イスラエル旅行記 10月8日

 シャローム!ふたたびきよきよです。イスラエル旅行の続きですが、今回は8日の記録を紹介させていただきます。

 10月8日の旅程は下記のとおりです。

8日 ホテル→Galilee Experience(メシアニック・ジューのお店)にて映画鑑賞→タブガ→(山上の垂訓の山)→カペナウム→エイン・ゲブから船に乗り、テベリヤに向かう→ヨルダン川で洗礼式→ホテル

 この日は、純粋にガリラヤ湖ツアーでした。


テベリヤのホテル街

 前回お話しましたように、私たちが泊まっていたホテルのすぐそばに、GalileeExperience(ガリラヤ体験)というお店があります。ツアーの最初の目的地は、ここでした。私たちはまず、200人程度収容できると思われる場所で、映画を見ました。その前にマネージャーの方からあいさつがありました。そこが、メシアニック会衆(つまり、ユダヤ人クリスチャンたちが多くいる教会)であったことを知りました。彼は、「主は、このような戦略的な場に私たちを導いてくださった。」と言っていましたが、ほんとうです、ホテルが立ち並んでいるところの水際のショッピング地域に、大きく看板を掲げてお店を開いているのですから。そして、彼によると、これから見る映画は伝道目的であり、大ぜいのイスラエル人がこの映画を見たことについて、主をほめたたえていました。

 そして映画の内容ですが、文字通りガリラヤを体験してもらおうとするものです。ガリラヤで歴史上、何が起こったかを説明します。アブラハムがロトを救出するために、この地域まで追跡したところから始まり、ガリラヤ地方で起こった聖書の歴史を、写真や絵画などでナレーション付きで辿っていきます。イエスさまの生涯は詳細に描かれていました。それから、紀元70年にユダヤ人が祖国を離れなければならなくなったあとの歴史も描き、イスラエルが建国された現代にまで及びます。…実に感動しました。ガリラヤを描くこんなすばらしいフィルムは、おそらく他にはないであろうと思いました。そしてもちろん、イエスさまのみことばも散りばめられています。

 映画を見終わったら、お店でショッピングです。私は、先ほどのフィルムが店頭にビデオになっているのを見て、買いました。すると、なんと日本語にもなっているような表示がされているではありませんか!そこで、私はマネージャーの方に尋ねましたら、フォルムは日本語になっているが、まだビデオにはなっていない、とのことでした。私は出来あがったらぜひ欲しい、とお願いしました最近、日本のツアーグループが来たようで、ある人は涙を流して感動していた、とおっしゃっていました。また、お店に、ガリラヤ地方の地図で、聖書の出来事を細かく記したものがあり、これは凄いと思ったら、これはフィルムの内容を地図の上に記したものでした。これも、私は購入しました。

 みなさんも、ガリラヤに行かれましたら、Galilee Experienceに行き、そのフィルムをご覧になられることをお勧めします。ウェブサイトもあります。http://www.TheGalileeExperience.comです。

 私は、その日に、エドに薦められていた本を買いました。“with Jesus through Galilee according to the fifth Gospel ” (by Bargil Pixner)と、“LIVING IN THE TIME OF JESUS OF NAZARETH” (by Peter Connolly)です。今、前書を読んでいますが、福音書の個々の出来事が一つなぎになり、ガリラヤ地域のイエスさまの宣教が浮き出てくるような本です。この本は、他の多くのお店でもたくさん見かけました。


タブガ − ペテロの召命地

 そして、バスに乗って、テベリヤからガリラヤ湖畔を北上します。最初の到着地は、タブガです。その名前は聖書には出て来ないと思いますが、Peter’s Primacy(ペテロの首位権)と呼ばれているところで、ペテロや他の弟子たちが、もっとも頻繁に活動していた場所の一つであります。ルカ5:1、マタイ14:13、ヨハネ21:1-14などは、この場所で起こりました。ここにカトリックの教会がありますが、その近くの木陰で、まずエドが、ガリラヤについてのメッセージをしました。

 「ガリラヤ地方について言えることは、第一に、共観福音書は時間を追って書かれていないことです。第二に、一つのメッセージが、繰り返し説教されていました。山上の垂訓がその一例です。第三に、ガリラヤは、ローマによって戦略的な場所でした。農業が発達した場所であり、ここから食物が輸出されて、またローマ人がここを通って旅をしました。第四に、ガリラヤ湖の重要性です。この湖は、イスラエル経済には欠かす事ができない漁業がありました。ペテロやヨハネは、漁師の卓越した家族の一員でした。また、この湖は、交通手段としても重要でした。18の港があり、人を雇って舟で、行きたいところへと行ったのです。

