2018年トルコ・ギリシア旅行記 4月18日 その2
1.市内巡回
2.パナシナイコスタジアム
3.アテナイのアクロポリス
4.アレオパゴス
5.プラカ&昼食
6.ローマのアゴラと古代アゴラ
7.新アクロポリス博物館
(1.から4.は、「その1」へ)
5.プラカ&昼食
アクロポリスからプラカを通って、レストランへ(Google地図)
アプロポリスから出て、歩いて行きましたが、先ほど急いで歩いてきた道を通って行きました。(上のグーグル地図をご覧ご覧になるとよく分かります。)もう二度と見ることができないと思って、走りながら通り過ぎた、ヘロディス・アッティコス音楽堂も、すっと入って出てくることができました(写真①、②)。そして、ディオニソス劇場もその前を通ります。そして、地下鉄の駅の近くの十字路に到着しますが、ホテルから至近距離です。なんだ!こんな近いところにあって、時間の合間にいつでも行けるところにあったのだと気づきました。
これからプラカ地区を通ります。
プラカ地区は、アクロポリスの丘の北側の麓にある地区で、古いアテネの街並みを遺し、また観光客がショッピングや食事を楽しむところとなっています。しばらく歩いていくと、上の動画にあるように、リュシクラテスの記念碑があります。大ディオニュシア祭の少年コーラスで優勝したコレーゴス、リュシクラテスが前335年か334年(ヘレニズム時代初頭)に建造した記念建造物だそうです。コリント式の柱頭が建造物に用いられている最古の例だとのこと。そんなに太古のものなのに、保存状態がよいのは、隣接していた修道院の建物に長いこと組み込まれていためだとか。
ここで、ギリシア・ローマ時代の建物の説明で、しばしば出て来る建物の建築様式ですが、「イオニア式」というのと、「コリント式」というのが出てきます。これをいい機会に、違いを確認してみるとよいでしょう。(動画 - イオニア式、コリント式)
そして街並みを歩いていき、屋上で周囲の景色を楽しみながら食事を楽しむことのできるエライア・レストランで昼食を食べました。本当にギリシア料理はおいしいし、このレストランは格別においしかったです。代表的な家庭料理に「ムサカ」があり、ラザニアのように見えますが、なすやじゃがいもなどの野菜が中に入っています。昨日、べレアからアテネに向かう途中で停まった休憩所でも、ムサカの昼食を食べましたが、味が全然違い、おいしさが初めての私たちでも分かりました。
そして、この後は自由時間!私たちは、この貴重な時間に、一気に、重要な遺跡と博物館に向かいます。ローマのフォルムと、アテネのアゴラ、それから新アクロポリス博物館です。
6.ローマのアゴラと古代アゴラ
レストランから、ローマのフォルム経由でアゴラへ(Google地図)
ローマのアゴラ
ジェイさんとデーナさんに、ローマのアゴラを尋ねました。上の地図のリンク先にあるように、歩いてほんの数分で見えてきます。(案内地図)
パウロが哲学者らと論じ合ったアゴラは、次に行く古代アゴラで、こちらはローマ時代に新たにできたアゴラです(紀元前1世紀~紀元後2世紀)。ローマ式に「フォルム」と言ったほうがいいでしょう。中に入ろうとしたら、入口にいた人が引き止めようとしました。閉門が2時(!)だから、もう遅いだめだ、というのです。経済破綻で公務員の人数が少ないから、閉門の時間を早めているのですが、2時に閉門して、観光客はどうするというのでしょうか?・・まあまあ、それは良しとして、私たちは強引に「すぐに見終わるから」と言い捨てて、中に入っていきました。
古代アゴラが手狭になたために、東隣にこの場所を造ったそうで、奥行き82㍍幅69㍍の長方形の広場があります。イオニア式の柱廊で囲まれ商店などが入居していたそうです。上の二番目の写真の奥に見える塔は、「風の塔」といって、八角形をしています。上に風見鶏の像があり、風の神たちのどれかを指して、風向きを示す仕組みになっていたそうです。そして一番目の写真にある門は、「アテナ・アルケゲテス門」と言います。
2014年にジェイさんは、ここから、「十字架の落書き」を柱廊の柱から見つけたようです。
古代アゴラ!(ウィキペディア、旅行者の旅行記、考古学隊のサイト)
「それでパウロは、会堂ではユダヤ人たちや神を敬う人たちと論じ、広場(アゴラ)ではそこに居合わせた人たちと毎日論じ合った。(使徒17:17)」
ローマのフォルムを見終わって、急ぎ足で古代アゴラに行きました。ここでパウロが、論じ合って、イエスとその復活を伝えていた場所です。こちらは、確か3時に閉門だったかと思います。正門で「あと一時間だけです」と言われた覚えがあります。下の地図(「地球の歩き方」から)ですと、上の出入口から入場しました。
