エジプト・イスラエル旅行記 − 8月19日その2

これまでの旅程

 1.ガムラ 2.カツリン 3.シリヤとの国境

4.ピリポ・カイザリヤ

 私たちはさらに北に進みました。イスラエルの北端にヘルモン山があります。そこから流れる雪解け水が集まって泉となり、これがヨルダン川の主な水源の一つとなっています。現在ここは「バニアス」と呼ばれています。バニアスは、ギリシヤ語の「パニアス」をアラブ人が発音して訛ったもので、パニアスは「パンの町」という意味です。つまり、ギリシヤ神話に基づく偶像崇拝の中心地です。
 パンあるいはパーンは、ヤギの角と足を有する森林・牧人・家畜の神です。パニック(混乱)はこの神の名前から来ています。戦闘において敵に混乱を生じる神として崇められていました。そして彼は、エコーという神を好きになりましたが振られました。そしてエコーをずたずたに切り裂き、いろいろな所に埋めました。そのため、山の中で大声を上げるとエコー(こだま)がするという神話です。

 紀元前20年に、アウグストスがヘロデ大王にこの地域を与えました。ヘロデは、自分の保護者アウグストスのために水源となっている洞穴の近くに宮を建てました。ヘロデの死後、息子ヘロデ・ピリポが領主となりここを首都としました。皇帝カエザルに恩恵を示すために、この町を「ピリポ・カイザリヤ」としたのです。

 ですから、ここは今でも生々しい偶像崇拝の跡が残っています。アウグストスの宮の他に、いけにえを葬り投げた洞穴(動物だけでなく人間も投げ入れたそうです)パンとニンフ(森林や川に棲む少女姿の精)の廟堂と壁龕(へきがん)、ゼウスの宮、それから神聖なヤギの踊り場がどがあります。その壁の窪みには、今は偶像は安置されていません。当時の姿の絵は、こちらをクリックしてください。

 古代エジプトの偶像も凄かったですが、ギリシヤとローマも負けていません。

 けれどもここを私たちにとって特別な場所にしているのは、もちろんイエス様が、弟子たちに、「あなたがたは、わたしをだれだと言いますか。」と聞かれたからです。
さて、ピリポ・カイザリヤの地方に行かれたとき、イエスは弟子たちに尋ねて言われた。「人々は人の子をだれだと言っていますか。」 彼らは言った。「バプテスマのヨハネだと言う人もあり、エリヤだと言う人もあります。またほかの人たちはエレミヤだとか、また預言者のひとりだとも言っています。」 イエスは彼らに言われた。「あなたがたは、わたしをだれだと言いますか。」 シモン・ペテロが答えて言った。「あなたは、生ける神の御子キリストです。」 するとイエスは、彼に答えて言われた。「バルヨナ・シモン。あなたは幸いです。このことをあなたに明らかに示したのは人間ではなく、天にいますわたしの父です。 ではわたしもあなたに言います。あなたはペテロです。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てます。ハデスの門もそれには打ち勝てません。(マタイ16:13-18)
 おどろおどろしい偶像がいっぱいある中で、「あなたは、生ける神の御子キリストです」という告白は非常に新鮮であり強烈です。日本に住む兄弟姉妹も、ペテロと同じ告白を絶えずしているわけです。

 そしてもう一つ気づいたことは、イエス様はあえて、「ユダヤ人が非常に少ないところで、ご自分の正体を明かされた」という点です。この後マタイ16章19節に、「そのとき、イエスは、ご自分がキリストであることをだれにも言ってはならない、と弟子たちを戒められた。」とあります。1)ユダヤ人にはメシヤに対するあらゆる期待があり、その多くが実際とはずれていた。2)定められた時の前に、ユダヤ人によって殺される危険があった。この二つの理由で、主はご自分がキリストであることを、非常に慎重に、人を選んで明かしておられます。NETのサイトがこのことに言及しています。また私も以前にエッセイを書きました。

 では、デービッドのメッセージをまとめます。箇所は上と同じマタイ16章13節からです。(音声はこちら

ここは最も大事な聖書の箇所の一つですが、教会の中で大きな論争があります。「この岩の上にわたしの教会を建てます。」という御言葉です。ヘルモン山のこの岩を、私たちはここで見ることができます。そこにパーンにささげられた神殿があります。ギリシヤ語で「パーン」は「凡て」です。汎神論(pantheism)はここから来ています。神がすべてのものの中にいる、という考えです。その中でイエス様が、「あなたがたは、わたしをだれだと言いますか。」と聞かれたのです。

