エジプト・イスラエル旅行記 − 8月12日


 この日から、本格的な聖地旅行です。

 「はじめに」の旅行記でお伝えした旅程は、さっそく変更になりました。イスラエル旅行は日々の動向に流動的ですが、今回も例外に漏れませんでした。ベツレヘムに行けるようになったようです。ベツレヘムはパレスチナ自治区の中にあるので政治的な動向にすぐに左右されますが、無事に行って帰ってくることができました。

新たに決まった日程:
 1.オリーブ山(棕櫚の聖日の道→涙の場→ゲッセマネの園)
 2.鶏鳴教会(大祭司カヤパの家)
 3.ベツレヘム(聖誕教会)

 

 まず、地図による説明をします。前日掲載した地図は右端に、旧市街の左端の城壁がありましたね。この上にある地図は、それが左端にあります。ヨッパ通りのどん詰まりがヨッパ門(Jaffa Gate)です。私たちはクラウンプラザから東に進み、旧市街の北側を通り東エルサレムへ回ります。ここにオリーブ山(Mount of Olives)があります。バスはオリーブ山の頂上辺りにまで来て、私たちは降車し、イエス様が最後の週の日曜日にエルサレムに入城された道を歩きます。そしてゲッセマネの園に行かれる途中で神殿(今はそこに岩のドームが建っている)をご覧になり泣かれた「涙の場」まで山を下ります。さらに下るとゲッセマネの園があります。

 そしてさらに下り、山のふもとにバスが待っていて、そこから、上の地図で言うとDERECH HAOPHELそしてMA'ALE HASHALOMを行き、ペテロが主を三度否定した鶏鳴教会(St.Peterと書いてあるところ)に行きます。


1.オリーブ山

 バスがホテルから東へ走ると、突然、右側一帯にエルサレム全体の景色が見えます。黄金に輝く岩のドームを中心にして、その左下はケデロンの谷、さらに左にオリーブ山、そしてケデロンの谷は向こう側(南の方)でヒノムの谷にぶつかります。エルサレムの景色は私のパソコンの壁紙にもなっていたのでいつも見ている情景でしたが、やはり実際見るのとでは全然違います。バスが走っているおかげで、その地形が動いて見えるのでその立体的な起伏をさらにはっきり把握できます。

 またエルサレムには、独特の雰囲気があります。何度行っても、何か興奮させるものがあります。在イスラエル韓国大使の人が講演の中で、「私は大使館のあるテルアビブからエルサレムに週に二度は行っていましたが、いつもわくわくします。」とおっしゃっていましたが、その通りです。

 オリーブ山の上に降り立ちました。シャーリーが私に、「自分の家に帰ってきたみたいでしょう!」と言いましたが、もちろんうなずきました。オリーブ山は、私たちの信仰にとって核となる主のお働きの舞台です。十字架の受難の始めであるばかりでなく、主がこの山に再臨されて(ゼカリヤ14:4,使徒1:11)、ここから千年王国の神殿に、東門(今の黄金門(Golden Gate))からお入りになられるのです(エゼキエル44:2)。

 オリーブ山の上から降りると、正統派ユダヤ教徒の墓地があります。主がここを通られた当時もこれらの墓の石があったはずです。ダニエル書12章2章にメシヤが来られる時、「地のちりの中に眠っている者のうち、多くの者が目をさます。ある者は永遠のいのちに、ある者はそしりと永遠の忌みに。」とあります。メシヤはオリーブ山に立たれるのですから、この復活にそのままあずかれることを願って、ここに葬られたいと彼らは願っています。今も墓は増えつづけ、墓地は広がっているそうです。

 そして墓石の上には花ではなく小石が置いてあります。異教徒のいわゆる「献花」と区別するためであり、また「花はしおれる」というイザヤ書の御言葉を信じているからだそうです。


