2018年トルコ・ギリシア旅行記 4月13日その①
1.エフェソスの概要
2.アルテミス神殿
3.エフェソス市内の遺跡
4.その後の時間
(3.4はその②へ)
私たちは、クシャダスにあるホテルから、美しいエーゲ海の姿を眺めて朝を迎えました。そこから北東に17㌔ほど走ったところに、次の目的地であるエフェソ遺跡のアルテミス神殿があります。
ホテルからアルテミス神殿まで(グーグル地図)
私たちはついに、新約聖書時代で小アジアで最も大きい都市、事実上の首府機能を果たしていたエフェソスを訪問します。これまで訪問した都市の遺跡を全て足しても、もっと大きい遺跡になるでしょう、世界遺産に登録されています。イスラエルにあるローマ時代の遺跡を見てきた私は、これまでの都市の遺跡、特にエペソの遺跡を見て、当時のユダヤ地方にあったローマの町々が、いかに辺境にあったのかを知りました。エルサレムのヘロデの神殿、地中海沿いのカイサリア、そしてデカポリスの一つベテ・シャンもローマ式の建物の遺跡ですが、トルコにある物と比べればとても小さいです。ユダヤ人の影響によってでしょうか、小さく抑えられていたのか?と思いました。エフェソスの遺跡は、その規模と広さ、また異教的要素や学問のレベルで、はるかに上を行っていたことが分かります。
1.エフェソス(エペソ)の概要(ウィキペディア)
エフェソスは、ローマのアジア属州における最重要の都市であり、トルコ西部の沿岸地域に位置しています。カイステル(クチュクメンデレス)川の湾口に位置し、パナユル山とブルブル山の斜面に城壁を巡らしました。柱頭の並ぶ壮麗な街路が町の中心を通り、湾口にまでつながっています。そこがアジアからの隊商路の終点であり、またローマからの上陸地点でもありました。
今日は、何百年もの土砂の堆積によって、海が遺跡から10㌔も離れてしまいましたが、当時、港湾は浚渫(しゅんせつ)をしっかりと行なうことによって維持されていました。中心部には、劇場、浴場、図書館、アゴラ(広場)、モザイクの街路などがあります。そしてアルテミス神殿は中心部から北東2㌔のところにあります。元々はアナトリアの地母神を拝んでいましtが、それからギリシア神話のアルテミスに変わり、ローマのディアーナも拝まれていきます。ローマによるキリスト教公認後、ユスティアヌス一世がその神殿を見下ろす丘に聖ヨハネ教会を建てます。
ギリシア神話の中に、アマゾネスという勇士の女神が、トロイア戦争の中で支配した地域にエフェソスがあるそうです。ヒッタイト時代に、アルザワ王国がヒッタイト王国があるためアルタリア中央部から押し出されるような形で王国を持っていましたが、その首都がアパサスと呼ばれます。アパサスは「地母神の王国」を意味し、それにエフェソスの名の由来があるそうです(参照記事)。そしてミケーネ時代の陶器も発見されています。
この古代アナトリアに、紀元前十世紀前にイオニア人が定住し始めて、先住民との合併した町を造りました。そのエフェソの町の女神はギリシアの名を取り入れましたが、中身はそれより昔の土着信仰の特徴を有していて、多数の乳房を持っていました。紀元前560年には、リュディア王国のクロイソスが征服して、彼の栄光に輝きましたが、ペルシアの支配下に陥落します。クロイソスはアルテミス神殿を強調するために町の位置を動かしていましたが、紀元前三世紀にアレクサンドロスの後継者リュシマコスが再び港湾に町を再建し、それからペルガモン王国の一部になります。アッタロス三世がローマに王国を紀元前133年に遺贈して、それからエフェソスが、ローマのアジア属州の最大の商業都市となり、数十万人が住んでいたと言われています。町の中心の大劇場(パウロのことで騒動が起こった劇場です)には、二万五千人が収容できます。
アルミテス神殿は、紀元前356年に大火災が起こった後に再び造られて、そのため紀元後263年のゴート人の襲撃の時まで、世界の七不思議に入るような壮麗なものとなりました。実にギリシアのアテネにあるパルテノン神殿の倍の規模であり、当時のギリシア世界で最大のものでした。1870年に湿地の中にその遺物を発見しました。そこから遠い国の硬貨が見つかっており、世界でエペソの女神が崇められていることが知られています(使徒19:34)。