ペテロは、「あなたは、生ける神の御子キリストです。」と言いました。そしてイエス様は、「あなたはペテロです。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てます。」と言われました。(デービッドは自分の前に転がっている、小さな石を手に取りました。)ペトロスは、手で投げることができる小石です。これがペテロです。けれども、「このペトラの上に」と主は言われました。主は、その言葉の形態を変えられたのです。ヘルモン山のふもとの土台が、ペトラなのです。動かすことのできない岩です。ですから、イエス様は、ペテロの告白である「あなたは、生ける神の御子です。」を岩であるとおっしゃっていました。この岩の上に、エクレシア、わたしの教会を建てると言われました。

そして「ハデスの門もそれには打ち勝ちません。」と言われました。ハデスは死ぬことを意味します(黙示6:8)。つまり、あなたが死んでも、教会はこれっぽっちも影響しないことを意味します。真の教会は天国で集まっているからです。死ぬことによって、主とともにいることになります(ピリピ1:23)。

カトリックは「ペテロの上に教会を建てる」とし、カトリック主義の体系がすべてこの考えに基づいているのです。けれども告白の上に成り立っています。

今日、宗教界において最も大きな話題は何でしょう?「誰がメシヤか?」です。ユダヤ教のウェブサイトでは、これが一番大きな争点です。イスラム教のウェブサイトでもそうです。イラン大統領アフマディーネジャードは、昨年国連演説にて誰がメシヤなのかについて、説教者のごとく話したのです。「メシヤは第13番目のムフティであり、2008年秋に来られ、ユダヤ人とクリスチャンをみな殺される。」と言いました。悲しきかな、彼は本当にこれを信じているのです。今インドでは、知っている限り千人以上の人が自分はメシヤだと言っています。アメリカにも何人かいます。コレシュとか「天国への門」とか文鮮明だとか。

ヘブル語では、メシヤは「油注がれた者」という意味です。聖書では39回使われています。七十人訳では「クリストス」というギリシヤ語で訳しています。新約聖書の「キリスト」は、このギリシヤ語から来ています。新約だけでも514回出てきます。これは、実際のメシヤ以外にも使われていることがあります。イザヤ45章、クロスに対して使われていますが、彼はメシヤのようにユダヤ人をエルサレムに帰還し、神殿を再建するのを許したからです。二回だけ、このように実際のメシヤ以外に使われています。ダニエル書では、メシヤが断たれるとあります(9:26)。

ですから、誰がメシヤなのか?聖書には、ペテロが言いましたが「イエスがメシヤだ」です。イエス様は、これにわたしの教会を建てますと言われました。

エホバの証人などは、主はご自分をメシヤだと呼んだことはないと言います。主はサマリヤの女に、自分がメシヤだと明かされました(ヨハネ4:25-26)。生まれつきの盲人が癒されてから言いました(ヨハネ9章)。ラザロが復活する時のマルタはどうですか?「私は、あなたがキリストであることを知っております。(ヨハネ11:27参照)」と言いました。

そして、ペテロはイエス様をメシヤだと言った後で、非常に賛否両論を招くことを言いました。「神の御子」です。イスラム教は神には子はいないと言っていますが、メシヤは信じているのです。メシヤは神の御子でしょうか、ペテロによるとそうです。イエス様はそれを正しませんでした。

聖書には、至る所にメシヤが神の御子であることが書かれています。ユダヤ人指導者らが、このことによってイエス様を冒涜の罪を犯していると責めたのです。ユダヤ教のラビと、メシヤがいかに神の御子である得るかについて議論したことがあります。

ギリシヤ語で「子」を表す言葉がいくつかありますか、生まれたばかりのブレフォスは「神の子」には使われていません。二歳までの子、テクノスも使われていません。小学生のような子供であるパイス(パイディア)も使われていません。ニアノコス?という十代の子を表す言葉も使われていません。「フイオス」が使われています。これは相続者という意味です。詩篇二篇を読むとき、「わたしに求めよ。わたしは国々をあなたへのゆずりとして与え(8節)」とあります。そして続けて読むと、「御子に口づけせよ。(12節)」とあります。