棕櫚(しゅろ)の聖日

 ここでデービッドが10分間ぐらいのメッセージをしました。(右の写真をクリックすると音声が聞けます。)箇所はルカ伝19章29-40節です。

オリーブという山のふもとのベテパゲとベタニヤに近づかれたとき、イエスはふたりの弟子を使いに出して、言われた。「向こうの村に行きなさい。そこにはいると、まだだれも乗ったことのない、ろばの子がつないであるのに気がつくでしょう。それをほどいて連れて来なさい。もし、『なぜ、ほどくのか。』と尋ねる人があったら、こう言いなさい。『主がお入用なのです。』」使いに出されたふたりが行って見ると、イエスが話されたとおりであった。彼らがろばの子をほどいていると、その持ち主が、「なぜ、このろばの子をほどくのか。」と彼らに言った。弟子たちは、「主がお入用なのです。」と言った。

そしてふたりは、それをイエスのもとに連れて来た。そして、そのろばの子の上に自分たちの上着を敷いて、イエスをお乗せした。イエスが進んで行かれると、人々は道に自分たちの上着を敷いた。イエスがすでにオリーブ山のふもとに近づかれたとき、弟子たちの群れはみな、自分たちの見たすべての力あるわざのことで、喜んで大声に神を賛美し始め、こう言った。「祝福あれ。主の御名によって来られる王に。天には平和。栄光は、いと高き所に。」

するとパリサイ人のうちのある者たちが、群衆の中から、イエスに向かって、「先生。お弟子たちをしかってください。」と言った。イエスは答えて言われた。「わたしは、あなたがたに言います。もしこの人たちが黙れば、石が叫びます。」

 要約すると、次の通りです。

「二つのことが言えます。第一に、この箇所で聖書の預言が成就したことです。まず、入城されるのにろばに乗ることを選ばれました。これはゼカリヤ書9章9節、「見よ。あなたの王があなたのところに来られる。この方は正しい方で、救いを賜わり、柔和で、ろばに乗られる。それも、雌ろばの子の子ろばに。」が成就するためです。

当時、王が凱旋の入城をする時は白い馬に乗りました。確かに主は再臨の時、黙示録19章の通り白い馬に乗られます。けれども、この時はろばに乗られました。なぜでしょう?一つに、ゼカリヤ書にあるように謙遜を表していたからです。もう一つ、ろばは荷を負うために使われていたからです。主は、私たちの重荷を担われるからです(詩篇55篇、1ペテロ5:7)。

そして重荷を担うことについて、水汲みの時に肩に棒をかけて水を運びますね。私たちの主は、全世界をご自分の肩にお載せになりました(イザヤ9章)。

そして聖書の成就について続けて話しますと、民は上着を道に敷きました。棕櫚の木の枝を取りました。これは過越の祭りではなく仮庵の祭りの時に行ないます。これは喜びの時です。なぜなら、私たちはもはや天幕には住まず、メシヤが永遠に統べ治める神の国に入ることができるからです。

上着を敷くのは、この方が王であることを認めたからです。エフーが王になった時、これをしました(2列王9:13)。そして、この枝を敷くことについて詩篇118篇を彼らは引用しました。この預言は過越節のことに関するからです。「これは、主が設けられた日である。この日を楽しみ喜ぼう。(24節) 」これは今日のことではなく、家を建てる者たちが礎の石を捨てるその日です。メシヤが受け入れられず、ご自分の人々のために死なれることを表していました。

この日を彼らは喜んでいましたが、こう言ったのです。「ホサナ、ホサナ!主の御名によって来られる方に。(マタイ21:9参照)」これは過越の祭りの時期に、レビ人らがみな職を果たして、ずっと歌っていた箇所です。ハレルの歌と呼びますが、詩篇113篇から118篇までです。

このように聖書の預言が成就しましたが、それだけでなく、第二に、人々は神をほめたたえました。その理由は、ルカ19章27節に「
自分たちが見たすべての力あるわざのことで」とあります。どの力あるわざをもってでしょうか?イエス様が、ベタニヤでラザロをよみがえらせたその御業です。ヨハネがそれが理由であると教えています(ヨハネ12:9)。死者をよみがえらせるなら、この方がイスラエルのメシヤに違いない、ということです。

パリサイ人はかちんと来ました。そこで主は、「もしこの人たちが黙れば、石が叫びます。」と言われました。この「石が叫ぶ」というのは、イスラエルのどの石でも叫ぶ、という意味であるとする牧師さんたちがいます。イスラエルには石がごろごろありますから。けれども、どの石からでも、という意味ではありませんでした。この正統派ユダヤ教徒の墓を通り過ぎられるとき、この言葉をお語りになったのです。これは復活のことを意味し、全世界が主の御名をほめたたえることを意味していました。

