イスラエル旅行日記 5月25日 - エルサレム新市街

アリエルの旅行チームは、ワゴン車4台に乗って出発しました。私はアーノルド自身が運転する助手席に乗りました。

イスラエル人の運転はかなり荒いことで有名ですが、アーノルドもかなりイスラエル的になっています。そしてイスラエル人にはヘブル語で自由自在に話しているのも初めて聞きました。(彼はイスラエルに留学して、20-21歳の時に六日戦争が勃発して、エルサレムにいた第一目撃者であります。)

訪ねた(または遠くから見た)場所は次の通りです。

1.ヘロデ家の墓
2.ハサダ病院
3.ヤド・バシェム
4.ロシア・コロニーにあるファラフェルのお店
6.イスラエル博物館のヘロデ時代のエルサレム模型
7.ダビデの町

これを見るだけでも、99年、08年の旅行よりもかなり密度の高い旅程になっているのを伺い知ることができます。1.2.4.は初めてでしたし、その他も以前よりも詳しい説明を聞くことができました。

今回共に旅行をしている人々の特徴は、アメリカ人はむしろ少なく、オーストラリアからのグループがたくさんいることです。しかも白人ではなく、シンガポール・マレーシア系の方々です。ある方がアーノルドの教材を使って聖書の学び会を開いてから、次第に、一人一人数が増えて、ついにアーノルド本人を今年の三月にオーストラリアに招きました。

その他、カナダ人の人、ハンガリーからのホロコースト記念館に働いているご夫婦、そして現地でユダヤ人伝道の働きをしている方も共におられます。

アーノルドの旅行の特徴は、その場で聖書メッセージを聞くことなく、手短な説明を受けて、どんどん前に進んでいくことです。歩くのもとても速く、とてもエネルギッシュです。夕食の後に一時間の講義の時間があります。またすでに分厚い資料を三冊、詳しいイスラエル地図を三種類受け取っています。だから、その場で特段、長い話をしないですむようにしています。

ヘロデ家の墓とアーノルド

イスラエル旅行日記 5月24日 - ナブルスの町

今日はやはり、ナブルス(シェケム)に行きました。ヘブロンへはエルサレムから南へバスで1時間強ですが、ナブルスへは北方に2時間弱かかります。

私にとっての、初めてのディープなパレスチナ体験でした。

昨日と同じく、交通手段も簡単で検問所も非常に簡易なものでした。そして人々も優しく、帰りのバスでは突然、日本語で話しかけてくる青年が!アニメが好きな大学生でした。

2008年の旅行記にはイスラエル領は緑が多く、パレスチナ側が禿げていることを書きましたが、サマリヤ地方はそれほどでもありません。野生のオリーブの木がたくさん生えていて、丘陵がなだらかな地が延々と続きます。

中継地点のラマラでバスを乗り換えなければいけませんが、さすが西岸の(事実上の)首都だけあって十分栄えています。

そして実際に、イエス様が座られたヤコブの井戸、ヤコブの時代にあったカナン人のシェケムの町の遺跡を訪れることができ、そして、エバル山とゲリジム山をじっくり見つめることができました。本当に行って良かったです!

そしてMount Zion Hotelに来てみると、もう既にアーノルドのグループが到着していました。アーノルドに挨拶すると、中川師が主催されたセミナーの参加者の一人だと勘違いして(日本から帰ってきたばかりだから無理もありません)、「今日から、あなたのグループのメンバーですよ。」と説明して理解してくださいました。

彼の英語は相変わらず聞き取りにくいですが、冗談をかましまくっている気さくな人です。

ゲリジム山
(後ろの、頂上に建物があるのがそれです。建物はサマリヤ人が今でも礼拝している寺院です)

イスラエル旅行日記 5月23日 - ヘブロンの町

こんにちは。
シャローム from エルサレム。

大韓航空で22日に出発、仁川国際空港経由で無事に同日午後10時半頃に到着しました。そして二回目に利用したのと同じ、Allenby #2 B&Bで宿泊しています。今日Mount Zion Hotelに移動し、アーノルドのアメリカからのグループに合流します。