この質問をしましょう。あなたは、新生するためにはイエス様が神の子であると信じなければいけませんか?もちろん信じなければいけません。ヨハネ20章31節に、「これらのことが書かれたのは、イエスが神の子キリストであることを、あなたがたが信じるため、また、あなたがたが信じて、イエスの御名によっていのちを得るためである。」とあります。

神の子というのは、神から誕生したという意味でしょうか?いいえ。年齢的に「子」と言っているのでしょうか?いいえ。これは、「全てのものの約束の相続者」という意味です。そして私たちが信じることによって、キリストの共同相続人になります(ローマ8:17)。

神には子がいます。箴言30章4節に天地創造について書いてありますが、「その名は何か、その子の名は何か。あなたは確かに知っている。」とあります。友人のラビと話し合っていた時、彼は驚きました。「こんなに単純に書いてあることを、これまでヘブル語聖書をずっと読んできたのに、見ることができなかったなんて。」誕生によるのではなく、年齢によるのではなく、御父との関係による子です。全ての相続者です。御父がすべての源であられ、それを全て御子にお与えになりました。

カイザリヤ・ピリポの神の名前は何ですか?「パーン(凡て)」ですね。パウロがメシヤについて、「キリストがすべてであり、すべてのうちにおられるのです。(コロサイ3:1)」と言いました。彼の言いたいことは、この方だけで必要十分であり、この方によって私たちは一つになり、この方が私たちの内におられるということです。キリストは石の中にいるのでしょうか?いいえ、ご自分が創造された物と同じにするのは異教です。キリストは罪から離れたということで聖であられますが、創造物からも聖であられ、別たれております。木や岩や植物を一緒にしないでください。アメリカの環境保護論者に新しい形の異教が導入されています。主は、すべてのものの上におられる方です。すべてのものより偉大な方です。

イエス様は言われました。「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。(ヨハネ14:6)」ピリポは、「なら父を見せてください、そうすれば満足します。」と言いました。イエス様は言われました。「わたしを見た者は、父を見たのです。(9節)」ヨハネ10章で、ユダヤ人はイエス様を石打ちにしようとしました。それは主が、「わたしと父は一つです。(30節)」と言われたからです。クリスチャン・サイエンスの人は、「それは目的において一つ、ということです。」と答えますが、目的が一致しているというだけで、石打にしようとはしません。イエス様が、ご自分を神と等しくされたからです(33節)。

イエス様は神でしょうか?数多くの宗教は、神ではないと言います。「神の子」でしょう?と言います。エホバの証人は、イエスは自分を神と呼ばなかったと言います。ヨハネ1章1節、「初めに、ことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。」エホバの証人は、「神の前に定冠詞がないから、これはa godだ。」と言います(注:つまり、創造主としての神ではなく、神々の一つ)。けれども、ギリシヤ語ではもしそこに定冠詞を置いたら、いろいろな神々の一つだということを補強することになります。けれども聖書では、ほかに神はいないのです。そしてメシヤがその神なのです。

もしこの方が神でなければ、私たちを救うことはできません。もし良い人で罪を犯していなかったならば、一人の人は救えたでしょう。もし神でなかったら、私たち全ての代わりにどうやって死ねるのでしょうか?コリント第二5章18節に、「神は、キリストによって、私たちをご自分と和解させ」とあります(注:英語ではGod in Christ reconciled...となっており、「キリストにある神は、私たちをご自分と和解させ」の意味になっています)。

ヨハネ1章14節には、「ことばは肉となり」とあります。肉体を取られる前にも存在していた、永遠の御子なのです。ペテロも、「私たちは、キリストの威光の目撃者」と言いました(2ペテロ1:16)。人間にはない属性、例えば永遠、全能、全知、偏在など全てが、イエス様のご性質として語られています。水の上を歩かれたその力、人を癒される能力、この方は神なのです。ヘブル1章で引用されている詩篇45篇の言葉は、御父が御子に対して、「神よ。あなたの御座は世々限りなく、・・・」と言われたのです。御父がイエス様を神と呼ばれたのです。黙示録で、ヨハネが御使いを拝もうとした時、彼はヨハネに「神を拝みなさい。」と言いました(19:10)。けれども、主イエスを礼拝することを聖書は教えているのです。