すばらしいことがここで起こりました。そしてこれから、特異な状況における主の感情と情熱を見ることになります。」


涙の場

 そして私たちは主がオリーブ山を下られる同じ道を歩いていきます。細くて非常に急な坂です。すぐに右に入りました、次は「涙の場」と呼ばれているところに行きますが、その前に「イナゴマメ(carob)」という木があって、その実はアメリカでチョコレートの原料になっているそうです。そのままでも食べられるそうで、イスラエル中に生えているとのことです。確かに後でいろいろなところでこの木を見ました。また実を食べてみると、確かに甘いです。

 そしてこの敷地内に、初代教会時の、イエス様を信じるユダヤ人の墓が健在しています。さらに、茨の木もありました。これは「キリストの茨」という別称が付けられています。

 ここには「涙の教会」があります。教会の建物の形そのものが涙になっています。イエス様が群集から「ホサナ」という称賛をお受けになった後、少し降りてきたこの場所で涙を流されながら、ご覧になられていた場所です。私はこの場所が好きです。当時の神殿の様子をすぐに想起できるからです。後日エルサレムの町の模型を見ますが、弟子たちが感動していたように、すばらしく輝く神殿でした

 ここから黄金門がほぼ正面に見えますが、それが神殿の入口である東門です。実際の東門は12,3メートル下にあるそうです。けれども掘り起こすことができません。なぜなら、東壁に沿ってイスラム教徒の墓地があるからです。デービッドによると、メシヤが来られても、死体による汚れから東門に行かれるのを阻止することができるようにそこに墓地を設けた、ということです。(何ていう宗教なんでしょう・・・汗)

 彼が再びここからメッセージをします。(右の写真をクリックしてください。音声が始まります。)

エルサレムに近くなったころ、都を見られたイエスは、その都のために泣いて、言われた。「おまえも、もし、この日のうちに、平和のことを知っていたのなら。しかし今は、そのことがおまえの目から隠されている。やがておまえの敵が、おまえに対して塁を築き、回りを取り巻き、四方から攻め寄せ、そしておまえとその中の子どもたちを地にたたきつけ、おまえの中で、一つの石もほかの石の上に積まれたままでは残されない日が、やって来る。それはおまえが、神の訪れの時を知らなかったからだ。」(ルカ19:41-44)

イザヤ書53章に、「(彼は)悲しみの人で病を知っていた。(3節)」とあります。弟子たちは滑稽なことを言っていましたが、イエス様は笑いませんでした。これから起こることをご存知だったからです。ですから、この涙そのものが、これもまた聖書の預言なのです。ヘブル5章7節に、「(キリストは)自分を死から救うことのできる方に向かって、大きな叫び声と涙とをもって祈りと願いをささげ」とあります。

ラジオで、ある牧師が、イエス様は十字架を避けるように願う祈りをささげたと言っていましたが、英語だけ読むからそうなるのです。いいえ、イエス様は死ぬために来られたのです。ギリシヤ語では「から(from)」は「(死の中から)外に(out of)」となっています。これは復活を指している言葉です。なぜなら、「そしてその敬虔のゆえに聞き入れられました。」とあるからです。祈りは聞き入れられ、確かに復活されました。

涙について四つのことを取り上げたいと思います。第一に、彼らが望んでいた、そしてイエス様も望まれていた「平和」が、彼らの目から隠されていることです。ここに来る度に私は、現在も同じだと感じます。イスラエルは平和への強迫観念から、実に愚かなことをします。最近も、何百人のテロリストと引き換えに2体の死体が帰ってきました。

私たちの目からも、平和が離れていることはもしやないでしょうか。イエス様は言われました。「わたしは、あなたがたに平安を残します。わたしは、あなたがたにわたしの平安を与えます。わたしがあなたがたに与えるのは、世が与えるのとは違います。あなたがたは心を騒がしてはなりません。恐れてはなりません。(ヨハネ14:27)」私たちは、主との平和が必要です。この方が真の平安をお与えになります。

