2019年トルコ研修旅行記 3月31日-4月1日

1.はじめに ~ なぜ次の年に再びトルコへ?
2.旅の準備 ~ おすすめの書籍
3.成田から、親友の牧師たちと
4.市内闊歩



1.はじめに ~ なぜ次の年に再びトルコへ?

 ちょうど一年前、2018年4月に「使徒の足跡」を辿る、トルコ・ギリシアの旅に行きました。その時の衝撃が非常に大きいものでした。これまで私はイスラエルに5回行き、付属してヨルダンに2回、エジプトに1回行きました。何といっても、そこには新旧約時代の聖書の舞台が広がっており、聖地を知ることが、私の信仰のライフワークになったと言っても過言ではありません。

 トルコは、新たな衝撃が走りました。それは、聖書そのものの舞台と共に、「教会」を知るようになったことです。もちろん新約聖書に、使徒の働き13章以降と使徒たちの手紙また黙示録に、異邦人を主体とした教会の姿が描かれています。しかしそれだけではなく、新約聖書の書かれた以後の教会もトルコを中心にして発展して、実に東ローマ帝国が滅びるまでの15世紀にまで至る歴史がそこには眠っています。特に、ローマでキリスト教が公認される前の教会が置かれていた状況や環境を克明に知るにあたって、異教の中に生きてきた初代教会の信仰の先輩の姿に励まされるからです。それはまさに、異教社会でありながら、文明を発達させている現代日本の姿にも通じるところがあります。

 2018年の旅で、食事の席で、団長のジェイさんとガイドのディレクさんと一緒に話している時に、実は過去に、シリアのアンティオキアから始まる、使徒の足跡を辿る旅を企画して、人数が足りなかったので断念したという話を聞きました。そう、トルコ旅行のほとんどは、黙示録の七つの教会を巡る旅に終始し、そこにカッパドキアを付け足したり、多くはトルコの七つの教会からギリシアのコリントまでの宣教旅行を辿ります。しかし、パウロとバルナバは、アンティオキアの教会から遣わされ、そこから旅をしていました。しかし、トルコは非常に大きな土地です。一つの訪問地から次に行くまでがとにかく遠く、時間がかかります。けれども、やはりパウロたちが旅をしたところをなるべく網羅したいという切なる願いが出てきました。

 日本に帰国してから間もなくして、なっ、なんと!牧者や教役者用のトルコ旅行の企画が出来たではありませんか!しかも、全行程13日間でたった2275ドル(25万円ぐらい)だというのです。後で聞きましたが、現地旅行社がむしろ赤字を出すぐらいの値引きであり、将来、牧師さんたちにトルコ旅行を企画してもらうためであることを知りました。おそらく、今後、企画されることもないかもしれないただ一度の旅になるかもしれないと思い、申し込みをしました。私はすでにロゴス・ミニストリーの次の聖地旅行の企画を考えていました。そこに、イスラエルに加えてトルコも旅したいと願っていました。しかし、たった一回だけの旅では、参加者の方々に団長として十分な説明や解説ができない‥。そう考えて、この研修旅行は最適だと思いました。

 以下のブログ記事に、この度の予定している旅程が書かれています。結局、多少、変更はありましたが、大体このようになりました。

“牧師・教役者対象”トルコ研修旅行(2019年)

 イスタンブールに3日滞在した後に、アンティオキアに飛行機で移動します。それから、パウロの出身地であるキリキアのタルソを経由して、ガラテヤ地方に当たるカッパドキアに行きます。そしてひたすら西方へ、ピシディアのアンティオキアに立ち寄ります。それから七つの教会の探訪です。最後は北上してイスタンブールに戻ってきます。トルコの中部と西部を巡る、とてつもなく長い旅となりました。




2.旅の準備 ~ おすすめの書籍

 旅の準備は、当然ながら書籍によるものが、ほとんどです。私は聖地旅行の時は、必ず「地球の歩き方」を買いましたが、今回もトルコ篇を購入しました。それから、2018年の旅の時に既に用意しておいた使徒の旅を辿る写真集を再読します。以下の本は、使徒の働きのあらすじとその舞台を、写真と共に分かりやすく紹介しています。

聖書の世界〈使徒行伝編〉ミルトス


 そして、次の本を読んで、トルコにますます魅かれ、想いを馳せることになりました。

「史跡・都市を巡る トルコの歴史」野中恵子 (ロゴス・ミニストリーのブログ)