つまりこの方は神か、あるいは聖書が空想話だかけなのかのどちらかなのです。この方が神でなければ、救いはないのです。テトス2章13節に、キリストの再臨について、「祝福された望み、すなわち、大いなる神であり私たちの救い主であるキリスト・イエスの栄光ある現われ」とあります。宗教の世界では否定するのですが、聖書では何度も言っているのです、ヨハネ第一5章には、「この方こそ、まことの神、永遠のいのちです。(20節)」とあります。御父も神ですが、神はひとりです。

「神が人となる」とはどういうことでしょう?地面の蟻と私がどうやれば意思疎通ができるでしょうか。蟻になればいいのです。創造された方が、被造物と、ご自身が被造物になることによって意思疎通ができるのです。これが、聖書に何度も出てくることです。「この方以外には、だれによっても救いはありません。世界中でこの御名のほかには、私たちが救われるべき名としては、どのような名も、人間に与えられていないからです。(使徒4:12)

これを他の人に話したいと思いませんか。ロシア人のガイドの人が、私を35年前モスクワに案内しました。彼女は一度もイエスという名前を聞いたことがありませんでした。七ヶ国語を話し、モスクワ大学院を卒業した人です。レーニンの墓を見学したいか尋ねて来ました。長い列を私は見ました。今日はそれほど多くなく一万人だとのことです。何時間かかるのか聞いたら、6時間だけでしょうと言います。「レーニンの墓を見るのに、6時間も待って見たいとのでいうのですか?」「それがお望みだと思ったのですが。」「いや、見たくないね。」「どうして?」「だって死んでいるじゃないですか!」「だから?」「私が信じている人は死んでおらず、生きていますから。」「なるほど、新しい空想めいた宗教の事ですね。」

イエス様の話を全然聞いたことのないこの人に、三日かけて話しました。彼女はイエス様に心を明け渡しました。彼女は涙を流しながらこう言いました、「なんで、これを信じている人たちは、私たちにこのことを伝えてくれないのですか?」と。これは世界で聞くもっとも素晴らしい話ですよ、なぜ私たちは伝えないのでしょうか?この方は罪を赦し、永遠のいのちを与えます。人間の肉における神です。すべての相続者です。神の御子であり、メシヤであり、唯一の希望です。「地の果てのすべての者よ。わたしを仰ぎ見て救われよ。わたしが神である。ほかにはいない。(イザヤ45:22)

 こんなにしっかりと、信仰の柱の柱を聞くことができて幸いでした。


テル・ダン

 そして私たちは、キリアト・シュモナという町にあるキブツのレストランで昼食を、再びデービッドのおごりで取ることになりますが、本当は最初の旅程にあった、テル・ダンに連れて行ってほしかったと今でも思います。バニアスから目と鼻の先です。そこはレバノンとの国境に非常に近いところにあり、イスラエルとレバノンの関係について知りたかったし、そして何よりも、カナン人の町ライシュからアッシリヤ捕囚までの長いイスラエル北部の歴史をそこで見ることができます。ということで、サイトを見て読むだけの、バーチャル旅行記を書き記したいと思います。

 ここは、バニアスと並ぶヨルダン川水源の一つです。緑にも優れたこの地域は、地形的に他の人の住むところと隣接することなく、自分たちだけでのうのうと暮らしていけるような所でした。
五人の(ダン)の者は進んで行って、ライシュに着き、そこの住民を見ると、彼らは安らかに住んでおり、シドン人のならわしに従って、平穏で安心しきっていた。この地には足りないものは何もなく、押えつける者もなかった。彼らはシドン人から遠く離れており、そのうえ、だれとも交渉がなかった。 (士師記18:7)
 ここにダン族が攻め入って、彼らを殺し、町を焼きました。(彼らはもともとベテ・シャメシュの西の辺りに割り当て地を持っていましたが、土地が小さかったのか、新たな土地を探していたのです。)ここに自分たちの町を築いたので、今度はダンが次のような部族になることが預言されています。
ダンはおのれの民をさばくであろう。イスラエルのほかの部族のように。ダンは、道のかたわらの蛇、小道のほとりのまむしとなって、馬のかかとをかむ。 それゆえ、乗る者はうしろに落ちる。(創世49:16-17)
 他のイスラエルの部族と関わりが少なく、その地域に誰かが来たらすぐに攻撃するという、孤立的な、そして自立的な生活を営んでいました。

