2018年トルコ・ギリシア旅行記 4月14日

1.ペルガモン
2.ローマ街道
3.トロアス


ホテルからペルガモンへ(グーグル地図

まずは、ターキッシュ・ディライトのお土産

 クシュダスのホテルでゆっくりと二泊を過ごすことができ、翌日一気に北上するためバスに乗り込みます。まず、私たちは買いたいと思っていたものが、ターキッシュ・ディライト(トルコ語では「ロクム」)です。このお菓子で思い出すのは、C.S.ルイスのナルニア王国物語「ライオンと魔女」に出て来る場面、白い魔女が主役の一人、エドマンドを誘惑する場面でしょう。(動画)そして興味深いことに、主人公のライオンである「アスラン」は、トルコ語でライオンを意味します。その他、ナルニア王国物語には、トルコと関連する言葉や場面が出て来るそうです(記事)。けれども、彼は一度も、当時のオスマン・トルコに行ったことがありません。ちなみに第一次世界大戦では、英国軍がオスマン軍と戦い、打ち勝っています。

 これはお土産にぜひ、と思っていたのですが、連れて行ってくださいました。ホテルから北上して、エフェソスの付近にあるお店の並んでいる通りの一角で、ロクムを中心に、オリーブ油も販売しているお店に立ち寄りました。次の写真を見るだけでよだれがでてきそうです!オリーブ油も、トルコでは名産で、イスラエルだけではないですね。いや、地中海沿岸は全てオリーブ油の生産が多く、スペインが第一位でトルコは二位だそうです。そこで、スキン・ケア用の油を買いましたが、そのうち一本は、教会で癒しのための祈りの時に使っています(ヤコブ5:14)。けれども、香りが強く、私は大好きなのですが、教会の姉妹や妻は、あまり好きでないようです。😢

1.ペルガモン
日本語解説1日本語の記事2日本語の旅行記3D動画による復元
 バスは延々と北上します。初めの出発地、イズミールを経て、ペルガモンの遺跡のあるベルガマ市に向います。大体、2時間半ぐらいかかったのでしょうか。黙示録の七つの教会の順番を思い出してください、初めにエペソ、次にスミルナ、そして三番目がペルガモンです。私たちはこの順番で北上していっていることになります。ペルガモンは、丘にある要塞都市「アクロポリス」と、蛇の形をした医療の神「アスクレピオン」が祭られた医療施設の跡の二つがありますが、アクロポリスのみの訪問となります。

歴史

 すでに4月11日の旅行記で記しましたが、改めてペルガモンの歴史を説明したいと思います。ペルガモン王国は、ギリシアの王国の一つです。アレクサンドロス大王が若くして夭折し、その後の分割された王国の一つが、その始まります。ダニエルの預言で、ギリシアを表す豹が四つの頭を持っていたことを思い出してください、四分割されました。その一人であるリュシマコスという総督が、トラキア、小アジア、マケドニアの王になりました。ところが、その後継者らである「ディアドコイ戦争」にて、シリアのセレウコス朝との戦いで、敗死します。リュシマコスの部下であったフィレタイロスが、彼を裏切ったのですが、彼がセレウコス朝の主権下でペルガモン王国を始め、リュシマコスの財宝を受け継ぎました。

 王国は甥のエウメネス一世の時代にはいり、それがアッタロス朝(紀元前282-133年)と呼ばれます。王朝は、エジプトのプトレマイオス朝と友好になり、それによってセレウコス朝と戦い、独立を果たします。そして、二代目のアッタロス一世は、ガラティア人(あの、ガラテヤ人の手紙のガラティアです)と戦い、勝利し、彼らの略奪から身を守りました。そして、共和制ローマが現れました。ローマの戦いに加わり、アッタロス一世の息子エウメネス二世にもその友好関係は続き、ローマとセレウコス朝とのマグネシアの戦いでも勝ちました。そうして小アジアにおける交易の権益を得て、アプロポリスの建設が行われます。紀元前139年、アッタロス三世の時代に、自らの王国をローマに委ねるという遺書を残して、小アジアのローマ属州となりました。その後も繁栄が続きます。