昨日はヘブロンに行って来ました。

「あっ、そう。」という反応をされる人もおられるでしょうが、そこが今どういう町か知っている人は「えっ!大丈夫だったんですか!!」と驚かれていると思います。そこはパレスチナ自治区のヨルダン川西岸地域に入っているからです。ベツレヘムやエリコなどは比較的安全とされていますが、ヘブロンは入植地との摩擦で緊張状態にあるといわれています。(参照:外務省の渡航情報のサイト

でもやはり今回でもう三回目の旅行です。アブラハムがヘブロンに滞在しそこで墓地を購入したことは、神の救いのご計画の中では画期的な出来事でした。ヘブル11章13-16節によると、族長たちは天に故郷があることを証ししていたとあります。マクペラの洞穴がまさにその証しです。99年にイスラエルに行った時から行ってみたいと心に願っていたところです。

一言で感想を言えば「行くのも簡単で、しかも静かだった」でした。イスラエルを縦横無尽に走っているエゲッドというバス会社がありますが、それを使えば9.2シェケル(約220円)で1時間強で到着します。ついでにバスは防弾ガラスの窓になっています。

さらに、旅行者の説明ではパレスチナの区域とユダヤ人の区域の間の行き来は至極難しいとのことだったのですが、あっけに取られるほど何の問題もなく、特に外国人の旅行者は無制限でした。そしてマクペラの洞窟は、ユダヤ教側とイスラム教側に厳密に分かれていますが、ほとんど何の問題もなくどちらも簡単に入れました。

パレスチナ人のヘブロンの町も少し闊歩しましたが、やはり閑散としていて静かでした。(でも、彼らアラブ人は人懐こくて、またしつこくて、少年がアラブ語で歩いている私に話しかけていたと思いきや、「案内したので、お金くれ」みたいなことを言っていました。)

それでたくさん時間を取っていったところが、他に見るところがなくなってしまいました。他にアブラハムの時代のカナン人の町のヘブロンの遺跡もあるのですが、ヘブロンの町を紹介する入植地団体の人が観光案内所を閉めていて、他のイスラエル兵士に聞いてもだれも知りません。それで、次のエゲッド・バスを待つこと1時間以上経ちました。洞窟の区域を警備しているイスラエル兵士の若者とも会話して、またバスの中にも別の兵士と話して、今回ヘブロンで一番多く話したのはイスラエル兵士でした。

マクペラの洞窟についての説明は帰国後、イスラエル旅行記としてまとめますのでお待ちください。

ということで、今日はシェケム(ナブルス)に行こうかどうか迷っています。シェケムはもちろん、アブラハム、ヤコブがいたところであり、ヨシュアが律法を読んだゲリジム山とエバル山があるところであり、そしてイエス様が会いに行かれたサマリヤの女の井戸も実際にあります。でも同じく危険(?)な西岸地域の中にあり、ヘブロンのようになったらどうしようかなと迷っています。エルサレム市内にいると、どの建物に入るにもお金がかかるし(高い!)、うーんやはりナブルスに行こうかというとことです。

マクペラの洞窟

「レフト・ビハインド」と救霊の関係 その3 - 二種類の人

(「その2」からの続き)
ですから、二つのグループの人にお話したいと思います。

1.すでに聖書預言に関心を持っている方へ

目を覚ましていますか?つまり罪の生活を捨てて、キリストを求めていますか?
「あなたがたは、今がどのような時か知っているのですから、このように行ないなさい。あなたがたが眠りからさめるべき時刻がもう来ています。というのは、私たちが信じたころよりも、今は救いが私たちにもっと近づいているからです。夜はふけて、昼が近づきました。ですから、私たちは、やみのわざを打ち捨てて、光の武具を着けようではありませんか。遊興、酩酊、淫乱、好色、争い、ねたみの生活ではなく、昼間らしい、正しい生き方をしようではありませんか。主イエス・キリストを着なさい。肉の欲のために心を用いてはいけません。(ローマ13:11-14)」

