イスラエル旅行記 10月10-11日

 シャローム!今回のイスラエル旅行記は、10日と11日の2日分を紹介したいと思います。

 この旅行記を書いているときに、これからイスラエル旅行に行こうと考えておられる方に、「下準備はされましたか?」と聞かれました。私の答えは、「聖書を読んだだけで、他はとくにしませんでした。けれども、旅行のあとに、いろいろ調べています。」と言うものでした。旅行の後のほうが、イスラエルのことをもっと深く知りたいと願うようになっています。先日、教会に来られている方が、「ユダヤ人の歴史(上巻・下巻)」ポール・ジョンソン著(徳間書店)を貸してくださいました。ユダヤ人の歴史全般を網羅している、上下巻合わせて千ページ以上に及ぶものです。読み始めて、内容がどんどん吸収されていきます。もし旅行に行かなければ、書いてあることがよく理解できなかったかもしれません。

 10日と11日の旅程は次のとおりです。

10日 ホテル→エン・ゲディ→マサダ→エイラット(エラテ)のホテル
11日 エジプトの国境沿いを少し北上→ホテルなどで自由行動

 この二日間、特に11日は、旅行の半ば休みの日でした。


死海で海水浴

 10日、私は目覚し時計もなかったのに朝早く起きることができました。夜ねるときに、私が早朝に死海に行くことをジェレミーに告げると、「じゃあ、僕を起こして。」と言いました。彼を起こし、そして、今度はブライアンを起こしに、彼の部屋に行きました。彼はすでに水着姿になっていましたが、プールに入るつもりだったのです。私は、死海にいくように誘い、三人はハイヤットのプライベートビーチへと向かいました。

 そこには、もう何人かの先客がいました。一人の婦人が、死海への入り方、浮き方を指導してくださいました。けっこうテクニックが必要です。でも、一度浮いてしまうと、ほんとうに楽!あごがひりひりする。ひげをそったばかりだったんです。ジェレミーもブライアンも、たいそう喜んでいました。私は優雅に、一時間近く浮かんでいました。空気はきれいだし、砂漠の山が目の前に見え、ほんとうに最高でした。イスラエル版の温泉、というところでしょうか?

 水からあがったら、すぐにシャワーをあびなければいけません(海水のミネラル分を落とすためです)。シャワーをあびて、朝食を取り、9時にバスに乗りました。それから肌は、4,5日すべすべでした。

 ところで、イスラエルの食事について、ファラフェル以外は紹介していませんでした。私は、アビグドールにイスラエル人が食べるものを聞きました。ホテルに出てくるものでは、多少違うと思ったからです。彼によると、イスラエル人は、野菜をたくさん食べます。(それもそのはず、野菜がめちゃくちゃ安い!エルサレムのスーパーマーケットでは、キャベツ一個がたしか、30円ぐらいしかしませんでした。)そして、チーズとヨーグルト(ホテルにはいろいろな種類のチーズがありました)。そして、魚をときどき食べて(これもビュッフェにあった)、肉なら鶏肉を食べます。私たちの感覚からしても、非常に健康的な食生活ですね。


エン・ゲディにて

 最初の目的地はエン・ゲディです。ここは、もちろん、ダビデがサウルの手を逃れて、隠れていたところであります。「谷川の流れを慕いあえぐ鹿のように、神よ。私のたましいはあなたを慕いあえぎます。」というダビデの詩のように、ここは、水と滝と、鹿や鳥がいる憩いの場です。この日は日曜日です。私たちはエン・ゲディに着くと、木陰の場所で、礼拝を行ないました。アカペラの賛美と、そして証しを何人かの人にしてもらい、それからデービッドがメッセージをしました。録音したテープを聞くと、鳥のさえずりも聞こえます。聖書個所は、詩篇57篇と、今引用しました詩篇42篇です。テーマは、落胆して、落ち込んでいるとき、であります。