第二に、彼らが迫害に遭うことです。弟子たちはイエス様の言葉を聞いて驚いたことでしょう。けれども前にこう言われていました。「世がわたしを憎んだのだから、あなたがたをも憎むのです。(ヨハネ15:18参照)」わたしを迫害するならあなたがたをも迫害する、と。迫害を避けるための諺で、「何も言わず、何も行なわず、何者にもならない。」というのがあります。けれども、ひどい迫害を彼らは受けました。

第三に、間もなく、エルサレムの町と神殿そのものが略奪され、一つの石もほかの石の上に積まれたままで残らないと予告されました。

そして第四に、彼らの問題は、「神の訪れの時を知らなかった」ことにあります。これは私たちの時にも当てはまるのです。私たちは、その日、その時がいつであるかは知りません(マタイ24:36)。イエス様は、時を知らなかった他の人たちについて触れられていますが、洪水に遭った人たちです(マタイ24:37‐42)。ノアとその家族は、その具体的な期日を知っていました。誰が知らなかったかというと、洪水に遭った人たちです。学者らによると、当時何十億の人が洪水前にいたと言われていますが、その時を知らず命を失いました。主は、洪水の事を患難期と関連させ、また紀元70年のローマ軍によるエルサレム破壊にも結び付けられたのです。

だから主が言われているのは、聖書が何と言っているのかあなたがたは勉強していない、ということなのです。今日がそうなのではないでしょうか?聖書預言を学ぶ教会が少ないです。私たちは、いつこれらの事が起こるのか知らなければならないのです。「主は、その日、その時がいつなのか知らないと言われたが、あなたは月や年だったら知っているとでも言うのか。」と言う人がいるかもしれません。ユダヤ人はこれが一つの言い回しで、あなたは何も知らないという意味であることを知っています。

私たちに主が、このことを言われていないことを願います。食べたり、飲んだり、娶ったり、嫁いだり、日常の雑事を行なっていて、主が仰られたことを考える時間がないのです。時間を取り、それを覚えることが必要です。

 そしてこの後で、エリザベスさんが歌をうたいました。「私のために傷を受けられた、あの十字架で」という歌詞です。上の音声ファイルの最後の部分で聞くことができます。


ゲッセマネの園

 一度、この教会の敷地を出て、再び先ほどの坂道を下ります。そしてふもとに近づいたところでゲッセマネの園があります。オリーブ山には今はオリーブの木が植わっていませんが、ここには保存されています。しかも、主が当時おられた時にも存在していた長寿の木もあるのです(右の写真)。

 私たちは、泣きながら祈っている先のグループと、儀式的なミサを持つ後のグループに挟まれて、再び小メッセージを聞きました。(右の写真をクリックしてください、音声が聞けます。)

先に私たちはイエス様の涙を見ましたが、ここはさらに苦しみもだえられて、汗が血のしずくのように血に落ちました。

そして、賛美の歌を歌ってから、みなでオリーブ山へ出かけて行った。イエスは、弟子たちに言われた。「あなたがたはみな、つまずきます。『わたしが羊飼いを打つ。すると、羊は散り散りになる。』と書いてありますから。しかしわたしは、よみがえってから、あなたがたより先に、ガリラヤへ行きます。」すると、ペテロがイエスに言った。「たとい全部の者がつまずいても、私はつまずきません。」後でカヤパの家に行きますが、そこでペテロがここで言ったことを覚えます。イエスは彼に言われた。「まことに、あなたに告げます。あなたは、きょう、今夜、鶏が二度鳴く前に、わたしを知らないと三度言います。」ペテロは力を込めて言い張った。「たとい、ごいっしょに死ななければならないとしても、私は、あなたを知らないなどとは決して申しません。」みなの者もそう言った。