 ガリラヤは人口が密集していた地域であり、ユダヤ教が最盛を極めていた時期にイエスさまがおられました。シナゴーグで教育が施されていました。エルサレムよりも、もっと自由な雰囲気でユダヤ教が浸透していたのです。ですから、私たちはとかく、イエスさまもまた弟子たちも、ガリラヤ地方の片田舎で育った、無学な人たちというイメージを抱いていますが、それは多少違う事に気づきます。

 マタイ書の11章20-21節の、ゴラジン、タブガ、ベツサイダを結ぶ三角形の地域は、「伝道の三角地帯」と言われており、ここでほとんどのイエスさまの宣教と奇蹟が行なわれました。このタブガは、第一に、ペテロたちが主と、新しいかたちで出会ったところです。彼らは、ヨルダン川の向こう側で、すでにイエスさまに会っていました。ヤシバと呼ばれるラビと弟子たちの一団が当時はありましたが、弟子は、妻の許可を得て、短期間、そのラビとともに旅をします。彼らが、新しくイエスさまに献身したのはこの場所からです。第二に、イエスさまは、ここで五千人に食事を与えられました。第三に、ここから、舟の上の弟子たちのところへ水の上を歩かれたのです。第四に、イエスさまはここの岸辺から、弟子たちに魚のとりかたを教えられました。そして第五に、この岸辺で、弟子とともに食事を取られたのです。ペテロは、ここで立ち直りました。」

 続けてデービッドがメッセージをしますが、短く要約します。

 「宗教指導者によって、イエスさまは脅威でした。それは、イエスさまが、権威をもって教えられておられたからです。ルカ5章における献身は、ヨハネ21章ではうすれています。マタイ書では、彼らは召されました(called)。ルカにおいて、彼らは罪を示されました(convicted)。ヨハネにおいて、彼らは確信した(convinced)のです。聖霊を受けた彼らによって、世界が変えられました。ルカ5章から学べることは、第一に、主の導きに拠り頼むことです。「あなたのおことばどおりに」とペテロは言いました。第二に、神がおできになることに気づくことです。主は、ペテロたちに大漁をもたらされました。第三に、不信仰という問題が自分の心にあることを認めることです。私たちは、実に簡単に不信仰になってしまいます。

 ペテロの態度からは、@謙虚、を学びます。「私から離れてください。」と言いました。A告白、を学びます。「私は罪深い者です。」と言いました。B信仰、を学びます。イエスは、「恐がらなくてもよい」と繰り返されました。そして最後に、イエスさまはペテロに、『わたし』を愛していますか、とお聞きになりました。キリストが私たちのすべてになっているでしょうか?」

 デービッドは、カトリックの教会の人たちが静寂を好むことを知りつつも、いつもの大きな声で説教していました。近くで十字架のネックレスを売っていたシスターの方が、あまりもの大声に驚き、あきれていました。でも、最後にデービッドと握手を交わして、笑顔を見せていました。

 そして次は、東へカペナウムに向かうのですが、その間の道路の左側は小高い丘になっています。ここで、マタイ5−7章の山上の垂訓がありました。それを記念している教会がありますが、その近くまで行って、景色を楽しみました。そこで、オレンジをつぶして、その場でジュースにしてくれる人がいたので、それを飲み干し、それから昼食を取りに、レストランへ向かいました。

 私は、この旅行で醤油の小さなボトルを持ってきていました。聖ペテロの魚(St. Peter’s Fish)を食べるためです。ところが、その日に醤油をパウチに入れるのを忘れてしました。レストランで、魚を食べる人たちが一つのテーブルに座らせられましたが、私とその他3人だけです。しかも、その3人は一匹を3等分しました。やはり、アメリカ人の口には魚は合わないみたいです。私の前に座っていた夫婦は、ハワイにずっと住んでいたので、私が醤油をなぜ欲しいか良く理解していました。そこで、ウェイターに、「Soy Sauceを持ってきてください。」と言いました。そうしたら、メキシコ風のホット・ソースを持ってきてしまいました。イスラエルでは、醤油ってほとんど知られていないみたいですね。

 …他のいろいろな場面でも感じたことは、私たち日本人がイスラエルのことをほとんど知らず、勝手なイメージを作り上げているのと同じように、イスラエル人も私たちのことを知らないことです。自動車(三菱とトヨタを多く見かけました)と空手ぐらいのイメージしかないんじゃないでしょうか。


カペナウム

 そして、私たちはカペナウムへ向かいました。カペナウムは、「ナホム」から来ています。2千年前は、黒い石の建物がありました。66年にローマによって倒されました。2・3世紀にユダヤ人によって再建されました。ここには、実際のペテロの家であったところの遺跡と、また、イエスさまがしばしば教えられた会堂を見ることができました。ただその会堂の土台部分がイエスさまのときの会堂であり、その上のは後に再建されたものです。シナゴーグは、男性が集まる1階と女性が集まる2階に分かれており、女性はシナゴーグに来なくても良いそうです。ですから、コリント人への第一の手紙14章にある、「教会では、妻たちは黙っていなさい。」は、ユダヤ人の習慣を知らない異邦人の信者が、2階でぺらぺらしゃべっていたことが考えられます。また、初代教会はシナゴーグに集まっていました。ヤコブ2章2節の「会堂」は、シナゴーグのことです。