  出版社の紹介に、「トルコの通史を理解する鍵を、アジア・イスラムという一般的なイメージのなかで、じつはローマ史であるという点においている」というところが、ものすごい興味が注がれました。著者は、「イスラム教のトルコは、いわば、たまねぎの茶色い皮で、その下の何重層もの白い皮は、「ローマ」」と喩えており、そんなことをまるで知らなかった私は、食い入るように本書を読みました。教会史として知っている大きな出来事の多くが、実にトルコの中にあることをたくさん知ることができました。

 上のブログ記事に併せて紹介している本がありますが、これも準備にとても良い教材でした。

「生き残った帝国ビザンティン」井上浩一著

 これは、何はともあれ、イスタンブールの過去、東ローマ帝国の都コンスタンティノープルを知るのは、絶好の書です。そしてキリスト教を国教として生きてきたビザンチン帝国の生き様を、初めから終わりまで通しで眺めることができます。これがなければ、三日間も滞在したイスタンブールの凄み、面白さは味わえなかったと思います。

 そして、次の、いのちのことば社から出版された最近の書は、本当に大きな励ましを受けました。

「キリスト教の“はじまり” 古代教会史入門」吉田隆(ロゴス・ミニストリーのブログ)

 書いておられるのは、もちろん日本人のキリスト者。ゆえに、古代ローマにおける、異教社会の中で「少数派」として存在していた教会から、直接、日本社会に生きる私たちの教会に、いろいろな良い知恵を与えてくれているということです。図や用語の注釈も豊富で、初心者でもとても分かりやすく書いてあります。特に、団長の牧者ジェイさんは、従来の欧米のキリスト教に対して、聖書の世界は非西欧のそれであったとする勉強をかなりしているので(参照記事)、今の日本社会でも教会生活に、直接、適用できるようなものばかりでした。


3.成田から、親友の牧師たちと

 ジェイさんたちが、前回の企画が倒れてしまったことを聞いていたので、ともかくも人数確保が必要だろうと思って、自分自身も日本で仲間の牧者や宣教者たちに今回の旅の企画を紹介、宣伝しました。そこで、応じてくれたのが、カルバリーチャペル西原の比嘉ヨシュアさんと、カルバリーチャペル那覇の大城勝さんです!ヨシュアさんは、2013年のイスラエル旅行にも参加した仲で、彼のために2019年の3月初めに沖縄に行った時に、事前準備をかねた勉強会を開きました。その時に、飛び入り参加してくださったのが、大城勝さんでした。あと旅まで一か月を切っていた時なのですが、なんと、その後、参加希望の旨を伝えてくださいました!幸い、旅行社も彼のための準備をすることができ、さらに、一人キャンセルが出たとのことで、ヨシュアさんと勝さんがホテルの同室の宿泊まで可能となり、これはすごい神さまの備えだと思いました。とても仲良くしている仲だったので、私たち夫婦の旅も、日本語もたくさん使って、とても楽しいものとなりました!

 四人とも、同じ行動を取るために、往復の便を同じものにしました。

3月31日 TK53便 成田21:25-03:35(4月1日)イスタンブール
4月12日 TK52便 イスタンブール01:40-19:10成田

 勝さんは、前日から東京入りをしてくださり、出発日の3月31日にはカルバリーチャペル・ロゴス東京の私たちの教会で説教をしてくださいました。夜の9時半頃に出発した便は、午前3時半頃に到着しました。めちゃめちゃ早朝です。


 ここは、イスタンブールの国際空港で「アタトュルク国際空港」と言いますが、東西文明の十字路と呼ばれるトルコだけあって、東西を結ぶ便が数多く飛んでいる世界有数のハブ空港です。収容能力に限界が出て、新たに「イスタンブール空港」を建設しました。そして、旅客便運行の全てをアタトュルク空港から引き継いだのですが、その日にちが「2019年4月6日」です。そう、私たちの旅行中に引き継がれたのです。したがって、私たちが4月1日に到着した時と、4月12日に出発する時は、別の空港になりました。

 現地旅行社のTopaz Tourism Travelのオペレーター、タン(Tan)さんは、ガイドのディレク(Dilek)さんのご主人です。彼が、私たち4人のために何と、無料で配車の手配をしてくださいました。到着したら私たちを待っていてくださり、無事にホテルまで連れて行ってくださいました。ホテルは、初めの三泊と、最後の一泊でお世話になる、タイタニック・シティー・タクシム(Titanic City Taksim)です。