ゲツセマネという所に来て、イエスは弟子たちに言われた。「わたしが祈る間、ここにすわっていなさい。」・・・オリーブ圧搾機という意味です・・・ そして、ペテロ、ヤコブ、ヨハネをいっしょに連れて行かれた。イエスは深く恐れもだえ始められた。 そして彼らに言われた。「わたしは悲しみのあまり死ぬほどです。ここを離れないで、目をさましていなさい。」 それから、イエスは少し進んで行って、地面にひれ伏し、もしできることなら、この時が自分から過ぎ去るようにと祈り、 またこう言われた。「アバ、父よ。あなたにおできにならないことはありません。どうぞ、この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしの願うことではなく、あなたのみこころのままを、なさってください。」 それから、イエスは戻って来て、彼らの眠っているのを見つけ、ペテロに言われた。「シモン。眠っているのか。一時間でも目を覚ましていることができなかったのか。 誘惑に陥らないように、目を覚まして、祈り続けなさい。心は燃えていても、肉体は弱いのです。」 イエスは再び離れて行き、前と同じことばで祈られた。 そして、また戻って来て、ご覧になると、彼らは眠っていた。ひどく眠けがさしていたのである。彼らは、イエスにどう言ってよいか、わからなかった。 イエスは三度目に来て、彼らに言われた。「まだ眠って休んでいるのですか。もう十分です。時が来ました。見なさい。人の子は罪人たちの手に渡されます。 立ちなさい。さあ、行くのです。見なさい。わたしを裏切る者が近づきました。」

そしてすぐ、イエスがまだ話しておられるうちに、十二弟子のひとりのユダが現われた。剣や棒を手にした群衆もいっしょであった。群衆はみな、祭司長、律法学者、長老たちから差し向けられたものであった。 イエスを裏切る者は、彼らと前もって次のような合図を決めておいた。「私が口づけをするのが、その人だ。その人をつかまえて、しっかりと引いて行くのだ。」 それで、彼はやって来るとすぐに、イエスに近寄って、「先生。」と言って、口づけした。 すると人々は、イエスに手をかけて捕えた。 そのとき、イエスのそばに立っていたひとり・・・彼はペテロです・・・が、剣を抜いて大祭司のしもべに撃ちかかり、その耳を切り落とした。 イエスは彼らに向かって言われた。「まるで強盗にでも向かうように、剣や棒を持ってわたしを捕えに来たのですか。 わたしは毎日、宮であなたがたといっしょにいて、教えていたのに、あなたがたは、わたしを捕えなかったのです。しかし、こうなったのは聖書のことばが実現するためです。」 すると、みながイエスを見捨てて、逃げてしまった。 ある青年が、素はだに亜麻布を一枚まとったままで、イエスについて行ったところ、人々は彼を捕えようとした。 すると、彼は亜麻布を脱ぎ捨てて、はだかで逃げた。

彼らがイエスを大祭司のところに連れて行くと、祭司長、長老、律法学者たちがみな、集まって来た。(以上マルコ14:26-53)
後でそこに行きます。

第一に、ペテロの約束が、いかに自分のことが分かっていないかを表しています。私たちは自分が何をするか、どう反応するか分かっていると思っています。でも分かっていないのです、エレミヤ17章9節に「人の心は何よりも陰険で、それは直らない。だれが、それを知ることができよう。」とあります。他の人のこともわかりません、だから他の人の動機を裁いてはいけないのです。

第二に、イエス様の祈りは、私たちのために神に服従されたことの重要性を表しています。この方が願われたのは何なのでしょうか?福音書すべてを合わせると、その杯は苦しみの杯であることが分かります。イエス様は、ご自分がこの世に来られたときにお取りになられたこの肉体がどのように苦しむのかをご存知でした。この苦しみを取り除けてくださるようにお願いされたのです。死ではなく苦しみを、です。ヘブル5章7,9節にそれがはっきり表れています。

そしてペテロは手紙の中で、この苦しみは私たちの模範であることを話しました(1ペテロ2:21-24)。私たちは、自分の願うことではなく、あなたのみこころのままをなさってください、という意味を理解する時があります。誰でも自分は神の御心を知っていると思っています。でも実際は何も知らないのです。ある若者が、「私は若い牧師です。ハワイに行くべきか、カンザスに行くべきか、主の御心を知りたいのです。」という電話をしてきました。何も知りません。また、あまり気にかけないですが、はっきりと御心であることが記されているものもあります。「すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。(1テサロニケ5:18)