中に入りますと、特徴的な建物は左側(地図では右側)に復元されたアタロスの柱廊があります。そして右側の丘にヘファイストスの神殿があります。(こちらに案内ビデオがあります、ただし英語です)。そして、主要な通りは、アタロスの柱廊の横を斜めに走る街路で、「パンタイノス街(Panathenaios)」といいます。この道は、アクロポリスにつながっていました。(復元図など)
改めて、これまでの旅の中で出て来たアゴラを説明しますと、都市の政治、経済、社交生活の中心をなしていた場所のことです。神殿、官営、公共建造物が立ち並び、美しい彫像や並木もありました。立派な柱廊(ストア)があり、人々がその中を歩いて、石段に腰を降ろしながら話し合って、社交生活を楽しんでいました。また、商業の中心でもあり、個人商店が立ち並び、露店も出て、午後下がりは買物客でごった返します。ただし男たちやその召使いです。当時は、男性が買い物に行ったそうです。哲学者ソクラテスがいつもここに姿を現して、談論の恰好の場所としていたとのこと(この記事を参照)。
前方には、以下の三体の像が建っています。それが、アグリッパの音楽堂の一部です。(日本語の紹介 英語の説明)
前15世紀頃、ローマの将軍アグリッパが建造した2階建ての音楽堂とのこと。一万人の観客を収容できました。三体の像は、巨人とトリトン(半人半魚)の頭部を失ったものです。
そして十二神祭壇が次に見えます。
背景で見える丘が、アクロポリスです。そしてアクロポリスの右側にある岩場がアレスパゴスです。ここ、十二神祭壇は、アテネ全体の中心部分になっていて、ここから距離を測っていたそうです。(復元図)方向や地理を計るのに十二神が中心になっていたんですね。
そして、次に行く見えてくるのは、行政的な機関です。初めに出て来るのが、「部族英雄記念碑」です(写真)。銅像の大理石のみが残っていますが、ここで法案や法令、またその他の報告がある時にここに掲示されていたそうです。
そしてその向かいに、「メトロン」また「ブーレウテリオン」の跡がありました。(写真の背後にあるのは、次に行くヘファイトス神殿)メトロンは、母神神殿とも呼ばれ、神々の母ガイアの聖域に立っていました。公文書の保管庫としても使われたようです。そして、その前はブーレウテリオンという評議会として使われていました。
ブーレウテリオンは、定期的に評議会が開かれてた議場です。当時のアテネは、行政、経済、軍事など、すべて成年男子であればだれでも参加できる「民会」で決定されていましたが、一連の日常業務に関しては、各部族から選ばれた500人の評議員たちで司っていました。今の日本の代議員による議会民主主義よりも、さらに市民直接型の民主主義だったんですね。(当時の民主制の図)
そして、ここにハドリアヌス帝の頭部がなくなっている像がありました(写真)。もちろんギリシア時代にはなく、はるか後に造られたものです(120年)。彼の腹部には、アテーナが彫られています。ローマがギリシアの保護者であることを示しているとのこと。
そしてついに、ヘファイトス神殿に行きます!(階段を上がっている私の姿)
これまでトルコ・ギリシア旅行で見てきた遺跡は、ローマ時代のものが大半でしたが、それより遡ったギリシア時代のものです。パルテノン神殿とほぼ同時期の前五世紀のもので、パルテノンと比べたら、原形をはるかに留めています。オリンポス十二神の鍛冶を司るヘファイトスを祀った神殿だとのことです。
リンク先に、詳しい、鮮明な映像での説明がありますし、下は復元したアニメーションです。
神殿の前から映像を取りました。(その後のものも撮影しています)
だんだん、パウロの「心の憤り」を感じて来たでしょうか?偶像に埋もれていた町です。
ここを降りると、丸い遺跡が出て来ました。これは、「トロス」です。
ここは、先ほどのブーレウテリオンにおける評議会の詰め所として使われたところです。神殿に見下ろされながら、これら政治や行政が行われていたことを思います。
南に歩き続けると南西の端に、「南東の泉」というのがあります(写真)。そして左折、貯水槽の跡(写真)もあり、次に行く所は、市場があったところ、中央柱廊です。(先ほどの動画を見ると、もっと分かります)長さ120㍍、幅15㍍だそうです。当時は屋根もありました。
中央柱廊の復元アニメーション動画があります。こんな感じです。
そしてアゴラの南西の部分に来ています。ここに見えるのは「聖使徒聖堂」です(ウィキペディア)。元々はニンファエウムがあったところに建てられたとのこと。11世紀の初めに建てられましたが、今のは復元したものだそうです。オスマン朝時代に、教会は他の神殿と共に破壊されず、守られていたようです。
