテルについても、団長一人でツインベットのある部屋で、しかもサービスでアップグレードされているのですが、それを楽しむ時間はなく、メッセージの準備で追われていました。

アタトュルク空港で国内線へ乗り換え

 イスタンブールのアタトュルク空港は、2019年4月に新空港に移動しています。前回の旅行で、帰国時に経験していました。ものすごい広いことを覚えていました。世界最大級と聞いています。午前6時半ごろに到着して、次の、イズミール行きの国内便(TK2312)は、午前8時発です。1時間半しかありません。だれ一人、ここで迷子になってしまわないように、団体行動で動きました。

 この時に、ある方が自分のスマホに、「大丈夫?」というメッセージが入っていました。「テロがあったらしい」とのことで、ニュースを見ると、なんと、イスタンブールでテロ事件が起こっていたではありませんか!と言っても、私たちがまだ飛行機に乗っていた時に起こっているし、私たちは空港内で外に出ませんから、新市街の中心部で起こった今回の事件には、全く関係ありません。次のイスラエルでも、エルサレムにいる時に、久しぶりのバス爆破テロが起こりましたが、騒ぎは現場にいる人々よりも、海外にいる人々のほうから起こってきますね。旅行仲間は、いたって平静でした。

 それよりも、私たちにとっては、この移動が大変でした。入国手続きを終わらせ、国内線へのセキュリティーを通ったところで、空港の職員の人が、すごい形相で、早く移動するように案内します。その方の歩きが、東京の人たちが朝に出勤で歩く速さより速かったと思います!行ってみると、なるほどチェックインしてから、さらにバスに乗って飛行機まで移動しなければならず、最終のバスに乗り遅れないようにするために、急がせていました。

 無事に、TK2312便に乗りました。ものの70分で到着します。ここでサンドウィッチとコーヒーの軽食が出ます。これも、到着したら朝食がないので、食べておくように勧めていました。そして、トルコ航空は、軽食のパンから、すでにおいしいですよ!と伝えていました。トルコ料理は、ほんと、料理の作り方を知っていると思わせる、おいしいものばかりですが、特にパンはおいしいです。それから、アイラン(Ayran)と呼ばれる、トルコ式ヨーグルトの飲み物があります。甘くないのです、むしろ、ちょっと、しょっぱい感じ。私はとても好きでした。(写真

イズミール空港

 スミルナの遺跡のあるイズミールは、トルコ第三の都市です。黙示録の七つの教会巡りの旅では特に、まずイズミールまで飛行機で移動します。そこから、ペルガモンやサルディスなど、他の町々に移動します。イズミール空港に降り立ったら、荷物の回転台のところに、両替するところがありました。

 そして到着ロビーを出ると、サリー(Salih)さんが立っていました。日本語が堪能なトルコ人ガイドです。今回の現地旅行社は、2018年、2019年の時の旅と同じTopaz Tourism Travelですが、ガイドはディレクさんではなく、日本語話者をお願いしていました。なぜなら、彼女の英語のガイドを通訳するはずの妻が、今回の旅を断念したからです。日本語の出来るトルコ人ガイドは数多くいると、トパーズのタン(Tan)さんは教えてくれていました。以前は、多くの日本人観光客が来ていたし、トルコ語と日本語は文法が同じで、親和性があって、お互い習得しやすい言語のようです。サリーさんは、元々言語が得意な人のようでありましたが(日本語の他に、フランス語とイタリア語、そして英語でもガイドする免許を持っています)、日本に一度も行ったことがないのに、日本語がものすごく話せました。驚きます。

 ここで、現地集合の牧師のご家族にも、無事に顔を合せることが出来ました。奥様と高校生の息子さんの三名です。初めにギリシアの、アテネとコリントに行かれて、それから私たちの便より一時間前に到着していました。主よ、ありがとうございます、これで全員、無事にあなたが、導いてくださいました!