ユダヤ人の存在と福音宣教
エフェソスには、ローマ支配下で社会的特権を得ていた大きなユダヤ人の居住地となっていました。そこにキリスト教が入ってきました。紀元後52年に、パウロが短期にエペソを訪れ、アクラとプリスキラをそこに残します(使徒18:18‐21)。パウロは、第三次宣教旅行の時に、そこに二年間滞在していました(使徒19:8,10)。商業、政治、また宗教の中心地ですから、戦略的意味があったでしょう。彼は初め、シナゴーグで福音を宣べ伝えていましたが、ティラノの講堂で論じていきました。それで、小アジア全体にみことばが広がりました(19:13)。宗教の混淆を許さない信仰なので、そこにある魔術の書物を焼いたりしました。アルテミス神殿によって得ていた収益に害が及んだので、銀細工人が引き起こした騒動で、ローマの書記官が鎮めました。
そして福音がエペソから、コロサイなど、リュコスの渓谷沿いにある町々に届きました(コロサイ1:6‐7,2:1)。エペソにいる間に、パウロは、第二次宣教旅行で始めたコリントにある教会から問題を聞き、それで手紙を出しています。コリント第一と第二の手紙です(1コリント16:8)。「エペソで獣と戦った(15:32)」と言っていますが、コリントの人たちはこれは群衆の暴動であることを知っていました(エフェソスの劇場が、獣との戦いにも使われました)。そしてテモテにエペソを託しています(1テモテ1:3)。そして、第三次宣教旅行からエルサレムに向かう途上で、エペソの長老たちを港町ミレトに連れて来て、最後の別れの言葉を告げます。
エフェソは、パウロの宣教の拠点で終わりません。ヨハネの拠点となっていきます。皇帝ドミティアヌスによる迫害が彼の死後、収まり、パトモス島に流刑になっていたのですがエフェソの町に戻って、黙示録を書きましたが、それはこのエペソから始まり、スミルナ、ペルガモン、ティアティラ・・と回覧されました。また、彼は、手紙を第一、第二、第三と書きました。福音書を書きました。イエス様は黙示録で、エペソの教会は、パウロが予告し、テモテも苦心した偽教師ら、例えばニコライ派の者たちに妥協しませんでした。ニコライ派は、迫害されているキリスト者に、妥協してもいいことを教えていました。主がパラダイスのいのちの木を、勝利者に約束されたのは、エフェソスの硬貨に刻まれているアルテミスの神聖なナツメヤシの木に対して、勝利者に与えられる者としてイエス様が約束されたものと思われます。
そして、ヨハネの宣教だけに終わりません。古代キリスト教の教父エイレナイオスが、ローマでエペソにいる信者たちに手紙を書いています(紀元後109年)。そして、431年に、ここでネストリオス派が異端と宣告されたエフェソス公会議が開かれています。
2.アルテミス神殿(参考サイト)
私たちは朝、エフェソスの遺跡見学の前に、少し離れたところにあるアルテミス神殿跡のところに行きました。
今、見れば、本当にほとんどのものが無くなっており、かろうじて円柱一本を復元したのみのところになっています。大きさは確かに敷地の広さから想像できますが、原型はなかなか分かりません。むしろ、サルディスで見た、アルテミス神殿のほうがずっと分かり易いです。しかし、こここそが、後日訪問する、パルテノン神殿の二倍の大きさのものだというのですから、とてつもなく大きく、壮麗なものであったに違いないでしょう。そして背後に見える建物が二つありますが、手前がイスラム教のモスクで、丘の上にあるのが聖ヨハネ教会です(拡大写真)。パロモス島から出てきたヨハネが、エフェソを拠点にして働きをしていましたが、ここで亡くなり、葬られたと言われています。
想像図はこちらになります。
内部に、15㍍もあるアルテミス像が安置されていますが、こちらがその想像図です。