私たちは、自分の願っていることを行なってしまうのです。願っていることを祈り、他の人が終わりに「アーメン」と言ってさえしてくれれば、それが神の御心だと思うのです。冗談でしょう?もし使徒パウロがそのような態度であったなら、現在私たちの手に新約聖書はなかったのです。彼は、人々が神の御心であると思っていたことに反して動かなければいけませんでした。神が何と仰っていたか彼は分かっていたのです。

第三に、イスカリオテのユダとユダヤ人の指導者の企みは、一貫性がなく矛盾だらけでした。列挙しますと、イスカリオテのユダの中にそれがあり、群集にもそれがありませんでした。また、ペテロ自身にもなく、弟子たちにもありませんでした。彼らはみな、主を見捨てて逃げてしまいました。そしてある青年もそうでした。人々が彼を捕えようとしたところ、亜麻布を脱ぎ捨て、裸で逃げました。この青年は誰でしょう。習慣的に特に聖書を記す時は、著者は自分のことを言及する時、名前で呼びませんでした。マルコのことを言っているのでしょう。

数多くの矛盾、言動不一致があるのですが、次に行くカヤパの家でそれを数多く見ます。私はそこの場所が好きですが、楽しいからではありません。そこは拷問の部屋があるところです。けれども、そこは私たちがいかに自分自身のことが分かっていないかを教えてくれます。

この同じ弟子たちが、使徒行伝5章で酷く打ち叩かれています。この仕打ちを受ける人のほとんどは死にました。けれどもカヤパの家を出て神殿の丘に戻り、イエス・キリストを教え、宣べるのを止めませんでした。そして語ってはならないと脅されても、私たちはまだ行なうと答えたのです。どこで線引きをすれば良いでしょうか?聖書に「人に従うより、神に従うべきです。(使徒5:29)」とあります。この言葉は、このゲッセマネの園から始まったのです。


鶏鳴教会へ

 そしてゲッセマネの園を歩き通り過ぎると、そこに「万民教会」があります。そこを少し見学した後、オリーブ山の一番下まで坂を降りバスに乗り込みました。次は主が捕らえられて連れて行かれた、カヤパの家に行きます。その遺跡のところに鶏鳴教会があります。イスラエルには伝承的な場所と考古学的に正確な場所の二つがありますが、ここは正確にその位置を確かめられる所だそうです。

 ケデロンの谷を渡り、今度は神殿の丘の下にある通りを走ります。ここから私たちが歩いてきたオリーブ山を眺めることができます。右手にユダヤ人墓地が見えますね、そしてその左横に涙の教会があります。そして金色に輝くドームの教会は、マグダリヤのマリヤ教会といいます。

 そして鶏鳴教会に到着します。ここは旧市街の城壁の外側にありますが、まだ丘です。ヘロデ神殿当時のエルサレムは、ここの辺りまで、左横にあるダビデの墓も含めて城壁の中にありました。その下、つまり南がそのままヒノムの谷になっています。

 この教会はカトリックが運営していますが、比較的新しく造られたものでとても新しく、きれいです。建物のてっぺんには十字架の他に鶏のマークが、そして鐘は三度ずつ鳴らします。すべてペテロが三度イエス様を否定した時に、鶏が鳴いたことを思い出すためのものです。まず、教会の中でデービッドからメッセージを聞きました。

 地下に、ユダヤ議会で裁いた者たちを抑留する所があります。被疑者に対してむち打ちもします。主は、ローマによってむち打たれる前に、すでにこの場所で暴行をお受けになっていたのです。そしてそこから出ると、当時の階段がありケデロンの谷沿いの道が神殿の入口につながっています。そしてその神殿の北側にアントニオ要塞があり、そこでピラトによる裁判を主が受けられた、ということです。

 右の写真はその拷問の場所です。そこをクリックすれば音声が始まります。

イスラエルで見る教会などの建物の多くが、ヘレナが勝手に決めたものですが、これは今でも英国福音派の団体が運営している園の墓と並んで、真正性があるところです。今でこそカトリックのフランシスコ会の教会が建っていますが、カヤパの家の上に建っているのです。