都市の特徴

 ペルガモンは、このように繁栄したギリシア・ローマ都市であり、その特徴は、トラヤヌス神殿に代表される皇帝礼拝、そしてゼウス大祭壇、アテナ神殿、ディオニューソス神殿など、ギリシアの神々の祭壇や神殿、そしてアレクサンドロス図書館に次ぐ、巨大なペルガモン図書館などがあります。その他、円形劇場、アクロポリスとアスクレピオンをつなぐ水道橋もあります。その中でキリスト者が教会を持ち、黙示録2章に書いてある、皇帝礼拝や異教の慣わしなどとの激しい迫害と葛藤があったのです。

 まずは、ペルガモンの復元動画があるので、それを見てみましょう。


 初めに、水道橋から始まり、アクロポリスの正面に移ります。真正面に見えるのが円形劇場で、その秘儀に見えて来るのが、ゼウスの大祭壇です。そして円形劇場の上にあるのが、ペルガモン図書館です。さらにその左上にある列柱の宮があるところが、トラヤヌス神殿で3:20から始まります。

ロープウェイから図書館へ

 ロープウェイに乗り、降りると、すばらしいベルガマ市内の風景を眺めることができます。


 それから、上り坂になっていて、模型が展示されているところがありました(正面から左正面から右)。さらに上って行き、図書館のあったところに着きます。今は、列柱や壁が一部残っていますが、広場のようになっています。ここのアウグストの祭壇のある木陰で、ディレクさんとジェイさんが解説をしてくださいます。


 黙示録のペルガモンへの主の使信を読む時、必要な背景があります。ここにゼウスへの大祭壇があります。ドイツ人が発掘したので、今はペルガモン博物館に展示されています。祭壇の周囲の壁に装飾が施されていますが、浮彫芸術です。神々や巨人たちの戦いが描かれています(上の3D動画にも映し出されていましたね)。これらの巨人は、下半分が蛇で上半身が人間です。

 そしてここは図書館ですが、ディレクさんが見せている写真は入口だけです。列柱から列柱へ、カメラを回していますが、それらが全て図書館です。ディレクさんの右の祭壇の跡は、アテーナー(知恵)に対するものです。アレクサンドリアの図書館は、この大きな図書館に対抗してパピルスの輸出を禁止しました。それで、ここでエメウメス二世が羊皮紙を発明しました。20万冊の蔵書だったそうです。

 そして、ペルガモンで有名なのは「瀕死のガリア人」という彫刻です。これは、先に話したアッタロス一世がガリア(ガラティア)人に勝利したことを祝して造られたもので、有名なヘレニズム彫刻です。それをローマ時代に誰かが模して作りました。苦しみの中にいますが、誇り高き姿を示しています。ガラティア人は赤毛のケルト人から来た人々で、彼らに勝利したのでゼウス大祭壇を造ったのだそうです。彼らはカパドキア地方に動き、それでガラテヤ人への手紙の背景になっています。

 アスクレピオスの写真も見せています。蛇の杖を持っている姿ですが、医療の神です。そしてこの神の名によって療養に人々がいました。優れた医者たちがそこにいました。ここから有名な医学者ガレノスが出てきました。



 ケルト人は、自分たちがお化けに変身にすると信じていて、裸で敵に立ち向かいます。それで、その姿を見た人々は本当にビビったそうです。そこから、ガラテヤ人への手紙について話します。どんな聖書の箇所でもそうですが、著者だけではなく、「その手紙を受け取る受け手」をくまなく調べるとよいと、言います。ガラテヤ人はとても純朴な人たちです。赤毛でトルコ石の色の目をしていました。今もその容姿をしたムスリムのトルコ人がいます。ティアティラの教会への使信を思い出してください。そこは要塞の町で、そのため東方からの敵の進軍の速度が遅くなります。そしてペルガモンから西は、エーゲ海がわずかに見えます。なので、ティアティラは犠牲の町であり、ここペルガモンでその敵に攻勢できるということです。