 先ほど引用した士師記の箇所の前後を読んでみてください。霊的に非常に混乱していたイスラエルの状況が鮮明に描かれていますが、ダンは、エフライム族のミカが持っていた偶像を奪い取り、それからミカ個人のお雇い祭司を買収して、ライシュの町を占領しています。イスラエルであるにも関わらず、初めから偶像礼拝で始まった町だったのです。

 そして、時をソロモンが死んだ後に飛ばします。北イスラエルがユダから離れ、自分たちにはヤロブアムを王として立てました。そして、ヤロブアムは、エルサレムに主を礼拝するイスラエルの人々の心がいつかユダになびくことを恐れて、北イスラエルの北端ダンと南端べテルに金の子牛を置いて、そこで主を礼拝するように呼びかけたのです。このダンの祭壇が、このデル・ダンで発掘されています。

 そして北イスラエルがアッシリヤによって滅んだ後、ユダのヨシヤは宗教改革を断行しました。高き所にある偶像をことごとく壊していきましたが、「(町の)門にあった高き所をこわした。(2列王23:8)」とあります。町の門のところに当時は長老たちが座り、行政的な働きを行なっていましたが、そこに偶像礼拝の祠があったわけです。

 これら諸々の「イスラエルでありながら、カナン人の偶像礼拝とならわしをずっと続けてきた町」の姿を、私たちは遺跡の中ではっきりと見ることができます。

1)ライシュの町

 まず、カナン人のライシュの町の姿ですが、円形になっている石の塁壁がこの遺跡群を取り囲んでいます。時代ははるか遡って紀元前18世紀のものです。非常にしっかりとして、確かに平穏で安心しきることができるような造りに見えます。

 それから当時のアーチの門も見つかっています。アブラハムがロトとその家族、親類を取り戻すとき、ダンまで追跡しましたが(創世14:14)、この門を見ていたかもしれません。

2)ダンの町

 ダンの町の中にあった、が見つかっています。これはここの町だけでなく、聖書に出てくる「町の門」と呼ばれる、長老たちが座るところがどのようであったかを見ることができるところです(例:サムエル第二19:8、ルツ4:1-2)。かしらが着座するための台があり、その横に長いすがあります。長老たちが座るためのものでしょう。そしてその横に「立ち石」というのが五つあります。これがヨシュアがことごとく壊していった「門にあった高き所」であり、お役所にある祠みたいなものです。ヨシュアは北イスラエルまで来ましたが、ダンにまでは至らなかったようです。そして、門を入るとジグザグに歩きます。部屋の中を通っているのです。そして全体の形はL字形になっています。

 そしてここで、アラム語で書かれた石碑が見つかっています。紀元前8-9世紀のもので、ちょうどシリヤがイスラエルと戦っていた時のものです(1列王15:20)。そこに、「ヨラム、ダビデの家アハズヤ」という言葉が書かれています。シリヤの王ハザエルが、南北連合のこの二人の王を倒しました(2列王8:7-15, 28; 9:24-29;2歴代22:5)。

 そして、門から少し歩いて、穀物保管のためのもあります。これは上ガリラヤ地方にはないものであり、都市型のユダヤ地方の文化にむしろ合っているものだそうです。ダンがここに居留地を作っていた証拠の一つです。

3)ヤロブアムが建てた「高き所」

 ダン族も高き所を建てていましたが、それを一大修復したのが、北イスラエルの初代の王ヤロブアムです。これが鮮やかに残っています。背景はレバノンの山地であり、北を向いています。わかりますか、エルサレムと反対の方向を向いて礼拝させたのです。それだけ政治的な意図のある所でした。

 ざっとこんな感じです。


フラの谷

 私たちはゴラン高原から降りて来ると、そこは再び、南北に伸びるシリア・アフリカ地溝の地帯に戻ります。西はナフタリの山々、東はゴラン高原に挟まれた長細いフラの谷が出てきます。ここから「上ガリラヤ」と呼ばれます。

 ここも豊かな農地です。いや、豊かな農地にすべく大掛かりな灌漑事業を行なったので有名なのがこの地域です。沼地だらけだったところに帰還民の開拓民が入り、多くの人がマラリヤで死にました。1950年代に大掛かりな排水を行ない、農地に仕立て上げました。けれども大きな問題が出てきました。世界の他の所でも起こっている生態系の破壊です。たかが沼地ですがされど沼地です。土壌がかえって貧弱になってしまったそうです。そこでイスラエル政府は途中で方針を変え、水が半分氾濫させるがままにさせ、非常に浅いフラ湖が広がっています。そのため、ここがイスラエルで鳥の格好の生息地になり、バードウォッチャーの集まるところとなっています。