 落胆と落ち込みは、もし主に振り向くなら、すばらしいものに変わります。神は、落胆をとおして私たちが他の人を慰めることができるようにし、また落胆のなかにあって、主との一対一との関係を深めることができます。たった独りだけになることは必要なのです。また、「慕いあえぐ」とありますが、この深い関係への探求も、落胆しているからこそ出てくるのです。…詩篇を朗読しているとき、ここに書かれてあることが、文字通りである表現が多いことに気づきました。鹿はもちろんのこと、「御翼(57:1)」もそうです。「獅子の中にいます。(57:4)」も文字通りだそうです。「わが巌(42:9)」なんかも、岩がいろいろあります。

 そして、私たちは滝へハイキングに出かけました。滝は数段あり、私は下から3つ目の滝のところまで登りました(右の写真)。ここまで来ると、たしかに喉が渇きます。鹿もそうなのでしょう。滝の水を飲んで、しばらくそこにいました。ユダヤ人の高校生らしきグループがやって来ました。楽しく和気あいあいとしています。私は彼らのことをずっと観察していましたが、あちら側も東洋人はめずらしいのか、それとも日本人だと分かったからなのか、私のほうを見ています。滝から降りて、一人の男の子が私に向かって空手をしているようなジェスチャーをしたから、私もやり返しました。そうしたら、大爆笑しています。なんと、けな気な!

 ふと気づいたのですが、機関銃を持っている人がいました。アビグドールがこのことを説明してくれましたが、以前、テロリストが高校生たちを狙撃した事件があったので、このように課外活動をしているときは、ボディーガードが一人つくそうです。途中で鹿を発見したので、写真に収めてバスに戻りました。


マサダにて

 次の目的地は、マサダです。マサダは、もともとヘロデが建てた離宮であり要塞でした。(ヘロデの要塞は、もう一つ、エルサレムの南にあるヘロディウムというのがあります。エルサレムに行ったときに、そっちも訪れましたが、ヘロデはその生涯、一度もその二つを利用せずに死にました。)頂上が平坦になっている山のところに、風呂場、貯水槽、食糧庫などがある建物を作りました。(右の写真は、当時の要塞の模型です。)

 彼は、ここに来る事もなく死にましたが、エルサレムが紀元70年にローマによって倒されてから、ユダヤ人がここに2年間以上篭城しました。ローマ軍が入ってきたとき、ごく少数の女と子どもを除き、みなが自決していたのです。これは、エルサレム陥落を祝うローマ人にとって、これはあってはならない歴史であり、彼らの歴史ではもみ消しにされています。ここは、祖国を失ったユダヤ人にとって、象徴的な場所であり、“Masada shall never fall again.”(マサダは、二度と陥落させない。)という合言葉があります。

 地球の歩き方には、マサダの地形を「高い山の上をスパッと切ったような菱形の大地」と表現していますが、その通りで、そこまで行くのにロープウェイがありました。そして、上からは、非常にきれいな砂漠と死海の景色を見ることができます。

 ここでデービッドがメッセージをしましたが、テープレコーダーを持って行くのを忘れ、その要約は書けません。けれども、聖書個所は、エゼキエル37章からです。エゼキエルが、谷間にある干からびた骨の幻を見ました。それに預言すると、主がその骨に肉を与えました。そして、再び預言すると、今度は息が入って、彼らが生き返ったという預言ですが、これは、イスラエルが再興することを示しています。

 今、私たちはマサダ要塞のシナゴーグの跡地で、このデービッドのメッセージを聞いていますが、20世紀、この土地がイスラエルのものとなってから、このシナゴーグから巻物が発見されました。それが、このエゼキエル37章だったのです!ユダヤ人がマサダで篭城しているとき、自分たちは滅んでも、また復興すると信じていました。このことを聞いたとき、私は身震いがして、恐れさえ感じます。神のみことばは生きていて、決してむなしくかえることはないのだ、と。そして、神の預言はそのとおり実現するのであり、人間の私的解釈によって歪めてはならないと。