 エドは、この会堂のすぐそばで、ヨハネ6章からメッセージをしました。59節を読むと、「わたしは、天から下ってきた生けるパンです。…」と語られたメッセージは、カペナウムのこの会堂で行なわれたことが分かります。多くの弟子たちが去りました(66節)。私たちも、イエスさまに従うときに、「もうだめだ、引き返そう。」と思ってしまうことがあります。けれども、日々自分の十字架を負い、イエスさまに従わなければいけません、という内容のものでした。

 そして、私たちのバスは、ガリラヤ湖畔を時計回りに走りました。クルシ(Kursi)のところに、急斜面の坂がありますが、これが、レギオンが豚に乗り移って、湖になだれ込み溺れ死んだところです。それからさらに行くと、エンゲブというキブツがあります。キブツというとだいたい野菜などの農作物ですが、ここは漁業のキブツです。ここからテベリヤ行きの船が発着します。私たちは、ここから船に乗りました。乗る直前に、若い男女が、舟の中にいっぱいになっている魚を引き上げているのを見ました。


ガリラヤ湖上

 船に乗ると、イエスさまが活躍されたガリラヤ湖畔の町々が一望できます。これで、これまでぶつ切れになっていた福音書の出来事が一つになりました。これを写真に取っても、ビデオに撮影したとしても、収めきれないと思います。やぱり、実際に見ないと分かりません。だから、チャックは、「イスラエル旅行は、2年間の聖書学校における学びに匹敵するものです。」と言うのでしょう。船の進行方向の反対側には、昨日訪れた、ゴラン高原のビジターセンターが小さく見えました。(写真の背後にある高原がゴラン高原です。)この船の上で、デービッドがメッセージをしました。どの聖書箇所からか、もうお分かりになる方はいらっしゃるでしょうか。…そうです、イエスさまが水の上を歩かれたところからです。

 「第一に、弟子たちの経験から学ぶことができます。彼らは、ガリラヤ湖を知り尽くしたプロの漁師であったのもかかわらず、嵐を経験しました。私たちも、このような生活の困難の中にいることがあります。また、彼らは、このような嵐で慌てふためきましたが、私たちも、些細なことで気分を害してしまいます。けれども、主は彼らをご覧になっておられました。私たちの生活の、その小さな場面でも主は見ておられるのです。第二に、主の励ましを学ぶことができます。弟子たちが主を見たときにすぐ、『恐れることはない。』と語りかけてくださいました。私たちも、このような主の語りかけを聞いているでしょうか。第三に、ペテロが主のところへ行きました。ペテロは目を離しておぼれそうになりましたが、私たちも主から目を離してしまいますね。第四に、主の御力によって、弟子たちが礼拝へと導かれました。」


ヨルダン川でバプテスマ

 メッセージが終わってしばらくすると、テベリヤに到着しました。私たちが乗っていたバスが待っていました。そして、これから私たちは、ガリラヤ湖の南端のヨルダン川へ向かいます。そこに、洗礼を受けるところがあります。間もなくシャバット(安息日)が近づいていたので、彼らは急いでいました。日没から安息日は始まります。そうすると、ほとんどすべてのお店は閉まってしまい、イスラエル全体が文字通り、「安息」に入ってしまいます。ホテルにおいても、エレベーターの一つが、シャバット・エレベーターになり、降りる階のボタンを押さなくても良いように、各階に止まるようになっているのです。

 私は洗礼を受けることに心を決めていました。ここで多くの方は、「エー、再洗礼するの?」と思われるかもしれません。私も、洗礼は信じてから一度だけと信じていましたが、デービッドは、もともとバプテスマは、ユダヤ教のきよめの洗いの儀式から来たものであり、ユダヤ人は何回でも水の中に入ったのだから、複数回洗礼を受けることは問題ではない、と言っていました。まあ、私は再献身のつもりで、洗礼を受けました。そこでは、タオルと白い洗礼用の服があてがわれます。デービッドは、洗礼を受ける一人一人に、「あなたは、イェシュアをメシヤと信じますか。」と尋ね、「父・子・聖霊の御名によって、バプテスマを授けます。」と言って授けました。私には、それに加えて、日本における宣教のことも祈ってくれました。

 そして、テベリヤのホテルに戻りました。私たちは、ここまでで、イスラエルの東と北の地方を巡ったと言えます。次の日から、西と南の地方へと向かいます。

(次回に続く)