 イエス様がここの教会に語られました。「鋭い諸刃の剣を持つ方が、こう言われる。」ヘブル4:20の剣とは異なる、こちらは戦いの剣ではなく、ローマ地方総督が裁決をする時の剣です。「わたしは、あなたが住んでいるところを知っている。そこにはサタンの王座がある。」イエス様は慰めておられます。ここにサタンが居住しているということではなく、状況が霊的に非常に悪いということです。「しかしあなたは、わたしの名を堅く保って、わたしの確かな商人アンティパスが、サタンが住むあなたがたのところで殺されたときでさえ、わたしに対する信仰を捨てなかった。」ここに、迫害があります。アンティパスが殉教しました。鋳物の中身が空の雄牛の像の中に入れらて焙られたというのは、伝説ですが、神にしか分からない無名の勇士のような人です。主は彼のことをご存知です!その中で教会が増えてきました。これこそが、教会の指導力です。忠実であり、自分の行程を守り、主に従う人です。そして手本になりました。

 「けれども、あなたには少しばかり責めるべきことがある。けれども、あなたには少しばかり責めるべきことがある。あなたのところに、バラムの教えを頑なに守る者たちがいる。バラムはバラクに教えて、偶像に献げたいけにえをイスラエルの子らが食べ、淫らなことを行うように、彼らの前につまずきを置かせた。」ティアティラにあった問題と同じように、異教の慣わしと純粋な御言葉を混ぜ合わせて、それでもっと質が良くなったとすることです。教会が世のように調子を合わせると、イエス様に合わせることができなくなります。イエス様だけへの愛こそが、世に必要なものです。「だから、悔い改めなさい。そうしないなら、わたしはすぐにあなたのところに行き、わたしの口の剣をもって彼らと戦う。」わたしは、この戦いで勝つと宣言しておられます。

 「耳のある者は、御霊が諸教会に告げることを聞きなさい。勝利を得る者には、わたしは隠されているマナを与える。」イエス様が隠れたマナです。「また、白い石を与える。その石には、それを受ける者のほかはだれも知らない、新しい名が記されている。」ペルガモンの教会の人たちも、スミルナなどの教会の人たちと同じように、ちょっとの量の焼香して、「カイサルは主である」ということを拒みました。今、仲間が座っているのは、アウグストの祭壇ですが、数多くの神々がいるなかで統一するのは、ローマの皇帝です。

 「白い石」とは?中東では、恥を与えた者に復讐の血を流すのですが、誰かが無罪で守りたいと思ったら、その人の天幕の前に白い石を置きます。あるいは、エペソで見たオデオンで議会が投票する時に、白い石、黒い石を使いました。そうかもしれません。けれども、彫像の下にある石に名前が書いてあるものがあります。その彫像は、自分の寄贈者(パトロン)です。神は人の名前を変えます。アブラムからアブラハムに変えられました。ヤコブはイスラエルに変えられました。聖霊の力によって、神に仕えます。そして最後に、良き忠実な者とされます。白い石の新しい名前は、その報いであり、新しいエルサレムであなたの名が記されています。後ろにある列柱には、何かの寄贈があります。王国に貢献した人に、その出身地の町と名前が書かれていますが、それがフィラデルフィアの教会で「柱にする」と言われたその背景があります。

 ジェイさんは、ここのアウグストの祭壇を前にして、獣の像についての解説を2014年の旅で行なったようです。


 それからイスラエルの旅行で、カペナウムにて「柱にある名前」についての解説をしています。

 ディレクさんが、ゼウスの大祭壇について説明しています。それが「サタンの王座」だと言っています。そして、ゼウスのみならず、アテーナー、ディオニューソス、アポローンなど、数々の宮がありました。そして目を上げると、トラヤヌス神殿があります。平地からこちらに上ってくると、数々の宮があり、それが「サタンの王座」であったかもしれないと言っています。

 アクロポリスのは、高官や祭司などが住み、庶民は城壁外の平地に住んでいましたが、戦いが起こればここに上がって来て、逃れに来たそうです。

 そしてトラヤヌス神殿のあるところに、さらに階段を上がります。この神殿は、ハドリアヌス帝が王宮跡に造営して、先帝に捧げたそうです。


 トラヤヌス神殿の中庭に立っていますが、参拝者はここで礼拝をします。列柱は、ドイツ人が復元作業をして柱が建っているようです。壁が周りにありますが、犯罪を犯したらこの中庭に入ることが出来たら、捕まえられずに済みます。また、金銭のやり取りが行われます。そう、あの宮清めの原因になった習慣です。そして、年に一度、焼香してカエサルは主ですと言わなければ、地方総督に連れて行かれ、迫害を受けていました。