エフェソスの遺跡見学において、大失敗したことがあります。誤って、動画ファイルの多くを削除してしまったことです!これは、かなりショックでした。けれども、ディレクさんに頼みこみ、それぞれ説明してくださった概要を教えてほしいとお願いし、それでお返事をいただきました。その内容に基づいて、また自分で調べたことにしたがって説明していきたいと思います。
エフェソスの由来が、地母神とのつながりがあると言われるほど、女神信仰とのつながりが深いです。この神殿は三度の建築と、三度の破壊を経験しています。一度目、二度目、そして三度目の建築でさらに大きく壮麗になっていきました。初めは紀元前700年頃のものですが、遊牧民族によって破壊されました。そして、紀元前550年に、先に話したリュディア王国のクロイソス王が再建しました。歴史家ヘロドトスがここを訪れた時に、あまりに壮麗さと巨大さに圧倒されて、言葉を失ったと言われています。ところが、紀元前356年、この大神殿が、ただ名前を残したいと言う一心で、ヘラストラトスという若い羊飼いが放火して、跡形もなくなったそうです。(その名を残さないように、記録をひた隠しにしていたそうですが、後世に出てきたそうです。)
そして大神殿の再建が始まります。紀元前333年頃、アレクサンドロス大王が立ち寄って、すばらしい建造物だとほめたたえ、建造費を負担しても良いと言ったけれども、誇り高きエフェソス人は、「アルテミスは我らが神。他の神のお方に負担していただくことは適当ではございません。」と丁重に断ったとのこと。(使徒19章で、パウロのことでアルテミス神殿の銀細工人が騒動を起こしますが、この時にどれだけエペソ人が、この神殿を誇りにしているか垣間見ることができますね。)この時に、アテネのパルテノン神殿の二倍の規模で建築しようと考え、長さ120㍍、幅60㍍、そして高さ20㍍で、円柱127本から成り立っていました。しかも純粋な白大理石のみを使用したとのこと。それで世界の七不思議に入り、サモス島のヘラ神殿に次ぐ、世界第二の大きさだったそうです。紀元前250年には、この大理石で造られた輝く巨大神殿を持つ美しい城塞都市として、中心的な役割を果たしていました。長い城壁で囲まれた港にフェニキアやギリシアからの商船でごった返していたそうです。そして、ちょうど世界中からエルサレム神殿にユダヤ人が神を礼拝しに巡礼したように、アルテミス信仰を持つ世界中の人々が、エフェソに来て礼拝したとのこと。
ところが、キリスト教がここに入って来ます。使徒19章には、キリスト者たちが魔術の書物を焚書して、また神殿の銀細工を買わなくなってきたので、収益を得ていた銀細工人が騒動を起こすというように、徐々にキリスト者の影響でアルテミス信仰そのものが廃れ始めました。そしてついに、紀元後263年、ゴート族の侵入により破壊されました。キリスト教が公認されてからは、ますます忘れ去られ、この石材は他の建築物に流用され、神殿自体も川が運んでいる土砂で埋まってしまったそうです。それを1869-1874年にイギリスのJ・Tウッドによって発掘がなされ、地下7㍍から遺構が発見されたのことです。しかし、その貴重な出土品の多くがイギリスに持ち去られています。
儀式の中での去勢
アルテミス自体は、ギリシアの女神です。清純な女狩人として知られて、月の女神ということです。そして、アテネではアテーナーがアルテミスよりもあがめられていました。けれども、エフェソスではアルテミスが非常に敬われていました。「天から下ったご神体」と考えられていました。これは、ギリシア神話のアルテミスではなく、古代アナトリアにあった地母神信仰の影響を受けていした。ですから、清純な乙女ではなく、豊穣多産を象徴する多数の乳房を持っている訳です。それで、「4月11日その1」のトルコの歴史のところで説明したように、フリュギア発のキュベレー崇拝があって、「チャタル・ヒュウクの座った女性」がその典型であります。豊満な女性が裸体で座っていて、ゆったりとしている姿で、両脚の間に子赤ん坊を産み落としています。
そして、キュベレーとその連れ合い(後に息子)アッティスから生まれた神話で、後にキュベレー信奉者が、自らを聖なる儀式で、人々の見ている前で、完全去勢した祭司となって行くことをしました。彼らは女性の衣装をまとい、社会的に女性とみなされています。そして女性となった祭司たちは、人々を乱交的儀式に導き、荒々しい音楽、ドラムの響き、また踊りには飲酒が伴いました。