しっかり教会生活を送っていますか?
「また、互いに勧め合って、愛と善行を促すように注意し合おうではありませんか。ある人々のように、いっしょに集まることをやめたりしないで、かえって励まし合い、かの日が近づいているのを見て、ますますそうしようではありませんか。(ヘブル10:24-25)」

しっかり御言葉を伝えていますか?
「神の御前で、また、生きている人と死んだ人とをさばかれるキリスト・イエスの御前で、その現われとその御国を思って、私はおごそかに命じます。みことばを宣べ伝えなさい。時が良くても悪くてもしっかりやりなさい。寛容を尽くし、絶えず教えながら、責め、戒め、また勧めなさい。(2テモテ4:1-2)」

2.聖書預言の類に疑問を持っておられる方へ

聖書預言に興味を持っている人々の間に、確かに誤った傾向があるかもしれません。けれども、その態度を見て預言そのものに目を留めるのを止めたのなら、次の結果を招きます。

「まず第一に、次のことを知っておきなさい。終わりの日に、あざける者どもがやって来てあざけり、自分たちの欲望に従って生活し、次のように言うでしょう。『キリストの来臨の約束はどこにあるのか。先祖たちが眠った時からこのかた、何事も創造の初めからのままではないか。』こう言い張る彼らは、次のことを見落としています。すなわち、天は古い昔からあり、地は神のことばによって水から出て、水によって成ったのであって、当時の世界は、その水により、洪水におおわれて滅びました。しかし、今の天と地は、同じみことばによって、火に焼かれるためにとっておかれ、不敬虔な者どものさばきと滅びとの日まで、保たれているのです。しかし、愛する人たち。あなたがたは、この一事を見落としてはいけません。すなわち、主の御前では、一日は千年のようであり、千年は一日のようです。主は、ある人たちがおそいと思っているように、その約束のことを遅らせておられるのではありません。かえって、あなたがたに対して忍耐深くあられるのであって、ひとりでも滅びることを望まず、すべての人が悔い改めに進むことを望んでおられるのです。(2ペテロ3:3-9)」

再臨信仰を失うことは、神の御救いの心を失うことなのです。

「レフト・ビハインド」と救霊の関係 その2 - 預言と伝道

(「その1」からの続き)

けれども、私自身、聖書預言に関心を持ち始めた時は気づかなかったのですが、聖書預言は、とどのつまり福音への招きが目標なのだ。ということです。キリストが戻って来られるというのは、神の裁きがこの地上に下るということです。神の裁きが下るということは、つまりそこからの救いを神が願っているということです。

黙示録を見てください、最後は「生ける水をただで受けなさい。」という呼びかけを行なっています(22:17)。神の究極の怒りが下る前に、天使が永遠の福音を携えています(14:6)。イエスは預言の霊なのだと天使はヨハネに言っています(19:10)。そして黙示録は、それを聞いて、その言葉を堅く守る者が幸いだ、と教えているのです(22:7)。預言の言葉を読んでわくわくするだけでなく、実際の福音宣教において労することを強く促しているのです。

聖書預言を教えている人々の情熱は、実はここにあります。レフト・ビハインドを書いたティム・ラヘイ氏は、その著作動機をはっきり「伝道」と言っています。実際に、数多くの人がこの本をきっかけにしてイエス様を自分の救い主として受け入れています。ある婦人は救われて間もなくして、あのジェット機に乗り、世界貿易センタービルに突入して昇天した、と彼は証ししていました。

ジョエル・ローゼンバーグ氏も宣教に非常に熱心です。宣教だけでなく貧しい人への援助にも情熱を燃やしています。

メシアニック・ジューの聖書学者アーノルド・フルクテンバウムは、著作The Footstep of the Messiah(メシヤの足跡)の中で、黙示録10章8-10節を解説しています。