4.市内闊歩

 到着したのは午前5時頃だったでしょうか、ともかくも、まず短い時間ですが就寝して、それから行動を決めようということになりました。朝食を取りましたが、勝さんとヨシュアさん、私たち明石は、初め一緒に両替を済ませてから、別行動を取ることにしました。イスタンブールの凄い所は、この市内が、アジアとヨーロッパに分かれていることです。黒海とマルマラ海(地中海に通じています)をつなぐボスポラス海峡を挟んで東がアジア、西がヨーロッパです。中心街はヨーロッパ側にあります。そして、ヨーロッパ側は、金角湾を挟んで、南が、かつてのコンスタンティノープルのあった「旧市街」で世界遺産の遺跡が勢ぞろいです。北が「新市街」で今のトルコの都市機能を担っています。

Amazing Tripより)

新市街の象徴ガラタ塔へ

 私たちの泊まったホテルは、新市街の中心にある「タクシム広場」のそばにあります。その広場から金角湾方面に、南に下る「イスティクラル通り」があります。いわば、東京の銀座みたいなところですね。私たち夫婦が初めに目指したのは、その先にある「ガラタ塔」です。その塔を上がると、イスタンブールの全貌を眺めることができ、旧市街側もきれいに見渡すことができると聞いたからです。インスティクラル通りに入ってから、かなりの距離でしたね、30分近く歩いたのではないでしょうか。(到着した時の写真



 目の前にあるのが金角湾、その向こうにかつてのコンスタンティノープル、旧市街があり、真ん中にそびえているのが、アヤソフィア(ビザンチン帝国の象徴、東方正教会の最高峰)でしょう。左にあるのが、ボスポラス海峡です。

 そして、帰りが、結構しんどかったです、上りになっているからです。イスティクラル通りで、妻、多栄子は、もうこれでこの旅の買物を全て済ませたの?というぐらいたくさんのものを買いました。ほとんどがドライ・フルーツです。家でも使いますが、教会のバイブル・カフェに出すお菓子の材料のことも念頭に入れて、買ったようです。

「ボスポラス大橋」を見に行く

 そしてホテルに到着、次の予定は、トパーズのタンさんとの会合です。はい、文字通りの「会合」です!2020年に予定していたトルコ・イスラエル旅行に向けての話し合いでした(注:コロナ禍が始まり、直前に延期になりました。2022年2月下旬に予定しています!)。

 そしてタンさんに、お昼もかねて次の観光の場所を尋ねたら、ボスポラス海峡にかかっているボスポラス大橋を眺めるのがいいだろうね、ということで、お店がいろいろ並んでいるオルタキョイを目指しました。(Googleマップではこんな感じ。)ホテルを出ると、ばったりディレクさんに!これから、アメリカからの主要なグループを出迎えるために、アタトュルク空港に向かうのだそうです。

 今、思うと徒歩で1時間もかかるのにどうして徒歩で行こうと思ったのか?と疑問なのですが、なんと道を間違って、全然違うところを歩いていました。行けども行けども、ボスポラス海峡が見えてこない。Maçka Parkという公園の周囲を歩いていたのだと思います。タクシーに乗ることに決めて、ほっとしました。

 オルタキョイの印象は、「海に面した原宿の竹下通り」みたいな感じでしょうか。典型的な、屋台のお店が並ぶショッピング通り、そして食べ歩きができます。そしてここでの名物は、トルコで屋台料理として有名な、クンピルです。巨大なじゃがいもを焼いたものの間に、バターを溶かし入れ、さまざまなトッピングを入れたものです。こちらの写真にあるように、とにかくボリュームがすごい!二人で一つを食べたのですが、他の人たちは一人で食べていましたね。

 そして、目の前に広がる、ボスポラス大橋を眺めました。


 中東のエジプトやヨルダンで気づいたのですが、かつての大英帝国時代の名残なのでしょうか、彼らの最も人気のある飲み物は、コーヒーではなく紅茶でした。中東ではないですがトルコもしかり、トルココーヒーもありますが、それ以上にチャイを飲んでいます。(チャイと言ってもインドのそれとは違い、見た目は紅茶と変わりません。)そこで多栄子は紅茶、大好きなので、屋台でチャイを頼みました。そして、クレープの屋台も多いんですね(写真)、クレープもゲット。帰りは、もちろんタクシーに乗ってホテルまで行きました。

 夕方には、アメリカからのグループが到着。夕食を取る時に、あらっ?ものすごい人数の参加者数でした!みんな、牧師やその奥様、そして牧師を支えるスタッフの人たちでした。そして、ジェイさんがカルバリーの人だけあって、カルバリー関係、多かったですね。

 明日は、今朝、ガラタ塔から眺めた旧市街を訪問します!