それは、アッティスの去勢に倣ったものです。ディレクさんが持っている写真は、そのアッティスでありますが、去勢された状態になっています(こちらに拡大写真)。キュベレーは嫉妬によって力を放出し、アッティスがエクスタシーのうちに自ら性器を切り落として死にました。それでキュベレーは彼の死を嘆き、復活させた、という話です。それで、ローマ時代はガリ(Gali)と呼ばれる者たちが、上で説明したように儀式の中で自ら去勢していたのです。ともかくも、今の私たちからすれば、恐ろしい、酷い儀式ですし、エフェソスの町にある道徳的退廃の姿は、エペソ人への手紙4-5章で、パウロが信徒に警告している通りですね。
続けて、ジェイさんが朝のデボーションも兼ねて、お話ししてくださいます。
アフロディテの祭司も、こんな儀式の中での去勢をするそうです。それで、この地域にいる、イエスがメシアであることを拒むユダヤ人たちの一派が、こういった儀式を、ユダヤ教の割礼を根拠にして容認していたというのです。
アルテミス神殿は跡形もないけれども、ギリシアのパルテノン神殿よりも四倍あったとのことです(私が調べた上の情報の二倍とは違いますね)。そして、英国人が発掘して自国に持って行ってしまったので、その遺品は大英博物館にあるそうです。アルテミスの像がたくさんの乳のある、かなりグロテスクです。その人間の大きさのある彫刻の一つが、バチカン博物館にあるそうです。
社会的に制裁を受けるような人々(盗みをしたとか)、この神殿の境内に逃げてきます。なので、神殿は銀行の役割を果たしていることを前に話しましたが、かんばしくない人々が避難する場所にもなっていました。
神殿の中では、異教と言えども祭司のみが入ることができます。エルサレムの神殿と似ていますが、圧倒的に違います。異教の神々は気まぐれですが、私たちのアブラハムの神は契約を守る方です。彼らは、異教の儀式の中で清くあることを求められています。神を怒らせるといけないので、神殿の内部はとてもきれいにしています。なので意味は違いますが、私たち教会も清い花嫁として清くなければいけません。
そして、神殿を立てる時はモルタルを使いませんでした。エルサレムの神殿ならなおさらのこと、石切りは別のところで行い、神殿の現場では石切りの音は聞こえませんでした。
ここからディボーションの要点になります。「エペソ2:19-22 こういうわけで、あなたがたは、もはや他国人でも寄留者でもなく、聖徒たちと同じ国の民であり、神の家族なのです。 使徒たちや預言者たちという土台の上に建てられていて、キリスト・イエスご自身がその要の石です。このキリストにあって、建物の全体が組み合わされて成長し、主にある聖なる宮となります。あなたがたも、このキリストにあって、ともに築き上げられ、御霊によって神の御住まいとなるのです。」
コリントの人たちにも、パウロは神殿について話しましたが、パウロもエペソの人たちに神殿について話しました。エペソの人たちは、アルテミスの神殿も思い出したかもしれません。ペテロも手紙で、エルサレムの神殿になぞらえて教会を話していました。
そして大事なのは、モルタルも石切りの音も聞こえませんですから、建築する者が、各々の石を切り刻み、それを神殿で隣り合わせて積み重ねなければいけません。私たち教会も、隣り合わせて積み上げられます。隣の人の形が気に入らなくても、それは建てる者の仕事であり、自分がすることではありません。イエス様は、祈りで私たちが一つになるように、と祈られました。私たちは、互いに相手を変えようとしますが、それはイエス様の仕事です。愛する(love)のではなく、擦る(rub)ことをしてしまいます。
最後に、アルテミスのバージョンアップが、映画で話題になった「ワンダーウーマン」なのだそうです!エフェソスの始まりが、ギリシア神話のアマゾネスという勇士の女神だというところからの話でしょう。
3.はその②へ