そして東側に付きました。ここに後三世紀の壁だと思われる壁がありますが、向こうに僅か、アクロポリスが見えるのがわかりますね。先に説明した、主要街路「パンタイノス街」です。これが、アクロポリスまで続いていたということになります。こちらのページを見れば、どうなっているかお分かりになるでしょう。
東側には、復元されたアタロスの柱廊があります(動画)。そしてここは、古代アゴラ博物館としても使われています。
ギリシア建造物において完全に復元されたものだそうです。長さ115㍍、幅20㍍の二階建てで、一階の外側には写真にあるように45本のドリア式列柱が、中央の22本はイオニア式です。パンタイノス街は個人商店が並んでいたと思われますが、すぐ横のこの柱廊には、社交的な場としてにぎわっていたと考えられます。古代ギリシアの哲学者が、こういうところで教えていたことが想像できます。もしかしたら、パウロもここで論じ合っていたのかもしれません。中に入ると、博物館として彫刻が並んでいて、奥には他の遺物も展示されています。リンク先は、ドローン映像です。
閉門ぎりぎりで一周を見終えることができました。最後に、二つ動画を紹介します。まず、ジェイさんが2014年にここを訪れた時のメッセージです。
そして下は、CGによる案内です。当時の復元をアニメーションで説明してくれています。これまで建物の遺跡しかなかったところに、人を入れて、当時の様子に活力を与えています。
7.新アクロポリス博物館
アゴラから、ミトロポレオス大聖堂を経て、新アクロポリス博物館へ(Google地図)
この後、アゴラから近いところで、おいしそうなアイスクリーム屋に立ちよりました。Davinci Glatoというようで、高かったけれども、うまかった(写真)。そして、ローマ時代に造られたハドリアヌスの図書館(写真)を通りました。もう閉門していましたが、外から十分に写真が撮れます。さらに、土産店でにぎわうパンドロスウ通りを通って、その先に、ミトロポレオス大聖堂のある広場に着きました。日本語名もあって、「生神女福音大聖堂」だそうです。正教会において、アテネおよび全ギリシアの大主教の主教座聖堂のようです。
そして、初めにPlaka地区を出発したそばにある、新アクロポリス博物館に到着しました。多くが写真撮影禁止だったのですが、サイトをご紹介します。(注:博物館がコロナ流行下で、デジタルのサイトを開いてます。)公式サイト(日本語)がありますが、日本語は、大した情報はありません。こちらのサイトがとても分かり易い。
「遺跡ときどき猫」
2009年にオープンしたばかりなので、かなり新しいものです。上のサイトでどんどん思い出せたんのですが、2階にギリシア古代史の初期(アルカイック)の作品を展示し、踊り場の反対側に、アクロポリスにあったエレクティオンの少女像のオリジナルがあり、そして、全盛期だった5世紀の作品が並んでいました。そして、4階がパルテノン神殿のレリーフ(浮彫細工)や彫刻を展示するパルテノン・ギャラリーになっています。実際のパルテノン神殿がガラス越しで眺めることができます。
中に入ると、初めに階段があり、ギャラリーになっています。そして、アルカイック期の展示ですが、主に「コレー像(少女像)」と「クーロス像(青年像)」が中心です。そして、ペルシアのクセルクセスが遠征してギリシアの都市群が戦い、勝利したペルシャ戦争の後に、古典期を迎えます。アレキサンドロスがギリシアを帝国とするヘレニズム期まで続きます。その時のレリーフも飾られており、像もかなり趣が変わりました。
そして、2階のエレクテイオン像ですが、写真が撮影許可されていました!
4階でも、パルテノン神殿を飾っていたレリーフの展示が大体的に行われていて、そこでも写真撮影が一部できました。ペディメント(破風)の実物大復元はこちら(ぶれてしまっていますが)。
こちらは、ガラスに入った、ペディメント。東側のペディメントはこちら。
アテーナー女神がゼウス神の頭から誕生した場面なのだそうです。
そして、西側のペディメントはこちら。
その他、こんな感じで、いろんなものが展示されています。いいのは、ここからそのまま、本物のパルテノン神殿をガラス越しで眺められること。
観終わって3階にある、カフェテリアに行きました。こちらも、パルテノン神殿を間近に見ながら、コーヒーがとても旨かったです。
最後出る時は、時代を追って、アクロポリスがどうなっていったのかを模型で展示されていました。
ここから、ホテルのディヴァニ・パレス・アクロポリスは歩いてほんの5分です。午後は濃密でしたが、必ず見たいものを見ることができ、満足しました。