心の安らぎ

不安やストレスで
押しつぶされそうになっていませんか?

リストラ、倒産、地震、殺人、戦争…毎日、テレビや新聞は、悲しいニュースでいっぱいです。このような不安定な世の中で生きていると、私たちは、周りの状況に恐れを抱いたり、将来に不安を持つようになります。「失業したらどうしよう。」「結婚できなかったらどうしよう。」「ガンになったらどうしよう。」「妻に見捨てられたらどうしよう。」心配事を並べたら、きりがありません。心配によるストレスで、体調をくずす人も多いようです。実際、医学研究の結果、不安のせいで抵抗力が弱まったり、自律神経失調症になったり、循環器系の疾患をきたしたりすることがわかっています。過度の不安で、命を落とすことさえありうるのです。

必要なのは安らぎです


私たちは、不安や心配のない生活を求めています。生活の保証が欲しいのです。そのために、貯金をしたり、生命保険に入ったり、家に火災報知機を取り付けたりして、将来の生活を守ろうとします。けれども、どのような手立てを取っても、空き巣に入られてお金を盗まれるかもしれないし、失業してしまうかもしれないし、通り魔に襲われてしまうかもしれません。いくら気をつけても、どうにもならない状況が、私たちの周りにあるのです。

私たちに必要なのは、回りに左右されない心の安らぎです。すべては大丈夫だという確証がほしいのです。この心の安らぎを得るために、私たちはいろいろなことをします。せっせとお金を貯めたり、家族や友人に頼ったり、彼氏や彼女に期待したり、占いに頼ったり、自己啓発をしたり、宗教に走ったり…。

けれども、それらのどれ一つを取っても、真の平安や安らぎを与えてくれるものはありません。なぜなら、唯一、私たちに安らぎを与えることができるのは、私たちを造った方だからです。私たちを造った方は、創造主なる神です。本当に必要なのは、この神との平和、神との個人的な関係なのです。

人間は、神のかたちに造られました。私たちは、神を知り、神とともに歩むために造られました。けれども、「罪」と呼ばれるものが人に入ってきたため、私たちはみな、罪の性質を持って生まれてきます。罪の性質とは、自然に神を無視してしまうこと、神の計画に逆らってしまうことです。まさに、この罪の性質ために、神との関係、神との平和がこわれています。神は、ご自分と私たちを隔てている「罪」を、私たち自身が自力で無くせないことをご存知でした。そのため、神のひとり子イエス・キリストを、私たちの罪のために、十字架で死ぬように定められました。イエスが死んでくださったのは、私たちが神との関係を回復することができるようにするためでした。

神の与えてくださる安らぎ

主イエス・キリストが私たちに平安を与えることができるのは、ご自身が平安の主だからです。聖書には、次のように約束されています。

「わたし(イエス・キリスト)は、あなたがたに平安を残します。わたしは、あなたがたにわたしの平安を与えます。わたしがあなたがたに与えるのは、世が与えるのとは違います。あなたがたは心を騒がしてはなりません。恐れてはなりません。(ヨハネの福音書14章27節)」また、イエスは、こう言われました。「わたしがこれらのことをあなたがたに話したのは、あなたがたが、わたしにあって平安を持つためです。あなたがたは、世にあっては患難があります。しかし、勇敢でありなさい。わたしはすでに、世に勝ったのです。(ヨハネの福音書16章33節)」

十字架で死んでくださったイエスは、3日目によみがえられました。そして、今、あなたの心に入ってきたいと願っておられます。イエスをあなたの心に迎えれば、恐れや不安やストレスの奴隷となる必要はなくなります。イエスは、あなたが状況に左右されることのない安らぎを得ることを望んでおられるのです。

イエスは、あなたの心の重荷をご存知です。
イエスは、あなたが今抱いている不安をご存知です。
イエスは、あなたが抱いている将来への不安をご存知です。

あなたがイエスをお迎えするなら、このように約束されています。

「わたし(神)はあなたがたのために立てている計画をよく知っているからだ。それはわざわいではなく、平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。(エレミヤ書29章11節)」
「神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。(ローマ人への手紙8章28節)」

イエスをどのように
迎えたらいいのでしょうか?

1. 自分が罪人であることを認めます。

すべての人は罪を犯しました(ローマ人への手紙3章23節)。そんな悪いことはしていないと思う人がいるでしょう。しかし、「律法(おきて)全体を守ったとしても、一つの点で落ち度があるなら、すべての点について有罪となるからです。(ヤコブの手紙2章10節)」

2.イエス・キリストが十字架で死なれたのは、自分のためであることを認めます。

「キリストも一度罪のために死なれました。正しい方が悪い人々の身代わりになったのです。(ペテロの手紙第一3章18節)」と告げられています。キリストは、あなたの罪の代価を払ってくださったのです。

3. 自分の罪を悔い改めます。

「悔い改める」という言葉は、「自分の方向を変える」という意味です。「あなたがたの罪をぬぐい去っていただくために、悔い改めて、神に立ち返りなさい。(使徒の働き3章19節)」自ら進んで、人生の中に変化が起こることを受け入れ、神を悲しませることから離れるべきです。

4. イエス・キリストのところに来て、受け入れましょう。

イエスは言われました。「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。(マタイの福音書11章28節)」そのときに、自分を清めようとしないで、ありのままで来てください。イエスが清めてくださいます。今すぐ、イエスを受け入れたいですか。もしそうなら、次のように祈ってみましょう。

 今すぐ、イエスを受け入れたいですか。もしそうなら、次のように祈ってみましょう。

主イエスさま、私は罪人です。あなたが私のために死んでくださったことを信じます。今、自分の罪を悔い改めて、あなたに近づきます。あなたを、私の生涯の主、救い主として受け入れます。私を救ってくださり、ありがとうございます。



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