 ある聖書教師は、主イエスを信じていない今のイスラエルの状態は、エゼキエル37章においては、肉は付いているが、まだ息が吹き込まれていない状態であると解釈しますが、私もそうだと思っています。デービッドは言いました。「もしイスラエルが滅んでいたら、私たちの救いもないのです。」つまり、神はイスラエルを決して見捨てない約束を与えてくださった。同じみことばによって、私たちの救いの約束を与えてくださっている。エレミヤ書31章の預言によると、異邦人に及んだ新しい契約は、イスラエルが決して絶えることがないという約束に基づいているのです。だから、私たちクリスチャンすべてが、イスラエルについて無関心でいることはできないのです。


最南端の町エイラットへ

 私たちはここで昼食を取りましたが、ここで今日の観光地は終わりです。なぜなら、次の目的地が、はるか南の、いやイスラエルの最南端のエイラットだからです。最北端のゴラン高原から死海までの距離と同じくらいの距離をこれから走らなければいけません。けれども、さほど退屈しませんでした。やはり、砂漠の壮大な景色、また、イスラエルの民が40年の旅をしたところのシナイ砂漠を走るからです。

 死海を右に見ながら南下していきました。ミネラル物質を精製する工場を多く見かけました。死海は、イスラエル産業にとって欠かすことのできない海だそうです。そして、私たちはソドムを通りました。そこには、ロトの妻の塩の柱と言われているものがいくつもありますが、チャックの話しによると、当然ながらどれも信憑性がないそうです。でも、そのような柱があり、また、左には、ほとんどが塩で出来ている塩山が連なっていました。

 しだいに死海ともお別れし、再びヨルダン国境の近くを走りました。このような砂漠にも、ときどきキブツを見かけます。これが私には、いつも驚きでした。トイレ休憩で止まった売店には、たくさんの若者がたむろしていました。イスラエル兵士もたくさんいます。私は、この観光で若者ばかりを見ていたので、それはなぜかアビグドールに聞きました。答えは簡単で、大人は町中にある職場と家の往復の生活である反面、若者は大学への通学などで外に出ることが多いこと、そして、兵士は家に戻ったりしているから、とのことでした。イスラエルに行くと、たくさんの兵士がヒッチハイクをしています。

 …あと、イスラエル人は日本人に負けず劣らず、たばこをたくさん吸います。売店はたばこの煙が立ち込めていました。アメリカ生活で慣れてしまった私は、日本に戻って、レストランなどにいると、タバコの煙のせいで、どんどん頭痛がしてきます。みなさんは、どうですか?

 日も沈み、7時になったころにエイラットに近づきました。左手には、ヨルダンの町アカバがあります。ネオンが輝いていました。そして、エイラットに着きましたが、ここはまさに、イスラエルのラスベガスです。(ラスベガスには実際に行ったことはありませんが。)ただ、ギャンブルはないとのことです。ホテルの目の前に空港があり、街の中に飛行機が突っ込んで来るんじゃないのか、と思わせる近さでした。

 夕食を取りました。ハワイに長いあいだ住んでいたご夫婦と席をいっしょにしていましたが、自分たちが行っていた教会は、日本の姉妹教会のために日々祈り、支えていたとのことです。私が開拓をしていることを知って、そこに行くことは日本人であっても「宣教」であること、だからどのようにして召されたのかなどを聞いてきました。アメリカに比べると、非常に困難な状況を話すと、「それは試練ではなくて、訓練よね。」とおっしゃってくださいました。とても的を得ています。このように、このツアーの兄弟姉妹から、とても霊的な洞察やコメント、また祈りをしてもらいました。


フリーの時間

 次の日11日は、フリーです。ただ午前中に、エジブト国境沿いの道路を少し北上しました。まったく異なる石によってできた山が連なっており、ある山は赤色、ある山は白色であり、とてもめずらしい光景でした。