 そして聖書的には、ここは「メロム」と呼ばれています。
これらの王たちはみな、相集まり、進んで来て、イスラエルと戦うために、メロムの水のあたりに一つになって陣を敷いた。(ヨシュア11:5)
 ここのヨシュア記の箇所は、エルサレム、ヘブロンなど南の地方で勝利を収めるイスラエルに脅威を抱いて、北の王たちが集まってきた文脈の中であります。そのまとめ役がハツォルの王です。ここも、非常に大事な考古学的発掘がなされている町なので、後でサイバー旅行(?)をしてみたいと思います。


デービッドと昼食

 私たちはキブツのレストランに入り、昼食を取りました。デービッドとジョン・シャーリーご夫婦と同じテーブルで食べました。私の皿の上にのっかっていたつみれみたいな形の食べ物を見て、「これはマツァ・ボールか?」とデービッドは私に聞きました。私は咄嗟に「そうだと思う」と答えてしまったのが運のつきで、彼も取って来て食べたら、「全然違うじゃないか。」とずっと言われてしまいました。奥さんのキャロルは、いつもマツァ・ボールを作ってくれるのだこと。

 とにかく彼は食べるものに気をつけています。糖尿病だからです。自己流の食事療法で何とか対処しているらしいですが、本当に彼の健康が守られるよう祈らされます。歩いていても、何か辛そうです。

 彼は体の鍛錬について、一定の考えを持っています。チャックもそうですが、過度の運動に非常に疑問を抱いています。アメリカでは、行き過ぎたダイエットやエクササイズについてしばしば耳にしますが、デービッドはその渦中にいたそうです。ウェイトリフティング等かなり鍛えたようなのですが、その結果、筋肉が消耗しきって損傷が生じてしまったのこと。デイブ・ハント氏も過度の運動に対して警鐘を鳴らしているそうで、彼自身がその被害者だからです。

 僕は逆に運動不足なので、気をつけなければいけないと思っていますが・・・(汗)。この旅行に出る直前に、コンピューターの前で長時間座っていたため、生まれて初めて腰痛を経験しました。整骨院でマッサージをしてもらい、何とかエジプト行きの飛行機に乗ることができた次第です。今は、腰痛体操を寝る前に敢行しています。

 そして、なんで今回は夏の旅行になったのか聞いたところ、学校の先生や学生など行くことができるようにしたとのこと。でも次回は10月に戻すと言っていました。私も本当にそう思います、イスラエルは夏は来ない方がいいです。とにかく暑いです。だから行動も緩慢になったり、見学も早めに切り上げたりなりがちで、効率が悪くなります。春か秋が良いでしょう、ただシーズンなので飛行機代もホテル代も高いですが。


ハツォル

 そして私たちは90番線をさらに南下し、ガリラヤ湖方面に向かっています。その途中、右側にテル(丘状遺跡)がありますが、これが考古学発掘の宝庫、世界遺産にも指定されているハツォルです。ここは、明日訪れるメギドと非常に似たテルで、1)古代、カナン人の町として栄えたところ、2)イスラエルが占領し、ソロモンが要塞の町としたところ、という特徴があります。

 ヨシュアがハツォルの王を倒したとき、「ハツォルは以前、これらすべての王国の首都(あるいは盟主)だったからである。(11:10)」とあります。古代エジプト文明の始まりと同じく、紀元前3000年頃からの町の跡があります。事実、ここは南はエジプト、北は古代バビロンをつなぐ主要道路に沿ったところにあり、古代から栄えていたのです。ですからここには、カナン人の偶像の宮殿などが見つかっています。宮殿には焼かれた跡が残っているのですが、ヨシュア記に「彼(ヨシュア)は、ハツォルを火で焼いた(11:11)」とあるとおりです。他にもたくさんありますが、その後の時代の遺跡が上にかぶさっているため、あまり目立ちません。