その根拠の一つは、ケデロンの谷に至る古代ローマの階段が外にあるからです。石のいくつかは、ローマに持っていかれました。今でも、その石があり、人々が接吻したりしています。イエス様がゲッセマネの園から縛られて、ここまで連れてこられました。

さらに、拷問の場所があります。主ご自身だけでなく、使徒たちも鞭打ちを受けました。そして穴があります。そこに主が抑留されていました。

その拷問の部屋には、柱があり、ちょうど馬小屋の飼い葉おけがその間に置かれるような形になっていますが、その間に両腕、両足を柱に縛りつけ、大の字に囚人を広げた形でむちを打ちます。

混同していただきたくなのは、これはローマ人が主に与えた鞭打ちではないことです。それはアントニア要塞のところで行なわれます。

イエスをつかまえた人たちは、イエスを大祭司カヤパのところへ連れて行った。そこには、律法学者、長老たちが集まっていた。

ローマ時代の一世紀のサンヘドリン(ユダヤ人議会)は、傀儡でした。今で言うユダヤ教正統派にはブルメイという議会が他にありました。九世紀にどれが霊感を受けた聖書なのかを定めたのです。一番時間がかかったのは雅歌でした。

サンヘドリンは、ローマの傀儡であり、イエス様は異邦人、つまりローマ人がご自分を十字架につけるとおっしゃいました。だからユダヤ人を「イエス殺し」というのは間違いなのです。

このサンヘドリンは死刑を宣告しましたが、今は死刑を執行できないことがわかっています。ユダヤ人は石打ちの刑を持っていましたが、ローマがそれを許しませんでした。

そこで行なわれたことは不法行為ばかりでした。

しかし、ペテロも遠くからイエスのあとをつけながら、大祭司の中庭まではいって行き、成り行きを見ようと役人たちといっしょにすわった。

この「遠く」というのは地理的な距離であることは分かっています。けれども、それ以上の意味を見ます。主に触れた人が、遠くから主に従うことがあります。

さて、祭司長たちと全議会は、イエスを死刑にするために、イエスを訴える偽証を求めていた。偽証者がたくさん出て来たが、証拠はつかめなかった。しかし、最後にふたりの者が進み出て、言った。「この人は、『わたしは神の神殿をこわして、それを三日のうちに建て直せる。』と言いました。」そこで、大祭司は立ち上がってイエスに言った。「何も答えないのですか。この人たちが、あなたに不利な証言をしていますが、これはどうなのですか。」しかし、イエスは黙っておられた。


これはイザヤ53章の成就です。「口を開かなかった」というところです。

それで、大祭司はイエスに言った。「私は、生ける神によって、あなたに命じます。あなたは神の子キリストなのか、どうか。その答えを言いなさい。」イエスは彼に言われた。「あなたの言うとおりです。なお、あなたがたに言っておきますが、今からのち、人の子が、力ある方の右の座に着き、天の雲に乗って来るのを、あなたがたは見ることになります。」すると、大祭司は、自分の衣を引き裂いて言った。「神への冒涜だ。これでもまだ、証人が必要でしょうか。あなたがたは、今、神をけがすことばを聞いたのです。どう考えますか。」彼らは答えて、「彼は死刑に当たる。」と言った。

ユダヤ人は、メシヤは神の御子ではないと教えました。イスラム教徒も、岩のドームに「神には御子はいない」と教えているようにです。けれどもユダヤ人の聖書で、神の創造について話した後に「その名は何か、その子の名は何か。あなたは確かに知っている。(箴言30:4)」と言っています。詩篇2篇、メシヤ詩篇においても、父なる神が子に語っています。「御子に口づけせよ(12節)」とまで言っているのです。