 ここから自由時間になったので、私も写真や動画を撮りました。まず、見下ろしたところにものすごく大きい劇場の跡があります。1万人の収容だったとのこと。


 そして神殿の中に入り、撮りました。


 そして裏手を回ると、きれいな湖がありました。ダムと解説していますが、そうではなく「ケステル湖」というそうです。


 そして景色、眺めの良い裏の道をずっと歩くと、王宮の跡があり、そして、先ほど話したアテーナー神殿も見ました。


 そしてロープウェイのところに戻ろうとしましたが、横道があり、そこがかの有名なゼウス大祭壇の跡です。時間が少なかったですが、行かない訳にはいきません!(動画


 妻も私も、欲張りでなるべくたくさん回り、たくさん撮ったので、集合時間にぎりぎりでした。

ベルガマ市内でケバブ

 ロープウェイで降りて、バスに乗り込みます。市内には、ギリシア歴史地区があり、そこにエジプトの神セラピスの神殿があります。


 これが後に、「赤いバシリカ」と呼ばれる、聖ジャン教会へと改築されます。これが「ペルガモン教会」に投影されていくようです。こちらの旅行記によると、この二つがモスクに変えられてしまったところが、世界遺産となってからは、元のセラピス神殿と聖ジャン教会の逆復元をしていること。

 そしてディレクさんの知り合いのお店で、おいしいケバブを食べました(写真)。ご家族のお嬢さんが、クリスチャンの男性と結婚したとのことで、お父様はムスリムなのに、「構わない」と言っていることをディレクさんは強調していました。ところで、ディレクさん自身はスーフィ派のムスリム。主流スンニ派と違って、形式ではなく内面が重要という神秘主義ですね。結構、バスの中ではイスラム教の説明やご自身の信仰についての拘りを話していました。

2.ローマ街道

ペルガモンからローマ街道(グーグル地図

 ペルガモンを離れ、私たちは黙示録の七つの教会をついに離れます。そして次は、パウロの宣教の旅で、彼が歩いたローマ街道と、パウロが第二宣教旅行でヨーロッパへ船出するトロアスに向かいます。今回の「使徒の足跡」の旅の中で、おそらく旅行仲間の間で最も思い出深いところとなったのではないか?と思います。普通、来ることのないようなところです。

 上のグーグル地図をご覧になれば、私たちがエーゲ海沿いの道路を走っていることにお気づきになるでしょう。本当なら、内陸の道路を通れば、次の宿、チャナッカレにもっと近いのですが、パウロが宣教の旅をした時に使ったローマ街道になるべく近い道を選んでいるからです。ディレクさんも、こちらに旅行客を連れて来ることはまるでなく、エーゲ海と美しい田園風景が続き、「こんな田舎がトルコに残されていることはとても大事だ」と仰っていました。


 彼女が説明している、ギリシアの島「ミティリニ」は、こちらの地図でも確認できますが、こんなにもトルコに近いです。シリア難民がこの付近で溺死してしまったことを言及しています。そして、ジェイさんが「ちょうど、アソスの遺跡を通過した」と言っています。そう、アソスはパウロの宣教の旅に出て来る地名です。アソス自体にも、立派な遺跡があります。(日本語記事Wikipedia)

アソスから次の停車位置まで(グーグル地図

「使徒20:13-14 私たちは先に船に乗り込んで、アソスに向けて船出した。そこからパウロを船に乗せることになっていた。パウロ自身は陸路をとるつもりでいて、そのように決めていたのである。こうしてパウロはアソスで私たちと落ち合い、私たちは彼を船に乗せてミティレネに行った。」つまり、パウロは独りで陸路を通り、アソスから船に乗りました。そのアソスを過ぎたところに、ローマ街道が今の道路沿いに見えてきます。



 二千年前の街道が、今も農夫たちによって使われている田舎道になっています。そしてついに、道端にバスが停車、私たちは降り立ちます。まさに、文字通り「使徒の足跡」を踏んでいる巡礼者となっています!


 ジェイさんが、解説!