 聖書には、ソロモンが「ハツォルとメギドとゲゼルを建設した(1列王9:9)」とあります。例えば、ダンの町と同じく部屋付きがあります。その他、二重の壁など。

 さらにその後、イスラエルの王が建てたものも残っていて、アハブ王が作った巨大な貯水庫が見つかっています。とても深く、中に入ることができます。ここら辺も、明日訪れるメギドと非常に似ています。それから、見張り台も見つかっています。アッシリヤによって滅ぼされました。この見張り台の向こうに「高き所」も見えます。柱が残っている倉庫もあります。あと、復元された紀元前8世紀頃のオリーブ圧搾機もあるみたいです。

 とにかく写真で見る限りは(いや、実際に見たとしても)、カナン人の時代、ソロモンの時代、その後のイスラエルの姿などが重層的に積み上がっているので、当時の姿を把握するのが難しそうです。


コラジン

 私たちはさらに南下し、バスはガリラヤ湖を前方に見ながら坂道を下ります。その途中で、コラジンの町を見ました。地図で見ると、コラジンの町とカペナウム、そしてベツサイダを線で結ぶと逆三角形になります。主が多くの教えを垂れ、奇蹟を行なわれた、「伝道の三角地帯」と呼ばれています。前も言及しましたが、イエス様はこの三つの町に呪いを語られています。
それから、イエスは、数々の力あるわざの行なわれた町々が悔い改めなかったので、責め始められた。「ああコラジン。ああベツサイダ。おまえたちのうちで行なわれた力あるわざが、もしもツロとシドンで行なわれたのだったら、彼らはとうの昔に荒布をまとい、灰をかぶって悔い改めていたことだろう。 しかし、そのツロとシドンのほうが、おまえたちに言うが、さばきの日には、まだおまえたちよりは罰が軽いのだ。カペナウム。どうしておまえが天に上げられることがありえよう。ハデスに落とされるのだ。おまえの中でなされた力あるわざが、もしもソドムでなされたのだったら、ソドムはきょうまで残っていたことだろう。 しかし、そのソドムの地のほうが、おまえたちに言うが、さばきの日には、まだおまえよりは罰が軽いのだ。」(マタイ11:20-24)
 バスから眺めるコラジンの風景は、玄武岩が積み重なった廃墟そのものです。ここにはシナゴーグ浸礼槽などが残っています。シナゴーグは、カペナウムよりも当時一世紀の様子をもっとはっきり見られるみたいです。

 ツィポリでもカペナウムでも思ったのですが、当時のガリラヤ式のシナゴーグは、(適切な言葉が出てこなくて誤解を生みそうですが)「可愛さ」があります。寸法が小さく、描かれている絵も子供の絵本に出てきそうなタッチです。

 そしてすごいのが「モーセの座」が残っていることです。イエス様が、パリサイ人と律法学者にこう言われましたね。
律法学者、パリサイ人たちは、モーセの座を占めています。ですから、彼らがあなたがたに言うことはみな、行ない、守りなさい。けれども、彼らの行ないをまねてはいけません。彼らは言うことは言うが、実行しないからです。 (マタイ23:2-3)
 この遺跡もまた通り過ぎただけなので、私は、「もう一度来たい!!」という気持ちが募るばかりです。


5.プールサイドでの夕食

 こうしてゴラン高原+上ガリラヤの旅からホテルに帰ってきました。

 結構ボリュームのある昼食なのに、夜はホテルでバーベキューの夕食だということです。食べられるかなと不安でしたが、それで私はその前にプールに入りました。ガリラヤ湖そのものは午後5時以降ライフガードがいなくなるので駄目だと言われてしまい、数分入っただけでした。

 外での夕食はとても楽しかったのです。いろいろな種類の食事が出ました。パンはいつものピータの他に、ドルーズ人が作る焼きパンを食べることができました。

 その他の写真もご覧ください。こんな感じの食事が出てきます。→ その1その2その3その4

 今回はツアーメンバーのご夫婦と食事を取りましたが、お二人はこの旅行の次にエジプトに五日間の旅行をするそうです。私たちがエジプトから来たという話を聞いていたようで、質問されました。とにかく、「カイロは暑い。おまけにエアコンが無い。」ことを強調しました。幸いなことに、五つ星のホテルを予約しているそうです。エジプトでは五つ星でなければ、四つ星でも一つ星でもどこでも同じで、エアコンが壊れていたりすると聞いていますから、「それは賢い選択ですよ。」と言っておきました。