そうして、彼らはイエスの顔につばきをかけ、こぶしでなぐりつけ、また、他の者たちは、イエスを平手で打って、こう言った。「当ててみろ。キリスト。あなたを打ったのはだれか。」ペテロが外の中庭にすわっていると、女中のひとりが来て言った。「あなたも、ガリラヤ人イエスといっしょにいましたね。」しかし、ペテロはみなの前でそれを打ち消して、「何を言っているのか、私にはわからない。」と言った。そして、ペテロが入口まで出て行くと、ほかの女中が、彼を見て、そこにいる人々に言った。「この人はナザレ人イエスといっしょでした。」それで、ペテロは、またもそれを打ち消し、誓って、「そんな人は知らない。」と言った。しばらくすると、そのあたりに立っている人々がペテロに近寄って来て、「確かに、あなたもあの仲間だ。ことばのなまりではっきりわかる。」と言った。すると彼は、「そんな人は知らない。」と言って、のろいをかけて誓い始めた。するとすぐに、鶏が鳴いた。そこでペテロは、「鶏が鳴く前に三度、あなたは、わたしを知らないと言います。」とイエスの言われたあのことばを思い出した。そうして、彼は出て行って、激しく泣いた。(マタイの福音書26:57-75)


他の福音書では、「
主が振り向いてペテロを見つめられた。(ルカ22:61)」とあります。

 そしてその抑留の場所は、むち打ち所の隣に抑留の穴があります。そして詩篇にこのことを預言した、受難のメシヤ詩篇があります。詩篇88篇です。

主、私の救いの神。私は昼は、叫び、夜は、あなたの御前にいます。
私の祈りがあなたの御前に届きますように。どうか、あなたの耳を私の叫びに傾けてください。
私のたましいは、悩みに満ち、私のいのちは、よみに触れていますから。
私はに下る者とともに数えられ、力のない者のようになっています。
死人の中でも見放され、墓の中に横たわる殺された者のようになっています。あなたは彼らをもはや覚えてはおられません。彼らはあなたの御手から断ち切られています。
あなたは私を最も深い穴に置いておられます。そこは暗い所、深い淵です。
あなたの激しい憤りが私の上にとどまり、あなたのすべての波であなたは私を悩ましておられます。セラ
あなたは私の親友を私から遠ざけ、私を彼らの忌みきらう者とされました。私は閉じ込められて、出て行くことができません。
私の目は悩みによって衰えています。主よ。私は日ごとにあなたを呼び求めています。あなたに向かって私の両手を差し伸ばしています。
あなたは死人のために奇しいわざを行なわれるでしょうか。亡霊が起き上がって、あなたをほめたたえるでしょうか。セラ
あなたの恵みが墓の中で宣べられましょうか、あなたの真実が滅びの中で。
あなたの奇しいわざが、やみの中で知られるでしょうか、あなたの義が忘却の地で。
しかし、主よ。この私は、あなたに叫んでいます。朝明けに、私の祈りはあなたのところに届きます。
主よ。なぜ、私のたましいを拒み、私に御顔を隠されるのですか。
私は若いころから悩み、そして死にひんしています。私はあなたの恐ろしさに耐えてきて、心が乱れています。
あなたの燃える怒りが私の上を越え、あなたからの恐怖が私を滅ぼし尽くしました。
これらが日夜、大水のように私を囲み、私を全く取り巻いてしまいました。
あなたは私から愛する者や友を遠ざけてしまわれました。私の知人たちは暗い所にいます。

 「私の親友」とある言葉はイスカリオテのユダのことを表しています。ダビデの時はアヒトフェルでしたが。なぜ彼があんなにもダビデを憎んだのか、系図を見ると彼はバテ・シェバの祖父だからだ、という可能性をデービッドは指摘しました。ダビデの罪によって起こったことをダビデが話している中で、神は罪なき方の境遇をお語りになりました。イスカリオテのユダこそが暗闇にいます。彼は滅びの子であり、天国ではなく地獄にいます(ヨハネ17:12)。

 この場所を出た後に、先に言及した主が、ピラトのもとに連れて行かれる時に歩かれた道の上を歩きました。この石段は当時そのままのものですから、イエス様が歩かれた道をまさに歩いたわけです。

 そしてこの道から、主は明日旅行する、エルサレム西壁のアーチまでの道を歩き、そして後日行く西壁トンネルで見る西壁沿いの道を歩き、そしてこれまた後日行く、北壁に敷設してあるピラト総督のアントニア要塞に到着します。この、ジグゾーパズルの一片一片を埋めていくような頭の旅に、皆さんも参加してください!

 そして私たちはバスに戻り、ベツレヘムに向かいました。

 (その2へ続く)