 先ほど引用した使徒20章の箇所の前には、パウロの話が長く続くので眠くなって三階から下に落ちてしまった青年の話、パウロが生き返らせた話があります。それが「トロアス」での出来事です。これから、私たちが行くところです。そこから、一行は船でアソスまで行ったのですが、パウロだけは陸路でアソスに行きました。ですから、私たちは今、逆方向を進んでいるということです。そして私が、ジェイさんに「なんで、石畳の道がこんなに長く耐久するのか?」と尋ねたのですが、ビデオでも答えてくださっています。さらに2㍍近い深さまで石の舗装がされているからです。

 ジェイさんがちょっと裏話もしています。どうやってこの街道を見つけたのか?無数にあるローマ街道には名前が付いていますが、たまたま「リパブリカ街(Via Republica)」だと分かったのだそうです。フィラデルフィアの教会で説明した時、エッセネ派のグノーシス主義について調べていた時、その文献にあったのだそうです。ジェイさんは、自分のユーチュブ・チャンネルのためにも録画しました。



こちらのブログ記事に、私たちが尋ねたところを紹介しています。

Paul on the Road to Assos (Asia Minor/Turkey)

3.トロアス
日本語の旅行記Wikipedia

ローマ街道からトロアス(グーグル地図

 そして私たちはトロアスに向かいます。遺跡としては「アレキサンドリア・トロアス」と呼ばれています。グーグル地図で見るように、一気に海岸沿いを北上します。さらに北に行くと、翌日訪れる「トロイ」があります。この地域一帯も「トロアス」と呼ぶようです。

 トロアスも、かなり大きな遺跡なのですが、一帯が農村となっており、発掘がきちんと行われていません。けれども、所々に見えてきます(遺跡地帯の地図グーグル写真)。

 トロアスの海岸を、ついに港のあるところまで歩いて行きます。ちょうど日没になりました。


 ここからジェイさんが語ります。


 近くに見えるのは、トロイ戦争で有名な島、背後にあるのは自然ではなく、当時の防波堤です。まず20章1‐12節から話しています。パウロが夜中まで話し続けました。牧会者の思いですね、その中で青年ユテコが落ちてしまいました。

 そしてもっと大事なのは、16章です。イスラエル旅行で訪れるカイサリアにてペテロが、コルネリオに会い、異邦人への福音宣教が始まったところです。そしてここも、まさに宇宙飛行士が月面に着陸した時のようなところで、ここから世界に福音宣教が広まったところです。

6 それから彼らは、アジアでみことばを語ることを聖霊によって禁じられたので、フリュギア・ガラテヤの地方を通って行った。7 こうしてミシアの近くまで来たとき、ビティニアに進もうとしたが、イエスの御霊がそれを許されなかった。8 それでミシアを通って、トロアスに下った。9 その夜、パウロは幻を見た。一人のマケドニア人が立って、「マケドニアに渡って来て、私たちを助けてください」と懇願するのであった。10 パウロがこの幻を見たとき、私たちはただちにマケドニアに渡ることにした。彼らに福音を宣べ伝えるために、神が私たちを召しておられるのだと確信したからである。

 次の日には、ギリシアのネアポリス、パウロが初めて宣教でヨーロッパに降り立った港に行き、そこで宿泊することになります!ヨーロッパに福音が伝わったので世界に福音が伝わりjました。これだけ大事なところなのに、地元の漁師が釣りをしているだけで、ほとんどみんな来ません。ここのことを覚えて、2018年4月に説教をしました。(原稿

 イエス様は、私たちに行きたくない所に導かれるかもしれない、その小さな一歩が大きな御霊のうねりになるかもしれません、福音を伝えましょう!

 ジェイさんの説教の後、防波堤に上がって、改めて周囲を撮影しました。


 写真ではもっと明るく撮れています。(その1その2

夜遅く到着したホテル

トロアスからホテルまで(グーグル地図

 4月のトルコは、日没の時間がかなり遅いです。8時ぐらいだったのではないか?と記憶しています。そこからさらに1時間ぐらいかけてチャナッカレにある、コリンホテルに向かいます。写真で見ると、とても豪華なホテルなのですが、到着したのがたぶん9時過ぎ、夕食も10時ぐらいになって、ほとんど食べないで、部屋に向かいました。今回の旅行の特徴は、なんと言っても「ホテル到着時間が遅い!」こと。でも、実はトルコとギリシア、特にギリシアは。昼食、夕食の時間が日本より2時間ぐらいは遅いようです。