「そこで、私は御使いの手からその小さな巻き物を取って食べた。すると、それは口には蜜のように甘かった。それを食べてしまうと、私の腹は苦くなった。(黙示10:10)」

To almost all people, prophecy is sweet. Prophetic conferences draw larger audiences than virtually any other kind of conference. The voluminous sale of the more sensational prophecy books is another evidence of how “sweet” Bible prophecy has become to so many people. But if ”sweetness” is all there is, then it is worth little. Every student of prophecy should have the second experience that John had: bitterness in the stomach. A knowledge of things to come should give every believer a burden for people. For the way of escape from these things is the Rapture, and the requirement to qualify for the Rapture is acceptance of Messiah now. A true student of prophecy will not simply stop with the knowledge of things to come. Rather, this knowledge will create the strong burden to preach the gospel to others and thereby give them a way of escape. (Fruchtenbaum, A. G. (2003). The footsteps of the Messiah : A study of the sequence of prophetic events (Rev. ed.) (239). Tustin, CA: Ariel Ministries.)

(意訳:ほとんどの人にとって預言は甘いものである。セミナーの中でも預言セミナーには一番多くの聴衆を集める。センセーショナルな預言の本はとてつもない冊数が売れるが、聖書預言が多くの人にとって「甘い」ことの証左だ。しかし、「甘さ」があるだけではほとんど価値がない。預言を学ぶ者は、ヨハネのように第二の経験をすべきである。つまり「腹の苦さ」だ。後に来る事を知ることによって、信じる者全てに、人々に対する重荷が与えられる。なぜなら、これらの事を免れることのできるのは携挙であり、携挙に与ることのできる資格は、今、メシヤを受け入れることだからだ。真に預言を学ぶ者には、単に、後に来る事を知るだけに留まらず、かえって、他の人たちに福音を宣べ伝える強い重荷が与えられ、福音宣教によって逃れの道を与えることなのである。)

アーノルド氏は日本ではユダヤ的聖書解釈で有名な方ですが、アリエル・ミニストリーズのニュースレターを読めば、私たち日本人キリスト者と全く同じく、たった一人の魂の救いために非常な労苦をされています。彼も「伝道」が第一使命なのです。

その3に続く)

「レフト・ビハインド」と救霊の関係 その1 - 疑問の投稿

「レフト・ビハインド」シリーズの公式サイト(いのちのことば社)

この、終末とキリストの再臨についての小説シリーズが出て久しくなります。日本語訳もあるので読まれた方もずいぶんいらっしゃると思います。ですから詳しく説明するまでもないかと思いますが、本書や終末に関する書籍について考えることをお話したいと思います。

昔ロゴス・ミニストリーに掲示板があった頃、レフト・ビハインドについての疑問を書き込んだ人がいました。「聖書ではなく小説に書いてある終末の流ればかりを人々は追っている。」という懸念です。私は返答に少し困りました。「確かに流行として読んでいくのは間違いだ。けれども、この小説をきっかけにして聖書にある再臨の希望を抱いてくれたら、それほど嬉しいことはない。今の教会にはこの部分が欠けている。」と思っていたからです。

私がここで紹介しているEpicenterの著者ジョエル・ローゼンバーグ氏も、終末についてのフィクション・シリーズを書いて注目を集めました。レフト・ビハインドは主に黙示録の流れに沿って書き、後者はエゼキエル書38,39章を元にして書いています。ローゼンバーグ氏の著書の方は特に、出版後すぐにその通りの事が次々に起こったので、なおさらのこと上の懸念を抱く人がいるかもしれません。

その2に続く)

モリエル・ミニストリーズからのお知らせ

ロゴス・ミニストリーのリンク先の中に「モリエル・ジャパン」というのがあります。ジェイコブ・プラッシュ(Jacob Prasch)師による創立の働きで、ユダヤ的視点による聖書の読み方を提供する方で有名です。今回、セミナー開催のために来日されるというお話を伺いました。