 そして、エジプト国境線のところで、シナイ砂漠を背景にして写真を取りました。ちょうどそこに、パトロール中のイスラエル軍のジープが来ていたので、アメリカ人の仲間は励ましなのか、ひやかしなのか分からない事を話しかけていました。そのフォローのためか、あるアメリカ人は、「変なアメリカ人(crazy Americans)でごめんね。」などと言っていましたが、私がアメリカにいて本当に楽しかったのは、だれもがコメディアンのようにギャグをかましていたことです。彼らの動脈と静脈にエンターテイメント球が流れているのでしょう(?)。私も、ジープに乗って写真を撮ったりしました。

 フェンスの向こう側には、エジプト軍の兵士もいました。後で聞いたのですが、彼はアメリカ人にタバコをくれとせがんでいたそうです。…おっと、大事なことを言うのを忘れましたが、そこはシナイ砂漠、まさにモーセとイスラエルの民が旅したところであり、歴史的な土地であります。

 そしてエイラットに戻りました。 − エイラットも、歴史的には、ソロモン王朝のときに貿易地として栄えたところ、シェバ女王を迎えた港であります。 −水族館に行くかどうかのオプションが与えられて、私は行くことにしました。その途中に、たくさんの車が並んでいるのを見ました。日本車です。紅海のアカバ湾と通ったエイラット港が、もっとも近い航路だからです。

 水族館そのものは、ちょっとちんけでした。でも海はきれいです。珊瑚がたくさんあります。ここで、エン・ゲディで出会った高校生とまた出会ってしまいました。あっ、そういえば、他にもイスラエルの高校生が、歴史的名所を訪れているのを見ましたが、それはもちろん、ユダヤ民族としての意識を保たせるために他なりません。彼らは卒業したら、すぐに兵役に付きます。だから、こうしたフィールド・トリップが大切なのです。

 そしてホテルに戻りましたが、目の前にビーチがあるので泳ぎに行きました。カリフォルニアのビーチとあまり変わらない雰囲気でした。でも、私がもっとも感動したのは、このビーチから、なんと四つの国を見ることができることです。サウジアラビア、ヨルダン、もちろんイスラエル、そしてエジプトです。

 しばらくビーチにたたずんだあと、ホテルのプールサイドに行きました。ブライアンをはじめ、ツアーの仲間たちが座って、何か話しています。交わり、というところでしょうか、私もお交じりさせていただきました。論題は、「教会には、独身のいる場がない。」とのことでした。結婚していないことが不自然にみなされる雰囲気があるとのことですが、私はずっと沈黙を守っていました。でも、「牧師なんだから、Kiyoも何か意見を言ってよ!」と言われたので、僕はみんなと変わりない兄弟だよ、と心の中で思いながら、こう言いました。

 「アメリカでは、特定のグループの必要を満たすために、いろいろなグループが教会の中に存在すべきであると私は習った。けれども、日本に戻って、そんなことを言ってられない現実を知った。人数が少ないのだから。たぶん、アメリカでは、教会が、主に対して奉仕することではなく、逆に奉仕されることを求めるような傾向があるのではないか。」そうしたら、みなさん大いに同意していました。

 私は、彼らが本当に霊的だなあと思います。聖書の原則について正しい知識を持っており、信仰の一致を見ることができるからです。日本においては、私たちが肉的とは言いませんが、そうした基本的なことろでの一致よりも、形の一致が求められている風があります。

 そして夕食を取り、ジェレミーといっしょに夜のビーチを歩きました。近くのショッピングセンターにも行きましたが、ほんとアメリカや日本のそれと変わりません。SEGAをたくさん置いているゲームセンターなんかには、なんと、日本語の表示があるマシンがありました。日本からの輸入品でしょう。

 私は、浜辺を歩きながら − ジェレミーには申し訳ないのですが、− 彼が私の奥さんだったら、なんとロマンチックなデートスポットだろうと思いながら、ビーチに座って二人で語り合いました。でも、彼との会話は楽しかったです。彼の通っている教会は、私の先輩にも当たるリッチが牧会しているところですから。開拓4年目です。いろいろな苦労があり、共感できるようなことがたくさんありました。

 こうしてゆっくりとした時間を過ごし、また翌日からの旅が始まります。翌日は、一気に北上し、終着地点であるエルサレムへと向かいます!

(次回に続く)