6月18(金) 神戸市立 六甲道勤労市民センター 会議室E 午後5:30~
6月19(土) 神戸市立 六甲道勤労市民センター 会議室E 午後5:30~
6月20(日) (東京)文京区 勤労福祉会館 区民会議室 午後5:30~

以下のリンク先をご覧ください。

セミナー開催のお知らせ(モリエル・ジャパンのブログ)

来日セミナーのパンフレット(pdfファイル)

一年ほど前でしょうか、日本支部の担当の方から連絡をいただきロゴス・ミニストリーの中にある資料を読んで、神学的、信仰的にとても似ていると感銘を受けたというお手紙をいただきました。

ジェイコブ氏には私は実際にお会いしたことはないのですが、お名前は以前から聞いておりました。デービッド・ホーキングが参加する聖書預言セミナーに他のスピーカーとして名を連ねておられます。実際に個人的に知り合いの仲のようです。カルバリーチャペル・コスタメサを本拠地としていたロジャー・オークランド氏とも親交がおありのようで、また、いろいろなカルバリーの教会にも招かれているみたいです。アーノルド・フルクテンバウム師のこともしばしば言及されています。

まずは、パンフレットを開いてご覧ください。「ミドラシュとは何ぞや?」という疑問をもたれた方はぜひおいでください!(こちらの日本語訳に紹介があります。)

ちなみに私は東京の集会に参加するつもりです。

「教会に通っていない方へ」

ロゴス・ミニストリーのメニューの中に、「イエス様を知らない方へ」という欄を設けていますが、ここでの題名は「教会に通っていない方へ」です。

ロゴス・ミニストリーを主にあって始めてからもう少しで13年経ちます。その中で、主の御言葉がこんなにも広がっていくものかと、その恵みに本当に驚いています。「聖書の学び」を利用されている方の多くが、サイトにある情報を単に興味本位で入手しているのではなく、腰を据えてじっくり御言葉に聴きたい人であることをよく知っています。そして、自分の生活が変えられた証しも聞いております。主の御名をほめたたえます。

けれども、一方である課題を感じています。それが、教会まで足を伸ばせない、また、以前は通っていたけれども今は独りで礼拝を守っていることを数多く見聞きしているからです。

そこで、「聖書の学び」の欄に新たに上の題名で文章を加えました。どうぞ読んでください、とても重要な内容です。

http://logos-ministries.org/bibintr.html#kyokai

2010年イスラエル探検

今日からブログを再開します。
まず、お知らせです。

下の記事にありますように、恵比寿バイブル・スタディはあさって5月21日(金)にあります。

そして私(きよきよ)は、5月22日から6月11日までイスラエル・ヨルダン旅行に行ってきます。99年、08年はデービッド・ホーキング師によるものでしたが、今回は、アーノルド・フルクテンバウム博士が団長の聖地旅行に参加します。

Israel Expedition(イスラエル探検)2010

08年の旅行記を読まれた方はご理解すると思いますが、私の聖地をもっと知りたい欲求は増し加わり、単に各所を観るだけのものでは不足を感じました。アーノルド氏のものは研修旅行(Study Tour)で、人数25名に制限されており、大型の観光バスではなく機動性のあるワゴン車で移動するそうです。

そして、一日の旅の終わりにおさらいの講義が一時間あり、次の日の旅のための予習の宿題も出るそうです。これまでここでご紹介したイスラエルについての本も、実は何冊かは事前に読むべき資料として挙げられたものでした。

彼は年も召しておられるから、お元気なうちに付いて行きたいという気持ちがあります。また、将来、主の御心であれば自分が日本の方たちを案内できればという夢を持っています。だから自分自身の準備のために行かせていただきます。

イスラエル・ヨルダンの現地からも、時間の許す限り書き込みたいと思っています。